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図書室のキリギリス とびはね編 竹内真

© 中島梨絵

第1話 サンタクロースの証明

「高良さんには、超能力があるんじゃないですかね?」
 自分についての噂話を、たまたま耳にしてしまった。
 詩織はその時、書架の間で本を開いていた。昼休みの前に、書架整理を兼ねて調べ物をしていたのだ。気になる資料を読んでいるうちにチャイムが鳴っていたらしい。
 図書室に誰か入ってきたのは気づいていた。その時にすぐに出ていけばよかったのだが、切りのいいところまで読んでからと思ったのが失敗だった。タイミングを逃して出るに出られなくなった。
 詩織が図書室にいないと思ったのか、生徒たちは話を続けている。
「高良さんって時々、こう、本を持って目をつむってるじゃないですか」
 喋っているのは一年生の小枝歩乃佳のようだ。なんだか楽しげな口調で推理を口にしている。
「あれって、単なる癖じゃなくて意味があると思うんですよ」
「それが……透視能力ってこと?」
 応じた声は三年生の茅島楓だった。呆れているような、笑い混じりの声だ。
「そうそう。昨日気づいたんです。なんだか、目を閉じたまま集中して、本の中身を読み取ってるみたいだなって」
 二人は図書委員で、小枝嬢は今週のカウンター当番である。時々カウンターから司書室に視線を向けているのには気づいていたが、どうやら詩織を観察して何やら推理していたらしい。
 こうなるとますます出られない。下手なことを言ったら推理に裏付けを与えかねないし、かといって話を逸らしても空々しく響くだろう。どうしたものかと思っている間にも、小枝嬢は話を続けていた。
「人間にはそういう、五感を超えた感覚があって、視覚や触覚とは違う感覚で本も読めちゃうらしいですよ」
「目をつむって集中すると、本の中身が分かっちゃうわけ?」楓ちゃんが尋ねた。「いいなー。そんな超能力」
 誰かにおねだりでもするような口調だった。彼女は受験生だし、二学期も終わり近いこの時期、学校によっては推薦入試も始まっている。そんな力があったら欲しいに違いない。
「こないだテレビでやってたんですよね。指で字を読む超能力者とかいって」
 小枝嬢はその番組について説明を始めた。どこか外国に、子供のそういう能力を訓練する施設があるらしい。指先に触覚以外の感覚があるとの説を科学的に研究しているというのだ。
 楓ちゃんは見なかったようだが、詩織もその番組は見ていた。胡散臭いバラエティー番組と思い、軽く馬鹿にしながら眺めていたのだが、その話が自分に繋がってくるとは思わなかった。
「詩織さんにも」楓ちゃんの声も半信半疑くらいに変わってきた。「そういう力があるってこと?」
「そう考えると腑に落ちる気がしませんか? いろんな本に詳しいし」
「そういえば……この図書室のことも、三月に働き始めてすぐ詳しくなってたなあ。どこにどんな本があるとか」
「でしょ? 超能力を使って把握したって考えれば納得いきますよ」
「まあ、そう言われれば……」
 何やら二人の間で合意ができつつあるようだ。詩織としては困ったところである。
 この年頃の女の子は理屈よりもオカルト的なことを好むことが多いし、思い込みも激しい。噂が一人歩きして妙な影響力を持つこともある。そうなったら詩織がいくら否定したって無駄だろう。訂正するなら今のうちだ。
 しかしこのタイミングで出ていくとなると、何か話のきっかけがほしい。詩織は書架に目を走らせた。
 調べ物の最中、たまたま二人の話が聞こえてきたので、話題にちなんだ本を紹介しようと思いついたというのはどうだろう。ちょっと手間取ったが、見つけたので持ってきた、などと言えば立ち聞きを言い繕いつつ本の方に話を逸らせる。超能力の存在を否定してくれるような本であればちょうどいい。
 そんなことを考えながら探しているうちに、「140・心理学」という分類の棚で森達也の『オカルト』という本が目についた。二学期のはじめ、詩織自身が選書した本だ。思わず手に取り、それから気づいた。
 これは超能力を否定している本じゃない。超能力や霊能力などをテーマにしたルポルタージュで、能力者や研究者を取材対象にしているので、結果的に超常現象の存在を認めている面もある。小枝嬢が読んだら、かえって詩織の超能力についての想像を膨らませたりしないだろうか。
 とはいえ、この県立直原高校の図書館では他に適当な蔵書も思いつかない。今はこれを持って出ていくしかなさそうだった。
「で、思うんですけど」小枝嬢は話を続けていた。「指先に本の内容を把握するって力があるなら――」
 詩織はそこで咳払いをした。二人がこっちを振り向く中で、書架の間から顔を出した。
「噂話だったら、私に聞こえないとこでしてよね」嫌味に響かないように文句を言った。「書架の間で聞こえちゃって、出てきづらくなっちゃったよ」
「あ、いるって気づかなかった」楓ちゃんが笑った。「でも別に、悪口じゃないですよ」
「すいません、ちょっと癖の話をしてただけで……」小枝嬢は少々うろたえ気味だ。「高良さんの、こういう仕草」
 カウンターに置いてあった本を取り、両手で持って背すじを伸ばしてみせる。――そうやって真似されてみると身に覚えがあった。別に本の中身を読み取っているわけじゃないのだが、知らないうちに観察されていたらしい。
「それで本の中身が分かるなら苦労しないよ。今も調べ物すんのに手間取ってたんだから」
「超能力で調べてたの?」
 楓ちゃんに尋ねられた。冗談で言ったのだろうが、途端に小枝嬢の目に探偵の色が浮かんでいる。詩織は笑って首を振ってみせた。
「だから、そんな力ないってば」
「でも、その証明って難しくないですか?」小枝嬢が言った。「『悪魔の証明』ってやつですね」
