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恋する失恋バスツアー 森沢明夫

© たなかみか
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第 19 回



【天草龍太郎】
 ワンコール、ツーコール……。
 その場にいた全員の視線がこちらに集まっていて、なんとなく背中を向けたくなる。
「はーい、もしもし?」
 出た。
 陽気なキンキン声が頭蓋骨のなかで響いて、俺はスマートフォンを耳から少し離した。
「あ、るいるいさんですか?」
「うん、そうだよ。誰?」
「失恋バスツアーの、添乗員の――」
「あ、龍ちゃんだぁ!」
 耳の奥がキーンとした。思わず顔をしかめると、それを見ていた周囲のみんなが苦笑いした。るいるいさんの声は、すっかり漏れ聞こえているのだ。
「はい、そうです。あの、ですね――」
 いくらお客さんとはいえ、さすがに少しはたしなめるべきだろうと思っていると、るいるいさんの笑い声にかぶせられてしまった。
「あははは。龍ちゃん、手紙、見てくれた?」
「え?」
「わたし、部屋に書き置きしてきたんだよ」
「はい、ですから、いま、それを見て電話をしているんです」
「あ、よかった。気づいてくれて。いま、彼の車に乗ってるんだよ」
「はあ……」
「わたしね、昨日の夜の花火のとき、電話で彼氏と仲直りしたのね。で、さっき、車で迎えに来てもらって、ちゃんとプロポーズしてもらったんだよ。うふふ」
「えっ、プロポーズ?」
「うん、そうなの。だからもう超ハッピーなの」
 ただでさえ明るいるいるいさんの声が、いっそう明るくて――、なんだか俺は釣られて「あはは」と笑ってしまった。もはや、たしなめるどころではない。
「じゃあ、るいるいさんは、近々、ご結婚されるんですね?」
「うん、するよっ」
「そうですか」
 俺は、思わずため息をついてしまった。昨夜、るいるいさんから聴いた彼女の人生を想ってしまったのだ。
「あの、るいるいさん」
「ん、なに?」
「よかったですね」
「うふふ。もう、最高だよ」
「おめでとうございます」
 スマートフォンを耳に当てたまま、俺は小さく会釈した。
 ふと周囲を見回すと、筒抜けの会話を聞いているみんなが、ほっこりしたような顔で俺の方を見ていた。
「うふ。龍ちゃん、ありがとう。やっぱり、めっちゃいい人だね。あっ、ねえねえ」
「はい、なんでしょう?」
「もしも、またこの人にフラれたらさ、龍ちゃんのツアーに参加してもいい?」
 この人、というのは、隣の運転席にいる彼氏のことだ。「おいおい、なんだよ、それ」という低く冗談めかした男性の声が、スマートフォンのなかからかすかに聞こえてくる。車のなかでふざけ合っているのだろう。
「ええ、もちろんです。そのときは喜んで」
 言いながら、俺は胸の浅いところに鈍い痛みを覚えていた。
 社長との電話を思い出したからだ。
「あはは、やったぁ。龍ちゃんのツアー、楽しいもん」
 るいるいさんの無邪気な声がキンと響く。
「でも――」
 俺は、ちらりと小雪を見た。
 小雪は、俺の足元あたりを見ていた。
「え、なに?」
「個人的には、るいるいさんが、もうこのツアーに参加しなくて済むことを祈っています」
「うふふ。龍ちゃん、やっぱりすご〜くいい人だね」
「いや、別に……」
 直球で褒められた俺が、つい言葉を失っていると、るいるいさんは、すぐに続けた。
「龍ちゃんも、小雪先生とうまくやってね」
 えっ……?
 声にならない声を上げて、俺は固まった。
 どういうことだ?
 どうして俺と小雪の関係を、るいるいさんが?
