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永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 11 回


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 彼らが砦にたどり着いたのは、まもなく陽が中天にかかろうかという頃だった。
 風は、北から強く吹いていた。
〈御城〉は意気盛んだ、と大助は風を背にして思った。ふりかえるまでもない。〈御城〉の匂いが感じられるのだ。
 肉や魚を焼く匂い。汚れた布の匂い。土の匂い。石の匂い。武具が軋み、擦れ合い、そこから発せられるくろがねの匂い。
 もしもこの巨城に丹田があるならば、そこはたいそう気力が満ち満ちていることだろうな、と彼は想った。
 城は身体からだなのだ――そんな、どこかで耳にしたような、それでいて間違いなく初めての想いが、彼の中を駆け巡った。
(あれは――いや、よく似た言葉であったが、しかし)
 彼は思い出していた。祖父が、いつかの折につぶやいていた、短い言葉。
 人は城、人は石垣。
 それは実相まことであり、しかし同時に実相ではなかった。真田大助は、己の首筋が熱くなるのを感じた。
 別の言葉が、唐突に、彼の裡に蘇った。いつのことであったか、高野山に勤めるひとりの若い僧が九度山を訪ねた夜のことだった。
 ――弘法大師さまの、み教えの、これが根本にございます。
 そう言って、若い僧は、幼い大助の前に二つの美しい絵図を広げて見せてくれた。
 ――こちらが胎蔵界、こちらが金剛界。この両部がすべてを……いいえ、これこそが諸法の実相なのであります。あらゆる事はこれらの裡にあり、あらゆる苦しみはこれらの前にとけて消え去るのです。
 まだ幼すぎた大助は、僧が何を語っているのか――何を告げんとしているのか――皆目わからなかった。しかし、しばらくの要領を得ない問答ののち、僧がこんなことを口にしたのだけは、憶えていた。
 ――この世界の、すべては一つの身体なのです。それは御仏の御身であり、あなたさまの御身でもあるのです。
(御仏の――身体……どこまでも広がる、この美しい〈御城〉……美しい――千姫さま……)
 自身にもわからぬままに、少年の中で、黒々とそびえる大坂の巨城は、いつしか、白くすべらかなひとりの貴い女性にょしょうのすがたに変じていた。
(ああ……そういえば、しばらく御目にかかっておらぬ――)
 と、大助少年が、時ならぬ追憶の渦に呑まれかけている隣で、もうひとりの少年は、ひどく正直なふるまいに走っていた。
「おう、食いもんないんかゴルア! この戎橋の辰を、なめたらあかんどお!」
 異装の少年は、住み慣れた己の屋敷に戻ってきたように、砦の住人たちの間を馴れなれしく歩き回り、手当たり次第に芋やら何やらを掴み取っていく。いつのまにか集まってきた、彼の手下の少年少女たちも似たりよったりの所業に余念がない。
 それを眺める男たちは、
 ――やれやれ、困った童どもめ!
