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知られざるわたしの日記 南 綾子

イラスト/黒猫まな子
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第 15 回


十月五日

 そういえば、いつの間にか月の目標を書かなくなっていた。ていうか、今までどんな目標があったっけ? 一つでもまともに達成できたものはあるだろうか。ズルじゃなくて。さかのぼって確認……面倒だな。まあいい。今月から仕切りなおそう。

 今月の目標

・ワキガマンとの関係をどうにかする。


 いやマジで。あの日以来、なんだか彼の様子がおかしすぎて困惑のKIWAMI。わたしはワキガマンの考えていることが全然わからなくて、ほとほと困り果てている。急に人が変わったようになってしまった。
 最初の異変は、うちの前で待ち伏せしていた夜から三日後のこと。いきなり「次に会ったときはチューしたいナリ」とメールがきた。 
 これまで何度会っても、手をつなぐことさえしなかった男である。なんと答えたらいいかわからず返事をせずにいたら、次の日、「一子ちゃんをハグハグしたいナリ」とまたメールがきた。それにも返事をせずにいると、さらに翌日「得意料理は何ナリか?」ときた。ハグの次はいよいよ「ピストン運動したいナリ」とかくるんじゃないかと戦々恐々としていたのでちょっとほっとしつつ、見栄を張って「アクアパッツァです」と答えたら、「じゃあ今度は君の家でそれを作ってほしいナリ。僕の疲れた心と体を癒してほしいナリ。そのあとはお泊まりしたいナリ」と返ってきた。
 もちろん、わたしがもっとも困惑しているのは、どうして急にキテレツ大百科のコロ助口調になったのかということだ。真剣に考えたけれど全然わからなかった。チューだのハグだのお泊まりだの、体の接触やセックスを匂わせる発言にももちろん困惑している。その後も今に至るまで、毎日のようにこの手のメールが送られてくるし、デートの誘いも何度もされている。デートの誘いというより、とにかくどこかに泊まりにいきたいらしく、ニューオープンのラブホテル情報などを時々送ってくるのだけれど、本当に彼はどうしてしまったのだろうか。以前のワキガマンとはまるで別人だ。さすがに困り果ててハマチ子に相談したら、「着拒すれば?」なんて言われてしまった。しかしそれもなんだか申し訳ない。なんとか丸くおさめる方法はないだろうかと考えたり考えなかったりしつつ、今のところは忙しさを理由に誘いをなんとかかわしているけれど、いつまで許してもらえるか……いや、そろそろ限界かもしれない。
 今、またメールが届いた。

「そろそろ一子ちゃんに会いたいナリ。もう二週間も会っていないナリ。我慢できないナリ。僕の巨大松茸を召し上がってみないナリか? 今が旬の松茸ナリよ? 今から家にいってもいいナリか?」

 おいおい、自分のナニを巨大松茸にたとえるって、見栄張りすぎじゃないかい? 実際はせいぜいエノキタケだろ? ベーコンでくるっと巻いてお弁当に入ってるやつだろ? あれ、うまいよな? そんなことはどうでもいい。家にくるだと!? 困る困る超困る。いや、これはもしかして、またとないセックスチャンスなのか? ……きっと、そうだろう。
 でも。
 なんか。
 やりたくない。
 なんだろう。ワキガマンにチューされたりハグハグされたりすると考えると、全身がぞわぞわっとする。この感覚は……昔、ハマチ子に「世界一かわいいって有名な虫なんだって。画像検索してみ! もう本当にかわいいから!」とだまされ、「ウデ虫」と検索してしまったときの感覚と同じだ。あのときは相当ムカついて、どうしてもあの女に一矢報いたかったわたしは、ハマチ子の実家にオレオレ詐欺の電話をかける寸前までいった。あそこの母親と姉はまあまあのアホなので多分うまくいったと思う。次、何かやられたらもう躊躇しない。
 とにかく。
 この感覚は、いわゆる生理的にリームーというやつじゃなかろうか。
 世の女性たちが、自分より格下だと認識している男から好意を寄せられたり、身体的な接触をほのめかされたりしたときに抱くという、アレである。もちろん、わたしより格下の男などこの世にそうそうおらず、いたとしてもその男でさえわたしに好意を寄せたり、あまつさえ体に触れたがるなんてことは滅多になく、おそらく確率的には都内でジェイソン・ステイサムに遭遇するより低いはずで、だからわたしは、今までそのような感覚を抱いたことは一度もない。
 ということは。
 わたしはワキガマンを、自分より格下だと認識しているのだろうか。
 なんて、おこがましい女だろうか!
 でも……じゃあワキガマンとセックスできるかっつーと。リームーなんだよなあ。
 あ、またメールきてる。

