双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 22 回



【小泉小雪】
 お昼になり、お弁当とお茶が配られた。
 廃墟のような世界へと、皆ばらばらに戻っていく。
 そんな彼らの背中を眺めていたら、龍ちゃんがわたしの背中をちょんとつついた。
「小雪、ちょっと、いいかな」
「え、なに?」
「昼食がてら、報告しておきたいことがあるんだ」
 龍ちゃんは真顔だった。
「うん。分かった」
 わたしたちは周囲に人のいないゴーカート場の脇にあるベンチまで歩き、並んで腰を下ろした。そして、質素なお弁当を膝にのせて食べながら、龍ちゃんから悲痛な報告を受けたのだった。
「そうだったんだ……、サブローさん」
「うん……」
 霧に霞んだ公園で、わずかな躊躇もなくイノシシとわたしの間に飛び込んでくれたサブローさんの老いた背中を思い出す。
「全然気づかなかった、わたし」
「俺もだよ。でも、いま思えば、腑に落ちる言動がいくつもあるんだよ」
 やさしい龍ちゃんは、肩を落として箸を止めた。
「とにかくさ」わたしは、気持ちを切り替えるような、はっきりとした声で言った。「サブローさんのことも、さりげなく気にしておくね」
「悪いな、小雪」
「いいえ。仕事ですから」
 龍ちゃんは、蚊の鳴くような声で「うん」と言って微笑むと、再びぼそぼそとお弁当を食べはじめた。わたしは、あまり食欲がないのだけれど、龍ちゃんの手前、せめて半分は食べようと箸を手にした。
 と、そのとき、斜め後ろからわたしの名を呼ぶ声が聞こえた。
「小雪さん」
 自信なげな、か細い声。
 振り返らずともモモちゃんだと分かる。
 わたしは「ん?」と振り向いた。
 モモちゃんは、両手でお弁当箱を持ったまま、ちょっと決まり悪そうに立っていた。
「どうしたの?」
「えっと……」
 ふわりと風が吹いて、モモちゃんの前髪を揺らした。
「よかったら、一緒に食べる?」
 わたしが言うと、モモちゃんは龍ちゃんに視線を送った。
「え? 俺? どうぞ、どうぞ。ベンチは詰めれば余裕で座れるし」
 龍ちゃんが気さくに言って手招きをする。
「ありがとうございます」モモちゃんは、少し気まずそうな顔でちょこんとわたしの隣に腰を下ろした。「でも、なんか、わたし……、お二人の邪魔をしちゃってませんか?」
「は?」
 龍ちゃんはニンジンの煮物をつまんだ箸を宙に止めて、驚いたような顔をした。
「なんか、悪いかなぁって」
 そんな左右の二人の顔を交互に見て、わたしはくすっと笑った。
 そして、モモちゃんの華奢な肩に手を回した。
「あんた、なによそれ。ぜんぜん邪魔じゃないわよ。いま、ちょうど仕事の打ち合わせも終わったところ。一緒に質素すぎて悲しいご飯、食べようぜぇ~」
 抱いたモモちゃんの肩をゆさゆさ揺すりながら、わたしは冗談めかした。するとモモちゃんは照れた少女のような顔で、「うふふふ」と、さも嬉しそうに笑ってくれた。我ながら、この難しい娘の心をずいぶんとオープンにさせたと思う。
 それからしばらくは、三人で他愛もない会話をしながらお弁当を食べた。空はやわらかなブルーで、吹き渡る風も木綿のように爽やかだ。もしも、ここが廃墟の怖さを漂わせるような場所でなければ、その辺の草の上に寝転んで、のんびり昼寝でもしたくなるところだ。
 ちょうど半分ほどお弁当を食べたところで、わたしは箸を置いた。もう充分。これでも頑張って食べた方だ。
「ごちそうさまでした」
 わたしは、言いながら素早く弁当にフタをした。ご飯を残したのを龍ちゃんに見られて、余計な心配をかけたくないから。
 そのとき、モモちゃんのスマートフォンが電子音を鳴らした。
「あ……」
 と小さくつぶやいたモモちゃんは、淡い桃色の薄手のコートのポケットからスマートフォンを取り出した。わたしはお弁当箱のフタを輪ゴムで留めるフリをしながら、さりげなくモモちゃんの横顔を窺っていた。
