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渋谷川ヴェイン 長沢 樹

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29 夜の狩人 ――十月二十日 日曜未明

 土曜、如月由宇は深夜までバイトをしている。
 美晴は病院に着いてから、香砂がケガをして治療を受けている旨をメールしたが、気がつくと《迎えに行く》と返信が来ていた。
 既に終電の時間は過ぎていた。
《タクシーで送っていくから大丈夫》
 美晴は返信した。コンビニで金を下ろし、昴に金を預けて、タクシーに乗せるつもりだった。
《お金かかるでしょ。車で行くから待ってて》
 如月が車? 疑問はあったが、待つことにした。そして、午前一時を回ったところで、廊下の角から大柄な男と如月が姿を見せた。
 大男は美晴の姿を見つけると、手を振り、大きな足音を響かせつつやって来た。
「久しぶり!」
 友野拓也だった。夏目行人の学生時代の相棒で、今は美術製作会社に勤め、映画やテレビのセット、造形の技術を学んでいる。去年の事件では美晴とともに“悪意”の浄化作戦に参加し、用心棒や荒事を引き受けてくれた。
 なるほど――友野の車か。確か実家は品川区中延で、如月が住んでいる大崎からも近い。
 友野の背後から、陰に溶け込むような黒衣の如月が姿を現した。
 友野が隣の香砂に気づいた。
「おお、香砂ちゃん、どこに行ってたの。頭大丈夫か」
 ケガのことを言ったのだろうが、天然で頓着しない物言いは、全く変わっていない。
「静かに、大きな声を出さないで」
 美晴は立ちあがり、小声で言った。警察の聴取が一通り終わって緊張の糸が切れたのか、香砂は船を漕いでいた。
「ケガは大したことないのね」
 如月が香砂の前でしゃがみ込み、顔色を確認するように言った。香砂は目を開けかけたが、また目を閉じ、寝息を立てた。
「何針か縫っただけ。本人もさっきまで狩りに行きたいってごねていたくらい」
 代わりに美晴は応える。「でも友野を連れてくるなんて意外」
「最近、友達を有効に使うことを覚えたから」
 確かに、去年の事件までは友人もなく、不器用で気を張った生き方をしていた。
「美晴の友達かよ」
 昴は、寄りかかる香砂を支えている。
「おう、友野だ、少年」
 友野は、昴を見下ろした。「君の名は」
「昴」
「スバルか。香砂ちゃんは妖怪との戦いで、手傷を負ったのだな」
「闇討ちされたんだよ」
 昴が応えた。「生身の人間に」
「じゃあ俺は用心棒になればいいんだな」
「今夜は送ってくれるだけで十分」
 美晴は言う。 
「水くさいこと言うな、飛鳥井。俺たちは仲間だ」
「昴はもう少しわたしにつき合ってもらえる?」
 未成年に対し、非常識なことを言っていることは自覚していたが、“悪意”を追うためには昴が必要だった。なんとか警察を利用し、昴が前面に立たないように段取らなければならない。
「ああ、結構怒ってるしな、今」
 昴は言ったものの表情が強ばっている。恐らく、命の危険を感じたのは初めてなのだろう。それでも萎縮せず、仕返しを考えているようだ。頼もしいと捉えるのか、危険な兆候なのか。
 香砂も姉を亡くし、自身も何度も暴力にさらされた。それでも、香砂は狩りをやめようとしない。彼女の生き様と、夜叉使いという存在を少しでも気にかけてもらえればと思い始めた取材だが、迷いが生じている。
 支払いの手続きを済ませ、友野が香砂を背負い、全員一緒に病院を出た。
 駐車場に、『武蔵野エクストリーム・アーツ』と社名の入ったワゴン車が停まっていた。
「会社の車で来たの?」
 美晴は目を丸くした。
「うちの車、軽だし。ケガ人を乗せるなら、少しでも大きい方がいいと思って」
 家の車で如月を拾い、吉祥寺の会社に行き、そこでこの車に乗り換えたという。
「飛鳥井さんはどうするの?」
