双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 24 回


 痛みがすべてを打ち消した。
 巨大な龍も、千姫の御手も、平らかなる御世も、なにもかもが腿の激痛によって押し流された。
 熱い。汗が目に入る。鞍が痛い。鎧が重い。なにもかもが揺れる。
(落馬――!)
 歓声か、悲鳴か、いずれともつかない大声が、大助の全身を掴んだ。
 目の前に黒い雲がひろがり、かと思うと後方へと流れ去る。違う。雲ではない……味方が放った無数の矢だ!
「放てぇっ!」
 種子島の列が一斉に火を噴く。と同時に、
「――御帰城! 御曹子、無事御帰城っ!」
 野太い声。
 真正面の坂の上に大きな木戸が見えた、かと思う間もあらばこそ、大助を乗せた若駒と、それを護るようにして左右から寄せていた騎馬の一群は、砦のうちに滑り込み、すぐさま大勢の男女の臭いにとり囲まれ、馬上から運びおろされ、鎧を外され、汗を拭かれ、せわしなく傷を診ようとする若い女たちの群れが七郎右衛門と角じいによって追い払われ、柄杓の水が差し出され、粥と味噌の香りがその後に続き、喝采と銃声が交わり、ようやく目眩がおさまったころには、大助は――いや、若き武将・真田幸昌は、己が〈真田丸〉の中ほどに座らされて四方八方から老若男女の笑顔と歓声に包まれていることに気がついた。
「敵将首、三つ!」
 人垣のむこうで、七郎右衛門が、太い槍を天高く突き上げながら叫んでいるようだった。
「御曹子が初陣で首を三つじゃ、ほれほれ!」
 槍の先には、赤黒い染みのある布にくるまれた、丸いものが三つ、ぶらりと垂れ下がっていた。
「それは――」
 大助が何かを言おうとしたが、隣の誰かが素早く口を塞いだ。
 角じいだった。
「角じい、あれは私の手柄では……」
「まあまあ、若さま」
 老人は泣き顔にも似た笑顔で、幾度もうなずきながら、言った。
「縁起物でござりますから、まあまあ、ここはひとつ、そういうことで、ええ。いや目出度や、目出度や!」
 そういうこととは如何いうことなのだ、と大助は言おうとしたが、やがてあきらめた。
 見渡すかぎり――いや、むしろ何一つ見渡せぬほどに、砦の中は、傷だらけの男たちや、足早に桶や籠を担いで走り回る女たちや、皺だらけのおきなや、甲高い声を出すおうなや、良い香りのする若い娘たちでごった返し、そのいずれもが、通り過ぎざまに大助のほうを見つめては、
 ――御曹子! 御曹子!
 ――幸昌さま!
 と、声を立て、笑みを浮かべ、喝采を浴びせてくるのだ。
 童たちも、同じように、座り込んだままの大助のまわりを右に左に駆け回っていたが、こちらは口々に、
 ――ほうれ、御味方勝利、御味方勝利! ありがたい真田大明神のお札や、今なら三枚で二文やで!
 ――煎じて呑んだったら万病に効くでえ!
 ――おらぁ道あけろや、新品まっさら、本日できたばっかりのお札や! 真田の御曹子の手形入りやぞ、うたり買うたりぃ!
 と叫びながら、すっかり商いに夢中で、大助のほうを見向きもしない。
(やれやれ)
 これが初陣か、と息をついたとたん……我が身の疲れと、熱と、震えとに、大助は気づかされた。
(これが……戦なのだな)
 引きも切らずに押し寄せては、口々に祝いの言葉を述べる者たち――真田累代の家臣たち、上田から駆けつけた老兵たち、そして九度山にまで付き従った男たち――を眺めながら、どこかしら静かな想いが、真田大助幸昌の体の芯を、流れていった。
「大助……いや、幸昌よ」
 気がつけば、目の前に立っていたのはただ一人、父だけだった。
 かたわらに控えていた角じいは、あふれる涙を拭きもせず、皺だらけの顔が雨に打たれたようになっている。
「父上」
「よい」
 立ち上がろうとした大助を右手で制して、真田信繁は、つぶやくように告げた。
「ようやった。よう戻ったな」
「はい」
「如何だ、戦は」
「はい――いいえ――未だ分かりませぬ」
 偽りのない一言が、うら若き武将の口をついて出た。
「ただ、ひとつだけ……」
「うむ?」
「……この、幸昌、という名乗りは、もう少々なんとかなりませぬか?」
「なんだ、嫌か?」
 信繁はちょっと困ったような顔になる。
