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渋谷川ヴェイン 長沢 樹

© Minoru
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19 掌底 ――十月十七日 木曜

 美晴は大崎駅西口を出て、高層ビルが並ぶ地区を抜け、狭い路地が連なる昔ながらの住宅街に入った。スマホのナビゲーションを見ていても、少しでも目を離すと、自分がどこにいるのかわからなくなる。
 車一台がやっと通れるような路地を抜け、一枚の壁のように肩寄せあう住宅やアパート、マンションに圧迫感を覚えながら、住所表示を頼りに、そのアパートの前にたどり着いた。
 見上げる。くすんだ白壁の二階建て。築三十年ほどか。実家は資産家だが、自力で生活しているようだ。外付けのスチール製階段を上り、二○一号室のインターフォンを押した。
「はーい」と返事が聞こえ、ドアが開いた。
 少し痩せ、面立ちも少し大人びたが、紛れもなく城丸香砂だった。
「こんにちは、久しぶり」
 香砂は「あ」と声を漏らし、慌てたように頭を下げた。
「美晴ちゃん、去年はいろいろお世話いただいてありがとうございました。若気の至りで、なんのお礼もせずに修行の旅に出てしまいました。ただ、何度も負ける自分が情けなくて、強くなりたいという衝動が抑えられなかったんです」
 弁解するようで、美晴はつい噴き出してしまった。
 部屋の主、如月由宇は、この時間アルバイトに出ていた。
「こっちこそ助かったよ。連絡くれればよかったのに、ケータイの番号変わってないよ」
「もう迷惑はかけられないと思ったの」
「迷惑だなんて思ったことないよ」
 昨夜、水瀬から電話がかかってきて、香砂が東京に来ていると聞かされた。一昨日、如月由宇と一緒に中野区で発生した女性殺人事件の現場に現れたという。
「入ってください。と言っても、由宇さんのお部屋ですけど」
 美晴は部屋に上がった。
 六畳ほどのワンルームで、小さなキッチンとユニットバスがあるだけ。部屋にはベッドもなかったが、事務用のスチールデスクが窓際に置かれていた。
「由宇さん、毎日勉強してる」
 美晴の視線に気づいたのか、香砂は言った。「お仕事して、疲れてても、勉強してます」
 アルバイトをしながら、脚本の勉強をしていた。美晴と違い、安定より、夢と目標に重きを置いているのだ。
「ちょっと待ってください」
 香砂は小さなテーブルを部屋の中央に置くと、傍らに置かれたリュックから缶のお茶を二本取り出した。見慣れないデザインの、知らないメーカーのものだ。
「四本で百二十円! 掘り出し物だけど、味はほかのと同じだよ」
 香砂は一本を、美晴の前に置いた。
「ありがとう。気を遣わないで」
「甘えてばかりはダメなの。今は由宇さんに寝る場所をお借りしてるけど、食費は毎日納めてます。それが大人のマナーです」
「頂くね」
 美晴はプルタブを開け、一口お茶を飲む。
 午前、品川のチャイナレストランを取材、東京で一番辛いと言われる麻婆豆腐の食レポをし、渾身の変顔を作ってきた。その後、大崎に足を伸ばしたのだ。いや、大崎に立ち寄るために、学生の頃から知っていた品川のチャイナレストランに急遽アポを取った。
 美晴は如月に電話し訪問したいと伝えた。
『何かを追って、東京に来たみたい。大変なことみたいだけど、具体的にはよくわからない。この一年間何をしていたのかあまり話さないし、こちらからも無理には聞いていない』
 如月は言った。『ネットカフェに寝泊まりしていると言ってたから、うちに来るように言ったの』
『わたしに出来ることはないかな』
『彼女の話を聞いてあげて。わたしは、そういうのあまり得意じゃないから』
 取材ではなく、まずは話を聞く。自分に言い聞かせた。
「どこに行ってたの? みんな心配していたよ」
「支えて頂いた方に心配されるなど、正義の味方の風上にも置けないです。情けない次第です。反省点です」
