双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 14 回


「さんぽう?」
 大助は思い出した。以前に、辰が口にしていた言葉だ。
「如何なる技なのだ、それは」
「物事を、数と成してしまうことですな」
 与七青年の発したのは、あっけない一言だった。
 が、大助の見開いた目と聡い耳は、その一言の奥に、なにか別の……まったく異なる、深く渦巻くものを感じ取っていた。
「数――」
「はい。先ほど軍勢を数えたと申し上げましたが、まあ、それだけではない……と申しますか、細かいことを気に病まず、物事を大きく包むように捉えること、それをわたくしは『数と成す』と呼んでおるのですが」
「…………」
「あの軍勢を」と与七は、遠くうごめく群れを指差した。「いちいち一人ひとり数え始めたらば、まったくきりがない。目も指も追いつきません。それは一見、易いやりくちですが、しかし実りは少ないのです。ましてや、これだけ離れておれば、どれほど遠目の利く御仁であろうと――若君がお持ちのその絡繰筒からくりづつをもってしても、いやそれなればこそ尚更――至難の業ですな」
「そこを、おまえはのか」
「はい。大きく捉え、捉えることで我がものとするのです。物事は何であれ、大きく、大づかみに……大雑把に捉えるのが肝要。
 あの軍勢のいるあたり……手前の川のそのまたむこうの、あちらへんですな、おわかりでしょうか……実を申せば、先だってわたくしが京よりこちらの城下に罷り越します際に通り過ぎたあたりです。その折に、まあ、暇に飽かせてと申しますか、いつものわたくしの悪い癖と申しますか、ここの辻から次の藪までは何歩、あちらの川べりから次の畔までは何歩……とぼんやり数えつつ、歩を進めておったわけでして。
 それも、大づかみに、でして――ぴたりと幾千幾百幾十幾歩とまで数えたわけではありませんよ――とはいえ、それでも十分に役に立つこともあります。今度こたびのようにね」
「わからん」大助は素直に言った。
「はは、さして難しいことではござりません、もうしばらくお耳を――さて、たとえばあの軍勢の押し合いへし合いするあたり、あちらからあのあたりまでが、仮に、おおよそ一千歩だといたしましょう。さて若君、足軽が槍なり何なりをこう抱えて、一人立っており、その後ろにもう一人、次の足軽が同じような装いで立ったとして……一人目の足軽から二人目の足軽までは何歩ほど離れておりましょうかな?」
「それは時と処によって異なろう……いや待て」すぐに真田の若武者は、問いかけの指し示す行く末に気づいて、言い直した。「おおよそ、なのだったな。そして仮に、か。なるほど、そういうわけか」
「おや」京から来た青年は、隣の大助の飲み込みの早さに、細い目をほんの刹那だけ見開いた。「おわかりですかな、真田さま」
「大助でよい」言いながら、しかし大助は、わき腹のあたりにくすぐったいような温かさを感じた。「足軽一人で五歩とすれば、一千歩の内に二百が入ろう。間を三歩に縮めたらば三百三十と……」
「三百三十三の余り一歩、と申し上げたいところですが、ここはの内なれば……まあ、三百と少々、くらいでもよろしいかと。ちなみに横の幅についても同じこと……あのあたりを通りかかりました折に、わたくし、左右を見渡しまして、まあ、当世具足に槍を担いでどれほどの人数が横一列に並んで歩けるものか、ぼんやりと考えておったものですから。というわけで今こうしてここから眺め下ろしておりますと、あちらの中納言さまの手勢は縦に百、横に六十も並べばもう十分……ゆえに六千と」
「ふふ」大助は思わず笑い声を発した。「仮の内、か。面白いな。掌に、あの戦場いくさばを載せるのが商人の流儀か」
 さようですな、と与七は答える。
「たしかに流儀といえば流儀。お武家さまに軍法、兵法の流儀がございますように、わたくしどもには算法があり勘定がある、といったところですか。とはいえ――」
