双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 3 回



 北へと向かう高速道路に乗ってから、ちょうど一時間ほど経つと、バスはサービスエリアへと滑り込んだ。
「皆さま、ここで十五分トイレ休憩をとります」
 マイクを使わずに告げた俺は、先にバスを降りて、お客たちを見送った。
 運転手のまどかさんもバスを降りていったけれど、この人にとってはトイレ休憩というよりも、むしろニコチン補給タイムだ。いつもタバコをきっちり吸ってから戻ってくる。
 バスに戻ると、何人かのお客さんが座席に残っていた。リストカットの痕跡があるモモちゃんと、パンクロッカーになる予定のジャックさん、いちばん後ろの席で瞑想状態に入ったように微動だにしない教授、そして、悪霊祓いをしてくれるという入道さんだった。
 小雪もバスのなかに残っていた。万一、何かあったときのために備えて、念のため悪霊祓いとやらを見届けてくれるつもりなのだろう。
「んじゃ、添乗員さんよぉ、はじめていいかい?」
 巨漢の入道さんがぬっと立ち上がり、バスの一番前に立って後ろを睥睨へいげいした。いわゆる仁王立ちだ。
「あ、えっと、ちょっとお待ちください」俺は入道さんに待ったをかけ、後ろの席に向かって言った。「皆さん、すみません。これからこちらの入道さんが、このバスの悪りょ……いや、ええと、このバスをですね、よりよい状態に浄化してくださるそうです。ですので、くれぐれもご心配などなさらず――」
「おい、あんた、回りくどい言い方をすんなよ」
 入道さんが言葉をかぶせ、丸太のような腕を組んだ。そして、俺の代わりに太い声を張り上げた。
「このバスのなかには悪霊がいるんだが、まあ、心配しなくて大丈夫だからよ。俺がすぐに祓っちまうから」
 つねにはかなげで無気力そうなモモちゃんも、この台詞にはさすがに驚いたのか、目を丸くして入道さんを見ていた。
「ちょっ……、祓うって、ま、まじかよ。そういうの、俺、ほんと勘弁して欲しいんだけど。つーか、あんた、本物かよ。まじで、大丈夫なのかよ」
 青ざめた顔で、前の座席のシートに乗り出したのは、ジャックさんだった。
「兄ちゃん、俺を疑うのか?」
 入道さんは、とくに声を荒らげたわけではないのだが、そもそも野太い声をしているから、やたらと迫力がある。顔中ピアスだらけのジャックさんの表情からは、目に見えて血の気が失せていった。
「べ、別に、疑ってるわけじゃ……」
「ええと、ジャックさん、ここはひとつ、プロの霊媒師でいらっしゃる入道さんにお任せしましょう」
 俺は、なるべく穏やかな声で間に入った。
「じゃあ、まあ、分かった……けどよ、俺、やっぱ、トイレ行ってくるわ。いいだろ? いま行っても、取り憑かれたりしねえよな?」
「兄ちゃん、そんなにビビるこたぁねえって。この程度の霊ならチョロいからよ。まあ、のんびり見てろよ」
 不敵な笑みを浮かべながら、入道さんは懐から黒光りする数珠を取り出し、右手の親指と人差し指の間にはさんでジャラリと鳴らした。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってくれ。その悪霊ってのは、どんなんだよ? 悪魔みてえな奴か? お祓いに失敗して、誰かに取り憑いたりとかはしねえんだろうな。ちゃんと説明してくれよ」
 ジャックさんは、とことんビビっているようだ。
 やれやれ……、といった顔で、入道さんは小さく嘆息した。
「あのな、兄ちゃん、このバスにはよ、運転手の姉ちゃんも含めて十二人が乗ってたろ?」
 一、二、三……と数えて、ジャックさんが小さく頷いた。
「それなのによ、俺は魂魄こんぱくの数が十三あるってことに気づいたんだ。ひとつ多いんだよ、肉体の数よりも魂魄の数がな」言いながら入道さんはすっと目を閉じた。そして、合わせた両手にかけた数珠をこすり合わせ、ジャラジャラと音を鳴らしはじめた。すでに除霊がはじまっているらしい。「そもそも人間ってのはよ、肉体と魂魄で出来てんだ。ってことは、肉体を持たねえ魂魄が、このバスのなかにひとついるってことだろ。ようするに、それが霊ってやつだ」
 入道さんは、しゃべりながらも、目を閉じたまま数珠を小刻みに振っている。