 表情が目まぐるしく変わる。去年と同じく、夜叉使いの使命感に燃えているのはわかった。
「生活は大丈夫だったの? お金とか」
「自立した正義の味方を目指そうと、この一年間試行錯誤してたんだけど……」
 気持ちが真っ直ぐ過ぎるのも変わっていない。
『お金はある程度持っているし、やり繰りもできてる』
 如月は言っていた。
「仕事はしているの?」
「一度地元に戻って、製紙工場でアルバイトしました」
 父方の祖父が故郷に健在で、仕事を探す間だけ世話になったという。
「働きながら、正義と生活の関係について考えました」 
「正義と生活?」
「フルタイムで働かないと生活できなくて、でもそうなると、正義の味方として活動ができなくて……」
 去年も同じようなことも言っていた。
「でも、働くことと仕事を覚えることが新鮮で、正義の味方ではない日々が、とても楽しくて、友達ができて、みんないい人で、一緒にご飯食べたり、お喋りしたり……気がついたら半年以上経ってて」
 地元に戻り、仕事に就いたのは、香砂もまた現実を生きていたからだ。現実の生活と、非現実的な夜叉使いとしての世界の狭間で、使命と生活の折り合いを付けようと、苦悩していたに違いない。
「でも、自分の力で生活するようになって、わたしと同じ使命を持つ人たちが、正義の味方をやめていく理由も理解できて……」
 香砂は半年で工場を辞め、故郷から近い静岡市周辺で“正義の味方”としての活動を始めたが二ヶ月あまりで生活費が尽き、またアルバイトを探すことになったという。
「あと、お仕事も一度辞めると、なかなか同じ場所に戻れないのね」
 それも現実のひとつだ。
「それと去年の反省も踏まえて、格闘技を身につける必要性を感じたんですけど、習うにもお金が必要で……」
 香砂が人間に憑依した“悪意”を消滅させるには、憑依された人間に直接接触しなければならなかった。
 去年の連続ノックアウト強盗犯は、元プロボクサーで香砂は何度も返り討ちに遭い、その都度ケガをしていた。
「お姉ちゃんが合気道をがんばっていた意味がわかりました」
 姉も“悪意”――“悪意”が憑依した人間との戦いの中で、命を落としていた。その死は、いわゆる行き倒れとして地方紙で小さく報道されていた。
「東京に来たのは、去年みたいに強い“悪意”を追いかけてなのね」
 如月からは、渋谷から新宿にかけて彷徨い、中野で殺人事件の現場にたどり着いたと聞いていた。“悪意”の探索だ。そして如月は表現者として、香砂に興味を持ち、一緒に行動すると言っていた。
「その“悪意”は人を殺すほど強力なのね」
 香砂が目をそらせた。
「だったら一人で行っちゃだめ」
 如月にも危険が及ぶ可能性があった。
「わからないの」
 香砂は俯き、困惑気味に言った。「一昨日の事件、確かに強い残留情念は感じたんだけど、人を殺すとか、傷つけるような邪気は感じてないの」
「それは確かなの?」
「わたしは正義の味方。由宇さんを危ない場所には連れて行かない」
 顔を上げ、見つめてくる。
「そう、わかった」
 一途で物事に没頭すると視野狭窄気味になる嫌いがあったが、今は視野を広げたようだ。半年間のアルバイトと人とのつながりが、それを促したのかもしれない。
 香砂がお茶を口に含み、飲み込む。
「実は今日、相談があって香砂ちゃんに会いに来たの」
 美晴は裏原宿のキャットストリートを中心に発生している連続放火事件について説明した。
「容疑者が逮捕されたあとも、同じ手口で、犯行が連鎖している。“悪意”の特徴よね」
「渋谷から原宿にかけては通り道があるからね。あそこはたくさんいるから、きりがないかも」
「でも強い奴は浄化したほうがいいよね。火事は人が死ぬ危険があるから放っておけない」
 美晴はバッグからタブレット端末を取り出し、“模倣犯”石田駿介の逮捕場面の動画を再生させた。「この人は、住宅密集地で火を付けて逃げていたの。一歩間違えばたくさんの人が死んでたかもしれない」
 サーモグラフィ・カメラの映像だが、香砂にはこれがなんであるのかわかりはずだ。
