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恋する失恋バスツアー 森沢明夫

© たなかみか
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第 17 回



【天草龍太郎】
 いい具合にしんみりしながら線香花火を終えると、各自、給食室をリフォームして造られた風呂に入った。
 これで無事、本日のノルマは終了だ。
 まどかさん以外の女性陣は、夜の廃校は怖いということで、全員でひとつの教室で寝ることになった。男性陣は、互いに気を遣わなくて済むよう、それぞれ気に入った教室をじゃんけんで順番に選んでいた。
 ほとんどの教室の後ろ半分には畳が敷かれていて、その隅っこには数組の布団が積み上げられている。山田さんの管理がいいせいか、いつ来てもこの布団は清潔で、ふかふかしていて、お日様の匂いがする。
 添乗員の俺は、山田さんが寝泊まりしている一階の管理人室のとなりにある図書室を使うことになっていた。万一、何かが起きたとき、すぐに山田さんと連携をとって対処できるようにするためだ。田舎の小学校の図書室は、生徒の数が少なかったせいだろう、驚くほど小さくて、面積も他の教室の半分にも満たない。一応、北側の壁がすべて書棚になってはいるのだが、その棚の半分には本が無く、がらんどうだ。
 それでも俺は、この図書室がお気に入りだった。夜、ひとりになった後、自分が小学生だった頃に読んだ記憶のある、懐かしい児童書や絵本を探しては、そのページをのんびりめくるのがたのしいのだ。
 この夜の俺は、布団の上に寝転がりながら、『世界の謎と、七つの不思議』というハードカバーを手にしていた。ピラミッド、ナスカの地上絵、ネッシー、UFO、雪男などについて書かれたノンフィクション・ミステリー本だ。小学生の頃、俺はこれとまったく同じ本を持っていて、かなりお気に入りだったのである。文字が大きく、ほとんどすべての漢字に読み仮名がふられた児童書ではあるけれど、あらためてじっくり読み返してみると、これがなかなか面白く書かれていて、この歳になっても胸がおどる。もちろん「夜の廃校」という独特な雰囲気のなかで読んでいることも、この本の読み心地を増幅させているのだろう。
 粒子の粗いモノクロ写真と、古めかしい活字の世界に没頭しながら、宇宙人に捕らえられて脳にマイクロチップを埋め込まれたアメリカ人の話を読んでいたとき――、
 ゴン、ゴン。
 いきなり廊下に面した引き戸が音を立てた。
 驚いた俺は、胸裏で「うわっ」と叫び、布団の上に飛び起きた。と同時に、その音がノックであるということに気づいた。
「は、はい……」
 もしかして、小雪かな――、と淡い期待を抱きつつ返事をしたのだが、しかし、ガラガラと引き戸をわずかに開けて、顔だけ覗かせたのはまったくの別人だった。
「ういっす」
 たくさんのピアスには似合わないような、少し緊張気味の表情。
「ジャックさん……。えっと、どうかされました?」
 読みかけの本が閉じないよう、俺は開いたページを下にして、そっと布団の脇に置いた。
「いや、ちょっとさ、相談があるっつーか」
「はあ」
「とりあえず、入っても、いいスか?」
「え? あ、はい。どうぞ」
 ジャックさんが部屋のなかに入ってきたとき、俺は思わず、口をぽかんと開けてしまった。というのも、ジャックさんは、背中に大きな旅行鞄を背負いつつ、両手で布団を抱えていたのだ。
「悪りいけど、俺、ここで寝かせてもらいてえんだけど」
「は?」
「駄目なのかよ」
 眉間に皺を寄せて、ちょっと恥ずかしそうにしているジャックさんを見ていたら、合点がいった。
 この青年は、怖がっているのだ。
 廃校の教室で、ひとりで寝ることを。
「ええと、ここは、ご覧の通り、他の教室よりも狭いですけど……、ジャックさんが、それでもよければ」
「俺は、いいよ。ってか、むしろ、狭い方がいいっつーか」
 少しホッとしたような顔をして、ジャックさんは布団を抱えたまま俺の前をそそくさと通過していった。そして、奥の窓際に鞄を置くと、布団をさっと広げ、その上にあぐらをかいた。
「あのさ」
 ジャックさんが、こっちを向いた。
「はい」
「夜の教室にひとりで寝るなんて、ふつうあり得なくね?」
 安心できる居場所を確保したせいか、その口調から、さっきまでの緊張感が薄れはじめているようだ。
「え、そうですか?」
「だってよ、このツアーの内容説明に、そんなこと書かれてなかっただろ?」
「ええと」俺もちゃんとジャックさんの方を向いて、あぐらをかいた。「行程表のところに、書かれていたはずですけど」
「は?」
「ツアーのお申し込み用フォームのあるホームページにも表記されていますし」
「うっそ。マジかよ」
「はい」
 マジだ。間違いようがない。俺がこの手で記載したのだから。
「じゃあ、俺が見落としたってのかよ?」
「はい、おそらくは」
 そこでジャックさんは「はあ……」と、深いため息をもらした。と思ったら、うんざりしたような目をした。
「じゃあ、まあ、百歩譲って、俺が見落としてたとしてもさ、さすがに理科室はあり得ねえだろ」
「え?」
「だ、か、ら――、俺、理科室になっちまったわけ」
「…………」
「じゃんけんで負けてさ」
 よりによって、いちばん怖がりなジャックさんが理科室に? 