「そ、その霊、いまも、このバスのなかにいるのかよ?」
 もはや顔面蒼白なジャックさんは、周囲をきょろきょろと見回した。
 入道さんは平然とした声で答える。
「ああ、いる。いまも、人数よりもひとつ多いぞ」
 いまバスに乗っているのは、俺と小雪、入道さん、ジャックさん、モモちゃん、そして、教授の六人だ。それにたいして、魂魄が七つある、ということだ。
「そ、それ、ただの霊じゃなくて、ホントに悪霊なのか?」
「多分な。仮に悪い霊じゃなくてもよ、人間に巣食うタイプだってことは間違いねえ。だから、さっさと祓っちまった方がいい」
「す、巣食うって……、おい、取り憑くってことじゃんかよ」
「まあ、そうとも言うな」
 ジャックさんは、そこで言葉を失った。モモちゃんも呆然とした顔をしている。ただひとり教授だけは身じろぎもせず、相変わらず半目のまま瞑想しているように見えた。
「じゃあ、そろそろ本格的にはじめるからよ、気楽に座っててくれ」
 言われるまま、バスのなかの面々はそれぞれ各自の席の背もたれに背中をあずけた。
 入道さんが目を開けた。
 ぎゅっと眉間にしわを寄せ、眼光鋭くバスのなかを見渡す。
 そして「ふううぅぅ」と長い息を吐きながら、ふたたび目を閉じた。鳩尾みぞおちの前あたりで、数珠をかけた両手を合わせ、マントラのような呪文をぶつぶつと唱えはじめた。大きな両手には、徐々に力が加えられていき、数珠が細かく震えてカチャカチャと微細な音を立てた。
 俺は、ふと隣を見た。
 小雪は、いつになく真剣な顔をして、すぐ斜め前で仁王立ちする入道さんの様子を見つめていた。
「大丈夫か?」
 除霊の邪魔にならないよう、俺は小声で訊いた。
 小雪は声を出さず、ただ、小さく二度、頷いて見せた。
 そもそも、小雪はお化けや妖怪のたぐいが大の苦手なのだ。以前、嫌がる小雪を「こんなの子供だましだから平気だって」と、なだめながら遊園地のお化け屋敷に引っ張り込んだことがあるのだが、そのときはもう最初から最後まで絶叫につぐ絶叫で、出口に着く頃には声は嗄れ、ほとんど腰が抜けて歩けなくなっていたのだった。
 ふう、ふう、と無理に呼吸を整えながら、小雪は両手でおへそのあたりを押さえていた。かなり緊張しているようだ。
「心配ないって」
 俺は、また小声でそう言った。
 しかし、小雪は、入道さんの口から発せられる呪文が徐々に大きくなっていくにつれ、表情を硬くしていき、しまいには目を閉じてうつむいてしまった。もはや、まともには見ていられないのだ。
 お化けなんてそもそも信じていない俺ですら、なんとなく、バスのなかに異様な空気が満ちてきたような気がして、ちょっと気分が悪くなりそうだった。
「大丈夫だって。そんなに怖がることないよ」
 俺はフラれたばかりの元彼女の肩にそっと手を置いた。細い肩が小さく震えている。
 と、その刹那――。
「あ~?」入道さんが、素っ頓狂な声をあげた。「なんだこりゃ」
 見ると、入道さんはすでに合掌を解いていて、なぜか顔をほころばせていた。
「くくく。いやぁ、悪りいな。俺としたことがよ」
 つるつるのスキンヘッドを掻きながら、入道さんは俺の方を見下ろした。
「え、どう……されました?」
「すまん、すまん。どうやら間違えちまった」
「は?」
「このバスに、悪霊なんて、いねえわ」
「ほ、ほんとかよ?」
 ジャックさんが会話に割って入ってきた。
「ああ、ほんとだ。怖がらせて悪かったな。悪霊どころか、こいつはむしろ幸せを呼ぶ精霊に近い存在だ。祓おうにも、祓えねえや。てなわけで、俺もちょっくら小便してくらぁ」
 そう言って笑うと、入道さんは下駄を鳴らしながらバスの外へと出ていった。
「はあ……」
 隣で小雪が、とてつもなく深いため息をついた。悪霊ではないと聞いて、安堵したのだ。
「あららら、ため息をつくと?」
 と、俺がまたからかおうとしたら、小雪が言葉をかぶせてきた。
「幸せを呼ぶ精霊がいるそうですから、わたしは、添乗員さんと違って不幸にはなりません」
 ほんのいまさっきまで震えるほど怖がっていたのに、さっそくこの憎まれ口かよ。
「はいはい、そうですか。じゃあ、これからは俺も安心してため息をつけますね」
「わたし、トイレ行ってくる」