「いえ、嫌ではありませぬが、その――これはお祖父様の名をひっくり返しただけではなかろうかと」
「悪くなかろう」
「それはそうですが、しかし」
 できれば、私は、父上の一文字を頂戴したかったのです――と大助は言おうとしたが、その前に、目の前に立つ信繁が言ったのである。
「我が父・昌幸から一字、そしてこのから一字で、幸昌だ」
 短い沈黙。
 そして二人の武将は――真田親子は、どちらからともなく笑い出した。

「さて、まだ陽は高い。戦は続くぞ」
 そう言ってが歩み去り、家臣たちも、雑兵も、娘たちもそれに倣ってあちこちへと駆けてゆき……その時になって、大助は、あることに気がついた。
「待て、そこの――」
 目の前を通り過ぎようとした、大きな竹の仮面をかむった子供……大助は名前を思い出そうとしたが、なぜか叶わなかった……に、彼は声をかける。
「辰はどこにいる。戎橋の辰蔵は。見かけぬようだが」
「ああ? 辰やんなら、あっちゃやろ」
「あっち、とは何処だ」
「あっちゃいうんは、あっちゃや」
 仮面の下からあらわれた、思いのほか細い手が示したのは……〈御城〉の方角だった。
 大坂城、追手門前。
「おう、じっちゃん、まだ生きたはるかあ?」
 〈戎橋の辰〉は、腹に巻いた銭の束をと鳴らしながら、門のかたわらで転寝をしている「門番」の老人に声をかけた。
「おう、わしゃ死なんぞ……わしゃあ、まだまだ――なんや、辰かい」
「そら御挨拶やなぁ。まあええわ、今日はわしのほうが客やさかいな――ほれ、約束のもん持って来たで」
 辰は、あたりを見回しながら、素早く銭の束を腰から外す。
「きっちり残りの二貫、これで終いや。さ、案内してもらおか」
「ふん」
 老人は、片目をつむり、震える指先で銭の数を数えてゆく。
「なんしとんねん、じっちゃん! そんなん天秤で量りよったらええやんけ。ちゃっちゃっと、ちゃっちゃっと!」
「じゃかあしいわい、こういう事には手順ちうのがあんねん――おし、ほんでもって……と。よっしゃ」
 ようやく数え終わったらしく、老人は、皺だらけの細い腕を左右に振って、近くの辻に座って博奕を愉しんでいた数人の男たちを呼び寄せた。
 その中のひとり……古ぼけた琵琶を後生大事にかかえた盲目の法師に、なにごとかを告げる。と、その琵琶法師は小さくうなずき、辰のいるほうにむかって、手を差し伸べた。
「なんやねん」
「こやつが案内人じゃ。手ぇ離したらあかんぞ。帰ってこれなくなりよるからな」
 そう言って、老人は笑い出した。欠けた歯が、蜃気楼のようにあらわれては消えた。琵琶法師も、博奕の男たちも、つられて笑い出した。
「けっ」
 辰が地面に唾を吐く――と、その時、どこか遠くから、種子島の放たれる鋭い音と、派手な鬨の声が響いてきた。
「おうおう、派手にやっとるのう」
 辰は、軽くふりかえりながら、つぶやいた。「さすがは真田大明神はんや。さて、わしもがんばらな」
 そして、盲目の琵琶法師に手を引かれるまま、〈戎橋の辰〉は、追手門の右手をしばらく進んだところにある石垣の、一目見ただけでは気づかれることのない細い隙間へ……そのむこうに黒々とひろがる深い穴へと、潜り込んでいったのである。――
 同じ頃、茶臼山――徳川家康本陣の、奥まった一角。
「……一体なにをやっておるのだ! 痴れ者どもが!」
 本多正純の罵声が、茶臼山の隅から隅まで響き渡った。
「あの真田の砦にむかって、大御所様の下知も待たずに……それどころか何の備えもせずに……焦って攻め込むとは! しかも前田のみならず、その他の将兵まで右往左往、負傷に敗退、兵糧は無駄に浪費、あまつさえ敵方の評判を上げてしまうとは!」
 とても五十過ぎとは思われないほどの力強い声である。
 が、当人はすぐに再び腰を下ろし、弱々しく肩を落とした。
 眼前に積まれた、今朝からの戦の次第をしらせる文書の山にむかって痴れ者呼ばわりしても事態は改善しないことを、彼は、誰よりもわきまえていた。
(なんということだ……これでは、この戦は我らの負けに終わるやもしれん)
 正純は、額に手を当てた。
(我らは負けて……そうして、ふたたび、あの荒れた山と泥だらけの野に戻るのだろうか?)
 まさか。
 しかし、他にどのような道があるというのだ?
