双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 2 回


第一部  右雙――冬の陣
第一章 「天下無双ぶそうの城なれば」
――慶長十九年、十月
 (グレゴリオ暦一六一四年)
「……あれが〈御城〉でござりますね、父上!」
 大助の澄みきった声が、秋の風にさからって、あたり一面にひびいた。
「まだ見えぬだろう。まだ遠い」
「ですが、光っておりまする! ほら、あのように、きらきらと――屹度きっとあれに相違ありませぬ!」
「なあに、まだまだ」
「父上は観ようとせぬからです。わたくしのげんを、なにゆえ信じてくださらぬのですか!」
くな、急くな。城はどこへも逃げたりせん。……もっとも、ひと昔前は、城を組み立てたかと思うとすぐにこわして運び出し、また別のところに建て直したというがな。さても光陰はの如し。ふむふむ」
「父上! わたくしの申し上げたいのは、そういうことではなく!――」
 などと馬上の父と子が際限なく論じ合うのを、背後に並ぶ数騎の武将と、長い槍を手にした足軽たちは、微笑みをうかべつつ、耳をかたむける。
 北からまっすぐに、風は一行にむけて吹き下ろしていた。

 昨日は東風だった。
 あの徳川の巣食う〈関東〉から吹いてくるのだ、と思うだけで腹のあたりが火照るのを大助少年は感じた。
 九度山を発ったのは一昨日の朝で、すでに手配されていた 渡し舟で紀ノ川を越え、真正面の山道をゆるゆると登り、紀見峠を越えたあたりでいったん小休止となり……この時、供の者は、ほんの十数名にすぎなかった。十四年間、真田の家に仕えてきた忠臣が五名、その他は地元の村々から馳せ参じた若者たちだ。
 一刻も早く〈御城〉に駆け込むのだとばかり思っていた大助は、父に問うた。が、
 ――なあに、いくさはまだしばらく先のこと。急いても得はないぞ。
 と、木陰の大きな岩に腰を下ろしたまま、取り合わない。聞けば、九度山で共に暮らしていた姉妹や、母も、一行以上にのんびりと後から来る手はずだという。
 ――しかし父上、いつ何時、追っ手が! たとえ近在の民百姓が我らの味方だとおっしゃりましても、〈浅野〉の直臣たちがこぞって追ってきたら……あるいは〈徳川〉の軍勢に見つかったらば!
 こんな峠道では防ぎようもありませぬ、と大助は説いたが、返ってくる答えは変わらない。
 ――はは、大助よ。いま徳川の先鋒がここまでたどり着いておるならば、こたびの戦はすでに我らの負けだ。……さて、そういえば、ここから西へむかえば千早城のあったあたりだ。大助、せっかくだからひとつ詣でてみるか。
 御免こうむります、と断るつもりが、大助はほんの少しだけ躊躇ってしまった。
 千早城……といえば、音に聞こえた勇士・楠木正成の本拠。祖父から説き聞かされた数々の合戦の中でも、太平記に描かれたを、幾たび想い描いたことだろう!
 そんな少年の想いをまるで気にする風もなく、一行は午後の風の中をゆるゆると下りはじめた。夕暮れ前には麓のやわらかい道を踏みしめ、野原のあいだを左右に曲がりくねるように進むうちにまわりの森は 雑木林となり、田畑が増え、そういえば鳶の遠い声が途絶えたかと思うまもなく、雀の鳴き声が近くなり、あちらこちらに納屋がひょっこりと姿をあらわし――低くなった地平に陽が落ちるか落ちないかというところで、小さな荒れ寺にたどり着いた。門の前では、真田の故地から馳せ参じたという男たちが、大助たちにうやうやしく一礼した。その数、二十四名。
 父が力強くうなずいたのを見て、大助少年は、いよいよか、と頬が熱くなった……が、それも束の間。一行はそのまま寺で一泊し、翌朝早く、ようやく城にむかって出立する次第となった。
 大助が、朝日よりも早く、とび起きたのは言うまでもない。そのまま、己の真新しい甲冑を再びまとおうとしたが、父に、
 ――今からでは疲れるだけだぞ。城の前でもういちど休む、その時でよい。
 と、止められた。その父はと見れば、いつもどおりの着古された狩衣姿で、あくびをかみ殺している。
 ――こればかりは譲れませぬ! この大助の、武家としての意地でござりまする!
 ――そうか。うむ。ならばよかろう。
 ひどくあっさりと大助の意地は認められ、なんともおかしな心持ちのまま、少年は馬上の武者となった。
 風は北風となっていた。