「“殺し屋”の仕業かどうか警察に張り付いて調べる。彼はわたしが責任持って家に帰す」
 友野が香砂を後部座席に乗せ、如月も乗り込んだ。
「明日は休むから、一日家から出さないようにする」
 如月の言葉に、美晴はうなずいた。友野が運転席に乗り込み、如月がドアを閉める。エンジンが掛かり、軽くクラクションが鳴ると、車が滑り出した。
「そう言えば昴ってどこに住んでるの?」
 テールランプが青山通りに出るのを見届け、美晴は言った。
「西尾久」
 昴はうつむき加減に応えた。荒川区の隅田川の近くだ。
「もしかして昔からそこに住んでる?」
「よくわからんけど、祖父さんの祖父さんも同じ場所に住んでたらしい」
 築五十年以上の平屋だという。「何度も同じ場所に立て替えてるみたいでさ」
 美晴はスマホで手早く隅田川の来歴を検索する。
 江戸時代は荒川の本流だったようだが、昭和になり荒川の支流とされ、名も『隅田川』と改められた。夜叉使いの末裔の可能性がある如月家も、荒川の上流部にあった。赤井家ももしかしたらその昔、荒川から侵入する“悪意”を払う役目を負っていたのかもしれない。香砂の実家がある富士市も、富士川が中心に流れている。源平の古戦場でもあり、甲斐と駿河を結ぶ水運の要衝でもあった。
 取材の肉付けにはなるだろう。
 昴を伴って青山通りに出る。
「香砂が襲われた現場に行くのか?」
「いや、別のところ。ちょっと待ってね」
 美晴は歩道の隅で菊池にメールを送った。
《神宮前付近で今夜事件が多発しています》
 水瀬と大賀という刑事にほぼ同時にかかってきた電話――二人は話が聞こえないよう美晴たちから距離を取ったが、大賀の口が『殺し』と動いたのが見えた。
《渋谷、原宿近辺で、殺人の情報は入っていませんか? 取材したいと思います》
 水瀬が病院を出てから二時間近く経っている。共同通信が速報を打っている可能性もある。返事があるかどうかわからないが、美晴はとにかく表参道に向かって歩いた。
 歩き始めてすぐ、着信があった。菊池だった。
『飛鳥井か。宮下公園の近くで男の死体が見つかっている。共同は男の死体発見としか打っていない。殺しというソースは』
 菊池はぶっきらぼうに要点だけ聞いてきた。美晴は簡単に事情を話し、一緒にいた刑事の口が『殺し』と動いたと説明した。
『現場で合流しよう。タクシーを使え』
 菊池は共同通信の速報に書かれた現場住所を読み上げた。
「菊池さんはどのくらいで着きますか」
『今は会社だ。すぐ準備をしていく。十分だ』
 美晴はすぐにタクシーを拾った。ワンメーターでいけるだろう。現場には水瀬がいるはずだ。刺殺なら、“殺し屋”の三人目の犠牲者かもしれない。
 車中、現場に近づくにつれ、昴の表情が硬くなるのがわかったが、恐怖を感じているようには見えなかった。
 神宮前八丁目の交差点に近い明治通り沿いでタクシーを降りた。前方に警察車輌が何台も停まり、赤い回転灯が瞬いていた。
 バッグからタブレット端末を取り出し、足早に現場に向かう。タクシーの中で、宮下公園の北にある神宮通公園沿いであることはわかっていた。明治通りとJRの線路に挟まれた小さな通りで、華やかな明治通りと違い街灯も少なく薄暗い。
「気配濃いし……」
 昴が肩を怒らせ、言う。
「とにかくたくさんの“悪意”が、この辺に放たれたのね」
「ああ、たぶん“うじゃうじゃ”の仕業だな」
 明治通りを原宿方向に少し歩き、警察車輌の間を縫って左折した。途端に、野次馬の壁が出現した。警官の姿も多く、未成年の昴が補導されたら厄介だと思ったが、野次馬の整理でそれどころではないようだ。
 記者らしき姿と、テレビクルーの姿もある。その中に、デジカメを手にした菊池の姿もあった。腕には『BURST・NEWS』の記者章を着けていた。
「菊池さん!」
 美晴も記者章を着け、歩み寄った。人垣の向こうに黄色い規制テープが見えた。