 モモちゃんが、手にしたスマートフォンの画面を見下ろした。
「…………」
 きれいな二重のまぶたが、ほんのわずか見開かれたのを、わたしは見逃さなかった。
 モモちゃんは電話に出ないままコールを断ち切った。
「誰から?」
 なに食わぬ顔でわたしは訊いた。
「えっと、中学時代の……友達です」
「へえ。出ればよかったのに」
「うん、でも、いいんです。後でかけなおしますから」
 そう言って、モモちゃんが曖昧な笑みを浮かべると、再びスマートフォンが鳴り出した。
 モモちゃんとわたしは、至近距離で目があった。
「どうぞ」
 わたしは無関心を装ってそう言うと、輪ゴムで止めたお弁当をビニール袋のなかに戻した。
「あ、えっと、じゃあ、ちょっと、出てきます」
 モモちゃんはベンチの上に食べかけのお弁当を置いて、すっと立ち上がると、こちらに背を向けて早足に歩き出した。そして、わたしと龍ちゃんに声が聞こえなくなったあたりで、スマートフォンを耳に当てた。そのまま、どんどん遠ざかっていく。
「ねえ、いまの、誰だと思う?」
 わたしは、龍ちゃんに訊いた。
 龍ちゃんは、ご飯粒ひとつ残さず、お弁当をきれいにたいらげたところだった。
「えっ、中学時代の友達じゃないの?」
「絶対に違うと思う」
 わたしは小さく首を振ってみせた。
「どうして?」
「スマホの画面を見て相手の名前を確認した瞬間、モモちゃんの表情が一瞬だけど固まったの」
「そっか……。っていうかさ、そもそも彼女は引きこもりだし、友達はいなそうだもんな」
「でしょ」
「ってことは、まさか」
「うん、多分」
「元彼」
「だと思う」
「ええええっ、マジかよ。また、るいるいさんみたいに電話でよりを戻して、途中で帰るとか言わないよな」
 のんきな龍ちゃんは、やれやれと苦笑しているけれど、わたしの見立てはまったく違うものだった。モモちゃんの元彼は、そういうタイプの人間ではない気がするのだ。龍ちゃんとは真逆の――、つまり、他人の心の痛みを想像する能力に欠ける――、大げさに言えばサイコパス的な気質を持ち合わせた人物である気がしていた。
 通話をしながら小さくなっていくモモちゃんの丸まった背中に、頑張れ、上手くやるんだよ、とわたしは胸裏で声援を送る。
 その背中が、左折して視界から消えた。
 大丈夫。万一、元彼から連絡がきたときの対処法は、すでに教えてある。
 まずは、とにかく、もうあなたには興味がないと、無感情に、しかし、はっきり伝えること。伝えたら最後、もう二度と電話には出ず、メールの返信もしないこと。でも、ブロックはしない。こういう相手には、こちらが喜んでも嫌がっても駄目なのだ。少しでも感情的な反応を示すと、相手をいろんな意味で「その気」にさせてしまい、最悪の場合ストーカーに変貌してしまう危険性がある。だから、ひたすら相手を空気のように「いない人」として対応することが大事なのだ。
 大丈夫。モモちゃんは、わたしから学んでいるから。ああ見えて、けっこう賢い娘だし。きっと、これから時間とともに少しずつ心が晴れてきて、ひと月かふた月もすれば、ほぼふつうの日常生活を取り戻せるようになるだろう。そうなるはず。
 わたしが、わたしを信じこませようとしていた刹那、今度はわたしのスマートフォンが短く鳴った。
「あ、モモちゃんからメールだ」
 龍ちゃんに言いながら、わたしはメールの文面にさっと目を通した。
「どう? いきなり帰るとか――」
 のんきな龍ちゃんの声をさえぎるように、わたしは硬い声で言った。
「ちょっと、モモちゃんのところに行ってくる」
 お弁当箱をベンチに置いて、さっと立ち上がる。
「えっ、ど、どうした?」
 龍ちゃんの声も硬くなった。
「これ」
 わたしが差し出したメールの画面に、龍ちゃんが視線を走らせた。
「行こう」
 龍ちゃんも立ち上がった。
「ううん。龍ちゃんは待ってて」
「え?」
「ごめん。わたし一人がいいと思うから」
「なんで?」