 狼狽しながら、俺は目だけで周囲をちらりと見回した。
 ハッとした顔をしているのは小雪だけだった。他の人たちは、若干、さっきよりも笑みを大きくしてはいるけれど、とくに違和感のある表情をしている人はいないように見えた。
「あ、え、ええと……」
 しどろもどろになりながら、俺は考えた。
 この周囲の反応からすると――、俺と小雪の関係に気付かれているのではなくて、単に「添乗員とカウンセラーの関係」を、うまくやってね、という意味で捉えてくれたようだ。うん、きっとそうだ。
 俺は、るいるいさんに「ありがとうございます」と、無難な返事をして、再び周囲を見た。
 みんなの顔は、さっきと変わらなかった。
 俺は胸をなでおろした。
「わたしね、彼とこのままドライブして、素敵な温泉に泊まることにしたの」
「そうですか。いいですね」
「うん。だから、みんなとはお別れになっちゃったけど、イノシシが出たりして、冒険みたいで楽しかったし、みんな、すっごくいい人たちだったよ。大好き。ありがとうって伝えてね」
「あ、はい。分かりました」
「それじゃあね〜」
「あ、えっ?」
「バイバ〜イ」
 ブツ……。
「……えっ? えっ?」
 いきなり通話を切られてしまった。
 るいるいさんの声が聞こえなくなった家庭科室に、しんと沈黙が満ちていく。
「ええと、聞こえていたと思いますけど、るいるいさんから、みなさんに、ありがとう、だそうです……」
 俺は周囲を見回し、苦笑しながら言った。
「なんか、最初から最後まで、彼女らしいね」
 そう言ったヒロミンさんも苦笑している。
「でも、まあ、幸せになったなら、それでよかったですね」
 サブローさんが、しわしわな笑顔でそう言うと、みんなも小さく頷いた。
 俺は、やれやれ、という気分でスマートフォンを小雪に返した。
「これ、ありがとう」
「うん。なんか、嵐みたいな娘だったね」
 小雪がくすっと笑ったとき、どこからか、ぐううう、と盛大な音がした。
「おい、聞いたか? 俺の腹が、早く飯にしろって不平を言いだしたぞ」
 入道さんの腹の音だったのだ。
 みんながくすくすと笑い出したのを見て、俺は添乗員に戻った。
 ほっこりしている場合ではない。この人たちには、しっかりと落ち込んでもらわねばならないのだ。
「それでは、みなさん、残念ながら仲間が一人減ってしまいましたが、質素ながらも身体にいい朝食をいただきましょう。るいるいさんの分は、お腹に余裕のある方に食べて頂ければと思います」
 言いながら俺は入道さんを見た。
「おう、任せておけ。この腹には、何人分でも入るからな」
 山伏みたいな格好をした巨漢が、相好を崩した。
 すると、その横でサブローさんが微笑みながら巨漢を見上げた。
「でしたら、私の分も少し食べてもらえますか?」
「お、おう。もちろん」
 答えた入道さんは、相変わらず笑みを浮かべていたが、目は笑っていないように見えた。まるでサブローさんのことを霊視しているような……、そんな、力のある視線を送っていたのだ。
◇   ◇   ◇
 質素な朝食を食べ終え、それぞれ出発の準備を整えると、俺はお客さんたちを校庭の隅に停めてあるバスへと促した。
 いつものように山田さんもサンダルを履いて見送りに来てくれた。
 みんなが乗車したあと、最後まで山田さんとしゃべっていたのはサブローさんだった。年齢が近くて仲良くなった二人は、名残惜しいのだろうか、互いの両手を握り合ったまま、しばらく小声で話し込んでいた。
 俺はそんな二人の横顔をバスの入り口からぼんやり眺めていた。
 やがて、山田さんが握っていた手を離した。と思ったら、その手の親指で自分の頬をぬぐった。
 えっ、山田さん、泣いてるの?
 俺は、少し窓ガラスに顔を寄せて、二人の様子に見入った。
 サブローさんが、山田さんの肩を両手でぽんぽんと励ますように叩いた。
 山田さんが、小さく頷く。
 それから二言、三言、会話を交わして、サブローさんはバスの方へと歩いてきた。妙にさっぱりしたような微笑を浮かべながら。
 一方の山田さんは、そんなサブローさんの背中を見つめながら立ち尽くしていた。
「すみません、お待たせして」
 サブローさんが俺に言いながら、バスに乗り込んできた。
「あ、えっと……」
「何か?」
 サブローさんは、平然としていた。だから俺も「いや、別に」とだけ答えて、背後の運転席を振り返った。
「じゃあ、まどかさん、出発、お願いします」
 返事はないが、プシュー、という音がしてバスのドアが閉まり、エンジンが始動した。
 昨夜、花火を愉しんだ校庭を横切るように、バスがゆっくりと進んでいく。
