双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 26 回



【北原桃香】
 人ってね、誰かを心配しているときの方が強くなれるんだよ――。
 このツアーのなかで、小雪さんが、わたしに教えてくれた言葉。
 本当に、そのとおりだと思う。なにしろ、わたしはいま、心配ごとのおかげで確実に強くなっているという実感があるのだから。
 午前中に「恨みの滝」を訪れたわたしたちは、そこからさらにバスで二〇分ほど移動して、村の外れにある蛍原鍾乳洞に来ていた。
 龍さんが言うには、ここは交通が不便すぎてほとんど無名の鍾乳洞だけれど、実際に洞窟のなかを歩いてみると、なかなかの感動を味わえるらしい。
「はい、皆さん、ヘルメットをかぶって頂けましたか。あっ、ジャックさん、あご紐をちゃんと締めて下さいね」
 わたしたちの前には、岩壁にぽっかりと空いた漆黒の穴がある。小柄なわたしが少しかがんで入れるくらいの入り口だ。その前に立った龍さんが、いつものように説明をしはじめたのだけど――、
「マジかよ。ロックじゃねえよなぁ、これ……。まさか、こんなのをかぶるハメになるとはよぉ」
 ジャックさんがへの字口で不平をこぼした。本当はヘルメットが嫌なのではなくて、暗い鍾乳洞に入るのが怖いのだ。ピアスだらけの顔のわりに怖がりなジャックさんは、女性陣のあいだでは密かに「ちょっと、かわいい奴」と評されている。
「ジャックさん、すみません。たしかに格好よくはないですけど、頭上から垂れ下がっている鐘乳石に頭をぶつけたら怪我をしますので、少しのあいだだけ我慢して下さい。皆さんも、くれぐれも途中で取らないようお願いします」
「それはともかくよ、もう少し大きなサイズはねえのかい?」
 後ろの方で入道さんが低く通る声を出した。みんなが一斉に振り向くと、つるつる頭の上に、黄色いヘルメットを「かぶる」というより、飾りのようにちょこんとのせた入道さんが困り顔をしていた。それを見て、みんなはくすくす笑い出す。
「あは、す、すみません。サイズはこれしかなくて」
 龍さんまで吹き出しそうになっている。
「あんた、頭がでかいね。あはは。脳みそいっぱい。いいことだろう。自慢しろ」
 陳さんが笑いながら言う。本気なのか、ちゃかしているのか、よく分からないけれど、これが引き金になって、みんなプッと吹き出した。
 龍さんは笑いをこらえて、ぎこちない顔で説明を続けた。
「皆さん、もう少しだけしゃべらせて下さいね。ここから先は『旅のしおり』にもある通り、お一人ずつ順番に鍾乳洞を探検して頂きます。探検といっても、洞窟のなかは一本道ですし、さほど起伏もありませんので基本は安全です。お年寄りや子供でも歩けますのでご安心下さい。で、この入り口からなかに入って頂きますと、洞窟はくねくねと曲がりながら、ゆったりとした下り坂になっております。三分ほど歩いて頂くと、少し広い部屋のような場所にたどり着きますが、そこでミッションを遂げて下さい。その部屋の奥には、地面からニョキっと生えた細いタケノコのような鐘乳石がきれいにふたつ並んでいまして、それが『別れの石』と呼ばれる絶縁のパワースポットとなっております。よく見ると、どちらも人間っぽい形をしていると言われていますが、実際は、ちょこっと頭のようなものがあるかなぁ……といった感じです。不思議なことに、この二つの鐘乳石は、根本の部分は寄り添っているのに、上に行くに従って徐々にお互い離れているんですね。その形状から『別れの石』という名が付いたそうです。で、皆さんは、その石の頭を左右の手でそれぞれ一度に触れて、撫でてやって下さい。そうすることで、失恋した相手との悪縁をきれいさっぱり絶てるのだそうです。そのミッションを終えた方は、来た道を戻らず、さらに奥へと進んで下さい。すると今度は徐々に洞窟が登り傾斜になっていきまして、二分ほどで出口にたどり着きます。出口には、バスが先回りして待っていますので、そのままバスに乗り込んで休憩するか、あるいはバスの周りでお待ち頂ければと思います。切り株を置いただけのベンチも一応ありますので、そちらでお休みになられていても結構です。出口から見て右手にトイレもございます。説明は以上になります。何かご質問がある方はいらっしゃいますか?」