「え?」
 掛け合いをスパッと断ち切った小雪は、妙にゆっくりとした動作で立ち上がると、俺の前を通ってバスの外へと出ていった。入れ替わりに、まどかさんが戻ってきた。
 俺も、念のため行っておくかな……。
 胸裏でひとりごとをつぶやいて立ち上がる。そして、バスに残ったお客さんたちに向かって言った。
「皆さん、お騒がせ致しましたが、とにかく悪霊じゃなくてよかったですね。ちょっと安心したところで、私もトイレに行かせていただきます」
「…………」
 返事は、ない。代わりに、ジャックさんが言った。
「あのさ、悪霊じゃなくても、何かがいるってことには代わりねえんだよな?」
「まあ、そう、なんですかね?」
「大丈夫なのかよ、このバスツアー」
「大丈夫、だと思います」
 答えたのは、俺ではなく、驚いたことにモモちゃんだった。蚊の鳴くような声だが、ジャックさんにはちゃんと届いていた。
「あんたが大丈夫って……、根拠は、あんのかよ?」
 ジャックさんが、斜め前に座るモモちゃんに訊ねた。普通にしゃべっていても、ピアスだらけの顔と寝かせたモヒカン頭のせいで威圧感がある。
「根拠は……、えっと……、えっと」
 モモちゃんは不安げに視線を泳がせながら、答えを探しているようだった。こういうときに小雪がいてくれると、上手に間に割って入ってくれるのだが、いまはトイレだ。
「まあ、こういうのって、ほら、アレですから」
 俺が、我ながら意味不明な言葉で間に入ろうとしたとき、モモちゃんが控えめな声を出した。
「嘘、ついてないからです」
 え?
 ジャックさんも、俺も、あらためてモモちゃんを見た。
「あの霊能者さん、嘘、ついてないから……」
 モモちゃんは、同じ言葉を繰り返した。
 俺とジャックさんは、なんとなく視線を合わせた。俺は、小さく頷いてみせた。ジャックさんも軽く頷き返すと「ま、いっか。俺も、ちょっくら小便いってくるわ」と言って立ち上がった。
 このパンクな青年、意外と空気を読めるのかも知れない。
 俺は少しホッとしながら「ぼくも、行きます」と言って、ジャックさんの後に続いた。

 すみやかに用を足したあと、俺はトイレからバスへ向かって駐車場を横切るように歩いた。すると、少し前を歩く小雪の背中を見つけた。小雪はただ普通に歩いているだけなのに、どことなく両肩のあたりに生気がないように見えた。ふと、駆け寄りたい衝動に駆られたけれど、やめておいた。
 いまは仕事中だし、そもそも、俺たちはもう恋人同士ではないのだ。
 ざわつく気持ちと歩幅をぐっと抑え込み、俺は一定の距離を保ったまま小雪の後を歩いた。
 思えば――、俺は、小雪と出会ってから、ずっと、ずっと、あの華奢で凛とした背中を、少し後ろから追いかけてばかりいた気がする。悔しいけれど、小雪よりも俺の方が「恋心」をいくらか多く抱えていて、だから、いつだって俺が「追いかける側」に回らされていたのだ。そして結局は、あの背中に追いつけないまま終わってしまって……。そのことを思うと、肩を並べるまでに成長できなかった自分が情けないし、やたらと悲しくもある。
 ようするに俺は、未練たらたらなのだ。
 歩きながら、ぼんやりとそんなことを考えていたら、なんとなくため息をこぼしそうになった。けれど、実際、ため息は出なかった。小雪のことを思うと、俺の内側はからからに枯渇して、ため息すら涸れてしまうらしい。
 後ろ姿の小雪がゆっくりとバスのなかに入っていく。
 十秒ほど置いて、俺も、それに続いた。
 さて、仕事だ。気持ちを入れ替えろ。
 俺は、自分の尻を叩く。
 バスの座席を眺め渡した。お客さんは、ほぼすべて揃っていた。
 やがて、トイレ休憩の十五分が過ぎた。
 さらに、それから二分ほど過ぎた頃、くったくのないニコニコ顔で戻ってきたのは、中国人の陳さんだった。何やら両手に白いビニール袋をぶら下げている。
「おい、これ、食べるだろう。チョー美味いね。はい、あんたも食え。あんたも食べるだろう」
 微妙に失礼な日本語を口にしながら、陳さんは、まどかさんはじめ、バスのなかの面々すべてに、ほっかほかの湯気の立った肉まんを配ってまわった。というか、有無も言わさず押し付けた。しかも、俺に手渡すときには、こんな台詞が添えられた。