「悪魔?」
 唐突な言葉に面喰らったが、小枝嬢が説明してくれた。――聖書の中で、悪魔サタンがイエスを試そうとする逸話から出た言葉らしい。元は難しい法学用語だったものがミステリー小説でも使われるのだという。
 例えば「この図書館には本がある」というのを証明するなら簡単だ。本を一冊持ってくれば済む。しかし「この図書館には乱丁本などない」という証明は難しい。どこかにページ数が狂った本があるかもしれないし、ないことを示すには図書室じゅうの全ての本を調べなくてはならない。存在の証明は一発で済むが、存在しない証明にはとんでもなく手間がかかるのだ。超能力の話題にもその理屈があてはまるわけで、詩織がいくら否定してもその証明にはならないというわけだ。
「言っとくけど、あの仕草は……」
 咄嗟に知恵を絞った。この先もミステリー好きの小枝嬢から疑われ続けるのはたまらない。
「学校司書の心構えのあらわれみたいなもんだよ。図書館の本を愛情こめて扱おう、みたいな」
 何気ない口調で説明してみせた。生徒たちの観察眼や感性の鋭さには敵わないかもしれないが、平然と嘘をつくことなら大人の方が上だ。
「ほら、運動部の子がグラウンドや体育館に入る時にぺこっとお辞儀するでしょ? あれと一緒で――前任の、永田さんって人に教わったの」
「永田さんに?」
 楓ちゃんが反応してくれた。小枝嬢の入学前に辞めてしまった永田さんだが、楓ちゃんとは仲が良かったのだ。
「小枝ちゃんにも、前に話したことなかったっけ? ここの学校司書をやめて、古本屋の店長さんになった人」
 小枝嬢にも話題を振った。彼女は詩織の持ってきた本が気になるのか、時々『オカルト』の表紙に目をやっているが、詩織は永田さんの話を続けた。
「私、春にその永田さんに会いに行っていろいろ教わったの。ほら、一年生が初めてこの図書室を使う時に、オリエンテーションをやったでしょ? あのやり方も永田さんに教わったんだよ。最初にみんなの利用者カードを席に置いとくとか」
「ああ――」
「それ、私の時もあったなあ」
 小枝嬢がうなずき、楓ちゃんが目を細めた。三年生の楓ちゃんは永田さんのオリエンテーションを受けている。こうして学年の違う二人が図書室を好きになってくれたことにも、あの方法は貢献しているわけだ。
「それはそうと――」
 小枝嬢は本のことを聞きたいようだ。詩織はにこりと笑ってみせた。
「二人の噂話に合いそうな本かなーって思って持ってきたの」
『オカルト』の表紙を見せた。ここは強気で押し切るしかない。
「超能力とか占いとか、面白いとは思うけど」興味などなさそうな口ぶりで告げた。「安直になんでも信じちゃいけない気がするのよね。『悪魔の証明』は悪魔がいないって証明しにくいってことだとしても、だから悪魔は実在するって思っちゃうのも危ないじゃない。そういう方面に興味が涌いた子には、こういうしっかり取材してじっくり考えてるルポみたいな本を読んでもらいたいな」
 アドバイスめかして言った。我ながらずるいやり方な気もするが、贅沢は言っていられない。
 なにしろ、小枝嬢の推理は、半分ばかり当たっている。
 超能力なんて言葉は好きじゃないし、指先で本の中身を読み取れるわけでもないけれど、詩織には確かに、人とは違った力があるのだった。
「そのことは、誰にも喋っちゃいけないよ」
 子供の頃、祖母から諭された。幼かった詩織が、無自覚にその力を使って周りを戸惑わせたことがあったからだ。
 物には時々、誰かの思いが染み込んでいる。そこに触れた誰かの心の動きが刻まれているのだ。そして詩織は、時々それを感じる。指先から伝わってくることが多いし、手にした物に意識を集中すると読み取れたりもするから、本を持って目を閉じることもある。
 きっと小枝嬢は、その現場を目撃していたのだろう。基本的に人前では実行しないことにしているが、学校司書の仕事に慣れてきて気がゆるんでいたのかもしれない。
 超能力というと興味を持つ人もいるけれど、知らないうちに心の中を読み取られて喜ぶ人などいなかろう。詩織にそんな力があることが知れたら、せっかく仲良くなれた生徒だって離れていくかもしれないし、図書室の本を読もうとは思わなくなるかもしれない。そんな事態だけは避けたかった。
 超能力などというより、ちょっとした特技でしかない。嫌がられることも多いから、人には知られないに越したことはない。――それが、祖母の教えと自分自身の経験から生まれた結論だった。
 十代の頃から、超能力がらみの本はよく読んできた。自分の力がどういうものなのか、何故自分にあって他の人にはないのか。誰かに説明してほしかったし、どうやって付き合ったらいいか教えてほしかった。誰にも話せない以上、頼る相手は本しかないと感じた。
 熱中して読み漁るというほどじゃないが、図書館などで超能力関連の本が目につくと手にとった。その本から、読んで納得した人の感覚が伝わってきたら自分でも読んだ。――しかし大抵の場合、詩織の求めることは書かれていなかった。
 超能力に関する本の場合、「あるかないか」という話に終始するものが多い。著者は大抵、結論をあらかじめ決めていて、それに応じてあれこれ理屈を並べるだけなのだ。肯定派と否定派、正反対のことを言っているようでいて、本として読み比べるとどっちもどっちに思えた。科学理論で説明しようとしたり、精神論や霊界の話を持ち出したりの違いはあるが、結論ありきで理屈をあてはめる構造は双子のようによく似ている。詩織から見れば、同じように胡散臭いのだった。
