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みずいろ 三羽省吾

© ノグチユミコ
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 尾形一志が生まれたのは、大小様々な工場がひしめくエリアだった。
 施設に預けられていた期間を除き、尾形は十七歳まで、爆発的に増えた工場の労働者とその家族向けに造られたマンモス団地で過ごした。
 子供のころの原風景は比喩でもなんでもなく常に灰色で、空は絶えず煙突から吐き出される煙でふたをされていた。汚水に浮かんだ魚の腹だけが、尾形の記憶の中でやけに真白だった。
 その灰色の町で、団地の住民は、高度経済成長期までは一律に生活レベルが上がり、みな競うようにテレビや冷蔵庫を買い揃えた。だが、それらが一通り行き渡った昭和四〇年代中頃、尾形が小学生になった頃からは、みな一律に貧しくなった。
 すると、父親の中に個体差が生まれ始めた。現状維持のために堅実な生活にシフトチェンジする者や、自分の遊興費を削って更なる富の象徴であるカラーテレビやマイカーを手に入れる者もいたが、家族に苦労をかけて自分だけは生活を変えようとしない飲んだくれも少なくなかった。
 尾形の父親は後者で、景気の良かった時代に輪を掛けて酒と女とギャンブルに狂うようになり、家族に手を上げることも頻繁にあった。
 父親は遅刻と無断欠勤が続き、勤めていた工場をクビになった。別の工場に働き口を見付けても、同じことの繰り返しだった。その間、糊口をしのぐためにまったく畑違いの肉体労働に就くこともあった。短い期間、岡本清蔵の建物解体業者で働いたのは、そんな経緯からだった。
 なんとか団地から追い出されることだけは免れたが、生活はギリギリだった。
 愛想を尽かした母親は、尾形を施設に預けると同時に姿を消した。
 尾形を置いてきぼりにしないだけ賢明な判断だった、母親を恨んではいけないと、施設に面会に来た父方の親戚は言っていた。
 中学入学と同時に団地に戻ったが、父親が一人で暮らしていた部屋は手の付けようがないほど荒れ果てていた。尾形は殴られれば殴り返すくらいの身体になり度胸も付いており、父親の方は悲しいくらいに弱くなっていた。
 尾形はあまり家に帰らなくなり、荒んだ生活に突入した。
 似たような境遇の者は団地内に大勢おり、寂しくはなかった。それどころか、盗みと暴力と暴走の日々は、尾形に生まれて初めての充足感を与えた。
 それどころか、このままでは自分も汚水に白い腹を見せて浮かぶ魚のようになると思っていた尾形に、あわい希望のようなものを感じさせた。
 だがそれも、長くは続かなかった。自分の力を単純な方法で見せ付け、他者を屈服させる充足感よりも、そこに絶えず付きまとう焦燥感の方がやっかいになった。
 そして、なんとか入学できた工業高校を度重なる補導で退学になったのを契機に、ツルんでいたグループから抜けた。まだ十七歳になったばかりだった。
 その後、鑑別所から出るたびに身元引受人になってくれていた岡本清蔵親方のもとで働き始めた。親方の勧めもあり、団地を出て一人暮らしも始めた。
 身体を使って働くことは、性に合っていた。
 欲しいものがあれば盗むか脅し取るという手段しか知らなかったが、働けば金が手に入り、当時の尾形の想像力が及ぶ範囲のものは、たいがい手に入った。
 仕事以外の面での尾形の情熱は、音楽を聴くことに向けられた。職場で接するのが年上の人間ばかりだったこともあり、尾形にとっては少し古い世代のジャズやブルースやロックをカセットテープに録音してもらい、聴きあさった。
 どれもこれも興奮させられるものだったが、特に六〇年代のイギリスのロックは、尾形にとって特別なものになった。
