第11回
「これは……」
どうして、原田とのツーショットが写真週刊誌に載っているのか……しかも、あたかもふたりが恋人同士であるかのような、悪意さえ感じる記事内容に、聖は二の句が継げなかった。
原田も、聖の背後で表情を失っていた。
「どうした? 黙ってないで、説明してみろよ!」
遼が、激しく詰め寄ってきた。
「誤解しないで……この前、遼ちゃんのお見舞いにきた帰りに、中庭のベンチで話していたときの写真よ。看護師さんに聞いてもらえれば、ここの中庭だってわかるから」
聖は、必死に平常心を掻き集めつつ言った。
「病院の中庭だったら、浮気してもいいのか?」
片側の唇の端を吊り上げる皮肉っぽいその物言いも、聖の知っている遼ではなかった。
「浮気なんて、するわけないじゃないっ。私と原田君は、どうしたら遼ちゃんの病気が治るかを話してただけなんだから」
「そうだよ、遼。聖ちゃんは、変わってしまったお前の言葉や態度にひどく傷ついて、俺は相談に乗ってただけだよ」
「俺が、なんの病気だよ? 車に撥ねられて、頭を怪我しただけだ。それより、人が入院しているのをいいことに乳繰り合った挙句にスキャンダル写真撮られるなんて、お前ら、節操のない獣みたいだな」
節操のない獣、という言葉が聖の心を切り裂いた。
「遼、俺はなに言われてもいいけどさ、聖ちゃんがかわいそうだろ? こんな写真をいきなりみたら、動転するのも仕方がないけど、俺達だってびっくりしてるんだ。聖ちゃんの気持ちも、わかってやれよ」
原田が、遼を諭した。
「聖ちゃんがかわいそうだろ、聖ちゃんの気持ちもわかってやれよ……聖ちゃん、聖ちゃん、聖ちゃんって、お前、すっかり、彼氏気取りだな」
「それ、本気で言ってるのか? 本当に、俺と聖ちゃんがそういう関係だと疑ってるのか?」
表情を強張らせた原田が訊ねた。
「だったら、お前と聖がなにもないって、どうやって証明するんだよ? 口では、なんとでも言えるからな。俺を、信じさせてみろよ」
遼が、写真週刊誌の開かれたページを掌で叩きながら挑戦的に言った。
「遼、こっちを向いて。私の眼をみて」
聖は、遼の前に歩み出た。
「なんだよ?」
斜に構えた態度、素直ではない口調……変わり果てた遼の瞳を、聖はじっとみつめた。
「なんなんだよ!? 言いたいことがあったら……」
「私のこと、いまでも好き?」
聖は、遼の言葉に被せるように訊いた。
「い、いきなり、なに言ってんだよ? 」
「いいから、答えて。私のこと、前と変わらずに好き?」
淡々とした口調だが、聖の心臓は不安に張り裂けてしまいそうだった。
もし、遼が心変わりしていたら?
もし、好きじゃないと言われたら?
ネガティヴな思考が、聖の不安感を煽った。
「そ、そんなこと言って、話をすり替えるなよ……俺は、お前らの関係がどうなのかを訊いてたんだよっ」
泳ぐ遼の瞳をみて、動揺しているのが伝わった。
「話をすり替えているのは、遼ちゃんのほうじゃない。私達……とっても、仲がよかったんだよ?
