双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 5 回


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 山里丸へ、と若武者は行き先を告げてはいたが、いったいどれほど歩いただろうか、すでに大助には見当もつかなくなっている。
 この〈御城〉は、どれほどおおきいというのか? 半日、いや、もしかすると三日三晩歩き続けても、端から端まで辿り着かないのではないか?
 と。――
「ご覧めされい」
 大助の目眩が、ふたたび我慢できぬほど激しくなった 頃合いを見計らったような若武者の声に、少年は目をあげた。そして、またしても息を呑んだ。
 美しい庭園が彼らの前にあった。
 燃えあがるような紅葉が、すべてに覆いかぶさり、池や、灯篭や、竹林や、その他あらゆる色と形を支配していた。
 秋の盛り。その中にかいま見える冬の兆し。なにかが終わり、そして始まる寸前の、捉えようもないはずのその刹那が、この広大な庭園に、たしかに捕われている。いや――あるいは刹那のほうが庭園を、さらには〈御城〉そのものを捕えて離さない……とさえ想わせる、その美しさ。
〈高野〉にも、もちろん秋の紅葉はあり、見事な四季の衣替えはあり、いくたびも大助少年はそのうつり変わるさまを見てきた。見てきたつもりだった。
 だがしかし。
 まことに心の底から、その実相を感じたことはなかったのだ――と、今このとき初めて、少年は悟った。
「さ、こちらへ」
 木村重成の声が優しくうながすまま、巧みに配された茂みと小川を越えて、大助は……先程までのおぼつかなさとは異なる理由で……ふらふらと、右に左にゆれながら、進んでいった。
 どれほど歩を進めたことか。やがて、紅葉にぐるりと囲まれた水辺の平らかな一角に、一群の人影を少年は認めた。
 野点というやつか、と大助は数回まばたきをしてから気づいた。話には聞いていたが、なるほどこういう次第になっているのか。風雅、という言葉と同時に、たいそう手間がかかっている、と思わずにいられない。茶というものは、祖父や父がそうしていたように、狭い室内で手早くみ、そのあとは酒を舐めつつ四方山話に花を咲かせるというのが、少年の見知っている唯一の手順だった。
 ところが、いま眼前には、室内にあるあらゆるもの……それこそ茶釜から火種から敷物から、そのほか呼び名も知らぬ不思議なかたちをした道具から、さらには壁や屋根の代わりとなるものまで並んでいる。これらを、わざわざ庭の直中ただなかへ運び出し、きちんと設え、いっさい乱れなく配置し、そのうえ雨風にも粗相をさせぬよう気を配り――そうだ、きちんと天候を読まねばこのような風流は立ちゆかぬぞ、と少年は想った――この一座を終えたらば後始末もせねばならぬだろう。
 この、実に手の込んだ組み立ての前……優雅に腰をおろす女房たちと、護衛の武者らに、左右をはさまれるようにして、秀頼公と千姫のすがたがあった。

