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永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 15 回


 風向きが変わっていたのだ。
 潮の香りは消え失せた。代わって、遠くの音が、そして近くの臭いが、大助めがけて押し寄せた。合戦を眺める男女の汗――焼かれた鶏と川魚――八幡やら天主の印やらをかざした大人どもと、石垣の上に並んだ辰の手下たちのわめき合い。
 饅頭をほおばりながら辰は、石壁の上を右に左に大股で歩き、下にむかって何かを怒鳴り散らしている。それにつられるように、戦の見物人たちが、ぞろぞろと北のほうへと歩き出し、その先頭はいつのまにか、大助らのいる山里丸の中へとのぼりつつあった。
「何事だ」
 大助が二度、三度と声をかけると、ようやく気づいた〈戎橋の辰〉は、
「なんやねん、ええとこやのに。――そないに心配すなや、問題あれへんわ。ちゃんとぎょうさんこっちゃへ通してくれるよう、ちゃっちゃと話つけといたさかいにな。……おうおう、おばちゃん、せやせや、泣く子も黙る真田大明神や! このお札ぁ買うてや! 夜泣きに効くでえ!」
 いつのまにこしらえたのか、表に文字と絵の記された縦長の紙片の束が、辰の左手に握られていた。両目を見開き、歯をむき出した武将の大きな赤ら顔が、ちらりと見えた。その後ろに、かすかに、永楽銭をかたどったかと思われる丸が、六つほど並んでいた。
 大助は、ありがたい「お札」の文字のほうは読まずに、顔を伏せた。何が記されているのか、読まずとも推量できたのだ。
「なるほど、万病に効くのですか。それから失せ物も見つかると。さすがは真田幸村大明神……」
「読むな。読まんでいい」
 与七に言いながら、大助は額に手を当てて、ため息をつく。
 風が髪をなぶった。東から……いや、次第に北からの風に変わりつつある。
 しゃりり、しゃりり、と物音は遠くなり近くなった。風は冷たかった。あの九度山に比べれば、さほどのことではない。ないはずが、なぜか、大助には不思議なくらい冷たく感じられた。しゃりり、という誰かの命がけの音は薄くなり、やがて消えた。
「与七」
「はい、なんでございましょう」
「ひとつ教えてもらいたい」
「わたくしにお教えできることであれば、なんなりと」
「おぬしは何者だ」
「は?」
「おぬしは、おぬしらは何者なのだ――商人あきんどというものは。その、天秤の道なるものとは」

「それはまた、大きなお話ですな」
 与七は笑みを絶やさずに言った。
「ではその前に真田の若君……あなたは御自身が何者か、何のためにここに居られるのか、すべて御承知なのでございますか」
「もちろんだ!」大助の叫び声は鋭かった。と同時に、かすかに震えていた。「秀頼公のおんために――この〈御城〉に馳せ参じて戦わんがためだ! 決まっている! この〈御城〉に居る者たちは、ひとり残らずそうだ!」
「なるほど。分かりやすいお答えですな。では、あの者たちはいかがでしょう」
 与七の細長い指の先には、石垣の縁に腰を下ろし、山里丸へとのぼってくる群衆にむかって楽しげに叫んでいる異装の子供たちが並んでいた。
「あれは……辰たちは、そうではない。もともと城下に暮らしておったのだから、おかしなことではなかろう。それとこれとは話が違う」
「そうでしょうか? この戦、いずれに武運が傾くものか、分かったものではありますまい。たとえ親の代から、いいえ、先祖代々この大坂に生まれ育った者でさえ、ほんのいっとき、戦火を避けて、隣の村まで逃げても、あるいはさらに遠くの……それこそ播磨か大和か、あるいは京あたりまで逃げておき、ゆっくり見物すればよさそうなもの」
「あの者たちは、この地に家もあろう、親もあろう。それよりも、わたしの問いに答えろ。おぬしら商人のことだ」
「さて、そこですな。わたくしども商人もまた、この地に――他に採るべき途もない、としたらば、いかがでしょう」