 ふと与七の言葉が途切れ、大助は、腹の底の方に奇妙なむず痒さを感じた。それは初めての感触だった。
 いつのまにか、隣の与七は、大助をまっすぐに見つめていた。
「――その算法、まだまだ奥がございまして。ただいまお話ししましたのは、ほんの序の口。わたくしめがこちらの御城に参上しましたのも、実のところはその算法の奥義を探らんがため」
 大助は、無言で、与七を見つめ返した。
 そして、ようやく気づいた……先ほど、与七が「こちらの話」と言いかけた件の、これは続きなのだ。
「算法の奥義……」
「はい。それを記した貴重な書物――この日ノ本はもちろんのこと、唐天竺を訪ね歩いても二つと見つからぬというほどの……まさに、この天の下に今やただ一冊しか残っておらぬと噂される、秘中の秘。
 それさえあれば、天地の理を極め、水利をあやつり地中の金銀を呼び出し……まさに掌の上に、この憂き世はおろか星辰までをも載せて捉えることができようという――」
「だ……どなたがそれを蔵しておられるのだ?」
 秀頼公か、と大助は先ず思った。亡き太閤殿下も、日ノ本六十余州は言うに及ばず、唐天竺から珍奇な文物を集めておられたという。となれば、その後を継ぐお方がそうした秘伝を有していると思うのが道理。
 と、興奮に目を見開いた大助を、与七は軽くいなすように、呑気な口調で、
「ええ、さようですねえ――お持ちであるとすれば、おそらく……毛利重能さま」
「もうり、しげよし?」
 その人物の名を、大助は思わず繰り返していた。
 このひと月ほど、大助はあちらこちらに配された武将たちのもとを訪ねてまわり、その忠義のほどを対面して確かめていたが、この毛利重能なる者とは未だまみえていない。いや、そもそもそのような武将が入城していたことすら知らずにいたのである。
「そのような御仁が、この〈御城〉におられたか。――あの毛利家の御家中なのか?」
「いや、そのあたりはわたくしもしかとは」与七の口調は、あくまでも軽く、明るい。「たしか太閤さまにお仕えして出羽守を頂戴したと伺いましたが、詳しいことは。ただ、算法には明るいお方のはず。風聞うわさでは、太閤殿下より密命を賜りて明国に渡り、彼の地にて天元術の奥義を極めたとか極めなかったとか」
「どちらなのだ」
「はは、ただの風聞ですよ。尾ひれが付いて、ふくらんで、十重に二十重に大事おおごとになる……風聞とはそうしたものです。
 そもそも、あの大戦おおいくさの前であれば、算法のためにわざわざ忍んで海を渡ることはありませんし――博多あたりで船を用立てるのは、往時にはさほど難しいことではなかったのですよ――大戦の後であれば太閤殿下はお亡くなりになっておりますし。と申しますか、おいそれと明国へ渡れなくなったのは、そもそもあの大戦のせいなのですからね」
 と、口にした与七は、ひどく残念そうな顔をしていた。
「……なにゆえ、そのような秘事を、この真田大助に教える」
「はは、いやなに」与七は頭を掻いた。どこか遠くで海鳥の鳴く声がした。「秘事とは申しましたが……わたくし如きが隠しておりましても、いずれ若君さまには見抜かれてしまうでしょうし」
 なるほど、と少年はようやく合点した。
 大助の、嘘偽りを感じ取る技は本物であると、この与七青年は言っているのだ。
 ならば、と大助が言いかけた、その時。
 ――しゃりり、しゃりり。
 と、聞き慣れぬ音がした。彼はあたりを見回した。
 ――しゃりり、しゃりり。
 繰り返すその音が、はるか東の、泥まみれとなった戦場から届く、甲冑や武具のぶつかり合う音であることに、真田の若武者は気づいた。

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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