 昼までに、道はすっかり太くなり、ゆったりとした上り坂となっていた。
 これほどに心地よい大道たいどうを進むのは、大助少年には初めてのことだった。高野の一帯は、麓から頂までどこもかしこもきびしい坂で、紀ノ川沿いも砂利ばかり。九度山も、高野山に比べればなだらかな丘のようなものだったが、それでも山は山。このような美麗な道はつくりようがないし、そもそも用をなさない。
 大助は、心の裡で、己がすでに九度山を〈この山〉とは呼ばなくなっているのを、半ば気づき、しかし半ばは気にも留めていなかった。
「父上」少年は言った。
「今度はなんだ、城が空に浮かんだか」
「そのことではござりませぬ。――わたくしは、得心いたしました」
「うむ?」
「天下とは、これほどまでに平らかなものなのですね」
「何のことだ」
「わかりませぬか。ご覧ください」
 少年は、一行の左右にどこまでも続く田畑を、きらきらと光る大小の溜池を、細く曲がった道々を、愛でるように見渡す。
「かくまでに天下というものは……〈御城〉の秀頼殿下の統べ給う国々というものは……平らかで、民に優しいものなのだと。そして、われらはそれを護りぬくために生きるのだと」
「ほう。なるほど」
 前をゆく父は、なぜか、苦笑いをしながら大助にふりかえった。
「そうか。そうだったな……おまえは九度山で生まれて、そこで育ったのだったな――」
 そのように。……
 彼らが(まるで少年の焦りをもてあそぶかのように)ひどくゆっくりと進むうち――大助はようやく気がついた。
 つき従う 者が、増えている。
 昨日の朝は十数人だった。今朝、寺を出立した折には四十人ほど。が、今はどう数えても百より多い。
 赤い旗指物は本数が変わっていなかったので分かりにくかったが、見たこともない男たちが、それぞれ長さの異なる槍を手に、野良着の上から、胴丸のみ、あるいは籠手のみ、はたまた左の脛当てのみという何ともいい加減な戦支度で、しかし誰も彼もが笑みを浮かべながら、今朝までの四十人余に混じって尾いてくる。
かくじい」少年は肩越しに、背後に続く馬上の武者へ、そっと問いかけた。「増えておるぞ」
「と、おっしゃいますと」
「供の者だ。後ろの」
 言いながら指差す。
 するすると右脇に半歩下がって馬を並べた相手は、
「はて、どれどれ。……おお、左様ですな。これは吉兆、吉兆」
 応えながらと笑った。顔じゅうが皺になった。
 この初老の男を、大助は、
 ……角じい
 としか呼ばず、本来の名も、すぐには思い出せないほどだった。
 かつては輝くほどの真紅であったであろう、傷だらけの、どこか煤けたような、赤黒い甲冑。
 それが角じいにとって何よりも大切な歴戦の証であることを、少年は(胡麻塩髭の老 臣になり代わって)誇らしく感じるのだった。
如何どういうことなのだ」
「は?」
「なにゆえ増えるのだ。あの者たちも真田の郎党なのか? それにしては、あまりにも――」
「はは、これはこれは」角じいが、おどけたように眉をあげる。「若は、つわものの良し悪しを見栄えでお決めなさるのか」
「そ、そういうことではないが、しかし」
「わかっておりますとも。今のは、この爺の戯れ」角じいは言った。「あれらは近在の若い連中でしょう。我ら真田の武威が大坂にも伝わっておる、ということですな。さればこそ、そこに加わりたがる」
「加わる?」
「さよう。村のあぶれ者どもにとって、戦といえば稼ぎ時。何事もなくとも、のんびり城内にこもっておれば飯が食える。いざ干戈を交え、運よく敵の大将首でもれたらば、一生遊んで暮らせるか……もしくは三代先までお家は安泰」
「武家になるというのか。槍働きひとつで」
「さよう。上古の延喜天暦の御代ならばまだしも、かの源平の大戦おおいくさからこのかた、若い連中はそうして戦場いくさばを駆けめぐるのが慣わし。すなわち、強い大将に付くのが最良の術。それどころか、合戦が始まってから旗指物を取り替える奴ばらまでおりますぞ、はっはっは」
「なるほど」少年は合点した。「我らは見込まれたのだな」
「ですから吉兆と申しております。それこもこれも、若のお祖父様の――先代昌幸公のお陰といえましょう。いや、あのお方はまことに強かった」
 うれしそうな角じいの口調に、大助もいつのまにか口元がほころんでいた。
 そうするうちに、槍をかついで隊列に割り込んでくる男たちは増えるいっぽうだった。それどころか、薄汚れた衣をまとった女子供が、道端に並んで、真田の旗印を拝みはじめている。
「なるほど。我らの加勢を、大坂方は、かくまでも喜んでくれるのか」
「や、いやいや、今のはそうではのうて」角じいが少年の早合点を訂正する。「あの女どもは、我らの旗の……その、銭の印を、ありがたがっておるだけのこと」
「銭?」
 大助は首をかしげる。六つ並んだ銭のかたちは、おのれの家の紋であり、その外の何物でもない。というよりも、生まれてこのかた、大助は銭という代物にほとんど触れたことがなかった。日々の暮らしに必要なものは、家臣たちがどこかから都合してきた。あるいは、上州の親類から送られてきた。銭でもって物の売り買いができる、と聞かされてはいたが、どうにも理屈がわからない。六文で冥土まで渡れるならば、たいそうな買い物ができそうなものだが、その銭が一千集まって両となり、そのまた両が幾千幾万を集まらねば戦ができないという。一体どういうことなのか。それとも、冥土というのは案外に近いところなのだろうか。
 などと頭を悩ませているうちに、列の先頭から声がした。
「大助よ。お待ちかねの城だぞ――どうした、いざとなったら怖気付いたか」
 はっとして、彼は正面を見上げた。その下顎が、かくりと開いたまま、動かなくなった。
 かたわらで角じいが笑い始めた。
 少年の父は、ちらりと振り向いたが、すぐに前へ向き直った。
 少年の両腕が震え始めた。
 真田大助の眼前に、たしかに〈御城〉はあった。
 それはまだひどく小さく――同時に、あまりにも大きかった。

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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