 大助は、じっと隣の青年の顔を見つめた。彼の言葉には偽りはかけらもなく、しかしそれだけに、深い沼のように底の見えない黒々とした翳が感じられた。
「商人は、どこへでも往けるのではないのか? あちこちへ往き、物を売り買いし、民の腹を満たし……」
「そうであるとも言えますし、そうでないとも言えますな」
「わからぬ」
 大助のか細い声に、はて、と応えながら与七は首をかしげる。
 それを見ようともせず、真田の若武者は、遠い東の果てを臨みながら、言葉を続けた。
「わたしは……つまり……商いというものが今ひとつよく分からぬ。いや、そもそも銭というものがよく分からぬのだ」
 与七は、ほほう、と短くつぶやいた。
 大助は赤面していた。
「この〈御城〉に参上して以来、わたしは……そのことがどうにも気にかかっていた。今度こたびの戦について、考えれば考えるほど、わたしは何やら大きな見落としをしているのではないかと思われてしかたがなかった。そして城下で、あのようにして、物が売り買いされるのを目にするたびに――」と、大助は、辰たちのほうに目をやりながら、「――なにやらおかしな心持ちになるのだ。あの幼い者たちは、真田の家を、その評判を、糧としてなにやら売り買いをしている。そこまではよい。ただ……何と言えばよいのか……さきほどの、おぬしの天秤の道、勘定の道とやらの話を聞いて、どうにもおさまりがつかぬようになったのだ。分かるか。つまり――その……商人あきんどたちが、銭を用いて、あれやこれやを運び、天文を読み、水利をととのえ、民がそれらを以って暮らしてゆくのであれば……」
「……、ということですかな?」
 その言葉に、真田の家を守り継ぐべき少年は、雷に打たれたように、背筋を伸ばし、隣の青年をふたたび見つめた。
 柔らかい笑みのまま、与七が語り続けようとした、その時だった。
「――御成り!」
 風に千切れて、鋭い声の半ばを聞き取りそこなったが、しかしその意図は取り違えようもなかった。
 大助は素早くその場で平伏し、与七も気配を察したのか、ほぼ同時にその隣で這いつくばる。
 その動きを追いつめるように近づいてくるのが、幾人、いや、幾十人もの足音と、そして。
 ――秀頼公。
 風向きのせいか、それとも今の今まで足音を忍ばせていたのか。
 頭を下げる刹那、大助の目に映った主君の姿は、初めてお目見得した折よりも、なぜかしら大きいように思われた。もとより秀頼公は背の低いほうではない。しかし、それにしても大きすぎる。
(はて……御顔だちのせいか、それとも御装いの柄のせいか、いやしかし)
 と訝ってから、伏せたままの大助は、若き主君の足元に気づいた。大きな、高下駄のようなものを秀頼公が履いていたのだ。
(なるほど、これで上背をさらに高くして)
 六尺の巨漢、という評判を世に広めようという仕掛けなのか。
 がしかし、もしかしたら秀頼公は単にこの奇妙なものを履いて、まわりの女房たちを笑わせたいだけなのかもしれぬ――なぜとなく浮かんだそのおかしな思いつきが、大助には正しいものに感じられた。
(この御方は、そうした御方なのだ。いや、そうに違いないのだ)
 その、背丈の伸びた秀頼公の後ろからあらわれた一団――女房たちだ、ということは見ずともわかった。幾十もの薙刀の切っ先がきらめき、長い種子島てびやを軽々と肩に担いで、狭い歩幅で主君の左右を護り、背後を庇い、けっして前には出ようとしない。
 そして、彼女らを統べる与力然とした顔つきで、二人の、年嵩の婦人がその左右の端にいる。――というところまで、かすかに頭を上げた大助は見て取ることができた。
(あれは……秀頼さまの乳母であろうか。たしか宮内卿局と、それから大蔵卿局か)
 前者は、あの木村重成の母でもある。面立ちが似ている――と判じるほどしかと見つめたわけではないが、大助の心中では、おのずからそのような美しく整った女性にょしょうかんばせが形作られていった。そして、同時に、主君のすぐ近くに控えているに違いない、もうひとりの美しい姫君のおもかげが次第にひときわ大きく、眩しくなってゆくのだった。
