双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 22 回


「――いよいよ始まったようですな」
 与七は、南のほうを振り返りながら、言った。
「ま、そんなとこじゃろ」
 迎えに出てきた初老の武将は、場違いなほど気軽に応える。
 そもそも、籠城だというのに、鎧兜はもちろん寸鉄も帯びていない。
「それよりも、な、こんなん考えたんじゃがな。ちょい聞いてくれ。……まず、ここに天竺渡来の雌鶏が一羽と半分おってな、こやつは一日半ごとに一つ半の卵を産む。さて、この雌鶏が九羽おるとしたら、九日の後には合わせて幾つの卵を産むや? どうじゃ?」
「一つ半の卵など、産みようがござりませんでしょうに」
 京から来た若者は呆れ返ったように鼻を鳴らす。
「そもそも一羽半の鶏とは何なのです。お師匠、もう少しな問いは無いのですか。先日の、あの蓮の池のような」
「なんちゅう言い種じゃ」
 お師匠と呼ばれた初老の武将――毛利勘兵衛重能は、悲しそうな目になった。
「当世の若いもんは、年配者に対する敬意というやつに欠けとる」
「いや、そういうことでは……それよりも、お師匠、ここでは人目が」
 与七は小声になって左右を見回す。
 彼の言葉どおり、両者が立ち話をしているあたり――すなわち惣構の北西の隅、正面に高麗橋が横たわり、そのむこうには鍋島 勝茂や池田忠継といった大物が居並び、対して橋のこちら側には毛利勝永率いる軍勢が本陣をかまえている一角では、平装の二人に比べてかなり殺気立った男たちが、重たそうな甲冑をと鳴らしながら忙しそうに歩き回っており、その誰もが二人をいぶかしげに横目で見ている。
 それどころか、ここまで与七を案内してきた下人も、ひどく冷たい目つきで、老人と若者のおかしなやり取りを見つめていた。
 それもそのはず……数日前、書状を手にして突然あらわれたこの商人あきんどと自称する若者を、主人である重能に目通りさせてからというもの、この二人は何とも道理の通らぬ喩え話ばかり口にしては、大声で笑い合い、いつまでたっても商談を始める気配が無いのだ。
「なるほど。そういえばそうだわな」
 重能は、ちょいと厠に行ってくるから勝永の大将はんによろしく言うといてな、と下人にことづけたかと思うと、と短い両脚を動かしながら、陣の外へと歩き出した。
 あわてて与七も追いかける――そのまま、本陣を囲む分厚い柵と薄い幕を抜け、しばらく進むと、人気の少ない、武家屋敷の並ぶあたりまで二人はやって来た。
 見ると、ひどく暇そうな煙草売りや、いずこの家中なのか薄汚れた足軽などが、辻々に腰を下ろして輪を作り、骰子を振り合っている。
「……博奕が、増えましたな」
「そらそうだわな」
 重能は、こともなげに言う。Pum
「戦ちゅうんは、そういうもんじゃ。暇な時は、とことん暇になる。……ふん、そもそも、戦というやつが、博奕みたいなもんだわ」
「そうなのですか」
「少なくとも、わしの見たもんは、どれもそうじゃったな。賤ヶ岳がそうじゃ。小牧やら長久手やらを這いずり回った折もそうじゃ。あの関ヶ原も、たいそうな博奕じゃった」
「――そして、あの朝鮮の役も?」
 と問われた重能は、なぜかすぐには答えず、しばらく黙ったまま、近くの屋敷へと入っていった。
 住まわれなくなってしばらく経っているらしく、門も、庭も、荒んでいる。
 重能は、無言で庭先の平たい岩に腰を下ろした。
「ここは……?」
「ふん」
 初老の武将は、与七にむかって座るよう手招きしながら答える。
についた、誰ぞの屋敷じゃろうて。なかなか佳い庭じゃが、まあ、今はこうじゃ。もうじきに厠代わりになろうからな、わしがこうして時折、眺めさせてもろうとる」
「厠に?」
「おう。惣構に近いあたりから、順々にな、空いた屋敷はどこもかしこも――庭を掘り返して、くそやら尿いばりやら残飯やらを放り込んで、上から土を被せとる。ちなみに屋敷は壊して薪にしとるぞ。梁も、柱も、藁葺きの屋根もな。おかげでどこの家中も寒さ知らずで――ここも、そう永くないわ」
「なにも残りませんか」
 与七は、手近な石に座って、そうつぶやいた。
「はは、瓦葺きのところは多少残るじゃろうがな!」
 重能が笑った。前歯の数本欠けた穴が、黒々と、与七の目に焼きついた。
「これぞ諸行無常の響きあり、じゃわな。祇園精舎の鐘の声、大坂から徳川一派のあらゆる面影が消えてゆくわい……我らの糞の穴の彼方へな!」
 しばらくのあいだ、毛利勘兵衛重能の大きな笑い声が、人気のない屋敷に……惣構の静かな一角に……響き渡った。
 外からは、なにも聞こえない。ただ、ふと思い出したように、海鳥が数羽、なにかを言い争うように、甲高く鳴きながら、鈍色の曇り空を飛んでゆく。
 与七は、さらに耳をすませた。
 南のほうから――ほんのかすかに――無数の、硬い何かがぶつかり合う音と、互いに身を裂き合うような声が感ぜられたが、それも風向きが変わるとすぐに聞こえなくなった。
「お師匠」若者は言った。「この戦、勝ちますか」
「そんなこと、わしゃ知らん」
 武将の言葉は、どこか投げやりだった。
「言うたじゃろうが。戦は博奕じゃ。勝つも負けるも賽の目次第。賀茂川の水と同じ、てな。そのの上皇はんにも判らんもんが、わしなんぞに判ろうはずもなし」
「さて――それは如何いかがでしょう」
「なに?」
「お師匠ならば、この戦のゆくすえ、いや、この六十余州のゆくすえすらも、ぴたりと読み切っておられる……のではないかと、不肖、この吉田与七光由みつよし、推察しておるのでござりますが」
「なんの話じゃ」
「秘伝の書、の話でござります」