 なにしろ詩織の場合、「あるかないか」については答えを知っている。自分自身の感覚で、「ある」ことが分かっている以上、頭から否定している本はいくら科学的だって論理的だって信用できない。かといって、肯定しようとする本なら説得力を感じるかといえばそうでもない。オカルト本の類は過度に断定的だったり扇情的だったり、説明の辻褄が合ってなかったりするものが大半だ。――要するに、肯定と否定、どちらにも抵抗を覚えてしまうのである。
 脳からα波が出て皮膚温度が上がっているとか、守護霊の導きでオーラが何色だとか、そういう話はどうでもい。結局のところ、詩織が知りたいのは「そういう力とどうやって付き合っていくべきか」ということだった。
 祖母の言う通り、誰にも打ち明けない方がいいのか。相談するならどういう相手がいいか、親友や恋人だったらいいのか。打ち明けるとしたらどういう話し方がいいか、一人で耐えきれなくなったらどうすればいいか。
 本からそういうアドバイスがほしかった。個人的に役立つような情報がほしいのに、そういうことは滅多に書いてない。次第に詩織は、そもそも個人的な問題についてのアドバイスを本に求めるのが間違いなのかと思うようになっていった。
 森達也の『スプーン』という本を知ったのはそんな時だ。大学の一般教養の、メディア論とかいう講義で紹介された。テレビや雑誌などのメディアで有名になった超能力者たち、それを職業にまでしてしまった男達の日常を描いたノンフィクションである。
 大学での勉強にはあまり身を入れていなかった詩織も、この本は買って読んだ。課題のレポートの参考文献になったこともあるが、講義を聞きながら自分でも読みたくなったのだ。そして読み始めたら止まらなくなった。
 テレビのノンフィクション番組のために超能力者に取材した著者の、感じ方や考え方もたっぷり吐露された本だった。テレビの超能力番組の裏側がコミカルかつシニカルに描写されたり、超能力者や否定論者に対しての悪印象も遠慮なく書かれていたりして、読み物として引き込まれた。そして詩織にとって大きかったのは、超能力者たちの生き方が等身大の言葉で描かれていたことだった。テレビ番組的にショーアップされるのでなく、研究書のように理屈ばかりに走ったりオカルト本のように思い込みばかり強めたりするのでなく、読者がすんなり共感できる日常の言葉で記されていた。それが詩織には嬉しかった。
 別に、詩織の持っている力についての説明が書いてあったわけではない。特に結論とか、アドバイスめいたことが書いてあったわけでもない。しかし、メディアで超能力者と注目されるような人たちでも、詩織と同じように迷ったり傷ついたりしていることはよく分かる。――読み進めていくうちに、詩織の中でも心が決まっていくような感覚があった。
 きっと、人が「あるかないか」を決めたがるのは、その方が楽だからだ。
 白黒はっきりした結論があれば考えずに済む。迷わずに済む。結論に従い、科学なり信仰なりの理屈を引っ張ってきて、それに見合う材料を並べていればいい。
 しかし『スプーン』は違った。著者はその単純な二択の前で踏みとどまる。考え、迷い、そして対象にカメラを向ける。
 それによって、レンズを向けられる側の心も垣間見えてくるのだ。彼らもまた、迷って悩んで自分たちの生き方を選んでいることが伝わってくる。
 詩織を一番励ましてくれたのはそのことだった。――超能力があるとかないとか断定されたところで役には立たない。大事なのは、超能力者と言われている人たちも苦労しながら生きていることだ。
 だいたいみんな、超能力という言葉に流されすぎなのだ。スプーンを曲げるだけなら普通に力を込めて体重をかければ一瞬で済む。何時間もかけて全力で念じてスプーン一本曲げたって、別に大した役にも立たない。それじゃあ超能力どころか低能力だ。生きていく大半の場面では超能力以外のことが大事なわけで、目を向けるべきはそっちだ。
 結局のところ、不思議な力に対して無理に答えを求めるべきじゃないのだろう。分からないものは分からないものとして、説明がつかないまま抱えていくしかない。他ならぬ自分のことなのだ。誰かに説明してもらいたいという気持ちが甘かった。
 詩織の場合、もともと大した力じゃないのだし、全てのことに説明をつけなくたって構わないはずだ。だいたい、視力とか聴力とか味覚とかだって、どういう仕組みなのかなんていちいち考えない。大事なのは、感じた後でどうするかということだ。
 これからは成り行きにまかせようと決めた。迷ったり悩んだりはしないで、感じたことを受け入れる。嫌なら気にしなければいいし、気が向いたら使えばいい。経験上、人を嫌な気持ちにさせることがあるのは分かっているから、他人には知られないようにだけ気をつけていればいい。
 そんな風に決めたのが、十年くらい前のことだ。成人式からしばらくたった頃だったし、詩織なりに生き方を決めた節目だったかもしれない。『スプーン』という本は、それに助言を与えてくれような存在だった。
 そして今、『スプーン』の続編ともいえる『オカルト』という本を、学校司書として生徒にすすめている。――ちょっと因縁めいたものを感じたが、そんな風に思うのもオカルト的かもしれない。そっちには深入りせず、ただ自分の読書経験を通じて生徒に本をすすめているのだと考えておくことにした。
「じゃ、この本は私が借りていきますね」
 詩織のすすめた『オカルト』は小枝嬢の手に渡った。結構厚い本だが、読書家の彼女なら貸出期間中に読み切ることだろう。
「ところで、『悪魔の証明』の話題が出た時のためにこの本を探してたんですか?」
 小枝嬢が視線を向けてきた。何気ない口調だったが、かすかに探るような響きがある。
「さっき、調べ物の最中だったって言ってましたけど――」
「ああ、違う違う」詩織は首を振った。「たまたま二人の話が聞こえた時、この本が目に付いたから持ってきただけ」
 二人に噂されることが分かっていて、あらかじめこの本を探していたなんてことになったら、それこそ予知能力だ。超能力者の疑いを深められるのも迷惑な話だった。
