双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 2 回



◇   ◇   ◇
 高速の料金所を過ぎてしばらくすると、それまで空を覆っていた雲が切れていき、やがて窓の外は初夏らしい明るさで満ちていった。しかし、窓側には小雪がいるから、あまりそちらを見ているわけにもいかない。
 俺はシートに深く座り直し、今回のお客さんたちに事前に提出してもらった「失恋バスツアー・申し込み用紙」のコピーをチェックしはじめた。その用紙には、参加者それぞれの職業や連絡先、ニックネーム、簡単な自己紹介、さらには大まかな失恋状況について書かれているのだ。
 とりあえず、座席の順番にチェックしていくことにした。
 男性陣で一番前の席にいるのは、入道さんだった。
 職業は、霊媒師。
 そのまんまだけど、怪しい……。
 失恋についての欄を読むと、地元で喫茶店を経営する女に惚れていたが、その女がある日ふいに失踪し、失恋した、と書いてあった。
 失踪って……。
 知れば知るほど、この巨漢は怪しい。
 その後ろの席の長谷部三郎はせべさぶろうさんは、なんと、七三歳というご高齢での失恋だった。俺はこのツアーの添乗員となって三年が経つが、間違いなく最高齢のお客さんだ。痩せていて、顔はしわしわで、頭頂部はつるりと禿げているけれど、目尻の笑い皺が目立つせいか、どこか人の好さそうな雰囲気を醸し出している。
 ニックネームの欄には「サブロー」と書かれている。
 このサブローさんは、最近まで町の酒屋さんを経営していたが、いまは息子さんに店をゆずって隠居中だそうだ。
 失恋の欄には「若くてぴちぴちの彼女に、理由も知らされず捨てられました」とあった。なんだか、読んでいるこっちが気恥ずかしくなるような赤裸々な書き方だ。
 三番目の席の陳さんは、職業欄に「ぼーえきとか。しゃちょ」と平仮名で書いてあった。ようするに貿易会社などを経営する社長さんなのだろう。
 失恋については「にほんじん、ばかおんな、かねがすき、だまされた」とある。おそらくは、金にあかせてキャバクラのお姉ちゃんあたりに貢いでいたけれど、途中であっさり捨てられたとか、そんな具合なのではないかと、俺は適当にあたりをつけた。
 四番目は、入道さんに肉薄するほど外見的にヤバそうな人だった。本名は田中秀夫たなかひでおさんと、いたって普通なのだが、年齢の欄にはこう書いてある。
 無限歳。
 こんないい加減な申し込み用紙の書き方をされたら、通常の旅行会社なら一瞬でお断りするところだろうが、どっこい社長以下たっったの十名という超零細かつ、綱渡り経営の我が社としては、ひとりたりともお客をとりこぼすわけにはいかないのだ。
 田中さんのニックネームもまたキツかった。
 ジャック。
 いったいぜんたい田中秀夫という名前のどこをどうとったら「ジャック」になるのかは分からないけれど、この人の職業欄を見ると「パンクロッカー(予定)」とあるから、きっとそっち系の芸名なのだろう。律儀にも語尾に「予定」と書いてあるところから察すると、じつは嘘のつけない実直な性格なのかも知れない。とはいえ、耳、鼻、目の上、下唇に、ざっと数えても合計二〇個以上ものピアスがついているから、正直、近づきにくいし、そもそも見ているだけで痛そうだ。
 髪型は――おそらく、ステージに立ったときは金髪のモヒカン頭なのだろうが、いまはその髪を頭の左側に寝かせている。つまり、左から見ると髪があり、右から見ると髪がないように見えるのだ。
 失恋の欄に書かれた言葉も独特だった。「たとえルナ(月)が俺の心の夜空から消え失せたとしても、あの地平線からは、ふたたび輝ける朝日が昇るだろう」って――、なんだそりゃ、である。ちっとも失恋についての情報が分からない。
 ジャックさんの扱い方は、様子を見ながら徐々に心得ていくのがベターだろう。
 そして最後列の五番目は、愛路悟あいじさとるさん、五〇歳。