 という顔つきだった……幾人かは口に出しさえした……が、辰をはじめとする子供たちのふるまいを不審がることもなく、むしろ親しげに彼らと交わっていた。
 どうやら、辰の一味が「真田大明神」を言挙げして賽銭を集めるだけでなく、真田の郎党もこの幼い闖入者たちから利を得ているようだ……ということを、我に返って騒ぎを見つめていた大助は気付いた。
 酒を購い、活きの良い魚を手に入れ、何をするにも童たちの働きは案外に役に立つ。それが、戦というものなのだと大助は思い、ふと眉をひそめた。
(酒、魚……あるいはその他の、白粉と香で飾り立てられた、柔らかな白い肉の群れを購うのにも)
 真田大助は、小さく、こうべを左右に振り、その想いの先を振り捨てた。

 辰たちが、粥の入った小さな椀を両手で抱え、いっせいに前に倒れこむように顔をうずめ始めた頃、角じいが、大助たちのほうへ近づいてきた。
「若、よろしければ」
 大助に差し出したのは、黒地に銀の紋様のあしらわれた、遠眼鏡。
「関東の奴らめも、そろそろ並び終えたようで……あらためて眺めますると、なかなかの見ものですぞ」
 そうだな、と大助はその細長い器具を受け取る。老いた武将は、そのまま何気ない口ぶりで、
「ときに、こちらの御仁は……?」
「吉田与七とお見知り置きくださいませ。所用のため、京から参りました」
 若者が丁寧に頭を下げる。老人の目つきが、ほんのひと時、鋭くなった。
「京の、吉田……さて、すると角倉すみのくらの縁者にござるかな」
「まあ、そのようなものです。このたびは本当に、なんと申し上げてよいやら」
 与七は、さらに深々と頭をさげた。まるでこの籠城が――そこに至ってしまった成り行きすべてが、己の失態だとでも言いたげだった。
「すみの、くら?」
「ああ――ええ、うちの叔父貴たちの屋号ですがね」与七はあっさりと、大助の問いかけに応える。「なんと申しますか、このたびの戦では、その、商いの都合上、おおよそ本家はあちら様に付くことになりましたようで、はい」
「あちら――」
「徳川の、です。どうも申し訳ありません」
「おうおう、そんなんどうでもええねん、しんきくさい話は!」
 大助が目を見開いて何事かを口にしようとした、が、それよりも早く、異装の少年が椀を抱えたまま三人の間に入り込んできた。
商人あきんどちうんはな、そんなもんやねん。あっちゃに付いたり、こっちゃに付いたり、分家の蔵にちょいちょいええもん預けて隠しとったりな。どっちゃが勝っても負けてもええようにな……二股かけるんは世のならいっちゅうやっちゃ!」
 その一言に、大助は悟った。
「……つまり与七、そなたが分家の蔵というわけか。それがそなたのか」
「はあ、まあ、それだけではありませんが、そんなような次第でして」
 しきりに吉田家の若者が頭を下げるので、とうとう異装の少年が大声をあげた。
「せやからもうええっちゅうねん、しんきくさい話は! そんなんより、見ろや与七……ええ眺めやろ! この柵、この出丸、わいら大坂もんが造りよったんやど! たいしたもんや!」
 辰の言うとおりだった。出丸の出来も――そしてそこから眺め下ろす景色も。

 遠眼鏡を構え、真田大助は正面を、それから左右をゆっくりと眺めた。
 徳川勢の混乱ぶりは、あいかわらずで、これほどの遠くからでも十分にわかった。
 真正面――すなわち真田丸の南、小さな池と丘をはさんだ向こう岸には、まるで当てつけのように、赤く染め抜かれた旗指物が数限りなくひるがえっている。前田家、それも当代の主である利常の隷下だ。その右隣あたりに、数は少ないが、異なる模様がちらほらと映る――赤地に九曜紋。前田の目付役である榊原の家中に違いない。
 また、丘の裾で半ば陰になってはいるが、九曜紋の右には、別の旗が群れなしていた。古田重治の手勢と角じいからは聞かされている。
(もしや古織の……古田織部殿の縁者だろうか)
 過日の、織田の血を引く老人の言葉を思い出しながら、大助は遠眼鏡を構え直す。
 いっぽう前田の左……平野に至るゆるやかな下り坂をはさんで隣には、浅葱地に鶴という、なかなか見栄えのする一群がいる。南部家の跡継ぎ・利直の率いる軍勢であると大助はすでに知っていた。
(我らと当たるのはこのあたりまでか……いや待てよ)