 誰も手を挙げないので、龍さんはさらに続けた。
「では、絶縁するための探検をはじめましょう。トップバッターは――」
「はい」
 後ろの方にいたわたしは、控えめに手を挙げた。
 鍾乳洞探検の順番は、すでにバスのなかで決められていたのだ。龍さんお手製のあみだくじで。
「では、モモちゃん、前の方へいらして下さい」
 龍さんの元へ行くと、ヘルメットに付けられたヘッドランプのスイッチを入れてくれた。
「モモちゃん、ちょっと怖いね」
 わたしの斜め後ろから桜子さんが言う。この人とは、ずいぶん仲良くなれた気がしている。ちょっと天然なところもあるけれど、とてもやさしい人なのだ。
「うん。ドキドキします」
「気をつけてね」
 わたしは頷いた。
「では、モモちゃん、いってらっしゃい」
 龍さんに促されて、わたしは一人、真っ暗な鍾乳洞のなかへと足を踏み入れた。
 洞内は人ひとりがようやく通れるような狭さだった。歩きはじめて三〇秒と経たぬうちに、わたしを取り巻く空気の感触が一変した。ひんやりと湿ってきて、重みのある静寂が張り詰めたのだ。自分の足音と呼吸音だけが洞内にやけに大きく響いている。ヘッドランプの青白い明かりは少し頼りなかったけれど、歩くのには充分だった。正直、思ったよりも怖くはない。でも、脈拍が少し速くなっているのは、自分でも分かる。
 足元を照らすと、雨後のように湿っていた。でも、滑ることはなさそうだ。頭上からは無数の鐘乳石がクリーム色のつららのように垂れ下がっている。たしかに、これに頭をぶつけたら怪我をするだろう。
 わたしは、ふと小雪さんのことを想った。
 小雪さんは、やっぱり鍾乳洞にも来なかった。まどかさんと一緒にゴール地点で待っているというのだ。わたしも、その方がいいと思うし、みんなもきっとホッとしているはずだ。
 しばらく下り坂を進むと、龍さんの言っていた部屋に出た。
 あ、すごい――。
 わたしは息を呑んだ。
 思いがけず、幻想的な光景が広がっていたのだ。
 その「部屋」は、学校の教室ほどの広さがあり、天井からは大中小たくさんの鐘乳石がぶら下がっていて、なかには地面とつながったものまである。
 足音がやけに響くので、試しに、
「あー」
 と声を出してみたら、おもしろいほどに反響した。
 ヘッドランプで部屋の奥を照らすと、龍さんが言っていたとおり地面から突き出した鐘乳石がふたつ並んで立っていた。見ようによっては、ちょっと傾いた長細いお地蔵さんのようでもある。背丈はだいたいわたしの腰くらいで、右側の方が十センチほど高かった。
 わたしは、その「別れの石」に歩み寄り、左右の手でそれぞれの鐘乳石の頭に触れた。ざらざらした感触。しっとり湿っているけれど、思ったほど冷たくはなかった。それを静かに撫でながら、目を閉じる。
 ふう――、と息を深く吐いてから、
「わたしは、きれいさっぱり、わたしの過去と絶縁します」
 小声で宣言して、鐘乳石から両手を離した。
 そっと目を開け、湿った手のひらを見つめた。
 なんだろう、この感じ。
 ただ自分の未来を口にしただけなのに、わたしはずいぶんと清々しい気分になっていたのだ。まるで心の一部が新しく生まれ変わったような、そんな新鮮さを感じていた。
 わたしは誰もいない絶縁のパワースポットで、ひとり微笑んだ。