「私が探してたのは、サンタのことが書いてある本」にっこり笑ってみせた。「超能力があったら、そうやって探す手間もかかんなくていいよね」
「サンタ?」楓ちゃんが笑った。「クリスマスが近いから?」
「そう……なのかな。音楽の井本先生の調べ物のお手伝いなの」
 そう言ってから、まずかったかなと気づいた。図書館利用者の調べ物を手伝うのは司書の仕事だが、誰が何を調べているかというのは個人情報だ。迂闊に生徒に話すべきじゃない。
 幸い、この件については楓ちゃんも知っていた。
「ああ、サンタが新聞に載ったって話? 井本先生、授業中に言ってたよ」
 十二月に入り、巷はすっかりクリスマスムードとなっている。音楽の授業でもクリスマスソングを取り上げたとかで、井本つぐみの方から授業で話題にしたらしい。
「どこかの国の新聞に」楓ちゃんが小枝嬢に説明した。「サンタクロースは実在するって記事が出たことがあるんだって。井本先生も詳しくは知らなくて、誰か知ってる人いますかって話になったんだけど、誰も答えらんなくて――小枝ちゃん、知ってる?」
「知らないですけど……いるって証明してるんだったら、『悪魔の証明』とは真逆の話ですね」
 小枝嬢の瞳が好奇心の色を浮かべた。また詩織の超能力に話が戻ったりしないかと心配になったが、そこで楓ちゃんが呟いた。
「でもそれって、まともな新聞の話なのかなあ?」
「まともって?」
「ほら、スポーツ新聞なんかであるでしょ。『ついに宇宙人を捕えた!』みたいなノリの記事」
「ああ!」詩織はその話題に飛びついた。「そういえば、この図書室にも、『東スポの戯法』って本があるよ。さっきちょっと立ち読みしたとこ」
「070・新聞」の棚に並んでいた本だった。詩織は百科事典の棚から始めてそのあたりの本棚を眺めていたのだが、つい気になって手に取った。どんなことが書いてあるんだろうという興味と、どうしてこの図書館の資料になったんだろうという疑問が涌いたからである。
 実際に東京スポーツという娯楽紙の紙面が掲載され、そこに使われているテクニックが解説されている本だった。手にしていると、それを読んだ生徒のものらしい意識が伝わってきた。「面白い」というのと「難しい」というのが半々みたいな感情だった。
「下ネタっぽい話も結構あるし、なんで高校の図書室にあるのか不思議だったんだ。――楓ちゃん、知ってる?」
「えー、分かんない。それこそ永田さんに聞いてみたら?」
「そうだね。後でメールしてみようかな」
 どうにか話題を逸らせたようだった。詩織は内心でほっとして、昼休みのカウンター業務にとりかかる。
 しばらく三人で仕事することになった。詩織は仕事、小枝嬢は図書委員の当番、楓ちゃんは当番ではないのだが、図書館にいるのが好きで率先して手伝ってくれるのだ。
 本当はもう一人、小枝嬢のクラスメートの大隈くんという男子も当番なのだが、彼はなかなか現れなかった。楓ちゃんがふと思いついたように口を開いた。
「ねえ、大隈くんが何分後に来るか、当てっこしない?」
「じゃ――私は三分後」
 小枝嬢が後ろの壁の時計を振り返った。楓ちゃんは時計から詩織に視線を移してくる。
「あたしは一時ちょうどね。詩織さんは?」
 尋ねられ、詩織はちょっと躊躇した。
 小枝嬢が、何か期待している目を向けてきたこともある。――詩織自身も、この勝負には必ず勝てる確信があった。
「当番忘れてて、最後まで来ないに一票って言いたいとこだったけど」
 笑いをこらえて言った。大隈くんのキャラクターからすればその予想もありえるが、今回は違う。声をひそめ、予言者を気取って言ってやった。
「たった今、予知しちゃった。彼はもう来てるって」
 言ってから、無言で指さしてみせる。――図書室の入口脇、雑誌コーナーに彼が立っていた。
 ちょうど、女子二人が予想を始めた時に入ってきた彼は、面出ししてある『ナショナルジオグラフィック』の最新号に目をつけた。そして図書委員の当番も忘れ、その場で手に取って立ち読みし始めたのである。
 詩織にとっては渡りに船の存在だった。ありがたくインチキ予知能力を披露して、女の子たちを笑わせることができた。
「なーんだ」
「こらオークマ、働けー」
 声を上げる女の子たちに、詩織は「超能力なんてこんなもんだよ」と笑ってみせた。やってきた大隈くんにも、「ね?」と同意を求める。
「……うん」
 事情を知っているはずもないのに、大隈くんは何故かうなずいてくれた。これもエスパー能力で察したわけじゃなく、単に大雑把な性格なのだ。「何が?」などとは聞き返さず、同意を求められたから深い考えもなしにうなずいてくれたのだろう。
 図書委員の当番に遅刻して立ち読みというのはいただけないが、彼の登場で空気が和んだのも確かだった。超能力なんてどうでもいいじゃないかという雰囲気になったのも彼のおかげだろう。
 これも一種の人徳というものかもしれない。下手な超能力なんかより、よほど人のためになる力であった。

「サンタの件、どうしてネットで調べないんですか?」
 昼休みの終わり頃、小枝嬢が言った。カウンターの椅子から立ち上がったところで司書室のパソコンが目に付いたらしい。
「『サンタ』と『新聞』で検索かけたらすぐ分かりそう。この図書館の資料検索だって何か見つかりそうだし」
「まあ……そうなんだけど」
 詩織は苦笑した。――急ぎの用事だったらそうするけれど、これは井本つぐみとのお喋りで出た話題だ。特に急ぐ用事でもないので、自分で書架の間を歩いて調べていた。自分で自分を鍛えているような意識だったのだ。
「前に、若森先生に言われたことあるんだよね」