 そうこうしていると、尾形の胸の奥底に気になることが芽生えた。
 熱心に聴いていたミュージシャンの多くが、第二次世界大戦のただ中に生まれ、一九六〇年代前半に二十歳前後でデビューし、父親は低所得者層、いわゆる労働者階級で自身はアートスクール出身という、似たような生い立ちの者が多いことだ。
 尾形が十七歳だった当時、一九七〇年代後半には、彼らは既に伝説的な存在で、三十歳を前に早世した者も少なくない。
 英語など分からない尾形をこれほどまでに昂揚させる音を紡ぐ者達が、何故あの世代に集中し、何故似たような生い立ちなのか。
 それが、少年期から青年期に移行しつつあった尾形一志の一大関心事だった。
 そんな状況で、尾形は音楽とは離れた場所で、その疑問の解答らしきものに出逢う。
 当時の肉体労働者には「インテリ土方」と呼ばれる大卒の者達が大勢おり、その中には「そういう音楽が好きなら、これを読め」と、様々な本を薦めてくる者もいた。
 教科書すらちゃんと読んだことがなかった尾形にとっては苦行のようなものだったが、頑張って読んでいると、カミュ、ジュネ、コクトーなどの著作には他人事とは思えないことが書かれており、驚かされることが多々あった。
 そんな中で出逢ったのが、イギリスの文化社会学者が、反社会的な若者が生まれる背景について書いた本だった。
 小説ではなく、少し難解な論文か調査報告書のような本だ。
 そこには、尾形が抱えていた疑問に対する答えではないものの、大きなヒントが書かれていた。
 それは、こんな内容だった。
 恐らく、世界で最初に生産性の向上を極端に突き詰めようとしたのは、ソ連や中国ではなく、イギリスだ。それは産業革命から百数十年、三世代から五世代は続いた。
 土地と深く結びついた農林水産業や牧畜以外でも、同じ職業に就く者は、同じエリアで集団生活を営む方が効率がよい。この町は鉱山、ここは工場、都市部は金融と投資と政治、それらを繋ぐ交通・流通産業は上手く散らばりましょう、といった具合に。
 職場に近いだけでなく、近隣住民の生活レベルはみな同じで、住民の結束は強くなり、互助制度が自発的に生まれ、変な嫉妬や勘ぐりは起こりにくい。
 みなが一律に貧しい。それは経済面での同一性に過ぎないのに、喜びも悲しみも悩みも、ほぼ同一のレベルの中におさまった。
 結果、どうなったのか。
 子供達の世界では、全員父親が同じ職業。同じような家に住み、同じようなものを食べ、同じようなものを見て、聞いて、感じて成長した。休みの日の過ごし方も、画一的になった。
 確かに、合理的で機能的だった。生産性も向上した。
 だが、そこに盲点があった。
 二世代、三世代と続くうちに、なんとなく誰もが気付いた。労働者階級の子供達は、やはり労働者階級に就くしかなくなっている現実に。原因は、幼少期から画一化された価値観しか見ていない彼らにとって、それが世界のすべてだったからだ。
 身体を張って生きる父親達にとっては、タフであるか否かが重要なことだった。それが子供達の世界に、よりデフォルメされたかたちで反映される。教師や優等生はタフでないものの象徴で、多くの子供達はドロップアウトすることに躊躇しない。
 さらに悪いことに、当時は十二、三歳で進路を強制的に決めさせられる制度が彼の国にはあった。職業訓練組か進学組か、ブルーカラーかホワイトカラーかを決めさせられる。十五、六歳で進学組へ編入することもできるが、それは恐ろしく狭き門だ。これもまた、効率的ではあった。
 父親と同等の低所得者層になるしかない。そんな現実を突き付けられても、ドロップアウトすることに躊躇しなかった者の多くはそれを受け入れる。悲しいかな、彼らにとっては教師と優等生が、経営者と真面目な労働者に変わるだけなのだ。
 経済的な大逆転は、せいぜいサッカー選手かボクサーになるくらいしかない。