 俺は、うっかり笑いそうになったけれど、なんとか咳払いでごまかした。
「つーか、マジで、骸骨の模型とかあるし、内臓とか眼球とか脳みそとかがむき出しの人体模型がこっちを見てんだぞ。いくらなんでも、そんなとこで寝れるわけねえだろ?」
「いやぁ……、まあ、はい。そうですね。それは、申し訳ないです」
「そういうわけだからよ、俺は、ここで、な――」
 そこまで言って、ジャックさんは布団を敷いた床を指差した。
 そして、もう文句ねえよな? という感じで俺を見る。
「ここでよければ、遠慮なくどうぞ」
「おう」
 強面をつくってはいるけれど、しかし、そこから薄皮一枚を剥がしたら、お化けを怖がる子供のような顔が出てくるのだと思うと、どうにも憎めない。たとえ小雪を狙うライバルだとしても、なんだか、こう、本気で争うような相手には見えなくなってくるのだ。
 ただし、念のため、俺は訊いてみた。
「ここで寝て頂いても構わないんですけど、もしかして、私、ジャックさんの代わりに理科室に行った方がいいですかね?」
「えっ? なんで? 俺、そんなこと言ってねえし」
 だと思った。
「分かりました。じゃあ、一晩、ご一緒させて頂きますね」
「お、おう……」
「多分、いびきをかくと思うんで。すみません」
 俺は先に謝っておいた。ときどき小雪にいびきを指摘されているのだ。
「いいよ。俺も、かくと思うし。そういうの、お互い様じゃね?」
「じゃあ、良かったです」
 俺は、読みかけだった本を閉じて書棚に戻した。そして何気なく、続きは次回のツアーのときに読めばいいや……と思った刹那、うっかりため息をついてしまった。おそらく次はないということを思い出してしまったのだ。そんな俺の様子をジャックさんは訝しげに見ていた。
「なんだよ、あんた。疲れたのか?」
「え? あ、いや。大丈夫です」
「…………」
「すみません、本当に大丈夫ですから」
「ってか、その膝は?」
「え?」
「怪我してんじゃん」
 ジャックさんがいきなり話題を変えて、あぐらをかいていた俺の膝を指差した。
「ああ、これですか。じつは、昼間に自殺の名所に行ったじゃないですか」
「…………」
「あの岩場で、コケちゃって」
 モモちゃんが飛び込み自殺をしたと感違いしたときに、慌てて走って、コケて、膝を打って――そのとき、ズボンの生地が五ミリほど破れてしまったのだ。しかも、破れた生地のあたりに、一〇〇円玉サイズの血の染みができていた。
「けっこう、痛そうじゃん」
「わりと痛かったです。血はすぐに止まったんですけど、あざにはなってるんで。ほんと、情けないですけど」
 俺は、後頭部をぽりぽり掻いた。
 するとジャックさんは、なにも言わず後ろを向いたと思ったら、自分の旅行鞄のジッパーを開けた。そして、なかを掻き回して、一本のジーンズを引き出した。
「貸してやっから、履きなよ」
 手にしたジーンズを丸めて、俺の方にポイッと投げてよこす。
「え?」
 受け取って、ぽかんとしてしまう俺。
「そんな血のついたズボンじゃ、格好悪りいだろ?」
「え、でも」
 さすがに気が引けて、ためらっていると、
「あんた、痩せてっから、サイズは大丈夫じゃね? 試しに履いてみなよ」
 なんだよ、この青年。いい奴じゃん。
 俺は、内心でつぶやきながら、「じゃあ」と試着してみた。
「どう……ですかね?」
「けっこうロックでいいじゃん。あんな穴の空いたズボンなんて履いてねえで、ツアーのあいだは、それ履いてろよ」
「でも……」
「気にすんなって。俺の着替えは他にもあっから」
「いや……、っていうか、このジーンズの方が、たくさん」
 穴が空いていたのだ。
「え? ちげーよ、ナニ言ってんの。あんたのズボンは、コケて空いちまった穴だけど、そのジーンズはダメージ加工して、わざと穴を空けてんだって。だから、その穴は、お洒落なわけ」
「あはは。分かってます」
「はぁ? だったら、そんなこと言うなよ」
「あはは、すみません。冗談です。じゃあ、はい、遠慮なくお借りしますね」
 ジャックさんは、かすかに頷いたように見えた。
