双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 13 回


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 七日後、風はさらに冷たく、強くなっていた。
〈御城〉の東辺を流れる広い川のむこうで、すでに戦いが始まっている、という報せは、その日の明け方、あっという間に広まった。大助は、真田の出丸で起きがけに、戎橋の辰が率いている例の子供たちから聞かされた。
「えらいこっちゃ、えらい数や!」
「せや、んでもって大筒がぼんぼんと、手火矢もぱんぱぱぱんと」
「なに言うとんねん、あちらで火の手がこう、大水がこうやろ」
「中から大きな蝦蟇が出てきよっての、ほんでもって雷やら天神さまやら」
 などと一斉に喋り出すので、しばらくのあいだ、いったい何が起きているのやら――それこそ、まこと天から竜でも降ってきたのか、と刹那の間ほど疑ったほどだ。
 騒ぐ子供たちをようやく抑え、大助が素早く身支度を済ませ、供の下人らも待たずに〈御城〉の玉造口に駆け込んだのは、四半刻ほど後のことだった。
(これまでとは違う)
 すでに大助は直観していた。
 城下の――あるいはそこはすでに城内なのか、今もって彼にはよく分からなかったが――騒がしさも、足早に北にむかって動く男女の発する臭いも、昨日までとはどこか違う。昨夜の雨のせいか、それとも戦というものはそうした独特の臭いを発するものなのか。
(関東勢が動いた……あるいはこちらから先に仕掛けたのか? このまま決戦となるのか? 殿下はどちらにおわすのだろう? そして……あの千姫さまは?)
 いくつもの疑問が浮かび、それらはことごとく一人の美しい姫君の姿に呑まれ、大渦と化す。そのあいだにも真田大助の身体からだは、〈御城〉の東側を護る外堀に沿うように、人びとの大波に揉まれながら北へ北へと流されていった。

「……おう、遅いやんけ大明神!」
 雑踏の中で子供らとはぐれて方角すら見失っていた大助を見つけて声をかけたのは、当然というべきか、戎橋の辰だった。
 幾つもの長い梯子を巧みに組み合わせて、大きな櫓に仕立て上げ、その頂から、押し合いへし合いしている大群衆を見下ろしている。
「辰か! ありがたい!」
「へへっ、ありがたいのはこっちゃもや。これで商売あきないできそうやわ……おうおう皆の衆、こちらにおわすは万事必勝、万病退散、その名も高き真田大明神じゃ! ほれ、賽銭、賽銭!」
 と、上から怒鳴り始めた辰は、竹籤で編んだ幾つもの神仏の仮面で小さな身体を隙もなく覆い、長い髪を大きな丸い髷一つにまとめて頭の上に載せてある。どうやら達磨のつもりらしい。
 あいかわらずの異装ぶりだったが、見とがめる者はいない。それどころか、あたりの者たちは、老いも若きも、東から北にかけて城外で今まさに繰り広げられている戦いの次第を、少しでもきちんとしようと、小突き合い、つかみ合い、互いに肩車となり、わめき合い、さらには鉦や太鼓を鳴らしては少しでも仲間以外の者たちを追い払おうとさえしていた。
「……いったい如何どうした騒ぎなのだ、辰!」大助は口に両手を当てて、梯子の櫓にむかって叫んだ。
「なんやねん、どうって。いくさやがな! これが戦ちうもんやがな!……知らんのか!?……」
 大助は、あらためて左右を見回す。
 肉の焼ける匂いが湿った風に乗って押し寄せてくる。どこかで鶏の鳴き声がする。ごうごうと、嵐のような音がする。
 それは唸り声、あるいは笑い声、その他言葉にならない言葉の削り滓であり、名も無く正体も無い手が、口が、裸足が、渇いた喉と空かせた腹が発している。
 男も女も茣蓙を敷き、あるいは天秤を担いで歩き回りながら、酒を売り、煙草を買って火種をまわし、饂飩や饅頭をほおばっている。
 そして彼らは、一人残らず、堀と天守閣に背を向け、ひたすら北東のほうを見つめているのだった。
(あれは――)
 人びとに揉まれながら、少年は、彼らに倣って同じ方角を見た。
 背中に天守がある、ということはあちらは北東、すなわち手前を流れる猫間川やそのむこうの平野川が北辺の淀川につながるあたり、と分かっていたつもりが、そのような絵地図の浅知恵はどこかに流されたまま帰ってこない。