「捜一が現場に入った。殺しの線が濃厚だな」
 菊池は言い、昴を一瞥する。「子供を連れてくるとは、感心できないな」
「犯人を捜せます」
 菊池は視線だけ天を仰ぐ。「そう言えばそういう主旨の企画だったな」
「岡琴美が逮捕されたあと続いた模倣犯と放火未遂犯を事前に見つけていますし、模倣犯に関しては、犯人を足止めして逮捕をアシストしています」
「それを信じろと?」
「神宮署の水瀬さんに確認してください。相島という若い刑事さんも知っています」
「君は、これから犯罪を犯す人間が見えるのか」
 菊池は昴に言う。
「悪いものに取り憑かれたやつがわかる。俺はその悪いものだけを祓う」
 昴は気負ったように言い返した。
「まれに観察能力が飛び抜けて高い人間がいる。人の微細な表情や仕草を読み取って、精神状態を把握する能力なんだが」
「夏目と同じことを言うのね」
 思わず呟くと、菊池か首を傾げた。「理由がどうだろうと、彼にはわかるんです」
「だとしてもひとりで殺人犯を追うのは感心できないな」
「警察の協力を得ます」
 美晴は昴に「ついてきて」声をかけると、「おい」と声をかける菊池を無視して、人垣の間に入り込み、規制テープの前に出た。すぐに昴も追いついた。周囲の状況とタブレット端末のマップと見比べると、現場は神宮通公園の北側にある駐車場のようだ。
 昴も目を見開き、なにかを探すように左右に首を振っている。
「少なくともここにはいないな」
 事件が起きたのは二時間以上前だ。しかし――美晴はもう一度マップに目を落とす。
 香砂と昴が襲われた現場から直線距離で二百メートルほど。犯行が二時間前なら、二人が襲われてすぐだ。時間、場所とも矛盾がない以上、“殺し屋”の犯行である可能性が高いと言える。 
「どっちに逃げたかわかる?」
「あっちからたくさん気配がして、それどころじゃねえ感じ」
 昴は原宿方向を指さした。「“殺し屋”を追うのはちょっと無理かも」
「彼は何を言っている」
 菊池も人垣を抜けてきた。
「今日は犯罪を犯す可能性が悪い“気”がたくさん街に放たれたんです。どういった訳かそれがキャットストリート沿いに溜まっています」
 その時、公園沿いの通りから乗用車が一台進入してきた。
「警察の車輌だ」
 菊池が言う。「一課だな」
 乗用車は駐車場の手前で止まると、中から男性が数人降り立った。菊池の言った通りのようで、その中に佐藤の姿を見つけた。
「佐藤さん! 和田と同一犯です!」
 美晴は構わず大声を上げた。こうでも言わなければ、気づいてくれないと思った。
「はあ?」と佐藤が素っ頓狂な声を上げ、「また君か」と苦笑する。声を聞きつけたのか駐車場から水瀬が出て来た。

「妖怪は逮捕できないっての」
 佐藤は背後の現場をチラチラと気にしつつ、言った。
「公式に認めることはできないが、彼の助言を聞くことはできる」
 髪は薄目だが思考が柔軟そうな中年が、やんわりと割って入る。水瀬の上司で、湯浅と名乗った。
「相島と二人で同行しましょうか」
 水瀬が言うと、佐藤が「おいおい、真剣になってんじゃないよ」と窘めるように言った。
 規制テープを挟んで、奇妙な対峙が続いていた。
 野次馬の整理をしている制服警官がチラチラと視線を寄越し、菊池は意外な成り行きに困惑と興味が入り交じった表情をして、抜け駆けと疑った同業者が、わずかな距離を開けて聞き耳を立てていた。
「香砂ちゃんが襲われたあとに、ここで同じように頭を殴打された被害者がいるのは事実」
 水瀬が佐藤に冷徹な視線を送る。周囲に聞き取れないよう、小声での会話だ。
「城丸香砂、赤井昴両名の傷害事案とこの殺しを関連づけて捜査するだけの状況は、十分に成立する。被害者のひとりを、現場実況に連れて行くという体なら、彼と行動する理由もできる」
「今夜起きた事件の犯人を全員捕まえれば、信じてくれるか?」
 昴が佐藤に言う。「香砂みたいに“浄化”はできないけど」