「ツアーが終わったら、ちゃんと洗濯して、ご自宅にお送りしますんで」
「いいよ、別に。洗濯なんて」
 照れ臭いのか、あえてぶっきらぼうな感じで言うジャックさんに、俺はますます好感を抱いてしまうのだった。
 それから俺たちは、それぞれ寝支度を調えて布団に入った。
 ジャックさんの強い希望で、部屋の照明を夜通し煌々と点けたまま寝るハメにはなったけれど、まあ、それはもはや仕方がない。とはいえ、布団をぴったり並べるのにはさすがに抵抗があるので、互いになるべく離して敷いた。
 男二人、背中を向け合った格好で黙っていると、壁に掛けられた時計が、コチ、コチ、コチ、と無機質な音を立てて主張しはじめる。その音が積み重なるにつれて、なんだか室内の空気がどんどん重たくなっていくような気がして、俺は耐え切れず口を開いた。
「ええと、ジャックさん、ご兄弟は?」
「は? 俺は、一人っ子だけど」
 ジャックさんは、布団のなか、向こうの壁を向いたまま答えた。俺も、反対側の壁を見つめている。
「そうですか。音楽は、いつからやられてるんですか?」
「これから、だけど」
 え? やってないの?
 俺は、双葉城址で耳にした、ジャックさんの音痴な鼻歌を思い出した。
「そ、そうなんですね」
「悪りいかよ」
「あ、いえ」
 ちっとも悪くは、ない。ただ、ちょっと意外なだけだ。
「あんた――、こんな歳になってから音楽の道に進もうだなんて言ってる俺のこと、阿呆だと思ってんだろ」
 なんとなく、ジャックさんの声色こわいろがしみったれている気がした。
「まさか。そんなこと、ないです」
 っていうか、「こんな歳」もなにも、そもそもジャックさんの年齢は「無限歳」じゃなかったのか? と突っ込みを入れたくなる。
「じゃあ、逆に訊くけどよ」
「あ、はい」
「あんたの実家、平和か?」
「え?」
 突拍子もない質問をされて、思わず俺は枕の上で頭を転がし、ジャックさんの方を向いた。ジャックさんはまだ、向こうの壁を向いていた。
「平和かって、訊いてんだけど」
「平和というか、まあ……、はい。うちの家族は仲がいい方だと思いますんで」
 小雪にファミコンと揶揄されるくらいにね、と胸裏で付け足す。
「ふうん」
「…………」
 それから少しの間、二人とも口を閉じたままだった。
 コチ、コチ、コチ……。
 時計の音だけが図書室のなかに降り積もっていく。
 空気が変に重たくなっていく。
 俺は、ため息にならないよう、深く、ゆっくりと鼻で呼吸をした。すると、書棚に並んだ年代物の本たちが放つ、ちょっと香ばしいような、豊かな匂いを感じた。
「俺んちはさ」
 思い出したように、ジャックさんがボソッと声を出した。
「はい」
「あんまり、平和じゃなかったわけよ」
「はい……」
 また、しばしの沈黙。
 コチ、コチ、コチ……。
 おそらく、ジャックさんの思考はいま、この時計の調べとともに過去の実家へと旅しているのではないか。そんな気がする。
 そして、その旅から帰って来ると、また口を開くのだ。
「俺、大学行くときも、就職するときも、ふつうの家みたいにはいかなくてさ」
「はい」
 こういうとき、聞き手はただ合いの手を入れるだけでいい。小雪がそう教えてくれた。
「学生時代は、一人暮らしもさせてもらえなかったしな」
「そうですか」
「実家にはさ、テレビもないんだぜ」ジャックさんの声のトーンが、昼間の朝顔みたいにしぼんでいく。「カラオケとか行ってもよ、俺だけ流行歌を知らねえから、周りの連中についていけなくてよ」
 このピアスだらけの青年が、そこまでの苦学生だったとは。
「金銭的な問題は、子供のせいじゃないですもんね」
「え? まあ、それは、そうだよな」
「私の知人は、奨学金で大学に通ったらしいんですけど、なかなか大変だったみたいです。頑張ってる人って、けっこういるんですよね」
 小雪のことを思い出しながら言った。
 すると、ジャックさんは、こちらに背中を向けたまま「あー、なんつーか」と声を出して、次の言葉を探しているようだった。そして、続けた。「悪りい、そうじゃねえんだよな」
「え?」
