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永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク


第 17 回


 青ざめていた男の頬に、と朱が差した――ように、大助の目には映った。
「もったいなき御言葉!……」
 明石掃部はふかぶかと頭を下げ、やがて、低く、よく響く声が、左右に控える女房、近習、若き主君の耳に、さらには石垣の近くにたむろする名もなきものたち、この山里丸に偶々居合わせた民草の耳にも届いた。
「いかにもそれがしは吉利支丹、遥けき南蛮より流れ来たる御教えに帰依せし身なれど……いいや、左様な身なればこそ。
 そちらにひかえし真田左衛門佐殿におかれてはすでに御承知、なんとなれば件の砦を失うた、まさにその夜、それがしを燃えゆく戦の場より救い出したのは左衛門佐殿の遣わしたる者ども――」
 その一言が発せられたとたん、衆目の目は、淀殿の足許にひかえる初老の武将にむけられる。
 すかさず、
「……すべては殿下の御為に!」
 真田の、短くはあるが力強い応えに、あちこちから大きな歓声があがった。
 が、明石掃部の言葉はまだまだ続く。
「――その折、問わず語りに開陳した、それがしの胸中、ここでふたたび語るもまた奇縁。
 聞くやらん、伴天連らの曰く、今は末世も末世、まもなく世の終わりさえ至らんと。しかして、この世の終わりには、光に満ちたるの天上より降り来たり、この憂き世は千代に八千代に晴れ渡り、ついにはまことの嬉し世――そう、まさにへとその貌を変えること相違なし。
 その折、弥栄の浮き世をば統べるべく御遣わされるべきは、天主様の独り子たる若君と、その御母におわしまする様――このように、深く、ふかく、われら吉利支丹は聞かされ、そして信じ奉っておるのでござりまする。
 若君……若君!
 しかして今度こたび、ついに関東の奴ばらを敵にまわしての大戦おおいくさと相なりましたるは、これぞ天佑、いやさ、天主様の御定めなされたりし大いなる働き。すなわち、われら深く心に定めましたるは、きっとこの眼前の御方こそは、われらをへと御導きくださる申し子その人なり、と――!」
 その途端。
 おお、と聞き慣れぬ轟音がした。それは、歓びの嵐とも、地の底より響く妖しい獣の呻きとも思われた。
 思わず、大助はふりかえっていた。名もなき無数の手が、目が、口が、いっせいにうごめき、こちらにむかって崩れ落ちんばかりに揺れていた。吉利支丹か、と思う間もなかった。足元の土が、びりり、と揺れた。石垣の上で、幼子たちの仮面が飛び跳ねた。隅のほうでは念仏宗らしき者たちがいっせいに経を唱え、また別の片隅では巫女とおぼしき女たちが頭を前後に振って踊り始めた。もはやどこまでが南蛮の異教を奉じるものなのか、それともそもそもそんな区別は詮の無いことなのか……は、波となって、くりかえし大助の全身をった。
 ――掃部!
 幾つかの、よくとおる声が、はっきりとした言葉となって渦巻く歓声を飛び越えて響き渡る。
 ――木村重成、御帰城! 御味方、勝利!
 ――勝利、勝利!
 ――あべまりや、ほざな、ほざな!
 その轟音に、少しも眉を動かさず、
「ふむ。大助、しかと見ておったな」
 くるりと、若き城主は大助のほうへ顔をむけた。
 少年は、あわてて正面にむきなおる。
「はっ」
「して如何に」
「どなたさまも……明石掃部様も、千姫様も、もちろん御袋様も……うそ偽りは微塵も発せられてございませぬ!」
 よどみなく、真田家の少年は答えた。
 嘘ではなかった――彼の目の前に次々とあらわれた名高き者たちの、ひとりとして、かけらも偽りを口にしてはいなかった。
 と同時に、それらがすべて、あらかじめつくられた言葉であることも、事ここにいたってようやく彼は察していた。
(これは……芝居だ)
 偽りではない。ただ、あらかじめ型を定め、いざという折に披露せんがために、入念に磨かれ、備えられていたものなのだ。
 誰にむけて――なんのために?
 問うまでもない。
「うむ!」
 前右大臣にして豊臣氏の長者、羽柴秀頼公はうなずいた。