「あと五分で一子ちゃんの家につくナリ〜」

 だって。やべえ。どうしよう。しかもこのメールが届いたの、三分前だ。あと二分でつくの? どうしよう。居留守使う? とになくまず電気消そう。

 としたら、インターホン鳴った。
 うーん、とりあえず、居留守!

 ……インターホン、連打してる。ものすごい勢いで連打。ハッ。これ……アレしてない? 十六連射してない? あれっ。とすると、もしかして、高橋名人きてる? うちに今、高橋名人きてる? そうなの? だったら出なきゃ。家に入れてあげなきゃ。昔、ファミコンのコントローラーにバネしこんで十六連射とかやって日本全国の小学生だました罪で逮捕されてその後死んだっていう噂の真相を聞くチャンスだし!
 ふう。
 一子よ。
 現実から、目を逸らすのはやめよう。
 高橋名人のやつは全部とんだガセだと、お前は知ってるはずだぞ。 
 出るか。

十月六日

 昨日の続き、ちゃんと書いとかないとな。
 なんだか、あっけなかった。
 結局、十分も話さなかった。 
 結論から書くと、もう二度と、ワキガマンとは会わない。
 ドアをあけたら、唇に小さな四角いものをはさんだワキガマンがいた。何をくわえているのかとたずねると、無言のまま唾液で濡れたそれを手に取って、こちらに差し出した。
 コンドームだった。
 それから、強引に部屋の中に入ってこようとしたので、なんとか外に押しだし、アパートの出入り口まで連れていった。この時点でワキガマンはかなり不機嫌になっていて、「なぜ家に入れてくれないナリか」と聞いてきた。メールだけでなく、実際の話し言葉も今後はコロ助なのか、と思ったら絶望的な気持ちになった。それでつい、本当は彼に内緒にしておこうと思っていた「知り合いのAV男優とお笑いコンビを組むことになっていろいろ忙しい」件を、正直に打ち明けてしまった。まあ実際は、太の仕事の都合であれ以来会えておらず、たいして忙しいわけでもないんだけど。なんか……やっぱり言っておきたかった。ちょっと、自慢するような気持ちもあったのかもしれない。
 ワキガマンは相当なショックを受けたようだった。いきなり「なんで! 君は! 俺がいやがることばかりするんだ!」などと叫びだした。
 わたしはどうすればいいのかわからず、ただひたすら困惑しながらその場に立っていた。しばらくキャンキャンとわめいた後、彼は一転、静かな口調で語りだした。
「今すぐに、心から謝ったら、許してやってもいい」と。
「ただし、そのAV男優と縁を切るというのが条件だ。きわめて寛大な条件だと思う」と。
「もちろん、お笑いなんかやめるべきだ。君には向いていない。人前に立つような人間じゃないんだよ」と。
「自分の姿を鏡で見てごらんよ。穴があくぐらいに。君みたいな人間と付きあってもいいと言っている俺のことをもっとありがたがらないと、バチがあたるよ」と。
 一字一句覚えているわけじゃないけれど、おおむねこんな感じのことを言っていた。と思う。
 わたしはジーパンの尻ポケットからスマホを取り出した。ワキガマンが手元をのぞき込んできて、「AV男優の連絡先を消去するナリか?」とうれしそうに聞いた。
 だから、わたしは答えた。
「お前の連絡先を消すナリ〜、あ、今消したナリ〜」
 と。
 次の瞬間、彼の拳が頬に飛んできた。しかし、直前に少しためらったせいか、力は弱々しくダメージはほとんどなかった。ワキガマンは殴ったあとで「あ」と小さな声を発し、「君が悪いんだ……」などとモゴモゴ言いだしたので、その言葉の途中で「トォワ!」と叫びながら首元に逆水平チョップをかましてやった。
「ふざけるな! 人前に立つ人間じゃないとか、勝手に決めるな! 何様だよ!」
 わたしは言った。いやシャウトした。語尾に「ボヘミア〜ン」と続いてもまったく違和感のない、激しく、かつエモーショナルなシャウトだったと自負している。