「それ以前に、君がこの時間にここにいること自体が問題なんだが?」
 佐藤が昴を見下ろし、昴も佐藤を見返す。
「論点をずらさないで」
 美晴が言うと、水瀬も「そうね」と言葉を添えてくれる。「佐藤がここに来たのは、一課も杉並のヤマとの関連を疑っているからでしょう?」
「南青山の事件も、同じ犯人だと香砂ちゃんは言ってます」
 美晴はさらに言葉を重ねた。
「全ての殺しと、傷害事案の関連が疑われるなら、佐藤君、君が同行する理由もできるな」
 湯浅まで言い添えてくれた。「悪いけど、ここの彼には少し点数を稼がせてもらった」
 水瀬の押しが強いこともあるが、佐藤の去年の事件を経験しているのだ。
「今夜はつきあってやってもいい。だが警察は現実主義だ」
 佐藤は含みを持たせつつも、水瀬の提案に同意した。
「それで、この現場は殺人と断定、捜査本部が立つんですね。被害者の身元を示すものは見つかったんですか」
 美晴は流れに乗り、確認する。
「それはここでは話さない。各社横一線からヨーイドンやってくれ。抜け駆けはいかん」
 さすがに湯浅はベテランだった。
「抜け駆けか」
 菊池の抑えた声が落ちる。「東都の速報サイトにもう映像がアップされている。あんた方が来る前のここだ」
 菊池がスマホを掲げた。
 東都放送の速報ニュース動画サイトだった。救急車が到着するところで、まだ規制テープは貼られていない。駐車場には制服警官が二人いて、片方が無線に何かがなっていた。
「東都ってことは、久島か。あいつもこの少年と同類かもしれんな」
 言ったのは湯浅だった。冗談であることはわかったが、東都放送の速報サイトと言えば、岡琴美のコンビニ放火の時も、南青山の殺人の時も、警察が来る前の現場を撮影していた。
「久島か」と佐藤が吐き捨てる。
「ここにも彼が来ていたのね」
 水瀬も言う。美晴は菊池に視線を向けた。
「警察、消防、マスコミ各社に情報提供者がいるという噂だが、現場速報を売りにするようになったのはここ二年ほどだ。特にこの一年は、警察より早く現場に着くケースが増えている」
 菊池は久島なる人物をよく知っているようだった。「それまではただの強引で、無神経で人の都合や心を斟酌せず、コンプライアンス、リテラシーも気にせず、ただひたすら利己的にネタとスクープを狙うただのハイエナだった」
「ハイエナ……ですか」
「問題も多いがそれ以上に成果を出す。その“問題”のほうで、東都放送を二年前に退社して今は個人事務所にいるが、“成果”のほうで引く手あまただ」
「東都の社員じゃなかったのか」と佐藤。
「主要取引先は東都ですが」
 菊池は応えた。
「気に入らない」
 水瀬の呟きが美晴の耳に届いた。
「どうでもいいけど、早く行こうぜ。誰も来ないなら、俺一人で行く」
 昴に視線が集まった。
「君の仕事次第では信じてやろう」
 菊池が昴に声をかけたあと、三人の警察官を睥睨する。「どうします警視庁さんは」

 これが、夜叉使いの本来の姿なのかもしれない。
 美晴は通りを行く昴の自信に満ちた背中を見ながら思う。香砂の“狩り”を、昴の“狩り”もどきも、何度も見ているはずなのに、獲物を探るその背中に高揚を覚えてしまう。
 表参道を渡り、キャットストリート・ノースへ。昴は猟犬のようにメインストリートから路地へ、路地からメインストリートへ。
 最初に見つけたのは、四時間前、刃物で通行人を切りつけた傷害犯だった。
 水瀬、湯浅、相島が持つ警察専用の携帯端末に通報された情報がリンクされていて、既に手配写真が届いていた。特徴が一致し、相島が職務質問をかけ、水瀬と湯浅が周囲から人を遠ざけると、案の定暴れ、現行犯逮捕となった。
 美晴は職質から逮捕に至る流れをスマホの動画モードで撮影し、菊池は追跡そのものをデジカメで撮影した。
 湯浅が応援を要請し、傷害犯は相島とともにパトカーに乗せられていゆく。この時点で湯浅は制服と私服の警官を数人ずつ追跡に加えた。
