双葉社web文芸マガジン[カラフル]

永遠の城 / 新城カズマ・著

イラスト/アントンシク

第 10 回


第三章 「城中ことのほか強し」
――慶長十九年、十一月
(グレゴリオ暦一六一四年)
 惣構の内を行き交う人々は、いつのまにやら足早に、そして大股になっている。
 西風は北風に変じてゆく。あちらこちらに砂埃が立ち、荷駄を運ぶ物音はうるさく響く。男たちは目つきが険しくなり、女たちの声は尖ってゆく。
 ――戦が近いせいだ。
 と、誰ともなく呟く言葉は半ば正しく、半ば誤っている。とうの昔に戦は始まっているのだ。近づいているのは敵の軍勢だ。それも、とてつもなく多くの。
 堺が焼け落ちたらしいぞ、と一人が言う。
 焼けたのは平野ひらのだ、と別の一人。
 いやいや、枚方ひらかたのほうが大事おおごとだ。堤を切られて、だいぶん死んだ。
 そうではない、あれはわれらの仕掛けた水攻めだ。おかげで徳川の兵が流されたのだ。
 風聞うわさはどこからともなくやって来て、気がつけば、誰も彼もが知っていた。半数は得心し、半数は首をひねり、しかし一人のこらず次の聞き手に伝えていった。なぜなら……そういえばなぜだろう、と思慮する者はいなかったのだが……風聞を己の耳で留めておくことは、なにかしら不吉なことのように感じられたからだ。
 耳から入れたものは、口から吐き出さねばならない。それも、できるだけ早く。でなければ……でなければ何だというのか? ……とにかく居心地が悪い。そうだ、そうに違いない。
 ――そんな喧騒が渦巻く城下の、熱い雑踏のまんなかに。
 ひとり、と佇む若者がいた。
 年の頃は十四、五か。
 背は高く、痩せている。
 あきらかに旅装束なのだが、荷はない。両足は泥だらけで、髪はほつれ、腹も空いているようだがそれを気に病む様子もない。
 武具は見当たらない。となると牢人でないのは間違いないが、町人だとしても目つきが柔らかすぎ、長く細い手の指には働いた跡もない。
 どこぞの公家の御曹司が怪しげな仙人にだまされて、大坂の城下まで中空を飛んで連れてこられた……と言い張ったとしても、疑う者は少なかったろう。
 が、もちろん若者はそんな作り話を口にせず、彼に最初に声をかけた者もそんなことは思いもしなかった。
「――おうおうおう、天下の往来で惚けたつらしよってからに、町衆のお邪魔やちゅうんがわからんのけ、迷惑賃として一両出したれゴルア! ……って、なんや吉田んとこのぼンかいな。何しとんねん」
 あきれ顔で近づいてきたのは――戎橋の辰と、そして彼と共に城下を行き来している真田大助だった。

