双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 24 回



◇   ◇   ◇
 空色のおんぼろバスが、閉鎖された遊園地を出発した。
 ブロビロロロ~ン、ブロ~ン。
 ぽんこつエンジンが鳴いて、まどかさんがいつもの失恋ソング集を流す。それとほぼ同時に、隣の席の小雪が、俺の腕をツンと突ついて「ねえ」と小さな声を出した。
「ん?」
 と振り向く俺。
「モモちゃんの話、詳しく聞かないんだね」
「え? あ、いや、バスが出発してからでいいかなって思ってたから」
 俺は若干しどろもどろになりつつ返事をした。ついさっき遊園地のなかで、小雪から「モモちゃん、大丈夫だったよ。短いけど、効果的なセッションをしておいた」とだけ報告を受けていた。セッションの様子をすべて知っている俺は「そっか。うん。ならよかった」と答えて、他のお客さんたちへの対応をしていたのだった。
「龍ちゃん」
「え?」
「何か、隠してる?」
「は? 何かって、なに?」
 俺はとぼけた。小雪は少しのあいだ、こちらの瞳を覗き込むようにしたけれど、すぐに「まあ、別にいいけど」と、そっけない言葉を口にした。
「だったら変なこと言うなよ」俺は、ちょっと不満顔を作ってみせてから、あらためて訊いた。「で、モモちゃん、どうだったわけ?」
「もう教えなーい」
 思いがけず小雪が子供みたいな態度をとったのを見て、俺はうっかり笑ってしまった。
「なに笑ってんのよ」
「いや、子供かっ! って」
「子供で悪かったわね」
 ぷいと窓の方を向いてしまった元・恋人をぼんやりと眺める。この子供じみた人が、ほんのついさっき、モモちゃんにたいして、あんなに素晴らしいセッションをしていたんだもんな――。そう思うと、なんだか人間っておもしろいなぁ、と穏やかに微笑んでしまった。
「じゃあ、気が向いたら話してくれよ」
 俺は、そっぽを向いた小雪にそう言って目を閉じた。
 まぶたの裏側には、小雪と、まだ見ぬ娘と一緒に暮らしているイメージ映像がはっきりと残っていた。

 バスは、ゆったりしたペースで山間の町へと入り込んでいった。
 空は相変わらず薄ぼんやりとした水色をしている。
 小さな集落をいくつか越え、ファミレスがぽつぽつ立ち並ぶバイパスに差し掛かったとき、遠くからやけに激しいエンジンの唸り声が聞こえてきた。
 なんだろう――、と俺は窓の外を見た。小雪も窓におでこをくっつけて外を見ていた。
 そのエンジン音は、どんどん大きくなってきた。どうやら暴走族らしい。
 やがてバスが広い交差点にさしかかったとき、まどかさんが急ブレーキを踏んだ。
 俺の後ろの席の桜子さんが「きゃ」と短い悲鳴をあげた。
 おっと……。上半身だけつんのめりそうになった俺は、顔を左にずらして、まどかさんに「どうしました?」と訊いた。
「…………」
 まどかさんからの返事は、やっぱりない。
 ブワン、ブワワン、ブワワワワン!