「わたしはやってやる! お笑いやってやる! 精一杯やってやる! 今に見てろ! 有名になってピーターのホームパーティに呼ばれてやるからな! ボヘミア〜ン」
 いや、本当は「ボヘミア〜ン」は言ってない。
 ワキガマンは首を押さえながら泣いていた。気がする。わからない。もう顔も見ずに背を向けた。そのままわたしは一人で、部屋にひきあげたのだった。
 そんなわけで、人生ではじめて彼氏ができるかもしれないチャンスを、三十六歳にしてついに処女喪失できるかもしれないチャンスを、わたしは自らの手でつぶした。
 まあ、でもいいんだ。これでいいんだ。
 ここに改めて、決意表明として記そうと思う。
 やると決めたからには、全力でやろう。お笑いを。
 この先、イヤなことはいっぱいあるはずだ。ワキガマンのように、いや彼以上に、手ひどい言葉をぶつけてくる人に遭遇することもあるだろう。ブスとかデブとかお前は人前に立つ人間じゃないとか。
 人前に立つ人間じゃない。
 自分で自分のことを、わたしはずっとそう思い続けてきた。大学で演劇をやっていたときも、金を払ってまでわたしの姿を見るくらいなら、北の将軍の寝顔でも見にいったほうがマシじゃないですかねみなさん、と、胸のうちでつぶやきながら舞台に立っていたのだ。実際、本当にそうかもしれない。まあ、北の将軍の寝顔なんてわたし以上に見たがる人いないかもしれないけど、でも例えば……五月みどりあたりの寝顔と比べたら、わたしのほうがかなり分が悪いのではないだろうか。でも、そうやって勝手に他人と比較して、卑屈になるのはやめるのだ。ワキガマンのおかげで目が覚めた。ワキガマンに言われて、目が覚めた。お前なんかにわたしの価値を決められたくねえんだよ、と思った。誰にも決められたくない。そうなんだ。わたしの価値は、わたしが決める。そんな強い気持ちから出た逆水平チョップと、「ボヘミア〜ン」だったのだと思う。
 いや、「ボヘミア〜ン」は言ってない。
 可能性。
 わたしにだって、あるのかもしれない。
 いや、あるはずだ。誰にだってあるはずなんだ。わかっていたけれど、認められなかった。怖いから。わたしは変わりたい。だから、自分のことを自分で潰そうとするのは、もうやめるのだ。傷つくことから予防線をはるのも、もうやめるのだ。
 今日を限りに、もうやめるのだ。
 がんばろう。とにかく、わたしがんばろう。
 とりあえず彼氏とかセックスとか後回し……しちゃダメだ! ダメダメ! あと三ヶ月もしないうちに三十七だし! セックスしたいし。超したいし。鬼したいし。そっちもガンバ! わたしガンバ!

十月七日

 明日から、いよいよ太との稽古がはじまる。我々はお笑い活動の第一歩として、アマチュアも参加可能のとあるお笑いコンテストに応募することにした。もちろん、太の独断だ。わたしの意見など聞きやしない。まあ、それは仕方がない。この業界については、太のほうが圧倒的に詳しいわけだし。
 そのコンテストは、規模はそれほど大きくはなく、優勝したからといって即有名人になれるようなものでもないらしい。ただ、決勝大会はBSだかCSだかで放送されるそうだ。 一次予選は動画審査。それに通過すると、中部地方のどこかの商業施設で行われる二次予選に進める。決勝戦は二次予選と同日。
 審査用に提出する動画の内容に規定はとくにないらしいけれど、太はコントで直球勝負を挑むつもりのようだ。彼は相当気合が入っていて、動画の作成のために仕事をいくつか断わり、一週間の休みを作った。わたしもそれに合わせて遅い夏休みをとった。事前に渡されていた台本のセリフはもう全部覚えた。五日間みっちり稽古して、残り二日は動画撮影にあてるつもりのようだ。よし、明日に備えて今日は自慰禁だ!