 眼前……群衆が押し合い叫び合うそのむこうには大坂方の将兵がずらりと並び、さらにそのむこうには惣構の堀が穿たれ、そこから先が城外であり……そこにはどこまでも平たい、川であるのか原であるのか、ほとんど区別のつかない泥と水草と冷たい風の連なりが、横たわる。
 その泥と草の中を、無数の旗が蠢いているようにも思われたが、定かではない。そもそもこの場に集うた民人たみひとは、彼方の軍勢同士のぶつかり合いが見えているのか、それとも単に、人びとが集まっているからやって来ただけなのか。
 遠くに鬨の声が上がるたび、まるで木霊のように、やんやの喝采が、大助のまわりで響き渡る。
 しかし、 鬨の声がなくとも、あるいは小さな旗の群れが動かなくとも、喝采はわきあがる。
 それこそ、あちらで酒がこぼれただけでも、喝采は始まり、あれよという間に四方へひろがり、いつの間にやら敵の武将の誰某が討たれただの、こちらの将兵が崩れだしただの、という 声が飛び交う。
 そして不思議なことに、そうした声を押し返さんとばかりに、今度は正反対の言葉があちらこちらから沸き起こる。いいや、誰某は今なお健在なり、ほれご覧あれ。こちらの将兵はいよいよ盛ん、見やれ、北のほうから名将・後藤殿が敵に食らいついておるわ。
 その場に居合わせた数百、数千、あるいはもしや数万の、誰一人として、遠い川向こうの戦の実相を目にしてはいない、しかし名も無い口は、まなこは、たしかに後藤又兵衛の鬼神の如き奮戦ぶりを心に刻む。
 嵐だ、と大助はふと思う。これは嵐だ。高野山を時折襲った夏の颶風にも似て。それともむしろ海の嵐か。
 その証とばかりに、どこからともなく、潮の香りが唐突に感じられる。海が近いのだ。大助はひたすら思う。この城は、海のほとりの砦なのだ。ほんの一刻、西にむかって歩を進めれば、静かな波と豊かな浜にたどり着くだろう。――しかし彼はまだ海を目にしたことがない。
(これほどに近く、かくまでも遠い ……)
 ふと、ひとりの美しい姫君のすがたを思い出しかけた、その時。
 巨大な十文字の飾りを掲げる伴天連が大助の背中に倒れこむようにぶつかった、かと思うと、早口で詫び言らしき奇怪な叫びを発しつつ、辰を乗せた櫓のほうへ倒れこんでいった。
「おおう、なめとんのかゴルア!」
 辰は、倒れかかった梯子の上で、それでもなかなか落ちてこない。右に左に揺れる様を、あたりの群衆が見世物と勘違いしたのか、
「いよう、戎橋の!」
「もういっちょ!」
「おらおら、水でも吹いてみんかい!」
「阿呆たれ、見物すんなら銭ぃ払えや、この鈍亀が!」
「なにい!? やるんかゴルア!」
「おうやったるわい、こちとら腐っても戎橋の辰じゃ!」
「言うたなワレ、うちらは高麗こま橋を預かっとる高麗党じゃ、なめとったらおんどれら蔚山ウルサンの隅っこの肥溜めに埋めて春になったら畑に撒いたるど、ああ!?」
 そんな啖呵のあいだに、どこからともなく集まってきた配下の子供らは、伴天連に殴りかかる。と、今度は吉利支丹とおぼしき周囲の大人たちが騒ぎに加わり、かえって拳の数が増えてしまった。
「辰!」
「おうおう、いてまえや!」
「待て、ここで騒ぎをおこしてはならぬ!」大助少年は必死で叫んだ。「姫さまの……いや、殿下の御為にならぬのだ! 城内で――」
「なにが城内じゃ、お城はあっちじゃ、ここらはわしらの土地もんじゃあ! 野郎ども、いてこませえ!!」
 そうして、四半刻ほど後に。――
 大助たちがたどり着いたのは、山里丸の北東を護る、美しくそそり立つ城壁の上だった。
 もちろん、例の〈城内御免の簪〉のおかげである。
 これまで、千姫に面談してご報告を、と度々〈御城〉の奥御殿の前まで登っていた大助だったが、そのたびに、
 ――ここより奥は男子禁制にございますれば。
 と渋られてきたのである。
 が、山里丸を護るつわものたちにはきちんと指示が伝わっているのか、簪を見せた途端、すんなりと大助一行を通してくれた。
 いろいろな使い途があるものだ、と大助は 辰とその配下たちに振り返り、自慢げに笑いかけた。
 石垣に登った大助は、ようやく思い出したように、懐から遠眼鏡を取り出して眼前にかまえる。
「なあ、見えるんか?」と辰。
「うむ、しばし待て」
「わしにも見してくれや、なあ?」
「待て待て」
 裾にまとわりつく戎橋の辰を追い払いながら、大助は眼を凝らした。
(見えた!)