 この図書室で働き始めた初日のことだ。司書教諭で直属の上司にあたる彼から、「利用者に情報を探す手順を提供するのも司書の仕事」などと教わった。その時はあまり気にしていなかったけど、一年近く働いてきた今では実感としてよく分かる。
「何か調べ物したい生徒が図書室に来て、私に相談してきたとするでしょ? その時に、あの棚にこういう本があるから、こうやって調べるといいよってアドバイスできるのが有能な司書なんだって。――そこで私が『ネットで調べて』って言うだけだったら、司書として働いてる意味がないじゃない? だから時間のある時は、なるべく自分で、この図書館の本を使って調べようって思ってんの」
 ネット検索だったら詩織から教えるまでもない。生徒たちの方がよほど器用にこなしそうだ。だけどネット上には不確かな情報も多いし、絶え間なく変化しているから一度見た情報が次も見られるとは限らない。信頼感や安定感で比べれば、図書館の本の方がネットよりはるかに優れているのだ。それを使いこなせる学校司書になりたい、というのが詩織の目標なのだった。
「それに私、重たい本を抱えたりページをめくったりするのって好きなんだよね。なんかこう、知識に触れてるって手応えがある気がしない?」
「それは、確かに……」
「そういえば、調べ物の本って大抵重たいよねー」
 小枝嬢は楓ちゃんを振り返り、楓ちゃんは図書室の書架に目を向ける。――なんとなく、二人して話を合わせてくれた雰囲気だ。
 多分、半分くらいは詩織の言葉に納得もしてくれているのだろう。でも多分、残りの半分は詩織とは違う感覚なのだ。ことによると半分以上かもしれない。
 そのことを言葉にしたのは大隈くんだった。
「液晶画面でクリックしたり、キーボードをタイプしたりだって手応えじゃん」
 こともなげに言いきって、さっさとカウンターの外に歩いていく。全く悪気はないのだろうが、詩織に気を遣うつもりも全くなさそうなあたりが、いかにも彼らしい。
 小枝嬢と楓ちゃんの場合は、もともと本が好きだから、詩織の言うことを分かってくれたのだろう。だけど大隈くんの場合、高校生になるまで本などまるで読まなかったという少年である。この半年ほどでだいぶ変わってきたが、それでも読むのは写真がらみの本か好きな作家の本だけで、調べ学習などには縁がない。彼にとっては、本よりも電子機器の手応えの方が馴染み深いのかもしれない。
 大隈くんに限った話じゃない。今時の高校生が知識に触れる手段といったら、図書館よりもネットの方が主流なのだ。手元のパソコンなりスマートフォンなりにキーワードを打ち込めば、すぐに液晶画面に情報が出ることだろう。不器用に図書室の書架の間を歩き回り、重たい本のページをめくるまでもない。
 だけど詩織は、それでも本にこだわりたかった。図書委員の三人にうまく説明することはできなかったけど、そこには何か大切なものがある気がする。――つぐみからのレファレンス相談、サンタクロースの調べ物も、意地でもネットは使わずに進めようと決めた。
 井本つぐみの恋人の五浦くんは、ヨーロッパの室内楽団に所属するチェリストだ。
 そう言葉にするたび、響きのいい彼氏だなあと羨ましくなる。チェリストとかチェロという言葉でぴんとこない人も多いが、つぐみはそういう時、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を引き合いに出して説明する。チェリストの青年が動物たちとの触れ合いを通して成長していく幸せな話だから、まず悪い印象は持たれない。
 学生時代に音楽サークルの合同コンサートで知り合ったとかで、詩織も前に紹介してもらった。チェロのイメージと重なるような、人のよさそうな大柄の男だ。つぐみより一つ年上の音大生だったが、卒業後は院に進んで学生暮らしを続けながら演奏活動を続け、先に就職したつぐみの方が奢ってやったりしていた。
 のんびり屋に見えたが、大学院を出るとウィーンに留学し、そこで就職も決めてしまった。ヨーロッパ各地で演奏している老舗の室内楽団だそうで、つぐみも自分のことのように喜んだ。詩織は日本とヨーロッパで遠距離恋愛じゃ大変そうだと心配したものだが、彼に輪をかけてのんびりした性格のつぐみは特に気にする様子もなかった。詩織の方が結婚に失敗した今となっては、距離を置きながらも仲のいい二人が羨ましく思える。
 この年末年始、五浦くんは日本で過ごすのだそうで、つぐみもなんだか機嫌がいい。昨夜は電話で、彼から聞いたというサンタクロースの新聞記事のことを話してくれたのだった。
「あっちで楽団仲間と話題になったんだって。どこの国の話か分かんないけど、サンタクロースは本当にいるって新聞に載ったことがあるって」
「本当にいるって……サンタの格好した人って意味じゃなくて?」
「違うの。コスプレとかじゃなくて、誰でも知ってるサンタさん本人のこと」
「じゃ、あれじゃない? どっか北欧で、そういうのあったじゃない。公認のサンタとかいって、テレビに出てたよ」
「うーん。そういうのじゃないらしいの」
 つぐみ自身もよく分かっていないようだったし、話の出元の五浦くんも詳しくは知らないらしい。二人してどういうことだろうねと語る中で、詩織なら知っているかもという話になったということだった。
「夏や秋には、図書室で季節行事の本を並べる企画ってやってたでしょ?」つぐみはのんびりと言った。「そろそろああいう感じでクリスマスの本とか並べてる頃だから、詩織なら知ってるかなーって話になったの」
「あー……なるほど」
 知っているどころか、日々の雑務に追われて企画展示自体を忘れていた。それならばと、クリスマス特集で並べる本を選びながら調べてみようと、つぐみからの調査依頼を引き受けて――今日の昼休みに至ったというわけだ。
