双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 18 回


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 数刻の後。――
 極楽橋を通って北へ、続々と出て行く大勢とは異なり、真田親子の帰路は、〈御城〉の西をかすめつつ表御殿へとまわり、追手門から城外に出ると、南へまっすぐ下ってから惣構えの空堀沿いに東へと戻る、というものだった。
 山里丸から玉造口へとまっすぐ進めば早いはずが、
 ――なに、急ぐこともあるまい。
 と、なんとも呑気なことを父親は言い、それこそ息子の手を引くようにして、ぐるりと大回りをして真田の出丸へと帰ることになった。しかも徒歩で、である。
 城内は騎乗も籠も当然ながら禁じられているが、追手門から先は歩かねばならぬ理由はない。はて、なにか思惑でもあるのだろうかと、大助も、従者たちも(首をひねりつつ)従うことにした。
 追手門を出る時、門のかたわらに積み上げられたかたまりに大助は気づいた。ぼろ切れにしては大きいな……と思ってしまった己を大助はすぐに恥じた。そのかたまりが、あの入城の折に父の名を書き間違えた「門番」の老人が寝転がっている姿であることに、彼は気づいたのだ。
 父上、と声をかけようとしたが、相手は大股で進んでゆく。この老人を見せたかったのではないのか、と大助はさらに首をかしげつつ、父親の後を追った。ふりかえると、老「門番」は寝返りをうちながら、
 ――たいこうはん! たいこうはんよぉう!
 と寝言をくりかえしていた。
 その時はまだ陽もあったのが、空堀を東へたどるころにはすっかり冬空は赤暗くなり、風もいつのまにか向きを変えて、西のほうから潮の香りを運んできた。
 それから焼ける肉の匂いと、男たちの嬉しげな怒鳴り声と、女たちの嬌声を。

「さて」
 数刻前まで真田であった信繁は、薄暗がりの中、ふりかえらずに尋ねた。
如何どうだったかな」
「たいそう御見事な、にござりました」
 大助は、前をゆく父親には見えぬことは承知の上で、それでも大げさに頭を下げてみせる。
 右手には、大小の屋敷が並び、そのさらにむこうには夕焼けに赤く照らされた高い物見櫓が、と、建っていた。
 汗の臭いが、どこからともなく、ただよってくる。幾つもの旗指物――赤地におもだか、 地黄に黒餅、あるいは白一色のもの――が、のんびりと揺れている。
 ここにいくさは無い……と大助は考えた……すくなくとも今日のところは。
 しかし明日はどうだろう?
「ほう、芝居とな」
「はい」
 答えつつ、大助の脳裏に、あの九度山にほど近い村々で秋になるたびにおこなわれていた質素な芝居や舞のことが、よぎっては消える。
 愉しげに仮面をかむったり衣装を着込んだりする大人たち、ざわめく若者たち、きらきらと目を輝かせる娘たち。
 そしてそれらを木陰から覗き見ていた幼いころの自分。
「ふむ。初めから、わかったか」
「はい」
 とは答えたものの、気づいたのはが半ばも過ぎてからである。初めから……つまり秀頼公があらわれる以前、そもそも大助たちがあのように容易く山里丸へとへ入れたことからして、一連の出来事はすべて入念に図られていたに違いない。
 気づくのが遅れたのは少々口惜しかったが、しかし考えてみれば、もしも早々に察していたら、はたしてあのように素直な受け答えが自分にできていたかどうか。あるいは事前に知らされていたらば――いやいや、かえってそのほうが危うかったろう。
(なんともはや……この〈御城〉で嘘を見抜けるのはわたしだけのようだが、そんなわたしは何も見えておらぬというわけか)
 ふと、真田家の少年はそんなことを思い、口元を緩めた。
 とはいえ、これが戦だ。戦なのだ。
 吉利支丹をしっかりと惹きつけ、千姫への疑いを晴らし、民の意気を盛り立てるための大芝居……来たるべき籠城戦への備え。
 意気というものが兵糧にも黄金にも等しい……いや、あるいはそれら以上に、戦のためには欠くべからざるものであることを、大助は呑み込みつつあった。
「あの意気であれば」
 と、つい口にしてしまった一言に、眼前の薄闇をゆく真田信繁はすばやく応じた。
「であれば、なんだ。この戦は勝てるとてか」
「は……いえ、はい、その……意気こそが肝要かと。木村殿も本日は大いに勝利なされた由、このまま押してゆけば」
「ああ、あれか」信繁は言った。「本日のあれは、こちらの負けだ」
「は?」
「負けと言うても、損ではないぞ。それに木村殿が……というよりも後藤殿その他の奮戦が主であったらしいが……大いに面目を施したのも間違いではない。
 しかし、いずれは奪られる。というか、関東方に奪らせてやる。あの一帯はな。それがこの籠城――ふふ、大籠城の手順だ。
 数日が経って……月が替わったころ、あの泥の沼に居座って櫓を建て直すのは関東の連中だ。まあ、佐竹あたりかな。ご苦労なことだ」
「は、いやしかし――」
 御味方勝利、というあの叫び声と、その後の城内の昂揚ぶりを、大助は思い出さざるを得ない。
「ああ、うむ。あれか。あの『御味方勝利』はわたしの遣わせたものだ。上州くんだりからやってきた者たちが、そろそろ一働きしとうござります、と言うのでな。……いや、もともとは有楽殿の思いつきだが」
「―― 織田有楽殿が!?」
「ついでに言えば、おぬしをうまく使うた例の芝居も、一部始終、有楽殿の仕掛けたものだ。なんでも今は、吉利支丹の目出度い祭りの時節だとかで、ここで連中の士気を高めておくのが上策と――おっと、噂をすればなんとやら、あの瓢箪坊主殿の陣はこのあたりだった。それとも息子の陣だったかな。
 ふふ、あまり大声で織田の名を発さぬほうがよいぞ、大助。あの坊主めが聞きつけて、飛んでくるやもしれん」
「…………」
 大助は言葉を失った。
 本日の仕掛けを考えたのが有楽斎であった、からではない。父親が、いとも気軽に、あの老人のことを「瓢箪坊主」呼ばわりしたために、である。
 背後の沈黙をどう取り違えたのか、信繁は、肩越しにふりかえりながら童のように微笑んだ。
「はは、そう怒るな。今度こたびの戦、つまるところは有楽殿と大御所、ふたりの御老体のあいだの長い将棋だ。あれこれ奪ったり奪られたり――我らは盤上の駒に過ぎん」
「怒ってはおりませぬ」
 大助は言った。半ばはまことであり、半ばは嘘だった。
「そうではなく、その……」
「なんだ」
「瓢箪、とおっしゃるのは」
「瓢箪は瓢箪だ。こう、内に五つ、小さな穴が丸く並んでおって」
「いえ、そういうことではなく」
「なんだ、やはり怒っておるのか?」
 真田丸の主は、首をかしげながら、風のゆくえを探るようにあたりを見回す。
「……まあ、よいわ。いずれにせよ、遅かれ早かれ城のまわりの砦は、順次手放して時を稼ぐのが、もともとの策だ。明日あたりはまた西の砦で小競り合いとなるだろう。
 そうして我らは、一つまたひとつ、と砦を棄てて退いてゆく。まことの籠城のためにな。――今はまだ水争い。崖争いはその後だ」