 大助は、念には念を入れようと、遠眼鏡を構えたままぐるりと右へ振った。
 振りすぎて、一瞬だけ、狭い視界が真っ赤に染まった。真田丸を護るべく、ずらりと柵の前に並んでいる赤備えを覗き込んでしまったのだ。――煤けた紫の甲冑が数人、その中に、まるで飾りのように混ざっている。
「いかん」
 思わず口に出してから、大助は、咳払いをして、ふたたび遠眼鏡を構え直す。
 前田家中の大人数を目印に、そこからゆっくりと、右のほうへずらしてゆく。井伊直孝の軍勢、そのむこうに松平忠直の白地に矢の根、藤堂高虎の名高き紺地に白餅、そしてさらに遠くには……。
(あれだ)
 白地に竹に雀。

 胸に、心地よい痛みがはしる。の毛の、逆立つのがわかる。
(奥州の覇者――独眼竜――)
 父・真田信繁の懐かしげな声が、大助の裡で響き渡った。ふと、そういえば今朝から父の顔を見かけぬことに大助は気づいたが、しかし胸の高鳴りが、あれよあれよという間にそんな小さな事を押し流してしまった。

 ふと。――
 伊達家の軍勢のさらにむこう、きらきらと光る川面の端に、見慣れぬものが映った。
 木津川……という名の川であることを大助は思い出した……のあたりに、白く濁った煙が、幾筋か、たなびいている。
「あれは――おぬしの家のほうではないのか、辰」
「知らん」
「だが、そうだろう。おぬしの父は、たしか木津の勘吉と名乗っていたぞ」
「なんや知らん、どうせ関東もんが今朝がたに仕掛けてきよったんやろ。知らんけど」
 そういえば、と大助がつぶやくと同時に、与七も隣でうなずいた。
「そういえば今朝、わたくしも耳にしました……たしか、蜂須賀の手勢があのあたりの砦を落として、なんでもその際に明石全登さまが砦に御不在であったとか」
「ほう」
 つぶやきながら大助は、
(この与七とやら、ぼんやりと城下の往来で立っておっただけではなさそうだな)
 と考えた。
「帰ったほうがよいのではないか、辰」
「なんでや」
「父のことが案じられよう」
「知らんたら知らん。わしとは関わりあらへんわ、あんな糞親父どないなろうと」
 ぷい、と後ろを向いて、異装の少年は、そのまま砦の北の隅にある小屋のほうへ引っ込んでしまった。あたりで騒いでいた童たちも、なにやら察したのか、食べかけの椀を抱えたまま、三々五々、辰の後を追いかけるように姿を消し――砦の縁に残されたのは、角じいをはじめとする赤い鎧の男たちの他は、大助と与七の二人きりとなった。
 同日、茶臼山の頂、徳川本陣。――
 本多弥八郎正純は、幕を綺麗に開けようと慌てる小姓にはかまわず、勢いを止めぬまま大股で進み、一礼すると、野太い声で告げた。
「女駕籠が、罷り越しましてござります」
「うむ」
 応えたのは、小山の柵の前で、ぼんやりと北のほうを見つめていた、ひとりの老人だった。
 ただの老人ではない。前右大臣にして源氏長者、徳川宗家を今もなお統べる家康公その人である。
 であるがしかし、やはり、彼が独りの老人であるのも、確かなことだった。
 大殿……大御所さま、と正純は独り言ちた。この御方に仕えること幾星霜。気づけば己は齢五十、ずいぶんと白髪も皺も増えたが、さてはて、七十を超えた大御所さまも、どうしてどうして。
 老躯、という一語が正純の心底から離れない。
 理由わけは、二つあった。
 まずは何よりも、己の老いである。この正月、ようやく大久保忠隣のやつを追い落とし、さてこれからは本多の家がすべてを取り仕切るのだと意気を新たにした矢先、このたびの大戦おおいくさだ。
 春までは、そんな気配すらなかった。それが、梅雨が過ぎ去るころには、戦にむかって駿府のすべてが(そしてもちろん千代田の城も)転がり落ちていった。
 十五万余の大軍勢を、わずか月で備え、組み立て、西から東からかき集めたうえ上方まで運んできて、綺麗に並べ、瑕疵なく大殿の御前ごぜんに供さねばならない。どう考えても、正純ひとりの手に余る。いや、本多の一族郎党あげてかかっても、間に合わぬ大仕事だろう。
 しかたなく、京の目付役である板倉勝重の手も借りることになる。あるいは、近頃めきめきと頭角をあらわしてきた金地院崇伝の手もわずらわせざるを得ない。となれば、天秤をあまり傾けすぎぬよう、あの天海僧正のお知恵もお借りせねばならない。