 そんな特別な才能を持っていない子らの中で貧困から抜け出したいという若干の野心を持った者は、控え目な逆転劇を目指してアートスクールへ進学する。デザイナーか絵描きとして喰っていく。それがサッカーでもボクシングでも、ましてや学業でも上にいけない子らの、唯一の人生一発逆転の手段だった。
 第二次世界大戦終結から十数年経った頃、そこにミュージシャンという手段が新たに加わった。
 アートスクール出身の労働者階級の子らは、ただ単に、アメリカの黒人音楽に心酔していただけだった。それが、とんでもない革命を巻き起こすとは知らずに、ただ興奮してカヴァーし、真似をしてオリジナル曲を作っていただけだった。
 ただ好きなことをやっていただけだが、見ようによっては、それが世界を変えたのだ。
 人類史上、最も早い段階で合理性と生産性の向上を高めようとした国が、人類史上初めて間違いに気付いた。だがその間違った合理性と生産性の追求によって、想定外の素晴らしい文化を生み出したとも言える。
 アフリカから強制的に新大陸へ連行された奴隷達が、綿を摘みながら嘆きの歌を唄う。西洋楽器に触れ、それがブルースとなり、宗教も文化も富も貧困もどん欲に飲み込みながら、ゴスペルに、ソウルに、ジャズになる。それらは記録(レコード)され、西洋世界全体が「なんだこれは」と驚愕する。イギリスの最先端の合理主義によって生まれた労働者階級の子らがその黒いビートに熱狂し、なにかが爆ぜる。
 ブルースの長い旅の終わりと、ポピュラー・ミュージックの長い旅の始まりだ。
 その本には、音楽のことなどまったく書かれていなかった。ただ、反社会的な若者はどこから来るのかを、多くの文献と当事者達への取材を経て一つの仮説を立て、当時のイギリス社会の矛盾を突いているだけだ。
 だが尾形は確かに、長らく抱えていた疑問の解答をそこに見た。
 ただのロック好きであったなら「ワオ! 最高!」とか叫んで、終わりだったかもしれない。
 だが、尾形一志の感受性はそんな単純なものではなかった。
 俺達のことじゃないか。
 十七歳の尾形一志は、その本を読んでそう感じたという。
 自分の将来が、生まれ落ちた環境によってある程度、決め付けられる。ブルーカラーの子に生まれ落ちたら、ブルーカラーになるしかない。大嫌いだったはずの父親と同じ人生を歩むように、何者かによって決め付けられている。
 そして尾形は思った。冗談じゃない、と。
 普通の頭であったなら、尾形はそこでミュージシャンを目指したかもしれない。無駄であることは百も承知で、自分にとってのヒーローと同じ方法でのし上がろうとしたかもしれない。
 だが尾形は、そうはしなかった。
 岡蔵解体で二年働いたのちに、尾形は十九歳の若さで建物解体の会社を自分で興した。更に数年後、代表である自分に学歴が必要であると気付き、三年掛かりで大検を取り大学生になった。
 そして、在学中にバブルが弾け、武山不動産レジデンシャルに入社した。
 尾形一志は、二十七歳になっていた。

「まぁ、音楽云々の話は、俺にはよく分からなかったがな。一志がやろうとしていることは、なんとなく分かったよ。ウチを辞めるときも、きっちり仁義を通した。だから俺は、ウチを辞めたあとも協力を惜しまなかった。もっとも奴の方では、アドバイスには耳を傾けたものの、人手や経済的な援助は頑として断わったし、仕事の紹介も受けなかったが」
 岡本の親方はそう言って、二本目のショートホープの煙を吐き出した。
「なるほど、ですね……」
 賢介は風に流される煙を見届けると、項垂れてそう呟いた。
 一ヵ月ほど前、高藤から聞いた武山不動産レジデンシャルに入社してからの尾形の話を思い出していた。
 上下巻に分かれている小説の、下巻を先に読んでしまった気分だった。