 鍾乳洞を出ると、まぶしさに目を細めた。
 暗さに慣れていた目を、青々とした空の明るさが射たのだ。
 わたしの目の前には「森のなかの広場」とでもいいたくなるような、陽当たりのいい草地が広がっていた。
「モモちゃん、お疲れさま。鍾乳洞、どうだった?」
 出口で待っていた小雪さんが、さっそく声をかけてくれた。
「思ったより怖くなくて、楽しかったです」
 わたしはヘルメットを脱ぎながら答えた。
「うふふ。それはよかった。で、あのクソ彼氏との絶縁宣言は、ちゃんとできた?」
 小雪さんがわざとらしくしかめっ面をしたので、わたしは小さく吹き出してしまった。
「彼氏じゃなくて、わたしの暗い過去と、絶縁宣言しました」
「えっ」小雪さんのぱっちりした目が、いっそう開かれた。「モモちゃん、凄いじゃん。その感覚、いいよ。強くなったね。偉い」
 褒めちぎられたわたしは、思わずはにかんだ。
「モモちゃんの未来、変わるよ、必ず」
「はい」
 わたしは頷いた。不思議と、自分でもそんな気がしていた。小雪さんは、孫でも見るような目でわたしを見ている。
「あの、小雪さん」
「ん、なに?」
 わたしは、なるべくさりげない口調になるよう心を砕いて訊いた。
「全然、話は違うんですけど、小雪さんって、わたしと同じ五月生まれの牡牛座だって言ってましたよね?」
「え? うん、そうだけど……」
「ちなみに、何日生まれですか?」
 すると小雪さんは、ちょっと照れくさそうな顔をした。
「じつはね、今日なの」
「えっ……」
 わたしは、一瞬、言葉を失った。
「モモちゃんは、何日なの?」
「あ、ええと、二十日です」
「じゃあ、もうすぐだね」
「はい。あ、お誕生日おめでとうございます。って、プレゼント、何もないですけど……」
「あはは、いいの、いいの。気にしないで。もはや祝ってもらいたいような歳でもないし」小雪さんは目を細めて笑うと、「あ、そのヘルメット、バスの横に置いてある段ボールのなかに戻しておいてね」と言った。
 わたしは「はい」と頷いたあと、つい、こんな台詞を口にしてしまった。
「小雪さんって、もしかして自分のことには鈍感なタイプですか?」
「え? なんで?」
「なんとなく、というか、たしか、牡牛座ってそうだったような……」
「鈍感かなぁ……。うーん、あまり人からそういう風に言われたことはない……、と思うけど」
「そうですか」
 じゃあ、龍さんは? と続けて訊きそうになった口を、わたしは力づくで閉じると、「ヘルメット、戻してきます」と言い換えて、バスの方へと歩き出した。
 ヘルメットを箱に戻した後は、そのままバスに乗り込む。そして、運転席で美脚を組んでいるまどかさんにそっと声をかけたのだ。
「あの、ちょっと内緒のご相談があるんですけど」
「んあ?」
 まどかさんは退屈そうな顔で、小首をかしげた。

 洞窟から最後に出てきたのは、龍さんとジャックさんの二人組だった。結局、ジャックさんは一人では入れなかったのだ。
 全員が揃ったところで、お弁当タイムとなった。
 龍さんが、バスの前で、全員にお弁当を配っていく。
「それでは、本日も質素なランチではありますが、各自、この広場のなかのお好きな場所にレジャーシートを敷いてお召し上がり下さい」
 弁当を手に、それぞれが散っていこうとしたとき、バスのなかから声がした。
「おい、添乗員とカウンセラー。ちょっと話がある」
 まどかさんが呼んだのだ。
 呼ばれた龍さんと小雪さんは、ポカンとした顔を見合わせると、二人してバスに乗り込んだ。と同時に、バスのドアが閉まった。
 まどかさんが作ってくれたチャンスだ。
 わたしは散りぢりになりかけた人たちに声をかけた。
「皆さん、すみません、ちょっと」
 ちらりとバスを見ると、龍さんと小雪さんはこちらに背を向け、まどかさんと何かしゃべっているようだった。