 返事の代わりに、爆音が車内に飛び込んできた。
 俺はちょっと慌てて腰を上げ、運転席の横に立った。
 フロントガラスの先には、十数台の暴走族のオートバイの姿があった。ぐねぐねと蛇行運転をしながら、バスの進行方向を塞いでいる。猛烈なエンジン音で、車内の失恋ソングはまったく聞こえない。
 暴走族は、蛇行運転をしながらジリジリと進んでいく。バスは、その後をゆっくり付いていく格好になってしまった。
 俺は客席に向かって声を上げた。
「皆さん、ちょっとうるさいですが、すぐにいなくなると思いますので」
 かなり大声で叫んだつもりだが、エンジン音が大きすぎて、この声すらお客さんたちに届いたかどうかは分からなかった。
 と、次の刹那、俺の三倍はあろうかという声量が耳に飛び込んできた。
「てめえぇぇ! タバコ投げやがったなぁ! ぶっ殺すぞ、ぐおるあぁぁ!」
 声の主は、なんと元ヤン運転手、まどかさんだった。
 まどかさんは運転席の横の窓ガラスを全開にし、そこから顔を出して罵声を上げているのだ。左手だけでハンドルを握っている。
「ちょ、ちょっと、まどかさん!」
 俺が横から声をかけても、まどかさんには通じない。
「おう、大丈夫だって。心配すんな」なぜかそう言ってニヤリと笑うと、ふたたび怒鳴りはじめた。「逃げんじゃねえぞぉ、このカス野郎がぁ!」
 窓から右手を突き出し、中指を立てて挑発する。
 そのまどかさんのすぐそばに一台のオートバイが近づいてきた。と思ったら、エンジンをブンブン回して威嚇してきた。二人乗りで、どちらもヘルメットをかぶっていなかった。高校生くらいだろうか。まだあどけなさを残した顔をしているが、ずいぶんと凶悪そうな目をしていた。
 俺はタンデムシートに乗った少年と目が合ってしまった。少年は殺意剥き出しといった視線を俺に向かって飛ばしてくる。
 慌てて視線をそらし、思わず足をすくませた瞬間――。
「このクソガキがぁ! 降りて勝負しろ、ボケぇ!」
 窓のすぐそばにいるバイクに向かって、まどかさんが吠えた。
 嘘だろ、この人……。
「ま、まどかさん、駄目です。ちょっとスピードを落として距離を取って下さい」
「だから、大丈夫だって」
 こちらを振り向いたまどかさんは、余裕綽々しやくしやくの表情だ。
 いったい、なにをもってして「大丈夫」なのだ。俺がそう思ったとき、
 ファーーーーーン!
 バイクの騒音を上塗りするような、甲高い音が田舎道に鳴り響いた。
 パトカーのサイレンだ。
 そのサイレンが鳴るのとほぼ同時に、暴走族のオートバイはいきなり速度を上げて逃走しはじめた。
「あははは! 行け、行けえっ! とっ捕まえろぉ!」
 愉快そうに声をあげるまどかさんのすぐ脇を、パトカーが勢いよく追い抜いていく。その様子をポカンと眺めていると、運転席から声がかかった。
「ほらな、大丈夫だって言っただろ?」
 まどかさんが、ニヤリと笑ってそう言った。この人は、後ろにパトカーがいるのをバックミラーを見て知っていたのだ。
 俺は前方を見た。
 パトカーのサイレンとバイクの爆音が、みるみる遠ざかっていく。
「はあ、もう、まどかさん……」
「あ?」
「やめてくださいよぉ」
「あいつらが信号無視して、急ブレーキを踏ませたんだぞ。しかも、火のついたタバコを投げつけてきやがったんだ。許せねえじゃん」
「そ、それは分かりますけど、でも、いまは仕事中なんですから」
 まじめな顔で少しきつく言ったら、まどかさんは「へいへい」と首をすくめる素振りをした。
 やれやれ……。
 俺はふたたび客席に向き直った。
「皆さん、申し訳ありませんでした。でも、もう大丈夫ですので」
 桜子さん、ヒロミンさん、モモちゃんが座る左側の女性陣は、一様にホッとしたような顔をしていた。ところが、右側の男性陣は、それぞれまったく違う反応を示していた。入道さんは「なかなか元気のいい若もんだよな、おい」と鷹揚に笑っているし、サブローさんは孫でも見るような目で俺を見ている。陳さんは「おい添乗員、いまのは日本の暴走族か。はじめて見た。もっと見たかっただろう」と、まさかのクレームを言いはじめる始末。ジャックさんは、お化けのときと同様、怯えきって昇天しそうな顔で固まっている。そして、いちばん後ろの席の教授は、やはり、いつもどおり、悟りきった仏像のような顔のまま微動だにしなかった。
 ふう、と俺は嘆息して、自分の席に戻った。