 とか思ったけど無理だった〜。
 しかも、いつにも増してエグい内容のエロ動画見て、むんぬすごく興奮して、なんか、むむむんんぬすごいはやさで昇天してしまった。あの瞬間、わたしほぼフェラーリだった。天に昇るまさにそのとき、F1中継でよく見るあの白黒の旗を全力でふりまくる武田鉄矢の姿が見えたもんね。なんで武田鉄矢なのかはわからない。まあいい。とにかく、そのエグさの詳細はさすがに書けない。さすがにダメ。無理。数年後、ひょんなことからこの日記を開いてしまった未来人に、この変態クソ女クソしてさっさと寝ろよとか思われたくない。本当にわたしは変態だ。クソしてさっさと寝ればよかった。
 明日から、大丈夫かな……。

十月八日

 やっぱり。
 ワキガマンは正しかった。
 わたしに、お笑いなんて無理だ。
 あー。なんでワキガマンのこと、殴っちゃったんだろ。彼とフツーに付き合って、セックスしてチャンチャンな一年でよかったのに。わたしはただ、処女を捨てたいだけだった。お笑い芸人になりたいなんて、一秒も思ったことないのに。
 わたし、何やってるんだろう。
 誰かに優しくされたい。いたいのいたいのとんでけーっていわれながら膝小僧ごしごしされたい。
 ワキガマンにメールしようかな。あ、連絡先消しちゃったんだナリ〜。