 冷たい泥の海の中を、倒れこむようにぶつかり合う、二つの軍勢。
 命を奪い合う、二つの塊。

「いやはや、人が塵芥ちりあくたの如し、ですな。こうして眺めておりますと」
 低い声がしたのを、一瞬、大助は気づかずにいた。
 ぎょっとして遠眼鏡をおろし、右を見る。いつの間にやら辰たちの姿は見当たらず、隣には、数日前と同じように与七が立っていた。
「……与七、そなたは武家を愚弄するのか?」
「いえいえとんでもない」与七青年は言った。「遠方よりの眺めについて申しあげたのみにございますよ、真田の若君。このように朝も早くから戦に精を出して……いやはや何ともご苦労なことで」
 どこかしら巫山戯ふざけた響きがあったが、大助はそこのところは許してやることにした。
 しかし、何か言い返さねば腹の虫がおさまらない。
 そもそも、陽のあるうちに戦わねば、一体いつ戦うというのだ。夜討ちという戦法もあるにはあるが、それが如何に難しいものであるかを、夜の山道を往来したことのある真田家の少年はきちんとわきまえていた。
「ふむ。与七よ、わたしには商家というものがよく分からぬが……おまえたちも朝から商いに精を出すのではないのか」
「おや、それもそうですな。これはしたり。とはいえ――」
「なんだ。申してみよ」
「あれほどまでに、汗まみれ泥まみれになりはしませんな。殊に、みやこの大きな商家のお歴々は」
 そうなのか、と思わず大助は口にしてから、なにやら己が騙されているような気もしていた。
「さようですとも」
 京から来た青年はかまわず続ける。
「この与七の愚考しまするに、商家と申すのは、お武家さまのように膂力でもって世のために事を為す家柄にあらず……むしろ天文を読み、風を読み、 ときを読むことで、皆さまの御都合を整え、不自由を片付けるのが本分ではないかと。
 お武家さまは、弓馬の道と仰せになり、あるいは武芸十八般などと仰せになりますが……商家には天秤の道があり、勘定の道があり、その他さまざまな天地あめつちことわりを極めんがための道がございます。ことにこの究理の道、いや究理の学というやつは実に素晴らしく、この御城にわたくしがお邪魔しておるのも何とかして例の……おっと、それはこちらの話ですが。
 ともあれ、数多あまたの道はことごとく商いに通じます。それらを極めてこそ、商いというものは、滞りなく進み、皆さまのお役にも立ち、ひいては天地人の実相へとにじり寄ることで、神仏儒仙、さまざまなるありがたき御教えとも一体となりましょうな、ええ」
「うむ。そうか」
 大助には、与七の言葉の半ば以上分からなかったが、それを認める風は見せぬように、できるだけ重々しく頷いた。
(それにしても――)
 こちらの話、とは何のことなのだ、と問い詰めようとしたその直前に。
「ちなみに若君……あの敵勢、どのくらいと思われますか?」
 与七は、ささやくように言った。
「どのくらい、とは」
「頭数ですよ。兵の」
 なにやら急に話の矛先が変わったな、と思いながらも、大助は遠眼鏡をかまえ直した。たしかに、軍勢の大きさは気にかかる。
 川の向こう、泥の平野に、ちらちらと動く小さな影たち。十、二十、その向こうにまた二十、それから……百までとどかぬうちに、少年は己の数えている処を見失い、眉をひそめて、細い筒を握った両手をおろした。
「わからぬ」
「六千、ですな」与七の答えは短かった。「正面の一群、会津よりお越しの上杉中納言さまの手勢とお見受けしますが、そちらが五千……その横の小さな塊が、千と少々。榊原、丹羽、堀尾さまの旗でしょうかね」
「数えたのか」
「数えました」
「まさか」言いながら、それが偽りではないことを大助は察していた。すくなくとも、与七当人は、それを偽りとは思っていない。「如何にして?」
「天元術……」与七は重々しく口を開き、しかしすぐに、堪えきれなかったという風に顔じゅうを笑みにする。「……というほどの大仰な技ではございませんが、なに、ちょいとした算法ですよ」

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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