双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 28 回

 
【天草龍太郎】(承前)
 と、その刹那――。
「はいはい。もうその辺でいいじゃないですか」
 地面におでこが付きそうになっている俺の背後から、慈悲深いような声がした。続いて、力強く太い声が近づいてくる。
「オン、シュリ、マリ、ママリ、マリ、シュリ、ソワカ。オン、アミリティ、ウン、ハッタ。ナウマク、サマンダ、バサラダン、センダ、マカロシャナ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン」
 これは何かのマントラだろうか。
「がはは。おまえらニッポンの暴走族だろう。はじめて見た。おまえ、なぜ前の歯がない? おもしろい顔だろう。写真撮らせろ」
 ちょっと素っ頓狂かつ失礼なこの日本語――。
 俺は顔を上げて、後ろを振り返った。そこに誰がいるのかは声で分かっているのに、なぜか心が震えていて、彼らの顔を見ても声を出せなかった。
「ロッケンロールなやり方じゃねえよなぁ」
「オン、シュリ、マリ、ママリ、マリ、シュリ、ソワカ」
 どこから見ても異様ないでたちの男たちが、つかつかと近づいてくる。
「な、なんだ、てめえら」
 暴走族の三人が、一歩、二歩、と後ずさりをして、俺から離れていく。それに構わず、背後からすたすたと男達が近づいてきた。そして、暴走族と俺の間にずらりと壁のように並んで立った。
 五人のヒーロー。
 逆光のなか、彼らの背中がシルエットになって見えた。
 真ん中にはサブローさん。左右を入道さんと陳さんが固めていた。さらにその左右に、ジャックさんと教授。
「あんた、もう立てよ。その座り方、ロックじゃねえからよ」
 逆光のなか、ジャックさんがこちらを振り向いて言った。
「あ、でも……」
 俺が迷っていると、美しいバリトンが聞こえてきた。
「本来、土下座というものは、卑しき者が崇高な者にたいしてする行為です。あなたは卑しくありませんし、この方達が崇高というわけでもありません。ゆえに、土下座はこの場合、適当とは思えません」
 教授らしい台詞に、俺は「あは、あはは」と気の抜けた声を漏らしてしまった。泣き笑いだ。身体のあちこちが痛いけれど、なんとか立ち上がった。
「てめえら、やんのか、コラ! ああっ?」
 サングラスが凄んだと同時に、シャコ、シャコ――間の抜けた感じでカメラのシャッター音が響いた。
「てめえ、コラ、そのデブおやじ、勝手に写真撮ってんじゃねえっ!」
「がはは。おまえ、おもしろい顔だろう。そのままの顔でいろ」
 シャコ、シャコ。陳さんは構わずシャッターを押した。その場違いな空気感に、三人は一瞬、棒立ちになっていた。
「ん? そうか、左側のおまえ、お父さんを早くに亡くしたようだな。交通事故か。なるほどなぁ。お父さん、あの世で悲しんでるぞ。おまえ、小さい頃はよ、カブトムシと、オタマジャクシを育てるのが好きだったみてえだな。あと、家で飼ってる猫が大好きな――、なかなかやさしい子だったんじゃねえか」
 入道さんの霊視に、大柄な男がポカンと口を開けていた。
「おい、おめえら」ジャックさんが、ジーンズのポケットに手を突っ込んだまま背中を丸めた。そして、下から煽るように暴走族たちを見た。「人生、最後に笑うのは誰だ?」
 思いがけないクイズ攻撃に、こちらの仲間まで「は?」という感じでジャックさんを見た。よく見ると、ジャックさんの両脚はガタガタと震えていた。怖がりのジャックさんが、恐怖と闘っているのだ。
「いいか、その答えはよ……」
「…………」
「…………」
 誰もがジャックさんの次の台詞を待っていた。
「その答えはよ……」
 そして、充分にためを作ったジャックさんは、ふふ、とニヒルに笑って、こう言ったのだ。