 ――三河もんは、泥田もん。
 昔から、そう言われてきたし、じぶんたちでもお互いにそのように自嘲してきたものだ。
 三河は貧しい。
 どこまでいっても丘と山、崖と坂、さもなくば泥の野だ。
 山はまだいい。木の実もあれば獣もいる。おとなしく暮らそうと思えば、できなくもない――野盗と、山犬の群れと、腹を空かせた童たちさえ増えなければ。
 では野や原はどうだ。大水、暴れ川、土砂、雨に大風、かと思えば旱が襲いかかる。
 生き残るとしたら、せいぜい、あちこち旅をしながら商いをするくらいだ。
 三河で、戦なんぞするものではない。どころか、する気力もない。がしかし、しなければ飢えるし、飢えかけた連中が四方八方から仕掛けてくる。
 だから戦う。そして殺し合う。村と村が、親と子が、兄と弟が。
 それが三河者であるということだったのだ――松平の家に、いや徳川の一門に、家康公があらわれるまでは。
 そこで彼らは……三河の武士たちは、彼に賭けたのだ。
 仏を捨て、欣求浄土の夢を捨て、命を捨ててまで。
 そうして今度こそ、もう無駄な戦などしなくてもよい、ほんの少しでもよいから今よりも豊かな土地と、少々の蓄えと、せいぜい村はずれの老木が流されるくらいの優しい大雨と……それさえ手に入れば、もう何も要らぬ。天下の静謐など知ったことではない。そう思いながら、元亀天正より幾十年――西に戦い、東に争ってきた。
 尾張と組み、武田と角突き合わせ、いつのまにか出来上がった豊臣とやらに頭を垂れて――北条が露と消え去ったのちには箱根さえも越え、さて今度こそはと眺めわたせば、与えられたのは一面の葦の原。
 豊葦原の、瑞穂の国……と言ってしまえば聞こえは良いが、そんな言祝ぎは、どこか遠い処でぬくぬくと暮らしている奴らの言い草だ。
 まただ、と彼ら三河者たちは、そろってため息をついたのだ。また一から、泥の海から、やり直しだ、と。
 泥と戦い、大水と戦い、杭を打ち、石を埋め、土を運び、水を掻い出し、土砂に押し流され、また流され、もう一度、もういちど、それでも今度こそは――この関東の泥の野を、今度こそ本当に、我らの土と実りに変えてみせるのだと。
 そんな三河の武士たちに、武田の遺臣が加わり、初めのうちこそ確執はあったが、やがて互いに一廉の武士なりと認め合い、他に生きる道はないのだと肩をかき寄せ、ふたたび杭を打ち、石を運び、穴太衆あのうしゅうは大地の脈を探し、伊豆の水軍は近つ海をめぐり、西の海から佃の衆が煮物をかかえてやって来て――そうして、ようやく、なんとか平らかな、乾いた土地を捏ねあげるまでに、十年があっというまに過ぎていた。
 十年……これが我らの土地だ……我らの乾いた土だ!
 あの関ヶ原の大戦の後も、誰ひとり、懐かしき三河に還りたいなどと口にはしなかった。
 当然のことだった。
 懐かしき三河――懐かしく、呪われた、永遠に泥と崖の巣食う三河!
 徳川という総大将が天下の権を握り、今や日ノ本の何処であろうと住み替えることができるにもかかわらず……三河の武士団と、武田の遺臣と、穴太衆と、法華の坊主と、ついでに南蛮の彼方から来たという赤毛で天狗鼻をした按針たちは、誰ひとりとして、三河に居を移そうとはしなかった。
 ここだ! この関東こそは、我らのものだ! なぜなら、ここは、我らがものだからだ!
 だからこそ――と、本多正純は、そしてその配下の三河武士たちはかたく思っている。
 もう、これ以上の戦は嫌だ。
 これ以上なにかを失うのは。
 失うかもしれないのは。
 だからこそ――この大坂の大戦おおいくさは、東西の……徳川と豊臣の争いだということにのだ。
 けっして……けっして、上と下の、持つ者と持たざる者との争いであると、露見してはならないのだ。
(それなのに……)
「なんという体たらくだ!」
 正純は、無駄と承知で、目の前に積まれた文書の山にむかって叫んだ。
「痴れ者どもが! これが……これが京に知られたら、なんとするか!」
 その、ほぼ同じ時――本多正純とよく似た感慨を抱いた武将が、ほんの数里先に、一人だけいた。
 独眼竜・政宗公。
 を一代で制した、伊達家の棟梁。
 という以上に、この日の短慮きわまりない突撃を、間近で傍観したまま一切関わらなかった軍勢の大将である。
「……無駄な攻め、でしたなぁ」
 かたわらの若き寵臣・片倉小十郎重綱が、誰に語るともなく発した一言に、隻眼の武将は黙ったまま、かすかにうなずく。
 伊達の家中が陣取るのは、大和口の南……すなわち真田の築いた砦からは、ほぼ西南西にあたる。
 その、伊達の陣から見渡せば、右手は無数の将兵が地に伏して、呻き、喘ぎ、血を流しているばかり。骸の発する死臭はあまりにも強く、風向きに逆らって、政宗のすぐ近くまでしのび寄ってくるように感じられた。
 いっぽう伊達の軍勢はといえば……雑兵たちが暇を持て余し、ひたすら博奕に興じていた。その頭上を、数羽の鳩が、西へ東へと舞っていたが、やがて何かに気づいたように、まっすぐ北東へと飛び去っていった。
 上と下との争いだな――と政宗は思った。
 この大戦、あたかも徳川と豊臣の争いのをして、その実、まことにいがみ合っているのは、すでに功名を得た者たちと、名もなき貧しい者どもとの争いなのだ。
 が、そうしたことを小十郎には告げず、伊達政宗はたった一言、こうつぶやいた。
「さあて……これで涅槃衆がどう出るかな?」

(第25回につづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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