「俺んちは、まあ、それと真逆っつーの?」
「え?」
「だからさ、金が足りないんじゃなくて」
「……有りすぎって、ことですか?」
「まあ、そういうことだな」
 まったく否定する気はないらしい。ってことは――。
 俺は、背筋をピンと伸ばして優雅な風情を醸しながら食事をしていたジャックさんを思い出した。
「ご実家、かなりのお金持ちなんですか?」
「だからよ、それが問題だって言いてえわけ……」
「でも、さっき、テレビすらないって」
「あれは、俺の教育に良くないからって、親がテレビを買わなかったって話だよ」
 ジャックさんが、布団のなかでもぞもぞ身体を動かして、こちらを向いた。
「平和な家で育ったあんたには、分かんねえかも知んねえけどさ――」
 そんな前置きをしたジャックさんは、自分の生い立ちをちょっと照れくさそうにぼそぼそと話しはじめた。しゃべりながら、少しずつ鬱憤を吐き出しているようにも聞こえる。
 ジャックさんは、いわゆる大企業を創業した一家の「御曹司」で、一人っ子の跡継ぎとして幼少期から英才教育を受けさせられたそうだ。過大な親の期待に押しつぶされそうになりながら育ち、親の決めた小学校、中学、高校、大学へと進学し、就職先まで親の縁故で決められたという。そして、そんな窮屈な人生に、ジャックさんは鬱々としたものを抱えていたのだ。
 そんなジャックさんに運命の出会いが訪れたのは、ある春の夜のことだった。仕事帰りにとぼとぼと駅前の広場を通り抜けようとすると、そこに派手なモヒカン頭をしたパンク系のストリートミュージシャンがいた。彼は楽器すら持たず、ひたむきに一本のマイクに向かって思いの丈を吠えていた。立ち止まって聴くお客さんは、ほんの数人しかいないというのに。
 楽器も使わないなんて、変な奴だな。でも――。
 なんとなく気になって足を止めたとき、モヒカン頭はジャックさんをギロリ、と見据えた。そして、そのとき彼の口から飛び出したシャウトに――、
「俺は、ズキュン! って、胸を撃ち抜かれちまったわけよ」
 そう言って、ジャックさんは嘆息した。その瞬間の感動を思い出して、恍惚とした表情をしている。
「えっと、ちなみに、それって、どんな言葉だったんですか?」
 俺が訊くと、ジャックさんは、よくぞ訊いてくれた、と言わんばかりに目を爛々と光らせた。
「パンクでロッケンロールなあいつはよ、通りがかりのしょぼくれた俺の目をまっすぐ見て、いきなりこう吠えたわけよ」
「は、はい……」
「そこのあんた、たった一度きりの人生だろ? 小さくまとまってんじゃねえぞ! ってな」
「…………」
「しかもよ、その後、さらに続けてシャウトしやがったんだ」
「はあ……」
「誰かに敷かれたレールの上を行くなんて、まっぴら御免だぜ! てめえの行く道は、てめえの血と汗で作っていくんだぜ! ってよ」
 なんか、どこかで聞いたことがあるような……。
「どうよ? ヤベえよな、この台詞。あんたにも刺さっただろ?」
 ごめん。刺さらないよ。一ミリも。そう思いつつも、話の腰を折らないよう、俺は肯定してあげることにした。
「まあ、はい。刺さりますね」
「だよなぁ」嬉しそうに目を細めたジャックさんは、枕の上の頭で大きく頷いた。「正直、俺、その瞬間、雷に打たれたみてえになってさ、しばらくその場から動けなくなっちまったよ。いままでの俺は、ホント、小さくまとまっちまってたなぁって。んで、そっから俺は、あいつみてえに誰かの人生を根底から変えちまうような、イカしたパンクをやってやるぜって思ったわけよ」
「な、なるほど……。で、それはいつの――」
「だいたい二ヶ月前かな」
「え――」
 想像よりも、はるかに直近だった。なるほど、プロフィールに「予定」の二文字がつくのも頷ける。

(第18回につづく)



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プロフィール

森沢明夫
(もりさわ あきお)

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。