「なぜすぐ捕まえられたのか、なぜこの映像を撮ることができたのかわかる?」
 香砂タブレット端末に目を落としながら首を横に振った。
「去年の香砂ちゃんのがんばりを、水瀬さんが覚えていたから。わたしも覚えていたから」
 “悪意”による犯行を疑い、警戒していたからと説明したが、香砂はタブレット端末のディスプレイに見入っていた。
「ねえ美晴ちゃん、なんで地夜叉がいるの?」
 香砂が顔を上げた。「四体しかいないけど、一個所に集まることなんてないのに」
「香砂ちゃんと同じ能力を持った人を見つけたから」
「あ、なんで?」
 香砂の視線が、再びタブレット端末に吸い寄せられた。「逃げちゃった、“悪意”が逃げちゃった。こんなことしたら、また誰かに憑いてしまうよ」
 自分と同じ能力を持つ人物の存在よりも、その人物が“悪意”を逃がしてしまった(昴曰く、追い払った)ことのほうが、香砂にとっては重大なようだった。

 スマホに映る、香砂の横顔。街が流れてゆく窓の外。動画での撮影だ。
 去年同様、香砂は撮られることを拒まなかった。それより大事なことがある、という使命感と一途さの表れでもあった。
 如月と連絡を取り、あとで落ち合う約束をして、部屋に施錠をして出て来た。
 大崎駅に向かう途中、路地の商店街に『かまぼこ・おでん材料専門店』なるものを見つけたので、香砂とともに中に入った。店頭の大きな鍋に数十種類の具材を使ったおでんがいい具合に出来上がっていた。練り物だけで二十種類以上あった。見上げると酒類のメニュー。飲めるようだ。ほかに焼き薩摩揚げなどのつまみもあった。
 二十歳の記者が、午後の商店街で立ち呑み&おでん、というネタを急遽発案し、取材を申し込んだ。
「ここでご飯たべよう?」
 香砂にはそう言って、名物らしい二十種類の練り物おでんをスマホで食リポし、ホッピー、日本酒、焼酎を味わった。親父風の振る舞い、表情を心がけた。香砂は無邪気に、美味しい美味しいを連発し、店員や通行人を和ませた。
 取材後、水をがぶ飲みし、少し休憩したあと、再び駅へと向かった。
 渋谷で電車を降り、街に出た。“火付け”は逃げたままだ。まだ午後四時前、昴が探しに来ているなら、まだ宮下公園前にいるはずだった。
「いっぱい工事してますね」
 香砂は珍しげに周囲を見渡す。渋谷駅前は再開発が進んでいた。
 明治通りに入り、少し歩くと――いた。ガードレールの上に所在なげに座る小柄な姿。
 香砂も昴の姿に気づいた。
「足元に二体いる。連れて歩いてるの?」
「彼がさっきの動画の張本人よ。赤井昴君、十六歳」
 美晴が言うやいなや、香砂は肩を怒らせ、早足で昴に近づいていった。美晴は慌てて追うと、昴がこちらに気づいた。
「あ、美晴……あん?」
 昴は近づく香砂に気づき、目を見開いた。
「何だ、おまえ……」
 香砂が昴の前に立ち、見下ろした。
「どうして逃がしたの」
「はあ? 何お前」
 昴が香砂と美晴の顔を交互に見た。
「どうして“悪意”を逃がしたの。仕留める余裕は十分にあったのに!」
「ちょっと何言ってんだよ」
 香砂の横顔は、怒りに満ちていた。
「正義の味方を何だと思ってるの!」
 昴が立ちあがった。
「関係ねーだろ、美晴、誰だこいつ」
「目上の人を呼び捨てにしてはいけません!」
 香砂の右手が上がり、振り抜かれた。
 乾いた音が響き、昴が頬を抑えてたたらを踏んだ。
 美晴は、昴に浄化能力がないことを言い忘れていることに気づいた。
「香砂ちゃんちょっとちょっと!」
 通行人たちが足を止め、視線が集中していた。「どこの月9よ」

20 師匠 ――十月十七日 木曜

 取調室から出ると、メールが届いていた。美晴からだった。
「調書まとめておいて。先に上がってる」
 水瀬は補助についていた相島に告げ、エレベータホールで、メールを見た。
 ――城丸香砂と合流、原宿に向かいます。
 画像付きで、二人でおでんを食べていた。微笑ましい光景だが、目的は“狩り”だろう。連続放火の“根源”を断つための。メールを寄越した理由は、何かあったら対応して欲しい、ということ。着信は二時間ほど前、押坂由奈の取り調べ中だ。