 愛のみちを悟るだなんて、なんだかすごい名前だなとは思っていたが、なるほど名は体を表すとはよく言ったもので、この人は有名大学の哲学科の教授だった。ニックネーム欄にもそのまま「教授」と書かれている。
 さっきから、この教授はずっと半目のまま微動だにしていなかった。小雪のトークにさえも笑わなかったのだ。どことなく仏像を思わせるような、得体の知れない「悟りのオーラ」を漂わせているのである。
 小柄で、痩せていて、白髪の多い頭髪はぼさぼさなのだが、なぜかあまり不潔な感じはしなかった。
 失恋について書く欄には「未整理」とある。ようするに、まだ心の整理がついていない、ということだろうか。
 以上が、男性の参加者、全五名の事前情報だった。
 いったん申し込み用紙を太ももの上に置いた俺は、あまりのキャラの濃さに、うっかり「はあぁ……」と、ため息みたいな声をもらしてしまった。
 そもそも、過去にこのツアーに参加したお客さんの九〇パーセント以上は若い女性だったのだ。割合としては、二〇代がいちばん多く、その次に三〇代、四〇代と続く。五〇代以上の女性はほとんどいなかったのに、なにゆえ今回のツアーに限って男性の方が多いのだろうか。しかも、やたらと平均年齢が高い。
「あら、傷心の添乗員さん、ただでさえ不幸なのに、ため息をつくといっそう幸せが逃げますよ」
 ふいに、となりから小さな声がした。ずっと窓の外を見ていたから、さすがに首が疲れたのだろう。小雪は、俺の方ではなく、あえて前を向いてしゃべっていた。しかも、わざとらしく敬語を使いながら。
「お言葉ですが、幸せとやらがあれば逃げるかも知れませんけど、いまのぼくに、逃げるような幸せはそもそもあるんですかね?」
 すぐ後ろの席のお客さんに聞こえないよう、声のトーンをぎりぎりまで落として俺は答えた。
「まあ、探せばあるんじゃないですか?」
 小雪もひそひそ声だ。
「ほう、例えば、どんな?」
「となりに美女が座っているとか」
「はあ? ぼくのとなりに美女ですか? いやあ、いったいどこにいるのかなぁ」
 俺は、小雪の存在が見えないかのように、きょろきょろしてやった。
「ほら、美女はこっち、こっちですよ」
「はっ? どこですか?」
「こっちです。ほら、ここ」
「へ?」
「ここですよ」
「は?」
「ここ、ほら、ここ」
 小雪が俺の目の前にしつこく顔を出す。それを避けるようにして、俺は別のところを見る。その繰り返しだ。まったくもって、それが子どもじみたやりとりだというのは重々承知しているのだが、なぜか俺たちはいつだってこんな馬鹿げた喧嘩になってしまうのだった。そして、いつもなら、このやりとりの馬鹿馬鹿しさにどちらかがくすっと笑い出し、相手も釣られて笑い、ふと心がゆるんで仲直りへの道を歩みだすのだが、なぜか今回ばかりはこじれにこじれて、結果、つい三日前に「破局」という結論に至ってしまったのだった。
「いやぁ、とっても残念ですけど、美女とやらがちっとも見つからないので、ぼくは仕事に戻らせて頂きますね」
 憎まれ口を叩いた俺は、今度は女性客たちの申し込み用紙をめくりはじめた。いつまでも小雪のくだらないちょっかいに付き合っている暇などない。なるべく早く、このキャラの濃いお客さんたちの情報を頭に叩き込んでおかねば、なんだかヤバいことになりそうな気がするのだ。
「ふうん、すぐとなりにいる美女すら見えないだなんて、添乗員さん、三七歳にしてよほどの老眼なんですね? そんなに耄碌もうろくしちゃって、ホント可哀想な人ですね」
 小雪の悪態を、俺はスッパリと無視してやった。
 すると、となりで「ふう」と、大袈裟なため息が聞こえてきた。
 逆転のチャンス到来だ。
「あれれ、ため息を吐いたら幸せが逃げるんじゃなかったでしたっけ? まったく、ご自分が口にしたばかりの台詞すら忘れてしまうなんて、そちらこそ耄碌されてらっしゃるんじゃないですか?」
 ここぞとばかりに、俺はやり返してやった。そして、ニヤリ、と勝ち誇った顔をしたら、太ももの肉をぎゅっとつねられた。
 痛っ!