 急がないと――。
 一旦は散りかけた参加者たちが、なんだ、なんだ、と集まってきた。
「あの、じつは今日、小雪さんの誕生日なんです。で、龍さん、本当は今日、プロポーズをするつもりだったらしいんです。でも……」
 でも、に続く言葉が見つからず、わたしは言葉を途切れさせた。すると入道さんが太い声をひそめながら言った。
「そういうことなら、もう黙ってることもねえだろう。本人に伝えてやろうぜ。なあ、みんな」
 みんなは、それぞれ顔を見合わせながら、うん、うん、と頷き合った。
「ぐふふ。おもしろいね」
 陳さんがむっちりとした腕を組んで不敵に笑った。
「じゃあ、みんなを代表して、俺が伝えるぞ。霊的なことも含めて教えてやらにゃならんからな」
 入道さんも筋肉隆々の腕を組む。
「あんた、うまくやれよ」
 ジャックさんが入道さんのその太い腕をポンと叩いた。
「おう、任せとけ」
 頼もしい入道さんの返事を受けて、サブローさんも口を開いた。
「では、本人への告知は入道さんにお任せするということで、我々は引き続き、何も知らないという設定でいきましょう」
「ああ、そうしてくれ」
 頷き合ったわたしたちは、まどかさんが引きつけてくれている間に、各自、急いでお弁当を食べる場所へと散っていった。
 バスのドアが開いたのは、それから三〇秒ほど後のことだった。龍さんと小雪さんが、狐につままれたような顔をして外に出てきた。いったい、まどかさんは二人にどんな話をしたのだろう? ちょっと気になったけれど、いまはまだ訊けるタイミングではなかった。


【天草龍太郎】
 大吉さんの宿で作ってもらったランチは、ほとんど蛍原村の食材で作られたという質素で美味しい海苔弁だった。鍾乳洞の出口近くの切り株に腰掛けて、俺はひとりその海苔弁にパクついていた。そして、食べながら、さっきの奇妙な出来事を思い返した。
 今日のまどかさんは、どうにも妙だった。わざわざ俺と小雪を呼びつけたと思ったら、人に聞かれないようバスのドアを閉め、そして昨日の暴走族との一件について切々と謝罪の言葉を述べはじめたのだ。あまりの想定外の出来事に、俺と小雪はおっかなびっくり「いえいえ」「もう大丈夫ですから」などと言っていたのだが、まどかさんはそれでもしつこく謝り続けた。あんなまどかさんの姿は、これまで一度たりとも見たことがなかった。いったい何が、まどかさんを変えたのか? いくら考えても分からない。
 俺は弁当から顔を上げて、広場を見渡した。ちょうど斜め右方向に小雪の姿があった。小雪は珍しく一人で弁当を食べていた。そして、俺と同じく、ぼうっと考え事をしているような顔をしていた。
 分かるよ、その気持ち――。
 いますぐ隣に駆け寄って、このもやもやした感じを共有したいのだけれど、とりあえずいまはやめておいた。後でバスに乗れば、いくらでも話すチャンスはあるのだから。

 食後、俺は鍾乳洞の出口の近くにある古びた公衆トイレに入った。出発前に出しておくのは、添乗員の心得のひとつだ。
 ひとり小便器の前に立って用を足していると、となりにぬうっと大男が立った。入道さんだ。あらためて見上げると、俺より頭ひとつ大きそうだ。
「あ、どうも」
 と言った俺の言葉に、入道さんの太い声がかぶせられた。
「ちょっと、そのまま付き合ってくれ。いまから大事なことを言うからよ」
「は? このまま、ですか?」
「ああ、そうだ。心の準備はいいか?」
 は? 心の準備? おしっこをしながら? この巨漢は、いったい何を言っているのだろう? 展開が急すぎて、俺は返事もできずにいた。しかし、入道さんはかまわずしゃべりはじめた。
「じつはな、カウンセラーの小泉先生のことなんだが」
「え……」
 俺は、となりの巨漢を見上げた。
「妊娠してるぜ」
「は?」
「妊娠、してんだよ」
 え?