 次に昴が見つけたのが、盗撮犯。夜になり、複数件の被害届が出されていた。人混みの中、歩いている女性のスカートの下にスマホを差し入れたところで水瀬が声をかけ、現行犯で逮捕した。スマホの画像を呼び出すと、十数人分の盗撮画像が出て来た。
 美晴はサーモグラフィ・カメラを取りだし、昴を撮影してみる。昴が使役する地夜叉、サンダとガイラは足元にまとわりついたまま、“悪意”に向かって放たれることはない。
 それは、美晴の作戦だった。
 サンダとガイラを放たなければ、感染者の中に巣くった“悪意”は宿主から逃げ出すことはない。逮捕前に周囲から人を遠ざければ、他者に感染することもない。そして、職務中の警察官など、強い意志と自己を持つ者には、感染しない。つまり“悪意”を感染者の中に閉じ込めたまま拘束できる。
『雨で地面が濡れたらこうはいかないけどな』
 昴は言っていたが、『雨降ってないでしょ』と言い返しておいた。
 三人目は路上強盗犯。特徴と防犯カメラの映像が、データ共有されている上、神宮署の別チームが追っていたが、昴が逃走先を読み、待ち伏せする形で水瀬、湯浅が逮捕した。
「なんのつもりだ!」
「あんた方がモタモタしてたせいでしょ」
「まあまあ八代君……」
 もともとその容疑者を追っていた警官たちと一悶着あったが、水瀬が高飛車に、湯浅がまあまあと強引にかつうやむやに収めた。
「同じ警察署にいるのに、仲悪いんだな」
 昴は興味深げにその様子を見ていた。
 
 徒歩で神宮署の前まで戻った。東の空が随分と明るくなっていた。
 湯浅の強行犯二係は、一晩で四人を逮捕した。うち三件は昴の誘導によるものだ。偶然である確率はかなり低い。
「これでわかったでしょ」
 水瀬は傍観に徹してた佐藤に指を突きつけると、事件処理のため湯浅とともに署内に戻っていった。
「結局最後までつきあっちまったか」
「香砂ちゃんは、杉並の事件と南青山の事件は、同じ犯人だと言っています。彼も同意見です。現に追っていたから襲われたんです。襲われた直後に、人がまた殺されました。放っておけば、犠牲者が増えます。なにが近道か、考える時じゃないでしょうか」
 美晴はまくし立てた。
 香砂がケガで動けないうちに、危険な“殺し屋”を“浄化”できないまでも、今晩逮捕した容疑者たちのように、宿主を拘束できないかと考えていた。
「一応考えておくよ。だが忘れるな、警察は警察の論理で動く」
 佐藤が踵を返し、神宮署へ向かいかけたところで「久島は!」と菊池が声を上げた。
 佐藤は立ち止まり、振り返った。
「俺は久島を見なかった。佐藤さんは?」
「いなかったな。こんなに美味しい夜なのに」
 佐藤は応えた。「神宮通公園の殺しで満足したのかもしれないな」
「そんなタマじゃない、やつは。美味しければ美味しいほど、図々しく、我々を押し退けて現場を荒らしていった」
「なぜこだわる」
「久島が事件に関与している可能性を考えて」
 美晴は思わず息を止めた。その可能性を考えていなかった。
 確かに、そう何度も警察が到着する前の現場にたどり着けるものだのだろうか――
「さあ、別の班がやってるかもしれないな」
 佐藤は言い、署に戻っていった。
「警察はノーマークだな」
 菊池は断定的に言った。「なりふり構わず事件に食い付くハイエナというイメージが定着しているからだと思うが」
「なあ」
 昴が声をかけてくる。「これから警察が協力してくれるのか?」
「それはない」
 菊池は言い切る。「警察は現代科学を根拠とした法律に依って動いている。超能力や霊能力といったものは証拠として採用されず、犯罪の証明にはならない。今夜君が指摘した三人は、明確な物証を以て逮捕された」
「でも、あのおばさんとおっさんは協力しただろう」