 やあ、これは木津の、と若者が丁寧に頭をさげる。
「知己か」
 大助の問いかけに、辰は、へん、と鼻を鳴らして、
「前にちょいちょい会うたことあるくらいやけどな。うちの糞親父んとこに、ちいと豪勢な掘割ぃこしらえるさかい手え貸してやぁいうて、吉田ちゅうドえらい有徳かねもちみやこから来よってな。そこの一族の阿呆息子で、与七いうねん。――せやからここで何しとんねや、おどれ住んどるんはあっちゃやろが。こっちゃいくさ始まんねんど、いくさ」
「まあ、それはそうなのですが」
 与七と呼ばれた若者は、底の抜けたような朗らかな笑顔のまま答える。
「ちょいとばかり所用がございましてね。叔父上たちの目を盗んで、こちらのほうへ下って参ったのですが――いやはや、坂東の武者というのはえらく乱暴でございまして。あれよというまに、わたくしの荷物が見当たらなくなり、ふところの握り飯がどこぞへ消え去り、問いただそうとするとかんざしを振りかざしてわたくしを追い払おうと」
「阿呆。そら坂東の武者やのうて、武者相手に商売しとる遊女あそびめどもや。おんどれ、どんだけ世間知らずやねん」
「と、おっしゃいましても――いえね、わたくしといたしましても、ものを知らぬ己の有りようを是としておるわけでは決してないのですよ。それがあかしに、ほれこのとおり、研鑽を積もうとわざわざ大坂くんだりまでやって来たわけでございまして。さようです、すぐに着くはずだったのです……それが京を出て一刻と経たぬうちに後ろから軍勢がやって来る、駕籠かきはわたくしを置いて逃げてゆく、堤が崩れて大水になる、脇道に逃げ込んだらば道に迷う……」
「ちょい待てや。おどれ、いつ京を出たんじゃ」
「ええと、四日ほど前ですかね。こちらに着いたのが昨日の今頃で」
「阿呆! ほしたら、すぐうちに来いや。うちっちゅうか、うちの糞親父んとこに! なにこんな往来でぼけーっとしとんねん。どうせ飯も食うとらんやろ」
「おや御明察。いやあ、大坂城というのは実に広くて賑やかなところですな。行き交うみなさまを数えておりましたら、あっというまに一日が」
 どこまで算法好きやねん、という辰の唸りを聞きもせず、与七は、ふと大助のほうに目をやった。
 背丈は同じくらいだな、と何気なく思ったとたん、
「それはさておき……こちらの御立派な御武家さまは?」
 朝の陽のように清々しい笑みを真正面から浴びせられた大助が、あわてて名乗ろうとする……よりも先に辰が誇らしげに叫んだ。
「阿呆たれ、今を時めく六文銭を知らんのかい!」
「ああ、なるほど」与七がうなずく。「真田の若様!」
 やはりそうなるか、と大助は頭をかかえた。

 ――いつぞやの、辰の「頼み」というのはひどく容易いことで、裏切者を炙り出すため大助が城内の武将らを訪ね歩く際、下人として辰とその仲間たちを伴ってくれ、というものだった。
 それに何の得があるのか、と初めは訝しんだ大助だったが、すぐにその仕掛けがわかった。
 訪いを受けた武将たちは、自らの鷹揚さを示すため、あるいは単に内通者と疑われたくないがために、「真田の若武者とその一党」には粥の一杯、魚の一尾も出すことになる。それを「一党」の面々は勢いよく平らげる。そして翌日には、次の武将の屋敷へ現れる……という繰り返しで、ずいぶんと辰たちの腹はふくれていった。おまけに、その話が広まるうちに、
 ――真田殿が、細作しのびとして異形の童たちを雇い入れたそうな。
 ――なんでも秀頼殿下から城内御免の印判を頂戴したとか。
 ――嫡男殿に率いさせて、往来を我が物顔で。
 ――なるほど、さすがは先代安房守の血筋。戦のやりかたを心得ておる。
 ――先ずは味方を探り、後に敵を探るわけですな。
 ――鬼の如き面をかむり、あちこちの屋敷に前触れもなく現れては、真っ赤に光る目で心底を探るというぞ。
 ――朝な夕な、あっというまに宙を飛び、大蛇に姿を変え、すでに徳川の間者の首を七つも刎ねたとか。
 などなど、とてつもない尾ひれがついた。
 おかげでこの半月ほど、大助は城下を行き来する際はもちろん、真田の砦の中に居ても、
 ――やあやあ大明神、小鬼を率いて何処いずこかっしゃる?
 そんな声をかけられる。
 当人の困惑を知ってかしらずか、父である信繁は……というよりも「幸村」は、
 ――ほほう。初陣も済ませぬうちから名を売るとは。重畳、重畳。ふむ、ここはひとつ、わしも鬼の面でも彫ろうかな。
 と、冗談とも本気ともつかないことを言いだす始末。
(やれやれ――こちらは、ただひたすら、殿下と姫の御為に、ひたすら城下を歩き回っているだけだというのに)
 もっとも……己が行き来しているのが城下なのか、それとも城の中と呼ぶべきなのか、大助はあいかわらず迷っている。
 それほどまでに〈御城〉は巨きく、また入り組んでいたのだ。
 そして、迷っているのは自分だけではないらしい、ということにも気づき始めていた。
 というよりも城内の、或る処の呼び名が、人によって異なるのだ。
 たとえば――こちらの商人が「二の丸」と呼ぶ処を、あちらの女房は「西の丸」と呼ぶ。「外堀」と聞かされた辺りが別の者によれば「南の大堀」となる。「象の丸」が「像の丸」とも「蔵の丸」とも呼ばれたかと思えば「そんなものはあらしまへん」と返されたりする。
 城下に暮らして長いはずの辰に至っては、親を失った仲間たちのあいだだけで通じる呼び名を勝手につけているので、まったく役に立たなかった。
 それもあって――内通者を探り当てる、という本来の勤めは、はいっこうに捗らずにいた。