 パトカーのサイレンと、暴走族の爆音が、どんどん遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。バスのなかは、ふたたび失恋ソングが漂い、空気が元どおり鬱々としていく。
「いやぁ、びっくりした。今回のツアーは、どんだけ事件が降りかかるんだよ」
 俺は、小声で愚痴をこぼしてみた。
 すると、小雪もさすがに驚いていたようで「ほんと、怖かったぁ……」と眉をひそめ、苦笑してみせた。
◇   ◇   ◇
 その日の夕方、ツアー一行は、蛍原ほとはら村という、いわゆる「限界集落」のさびれた旅館にやってきた。
 ここは手付かずの自然が色濃く残された超過疎の村で、梅雨時に来れば信じられないほどの数のゲンジボタルがふわふわと川辺を舞い飛び、まるで夢のなかにいるような気分を味わえる桃源郷だ。しかし、残念ながら、いまはまだ少し時期が早い。
 宿に到着すると、お客さんたちはそれぞれの部屋に荷物を置き、食堂に集まった。清潔感はあるが、歩くと床がぎしぎしと鳴る、ちょっと時代めいた広い食堂だ。
「それでは、皆さん、お好きな席にお座り下さい」
 食堂の入り口の脇に立って、俺が声をかける。
 お客さんたちはそれぞれ手近な椅子を引いて腰を下ろした。初日と比べると、お客さん同士の心の距離感がずいぶんと縮まったらしく、席選びに迷う人がいなかった。
「おう、龍さんよ、長旅で疲れたべ? あったかい笹っ葉茶でも飲むかい?」
 俺の横でドスの効いた声を出したのは、この宿の主人、臼山大吉うすやまだいきちさんだ。
 この大吉さんは、田舎のガキ大将をそのまま大人にしたような人で、角刈りに、太い眉と太い首、がっちりした体躯は、野生のイノシシを彷彿させる。言葉も少し乱暴なところがあるが、付き合ってみると、とても人情味あふれる人だ。
「笹っ葉茶って、熊笹を乾燥させたお茶ですよね?」
「そうそう。龍さんには飲ませたことあったかい?」
「ええ、もう五~六回は頂いています」
「うはあ、そっかぃ。がははは。俺は忘れっぽいからよぉ。んじゃ、みんなも飲んでみっぺよ。さっぱりした甘みがあってうめえし、身体にいいんだ」
「ありがとうございます。じゃあ、お願いします」
「おーい、母ちゃんよぉ、笹っ葉茶を淹れてくれよぉ」
 大吉さんが厨房の奥に方に声をかけたが、返事はなかった。
「ありゃ、誰もいねえのか。んじゃ、まあ、俺が淹れてくっから。皆さん、ちょっくら待っててくれな」
 照れ臭そうに言って、大吉さんは厨房に入っていった。
 大きな身体を小さくしつつ厨房に消えた大吉さんを見ながら、ツアーのお客さんたちは、おしなべてほっこりとした笑顔を浮かべている。みんな大吉さんの純朴さに一発で好感を抱いてしまったのだ。
「さて、皆さん、ツアー三日目、お疲れさまでした」俺は食堂を見渡すようにしゃべりはじめた。「今夜の夕食のメインは、卵かけ御飯になります」
「えっ、それだけかい?」
 大吉さんよりもひと回り大きな入道さんが眉をハの字にした。この三日間の粗食で、腹が減って仕方ないのだろう。
「はい。一応、味噌汁は付きますけど」
「いやぁ、またしても侘しいな、そりゃ」
「でも、入道さん、ご安心下さい。ここの卵かけ御飯は、おかわり自由なので。しかも、その卵は究極の――」
 と説明しかけたとき、食堂の入り口にひょっこりと一人の男が顔をのぞかせた。つまり、俺のすぐ横に立ったのだ。
 どこか間延びしたような、というか、人の良さがモロに出まくっているというか――、とにかく一ミリたりとも悪意を感じさせない顔をしたその男が、とても馴れ馴れしい感じで声をかけてきた。
「なあ、あんた、もう夕食か?」
「え?」
「だったら、ほれ、卵。たっくさん持ってきたから。間に合ってよかったなぁ」
 よく見れば、男は両手で大きな段ボール箱を抱えていた。
「それ、夕飯用の卵ですか?」
「ああ、そうだぁ。今朝、うちの元気いっぱいの姫さんたちが産んでくれた最高の卵たちだぁ。あんたら、これ食ったら、あんまり美味くて、びっくらこいて、お目々がまん丸になっちまうよ」
 にこにこ顔で勝手にしゃべりだした男は、よく見るとムーミンを彷彿させるような顔をしていた。どうにも憎めない顔、というやつだ。
「あのな、うちの姫さんたちはよ――、あ、姫さんってのは、卵を産んでくれる雌鶏のことだけども、俺が編み出した究極の餌を食べてもらって、昼間はクラシックを愉しんでもらってんの。だからストレスフリーで、卵の味も香りも最高なんだよなぁ。ほれ、卵って、それだけでひとつの生命になれる、いわゆる命の塊だべ? だから人間の身体に必要な栄養素が、ビタミンC以外はぜ~んぶバランスよく入ってんの。そんでな――」