「いつも笑顔でいる人、なんだぜ」
「……?」
「……?」
「あれ? なんだよ。なんで、みんなポカンとしてんだよ。だから、ちょっと聞けよ。人生、最後に笑うのは誰か、それはいつも笑顔でいる人だって、俺はそう言ってんだぜ。めっちゃ、ロックだろ?」
 ふわり、やわらかな春の風が俺たちの間をすり抜けていった。
 陳さんが、「がはは。ポエムかっ!」と突っ込んで笑った。他の人たちも肩を揺らして失笑している。
 でも、と俺は思っていた。
 いつも笑っている人が、最後に笑う人――。
 なるほど、そうかも知れない。
 笑門来福ってやつだ。
「なんだ、てめえら。奇抜なアホばっかりか?」
 リーダー格のサングラスが眉間に皺を寄せて、あらためてにらみを利かせてきた。
「シンジさん、こいつら、やっちゃいます?」
 小柄な少年は、サングラスをシンジさんと呼んだ。すると、ただ一人、この場で頭ひとつ抜きん出た巨漢の入道さんが「ぐふふ」と不敵に笑ったのだ。
「そんなことしたら、おまえら、いろんな意味で地獄に落ちるぞ」
 入道さんがコスプレみたいな修験者の服の袖をぐいっとめくって見せた。ミシミシと音を立てそうな、プロレスラーばりの筋肉の束が、春の日差しにてらりと光った。
「デカけりゃいいってもんじゃねえんだよ」
 サングラスが凄んでみせる。
 暴走族とツアーのお客さんたちの間に、一触即発の緊張が走った。
 しかし、その空気をいとも簡単に破れる男が、こちら側にはいた。
 シャコ、シャコ。
「おお、いい写真だろう。がはは。おまえ、もっと怖い顔しろ」
 陳さんが命令口調で言った。
「て、てめえ……、誰に口利いてんだ、ボケがっ!」
 サングラスがさらに凄んだ。ずいっと、入道さんが前に出る。
「まあまあ、この人の言うとおり、人生はニコニコした人が幸せになるんですから、そんなに怖い顔をなさらず」
 サブローさんが入道さんの前に出ようとした――、と思ったら、カメラを首からかけた陳さんが、サブローさんを腕で制して、そのまますたすたと暴走族たちに近づいていった。
「おい、おまえら、これを見るだろう。どうだ? どういう気持ちだ?」
 陳さんは、歩きながら身体の前に何かを持ち、それを暴走族たちに見せているようだった。いったいソレが何なのかは、背中を向けられた俺たちには見えなかったが、三人の目は完全に皿になって、ソレに魅入っているようだった。
「あ、ちょっと、ち、陳さん……」
 お客さんに何かがあっては困る。俺は声をかけた。でも、その声はかすれていたし、情けないことに俺の膝もがくがく震えていた。
「あの人は、大丈夫ですよ」
 サブローさんが後ろを振り返り、俺にそっと笑顔を見せた。
「大丈夫って……」
 しかし、陳さんは本当に大丈夫そうだった。
「がははは。おまえら、人間だ。こっちに来るだろう」
 そう言いながら陳さんは、暴走族たちのすぐ脇をすたすたと通り過ぎて、そのままバスの後ろ側へと回り込んだ。ポカンとした顔の三人は、それぞれ顔を見合わせた。
「と、とりあえず、行ってみっか」
 リーダーのサングラスが、先に行く陳さんの背中を顎で示した。
「ですね」
 大柄の男が頷き、そして、三人そろっていそいそと陳さんの背中に従った。それからすぐに三人の姿は見えなくなった。
 さすがに俺は心配になった。
「ちょっと、見てきます」
 そう言って笑う膝で歩き出すと、入道さんにひょいと襟首をつままれた。
「まあ、待てよ。ここは、あのオッサンに任せておけ」
 入道さんもニヤリと悪戯っぽく笑っている。
 すると、次の刹那、バスの後ろからひょっこりと陳さんだけが現れた。いつもの脂ギッシュな顔をテカらせ、ティアドロップ型のサングラスの奥の細い目をいっそう細めている。ニンマリと笑っているのだ。
「ち、陳さん……」と、俺。