 押坂は輸入雑貨店のバイヤーだった。動機は、少額だが輸入品の横流しと横領が上司に見つかり、その上司の口を封じるつもりだったという。少額の横領と放火殺人の罪の軽重すら判断できていないのは、“悪意”のせいなのだろうか。
 押坂のスマートフォンには、火炎瓶製造法が書かれたサイトの履歴が残っていた。そこから材料、ガソリンの購入先も特定され、押坂本人が購入したことも確認された。横領も、立件するかどうかは別として、他班が今日中に目処を付けるはずだ。
 捜査本部に戻ると、一課長の姿があった。
「どうだ模倣犯は」
 水瀬に気づき、聞いてくる。
「殺意を含め、全部認めました」
「さすがだな」
「向こうから勝手に喋りましたので、わたしは何も」
 会釈して、後方の席に着いた。強行犯一係の面々もいた。
「お疲れ」
 湯浅が小さく手を挙げた。「一課長は、もう解散て言いに来たんだろう」
 このタイミングでの来訪は、それ以外考えられなかった。午後五時過ぎだったが、捜査本部には大半の捜査員が戻っていた。空気もどこか弛緩している。
 岡琴美は青進会ゼミの百瀬前塾長宅への放火を自供、捜査本部による証拠固めも順調で、百瀬宅の敷地から、岡琴美が使用した火炎瓶の破片も見つかり、岡琴美本人が購入した花瓶の一部と判明した。
 起訴、公判維持の材料は揃っていた。弁護側は犯行時の心神耗弱を持ち出すだろうが、有罪は動かないはず。
 そして、“模倣犯”石田駿介に続き、押坂由奈も送検となる。
 ――二件の模倣犯は、余計だったんじゃないか?
 押し殺した声が、どこかから聞こえてきた。
 ――うち単独で対処する案件をなんでこの帳場で扱う。
 ――どこかの元捜一が、張り切って目立ちたいからだろう。
 八代の部下の声だった。
「気にするな」
 湯浅が耳元で言った。
 押坂由奈の肉体から出た“悪意”は行方不明。完全に信じることは警察官としての矜持が押しとどめているが、恐らく高い確率で、次の事件は起こる。しかし水瀬に、捜査本部存続を決める権限はない。
「また、起こるような気がします」
 水瀬は小声で言った。
「あまり大声で言うなよ。心には留めておくさ」
 スマホに着信があった。メールだ。湯浅に断って、ポケットから取り出した。『夏目行人』と表示されていた。
《今すぐ×チャンネルを見て下さい。原宿の連続放火事件をやっていますが、とにかく見てください》
 メールを送ってきたのが夏目であることが気になった。ワンセグ視聴に切り替え、チャンネルを合わせた。
 夕方の情報番組だった。
 スタジオにはMCとコメンテータ、ゲストに社会心理学者と自称“ネットウォッチャー”のライターが出演していた。どちらもメディアでよく見る顔だ。
《裏原宿・神宮前の連続放火は“悪霊”の仕業!?》
 そんなサイドスーパーが、目に入った。水瀬はイヤフォンを繋いだ。
『……注目すべきは、原宿の連続放火の推移が、去年渋谷で起きた連続ノックアウト強盗事件に酷似しているわけです』
 ライターがトークを主導していた。『容疑者が捕まっても、同じ手口の同じような犯行が続いていゆく。まるで跡を継ぐようなタイミングで、変わらぬペースで、同一人物の犯行のように』
『今回の連続放火も、容疑者逮捕後も、同じ手口の犯行が一件、そして火炎瓶を所持していた女性が逮捕されています』
 女性アシスタントが説明した。
『一部ネットでは、犯罪を誘発させる何かが、人から人へと憑依しているのではと書かれています』
 ライターは芝居かかった口調で言った。
『映画や小説じゃないんだから』
 MCが苦笑気味に合いの手を入れる。
『デンゼル・ワシントン主演の映画でもありましたね』と女性アシスタント。
 そこで社会心理学者が小さく手を挙げた。
『その事例はアメリカでも報告されています。全て、社会心理学的には説明がつく現象なんです』
『説明が苦しい事案もあるじゃないですか』