 ムーミン顔の男が、なんとも陽気な口調で卵についての講釈をしはじめたところで、大吉さんが厨房から出てきた。手にしたお盆には、たくさんの湯呑みを載せている。
「あっ、こら、おめえ、お客さんに向かって勝手にしゃべんじゃねえっつーの」
「おお、大吉。ほれ、卵さ持って来てやったど」
 ムーミン顔の男は、目の前のテーブルに卵入りの段ボール箱を置くと、今度は勝手に大吉さんの手伝いをはじめて、お茶を配膳しはじめた。
「あ、あの……、大吉さん、この方は?」
 俺は訊かずにはいられなかった。
「ああ、この卵を生産してる養鶏場の男でよ、俺の幼馴染だぁ」
 紹介された男は、ムーミン顔でニカッと笑うと、またしゃべり出した。
「この村はよ、都会から見っと、なーんもねえって言われんだけども、最高に綺麗な自然と、最高にうめえ食材はたっぷりあっから、皆さん、また、遊びに来て下さい」
 そこまで言って、ぺこりと頭を下げた。すると、その下げた頭の後ろを大吉さんが横からパチンと平手で叩いた。
「だーから、おめえは勝手にしゃべんなっつーの!」
「うはぁ、痛っでぇなあ。大吉、おめえ、何も、そんな強く叩かなくてもいいべさぁ」
 後頭部を押さえたムーミン顔が、情けない顔で笑ったので、ついつい俺もお客さんたちもくすくす笑ってしまうのだった。
 それからしばらくのあいだ、大吉さんとムーミン顔の男は、掛け合い漫才のようなやりとりをして、お客さんたちを愉しませた。
 熊笹の葉を炙ってお茶にした笹っ葉茶は、お客さんたちに好評で、お代わりをする人が続出した。
 しばらくすると、一瞬でみんなを虜にしたムーミン顔の男が「んじゃ、皆さん、俺の卵、味わってなぁ」と言いながら帰っていった。
 そして、本日の質素な晩御飯がはじまった。
 毎度、驚かされるのだが、この卵かけ御飯の風味には、強烈な破壊力が秘められている。何が破壊されるのか、というと――、つまりは、一般的な卵かけ御飯の「美味しさの概念」が、木っ端微塵にされてしまうのだ。
 お客さんたちは、ひと口食べるごとに「んんん!」とか「うはぁ!」とか言いながら、目を丸くするのである。
「マジかよ龍さん、こんな美味い卵かけ御飯を食ってたら、落ち込めねえじゃんか」
 ジャックさんが三杯目のお代わりを口にかっ込みながら言う。
「たしかに。この卵は、なんつーか、エネルギーが違うぜ」
 入道さんも、食べながら何度も唸っていた。あの教授ですら、ひとくち食べた瞬間に破顔したのだから、たいしたものだ。極め付けは、陳さんが大吉さんに真顔で言ったこの台詞だ。
「おい、あんた。この卵を作っている男、いくら出せば買える? わたしと仕事する。金が儲かるね。あの男、金持ちになるだろう」
 もちろん大吉さんは、「がははは。あいつは金じゃ動かねえ馬鹿だから、そりゃ無理だなぁ」と笑い飛ばしていたけれど。
 唯一、この神がかったような卵かけ御飯を残したのは、小雪だった。いつもだったら、お代わりまでペロリと平らげるほどの好物なのに……。

 食後はフリータイムだ。
 お客さんたちには、自由に風呂に入ってもらい、そして就寝してもらうことになっていた。
 三杯の卵かけ御飯を食べた俺は、満腹の腹をなでながら部屋に戻るとスマートフォンを手にした。そして、小雪にメールを送った。
《よかったら、大吉さんでも誘って軽く一杯やらない?》
 しかし、返事はノー。
《卵かけ御飯を残してたけど、大丈夫? ちょっと心配です》
 と送っても、返事は《最近、少食なの。心配無用です》とそっけない。
 分かっているけどさ。
 もう、恋人同士じゃないけどさ。
 俺は力なく畳の上に仰向けに寝転がり、ぼんやりと天井を眺めた。
 明日は、いよいよもって、このツアーの四日目だった。
 つまり、小雪の誕生日だ。
 それなのに――。
 俺は、目を閉じた。
 もはや、ため息すら出てこなかった。

(第25回につづく)

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森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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