「おい、添乗員。あんた、女にフラれたんだろう。しかし、もう大丈夫ね。美味いもの食う。元気でる。世界の人間みんな同じ。そうだろう。あははは」
 それを隣で聞いていた小雪が、くすっと失笑した。
 渋面を隠しながら、俺は、とりあえずお礼を言って、こっそり陳さんに耳打ちした。
「陳さん、すみません。このツアーは、皆さん落ち込むのが目的なので、こういう嬉しくなっちゃうようなプレゼントは今回だけってことでお願いします」
 すると陳さんは、サングラスのなかで目を細め、余裕たっぷりの笑顔を作って答えた。
「おお、そうか、添乗員。オーケーね。でも、気にすんな。食え」
「…………」
 理解してくれたのか、くれなかったのか。微妙な返事をした陳さんだったけれど、とにかく、みんなに肉まんを配り終えたら、とても満足げな顔で席に着いた。と、それとほぼ同時に、あのキンキン声が車内に響き渡った。
「うわあ、これ、おいしー!」
 るいるいさんのその声が、車内をいっそう明るい雰囲気にしてしまう。
 ああ、もう、なんてこった。
 胸のなかでボヤいたとき、車内に音楽が流れはじめた。まどかさんが陰々滅々とするような失恋ソング集をかけてくれたのだ。普段はぶっきらぼうなまどかさんでさえも、いつもと違うこのツアーの明るすぎる空気を察して、ちょっと気を使ってくれたのだろう。
「まどかさん、ありがとうございます」
 すぐ前の運転席にひょいと顔を出してそう言ったら、まどかさんも肉まんを頬張っていた。
「おっ、うまっ」
 珍しく、まどかさんが嬉しそうにこっちを見た。
「ほんとですか。じゃあ、ぼくも食べます」
 座席に座りなおして、俺も肉まんをかじった。
 なるほど。甘みのある肉汁がじゅわっと舌に染み込んでくる。
「ほんとだ。これ、うまっ」
 つい、誰かの同意が欲しくて、窓側を見てしまった。
 しかし、小雪は肉まんを両手で持ったまま、どことなく困ったような顔をしていた。
「食べないの? マジで美味いよ」
 舌戦にならないよう、穏やかな口調でそう言ってみた。けれど、今日の小雪には通用しなかった。
「そんなに美味しいなら、添乗員さんにあげる」
 いつも仕事中は「龍さん」と呼ぶのに、今日はどこまでも他人行儀に「添乗員さん」と呼び続けるつもりらしい。
「えっ、小泉さん、肉まん好きでしょ?」
 俺は、苗字で呼んだ。仕事中はいつもそうしているのだ。
「まあね」
「あんまり、腹、減ってないの?」
「まあね」
 同じ台詞をそっけなく繰り返した小雪が、こちらに肉まんを差し出してきた。
「あげる」
 仕方なく、俺は受け取った。
 両手に肉まんを持った俺は、「なんだか俺、えらい食いしん坊みたいだよなぁ」と苦笑してみせたけれど、小雪はそれには応えず、またぷいと窓の方を向いてしまった。
 おいおい、仕事中なのに、そこまで拒絶するのかよ……。
 あまりの自分の哀れさに、嘆きそうになったら――、
 ブロビロロロ~ン。
 俺の代わりにバスが悲壮感たっぷりのエンジン音を響かせてくれた。
 まどかさんは肉まんを食べ終えたようだ。
 おんぼろバスは、ブルブルと胴体を震わせながら、ゆっくり動き出す。
 もしかすると――。
 このバスで小雪と旅をするのも、今回が最後になるのかも知れない。というか、別れたのだから、そうすべきではないか。小雪だって、いい気分でいられるはずもないし。
 俺は、涸れて出もしないため息をこらえながら、左手に持った食べかけの肉まんにかぶりついた。すると、ひき肉の小さな塊がひとつ、ぽろりと膝の上にこぼれ落ちた。
「あ……」
 買ったばかりの薄茶色のチノパンに、小さな脂のシミができてしまった。
 ふと、俺の脳裏に、小雪の笑顔がちらついた。
 それは、駅前のジーンズショップでこのチノパンを勧めてくれたときに向けられた、見慣れたいつもの笑顔だった。

(第4回につづく)

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森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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