 ライターが噛みつく。本気で気分を害したのではなく、演出のようだ。
『感受性が強い人間が、事件の報道を見て、自分と犯人を同化させるんです。たとえばヒーローや人気のアイドルや歌手、一流スポーツ選手に自分を見立てて、まるで自分が活躍しているように妄想するなんてこと、皆さん一度は経験ありますよね』
 MCやコメンテータがうなずく。
『大雑把に言えば、それの行きすぎた事象が、犯罪の伝播です。分類的には模倣犯です。或いは自分が犯人から選ばれ、メッセージを受け取ったと訴える例もありますが、全て妄想の産物です。現実的に、報道されている以上のことは起きません』
『警察は、犯人しか知り得ない事実を、マスコミには明かさないと言いますよね』
 MCが補足的に言う。
『その、犯人しか知り得いない事実は、模倣犯も知らない』
 社会心理学者はしたり顔で言った。
 その後、MCやコメンテータ、ゲストの社会学者とライターが、議論を始めるが、話の中心は行動学、集団心理の解説で、オカルト的な意見を持つライターが劣勢に立たされた。目を引くタイトルで、現代社会をウォッチするという主旨か――水瀬が興味を失いかけた、その時だった。
『ではこれはどう説明できますかね』
 ライターが声を張り、サイドスーパーが変わった。
《連続ノックアウト強盗の現場に現れる謎の少女 超能力者か霊能者か》
『去年の渋谷の事件に関するインターネットサイト、あらゆるSNSを調べたんですが、常に現場に現れる少女の存在が浮かび上がったんです。いくつか画像が象があります』
 投稿者の許可を得た画像だけです、と断りが入り、スタジオのモニタに写真が表示された。人混み、現場検証中の現場、道玄坂を背景とした雑踏。サイズも画質もまちまちの写真が四点表示された。その全ての写真に、赤いジャージの少女が写っていた。顔にボカシが入っているが、明かに城丸香砂だった。
『この赤いジャージの少女が、事件の前後、現場に姿を見せています。しかし、犯人として捕まったのは、別人です』
『現場を見に来ただけでしょう』
 MCが言う。
『僕言いましたよね、事件の前後って』
 ライターは挑発するように言い返した。『事件直前に、たまたま現場近くで記念写真を撮ったり、風景を撮ったり、そんな画像まで片っ端から当たったんですよね。それに画像には日時と場所のデータが残ります』
 ライターが別の画像をモニタに表示させる。道玄坂だ。女の子2人組が映った写メ。その背後を走り抜ける赤いジャージが映っていた。
『これは去年五月の画像です。撮られたのは円山町でノックアウト強盗が起きる十分ほど前。後ろを駆け抜ける少女が走っている先に現場があります』
『偶然ということもありますよ』と社会心理学者。
『僕もライターの端くれですからね、これを元に取材をしましたよ。画像の投稿者からも話を聞きまくりました。そこで決定的な画像を入手しました』
 モニタの画像が切り替わった。
 どこかのビルの陰にある小さな駐車場だった。夜間で街灯の光も淡く画面全体が薄暗かった。そこで男と少女が向かい合っていた。男はボクシングのようなファイティングポーズだ。水瀬は思わず画面に見入った。
『向かい合う男性、顔ぼかしてありますけど、僕が見る限り、連続ノック強盗の宇津井誠受刑者によく似ているんですよね』
 2ショット写真の女性の一人が、同じ日、待ち合わせ場所に向かう途中に撮ったという。
『おっさんと女の子がケンカしてたから撮った、そうです。そしてこちらが、元プロボクサーでもある宇津井受刑者の現役時代の写真です。ファイティングポーズを見比べてください』
 比べるまでもない。水瀬は宇津井と直接対峙し、逮捕を試みた。間違えようがない。これは明らかに宇津井だ。
『思うにこの赤いジャージの少女は、宇津井を追っていたんじゃないかな。そしてもう一枚。宇津井受刑者の模倣犯が逮捕された現場なんですが……』
 また、モニタが切り替わる。渋谷区桜丘――水瀬自身が模倣犯を逮捕した現場だった。
『ここを見てください』
