双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 4 回


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 真田大助に、〈殿下〉より直々のお召しがあったのは、翌朝、まだ日も昇るか昇らぬかという時分のことだった。
 現れたのは、小者を二人ほど連れた、若い武者である。
 美麗というのはこのような若者のことを指すのだろうか。歳の頃は二十をすこし過ぎたくらい。平装ではあるが、どこか艶やかさがある。かといって華美には流れず、造り物めいた硬さもなく……まるで今朝たまたま咲いたばかりの野辺の花を一輪、そのまま若者に仕立て上げたかのよう。
 衆道、という言葉を耳にしたことはあっても仔細など知らぬ、そんな大助でさえ己の頬が微かに火照るのに気づいた。
 木村長門守重成と名乗ったその若武者は、口上を述べたのちに、
 ――真田の殿におかれましては、正午に、大手門より表御殿のほうへ……御子息殿は、今からが、玉造口のほうより案内あないいたします。
 と、応対に表へ出てきた大助たちの右手……すなわち〈御城〉の東南の隅のほうに、そっと目をやった。
 真田の一党は、昨夕、惣構の内では〈御城〉の堀に近いあたりの、空いていた屋敷をあてがわれている。立派な門構えで、屋敷自体も左右に広く、百人の荒くれ男が楽々と一晩を過ごせた。が、塀のそこかしこが崩れて穴が開き、天井にも雨漏りの跡が多い。どうやら、ずらりと並んだ武家屋敷のいずれもが、同じように、数年前からあるじ無しのまま荒れるに任せていたようだった。
(我らの配された処は、それでもまだ具合の良いほうなのだろう……いや、あるいは逆に、とびきりの廃屋なのだろうか)
 ここはひとつ、近くの屋敷を調べてみるか――と思っていた矢先の、このお召しである。
 あわてて支度をととのえ、急いで角じいに呼ばれてやってきた足軽二人を従えて、大助少年は若武者の後ろを歩き出す。
 正面に、朝日がまぶしく昇ってきたのは、玉造口とやらにたどり着いた頃だった。