「遅参のほど、なにとぞ御容赦を」
 重成が一礼しつつ、左の武者の列の端に座る。
 あわてて大助もその隣、末席(と思しきあたり)に正座し、額を敷物(それが毛氈と呼ばれるものだと彼は後ほど教わることになる)に擦りつけた。
 と。
「――よい」
 声なのか、それとも鈍重な獣の唸りなのかわからぬような、低く短い音が、聞こえたような気がした。
 動かずにそのまま伏せていると、隣の重成が、かすかに少年の袖に触れつつ、
 ――おもてを上げよ、との殿下の仰せにござりまする。
 と、ささやいた。
 それでも大助は動かなかった。いや、動けなかった。
 なにしろ相手は、正二位、さきの右大臣、豊氏長者にしてこの巨大な〈御城〉の主人あるじ、秀頼殿下その人なのだ。
「よいと言うておるに」
 今度は、はっきりと聞こえた。
 怒り、というのではなく、目の前の羽虫を無造作に追い払うような……その、あまりにもたびたび繰り返されてきた不快さにすっかり慣れてしまった己自身を嗤うような響きが、ふくまれていた。
 大助はこうべを上げた。
 上座には、上背のある、ひどく肥満した……むしろ膨らみすぎてしまったと形容すべきだろうか……青年が、これ以上ないほど公家風に着飾っていた。
 そして、その隣。
 御台所さま、すなわち秀頼公の妻君であらせられる千の方さまは――これまた夫君以上にたっぷりと白粉を、痩せこけたかんばせに塗りたくり、紅を用い、十二単の重さに押し潰されそうになりながら、それでもなんとかまっすぐに座ろうと四苦八苦している。
 大助は何も言わなかった。
 沈黙をやぶったのは、姫君のほうだった。
 ほほほ――と、扇の陰から、大きな笑い声がふりそそいだかと思うと、
「如何した、真田大助とやら。そのように硬くならずともよいぞ。それとも……おぬしも、わらわの美しさに見とれて、ものが言えぬか」
「は――」
「ほほ、苦しゅうない、近う」
「……」
「近う寄れと言うに」
「は」
 少年は腰を上げ、静かに前に進みつつ、すばやく左右を見まわした。
 彼をここまで導いてきた美しい若武者は、左側にずらりと並ぶ十名ほどの護衛たちと同じく、まっすぐに前を見たまま、少しも動かない。
 右の女御たちは、目を伏せ、頭を垂れて微動だにせず、ただ幾つかの髪飾りと、細い後れ毛が、秋の風に揺れるばかり。
 大助は深々と一礼した。
 眼前に、姫君の、招くように差し出された太い指先があった。
「さ、もっと近う寄れ……申してみよ。わらわは、千は、美しいかや?」
「いいえ」
 大助は、一息で言い放った。
「その御化粧は濃すぎ、その御衣も御似合いではござりませぬ。ただ、この御手は美しうござります……そちらの、右におわしまするに長く尽くしてこられた、忠義の御手にございます」
 あっ――と、漏れかけた声を、誰かが抑えた。
 少年は微笑みながら、
「北の方さまには御尊顔を拝したてまつり恐悦至極」
 くるりと右向きに座り直し、これまで以上に深く頭を下げた。
「――ははは、これはわれらの負けじゃな、於千おせん!」
 朗らかな笑い声が響いた。
 大助の背後……重成の隣に座していた武者が軽やかに立ち上がった。と同時に、護衛役の男たちも、上座の大柄な青年も、一斉に平伏する。
「ああ、それは良いと言うに。一座建立、一切上も下も無し」
「しかし、殿下!」
 高く、美しい、しかし明らかに不満げな声が、大助の目の前で頬をあからめている女房のひとり――のふりをしていた千姫の口から発せられた。
「於千、そなたは怒ったほうが愛い顔になるのう」
 上座にむかって大股で歩きながら、前右大臣・豊臣秀頼公は楽しそうに言った。「したが負けは負け、座興は座興、そのように気色ばってしもうては、そのうまかんばせも……うむ、そうじゃ、あの真っ赤な紅葉のように散ってしまうぞ。ははは」
 大助は、大きく目を見開いたまま、主君の姿を仰ぎ見る。
 背は高い。
 大助は父・信繁よりもひと回り大きかったが、それよりもさらに頭ひとつ上背がある。
 がしかし、さきほどまで秀頼公をよそおっていた巨大な青年よりはずいぶん低く、また肥えてもいない。むしろ、引き締まったその身、そして軽やかな動きからして、常日頃の鍛錬を欠かしておらぬことは間違いない。
「真田の――うむ、大助とやら」
「は」
「よくぞ見抜いたな。気に入った」若き君主は上座に腰をおろしながら言う。「いつ気づいた……いや、どこで我が悪戯は露見した。これまで、我が座興に付き合わされた者たちの多くは阿諛追従で切り抜けようとするか、さもなくば赤面したまま動かざるばかりで――美事に立ち振る舞ったのは、ほんの数えるほど――ふむ、そちらの重成めも、その一人だが、これは我が乳兄弟ゆえ同じ土俵に置いて較べてしもうては少々卑怯。そうであるな、重成」
「殿下の仰せの通りにござりまする」
 重成は、涼しい面持ちのまま頭をさげる。
 秀頼が小さくうなずき、言葉を継いだ。
「ここまで素早く見抜かれたのは初めてのこと。して大助、我が仕掛けの那辺に瑕疵を見つけた。化粧がつたなかったか。それとも逆に、大仰に過ぎたか。女房のいずれかが思わず笑みを漏らしていたか。なに、その者を罰しようというのではない。ただ知りたいのだ。……申すがよい」
「は、それでは――」
 少年は平伏し、そのまま、
「いずれの方々も美事な御振る舞い、少しも見咎める節はございません。ただ一つ、そちらの……北の方さまに扮しておられた方の、指先に、槍を扱う者ならではの跡がございましたので――」
「それだけでは分かるまい」巨城の主は言った。「千も武家の生まれ、槍をたしなむこともあろう」
「――はい。まさしく仰せの通り。指のことは、わたくしが耳をそばだてた切っ掛けにすぎませぬ。もしも万一、瑕疵ありといたしますならば、それはこの真田大助の生まれに依るもの」
「ほう?」
「高野山は九度山に生を享けて十四年、この身は山に暮らし、山を奔り、その他の道を知らぬまま。目にしたるは山の樹々、友と成したるは山の鳥獣。
 殿下……樹々は嘘をつきませぬ。鳥も、獣も、嘘はつきませぬ。誑ることはあろうとも、言葉を隠し、想いを伏せるなどは、けっして。それゆえか否か、わたくしはいつのまにか、嘘いつわりを申す者を目の当たりにした折には――」
「なんと」
 上座の若き君主は、膝をつ。
「なるほど真田の家の者は奇妙なりと耳にしてはおったが。おぬし――大助とやら。さては、おぬしは」
「――はい。なぜかしらこの身が震え、その者がまことを口にしておらぬことを悟れるようになりましてござります」

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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