 俺はぽつんと立ち尽くす山田さんに向かって、窓越しに一礼した。山田さんはいつものように右手を小さく振りながら見送ってくれる。
 バスはすぐに校門を通り抜け、左折した。
 サブローさん以外のお客さんたちもまた名残惜しそうな顔で、遠ざかっていく古い校舎を見つめていた。
 俺は、そんなお客さんたちを見ているばかりで、あえて外の景色を見ることをしなかった。見たらきっと、未練で心を焼かれるに決まっているからだ。
 バスはどんどん進み、やがてお客さんたちが前を向いた。
 俺は、ため息をこらえて自分の席に腰を下ろした。
 すると、待っていたかのように隣の小雪が口を開いた。
「あのさ」
「ん、なに?」
「さっきから思ってたんだけど」
「うん」
「そのジーンズ、なに? 若作り?」
「あ……、いや、これはさ」
 俺は、昨夜のジャックさんとのやりとりを話した。
「へえ。あの人、やっぱり、やさしいところがあるんだね」
「まあね。人は見かけによらないんだよな」
 モヒカンにピアスだらけの顔を思い浮かべつつ、彼のちょっと風変わりな人生を想う。そして同時に、小雪がバスから降りるときに手を差し伸べたジャックさんの照れ臭そうな顔も思い出していた。
 やさしいところがある――か。
 たしかに、根はいい奴だけど、でも、もしかすると、俺のライバルかも知れないわけで……。
 小雪は、すっと窓の方を向いた。
 俺も、小雪越しに外の風景を眺めた。
 バスは清流に沿って蛇行する山道を下っていた。川の向こうは新緑に覆われた山で、幾千万の葉っぱが朝日をきらきら照り返している。
「ねえ」
 俺に背を向けたまま、ふたたび小雪が小さな声を出した。
「ん?」
「本当に、最後になるわけ?」
「え?」
「このツアー」
 俺は小雪に聞こえないよう、静かに息を吐いた。
「残念だけど」
「そっか……」
 小雪がため息をついた。その息が窓ガラスに当たって、ほんの一瞬だけガラスがほわっと白くなった。
 俺は、小雪の華奢な背中にどんな言葉をかけてやればいいのかが分からなくて、少しのあいだ、ぼんやりと車窓を眺めていた。
 すると、車内に音楽が流れ出した。
 あの陰々滅々とするような、いつもの失恋ソングを、まどかさんがかけてくれたのだ。
 そうだ。仕事だ、仕事――。
 俺は席から立ち上がって、バスの後ろを向いた。
「ええ、みなさま」
 お客さんたちの視線がこちらに集まった。
 俺は、サブローさんの様子を見た。これまで通りのにこやかな表情だったので、少しホッとして続けた。
「いよいよツアーも三日目がスタート致しました。お手元の『旅のしおり』にありますように、当バスはこれから遊園地へと向かいます。もちろん、ふつうに楽しめる遊園地ではございません。地域の過疎化にともない、五年前に閉鎖され、いまや廃墟となりつつあるゴーストタウンのような遊園地です」
 こういうしゃべりも、これで最後なのかと思うと、テンションが下がりそうになるけれど、でも、このツアーに限っては、テンションが低いことはむしろ悪いことではないのだ。そう思い直して、俺は今日の予定を淡々としゃべり続けた。
 視線の隅っこには、かすかに小雪の背中が見えていた。今日の小雪は、その名のとおり、白い雪のようなモヘアの薄いカーディガンを着ていた。そして、それが、とてもよく似合っていた。俺と一緒に出かけたときに、俺が見立てて買ったカーディガンなのだから、似合っていると感じて当然なのだが。
 頭のなかで小雪のことを想いながら、俺の口は淀みなく仕事のトークを続けていた。我ながら器用なものだと思うが、それはつまり、このツアーの仕事がそれだけ俺の身体に染み付いているということだろう。そう思うと、うっかりため息を洩らしたくなる。
 ひと通りの説明を終えると、俺は「何かご質問は?」と訊いた。
 手を挙げる者はいなかった。
 このタイミングで、るいるいさんのキンキン声が上がらないことが、すでに少しばかり淋しくなっていた。みんなも、きっと同じ思いをしている気がして、俺は苦笑しそうになった。こんなふうに、多少なりともセンチメンタルな気分になる「失恋バスツアー」は、過去には一度もなかったのだ。
◇   ◇   ◇
 閉鎖された田舎の遊園地には駐車場がなかった。
 というのも、現在は、大手の製薬会社がその広大な土地を買い取り、大規模な工場を建てているところなのだ。アスファルトを剥がされ、赤土がむき出しになった敷地内には、ブルドーザーやパワーショベルといった十数台もの重機が行き交い、建築工事が進められていた。
 そんなわけで、俺たちのバスは、遊園地の切符売り場だった場所の前にぴたりと横付けした。