 昼休みが終わって生徒たちが去った図書室で、詩織は調べ物の続きにとりかかった。書架を一通り眺めてみた結果、「380・風俗習慣・民俗学・民族学」という棚でクリスマス関連の資料が見つかった。文学方面の棚でも、「910・日本文学」や「930・英米文学」のあたりにクリスマスとかサンタとかがつくタイトルはあったが、フィクション作品となると今回の調査とは関係なさそうだ。まずは380の本から確認することにした。
 自分の席で目を通そうと、三冊ほど抱えて司書室に戻った。最初に開いたのは、『図説クリスマス百科事典』という分厚い本だ。
 調べ物の基本は百科事典から、というのは学校司書の研修で教わったことだ。大抵の図書館には総合的な百科事典が置いてあるし、今回のように特定のテーマに沿った百科事典もある。英語圏で出版されたものの翻訳のようだが、百科事典というだけあって五十音順に項目が並んでいるから、「サンタ」とか「新聞」とか引いてみたら、何か出てきそうな気がした。
 しかし収穫はなかった。「サンタクロース」の項目では五ページにわたる長さを割いて詳しい説明が載っているものの、サンタの存在が新聞記事になったという話は出てこない。前後のページに目をやるとタイトルに「サンタ」とか「サンタクロース」が入った映画や音楽がたくさん紹介されていたが、とても全部読む気にはならない。まずは他の資料で目星をつけ、手掛かりが見つかったらこの本に戻るという方がよさそうだ。
 次に手に取ったのは『サンタクロースの大旅行』だった。岩波新書の一冊で、著者は文化人類学者のようだ。あらすじや目次をざっと眺めてみると、サンタクロースのルーツから現代のイメージが定着するまでの文化史が記されている本らしいと分かった。
 大雑把に把握したところでは、サンタクロースの語源となった聖ニコラウスはキリスト教の司教で、西暦三世紀から四世紀頃に現在のトルコにあたる地方の街にいたらしい。中世ヨーロッパで彼は聖人として敬われ、その信仰がアメリカに伝わり、十九世紀から二十世紀にかけてのマスメディアの発達の中、現代のようなイメージが定着したという流れのようだ。キリスト教の十二月の祭礼と結びついたことから冬のイメージ、寒い地方のイメージが強くなり、現在では北欧や北極にサンタクロースが住んでいるとされることが多くなったらしい。フィンランドにサンタクロース村があったり、スウェーデンやノルウェーにサンタクロースの家があったり、それぞれの国でサンタクロースが観光資源となっているようだった。
 三冊目の『サンタクロース、ライフ。』というのは、デンマーク領のグリーンランドにある国際サンタクロース協会の公認サンタクロースという肩書を持つ著者の本だった。パラダイス山元という著者を、つぐみだったらミュージシャンとして知っているかもしれない。表紙には大勢のサンタクロースが大きな赤い車に乗り込んだ写真が使われていて、本文にも写真が多いので、図書室の展示企画で面出しするのにもよさそうだった。
 内容はというと、もともとラテンミュージシャンだった著者が、サンタクロースの候補生にならないかともちかけられ、世界サンタクロース会議に出席するためにデンマークに飛び、認定試験に受かって公認サンタクロースになるという体験談から始まっていた。グリーンランド国際サンタクロース協会や公認サンタクロースについての解説もあり、現代のサンタクロース文化の一面が現場視点から描かれている。――詩織の記憶にあった公認のサンタクロースというのも、どうやらこの協会のサンタクロースのようだった。
 著者がメディアから取材されて新聞に載る話もあるから、この本をつぐみに渡して調査完了としたくなる。それで済んだら楽なのだが、つぐみの「そういうのじゃないらしい」という言葉が引っかかる。ちゃんと公認のサンタクロースがいて、新聞記事にもなっているのに、それでは話が終わらないのだから困ってしまう。
 こうなると、まだ手をつけていない文学の棚に手を伸ばすくらいしか思いつかない。しかし、さっき目に付いたタイトルといえば『クリスマス・キャロル』とか『サンタクロース撲滅団』といったもので、サンタクロースの新聞記事について言及しているかと考えたらあまり期待はできない。いっそ『サンタクロース、ライフ。』と『サンタクロース撲滅団』の二冊をつぐみに手渡し、冗談で「パラダイス山元が危ない」などと告げて煙に巻いてみようか――などと考えているところで、ノックの音が響いた。
 顔を上げると、司書室の入口に若森先生が立っていた。ノックしたくせに返事を待つ気はないようで、そのまま中に入ってくる。まあ司書教諭だから彼の席も司書室にあるのだが、そこには座らずに詩織の手元を覗き込んできた。
「どうしたんです? サンタの本なんか集めて」
「レファレンスサービスの資料調査中です」
 詩織は素っ気なく答えた。忙しいので邪魔されたくないという含みを込めたつもりだったが、そのくらいで怯む人ではない。
「そっかー、この時期クリスマス関連のことで興味を持つ生徒もいますよねえ」
 中途半端に長い前髪をかき上げ、『クリスマス百科事典』を取ってページをめくっている。どうやら、何か用事があるわけじゃなく、空き時間に暇をつぶしに来たらしい。
「おお、『サンタクロース銀行強盗事件』なんて項目がありますね。テキサス州の銀行に、サンタクロースが強盗に入ったって」
「……実際の事件ですか?」
 詩織もついつい応じてしまった。銀行強盗だったら新聞記事にもなっただろうか。
「ええ。一九二七年十二月二十三日……イブの前の日ってのが泣かせますね。銀行から奪った金でクリスマスを祝おうとしのかな」
「あ、そうだ!」
 詩織はそこで声を上げた。暇つぶしの雑談に付き合うくらいなら、この調べ物を手伝ってもらえばいいのだ。司書教諭は学校図書館の責任者なのだから、こんな時こそ役に立ってほしいところだった。
