双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 20 回


 角じいの読みは、見事に当たった。
 日が暮れ、細い月がと西へと消え去って、湿った冷たい風がおしよせて、あとは日が昇るだけ――というその前に、前田勢が大音声と共に篠山の頂めがけて駆け出したのだ。
 いきおい、〈真田丸〉の中も騒がしくなる。
 大助はといえば、深更の銃声が盛んになった頃には、すでに飛び起きていた。
 出丸の奥まった一角にある粗末な屋敷の、廊下を駆け、狭い寝所に飛び込む。
「……父上!」
〈真田丸〉の主は、横臥したまま大きな鼾をかいていた。
「父上! 敵襲にござります!」
「んあ?」
 のっそりと半身を起こした信繁は、瞼を開けもせず、大助を追うように駆けつけた従者のほうへ顔をむけた。
火縄銃たねがしまは?」
「準備万端にて」
「ふむ。そうか」
 とだけ言うと、大助の父は再びごろりと寝転がる。
「……父上っ!」
「なあに、まだまだ――」信繁は、寝言のように、つぶやいた。「――あと半刻過ぎたら、起こしてくれい」
 そのあとは、息子が肩をゆすろうが耳元で騒ごうが、いっこうに目を覚まそうとしなかった。

 そして――
 実際に、半刻ほどは大した動きもなく、事が動き出したのは夜明け前、東の空を静かに覆っていた黒い雲が次第に綻び、薄桃色の光がしらじらとすべてを染め始めた時だった。
 大助は、出丸の南端の柵につかまって、まっすぐ南を見下ろしていた。息が白い。
 眼前の篠山は、前田勢で埋め尽くされていた。
 といっても、勝鬨もなければ武具の音もしない。
 ――からだ!
 前田の将兵らの、怒りとも笑いともつかない悲鳴が、ほとんど〈真田丸〉まで聞こえてくるようだった。
 少なくとも、歯ぎしりは聞こえた……と、大助も、隣の角じいともども、思ったほどだ。
 いったい何事――というほどの大げさな絡繰があったわけではない。単に、真田の伏兵らは前夜のうちに一人残らず篠山から退いていたのだ。
 文字どおりの、から騒ぎである。
「おまえの仕掛けか、角じい」
 子細を知らされてあっけにとられる大助に、赤黒く煤けた甲冑に身を包んだ老臣は、
「いやいや、まさか。殿の……お父上の采配でござるよ。数日前より、そろそろ前田の連中もしびれを切らしてござるな、と茶飲み話に殿と笑い合っておりまいたところ、昨夜になって突然、殿が、兵を退けと」
「ではやはり角じいの殊勲だ」
 大助は微笑んで、老人の肩を優しく叩く。
「さて、ここから先はどうなるか……」
 と、思案するまでもなかった。
 ふわり、と風が動いたように感じられて、大助と角じいが……そして居並ぶ武者たちも、様子を見に来た女たちも、一人残らず……まるで申し合わせたようにふりかえった。
 そこにいたのは。
「さて――そろそろ始めるかな」
 真田その人であった。

「いやはや! 前田の御家中っ!」
 幸村の声には、大助も目を見開くほど、張りがあった。
「さすがは天下の兵法者揃い、をば、ここまで見事に御蹴散らしなされるとは! 不肖・真田の一族郎党、感服つかまつった!」
 ぷっ、と初めに吹き出したのは、名も無き足軽であったか、それとも女たちの一人であったか。
 すぐに、鎧武者たちが、げらげらと腹を抱えて柵を叩き始める。
 ――いよう、前田の攻め見事!
 ――みごと、おみごと、前田が前へ
 ――敵はおらぬか、おらぬか敵は!
 ――あっぱれ、あっぱれ! お伊勢さまでもご存じなし!
 嘲笑は、謡になり、踊りへと変じていく。
 ――お伊勢さま、おいせさま! ほいほいほい、飲めやうたえや、あらはちまん!
 ――ほさな、ほさな! ぱらいそ行きたや、ほな行こか!
 いつしか、吉利支丹の歓声も混じりはじめる。が、それを訝しむ者などいない。
「そうじゃ、踊れ、踊れい!」
 手にした軍配をと振って、あたりの老若男女を差配しながら、しかしもっとも踊りに夢中であったのは間違いなく幸村当人であった。
「地を踏めや、天を衝けや! 遊びをせんとや生まれけん、わが身さへこそゆるがるれ、だ!――」