 バスを降りるとき、俺はお客さんたちに首からかけるパスポートを手渡した。これは、現在この土地を管理している業者から渡されている「立入禁止区域への入所許可証」となるカードだ。
 全員がバスを降りても、パスポートは二枚余った。るいるいさんとまどかさんの分だ。まどかさんは例によってタバコを吸ったり昼寝をしたりしながら待っているらしい。
「はい、それでは皆さん、許可証を首から下げましたら、こちらから入園して下さい」
 声を張りながら園内へとお客さんたちを誘導する。
 入り口のゲートを抜けるとすぐに、一眼レフを手にしたヒロミンさんが目を輝かせた。
「わあ、なんか、廃墟の雰囲気がフォトジェニックじゃん」
 一方では、ジャックさんが不安そうに眉尻を下げた。
「こ、ここ……、なんか、薄気味悪くねえか?」
「がはは。心配すんな。ここに残ってる念は、凝って霊になったりしねえタイプだからよ。薄いんだよ、濃度が」
 入道さんが丸太みたいな腕を組んで平然と答えた。
「ほ、本当かよ?」
「ああ、本当だ」
 あからさまに安堵のため息を吐いたジャックさんを見て、小雪がこっそり笑いそうになっていたが、正直いえば、はじめてここを下見で訪れたときは、俺もこの特別な雰囲気にかなり圧倒されたものだった。
 観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランド、コーヒーカップなどの錆び付いたアトラクションたちが、朽ちた巨大生物の屍体のように音もなく地面に横たわっていて、その圧倒的な廃墟感は、ここ以外ではそうそう味わえるものではない。もっと言えば、幼児がまたがる動物の形をした乗り物や、お化け屋敷、フランクフルトやソフトクリームの売店、ゲームセンター、「動物ふれあい広場」と書かれた看板、とんがり屋根のトイレ、色あせたベンチ……そういう残骸たちを見ていると、ふいにその辺りから子供やカップルの歓声が洩れ聞こえてきそうな気がして、うすら寒くなる。
 ようするに、元がメルヘンチックな作りになっているだけに、廃墟化すると、それがえも言われぬ「怖さ」となって、風景を異空間に変えてしまうのである。
「はい、それでは皆さん、先ほどバスのなかでお配りしたペットボトルの水とボールペンと紙をお持ちですね?」
「…………」
 皆からの返事は、ない。
 別に無視されているワケではないのだが、ここまで音がないと、やっぱりるいるいさんが恋しくなる。
 彼らにバスのなかで配った紙は、いわゆる「質問用紙」だった。恋人との思い出の場所はどこ? 別れを告げられた場所は? 二人はなぜ別れたのですか? 相手の好きだったところは(なるべく複数回答で)? あなたが修正すべきだった点は? など、辛かった別れを片っ端から思い出させられるような質問が列挙されている。そして、参加者はそれぞれ廃墟化した園内のどこかで、その質問にたいする回答をペンで記入し、あらためて別れの悲しみを味わうのである。
 今回の参加者のなかには、じつは失恋などしていない――という人もいるから、そういう人にとって、この質問は、まったく意味のないものになってしまいそうではあるが……。
 しかし、まあ、あまり深く考えても仕方がない。この人たちをチョイスしたのはイヤミ課長なのだ。俺は、「ちゃんと失恋した」参加者たちのために、しおりに書いてある通りの内容をプロとしてきっちりこなしていくしかない。
「ここからは、皆さんそれぞれの自由行動となります。集合時間は正午ぴったりで、集合場所はここです。全員に集まって頂いたところで昼食をお配りしますので、ぜひとも時間厳守でお願い致します。ちなみに、園内でご使用できるトイレですが、申し訳ありませんが、あそこに見える一棟だけとなっております。他のトイレは水が流れませんので、ご使用にならないようお願い致します。あと、廃墟化したアトラクションは危険ですので、触れたり、柵を越えて近づいたりしないよう、くれぐれもお願い致します。以上、ですが――、ここまでで、何かご質問はありますか?」
 ぐるりと、お客さんたちを見回す。
「ない……ですね? はい、そうしましたら、各自お好きな場所で質問用紙に記入をして頂きつつ、辛かった離別のあれこれを丁寧に思い出して、しっかり落ち込みながら、園内散策をご堪能下さい」
 俺の説明が終わると、参加者たちは、なんとなくのろのろとした足取りで、園内の適当な場所へと散っていった。

(第20回につづく)



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プロフィール

森沢明夫
(もりさわ あきお)

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。