 大きな門をくぐると、まず右に折れ、すぐ左に折れて、さらにもういちど右に折れたあたりで、
(なるほど、これが虎口というやつか)
 と合点する大助の前に、突然、まっすぐに北へとのびる緩い下り坂があらわれた。
 少年は息を呑んだ。そして、呑んだ己がなんとも恥ずかしく思われた。
如何いかがなされた、真田の若君」
 二歩ほど先をゆく若武者が、そっと歩みを止める。動きに無駄がない。背後にいる大助の気配を察して、しかしそれを咎める風は微塵もなく、やさしく気づかう声色が耳に心地よい。
 なるほど、これは大した武者ぶりだ――と、あらためて少年は察した。ならば弓馬の腕前も、相当なものに違いない。この若さで、あるいは禅の奥義すら極めているのかもしれない。
「いえ。〈御城〉に見惚れて、我を忘れてしまいました。御無礼お許しください」
「はは、むしろ重畳」
 と木村重成は破顔した。
「それがしも、御城のあちこちをそぞろ歩いておりますと、亡き太閤殿下の偉業のあまりに大なるを痛感して、思わず涙することが一再ならずござります。若君には初めての登城なれば、より一層……」
「まさしく」
 大助は頷く。そして、あらためて周囲を見わたす。
 右には大きな堀、左は石垣。
 堀は幅広く、真田の一党が昨晩あてがわれた例の屋敷をここへ運び、縦に三つ四つ並べたとしても、はたして向こう岸まで届くかどうか。水はどこまでも静かにきらめき、ところどころに海鳥らしき小さな黒い粒が浮かぶ。坂を下るにつれ、水面の輝きは高くなってゆく塀のむこうへと姿を隠し、ただ時おり、水音だけが聞こえてきた。
 いっぽう石垣のほうは、天をめざして滑らかにせり上がる――巨大な岩が、さらに巨大な岩と組み合わさり、あちこちにできるはずの隙間はすべて大小の石で埋め尽くされて、ひと連なりの氷であると言われても信じてしまいそうになる。
 それだけでも充分におおきいのだが、その石垣の滑らかさを北へ北へと目で追ってゆけば、そこには、あの黒々とした天守がそびえ立つ。これだけ近づいても、まだ遠く、そしてひたすらに高い。
 なんということだろう、と大助は思った。すべて、これらは人の手が造りあげたものなのだ。
 ひとりの人物が、幾万幾十万の者たちに命じて、造らせたものなのだ。
「では参りましょうか、若君」
「長門守殿――」気を落ち着かせてから、少年は言った。「どうかわたくしのことは、大助、と」
「いや、そのような」
「ですがわたくしは無位無官、たしかに真田左衛門佐の嫡子ではありますが、未だ初陣も果たせておらぬ身なれば」
「されば」若武者は微笑みながら、「それがしのことも、重成、とお呼びくだされ。なにしろこちらも戦を知らぬ若輩者ゆえ、そこは五分と五分」
 しかし無官の者と長門守との間でそのようなことは、と抗弁する少年を軽くいなして、木村重成は、ここで問答を続けていては遅れてしまいますぞ、と歩き始める。
 ――が、坂を下りきったところ、大きな井戸のある手前で、若武者の動きが、ぴたりと止まった。水を汲みに来たらしい女房たちと、井戸の向こうの木戸番が、いぶかしげに一行を見ている。
 若武者は、静かな声で、
「大助殿。足許が」
 少年の歩みが先ほどから右へ左へと乱れている……と察した彼の差し出す手をつかもうとして、かえって、ふらりと少年は倒れかけ、そのまま片膝をついた。
「はい……いえ……このようにまっすぐな道を進むのは、初めてのことなので」
 たどたどしく、大助は応える。
 そのたどたどしさは、たしかに、平坦な道をこれほどまでに長く歩き続けたためが半分、しかし残り半分は羞恥のためだった。
(武家たるものが、膝をつこうとは!)
 大助は思わず下唇を噛んだ。
「道が……」重成が、ふと眉を寄せた。そして、「……おお成る程、左様なことが。これはそれがしの不調法。少し休まれるがよい」
 あい済みませぬ、と井戸の脇へ腰を下ろしながら、少年は、片手を額に当てた。
(まっすぐな道……いや、それだけではない)
 確かに、生まれてこのかた、山道ばかりを歩いてきた。が、それでも〈高野〉の山道も曲がりくねったものばかりではない。九度山の屋敷の中にも、平たい廊下は幾つもあった。
 人の手だ、と少年は気づいていた。
 これほどまでに、何もかもがものばかりという処を初めて訪れ、すでに半日も経っている。
 いや、その前から……昨日、寺を出立して、〈御城〉へむかってひたすらに道を進んだあたりから……彼のまわりには草木が減り、代わって垣根や築地塀が、橋が、柵が、堀が、石垣が取り囲み出したのだ。
(なにもかもが、造られている)
 人の想いが込められて、人の手が組み立てて。
(酒ならぬ、城に酔うたか)
 わたしはまだ何も知らぬのだ、と少年は強く思った。無位無官? それどころか!
「そういえば――」
 若武者が井戸水で冷やした手ぬぐいを無言で差し出すのを、一礼して受け取り、大きく息を吸ってから……大助は、己の無様な態が話題にのぼらぬうちにと、昨日から気になっていたことを、できるだけ何気なく口にしてみた。
「――御城下に馳せ参じなされた方々のなかに、傷のある若い男は、おられませなんだか」
「傷?」
「頬のこのあたりに……そう、ヤモリのような傷のある」
「はて」
 若武者は、しばし腕を組む。
「若い、と申されましたか」
「はい。おそらくは長門守殿よりも若い。虚無僧のなりをしておりましたが、あの動きは相当に太刀を扱い慣れたもので」
「重成、とお呼びくだされ」
 彼は苦笑してから、腕組みをしたまま、淀みなく、まるで和歌みそひともじでも一首組み立てようとでもいう風に、さわやかな朝の空を見上げた。
「虚無僧……の装いでわざわざ入城する者は、さて、なかなか心当たりがございませぬ。参集したる諸将はもちろん、その御家中も、いざこのときとばかりに着飾って参りますがゆえ。かといって諸国の牢人であれば、なおのこと――それに、牢人者であれば具足一式、背負うているはず。その虚無僧は、荷を如何いかがしておったのですか」
「いや、背には何もなく……ただ、おそらくは手下てかの者を、十二、三人ほど、引きつれておりました」
「おそらく?」
「その虚無僧をひそかに護るようにして、これもまた相当の手練れと思しき者どもが……まわりを囲んでおりましたが、しかし一見、縁もゆかりもない見物人を装っておりました」
「成る程」
「どなたか、お心当たりは」
「いや」若武者はかすかに首を左右に振る。「十人も配下がおるならば、牢人であればまっすぐに大手門へ駆け込んで、我こそは何の何某と名乗りをあげるはず……さもなければ金が配分されませぬからな。といって、いずれかの御家中であれば、あのような騒ぎをおこしている暇はない。ましてや虚無僧のなりとなれば」
 騒ぎ、という一言に大助は、はたと気づいた。
「昨日の一件を既に御承知で」
「御城の中のことは、すべて殿下の御耳に届きますれば」若武者の微笑み。「いや、届かせる――のが、それがしの役目なれば」
「お恥ずかしい限りです。あのような醜態を〈御城〉の中で」
 大助は、いったい自分が赤面するのは今朝だけで何度めだろうと思いつつ、こうべを垂れた。
「や、そのような意味では……それはともかく、その虚無僧。それがしの案ずるに、十中八九、あちらの手の者でしょうな」
「あちらの?」
「徳川の」
 短い、ほんの短いその名前に、すべてが言い尽くされていた。
 大助は黙ったまま、まっすぐに若武者の、傷ひとつない美しいかんばせを見つめた。
「すでに戦は始まっておるのですよ、大助殿」

 井戸を離れて、さらに北へむかうと、こんどは先程よりも少しばかり傾斜のある上り坂となった。
 歩きながら、大助少年は、もうひとつ思い出したことを訊ねてみた。
「丸に十文字の紋といえば、いずれの御家にござりましょう」
「島津、でしょうかな」
 こちらの問いにはすぐに答えが返ってきた。
「こたびの……東西手切れとなりたる直後でしたか、たしか修理しゆり殿が――つまり大野治長殿のことですが――薩摩のほうへ、殿下に御味方するよう御誘いをかけておりましたはず」
「それはまことですか」
「なにゆえ、十文字の家紋のことを?――いずこかでご覧になったのですか」
 重成が問い返した。あくまでも優しい、まるで春風のような口調で。
 しかし、目元は笑っていなかった。
「いや……いえ、何でもございません」
 どうしたわけか、大助はそれを九度山で見たということを、告げられなかった。と同時に、己の中で〈この山〉がすっかり遠くなっているのを感じていた。

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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