 やり場のない怒りほど、まっすぐなものはない。
 歯ぎしりしていた前田の将兵は、目を血走らせ、かいなをでたらめに振り回し、鎧甲冑をと無駄に鳴らしながら、篠山から勢いつけて下りたかと思うとそのまま北上し、ほとんど八つ当たりのように〈真田丸〉の土壁を攻め始めたのである。
「――ほほう、前田の衆!」
 大音声であざ笑ったのは、またしても出丸の主だった。
「朝も早うから御苦労千万、さっそく馳走つかまつらん……種子島、構えい!」
 そこから先は、大地が、天が、冷たい冬の霜と氷と北風のすべてが、一斉に轟音を立てて前田家中の将兵に襲いかかるときだった。
〈真田丸〉の南面を護る高い柵……そこにずらりと並んだ手火矢が次々と火を噴いた。数百、やがては数千の熱い鉛の塊が、降り注いだ。
 篠山から、そそり立つ〈真田丸〉の土壁まで、ほんの数町……大の男がまっすぐ走れば、息も切らせる間もなく、たどりつける近さだ。
 しかし、そのあいだには、空堀があった。
 怒りに我を忘れて夜明け前の坂を駆けのぼった前田家の男たちは、突如ふわりと宙に浮き、次の刹那、軽い粉雪のように、あれよあれよと堀の底へと落ちていった。
 ぐしゃり、と何か柔らかいものが潰れる音と、甲高い悲鳴。
「休めるな! 手を休めるな、真田の衆よ!」
 力強く響きわたる声は、間違いなく、真田幸村のものだった。
「堀の底を目がけて種子島を――いいや、なんでもよい! 矢でも、瓦でも、油でも、糞尿でもよいわ! 放て、こぼせ、投げ落とせい!」
 わあ、と声があがった。出丸の上からは歓声が……そして下の堀からは悲鳴が。
 白い息が、堀の上と下で、どっと吐き出された。そして下の白い息だけが、みるみるうちに薄くなり、次々と絶えていった。
「放て! 燃やせ! 手を止めるな、汗をふくな、踊れ、踊れい、真田の衆よ!……」

 と。――
「敵襲! 右手、藤堂、松平!」
 いつの間にか夜はすっかり明けており、どこか遠くで大太鼓でも鳴らしたのか、という轟音が響いたが、〈真田丸〉の一同はものに憑かれたように空堀を攻め立てていた、その時――櫓の上から、足軽のだみ声が響いた。
 大助は、我に返り、西の方角を睨む。
 たしかに右手のほうから、敵勢が押し出してきている。それだけではない。惣構の中……味方の陣の中ほどから、もうもうと煙が上がっている。
「――大筒か!?」
「――敵襲、敵襲!」
「――藤堂の大筒じゃ!」
 無数の声が乱れ飛ぶあいだも、しかし大助の父は微動だにしなかった。
「大助!」
 その日、はじめて、父の声が少年の耳にまっすぐ突き刺さる。
「は、ここに!」
「西の木戸から出馬!」
「はっ!」
 その一言で、大助はすべてを悟った。
 真田の出丸は、南からの敵を抑えるために造られた。よって、南はもちろん東西の両翼にまで空堀を穿ち、〈御城〉へと通じる路が北にただひとつあるという、まさしく孤高の砦、山脈やまなみの端に突き出た唯一の頂――入る術もなければ、出る術もない。
 ただ二つだけ、例外がある。東西の隅に設けられた木戸だ。
 これらは、空堀をいくさの後で片付けるための口であり、また戦の次第に応じて伏兵を発するための、さほど大きくもない虎口だ。
 その、まさに新たな敵勢の迫りつつある西側から騎馬で出よ、ということは。
(騎兵の反転は難しい)
 言うまでもなく〈真田丸〉は高台に築かれている。駆け下りて攻めるのはもっとも容易い。肝心なのは、その後……いかにして戻ってくるかだ。
 前方へ突進するのが騎馬の常道。疾さこそが……それのみが武器なのだ。逡巡も、停止も、命取りになる。ましてや馬首をめぐらし、出てきた木戸にむかって駆け登るとなれば。
(つまり――東の木戸から戻るしかあるまい)
 右手、すなわち西のほうから迫ってくる新手をすべて蹴散らし、南の前田勢を牽制しつつ、空堀に落ちた足軽どもの槍や刃にも目配りしながら、勢いを保ったまま出丸の東へ回り込む。
(難事だ……が、それを成せと父上は仰せなのだ)
 と。
「よろしいかな、伊木殿」
 幸村が、低い声で付け加えた。とたんに、
「委細承知!」
 大助の背後で、野太い声がした。
(伊木殿……軍監の伊木七郎右衛門遠雄とおかつ殿か)
 真田一党の戦ぶりを量る目付役としてやって来た、この初老の武将と、大助とは、あまり楽しくない出逢いかたをしている。
 まだ〈真田丸〉を造り始めたか始めないか、という頃だ。
 大助が、あの有楽斎の屋敷から帰ってきた翌日だったのが、そもそもの間違いの始まりだった。のっそりと眼前に現れた伊木に、大助は昨日の気負いも残っていたのか、つい、
 ――伊木殿におかれては、関東方へ内通してはおられませんな?
 と口走ってしまったのだ。
 より正しくは、口走りかけた……とたんに、浅はかな少年が言い終えるよりも早く、賤ヶ岳以来の歴戦の勇士の、裂帛の気合いが大助の全身を圧したのだ。
 ――無礼千万っ!!
 大助は首をすくめた。そして、冷や汗と共に、深々とこうべを垂れ、なんとか謝罪の言葉を絞り出し……ようやく恐るおそる顔を上げた時には、軍監殿はすでに砦の縄張りのほうへ歩み去った後だった。
 その伊木七郎右衛門が、己の初陣の「守役」となったわけだ。
(これは……えらいことになった)
 七郎右衛門が木戸にむかって素早く去る気配を背中に感じつつ、大助は頭を垂れ、父の足元を見つめる。
「大助」
「はっ」
「初陣だ」
 父は、まっすぐに大助を見ていた。
「帰ってきたらば、名乗りは真田幸昌ゆきまさだな」
「では」
 とだけ応えて、大助は木戸にむかって走り出した。足の下で、霜が、軽い音を立てた。

