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極限の婚約者たち 新堂冬樹

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第 17 回


3


 海も空も、憎らしいほどに青かった。
 悠太が飛鳥島に向かうときに晴天だったら……。
 込み上げるやるせない思いに、雪美は下唇を噛んだ。
 フィッシングボートが大飛鳥島を出て、およそ十分が経った。
 目的地は飛鳥島ではなく八神島だった。

 悠太が行方不明になってから三週間、雪美が菊池と飛鳥島に捜索に行ってから二週間が過ぎた。
 相変わらず、悠太の消息はわからなかった。
 当初は頻繁に報道していたニュースやワイドショーも、次第に船の転覆事故を扱う回数が減った。
 雪美の周囲にも諦めムードが高まっていた。
 
――万が一の覚悟は、しておいたほうがいいかもしれないな。

 仕事の同僚でもあり気心の知れた友人である佐竹でさえも、悲観的な言葉を口にするようになった。

――堀越さん、何度も言いますが、八神島は立ち入り禁止なので着岸した船長まで罪に問われてしまいます。
――着岸しなければ、いいんでしょう? 近くまで運んでくれたら、ゴムボートを使って自分で八神島に行くわ。近くまで行くだけなら、船長さんも罪には問われないよね?
 
 飛鳥島を捜索した日の夜の、菊池と交わした会話が雪美の脳裏に蘇った。
「八神島が見えてきました」
 舳先に立った菊池が、前方を指差した。
 菊池は佐竹とは違った。
 雪美と同じように、悠太の生存を信じる数少ない一人だった。
「どのへんで止めるの?」
 雪美は、ゴムボートを下ろす場所を訊ねた。
 ゴムボートに乗ったことはないので、島からあまりに離れた場所だと不安だった。
 だが、厚意で船を出してくれた船長や菊池に、自分のわがままで迷惑をかけるわけにはいかない。
 そう、わがまま――雪美にとって悠太はかけがえのないパートナーでも、彼らにはもっと大事な存在がいるのだ。 
 菊池には両親もいれば、彼が想いを寄せる女性がいるかもしれない。
 船長には家庭があって、かわいい子供がいるかもしれない。
 雪美には、彼らの人生を台無しにする権利などないのだ。
「八神島に到着してからに決まっているじゃないですか?」
 菊池が振り返り、涼しい顔で言った。
「えっ、でも八神島に着岸したら……」
「昔から、好奇心が旺盛な子供でした」
 雪美を遮り、菊池が不意に語り出した。
「父さんの仕事部屋、夜の学校、立ち入り禁止の工事現場……だめだと言われるほどに好奇心が湧いて、そのたびに母にこっぴどく怒られました。そんな僕が、入島禁止の無人島を前にしておとなしくできるわけないじゃないですか」
「その気持ちは嬉しいけど、菊池さんに迷惑が……」
「勘違いしないでください。八神島に船を着けるのは雪美さんのためじゃなくて、自分のためです。あ、因みに船長も僕と同じ好奇心旺盛な人を選びましたから」
 菊池が、両目を瞑った。
「あ、ウインクできないの忘れてました」
 朗らかに笑う菊池――彼の思いやりが伝わり、雪美の目頭は熱くなった。
「そんな顔をしないでください。これから、星川先輩に会いに行くんですよ」
 励ます菊池に、雪美は泣き笑いの表情で頷いた。
「きれい……」
 見渡すかぎりの白砂に、雪美は思わず声を漏らした。
 切り立った岩場と茶褐色の砂浜が広がっていた飛鳥島より、島全体の印象が明るく感じた。
「パウダースノーのような砂浜なので、景色は飛鳥島より全然いいですね。でも、奥に行くと岩場や雑木林があります。勾配はこちらのほうが急なので、飛鳥島より道のりは険しいと思います」
 雪美の隣に立った菊池が、首を巡らせながら言った。
 菊池の言う通り、砂浜の先に岩場と雑木林が望めた。
「ちょっと、軽く見て回りましょう」
 歩を踏み出す菊池に、雪美は続いた。
 飛鳥島に行ったときと同じように、雪美はデニムにスニーカー履きといった動きやすい格好をしていた。
 この前との違いは、長丁場を想定して食料や水を入れたリュックを背負っていることだ。
 足が砂浜に埋もれ、歩きづらかった。
 スニーカーの中にも、容赦なく砂が入ってきた。
 五分ほど歩くと、砂浜から岩場になった。
 雪美は、立ち止まり視線を巡らせた。
 片方だけのステレオスピーカー、片方だけのサンダル、割れたバケツ、曲がったパイプ椅子、前輪だけの自転車、パンクしたサッカーボール……そこここに、が散乱していた。
「火山が噴火して離島命令が出る十八年前までは、百人くらい人が住んでいましたからね。まだ最近のことですから、当時生活していた人達の家具や日用品が残っているんですよ」
