双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 8 回


 夕暮れ近く。――
 屋敷の表玄関に「奇妙なる来客」のある由、織田有楽斎は下人から告げられた。
 なんのことだ、と問い返しても、老いた下人はただただ「まことに珍妙なれば、まずは御一見くださりませ」としか言わず、こうべを垂れてしまう。
 わざわざ立ち上がる手間よりも、長年自分につき従ってきた僕の口ぶりへの一興のほうが、強かった。痛む腰をさすりながら、茶室を後にして廊下を渡れば――なるほど、たしかに珍妙だった。
 そこに控えていたのは、まずは、あの真田殿の息子と名乗る少年。その後ろには、年端もゆかぬ、薄汚れた子供たち。真田の手下てかなのか、賑やかしに雇い入れた三河萬歳なのか、はたまた近ごろ流行りの伊勢踊りがとうとう大坂まで押し寄せてきたのか……竹細工の仮面をかむる者あり、解けかけた帯と伴天連の合羽をまとう者あり、春をひさぐ女どもから盗んできたとしか思えぬような極彩色の薄衣をひきずっている者あり。
 飯が欲しいなら裏へ回れ……と屋敷の老主人は思わず口にしかけた。が、これをぐっと睨み上げて、真田幸村の息子はこう切り出したのである。
 ――織田有楽斎殿、貴殿は、畏れ多くも豊臣宗家を裏切り関東方に内通しておられるのでござりましょうや?

 四半刻と経たぬうちに。
「……いやはや、これほど笑ったのは久方ぶりだ。本能寺の一件以来かな」
 まだ横腹を抱えながら、有楽斎は、屋敷の奥にある縁側に腰かけたまま、目の前の広い庭に居並ぶ十人ほどの異装の子らと、ひどく真面目な顔つきの若武者ひとりを、眺めおろしていた。
 真田大助少年は、老人のいざないを断り、かたくなに屋敷に上がろうとしない。庭先に坐して、あいかわらず有楽斎を睨み上げている。もっとも、他の子供たちにはそのような決死の思いはないらしく、屋敷の下人たちが慌てて作ってきた粥を、それぞれの空き腹の中へ注ぎ込むのに忙しい。
「せめて茶の一口でも喫まぬか、真田の若君」
「けっこうでございます」
「やれやれ」
 有楽斎はこみあげてくる笑いを噛み殺す。そして、ふと空を見上げて、
「まだ月は出ておらぬが……まあ、これはこれで風流かな」
 有楽斎の屋敷は、本丸の西側、内堀から少しばかり北へ離れたところにあったが、ぐるりと樹々を生い茂らせているので、隣の家屋敷も見えず、二の丸の気配もなく、船場の喧騒も遠い。
 空は暗かった。東には夕闇が広がっていたが、その手前にそびえ立つ天守閣だけは、西の彼方に去ろうとする最後の陽を浴びて、と綺羅めいていた。
 いかにもこの城らしい、と有楽斎は思った。とうに己が盛りは過ぎ去ったというのに……あたりの樹々も、鳥たちも、時の流れに得心して大人しく闇の中で眠ろうとしているのに……この城だけは、夕陽のかけらをかき集め、と身にまとい、まだまだ老いてはおらぬ、死にはせぬ、とばかりに屹立している。
 死にとうないか。そうだろうな。死にとうはない。誰であれ。とりわけ、どこぞの誰かの都合とやらで殺されとうはないな。
「……有楽斎殿?」
「うむ、なんでもない」
 少年の問いかけに、老人はわざとらしくしわぶきを放つ。
「さて真田の若君――そなた、なにやら奇妙なる技をもちいて人々の虚言を次々と言い当てておるとか」
「いえ、そのような」
「謙遜は無用。風聞うわさは聞いておるよ」
 有楽斎は小さく頷きながら言う。風聞、風聞……さてはて、この一言をいくたび口にしたことか。桶狭間で、小谷城の後で、本能寺の後始末で、長久手の馬鹿騒ぎのあいだにも、そしてあの関ヶ原でも――。俺の生涯というのは、との長い戯れであったのかもしれん。なんとも長い付き合いだ、と老人は心底で嗤う。
「さほど役に立つ技にはござりません」
「がしかし、北の方さまは……あの千姫はそなたの上手い使い途を見つけたようだな。ゆえに我が屋敷を訪ねて参った。そうに違いない。それで? この有楽斎は内通者であったのかな? どうだ、見事に当ててみてはくれぬか。なにしろ寄る年波、近ごろは己が扇の置き処も忘れてしまうほどでな。ほとほと難儀しておる」
「……内通しておられるのですか?」
「しておらんよ。で?」