 いま親方から上巻の内容を聞かされ、その中に、あの日の答えがあることも分かった。賢介が「なんであんなにがむしゃらなんですか」と訊ねたとき、高藤は「それは分からん」と答えた。分からなくて当然だ。高藤も、上巻を読んでいない。
「あの、自宅を訪ねたことがあるんすけど」
「ほう、そうかい。俺も二、三度招かれたことがあるよ。もう五年以上前だがな。会社の人間は入れないと言ってたんだが、お前は微妙なポジションだからな」
「まぁ、それもあるかもしれないっすけど……お父さん、同居してますよね」
 賢介がそう言うと、親方は遠い目をして「うん」と呟いた。
 二度目の「お前には言っておこうか」という前置きののち、親方は説明した。
 武山不動産レジデンシャルに入社して数年後、尾形は行方不明になっていた母親を捜した。警察はろくに動いてくれなかったが、探偵事務所が団地を出た後の母親の生活を詳しく調べ上げてくれた。
 母親は尾形を施設に預けた後、北陸から山陰辺りを渡り歩き、旅館の仲居や場末のスナックの雇われママなどをしながら、五十歳過ぎでひっそりと死んでいた。
 母親を呼び寄せて一緒に暮らそうとしていた尾形にとって、それは少なからずショックだったはずだ。
 普通に考えれば「では父親を」とはならない。そこが、尾形一志という人間の複雑なところだ。
 世田谷に一軒家を建て、そこに父親を呼び寄せる。働いていた工場自体がなくなり、団地もなくなり、典型的な下級老人になろうとしていた父親を、一軒家に住まわせ嫁に面倒を看させる。いまではボケの兆候があり行けなくなったが、以前は二人の孫とともに年に一度の海外旅行にも連れて行った。
「そういうのってのはな……」
 そう言って、親方は口をつぐんだ。
 聞かずとも、賢介には親方が言おうとした言葉の続きが分かった。
 世田谷の一軒家も、ガレージに二台も並んでいる高級車も、優しい嫁に面倒を看させることも、年に一度の海外旅行も、かつて自分や母親を苦しめた父親に、いまの充実した暮らしというものを見せ付けるためだ。
 それらは、歪んではいるが、父親に対する復讐なのだ。
「大した奴だと思う。一人で戦後復興をやっているようなものだ」
 親方はそう言って、尾形を褒めた。賢介はすぐに「しかし」という言葉が出るかと思ったが、親方は彼方の富士山を見ながら煙を吐き出しただけだった。
「なんか、すごいっすね」
 世田谷の一軒家など、土地でも持っていなければ、業界内で中の下のデベロッパーの課長クラスに建てられるわけがない。そんなことは、賢介でも分かっていた。
 情報の横流しで給与以外の収入があるからかとも思ったが、一回数十万円でまかなえるわけがない。かつて立ち上げた、そしていまでも名義を貸して事務的な手続きだけ行なっているという、建物解体業者からの副収入があるから、可能だったことだ。
 都心から少し離れれば、一〇〇平方メートル超のマンション最上階でも買えただろうが、尾形にとっては世田谷の一軒家というブランドが重要だったのだろう。父親に見せ付けるために。
 尾形は、生まれや育ちによって自分の将来がある程度決め付けられることに「冗談じゃない」と奮い立った。そしていまや、傍目には世間一般をはるかに越えた、できた息子だ。
「でも……」
 そう呟いてみたが、続きが出なかった。尾形の息子の知哉と、娘の彩の顔が、思い浮かんだ。
 親方に「なんだ」とせっつかれ、賢介は「すごいです。すごい、けど……」と口籠った。汗まみれ擦り傷だらけの知哉と、口元を歪めながら父親のことを「あの人」と呼ぶ彩が、「すごい」と言い切ることをためらわさせた。
 数秒の沈黙が続いたのち、賢介は頭の中でまとまらない考えを諦め、確認のために訊ねた。
「ブルーカラーの子はブルーカラーにしかなれない。そういう……なんだろ、不の連鎖って言うんですか? そういうのを断ち切るために、課長は、尾形さんは、あんなに働いてるってことっすか?」