「水……?」
「そうだ」と信繁。「先日の小競り合いを憶えておるか。――掃部殿が砦を失ったのどうの、というだ」
 もちろんです、と大助はうなずく。
 〈御城〉の西南……木津川のあたりで、未明に砦が奪われたという。
「我らの出丸からも煙が見えました」
「うむ。西の木津川から始まり、そして本日は東側の大和川が淀川に流れこむあたりで――わかるか、大助?」
 遠くで犬たちの鳴く声がした。ひどく哀しげに……あるいは恋しげに。
(木津川、大和川――西そして東……ということは)
 大助はできるだけすばやく答えた。
「まずは河口、それから上流を扼する。その狙いは第一に、ところにあり、かと。これまでは川魚をはじめ、商人や漁師どもが、あれやこれやを城内へ運んでは売りさばいておったようですが――」
「ふふ。少しはわかっておるようだな」
 父の嬉しそうな声に、大助は満面の笑みとなる。
「砦を奪ったり奪られたり、というのは然程のことではない。 淀川を奪い合うておるのが、まずは緒戦の眼目――舟と、それから水だな。大助、この大坂城内に井戸が幾つあるか、知っておるか」
「いえ」
 大助は、城内の水をみた。
 〈御城〉の中に、井戸は、見かけただけでも五つあった。その他に奥御殿にも、また〈御城〉を囲む家臣たちの屋敷にも、それぞれ設けられているだろう。すべて合わせれば、かなりの数になるはずだ。
 が、十万余の大軍勢のために毎日汲み上げねばならない水の嵩は、それを超えて大きいに違いなかった。飲むだけでなく、煮炊きをするにも、衣を洗うにも、水は要る。
 となれば、あとは川から汲むしかない。川岸で、桶を用いて――しかし、味方の砦が川上にも川下にもないとなれば、おちおち水汲みなどしてもおられまい。敵方の舟が自在に近づいてくる。
 では夜陰に乗じておこなうか……と言うは易いが、それはそれでかなり面倒だ。敵方もそこは推し量っているはずで、舟から火矢を放つくらいはしてくるはず。
 しかもこれからは日々寒さが増してゆく。九度山ほど寒くはなかろうが、それでも水は冷たい。あるいは凍ることもあるやもしれない。と、なれば。
「……たしかに、少々手間のかかることになりそうですな」
「水が足らねば、意気も下がろう」信繁は、つぶやくように言った。「そして肝要なのは、この先だ」
「――――」
「大助。おぬしが大御所ならば、この戦、ここから如何に終わらせる」
 水を奪ったならば、あとはゆっくりと囲みを狭めて……と言いかけて、大助はしばし考えた。
(先ほど父上は、崖争いとおっしゃった)
 崖。……空堀。真田家の出丸。
 そして風も水も、ますます冷たくなる。
(水と ――兵糧と――将兵の意気と)
「おそれながら……」
「うむ?」
「……関東勢は、一日でも早く、この戦を決着させたいはず」
「なにゆえに」
「冬です」
 大助は答えた。
「この寒さの中で、我らは屋根もあり、壁もあり、薪も黄金も備えがあります。しかし関東勢は――徳川めの駆り集めたる将兵は、すべて急拵えの仮住まい。急ぎ作りの陣に近在で無理やり集めた米と魚、薪に至っては果たしてまことに足りておるやら。こなたには地の利があり、あなたには時が足りません。となれば」
「となれば?」
「……おそらくは火攻め、かと」
 ほう、と信繁は発したが、歩を止めるでもなくそのままの大股で進んでゆく。
「火を放つか」
「はい。あるいは……大筒を用いるのではないでしょうか」
「よく存じておるな」
「噂に……かくじいから、いつだったか聞かされたことが」
「なるほど」
 大筒、なるものをまだ大助は目にしたことはない。
 種子島銃の、さらに大きく太いものだ、ということしか知らなかった。
 彼の知る城攻めの器具のうち、それがもっとも大きく、そして火に関わるものだったのだから、ともかく口にしてみた――というだけだった。
「大筒で攻めて……それから? 如何にして終わらせる?」