 容赦ない攻撃に、思わず悲鳴をあげそうになってしまった。
「な、何すんだよ」
 必死に声を抑えて小雪をにらんだ。
「ふんっ」
 小雪は、また、ぷいと窓の方に顔を向けた。
 俺は、痛む太ももをズボンの上からごしごし撫でながら、小雪の後頭部に向かって「加減ってもんを知らないのかよ」と言った。
 ふたたび小雪は背中にハリネズミのトゲを立てた。
 くそったれが。
 ああ、マジで痛てぇ。
 こんな暴力女、知るか。ふざけんな。
 胸裏で思い切り悪罵あくばを浴びせてから、俺はあらためて申し込み用紙に視線を落とした。そして、そのまま、いったん深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、いちばん前の席のお客さんから順番に、再びチェックを開始した。
 まずは、女性側の一番前。
 つまり、俺と小雪のすぐ後ろのシートに座っている女性からだ。
 本名は、二階堂桜子にかいどうさくらこさん。
 二十歳の女子大生。
 名家のお嬢様や芸能人の娘が多いことで知られるカトリック系の女子大に通っているらしい。血管が透けて見えそうなくらいの色白で、性格はおとなしそうだ。いわゆる文学少女っぽく見える。しかも、男にはまったくスレていなさそうなぽっちゃり系、というか、ぽっちゃり以上――という感じの豊満な女子だが、着ている服はなるほど清楚な白いワンピースだった。ちょっと気になるのは、バスに乗ってもつばの広い純白のハットをかぶっていることだった。
 失恋の欄には「思い続けてきた幼なじみの許嫁いいなずけに拒否され、失恋いたしました」と、とても美しい文字で書かれている。
 いまどき許嫁かよ? といぶかしむのは俺だけではないだろうが、でも、まあ、もしかすると、一部の富裕層たちのあいだには、俺たち貧乏人にはまったく無縁な「政略結婚」的しがらみがあるのかも知れない。
 ニックネームは、名前そのままで「桜子さん」だそうだ。
 その後ろ、前から二番目の女性は、杉山浩美すぎやまひろみさんで、三八歳。
 ニックネームは「ヒロミン」と書かれている。
 職業はフォトグラファー。つまり、女流写真家というやつだ。
 化粧っ気はないが、さばさばした雰囲気の人で、趣味は「バイク乗り」とある。いわゆる「かっこいい系のお姉さん」というやつだろう。しかし、失恋の欄を読むと、俺は唸りたくなってしまった。「ゴールデンレトリーバーのランと死別」と書かれているのだ。失恋の相手が人間ではない、という、これまた初の事例だったのだ。
 三番目は、北原桃香きたはらももかさん、二四歳。
 ニックネームは「モモちゃん」。
 この娘は、いちばんの要注意人物だった。
 筆圧が極端に弱く、字は小学二年生ばりに下手で、職業欄には「フリーター。いまは無職」と書かれている。
 失恋の欄には「だまされてすてられた」と、すべて平仮名で記されていた。しかも、その文字だけは筆圧が強く、ほとんど殴り書きなのだ。まさに、恨みが込められた文字、とでも言いたくなる。
 不健康そうな青白い肌は、引きこもりだった過去を匂わせるし、せっかく可愛らしいアイドル顔をしているのに、目はどこかうつろで、蚊の鳴くような声で挨拶をした。立ち姿にも生気がなく、正直、何らかの心の病を抱えているようにしか見えない。
 もっと言えば――、このバスに乗車する際に、太宰治の「人間失格」を手渡したのだが、そのとき、俺は、この目でしっかりと確認していたのだ。モモちゃんの青白い手首に幾多のリストカットの痕があることを。