 小首を傾げたまま固まった俺のなかで、時間が止まった。
 一秒、二秒、三秒目で――、
「えっ! えええっ?」
 俺は、男の大事なモノをチャックから出したまま、入道さんの方を振り向いてしまった。すでに放尿は済んでいたから良かったものの、入道さんはあからさまに顔をしかめた。
「おいおい、それ、こっちに向けんなよ」
「あ……、あ、はい。す、すみません。っていうか、ええと」
 俺は慌ててモノをしまった。
「あんたには内緒にしてたんだ。悪かったな」入道さんも放尿を終えて、モノをしまう。「初日にバスに乗り込んだとき、俺は悪霊がいるって言っただろう。覚えてるよな?」
「はい……」
「あのとき俺は、人に巣食うタイプだって言っただろう」
「は、はい」
「あれな、じつは、胎児のことだったんだ。胎児だからよ、人のなかに入り込んでるし、結果、人数よりもひとつだけ霊魂の数が多かったってわけだ」
 えっ、ちょっと待てよ、と俺はそこで少しだけ冷静になった。
 そもそも、この人の霊能力は本物なのだろうか? もしもインチキならば、小雪の妊娠だって間違いかも知れない。
 そう思ったとき、ふと俺はモモちゃんの顔を思い浮かべた。モモちゃんはたしか、入道さんは嘘を言っていないと断言していた。しかも、嘘を見抜く能力には自信があると。いや、でも……。
「ええと、何か、妊娠してるっていう証拠は――」
「あるさ。俺の霊的な見立て以外にもな」
「と言いますと?」
「モモちゃんがよ、小泉先生本人から聞いたんだとよ」
「えっ、本人から?」
「ああ、そうだ。あんた、様子を見てて気づかなかったのかよ。つくづく鈍感な男だよなぁ」
 俺は小さなトイレのなかで大男にけなされながら、ハッとした。そして、思わず「あっ」と声を出してしまった。いまさらながら、頭のなかで、すべてのパズルがピシピシと音を立ててつながったのだ。
 つわり――。
 小雪はずっと、つわりで苦しんでいたのだ。
 思い返せば、別れ話をされたあの日だって、大好きな餃子を食べず、ビールも飲まなかったではないか。つわりだから、ツアー中もご飯を残すし、バスのなかでもずっと気分が悪そうにしていた。磯や、川原、鍾乳洞といった足場の悪い場所に出てこなかったのも、お腹のなかの赤ちゃんを思ってのことに違いない。しかも、ツアーの途中から、参加者みんなが小雪にやさしくなって――、ジャックさんが手を差し伸べたりして……。
「あ、あの、入道さん」
「なんだ」
「この情報を知っているのって……」
 恐るおそる訊いてみると、最悪の返事が返ってきた。
「みんな知ってる。知らねえのは、あんただけだ」
 俺はもはや、絶句するほかなかった。
 衝撃のあまり、石のようになっている俺に、入道さんは切々と太い声でこれまでの経緯を説明してくれた。
「いいか、最初から説明してやるからな。まずは、俺が霊視をして、胎児の存在を知るわけだ――」
 しかも、その能力で、俺と小雪の関係を疑っていたのだという。そして初日の夕食後に、モモちゃんがこっそり入道さんに話しかけてきて、「入道さんが悪霊と間違えたのって、もしかして赤ちゃんですか?」と訊いたという。入道さんは驚いて「そうだが、どうしてあんたに分かったんだ?」と逆に訊き返した。するとモモちゃんは、イノシシ襲撃事件のあった公園で、小雪から直接、妊娠の秘密を明かされたと言った。そこで入道さんとモモちゃんは、小雪の妊娠という事実を共有する。しかも、ちょうどそこに桜子さんが現れて、モモちゃんにボソッと言ったのだ。
「なんか、龍さんと小泉先生、前の席でこそこそ喧嘩してるみたいなの」