 与七がそう言ったとたん……それまで、どこか弱々しげに背を丸めていた重能が、と顎を引き、鋭い目で左右を見渡した。
「そういうことか」
「そういうことです」
「なんじゃ、当世の若いもんは、ずいぶんと手間暇をかけよるな――この数日あくせく通いよって、ようやく本題か」
「お詫びの言葉もござりません」
 与七は小さくこうべを下げながら、拳にした片手をもういっぽうの掌で覆いながら、微笑んだ。
「商人は商人なりに、師たる御方に礼を尽くしたつもりだったのですが」
「なんじゃそりゃ、その仕草は」
「おや。御存じありませんか。近ごろ流行りの……明国から渡ってきた絵草紙で、こういう仕草が」
「知らん」
「みなさん、やってらっしゃいますよ。桃園の誓いとか。雷に驚いて箸を落とすとか」
「知らん」
 重能は首を振る。
「それより、おぬしゃ……与七よ、を誰から聞き知った?」
「それ? 絵草紙のことですか?」
「あほう。秘伝のことじゃ。いや待て――吉田のもんじゃ言うたな」
「本家ではありませんが、はい」
「あそこの先代とは知らぬ仲ではないが……しかし待てよ……ははあ。なるほど。殿から漏れたな」
「御明察」
 与七は笑う。
「と、申し上げたいところですが、半ばといったところですかな。もちろん、この一件、さほど多くの者の知る所ならざれば、自ずと経路は知られましょうが……先年身罷られました幽斎さまの、書き遺したものの一部が、徳川さまのもとに流れました」
「なんと」
 重能は短くうなり、そのまましばらく黙したまま動かなかった。
「……お師匠?」
「いや。――潮時やもしれんと思うたまでのことよ。まあよかろう。……そこに待っとれ」
 そのままふらりと立ち上がったかと思うと、彼は、庭の端にある小さな庵にむかって歩き出した。
 庵の中へと消えるを、与七は目で追う――すぐに、重能は、小さな葛籠を抱えて歩み出てきた。
「お師匠、お荷物ならばこの与七が」
「かまわん、かまわん」重能が頭を振る。「さほど重くもないわい。……よし、これじゃ」
 と、葛籠の中から取り出したのは――
「南蛮の書物?」
 言いかけた与七が、と息を呑む。
「まさか……これが……お師匠!」
 このような処に、無造作に――と重能のほうをふりむくと、初老の武将は顔中を皺にして笑っていた。
「不用心、と言いたそうじゃのう」
「当然です! これが例の……」
「……例のじゃとして、どこの粋狂者がここまで探しに来るかな? この籠城の最中の大坂城まで、しかも世に知られぬのために」
「わたくしはここまで参りましたよ」
「はは、そう言えばそうじゃわな」
 重能の、欠けた前歯が光る。
「が、盗みに来たのではない。学びに来たのじゃろう、おぬしは。手間暇をかけて、な。その違いは大きな違いじゃわ。
 盗人ぬすびとであれば、まず目が向かうはあちらの本丸の天守、さもなくば奥御殿――こんな何事もない、雑兵どもが日がな骰子で遊んでおるようなあたりは疑うまい。
 仮に、万一たまさか近くをうろついておる不埒者がこの寂れた屋敷の庵に、薄汚れた南蛮の書を見つけたとて、如何にもならん……せいぜいが、追手門前の市場で、欠けた鍋と抱き合わせで売り払うのがせいぜいじゃ。まあ、いいところ百文くらいかのう」
「少々お高くありませんか?」
「ふふん。近ごろ、城内ではなんでも値が釣り上がっとる。なにしろ亡き太閤殿下の黄金を、ありったけ解き放ったからの。その黄金が、銭となり証文となって、今もこの城内を駆け巡っとる――そのいっぽう、肉も野菜も、川魚も、城外から運び込まれるものはほとんどない。今あるのは、籠城前から備えて蓄えとった米、塩、味噌。あとは干物と漬物が少々」
「――なるほど、物の値は高くなる道理ですな」
「そういうことじゃ。いずれにせよ、万一にでもこの葛籠の中身が盗まれたとしても、巡り巡って追手門前にあらわれよう。で、その百文を市場で支払うのは、このわし、もしくはわしの放った手の者じゃからして――かくして、これは遅かれ早かれわしのところへ戻ってくると、こういうからくりじゃ」
 さようですか、と与七は腕を組んだが、どこか得心のいかない様子だった。
 それに気づいてか、気づかぬままか、初老の武将は、南蛮の書の、赤茶けた革表紙を愛おしげにさすっている。
「お師匠、ときに」
「ん?」
「お師匠は、これを――南蛮の文字を……読めるのですか」
「読めん」
 短い答。
 与七の呆然とした顔に、重能は、ゆっくり付け加えた。
「……が、日ノ本の文字にうつしてもろうたものが、ここにある」
 そう言って重能が、己の懐に手を伸ばす。
 すると、中から折り本が一冊、二冊……最後に細い巻物が一つ、手妻のようにあらわれた。
「昔、ある御方に――美しい姫であったことよ――お願いしてな」
「南蛮文字を読める女性にょしょうが、おったのですか!? この日ノ本に?」

(第23回につづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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