十月九日

 もういやだ。

十月十日

 毎日がつらい。

十月十二日

 昨日、稽古終わりにうぶと太と、それからなぜかハマチ子も合流して焼肉を食べにいった。そのとき、明日は稽古を休みにする、と太に言われた。休んで、わたしがなぜうまくできないのか、じっくり考えてほしいと。どこにも出かけず、家にこもって自分を見つめろ、と。
 そう言われたのに、今日、わたしは朝からエロ動画見て三回昇天した。つまり三回、武田鉄矢を見たということだ。その後は家の周辺を意味もなく徘徊し、牛丼を四回食べた。太の言いつけは何ひとつ守れなかった。
 そして、気づけば夜の十時半。
 明日、彼に会う。今日一日考えて、どう結論が出たか、報告しなければならない。
 ふう。
 仕方がない。
 イヤだけど、考えたくないけど、これまでのことを整理してみよう。
 稽古一日目。朝から太のマンションに集合した。うぶもきていた。うぶは裁縫が得意なので、衣装を作ってもらうことになっていた。
 太は最近、中野の新築マンションに引っ越したばかりだった。2LDKでかなり広く、リビングにはソファとテレビ以外、ほとんどものがない。最上階の角部屋で、隣はまだ空き室らしかった。要するに、朝も夜も思う存分大きな声が出せる。コントの稽古をするには、まさにもってこいの環境。
 だのに。
 それだのに。
 わたしは、何もできなかった。
 最初の発声練習から、つまずいた。
 恥ずかしかった。恥ずかしくて、声が出ないのだ。「アメンボ赤いなあいうえお」が自分でも戸惑うほどの超ウィスパー。横モレ防ぐ感がハンパない小声ぶり。うぶに「何なの? 一子ちゃんってもしかして中森明菜の生まれ変わりなんじゃないの? いい加減にして?」などと意味不明な悪態をつかれても、「死んでない、明菜死んでない」とさみしすぎて壊れそうな難破船ボイスで反論するのが精一杯だった。
 実は、そうなる予感はしていたのだ。
 だってだって。
 ついに三日前に、わたしは実際にこの目で、彼のあれやこれやソイヤソイヤを目撃! ドキュンしてしまったのだ。まぶた〜閉じ〜れば〜と脳内にサライのメロディが流れ、同時に脳裏にくっきりと浮かび上がる太の太。この日記をひょんなことから見つけ、今、熟読しているかもしれない未来人のあなた、あなたにも想像してほしい。太の太部分があのとき、どれほどまでに美しく妖しく卑猥であったかを。一応、想像の一助として詳しい寸法などを記載しておくと、最大時は約十七センチ、カ
 こんなこと書いている場合じゃない。
 とにかく、久しぶりに会った稽古初日、わたしは、彼の顔をまともに見られなかった。
 とにかく、恥ずかしくて。
 照れくさくて。
 ドキドキして、呼吸がしずらくて。
 そう。
 恋しちゃったんだ。
 気づいてないでしょ? 
 わたしとYUI。遠い。ものすごく遠い。ファラウェイ。あまりにファラウェイ。そんなファラウェイな二人がぴったりと重なった瞬間である。まあ、わたしとYUIが実際重なったところで、わたし部分がデブすぎてだいぶハミ出るけどな。ハミパンっていうよりモロパンだよね? っていうぐらいハミるけどな。そんなことはどうでもいい。
 とにかく重要なのは、他人に対してこんな気持ちになったのは、ほとんどはじめて、ということだ。
 顔を見ているだけで、鼓動がはやくなって吐きそうになる。その表情が変わると、切なくて苦しくて吐きそうになる。名前を呼ばれるたびに、うれしすぎて吐きそうに……あれ。もしかして。気づいちゃったんですけど。これって単なる食あたり? 
 いや、違う。
 わたしははじめて、人を好きになったのだと思う。
 大学時代、伊知郎に片思いをしていたときですら、こんな気持ちにはならなかった。きっと、あれは本物の恋ではなかったのだろう。そう、ただのあこがれ。まあ本物の恋が何なのかなんて、今日の昼間に自慰しながら屁をこいた上にその自分の屁の音のあまりのでかさに驚いて「わ! びっくりした!」とか独り言を言ってしまった三十六歳処女のわたしには、わかりっこないことなんだけどもね。 
 とにかく。
 毎日、太のことを考えている。
 考えれば考えるほど、自慰したくなる。
 そんな自分がイヤだ。
 嫌われたくない。
 わたしのことを、フツーの可愛い女だと思ってほしい。桐谷美玲だと思ってほしい。マジで。いやガチのマジで。
 稽古中、実際にセリフを読みはじめても大きな声を出せないわたしに対し、太ははっきりイラついていた。このまま自分の殻に閉じこもり続けたら、近いうちに彼に見限られることはわかっていた。そうなったら元も子もない。そう自分に言い聞かせているうちに、少しずつだけど声を出せるようになった。でも、芝居は全然下手くそだ。人前に立つようなレベルじゃ全くない。三日目、太の思いつきで、うぶと三人でカラオケ屋にいった。「最初にみんなでカラオケにいったときの、あのみずみずしくきらめいていた氷室京介の物まねを再現してほしい」という彼の趣旨は理解できた。マイクを持ったわたしを彼は期待のこもった目で見上げた。
 やるだけ、やってみた。
 そのクオリティの低さたるや、菊池桃子のラ・ムーをわたしは今後死ぬまで笑えないと思ったね。あのレベルでものまね番組のオーディションに出場しても、開始五秒でディレクターから鼻クソ投げつけられると思う。
 以前だったら、あんな失態を演じた自分を心底、恥じただろう。でもわたしは、さめた目で太に見られつつ、こう思っていた。
 氷室京介の物まねがうまい女なんてクソじゃないか、と。
 わたしのそんなコミカル面ばかりじゃなく、違う面も見てくれないかと。たとえば……実はわりともち肌で色白なところとか。ティクビはキャンボツしているけど、ニューのリンはロイヤル感あふれるミルクティーカラーなところだとか。
 は〜。
 なぜうまくできないのか、じっくり考えろって言われてもな〜。太が好きだからハズいっていう以外の答えはないんだけどな〜。ていうかもう正直なところ、お笑いとかマブでどうでもよくて、太とセックスしたいってことしか考えられないんだけどな〜。
 したいなあ。セックス。はあ〜。
 はあ、明日、太に会う。楽しみっちゃ楽しみだ。けど、一緒にいると辛い。苦しい。彼といると、本当に呼吸がしにくくなる。あれ? 気づいてなかったけどわたしってもしかして……魚類? って一瞬真剣に迷うぐらい息苦しい。マジのマジで。だから、しばらく会いたくないって気持ちもある。
 これが恋か〜。そうなのか〜。
 明日、何を話せばいいだろう。



(第16回につづく)



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プロフィール

南 綾子
(みなみ あやこ)

1981年、愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18 文学賞」大賞を受賞。
主な著作に『ほしいあいたいすきいれて』『ベイビィ、ワンモアタイム』『すべてわたしがやりました』『婚活1000本ノック』など。最新刊『ぬるま湯女子会、38度(ときどきちょっと熱い)』は好評発売中。