双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 16 回


 おお、と大助の背後からがあがる。と同時に、鎧をまとった左右の女房たち……いや女武者たちが、さっと手際よく後じさり、その葉の落ちた枝のむこうから、のっそりとひとりの男が歩み出た。
 武将、であることはその顔つきと広い歩幅から察せられるが、茶人のように飾るところのない質素な出で立ちに、どこか疲れたような青白い肌、そして伏し目がちのありさまは、あたかもこれから首を刎ねられる咎人のようでもある。
 どよめきは、いつのまにか、聞きなれぬ歌声に変わっていた。
(何事――?)
 思わず振り返りそうになったが、大助は、寸前に身を制した。
 数人の伴天連に率いられた、吉利支丹たち。かれらが、背後の衆の手前のほうへとにじり出て、明石掃部にむかって涙まじりに異国の調べをわめき立てているのだ。
「南蛮の……」
 つぶやく大助の隣で、与七が、そろそろと頭を上げながら、
「天主さまを讃える唄、のようですな」
 言わずもがなの答えを披露した。
 なるほど、そういえば明石掃部殿は熱心な吉利支丹であると耳にしたことがある――大助は、肚の中でひそかに頷いた。
(しかし待てよ……ということは――これはかえってややこしい事になるのではないか?)
 大助は、眉をひそめ、これまで耳にした吉利支丹についての噂を思い出そうとする。
 曰く、まだ足利将軍のおわしましたる天文てんぶん年間、遠く南蛮より流れ着いた宗派で、古くは仏徒と教えを同じくしていたが、いつのまにやら別れてしまったとか。……
 また曰く、十文字の印を掲げて戦に赴き、その勇猛ぶりは日ノ本はもちろん唐天竺でも稀に見るほどであるとか。……
 はたまた曰く、かつては武家も商家も、あるいは公家の子弟さえもその教えに帰依したが、かえってその隆盛が怨まれ、太閤殿下の身罷られた時分以来、だいぶん衰微してしまったとか。……
(それでも、この〈御城〉の中には、これだけの数の門徒がいるのだ)
 大助は、背後の声の大きさから、その人数をすばやく推し量る。
(十よりは遥かに多い……百は居たとしても驚きはせんな……が、千はとうてい居るまい)
 与七から学んだばかりの、技とやらを用いてみる。
 多くて百、少なければ三十。
(そんなところか)
 殿下をお護りする女武者たち、そして近習たち、合わせて三十名はいる。手火矢と薙刀、それに刀もあるのだから、万一、数十人の不心得者が押し寄せてきたとしても、不慮の事にはなるまい。
(ならば、この場は安心か。しかし……)
 はたして奥御殿でいかなる事件が出来していたのか、それはさておき、ここでもしも秀頼公が妻君たる千姫を庇うために、明石掃部に罪科ありと判じたらば――その後、城下は……いや、今度こたびの戦の次第は如何どうなるのか?
 今、この場に集うた吉利支丹たちは、さほど多くない。がしかし、城下にはまだまだ多くの門徒がいるだろう。それこそ千人はくだるまい。数だけではない。武家にも、商家にも吉利支丹はいる。ここでかれらの不満が嵩じてしまえば。
(殿下――!)
 顔を上げ、眼前に立つ若き主君をまっすぐに見上げた、その刹那。
「では掃部、まずは申せ!」
 秀頼公は右手を掲げ、足元に拝跪する青ざめた武将にむかって声を発していた。