「やあやあ、お噂はかねがね」
 与七青年は和かに言いながら、深々と一礼した。
「なんですな、大坂のみなさまは、殺伐とはしておりますが実に噂話がお好きのようで。わたくし、ここで一日過ごすあいだにも真田様についての素晴らしいいさおしの模様を聞かされまして、まさに手に汗握る……」
「ただの噂だ」と大助。
「せや、こっちも困っとんねん。行く先々で、ちょいと屋根まで飛び上がってみせいとか、庭先で蝦蟇に変じてみせろとか。しかも鐚一文払わずにやど。けっ!」
 誰のせいでそうなっているのだ、という一言を大助は飲み込んだ。このくらいを飲み込めなければ、辰やその配下どもとは付き合えない。
(いや、そもそも付き合わんでも良いのではないか? わたし独りでも、務めは立派に果たせるはず)
 が。
 そこへ踏み込む気が、なぜか、大助には湧いてこなかった。
 弱気……ではない。むしろ、気配を感じたせいだった。
 これまでに感じたことのない気配を。
 ――この数日で、城内に変化が起きていることを、少年は感じ取っている。
 なによりも、まず臭いだ。
 人々の発する臭いが変わった。
 汗のせいだ、と大助が気づいたのは、初めてその異臭を嗅いだ数日の後だった。
 獣の骸の発する、あの不吉な……鼻から喉の奥を刺しながら胃の腑へむかって押し寄せるような、刺々しい臭い。
 それによく似た、しかしもっと苦いような、それでいてひどく懐かしいような、そんな異臭だった。
 臭いだけではない。人の動きかたも変わっていた。
 辻ごとにいた商人たちがいつのまにか数を減らし、痩せた牢人たちが代わって道みちを占めていった。
 そのうち幾人かは、わざと目立つように座り込んで、双六に銭を賭けたり、肉を頬張りながら酒を飲むなどしていたが、多くはただ四つ辻や細い筋の入り口にたむろしていた。
 何事かを話し合うようでもあり、また何も語り合わずに四方を睨んでいるようにも見えた。
 双六で賭けているのも、以前は銭であったのが、近ごろでは陶器すえもののかけらであったり、煙草であったり、傷一つない美しい貝殻であったりした。
 堀をまたぐ大きな橋のたもとでは、あいかわらず市がたっており、みな大声で 生魚や武具をやりとりしていたが、そこを通りかかるたびに少年は、これまで耳にしたことのない、おかしな言葉の切れ端が増えていることにも気づいていた。
 ――きりえ、えれいそん。
 ――ほさな。ほさな。
 ――はてめでたや、はなたちばなの。
 そして、日を追うごとに、どこぞの辻で物盗りが出ただの、人気のない屋敷の中へ女が拐かされただの、といった話が増えたような気もする。
 城が変わろうとしているのか、それとも己がこの城をまだわかっていないだけであったのか……いずれにせよ大助は、たとえ若年とはいえ城下に以前から棲んでいる者たちを供にしていたほうが良い、と察していたのだった。
 そんな大助の思いを知ってか知らずか、
「まあええわ、とにかく飯ぃ食わしたるわ」辰は与七の袖をぞんざいに引っ張った。
「見晴らしもええで。なにしろ大明神はんが造らせた砦やからな」
「砦? と、おっしゃいますと?」
「真田丸や。知らんのんかい。難攻不落、百戦百勝、太閤はんの造りよったこの御城にも負けんくらいの立派な出丸や。ま、小さいけどな。わいの手下どもも先に行って食い散らかしとるわ。ほな、行こか?」
 ちらりと見上げた先には、大助少年の苦り切った顔があった。

(つづく)

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新城カズマKazuma Shinjo

1991年『蓬莱学園の初恋!』でデビュー。2006年『サマー/タイム/トラベラー』で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『さよなら、ジンジャーエンジェル』『15×24』『島津戦記』『玩物双紙』などがある。

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