「この秀頼、感服した。砦の一件、そこの掃部に瑕疵はない。いや、その忠心に一点の曇りもない――まさに完璧。吉利支丹、天晴れなり!」
 歓声が地面を揺るがした。
 伴天連たちが石垣の外にむかって、たったいま目の当たりにした一部始終を、叫んで聞かせはじめた。
 大勢の男たち、女たちが、外に待つ仲間に直に語って聞かせようと、北の橋にむかって走り出した。
 それでは遅いとばかり、気の急いた若者たちのなかには、冷たい内堀に飛び込むものさえもいた。やがて、老いも若きも、少しでも泳ぎに自信のあるものたちは、なにごとかを叫びながら愉しげに堀の中へと消えてゆき、あちこちで大小さまざまな飛沫が上がりはじめた。
 やがて、伴天連たちが外の門徒らとようやく合流したのだろう、内堀のむこうから、おう、おう、と歓びの叫びが聞こえ出した。
 大助は、動かなかった。
 いや、動けなかったのだ。
(戦とは、こうしたものなのか? ……いや――)
 これこそが戦なのか。
(これで城内の吉利支丹たちは、文字通り命がけで戦うだろう)
 それだけではない。
 風聞うわさは城の外へと広がるだろう。大坂は吉利支丹を受け容れた、と。の降り来たるべき地なのだと。
(そして……関東の軍勢の中にも、吉利支丹はいる)
 近ごろは厳しく詮議され追放されたとはいえ、ひそかに教えを信じている者たちが、いると聞く。
(かつて吉利支丹であった武将たち……もしも、この風聞が彼らの耳に届いたらば)
 そのときは、どうなる?
 大助は想い描いた。
 ひろいうみへ、小さな石が投じられ、波は静かに四方へと広がってゆく。
 ただの水であれば、波はやがて静まることだろう。
 しかし、言葉は、とどまらない。
 それは、どこまでも、どこまでも、広がるごとに新たな風を背に受けて、力強く伝わってゆくのだ。
 少年の脳裏に、ふと、小舟の群れが視えた。これまで一度として目の当たりにしたことのないはずの、無数の小舟と、海が視えた。
 この山里丸から、〈御城〉から……天下無双と呼ばれる巨大にして峻険たる山岳やまから……一気に吹き下ろす風を受け、帆を満杯にふくらませて走り出す、風聞という無数の小舟たち。
 人の手によって造られた、この山岳。この城。それはまた、おおきな船であり、数かぎりない舟の群れでもあるのだ。
 ――や! みなで行こやないかい!
 どこかから、よく響く、かけ声がした。
 ――来るまで待てんわ、行こうや!
 ――おう、行こか行こか!
 ――どっちゃやねん、てどっちゃやねん! 連れてってや、わいらも連れてってや!
 ――こっちゃ来い、こっちゃ来い、行こかい!
 山里丸の内で、外で、石垣の上のせまい幅で、いつのまにか、無数の口と手が揃いはじめ、同じひとつの大波と化していた。
 行こかい、行こかい。
 ええやないかい。
 行こかい、みんなで行こかい。
 城が揺れていた。石垣が揺れていた。木立が、曲輪が、冷たい空と泥まみれの大地が揺れていた。

「……ごっつ、べっぴんさんやぁ」
 いつのまにか、大助の隣に、辰が座っていた。腰を抜かしたのか、それとも騒ぎ疲れたのか、いつもとは様子が異なっている。口をぼんやりと開け、目はどこか遠くを見つめたまま動かない。
 大助は眉をひそめつつ、辰のまなざしの先を追った。
 ちょうど、秀頼公と千姫が、近習たちに囲まれて、樹々のむこうへと消えてゆくところだった。そのさらに前を、きらきらと五色に輝く甲冑が、かすかに見える。
 なるほど、と大助はうなずいた。
「そうであろう、辰。あの千姫様は徳川の血を引くとはいえ、それ以上に、三国一の美女と知られた浅井の奥方様の――」
「なに言うとんじゃドアホ。誰が関東の姫さんの話ぃしとんねん」
「なに?」
 辰のまなざしは、まっすぐ、樹々の彼方に隠れゆく輝きに――〈御城〉の主の母君、淀殿にむけられていた。

(第18回につづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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