 雪美の心を読んだとでもいうように、菊池が説明した。
「そうなんだ。私が四歳のときまで、人が住んでいたのね……」
 独り言のように口にして、雪美はあたりを見渡した。
 およそ四、五メートル前方に、陽光を反射している場所があった。
 鏡かガラスの欠けらでも落ちているのだろうか?
 興味本位で、雪美は足を向けた。
「ねえ、これ、なにかしら?」
 雪美は、前を行く菊池に声をかけた。
「なんですか?」
「これ……」
 雪美は、岩と岩の合間に挟まったブリキの缶を指差した。
「缶の中に、肉みたいなものが入ってるわ」
「どれどれ……」
 菊池が屈み、手にした木の枝でを突き刺した。
「魚肉みたいですね」
 臭いを嗅いだ菊池が、顔を顰めながら言った。
「どういうこと?」
「はっきりしたことはわからないんですけど、なにかの罠みたいですね」
「罠?」
 雪美は、怪訝な表情で首を傾げた。
「はい。ウチの兄貴が虫マニアで、子供の頃に山に行くたびに、口が広くて底が深い瓶にコオロギを入れて地面に埋めていました」
「コオロギ……なにを捕まえるため?」
 今度は、雪美が顔を顰めて言った。
「ムカデです」
「ムカデ!?」
 雪美は、素頓狂な声を上げた。
「はい。ムカデって肉食で夜行性だから、コオロギに釣られて瓶に落ちちゃうんです。クモと違って這い上がれないので、朝になると瓶に閉じ込められたムカデを回収しに行っていたんですよ」
「どうしてムカデなんて……信じられないんだけど」
 雪美は、嫌悪感を露骨に顔に出した。
「兄貴くらいの虫マニアになると、カブトムシやクワガタムシみたいなメジャーには興味をそそられないんですよ」
「そんなお兄さんがいなくてよかった」
「でも、優しくていい兄貴……のことはいいとして、話を戻しますが、これもなにかを捕まえるために仕掛けられた罠だと思います。岩場にムカデはいないし、肉食性の虫となると……」
「そんなの、どうだっていいじゃない。罠があるっていうことは、仕掛けた人間がいるっていうことでしょ!?」
 言いながら、雪美の胸は早鐘を打ち始めた。
「あっ、たしかに! この餌の鮮度からして、一日は経っていませんよ。でも、いったい誰が……」
 菊池が、首を傾げながら言った。
「とにかく、誰かがこの島に住んでいる可能性があるのよね!?」
 雪美は、勢い込んで訊ねた。
「誰かがこの島にいたのは事実ですね。だけど、住んでいるとはかぎりません。僕達みたいに入島した人間が遊び半分で仕掛けたのかもしれませんし」
 菊池が、慎重な物言いをした。
 自分を、ぬか喜びさせたくなくてそう言っているのが伝わってきた。
「立ち入り禁止の島にきて、わざわざムカデを捕まえる罠を仕掛ける物好きがいる!?」
 いまの雪美には、この罠を仕掛けたのが悠太だという可能性以外は考えられなかった……いや、考えたくなかった。
「ムカデは僕の兄貴の話で岩場には……まあ、とにかく、誰かが仕掛けたのは事実ですから、そのへんを探してみましょう」
 雪美は頷いた。
 すぐ近くに、悠太がいるかもしれないのだ。
「なにしてるの?」
 雪美は、野球ボールほどの大きさの石を拾い上げている菊池に声をかけた。
「武器になりそうなものを探しているんですよ」
「武器? なんで、そんなものを探すのよ?」
「どんな人間がいるのかわからないんですよ? 殺人犯かもしれないし、盗賊みたいな奴らかもしれないし……気は抜けませんよ。でも、安心してください。こう見えても、学生時代に柔道を齧ったことがあるので、腕にはそこそこ自信があるんです」
 菊池が、鼻息荒く言った。
「大袈裟ね。殺人犯とか盗賊がいるわけないじゃない」
 悠太を犯罪者扱いされているようで、雪美は不愉快な気分になった。
「万が一のときのための備えですよ。転ばぬ先のなんとかっていうじゃないですか。行きましょう」
 掌におさまるくらいの石を手にした菊池が、足を踏み出した。
「あ、まただ……」
 菊池が十メートルほど歩き、立ち止まった。
「餌も同じですよ」
「罠の仕掛け人が通りすがりじゃない可能性が高くなったわね!」
 声を弾ませる雪美に、菊池が頷いた。
「急ごう!」
 雪美は菊池を置き去りに、雑木林に向かって脱兎の如く駆け出した。

(第18回につづく)



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プロフィール

新堂 冬樹
(しんどう ふゆき)

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。