 モモちゃんと「秘密」を共有しているわたしだけが、話し相手になってあげられるはずなのだ。もしも龍ちゃんがいたら、わたしたちは「秘密」の核心に触れずに話をしなければならなくなる。それは、あまりにも非効率的だ。
「いまは、理由は言えないけど。わたしを信じて」
「でも――」
「大丈夫。こういうメールをしてくるときは、死なないから」
「そうなのか?」
「本当に死ぬ気だったら、わざわざこんなメールを送ってよこさないで、勝手にさっさと死んじゃうの。でも、こういうメールを送るってことは、誰かに心配して欲しいとか、理解して欲しいとか、共感して欲しいとか、他者にたいする期待感があるの」
「なるほど」
 と答えたものの、龍ちゃんの顔には不安がありありと浮かんでいた。
「本当に大丈夫だから。わたし、ちょっと行ってくる。龍ちゃんは、ここで座って待ってて」
 わたしは龍ちゃんの肩を前から軽く押して、すとんとベンチに座らせた。そして、そのままモモちゃんが消えた方へと小走りで向かった。
 まだ、自分で対応させるには、ちょっと早かったか――。
 スマートフォンを見下ろして目を見開いたモモちゃんの_顔を思い出しながら、わたしは少し後悔していた。
 モモちゃんからわたしへのメールの文面には、こう書かれていたのだ。
《わたしなんだかもうしにたいです……》
 すべて平仮名で、途中に句読点もなし。
 心がいっぱいいっぱいで、変換する余裕もないようだ。
 しかし、文末に「……」をつけてくれたところが、わたしには大きな安心材料となっていた。自分の書いた言葉に「……」で余韻を残しつつ、あれこれ考える余裕が、モモちゃんのなかにはまだあるのだ。
 小走りのまま、わたしも左に折れた。
 少し先に、リスを模した二人乗りのジェットコースターが見えた。幼児向けの乗り物だ。周囲には立ち入り禁止を意味する黄色と黒のトラロープが張られていた。モモちゃんは、そのジェットコースターの乗り場へとつながる階段の踊り場で春の風に吹かれていた。
 踊り場の地上からの高さは五メートルほど。
 階段にも、鉄柵にも、たっぷりの錆が浮いている。
 わたしはトラロープをまたぎ越えず、まずは踊り場からよく見える草地に立った。
「モモちゃん」
 なに食わぬ感じで声をかけた。
 返事はないが、モモちゃんは、少し虚ろな目でこちらを見下ろした。
「立入禁止だよ、そこ」
「…………」
 モモちゃんは首の高さまである落下防止用の鉄柵に両手をかけて、その手の上に顎をのせ、こちらをぼうっと見ていた。
 わたしは、計算をした。
 あの高さの鉄柵を乗り越えるには、そこそこ時間がかかる。
 あるいは、モモちゃんには乗り越えられないかも知れない。
 つまり、万一、彼女が興奮して飛び降りようとしたとしても、わたしがここから走って階段を登れば余裕で間に合う。
「ねえ、言っとくけどさ、このツアーは自傷も自殺も禁止だからね」
 わたしは言いながら、なるべく親しげに微笑んでみせた。そして、さらに続けた。
「っていうかさ、モモちゃん、変なことをして、わたしをドキドキさせないでよね」
 予想通り、この台詞は効いた。
 わずかだが、モモちゃんの表情に変化があったのだ。
 やはり大丈夫だ。まだ、彼女には冷静さがある。
 わたしは少し安堵して、モモちゃんに気づかれないよう、そっとため息をついた。
「モモちゃん、降りておいで。ゆっくりでいいからさ」
「…………」
「何があったか、わたしに話して欲しいな」
 なるべく淡々と、いつも通りの声色でわたしは言う。
 すると、五メートル上から、そよ風にさえかき消されそうな声が聞こえてきた。
「死に、たくなっちゃった……」
 小さいが、うるみ声だった。
「それは駄目だよ」
 わたしは、変わらず淡々と返す。
「どうして?」
「どうしても」
「わたしの命だから、わたしの自由でしょ?」
 モモちゃんの声に、少しだけ張りが出てきた気がする。
「うん。それは、もちろん自由だけどさ」
「…………」
 わたしの返答に、一瞬、モモちゃんは詰まったようだ。