「実は、サンタクロースが実在するって新聞記事について調べたいっていうレファレンス依頼なんです。なるべくうちの図書室の蔵書で対応できないかって調べてるんですけど、こういう時ってどんな調べ方をしたらいいんでしょう?」
「……新聞記事となると、学校図書館は弱いですよ」若森先生は首を振った。「ほら、購読数も保存期間も限られたもんでしょ? 新聞記事を調べるなら公共図書館に行った方がいいんじゃないかな」
 打てば響くように答えてくれたし、それも正論ではあったが、面倒事を避けるような響きもあった。詩織の考えすぎかもしれないが、仕事が嫌いで何かとさぼりがちな人なのだ。
「全国紙の縮刷版とかなら市立図書館にもあるし、縮刷版には記事の索引なんかも載ってるから調べ物に便利ですよ。たしか、県立図書館にいけば新聞記事のデータベースを検索できたはずだし、市立図書館からでも資料の取り寄せとかはできるかもしれない」
「データベースとかなら、インターネットで検索って手もありますよね」
 試しに聞いてみた。しかしその途端、若森先生は真面目な顔で首を振った。
「下調べ的に当たりをつけるとかなら、ネットもいいんですけどね。調べ学習に関しては信頼しうる情報源を示すってのも大事だから、ネットの検索結果をそのまま見せるわけにもいかないですよ」
「……なるほど」
 そのあたりの理屈は、さすが本職の司書教諭だった。ネットで検索しただけでは信頼性に欠けるが、県立図書館のオンラインサービスなら過去の新聞記事の記録なので信頼できるということらしい。
「もっとも、最近はネットリテラシーもいろんな考え方があるみたいです」若森先生は照れ隠しみたいに笑った。「信頼って意味じゃ、僕の言ってることもどこまで当たってるか分からない。まずは市立図書館にいって相談してみるといいんじゃないかな」
 真面目なアドバイスなようでいて、責任をよそに回そうとしているみたいでもある。正直だけど頼りない人でもあった。
「そこで本職の司書さんに聞いてみたら、僕みたいな司書教諭より、よっぽどいろいろ教えてくれると思いますよ」
「……分かりました」
 素直にうなずきながら、詩織は頭の中でピラミッドを思い浮かべていた。――頂点にはプロで専業の司書がいて、その下に若森先生みたいな司書教諭がいるらしい。いくつの階層があるのか知らないが、きっと自分がいるのは一番下だ。資格を持たないなんちゃって司書だし、調べ物一つでもなかなか前に進めない。
 そんな自分でも、超能力があるみたいと言ってくれる生徒もいる。それはそれでありがたいことかもしれないが、大事なのは現実の能力だ。超能力なんかより、司書としての能力を身につけたいものだと思った。
「いきなり結論にいっちゃって、よろしいですか?」
 直原市立図書館の司書は、詩織より年下に見える若い男だった。鼻すじの通った顔にレンズの丸い眼鏡をかけ、ワイシャツとネクタイの上からエプロンをつけている。その胸元には「司書・山村」というネームプレートがあった。
「その話でしたら、ニューヨーク・サンっていうの新聞の話ですよ。ちょうど今、児童書庫で補修中で……」
「児童書庫?」
 詩織は思わず繰り返した。いくらサンタの話とはいえ、新聞と児童書とが頭の中で結びつかなかった。
 しかし司書の山村さんは違う意味にとったらしい。低音で落ち着いた声で説明してくれた。
「はい、オートマチックじゃなくてチルドレンの児童です。――ちょっとお待ちください。確認してみますね、っと」
 声だけだったら渋いといっていいくらいなのに、喋り方はどこか子供っぽい人だった。言いながらカウンターのコンピューターに向かい、素早くキーボードに指を走らせている。
「あ、補修済みだ。いま取ってきますね」
 山村さんはひょいと立ち上がって奥に去っていった。一人残された詩織は、こういう時は自動書庫の方がいいのに、などと考えていた。コンピューターに連動していて、検索して見つかった本が自動的に手元に届けば便利そうだ。
「――ありましたありました。お待たせしました」
 山村さんはすぐに戻ってきた。その手に赤くて薄い本を持っている。
「ちょっと古い本でして、表紙カバーが傷んでとれちゃってるんですが、補修は済ませてあります」
 彼は本の背の部分を指さした。薄い本だが、しっかりした布張りの装丁の背の部分に、箔押し文字で『サンタクロースって いるんでしょうか?』というタイトルが記されている。
「館内で閲覧されますか? それとも貸出手続きしちゃいましょうか?」
 くるりと背表紙が向けられると、そこにはちゃんとバーコードラベルが貼り付けられている。詩織は少し考えてから答えた。
「……とりあえず閲覧させていただけますか?」
 市立図書館に来た途端に調査終了なんて、ちょっと呆気なさすぎる。どうしてこの本が答えになるのか分からなかったし、せっかくレファレンス相談をする側になったのだから、もうちょと粘ってみたい。読むのに大した時間はかからなそうな本だから、まずは閲覧席で一通り目を通すことにした。
「どうぞ。あ、カードは大丈夫ですよ」
 山村さんはにこりと微笑んだ。右手で本を差し出し、左手で詩織の利用者カードを押しとどめる手つきをしている。どこかの仏像みたいな仕草だった。
 詩織は会釈して本を受け取り、窓際の閲覧席に座った。土曜の午後の日差しが背中に届いてあたたかい。本の方も、心をあたためてくれるような内容だった。
 赤くて薄いその本は絵本だった。そして同時に、新聞の社説でもあった。山村さんの言っていた通り、「ニューヨーク・サン」という新聞に掲載された社説記事だったのだ。最初に新聞に載ったのは一八九七年の九月のことだったが、それが反響を呼び、その後も毎年のようにアメリカ各地の新聞や雑誌に転載され、ついには日本で絵本にまでなったということらしい。初版刊行は一九七七年十二月となっているから、詩織が生まれるよりも前に出た本である。