「されば……」
 ふるえる声が、発せられた。
「……我が軍勢に瑕疵なく、ただひたすらに我が采配に落ち度のありしと思し召したまうよう、それがしは祈るのみ。――砦を虚しうしたのは紛うことなきそれがしの失態、それがしの至らなさ、殿下より御預かり申しましたる枢要の陣、多勢に無勢とは申せども、失いたるは、まことのこと。それがし、刀をふるい、弓に矢をつがえ、最後までここを離れぬぞと望楼に残り居らんと試みましたが、やがて火の手が迫り来たり――」
「待て。聞き捨てならぬ」
「は」
「最後まで、とは異な言葉。風聞うわさによれば、掃部よ、砦が虚しうなった折、そなたは其処には居らなんだとか――」
「御言葉ながら!」
 青白い顔の武将は、はっとばかりに主君を見上げ――その声は突如、地の底から新たな力を注ぎ込まれでもしたのか、凛としてあたりに響き渡った。
「何者の仕業や知らん、そのような根も葉も定かならぬ風聞に御惑わされなさるとは、情けなや!
 殿下……殿下! この明石掃部、備前国に生まれ落ち、いかなるさだめか、まずは浦上に仕えて後は、かの宇喜多の家をしっかと支え、勿体無くも四万石を頂戴し、亡き太閤殿下より従五位下を御授かりましたるこの明石全登、いや、明石ジョアン――この期に及んでそのような情けない御言葉を賜るとは、いかなる罪の故にござりましょうや!
 かくまでの恥辱を晴らすには、仏門に帰依したる武将ならば、ここで近頃流行りの腹をば切ってその衷心をば御見せする、という仕儀にも及べましょうが、悲しいかな、それがしは天主の御教えに従う身――」
 明石掃部の訴えは続いていたが、しかしその中の何気ない一言に、大助の瞳は、きらりと光った。
(そうか……明石殿は宇喜多の家中におられたのか)
 大助の耳に、宇喜多の名前は新しいものではない。それどころか、祖父・昌幸が生きていた頃には、事あるごとに聞かされたものだった。
 あの関ヶ原の大戦おおいくさのことを。宇喜多の家が、太閤殿下のもと、輝かしくちからに満ちていたことを。それが、わずか数年で、虚しく東西に割れ、大戦のさなかに砕け散っていったことを。
 あと半年、あの大戦が続けばのう……と、昌幸は、幼い大助にくりかえし語って聞かせた。あと半年。いや、せめて三月みつき。三月あれば、いかなる事が出来したか、わかるものかよ。大助よ、わかるか。わかってくれるか。半年、半年あればのう。それがあっけなくも、ほんの半日で――。
(あの宇喜多の……)
 しかし。
「ふむ。そのこともある」
 若き城主の声が、大助の追想を遮った。
「その印……そう、そなたの首に掛かって、胸元に垂れておるそれだ……そなたたち吉利支丹の目出度き印と聞き及ぶ、そのことを咎めるつもりは毛頭ないが――しかし掃部よ、そなたたちの崇め奉るのは、ひたぶるにその天主とやら……では一体、何用あってこの秀頼に仕えておるのだ?
 それとも、掃部よ、そなたたちは二君に仕えるをよしとするのか?
 あるいは――いやいや、これは我が身の思いつきに他ならぬが――万一、万万一、そなたたちの天主とやらが、この天下の名城ごと我が身を滅ぼせと指図したらば、そなたたちはいずれに従う算段つもりかな? この秀頼か、それとも天主とやらか?」
「殿下――!」
「さあ、いずれだ、掃部よ?」
 大助は気がついた。いつのまにか、背後の喚くような歌声が絶えている。
 誰もかれもが耳をかたむけているのだ。若き城主の問いかけに。そして、明石掃部の返答に。
(天主か、それとも城主か?)
 究極の詰問。
 それを、敢えて秀頼公は突きつけている。千姫をはじめ、城内の家臣たちの前で。それどころか、数百、数千にふくれあがらんとしている民草の目の前で。
(城外の騒ぎを避けて、こちらに入ったのが誤りか――となれば、これは)
 これは己の失策なのだ、と大助は叫びそうになった。このような大事に至ってしまうとは。
 なんということだ。
 ここでもしも、不慮の事が出来したらば……それこそ腹を幾たび切っても切り足りない。
 明石掃部よりもさらに青白い顔となった大助が、ふるえながら左右を見回した、その時。
「おまちくだされませ、我が君」
 声がして、それとともに、ゆったりと、美しい甲冑をまとった女性にょしょうが、庭の奥から一同の前に進み出た。

 淀殿。
 というよりも、「おふくろさま」の呼び方のほうが知られている。
 この時も、まさに、
 ――おお、おふくろさまや!
 ――おふくろさま!
 ――ああ、お美しや、麗しや!
 などの上ずった声が、すっかり老若男女であふれんばかりになった山里丸の、あちこちから漏れ、それは次第に大きなうねりとなって大助の背後に響き渡った。
「左衛門佐」
 小声であるはずが、「おふくろさま」の短くも麗しい一言は、一同の耳にはっきりと聞こえた。
「は。これに」
 同じように短い応えとともに、淀殿の左にあらわれたのは、背は低く、鬢のあたりに白髪も少なからず、けっして見栄えのするかんばせではないが、しかし鋭い目元に強い意志を感じさせる、五十がらみの武将がひとり。
「――大明神っ!」
 どこからか、かけ声が飛ぶ。つられて、即座に、
「――いよう、六文銭!」
「――真田、幸村ぁ!」
 石垣を揺るがさんばかりの歓声と、足踏みが、荒波のように押し寄せた。
 父親の姿に、大助は、思わず開けた口を、閉じることさえ忘れていた。
 と。――
「我が君……そのように急いては」
「おふくろさま」
 秀頼公は、ゆっくりと身をひるがえし、母親のほうに向きなおる。
「これはこれは。神速は兵法の常。先んじざれば制せられまする。この秀頼、けっして不要に急いておるわけでは」
「それ、それ」
 淀殿が微笑んだ。大助の目にむかって、五色に輝くその甲冑が、きらきらと光を弾いて散らせた。
「耳に頼りすぎては、取り逃がすものも少なくありません。御覧なされよ……そのように、明石掃部めは恐縮しきっておりましょう。その様を御覧なされ。その目を、その頬を。いかにも言葉が追いつかず、自身もそれに気づいて、悔しがっておるのがありありと。――さ、掃部。いや、ジョアン。申してみや。飾らずともよい、急がずともよい……おまえの忠義の心、我が身はと心得ておるがゆえ、のう」

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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