「モモちゃんも自由だけど、わたしも自由なの」
「え……」
「だから、わたしにも、モモちゃんに死んで欲しくないって気持ちを伝える自由があるでしょ?」
 モモちゃんは、また黙ってわたしを見下ろした。右手の指先で、何度も濡れた頬を拭っている。
「モモちゃん――」
「小雪さん、わたし」
 珍しくモモちゃんが言葉をかぶせてきた。
「わたし、赤ちゃんを殺したのに、自分は死んじゃいけない? 死ぬ自由、あるんですよね? どうして小雪さんは、止めようとするの? ドキドキしちゃうから?」
 モモちゃんは泣きながら一気にそこまでしゃべった。
 大丈夫だ。元気もある。
「わたしが止める理由は、単純だよ」
「…………」
「モモちゃんがこの世界から消えちゃったら、わたしが悲しいから。だから、わたしは嫌なの。わたしは、モモちゃんには色々と話せるじゃない? 話せる相手がいなくなったら悲しいでしょ?」
 モモちゃんは、むせび泣いた。
 わたしは、さらに続ける。
「モモちゃんは、孤独じゃないからね」
 人間にとって最もきつい不幸は、孤独だ。
 わたしは幼少期からずっとそのことを噛み締めて生きてきた。だから、よく分かる。
「降りてきてくれないなら、そっちに行くね」
 わたしは注意深く立ち入り禁止のトラロープをまたいで、階段へと歩いた。そして、カン、カン、カン、と一段ずつ金属音を立てながら、モモちゃんのいる踊り場へと近づいていく――、その途中で、
「きゃっ」
 わたしは短い悲鳴をあげた。
 階段でつまずいて、転んでしまったのだ。
 わざと、だけど。
 そして、わたしは階段に両膝を付いた状態で、お腹を丸め、うずくまるような格好をして、モモちゃんが来てくれるのを待った。
「ちょ……、こ、小雪さん――」
 階段の上からモモちゃんの声がした。
 すぐにカンカンカンと、慌てた足音が近づいてくる。
 わたしは顔を上げず、そのままうずくまっていた。
 足音が間近で止まる。わたしの視野の隅っこにモモちゃんの履いているナイキのスニーカーが見えた。
「大丈夫ですか? ねえ、小雪さん?」
 切羽詰まったような声がして、丸めたわたしの背中にモモちゃんの手が置かれた。じんわりと、モモちゃんの手の温度が背中に伝わってくる。
 心に傷を負っているのに、やさしいな、この_娘は――。
 わたしはうずくまったまま、これまでにモモちゃんから聞いていた辛い過去を憶った。

 穏やかで心根のやさしいこの娘は――、中学時代から引きこもりがちだった自分をなんとか変えようと、恐怖心と闘いながらアルバイトをはじめた。そこで出会った男が悪かった。彼のいい加減な口車に乗せられ、モモちゃんはうっかり恋をしてしまうのだ。
 しかし、その男にとってのモモちゃんは、たやすく自分の思い通りに出来る便利なおもちゃだった。口先だけでも「お前が必要なんだ」「好きだよ」とさえ言っていれば、こいつは右でも左でも向く――男はそう思っていたふしがある。
 結果、何度も、何度も、避妊具を使わずに遊ばれているうちに、気づけばモモちゃんの生理が止まっていた。モモちゃんは悩みに悩んだあげく、母親にそのことを打ち明けて、堕胎費用の一部を借りることになった。
 相手は誰なの――と、母親に問い詰められても、モモちゃんは彼のことだけは決して話さなかった。というのも、彼もフリーターで、お金に余裕がないことを知っていたし、自分が妊娠をしたなどと知られたら、あっさり捨てられるのではないかという怖さがあったのだ。
 手術の日、母親はベッドに横たわったモモちゃんを冷え切った目で見下ろした。
「はあ、一人じゃ何にも出来ないと思ってた娘が、あっちだけはお盛んで、父親の分からない子をはらむなんてねぇ――。ったく、恥ずかしいわ。あんたなんて産まなきゃよかったよ」
 母の顔を見られないまま、モモちゃんは願った。
 どうかこの手術に大きなミスが起きて、母子ともに死んでしまえますように――と。