 内容はというと、ニューヨークに住む八歳の女の子からサン新聞社に手紙が届いたところから始まる。「サンタクロースっているんでしょうか」という質問の手紙で、新聞社は社説欄でその手紙を取り上げ、「サンタクロースはちゃんといます」と丁寧に回答する。そして目に見えないものを信じることの素晴らしさを訴えるのだ。――その記事がそのまま絵本の文章となり、クリスマスのファンタジーを描いた挿絵が添えられている。
 読みながら、これに間違いないと確信できた。アメリカの出来事だが、ヨーロッパの国でも知られているのだろう。それを五浦くんが耳にして、つぐみに話したというわけだ。日本語の絵本になっていると知ったら二人も驚くに違いない。
 つぐみに伝える調査結果としてはこれで充分だ。いっそこの絵本をプレゼントしてやろうかなと思いつき、いや自分が贈るより、つぐみにだけ教えた方がいいかと考え直した。つぐみから彼へのクリスマスプレゼントになった方がずっと素敵だろうし、彼からヨーロッパの仲間に見せたりしても面白いことになりそうだ。 
 離婚間もない詩織には、そういうプレゼントを贈る相手がいないのが寂しいところだが、まあ仕方ない。学校司書として、この調査結果で利用者と周りの人を喜ばせることができる。これもプロの司書の山村さんのおかげだから、まずは彼にお礼を言うことにした。
 それに、つぐみへの調査報告は充分でも、詩織自身の調べ物はまだ終わっていない。レファレンスカウンターに向かい、山村さんと目が合ったらにっこり笑いかけた。
「おかげさまで、調べ物は済みました」本を彼に手渡した。「よかったら、もうちょっと教えていただいていいですか?」
「はいどうぞ」山村さんはエプロンのポケットからメモ用紙を取り出した。「こちらでも、もう少し分かったことがありますよ」
 詩織が読書している間、彼の方でも調べてくれていたらしい。レファレンス席の椅子を示してくれたので、詩織はまず話を聞くことにした。カウンターを挟んで向かい合う格好で座ると、彼は検索コンピューターのモニター画面をこちらに向けてくれた。
「まず、その本と同じ版元の偕成社から、同じサイズで、『サンタの友だちバージニア』という本が出ています。新聞社にサンタのことを尋ねた少女が、社説で回答をもらった後でどんな人生を歩んだか、っていうお話ですね。著者は日本人で、村上ゆみ子さんというノンフィクション作家です。残念ながら現在貸出中ですが、この図書館にも所蔵がありますよ」
 検索リストの最初にその書名があった。メモには書名と一緒に請求記号が記され、最後に「貸」という字が丸で囲んである。
「返却後に借りたり閲覧したりされたいようでしたら、この場で予約していくこともできますけど――どうしますか?」
 尋ねられて迷った。読みたい気もするが、きっとクリスマスシーズンだから借りられているのだろう。クリスマス前に返却されれば、他の誰かが目をつけるかもしれない。
「予約は我慢します」
「はあ、我慢ですか」
 二人して、なんだか間の抜けた言葉を交わす格好になった。戸惑い気味の相手に、詩織は慌てて説明した。
「そういう本なら、私が予約しちゃうより、『サンタクロースって いるんでしょうか?』と並んだ方がいいかなーと思いまして」
 彼に返したばかりの本を指さした。補修を終えたところなら、また書架に並ぶこともあるだろう。続けて読んで嬉しい人だっているはずだ。
「なるほど。――児童書コーナーだと表紙カバーがないと不利なんですが、企画展示で並べてみるのもいいかもしれませんね」
「二冊並んでたら、きっと興味を持ってくれる利用者も増えますよ」
 その言葉にもうなずいてもらえたが、山村さんは不思議そうな表情のままだった。やはり詩織から説明した方がよさそうだ。
「ええと……実は私、直原高校で学校司書をしておりまして」
 妙な形で自己紹介することになってしまった。その勢いで、つぐみの依頼から今日ここに来るまでのことを打ち明けた。
「学校司書といっても無資格で経験も浅いものですから、サンタの記事のことを調べたいってことと同時に、調べ方を調べたい、というか、何というか……」
 喋っているうちにこんがらがってきた。自分の顔が赤らむのを感じる。普通の利用者のような顔をして、実は他に狙いがあった。そう打ち明けるのが後ろめたかった。
「すいません、実はプロの司書の方ならどういう対応をなさるか、勉強させてもらいたくて質問したんです」
 ぺこりと頭を下げた。山村さんは不思議そうな表情のまま、顔の前で手を振った。
「別に謝っていただかなくても。皆さんいろんな目的で質問なさるもんですし、そのお手伝いをするのが私の仕事ですから」
「……そう言われると、そうですよね」
 詩織だって、生徒の調べ物を手伝って謝られたら困ってしまうことだろう。なんで謝ってしまったのか、自分でも不思議になった。
「では――」山村さんは思案顔になった。「調査結果の続きと一緒に、それをどうやって調べたかをお話しするってことで、いいですか?」
「あ、はい。是非」
 詩織が頭を下げると、山村さんはさっきのメモを手にとった。

(第2回につづく)

登場した本について著者が書評します



プロフィール

竹内真
(たけうち まこと)

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞を受賞する。著書に『カレーライフ』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『自転車冒険記 12歳の助走』『イン・ザ・ルーツ』『図書室のキリギリス』『ぱらっぱフーガ』『ホラベンチャー!』などがある。