 どうやら俺と小雪の声が丸聞こえだったらしい。
 そこまで情報が集まると、今度は入道さんが念のためまどかさんに訊ねた。「もしかして、あの二人、デキてるんじゃねえのか?」と。すると、まどかさんは当然という顔で頷いて、「あたしはずっと一緒に旅してっからね。ありゃ、確実に付き合ってるよ。あ、違うか。別れたって言ってたか」と言ったのだそうだ。
 そんな流れを受けて、入道さんは宿での夕食後の自由時間に、参加者とまどかさんを一堂に集めた。そして、小雪が妊娠中であることや、俺がフラれたということを全員に通達したというわけだった。
「言っとくけどな、悪意があってのことじゃねえぞ」
 トイレのなか、入道さんが腕を組んで俺を見下ろす。
「あ、はい……、それはもう」
 ようするに入道さんたちは、このツアー中は、みんなで協力して妊婦の小雪と胎児を守ろう、ということで一致したのだそうだ。ついでに言えば、元彼である俺が、小雪に余計な負担をかけないよう、そこも、みんなでチェックすることになったらしい。
「入道さん、全員が集まったって……、あの古い旅館の玄関の前で……」
「ああ、そうだ。あんときゃ、階段の上から、あんたがひょっこり降りてきたから、焦ったぜ」
「でも、どうして、ぼくにそれを教えてくれなかったんですか?」
「あのなぁ、俺たちだって大人なんだからよ。他人の恋路に口を出すなんて野暮なこたぁしねえさ。あんたらが付き合おうが、別れようが、それは二人の問題だからな」
「はあ……」
「でもよ、このツアーのあいだ、あんたら二人のことをみんなで観察してた結果、二人はやっぱりよりを戻した方がいいんじゃねえかって話になってたんだ。いずれガキだって産まれるわけだしな」
「…………」
「んでもって、ついさっき、俺らは知っちまったわけよ。小泉先生の誕生日が今日で、そんでもって、あんたが――」
「ええええっ! ちょっ、ちょっと待って下さい。な、なんでそれを」
 と言いながら、俺の脳裏には、色の白いアイドル顔が思い浮かんだ。
「あ……、そっか。モモちゃん、か」
「ま、そういうこった」入道さんは、そこでニヤリと不敵に笑った。「あの小娘よ、このツアーで魂の殻をひとつ破ったようだな。おかげで、ずいぶんと憑き物が落ちたみたいだぜ」
「…………」
 俺は、返事もできずに突っ立っていた。
「よし。んじゃ、まあ、俺はツアー参加者を代表して、大事なことは伝えたからな。あとは、あんたが男を見せるだけだ。男を見せるっつっても、さっきみたいに男のアレを見せるんじゃねえぞ。そりゃ、犯罪だし、フラれるぞ」
 下らないギャグを口にして、入道さんはひとり「がはははは」と笑いながらトイレから出ていった。
 取り残された俺は、念のためズボンのチャックを確認して、手を洗った。
「つーか、あの人、手、洗わないのかよ」
 気持ちを落ち着かせようと、どうでもいい台詞を口にしてみた。けれど、そんな小細工は、いまの俺にはまったく意味をなさなかった。それも当然だろう。なにしろ小雪のお腹のなかには赤ちゃんがいるのだ。
 しかも、その胎児は――。
 俺の子なのだ。

(第27回につづく)

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森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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