 あまりにもあっさりとした老人の口ぶりに、少年の隣に座る子供……たしか先ほど辰蔵とか呼ばれていた従者だ……が、粥の入った椀を手にしたまま大きく口を開いた。
 沈黙が続き――それから、思い出したように、潮風がと枝を揺らした。
「――嘘偽りではございませぬようで」
 ようやく少年は答える。
「御無礼をいたしました。後日改めて謝罪に参りますので、本日はこれにて」
 えっ、と辰蔵が今度は若き主人のほうを向き、それから慌てて椀を干そうとするのを、
「まあまあまあ。そう急かんでもよかろう」
 有楽斎老人は微笑しながら、皺だらけの手を上げて制した。
「さて、疑いが晴れたところで、ここはめでたく一座建立といきたいところだが……如何どうだね」
 少年は目を伏せる。頬が赤らんでいるように映るのは、はたして夕焼けのせいだけなのか。
 おかしな懐かしさのようなものが、有楽斎の肚のあたりをくすぐった。
 人の偽りを見抜くというが、この少年ときたら、己の思いを堂々と顔に出して隠そうともしない。
(そういえば、さきほど千姫の名を口にした際も……ふふ、あの頬の赤らめよう、さては惚れておるな)
 そうだ――と老人は回想した――昔は俺も、このようにまっすぐで、あからさまで、そして頑なだった。
 おそらくはあの細川幽斎殿も、我が師・利休居士も、駿府からこちらへ東海道をのぼってくる古狸めも、そうだったに違いない。誰もかれもが初めはそんなものだ。
 ――もっとも、太閤殿下は違ったかもしれんがな、と、老人はついつい声に出していた。
「まあ、それはよいわ。しかしせっかくの訪問おとない、もう一笑くらいは欲しいところ……と、織部めならば言いそうなところだが」
「おりべ、と仰りますと」
「古田織部だ。聞いたことくらいはあるだろう」
 少年は曖昧に相槌を打ち、老人はまた苦笑した。
「まあよい。そのうち嫌でも聞くことになるわい。運が良ければ相まみえるやもしれんぞ、真田殿」
「大助でけっこうでございます」
「よい、よい」
 有楽斎は首を振りながら、思い出話の続きでもするかのように、言葉を継いだ。
「古織の名で思い出した。俺も、ひとつ、そなたに訊いてみたいことがあるのだ」
「は。なんなりと」
「駿府の内府殿は……つまり徳川の御歴々は……なにゆえ我らが城を攻めんとしておるのか、御存知かな」
「問うまでもないこと」少年は即座に答える。「豊臣宗家を羨む関東の忘恩の徒が、この大坂を攻め滅ぼし、その財とその威光を掌中におさめ、天下の権を根こそぎ奪わんとしておるのです。その悪逆非道の――」
「ほう。非道とな。天下を一統するが罪だとてか」
 老人は、身を乗り出す。
「さてはて、これは困ったぞ。そうなると我が兄・織田上総はもちろんのこと、亡き太閤殿下も天下の大罪人ということになる。さては今ごろ、閻魔大王の御照覧のもと、仲良く煮立っておるところだな。ははは」
「天下一統は太閤殿下の御偉業、その簒奪こそ罪なりと申し上げております」
「そう硬くならんでもよい、若君。……いや、これはしたり。硬くなっておるのは俺のほうか。ここは大助と呼ばせてもらおう。そちらも俺のことは好きに呼ぶがよい。源五とでも、有の字とでもな」
 そう言って織田の老人は大声で笑った。
「さてさて、簒奪とな。これはますます面白い。では天地開闢以来、天下の権は豊臣に託されてきたのか。かほどに豊臣とは古き姓であったのか、とんと知らなんだ」
「それは――」
「そうではあるまい。そなたの大事な天下の権とやらは、ったり奪られたり、それこそ源平の昔から武家のあいだでと転がり、あちこち巡っておったのだ。いや全く、下手くそな蹴鞠のようにな。少しはどこかで落ち着いてほしいものだ」
「しかし――」
「まあ聞け」
 まだ一滴も呑んでおらんのに、俺の舌はずいぶんとよく回るな、と老人は思った。この少年が……まっすぐな若武者が、俺の裡に秘められていた何かを動かしているのか。
「まあ聞け、大助。
 そもそも、豊臣から奪うというが、しかし今の豊臣宗家のどこに権勢があるというのだ。それはまあ、確かに、なんの役にも立たん壺やら茶器やらはたんまりと残ってはいるが――山里の曲輪のほうに、たしか蔵がごっそり建っておるはずだ、よければそのうち案内あないさせるぞ――こたびの戦支度を御覧じるがよい。西国の大名はもちろんのこと、南は島津から福島まで、奥州は伊達から上杉まで、果てはあの佐竹にまで檄を飛ばしはしたものの、やって来たのは長宗我部ただ一人……いやいや、あれはしばらく前から国持ちでなくなっとるから、まあ頭数には入らんな。