 親方は久々に賢介に目を向け、しばらく考え込んだ。返事がないことを確認してから、賢介は「だったら」と続けた。
「だったら、もうミッション終了っつーか、目的は果たしてるっしょ。父親にも、自分の行く末を決め付けた何者かにも、復讐は完了してますよね?」
 ところどころ声が裏返り、賢介は自分がひどく興奮していることに驚いていた。
「あのな、笠原」
 ショートホープの火を指先で無造作に揉み消し、親方は賢介を落ち着かせるような声色で話し掛けた。
「説明が足りなかった。お前は少し、思い違いをしている。あいつは、そんな小さい人間じゃない」
 親方はそう前置きして、こんな話をした。
 尾形は、ブルーカラーの子はブルーカラーになるしかないと決め付けた何者かに対してではなく、自分に対して憤っている。
 親に、教師に、すべての大人達に対して反抗的な態度を取る。そういうことを、誰に教わるでもなく自然にやってきた。そこに快感を覚え、ポーズとして反抗的であることを貫く者なら気付かなかったであろうことに、尾形は音楽や文学と触れ合うことで気付いてしまった。
 生まれ落ちた環境は確かに与えられたものだが、そういう思考に陥るか否かは、自分次第だ。決して姿を見せない何者かが、常に自分を陥れようとしている。放っておけば、汚水に白い腹を見せて浮かぶ魚のようになるしかない。そういうことに、世の中は敵だらけだということに、気付いてしまった。
 そう気付かせてくれたのもまた、生まれ落ちた環境だ。
 だから尾形が復讐しようとしているのは、イキがっていた頃の自分、つまり負の連鎖の根本的な原因に対してだけだ。
 そして、対象が自らの過去であり、その発露も自らの過去にあるこの復讐劇は、始められた時点で矛盾している。つまり、永遠に終わることがない。
「まぁ、父親を呼び寄せた直後には、復讐の意味合いもあったのかもしれないがな。それも、いまとなっては奴の中で意味を変えていると……おい笠原、どうした?」
 賢介は車椅子の上で深く項垂れ、考え込んでいた。親方の話の続きがおぼろげながら見えてきて、そのことが更に深く項垂れさせた。
「少しばかり刺激が強かったか? でもな、ここまでは長い前置きだ。一志がお前を見込んだ理由について、言っておこうか」
 来た。

 年が明けた。
 賢介は松葉杖二本で歩けるようになってすぐに、退院した。
 しかし尾形に「せめて一本で歩けるまでは休め。現場も販売センターも、迷惑する」と言われてしまい、職場復帰は叶わなかった。
 尾形と浅間は二人切りで夜の報告会を行っていたが、「そんな時間があったら宅建の勉強でもやってろ」と、そこへの出席も禁じられた。
 少なくとも一ヵ月は仕事ができないが、当座の生活費はあとで返す約束で、すべて尾形が立て替えてくれた。
 その代わりに、家でしっかり休養と勉強をするように命じられた賢介だったが、尾形のその命令には従わなかった。
 賢介には、やるべきことがあった。拘置所で公判待ちの、ノロの接見に通うことだ。
 警視庁の二度目の事情聴取でも聞いていたことだが、ノロは仲間のことについて、ほとんど口を割っていなかった。
 正直にすべてを白状するように説得したが、ノロは賢介の足の怪我のことを質問したり、下着や雑誌の差し入れに礼を言うばかりで、ほとんど会話にならなかった。
 二度目の接見に訪れた賢介に、次の接見で待っていた国選弁護人が「まず会話が成り立たないんです」と相談してきた。弁護側だけでなく検察側も、この点には手を焼いていると言う。
「肉親はまったく接見に来ない。こちらから連絡をとっても“子供の頃しか知らないから”と、まともに取り合ってもくれない。あなただけが頼みの綱です。なんとか、すべてを打ち明けるように説得してもらえないでしょうか」