 そして、ひとり泣きながら手術室に入った。
 しかし、願いは届かず、堕胎は滞りなく済んだ。
 その日を境に、モモちゃんはアルバイトを辞めて、再び部屋に引きこもりはじめた。
 すると後日、その男からメールがきた。その内容は、たった三行の、あっさりとした別れ話だった。男には、他に好きな女ができたらしい。しかし、その男だけが唯一の心の拠り所だったモモちゃんは、いまのこの状況で一人ぼっちになることに恐怖を覚えるあまり、なかばパニック状態になり、慌てて男に電話をかけた。そして、一縷の望みに賭けて妊娠と堕胎のことを打ち明けた。すると男は、一瞬、絶句したあとに、モモちゃんの胸を言葉で滅多刺しにしたのだ。
「え……俺、水子のついた女とか、マジで怖ええんだけど。呪われんの嫌だし。マジで別れっから、お前、もう連絡してくんなよ」
 目の前が真っ暗になったモモちゃんは、絶望の底でただ無気力な呼吸を繰り返しながら、日々、ぼんやりと自傷行為をするようになった。

 そして、いま――、
 わずかに心の痛みが薄まってきたこのチャンスに、モモちゃんは「失恋バスツアー」に参加して、カウンセラーのわたしと出会い、わたしと心を通わせ、わたしを心配して、慌てて階段を降りてきて、わたしの背中にあたたかい手を置いてくれている。
 わたしの胸のなかは、いつ泣いてもいいくらいに潤んでいた。
 でも、いまは泣くところではないのだ。
 わたしはうつむいたまま口角をきゅっと上げて笑顔を作ると、そのまま素早く上半身を起こした。
「モモちゃん、つかまえた」
 悪戯っぽく言って、モモちゃんをきゅっと抱きしめた。
「え……」
「うふふ」
「え……、何で。え……」
 わたしの腕のなか、モモちゃんの頬にぽろりとしずくが伝う。
 無抵抗な、モモちゃんのやわらかさ――。
 わたしの脳裏に、あの不細工な顔をした黒いぬいぐるみがちらついた。だから、わたしは少し力を込めてモモちゃんを抱きしめた。ぬいぐるみとは違う、生のぬくもりを無意識に求めたのかも知れない。
 そして、わたしは、モモちゃんの耳元で囁いた。
「なんか、嬉しいな」
「え……」
「わたしのこと、心配してくれて」
「…………」
「モモちゃん、ありがとね」
「だって、小雪さんは、いま――」
 言いながら、モモちゃんは顔を上げた。けれどわたしは最後まで言わせずに言葉をかぶせた。
「わたしたち、友達だってことが証明されたね」
 明るめに言ってから、腕のなかのモモちゃんの背中を、とん、とん、とん、と一定のリズムでやさしく叩いてやる。母親が、赤ん坊を寝かしつけるときのように、慈しみ深いタッチで。
 すると、少しずつモモちゃんの身体から緊張が抜けていくのが分かった。
「ねえ、モモちゃん」
「はい……」
 涙声で、返事をしてくれた。
「モモちゃんのことを心配していたわたしの気持ち、いま分かったでしょ?」
 言って、わたしはくすっと笑った。
 その笑いに呼応するように、ふわふわと春の穏やかな風が吹いて、わたしたちを包み込む。
「小雪さん、嘘つきですね」
 少しかすれた声で、モモちゃんが抗議する。
「あははは。ごめんね。でも、わたし、ふだんは嘘はつかないタイプなんだよ」
「それは知ってます」
「え、なんで知ってるの?」
「わたし、なんとなく分かるんです」
「分かるって、何が?」
「嘘をついている人と、そうでない人が」
 モモちゃんの言葉は、徐々に感情から理性の色へと変わってきた。
 そろそろ大丈夫だと判断したわたしは、華奢な背中に回していた腕をゆっくり解き、そのままモモちゃんを促しながら階段に腰を下ろした。同じ方向を向いて座ったのだ。肩と肩が触れ合うくらいの親密な距離で。

(第23回につづく)

バックナンバー

森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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