 モモちゃんの手首のことは、プロの心理カウンセラーである小雪に伝えておかねばならないだろう。言えば、どうせまた憎まれ口を叩かれるだろうが、それは覚悟をするしかない。
 そして、前から四番目。つまり、女性陣のなかでいちばん後ろのシートに座っているのが、キンキン声のハーフ美女、るいるいさんだった。
 さっきの様子から察するに、場の空気を読むようなことはせず、いつもストレートすぎる発言をする人なのだろうが、しかし、決して性格の悪い女性には見えなかった。むしろ、馬鹿正直すぎるくらいの「いい娘」なのだと俺は思う。というか、思いたい。ものすごい美女だし。
 以上、ツアー参加者、男女九人。
 すべてチェック終了だ。
 それにしても、よくもまあ、これほどまでにキャラの濃い面々が一堂に揃ったものだ。確率で言ったら、宝くじの一等を当てるようなものではないか? しかも、俺は、この人たちを相手に、五日間も奮闘しなければならないうえに、となりには喧嘩別れしたばかりの元彼女がいるなんて……。
 ああ、考えれば考えるほど気が重くなる。
 うっかり、また、ため息をつきたくなって、俺はすう~っと息を吸った。
 と、その刹那、となりから刺々とげとげしい声が聞こえてきた。
「あららら、添乗員さんったら、また不幸なため息をつくんですか? よっぽど不幸がお好きなんですね」
 ムッとした俺は、わざと「ふう~」と長い息を吐いて「いまのは、ただの深呼吸ですが、何か?」と小首を傾げてやった。
「すみません、深呼吸は、やめて頂けますか?」
「は? どうして?」
「わたし、添乗員さんの吐いた息だけは吸いたくないんで」
「あのなぁ……」
「ほんと、ごめんなさい」小雪は、俺の方に両手の平を向けて、やめて、という仕草をした。「できれば、呼吸もしないでください。っていうか、いますぐ息を止めてくださる?」
「息をとめたら、普通に死ぬでしょ」
「あら、そうですか? でしたら、どうぞ、ご自由にお亡くなりになってください」
 そう言って小雪は、にっこりと極上の笑みを浮かべてみせた。
 こいつ……普通にしてれば、そこそこ可愛い女なのに――。
 頭にきて、何か言い返してやろうと思ったとき、小雪はまたぷいと顔を外に向けてしまった。
 言いたいことだけ言って、あとは無視かよ。
「おい」
 と、背中に小さく声をかけたけれど、返事はない。
 背中をツンと指で突いてみた。それでも反応はなかった。
 なんだよ、その態度。いちいち腹が立つ。
 俺は内心、舌打ちをして前を向いた。そして、思い出したように運転手のまどかさんに声をかけた。
「あの、すみません、忘れてました。いつものあれ、お願いします」
 まどかさんも返事をしてくれない。でも、「いつものあれ」で通じたようで、オーディオのスイッチを操作してくれた。
 車内のスピーカーから、暗い雰囲気の音楽が流れ出す。
 聴けば聴くほどにテンションが下がるような古今東西の失恋ソング集だ。ここから先はずっと、そんな歌を聴きながらのツアーになる。
 とにかく、お客さんたちには、とことん落ち込んでもらわねば。
 まあ、俺は、落ち込まないけどな。
 絶対にね。
 ひとりで勝手に決意して、ちらりと小雪を見た。
 窓の外を向いた小雪の背中が、なぜだろう、さっきよりも少し丸まって見えた。

(第3回につづく)

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森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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