 秀頼公が歩を止めた。
 それを囲むようにして女房たちが、ぴたりと動かなくなった。さらに外をとりまく近習の男たちが、平伏した。幾人かは、しかし、どこか不満げに見えた。
(はて、これは面妖な――)
 と大助が訝しんだ、その間もあらばこそ。
「ああもう、よいと言うに! 一同、おもてを上げい!」
 声を上げたのは……威厳を隠しようもない若き城主、羽柴秀頼公その人であった。
 その隣に――大助が思い描いたとおりに――千姫が寄り添っていた。驚いたことに、他の女房たちと同じく、色鮮やかな甲冑をまとっている。
「おお、そこに居ったか大助」まるで春の陽射しの中にその年初めての梅の花を見つけたような、愉しげな声で、大坂城の主が言った。「よい、よい。城内御免じゃ」
「はっ」
 招く扇に吸い込まれるように、大助は素早く石垣から降りて近づいた。
 背後から、ざわ、と幼い声がしたが、振りむかなかった。辰の率いる異装の者たちが、もたつきながら、それでもなんとか平伏しようと身を揺すっているのは、見るまでもなく察せられたのだ。
「おもてを上げいと言うに。――そうそう、それでよいぞ。して、内通者は見つかったかな」
「は……いえ、その儀は……」
「ふふ。於千おせんの申しつけた無理難題、もちろん聞き及んでおるぞ。面白い、じつに面白いぞ。許す、述べるがよい」
「されば――」
 咳払いをひとつしてから、大助は、
「この城内に名将・宿将は数多あまた馳せ参じておられますが、それがしの拝察しましたるところ……主だった方々のうち、関東に通じておる不届き者は未だひとりたりとも見出されてござりませぬ」
「ふむふむ。ちなみに、いずれの者と対面した」
「されば――まずは織田有楽斎さま、木村重成さま、青木久矩さま、大野治長さま以下同家のお歴々、それから……」
 大助は淀むことなく城内に参集した武将たちの名を挙げていった。それに合わせて、
「うむ、うむ」
 若き君主が、いちいちうなずく。
 その隣で、美しい姫君は顔を真っ赤にして、むずむずと、所在無げに身を震わせていた。紺と朱に彩られた真新しい甲冑の上を、きらきらと光が跳ねる。
「於千、このように申しておるが」
「……わたくしは、得心しておりませぬ!」
「ほほう」
 左右の、二人の乳母たちが、すばやく目配せをした。大助は、千姫がそのかすかな動きに気づいていないのを察した。
 背後のざわめきが、さらに大きくなっていった。辰の手下どもだけではない、と大助は感じ取った。下からのぼってきた、あの物見高い老若男女が、この山里丸までたどりついたのだ。
 なにやら怪しい雲行きになってきたぞ、と大助は眉根を寄せる。
(そうか……おそらく城内で、それも表御殿ではなく奥向きのほうで、どうにも内通者がおらねば説明のつかぬ何事かが、起きた……いや、のではなかろうか?
 そして、もしも新たに入城した諸将の中にが見当たらぬとなれば、理の当然として、内通者は今度の東西手切れの前に既に城内にいたことになる……その時、まず初めに疑われるのは――)
 関東の覇者にして源氏長者・徳川家康公の孫娘、千姫さま。
(――そういうことか!)
「詮議が、足りぬのでござります」千姫の美しい声が、震えながら、山里丸に響きわたった。「まだ、この者が対面しておらぬ武将がおりましょう。たとえば、あの明石掃部。先だっての戦では、我らが大事の砦を、いともたやすく敵方に奪われてしまったと聞き及びます。これが内通の証でなくて何でございましょうや! 殿下!」
「なるほど、そういえばあの砦は虚しうなってしもうたの。やはり詮議が足りぬか」
「足りませぬ、いかにも足りませぬ」
「よし」
 城の主は顎に手をやり、大きくうなずいた。
「それではこの場で、我が身みずから、黒白こくびゃくを明らかにしてみせよう。――明石掃部を、これへ!」

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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