『トーマス・マックナイト』の絵がかかっている部屋で、遼ちゃんが作詞をしている間、十時間でも、二十時間でも、ずっと一緒だった。私はアールグレイティーを飲みながらクッションソファに座って、ピアノを弾くあなたの横顔を眺めているのが好きだった……」
窓から射し込む黄金色の陽光が、遼が奏でる優しく柔らかなピアノの旋律が、聖の脳裏に甘くせつなく蘇る。
幻でも夢でもない。
僅か十日ほど前……表参道のフレンチレストランに向かう途中で遼が事故に遭うまでの日常生活だった。
「もう、そんな話、いいって」
頭を抱え、いらついたように遼が言った。
「おっちょこちょいで一生懸命で、そういう正直でまっすぐな聖を好きになったんだ。ひと目惚れだよ。私のどこが好き? 『君想曲』の歌詞と同じセリフで訊いたときに、遼ちゃんが私にそう言ってくれたんだよ……忘れちゃった?」
聖は、泣き笑いの表情で訊ねた。
「もう……いいって言ってるだろっ」
遼が、聖に背中を向けた。
「二年前の夏、軽井沢に天の川を見に行ったとき、ギリシャ神話の天才音楽家のオルペウスと新妻のエウリュディケの話をしてくれたよね?」
星達に埋め尽くされた空を見上げながら、遼は聖に悲劇の神話を語った。
仲睦まじい新婚生活を送っていたふたりがある日、草原を散歩しているときに、妻のエウリュディケが毒蛇に咬まれ冥界に逝ってしまった。
オルペウスはエウリュディケを連れ戻すために、得意の琴を奏で、美しい声で歌いながら冥界の暗鬱な道を歩いた。
冥界の王ハデスも、妃のペルセポネも、オルペウスの美しい琴の音に心を奪われ、ある条件と引き換えにエウリュディケを地上に戻すことを約束した。
その条件とは、地上に戻るまでの道程、なにがあっても決して振り返ってエウリュディケの姿をみてはならない、というものだった。
闇に包まれた冥界にひと筋の光が射し込んだ瞬間、オルペウスの胸には喜びと同時に不安が過ぎった。
地上へと続く冥界の道を歩く間、オルペウスの耳には、エウリュディケがついてくる足音がまったく聞こえなかったのだ。
本当に、エウリュディケは後ろにいるのだろうか?
不安に押し潰されたオルペウスは、冥王との約束を破って、背後を振り返ってしまった。
エウリュディケはたしかにそこにいたが、すぐに冥界の闇に呑み込まれるように消えた。
「僕はどんなことがあっても君を信じる。君も、たとえどんなことがあっても僕を信じてほしい。私に言ってくれた、遼ちゃんの言葉よ。私、遼ちゃんのこと信じてるから……」
「やめろって言ってるだろ!」
遼が振り返り、聖を睨み怒鳴りつけてきた。
「ごちゃごちゃいつまでも昔のことほじくり返して、迷惑なんだよっ。お前みたいな浮気女、好きなわけないだろう!」
「遼ちゃん、ひどいよ……」
泣き出しそうな声で、聖は言った。
——いまの遼君の気持ちは、父さんと同じや。どんだけ毒づいても、心の底ではあんたを必要としてる。それを忘れてるだけやから。頑張りや。
心が決壊しそうになった聖の脳裏に、凛子の叱咤激励が蘇った。
「もう、二度と、つき纏わないでくれ!」
胸を貫く残酷な矢尻の激痛を、聖は必死に堪えた。
「いやよっ。私はあなたの、婚約者なんだから!」
「だから、それは昔の話だって」
——遼君は、一生のパートナーじゃないの? 思い切り、戸惑えばいい。思い切り、泣けばいい。でも、迷う必要はない。目の前の彼がどんなに変わり果ててみえても、あなたを誰よりも愛してる、あなたが誰よりも愛してる遼君なんだからね。彼との愛を、信じるのよ。
遼の冷たい口調を、記憶の中の亜由美の言葉が撥ねつけた。
「俺は、お前なんかとつき合って、本当、後悔してるよ」
瞬間、聖の頭が真っ白に染まった。
——お前みたいな浮気女、好きなわけないだろう!
嘘よね?
——もう、二度と、つき纏わないでくれ!
嘘に決まってる……。
—— お前なんかとつき合って、本当、後悔してるよ。
遼が、そんなこと言うはずがない……お願いだから……嘘だと言って!
「聖ちゃん、待って!」
誰かが、自分の名を呼んでいる。
視界を、涙に霞む景色が流れた。
(つづく)

新堂 冬樹
(しんどう ふゆき )
大阪府出身。1998年作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。主な著書に『僕の行く道』『百年恋人』『ある愛の詩』など多数。
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