 ドラマで観るようなエリート然とした弁護士とは違う、くたびれたスーツに身を包んだ冴えないおっさんにそう言われ、賢介は公判で証人として代弁することが出来るか、その場合、武山不動産レジデンシャルに迷惑はかかるか、といったことを確認した。
 前者はYES、後者は要確認だと言われ、賢介は「出来るだけやってみます」と答えた。
 三度目の接見で、賢介は改めて「正直に、知ってることを全部打ち明けろ」と、やや強く言った。
 いつものようにニコニコ笑っていたノロだったが、そのときはパイプ椅子の上でもじもじと尻を動かした。見覚えのある反応だった。悟られないよう表情はキープしているが、なにかに怯え、迷っている。
 もう少しかもしれない。そんな手応えを感じると同時に、焦ってはいけないとも感じる。
 一度かたくなになってしまうと、ノロは誰の言うことにも耳を傾けなくなってしまう。
 四度目。公判も賢介の職場復帰も直前で、最後の接見となったとき、賢介は駄目もとでノロにこんな話をした。
「俺もお前も、生まれ育った環境は不幸だけどな、それがどうした。逆転はある。断言は出来ないけど、あり得るんだ。俺もお前もできてないけど、成功してる人を俺は知ってる。俺もお前も、もっと強くなるんだ。そのための第一歩が、ここなんだ」
 必死に喋っているうちに、なんだか泣きたくなってきた。
 屈託のない笑顔が、少しだけ困ったような笑みになった、ように賢介には見えた。
 そしてノロは、小さく頷いた。最初は小さかった頷きが、繰り返し話しているうちにだんだん大きくなっていった。
「うん、そうだね。ケンちゃん。ここは温かいし、ごはんも食べられるけど、ヘルス行けないもんね。ちゃんと喋って、早く出ないとね」
「いや、そういうこっちゃねぇんだけどな」
 やはり、こちらが言っていることをちゃんと理解することはノロには難しいのか……。そう幻滅した賢介の耳に、「それにさ」という声が届いた。
「捨てられるのは、初めてじゃないしね」
 驚いて顔を上げると、強化プラスチックの向こう側で、ノロはやけにしっかりした表情をしていた。馬鹿、阿呆、ノロマと罵られ続けてきたノロが、これまで見たことのない賢そうな目で賢介を見詰めていた。
 まったく考えていなかったことが、理解できた。
 ノロは、かつて自分に暴力を振るった父親と、その父親に似た刑務所に収監される者達のことを恐れていたわけではない。いや、それもあったのかもしれないが、それだけではなかった。
 ノロは、自分をだまして出し子として使っていた者達までも、大切な存在だと思っていたのだ。彼らに捨てられることを恐れて、口を割らなかったのだ。
 甘い言葉で自分を悪の道に誘い入れた者達も、ノロにとっては大切な存在だったのだ。たとえ利用するためであっても、優しい言葉を掛けてくれる存在は、彼にとってそれほど大切な存在だったのだ。
「俺は……」
 思わずそう言い掛けたが、続きが出て来なかった。
 接見時間が過ぎ、係員に促されたノロは「じゃあね」と、いつもの表情に戻って席を立った。
「俺はもう、お前を見捨てない」
 重い扉が閉まる瞬間、やっと続きが口から出た。
 ノロの耳に届いたかどうか、微妙なタイミングだった。
 まただ。
 ノロをなんとかしてやりたいという思いは本物のはずなのに、また、ためらってしまった。半分くらいは、ノロの耳に届いていないことを願っていた。

(第14回につづく)



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プロフィール

三羽省吾
(みつば しょうご)

1968年岡山県生まれ。2002年『太陽がイッパイいっぱい』で小説新潮長編新人賞を受賞。06年『厭世フレーバー』、12年『Junk』でそれぞれ吉川英治文学新人賞候補。14年『公園で逢いましょう。』で京都水無月大賞受賞。