 木戸の前に並んだ騎兵は、けっして多くはなかった。
(二十 ……いや、三十騎ほどか)
 しかしそれでも、気合いを込め、馬首を揃え、一気に坂を駆け下りれば、おそるべき力となる。
 駆け下りることができれば。
(できるのか……この私に?)
 大助は従者の手を借りつつ、できるだけ手早く具足の具合を整え、その間に、角じいが馬を引き寄せ、少年は作法もそこそこに鞍にまたがる。
 騎兵の後ろに集まったのは、太刀を帯びた武者と、槍を担いだ足軽たちと――総勢五百、と大助は見当をつける。
 一同の先頭に、伊木遠雄が進み出る。見事な手綱さばきだった。
 ……という物音が、どこからともなく聞こえた。
 すぐにそれはとなり、そこでようやく大助は、それが、己の甲冑の鳴り騒ぐためであることに気づいた。
 と、伊木が、大助のすぐ脇にまで迫ってきた。人馬一体の、あまりにも滑らかな動きだった。
「惰弱っ!――」
 あの時と同じ、裂帛の気合いに、大助はまたしても首をすくめた。
 が、その後が違った。
 軍監殿は皺だらけの顔を、さらに皺くちゃにして、笑い出したのだ。
「――というのは冗談じゃ、お若いの。は武者震いと申してな。初めは誰でもそうなる。わしもそうじゃった。 ――良いか、皆の衆! これがじゃ!」
 鬨の声がした。
 法螺貝が響き渡った。
 ――うほっ!
 奇妙な声が聞こえた。大助は左を見た。伊木の声だった。
「……うほほっ、ほほほううっ! はっははははあ!」
 ものに憑かれたか、と大助は刹那、心底から慌てた。いったん馬を下りようかとさえ思った。が、どうやら歴戦の勇士殿は正気であるらしい。間をおかず、七郎右衛門に従って〈真田丸〉にやってきた十数名の男たちも、一人また一人と、
 ――おう、おうおうおう!
 ――うほうっ、うほほうっ!
 と奇声を重ね始める。
 真田の郎党も、なるほどこれが大坂流のかと悟ったらしく、口々に声を出し始めた。
「……よおおし! 来た、来た、来たわい!」七郎右衛門が叫ぶ。「おのれら、戦は好きかぁ!」
 おう、と足軽たちが答えるが、突然のことに数は多くない。
「声が小さぁい!」
 再び七郎右衛門の大音声。
「もういちどぉ!……おのれら、戦は好きかあ!」
「おう!」
「殺し合いは好きかあ!」
「おう!」
「ならば戦と女子おなご、いずれが好みじゃあ!」
「……おなごぉ!」
 五百の声が、ぴたりと揃う。続いて、あたりを揺るがす哄笑。
「よおし!」
 軍監・伊木七郎右衛門遠雄は、馬上でぴんと背を伸ばした。
「ならば告げん、この出丸正面におる前田勢、また右手より迫り来る松平・井伊・藤堂の諸将、あやつらのけつの穴を一つ残らず掘り返したらば、今宵は女子どもを抱きほうだい、喰らいほうだいじゃ!! うほほう!!」
 御老体に遅れをとるな、と誰かが笑いながら叫んだ。それに応えるように、まだまだお元気じゃのう、と別の声が笑った。若い足軽の誰かに違いない、と大助は見当をつけた。
 だが、その時すでに、大助を乗せた馬は……そしてその後ろで押し合いへし合いしていた五百人の猛るつわものは、猛然と木戸から押し出て、坂を駆け下り、西の敵にむかって風よりもはやい突進を始めていたのである。

(第21回につづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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