 ライターが指をさした場所には、服装こそ違う者の、香砂の姿があった。『見つけるのに苦労しましたよ。赤いジャージを着ていた少女です』
 肩をつつかれた。湯浅だった。
「間違いないか」
 湯浅も自分のスマホで、同じ番組を観ていた。
「間違いありません。宇津井です」
『思うに、彼女は犯人を追っていたのではなく、犯人に憑いている何かを追っていたんじゃないでしょうか』
 ライターが声を張る。
「それと……」
 水瀬は小声で言い、スマホに送られてきたばかりの美晴と香砂の画像を呼び出した。
「赤いジャージの少女は、この右側の子です」
「お前何者だ、水瀬……」
「いま、この近辺に来ていると連絡がありました」
「まさか、押坂由奈の体から抜け出た妖怪を探しに、なんて言わないよな」
 水瀬が肩をすくめたタイミングで『そろそろ時間になりました』とMCの声がイヤフォンに割り込み、『信じるか信じないかは、皆さん次第ですね』と締めた。
 CMになり、水瀬と湯浅はスマホをしまった。
 その時、鴻上刑事組対課長が強ばった表情で講堂に入ってきた。
 雛壇の捜査幹部が、鴻上の周りに集まった。捜査員たちが静まり、雛壇の様子をうかがう。捜査幹部の何人かがうなずく。
「千駄ヶ谷の雑貨店で、一輪挿しを大量に購入した客がいると通報があった」
 鴻上が声を上げると、ざわめきが起こる。
 岡琴美が使った火炎瓶が一輪挿しであることは報道されていない。
「ランベアですか」
 水瀬が聞くと、鴻上は「そうだ」と応えた。
 岡琴美の火炎瓶の材料を捜査する際、一度訪れたことがある店だった。その時、変わったことがあれば通報してくれと伝えていた。
「一応人をやって確認させてくれ」
 管理官の指示に、鴻上が「八代!」と声をかける。
「悪い、うちに行かせてくれ」
 湯浅が手を挙げた。「たぶんうちの係が一番ヒマだ。それにランベアは水瀬が一度調べてる」
「いいだろう」
 一課長の一声で決まった。
「相島を連れて行きます。調書引き継いでください」
 水瀬は湯浅に告げ、席を立った。
 背後――八代が座っている辺りでテーブルを蹴る音が聞こえたが、水瀬は立ち止まることなく講堂を後にした。
「今日は雑魚しかいねーし」
 昴がふて腐れたように言った。
「そんなことは退治してから言うの!」
 香砂が昴の頭を小突く。香砂はその姿を少し離れた場所から見ていた。
 キャットストリートの雑踏だ。
「姉と弟みたい」
 如月由宇が小声で言った。
「わたしも思った」
 美晴は応えた。如月とは十五分ほど前に合流した。
「この道に沿った流れがあるのは確かだけど……雑魚だけじゃない」
 香砂はゆっくりと周囲を見回す。目の焦点は遠くに合っていた。「おっきな邪気が移動してる。“悪意”だよ。こっちに近づいてくる気配はないけど……」
 香砂が昴を見下ろす。「これが“煮付け”?」
「香砂ちゃん火付け火付け」と美晴が訂正する。
「待てよ、どこにいんだよ」
 昴が気色ばむ。「わからねーよ、ドッキリかよ」
「あっち」
 香砂が指をさす。千駄ヶ谷方面だ。「意識集中するの、昴」
「そんなこと言ってもさ……」
 昴はぼやきつつも、何かを読み取ろうと、意識を集中するのがわかった。
「そろそろ戻らないと」
 記事をアップしなければならない。
「あとは任せて。香砂さんはしばらくうちにいてもらうから」
「身の安全には気をつけてね」
「わかってる」
 如月は言ったが、一抹の不安がよぎった。
 如月もわずかだが夜叉使いの能力を持っていた。彼女が二人に刺激を受けているのは確かだった。

(第10回につづく)



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プロフィール

長沢 樹
(ながさわ いつき)

新潟県生まれ。二〇一一年、第三一回横溝正史ミステリ大賞〈大賞〉を受賞し、『消失グラデーション』でデビュー。他の著書に『夏服パースペクティヴ』、『冬空トランス』、『リップステイン』、『St.ルーピーズ』など多数。