「それから、でございますか」
 大筒というのは、如何にして防げばよいのだろうか?
 種子島ならば、竹を組んで防ぐという手があるという……では大筒とやらは、竹を十重二十重に組めばよいのか。
 むしろ、こちらから押し出して、騎馬で攻めたほうがよくはないか?……
 などと思案しているうちに、信繁は、また別のことを言い出した。
「大筒で、どのあたりを攻めてくるかな」
「それはもちろん、われらの出丸――〈真田丸〉を」
 これは間違いなかった。
 あれだけ豪勢に、徳川勢にむかって……あちらを小馬鹿にするように突き出している砦なのだ。そこを攻めずして余所を攻めようものならば、臆病者めと嘲笑われるのは目に見えている。
 あの家康が……三方ヶ原の戦で、今は亡き武田の殿の見事な挑発に乗ってきた、あの男が……これほどの侮辱を看過するわけがない。
 それも、わざわざ掻き集められた武将たちの目の前で!
「武家の面目を保つためにも、かならず、そこへ……いえ、へ全軍押し寄せて参りましょう」
 言いながら、真田家の若武者は、まっすぐに正面を指さした。
 つき従っていた家人たちが、あっ、と思わず声をあげる。
 夕闇の中に、黒々とした小山が盛り上がり、しかしその頂きだけは煌々と、無数の篝火によって輝いている。
 真田家の親子は、いつのまにか、惣構えの南端を歩き終え、〈真田丸〉のすぐそばにたどり着いていたのだ。
「面目か」信繁が……いや、真田幸村は、目を細めながら言った。「ふうむ。全軍でなあ」
「いや、それは言い過ぎとしても」大助は、思わず頬を赤らめる。「しかし松平一門の精鋭は間違いなく……それから藤堂、伊達などの大軍が」
「はは、松平の精鋭か。それはよい。それでこの大戦おおいくさは終わるか」
「はい」
「そうか。それで終わるか」
 大助の耳に、父親のつぶやきが、どこかしら寂しげに響いた。
 終わる。
 戦は終わる。
(それのどこが、いけないのだろう? 御味方の勝利で終われば、それでよいのではないか)
 と、そんな短い静寂を押しのけるように。
「――では我らも、ただの勝ちでは済まされなくなったな」
「えっ?」
「 過ぐる天正壬午の争乱以来の、因縁というわけだ。真田家と徳川家。――家康の皺首ひとつを奪る、くらいの大勝ちでなくてはならぬということだ。ときに、大助よ」
「はっ」
「その〈真田丸の決戦〉で、わしか、おぬしか……いずれかが討ち死にせねばならん定めだとしたら、いずれを選ぶ」
 そのような不吉なことを、と本気で怒る寸前、大助は口元に手を当てた。
 与七の言葉が、どこからともなく迷い出て、彼の肚の内で反響していた。
「――わたくしが生き残ります」
「ほう。そうか」真田信繁は、はじめて歩を止め、ふりむいた。耳元の白髪が、夜風にふわりと浮いた。「では、このわしは」
「はい。討ち死にしていただきます」
「なにゆえに」
「それがいくさ……真田の戦だからです。
 家を守り、残してゆくためには、若いわたくしが生き残らねばなりません。
 そうして、我ら真田の家は――真田の意気は、永遠とこしえに続いてゆくのです」

「そうだ。それでいい」
 長い静寂があり――やがて信繁は大きくうなずく。
「それが、我らの戦だ」
 そして彼は、ふたたび歩き出す。
 大助と家人たちが、その後をあわてて追いかける。
 篝火のむこうから、大勢の荒くれ男たちの、主人とその嫡男を迎え入れる歓声が響き渡る。
 ――己の発した答えの幾つかが、どれほど正しかったか……と同時にどれほど誤っていたことか、大助少年が思い知らされるのは、もうしばらくのちのことだ。

(第19回につづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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