 あっという間に、大坂との些細ないがみ合いは、江戸と駿府の御歴々が総出の……その言葉を正純自身は嫌っていたが、どうにも脳裏をよぎり続けるのだからしかたがない……となっていた。
 なにゆえ、吉利支丹狩りの名目を用いなかったのか? そもそも、この春までは、そのですべてが動いていたのだ。ゆっくりと上方を締め上げ、探り、小さな綻びを大きく切り開き、仕上げは二代将軍家のもとで滞りなく片付ける。もちろん、我が本多宗家の差配の下で、だ。そのために、あの邪魔な大久保長安一派も片付けたし、あちこちに賄賂まいないも欠かさなかった。あとは吉利支丹どもに一旗ふた旗あげさせて、それを口実に所領を削り取っていけばいい。軍費ついえも要らぬ、弓馬も要らぬ、安上がりの道……まさに王道だ。
 それが――正純には忘れようもなかった――それがあの一人の使者、一通の書状によって、すべてがひっくり返ってしまった。今年の五月十日。供の者たちさえ追いつかぬほどの勢いで、京から駿府へ駆けてきたあの男……京都代官・板倉勝重。
 書状があったのはわかっている。おそらくは近衛家のだろう。あるいは三条西か西園寺か、もしかしたら久我かもしれない。いずれにせよ中身まではわからずじまい。その日、勝重は、夜半まで大殿と密談し、翌日にはすでに事が決していた。
 本多の郎党どころか、酒井も榊原も口を出す隙さえなかった。
 ――大坂を滅すべし。――
 そこから、大慌てで、この騒ぎが組み立てられたのだ。
 秀頼公の若さゆえか。
 そう、正純は推し量っている。
 老躯の一語が脳裏より離れない理由わけの、二つめがそれだ。
 豊臣宗家の若き当主、大御所さまと同じ前右大臣・羽柴秀頼公。若い。戦の経験もない。子も生していない。まだまだ若すぎる。が、それは一つの美徳でもある。
 浮世のならいとはいえ、残酷なものだ。いかなる英雄豪傑も老いてゆく。どれほど広大な所領も、美事な城塞も、その手で造り出したものはことごとく、置き去ってゆかねばならない。いずれ……遅かれ早かれ。
 とはいえ、
 正純の心底に、その一事のみが澱のように残り続ける。豊臣の若さを妬むも良い、恨むも良い。しかしそれならば、もっと早くに仕掛けるべきだった。それも……そうだ、吉利支丹の目障りなことは今に始まった話ではない。もう十年も、二十年も前からの懸案なのだ。そしてたしかに、京や大坂をはじめとする西国には吉利支丹が多い。
 口実はいくらでもあったはずだ。それが……なにゆえ、この慶長甲寅の年、十九年になってからなのだ?
 そして――そうだ、この女駕籠のことがある。
 これで理由わけは三つだな、と正純の頬が緩んだ。まだまだ大殿もお盛んということか。それとも、少しでも若さというものに近づきたいという妄執が、このようなかたちで顕われたのか。
(女か――子を産み、育て……そうして、しかし、誰も彼もが老いてゆく――)
 ふと、なぜか、ひと月ほど前のことを彼は思い出した。
 真田の郎党が高野山を後にして大坂城へむかった、という一報が駿府に届いた朝のことだ。
 取り次いだのは正純だった。
 家康公は立ち上がり、障子に手を伸ばしたところで立ち止まって、ふと、なにごとかをつぶやいた。
 ひどく小さく、はじめは正純も、ため息かと聞き誤ったほどだった。が、そうではないとすぐに気づき、あわてて返答した。
 ――御言葉にござりますが、すでに安房守は……真田昌幸めは三年ほど前に往生しておりますゆえ、高野を抜け出たのは息子の信繁にござります。
 ――うん?
 その時、はじめて老人は正純が横に居ることに気づいたようだった。
 ――ふふ、弥八郎、耳が遠くなったの。
 ――は……あ、いや。
 驚くほど優しげな呼びかけに、正純は平伏した。そして、己の失態を悟った。
 大殿がつぶやいたのは、
 ――抜け出たのは父か、子か。
 ではなかった。
 ――抜け出たのか……
 だったのだ。
 そして。
 続く一言が老人の口からこぼれ落ちるのを、今度はたしかに聞きとった。
 ――大助も不憫よの。
 と。


(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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