「あくまでも非公式に、参考にした。それだけだ。警察全体が公式に協力するためには、法律の改正が必要だ。刑法だけじゃない。あらゆる法律の改正が必要だ。なぜかわかるか? 刑法や刑事訴訟法に超能力や霊能力を認めるとなれば、商法、民法、最終的には憲法までそれを認めなければならない。だが誰が超能力を判定、判別する? 超能力者か? この世の大半の人間には超能力なんてない。超能力などただの勘違いや思い込みで、この世に存在しないかもしれない……いずれにしろ、法改正には膨大な時間と細やかな立証と、多くの理解が必要になる。まず信用のおける立証方法が」
「あーわかったわかった、もういいよ」
 昴が吐き捨てるように遮った。「要するにそんなの無理だってことだろう? なんだこのおっさん、理屈っぽすぎるな」
「でも水瀬さんと湯浅さんが信じてくれたのは前進だから」
 美晴は昴の肩に手を置いた。「今日はお疲れ様。なにか見返りを考えておく」
「甘いな、飛鳥井」
 菊池の声は冷徹なまま。「あの刑事たちは信じたんじゃない。この少年の利用価値を認めただけだ。信じると認めるは、似て非なるものだ」
 美晴は言い返せなかった。圧倒的な現実だったが、事実や真実とすることはできない。
 これが、香砂や昴が抱えるジレンマの一端なのだ。
「ところで、今晩のネタは全部俺がもらう。いいな」
 菊池が言う。
「でも昴のことは……」
「彼のことは書かない。一晩警察に密着していくつもの事件に遭遇した。その切り口なら問題ないだろう。ひとつの事件で、ひとネタ。三ネタいただきだ」
「俺のこと書かないなら全然OK」
「でも、一連の流れはわたしの企画の中で……」
「久我山のアパートの取材、どうなった。第一回の記事はアップしたのか?」
 取材は途中で切り上げてきた。香砂の安全を第一に考える必要があったから。
「今晩の事件は、明日アップするのが一番効果的だ。理解できるな」
 多くの目撃者、関係者がいるはずで、SNSにアップする人も多いに違いない。夜が明ければ、拡散の速度が速くなるだろう。そこに情報と、画像、映像をアップすれば閲覧数を稼げる。
「記事は飛鳥井と連名にする。あとで必要になったら、今晩の事件も再利用できる。鮮度は必要ないからな」
「わかりました」
 菊池も自分を利用しているのだろうか――
「ところで赤井君」
 菊池が昴に向き直った。
「君は“悪意”の気配や存在は確実にわかるんだな」
「目の前で見てただろう。基本は目に見える範囲だけど、強いやつならある程度の距離に接近すれば、見えなくてもどの辺にいるかはわかる」
「じゃあ、襲われたのは大失態だったわけだ」
「まあ、そういうことになるけど……うるせえよ」
「君と城丸香砂以外に、君のような能力を持った人間がいれば、君は察することはできるか?」
 美晴は思わず拳を握りしめた。重要な可能性だった。菊池は恐らく香砂と昴の能力を信じてはいないが、認めはした。だから、利用法を考えている――
「地夜叉が動けばわかると思う。香砂はもの凄い数の地夜叉を集めたしな」
「逆に言えば、地夜叉を使役しなければ、わからないのね」
 美晴は聞いた。
「そうだけど……」
「青進会ゼミの汚職と、そこで仕事をしていた岡琴美の連続放火。杉並区和田、南青山の殺し。全部“悪意”がからんでいる可能性があり、その全てをいち早く報じていたのが久島だ。案外やつも君や城丸香砂のような人間を使っているのかもしれないな」
 菊池の推測は、美晴の胸にもすっと入ってきた。
 ただ、同時にボタンの掛け違いのような矛盾も感じていた。具体的な正体は見当もつかなかったが、感覚として――

(第16回につづく)



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プロフィール

長沢 樹
(ながさわ いつき)

新潟県生まれ。二〇一一年、第三一回横溝正史ミステリ大賞〈大賞〉を受賞し、『消失グラデーション』でデビュー。他の著書に『夏服パースペクティヴ』、『冬空トランス』、『リップステイン』、『St.ルーピーズ』など多数。