 天下の権とやらは、今にして思えば、あの関ヶ原の折にほぼ決まっておったようなものだ。でなければ、そののち、内府殿が源氏長者となった日にな。もう十一年も前のことだ」
「忠義のつわものは、数多く馳せ参じております。今もなお……」
「参じた者なら誰であれ黄金がたんまり頂戴できる、というのだから、それはそうだろうさ」
「……有楽殿は、われらを愚弄いたす御所存にございますか!?」
 そうではない、と老人の唇が動きかけ、そして途中で止まった。
 それとも、そうなのだろうか。
 では俺は誰を愚弄しているのだろう。黄金目当てに津々浦々から集まってきた有象無象か。過ぎ去った陽の名残を忘れられずにいる古強者たちか。それとも、そんな彼らを眺めつつ、他に流れてゆく処もなければ算段つもりもない、己自身か。
 ――真田の郎党の忠心を疑うておるのではない、と有楽斎は言葉を継いだ。
「俺がそなたに訊きたいのは、そのことではないぞ。権勢は、確かに豊臣のもとには無い。かつてほどには、もはや無い。がしかし――徳川は、関東の武者たちは、我らのもとへ攻めのぼらんとしている。今この時に……源氏長者に任ぜられて名実ともに全国の武家の棟梁となった十一年前でなく……あるいは秀頼公と二条城にて対面し、その成長ぶりを目の当たりにした三年前でもなく……徳川方は?」
「それは……それはつまり……」
 少年が、答えを絞り出すまでにしばらくかかった。
「それは、あの方広寺の一件がゆえにござります」
「ほほう。方広寺か。ふむふむ、そうとも、失念しておったわ。それに違いあるまい。では、あの鐘はその一件の後に如何なった」
「――は?」
「鐘だ」有楽斎の声は、心なしか、小さくなっていた。「畏れ多くも内府殿を呪詛し奉ったとかいう、あの鐘だ。あれはもちろん鋳潰されたのであろうな」
「…………」
「なにしろ呪詛だからな。事が露見したからというて、効き目が薄れるものでもあるまい。そのままにしておいては内府殿の御命が危ないぞ。いやはや、まさしく天下の一大事だ」
「それは……存じ上げません」
 だろうな、と有楽斎は思った。
 だが、このうぶな少年と違って、俺は知っている。あの鐘は今もまだ残っているし、寺のほうも駿府から特段の咎めを受けていない。鐘の銘文に適当な難癖をつけた京の五山の坊主どもも、そのあたりは忘れ去ったように黙っている。
 まるで、出来の悪い能役者をさっさと舞台から追い払い、次の演し物を待ちかねる見物人たちのように。
(そうだ、演し物だ……)
 有楽斎は唇を噛んだ。何もかも、くだらぬ演し物だ。崇伝か、あるいは天海僧正あたりの思いつきそうなことだ。
 単に大坂を咎め立てるならば、南蛮の伴天連どもが不穏な企みをしておる、とでも言えばよいだけなのに。
 実際、ほんの二年前には例の岡本大八の一件があり、続いて昨年は大久保長安の騒動があり、この正月には大久保忠隣ただちかがいきなり改易され、 過ぐる六月には京で吉利支丹きりしたんどもが大暴れをしたという。それかあらぬか、このところ幕閣の筆先は、禁令やら追放令やらの大盤振る舞いだ。
 大坂を攻めたいのならば、「吉利支丹」の一言でじゅうぶんだ。
 それなのに……わざと、とうてい辻褄の合いそうにない鐘銘のことを表に押し立て、関東の連中は大坂と駿府のあいだに火花を散らそうと仕掛けてきたのだ――おまけに、それが見事に飛び火して、溜まりに溜まった火薬がいよいよ燃え上がろうとしている。
 くだらん、と老人は心底で叫んだ。なにもかもくだらん見せかけだ。
「こたびの戦はな……」彼の喉からは、しかし、それとは異なる言葉が漏れた。「……なにもかも城のせいだ。城が――城というものが――変わってしまったのだよ」


(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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