「がはは。おもしろい顔の奴ら、あっちに帰ったね」
「え?」
 帰ったの? 帰ってくれたの? 俺は半信半疑で陳さんを見ていた。
「おい、添乗員」
 陳さんは、すたすたとこちらに歩いてくる。
「は、はい……」
「誰でも、人生、ピンチあるね。しかし、いちばんヤバイとき、ヒーローが助けるだろう」
「……あ、はい」
「ヒーローはいつも強いね。必ず勝つね。がはは。最高だろう」
 俺は、首と手首にじゃらじゃらと金色の鎖を巻きつけた、脂ギッシュで小太りの(しかも、おそらくは成金の)男を呆然と眺めてしまった。
 すると陳さんは、そんな俺のことをサングラスの奥の細めた目で、からかうように見ながらこう言った。
「おい、添乗員。答えろ。ヒーローは誰だ?」
「え?」
 最後に笑うの、じゃなくて、今度はヒーロー?
「いま、みんなを助けた。ヒーローは誰だ? 私は質問しただろう。添乗員、答えろ」
「え……、それは、陳さん、ですか?」
 俺は答えを口にした――、というか、なんだか言わされた感がある。
「がはは。ファイナル・アンサー?」
 陳さんの英語はネイティブのような発音だった。
 俺は頷いた。
「はい。ファイナル・アンサーです」
 すると陳さんは、「ぶぶぶぶぶ~。おまえ馬鹿ね。私、戦い、強くない。暴走族に勝てないね」と笑い出した。
「え、じゃあ、答えは――」
「おまえ、耳の穴、掃除するだろう。そして、よく聞け」
「え……」
「最強のヒーローの名前は……」
 そこまで言って、陳さんはニヤニヤ笑いながら全員の顔を見渡した。そして、ズボンのポケットに右手を突っ込んで何かを掴みだした。
「ユキチね。フクザワさん。これが最強のヒーローだろう。がはははは!」
 陳さんの右手につままれた一万円のピン札は、ひらひらと気持ちよさそうに春風になびいていた。
 え、そういうこと?
 なんだか急にホッとして腰が抜けそうになっていると、遠くで爆音が上がった。違法改造バイクのエンジンがかけられたのだ。
 助けに来てくれた五人のお客さんたちは、みんな陳さんのクイズにコケそうになりながら、その音のする方をニコニコ顔で眺めた。エンジンの音はするけれど、奴らはバスの向こうにいるから姿は見えない。
 エンジン音が一気に大きくなった。
 走り出したのだ。
 みるみる遠ざかっていくエンジンの音を聞いていたら、いまさらながら、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。ついでに、情けなさも。
「おい、あんた、口から血が出てんぞ。大丈夫かよ」
 ジャックさんが心配そうに覗き込んで来る。
「あ、すみません。大丈夫です」
 俺は手の甲で口元をぬぐった。すでに、血は半乾きだった。
「トイレに行って、そのゾンビみたいな顔、きれいに洗ってこいよ」
 入道さんが俺の背中をドンと叩いた。
「痛てっ。入道さん、チカラ強すぎです」
 思わずそう言ったら、バスの方から女性の声がした。
「バーカ、おまえが弱すぎんだよ」
 まどかさんだった。でも、それは棘のある声ではなく、むしろ親しみのある声だった。
「はあ……、すみません」
 まだひりひりする顎を指先で撫でながら答えて、俺は恐るおそる運転席のすぐ後ろの窓へと視線を送った。
 俺が、いちばん守りたかった大切なモノは――。
 かなり本気で怒った顔をしていた。そして、俺と目が合って数秒後、またしてもぷいと顔をそむけてしまうのだった。
(第29回につづく)

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森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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