双葉社web文芸マガジン[カラフル]

恋する失恋バスツアー / 森沢明夫・著

© たなかみか

第 18 回



【天草龍太郎】
(承前)
「それからの俺の行動は、早かったぜ」
 あの陳腐とも言えそうな言葉に胸を撃ち抜かれたジャックさんは、すぐに仕事を辞めて、実家を飛び出し、一人暮らしをしながらアルバイト生活をはじめたのだというのだ。
「じゃあ、いまは、生活費をそのアルバイトで捻出してるんですね?」
「はっ? だから言っただろ。俺んち、金持ちだって」
「え……」
「金なんて、銀行に行けばいくらだってあんの。でもさ、アルバイトをしてた方が、パンクっぽいじゃんかよ」
「まあ、そうですね……」
「だろ? さすがにピアスの穴を空けるときはビビったけどな」
 会社はスパッと辞められたのに、ピアスの穴空けにはビビったんだ……。俺は、まじまじとジャックさんの顔にたくさん着いたピアスに見入ってしまった。
「なにか、楽器とかは?」
「まだ。つーか、そんなに急に出来るわけねえだろ? いまは古今東西のパンクロックを聴くので精一杯なんだって。バイトだって週に四回もあるしよ。でも、俺、ぜってーに成功して、両親を見返してやっから。あんたも見とけよな」
「あ、はい」
 なるほど。聴き込むことからスタートしているというわけか。
「ちなみに、ジャックさんは、どんな女性とお付き合いしていたんですか?」
 どうにも興味が抑えられなくなって、俺は訊いてしまった。すると、まっすぐすぎる御曹司が、ここでなぜか少し不安そうな目をしたのだ。
「やっぱ、フラれてねえと、駄目なのか?」
「え……」まさか、失恋してないの?「ということは?」
「俺、失恋なんて、してねえよ」
「ええと、それって、ことは、その……」
 じゃあ、どうして、このツアーに? と訊こうかどうか迷っていると、ピアスでしゃべりにくそうなジャックさんの口から想定外の台詞が飛び出してきたのだった。
「あんた、絶対に笑うなよ」
「え? あ、はい」
「俺さ、親のレールの上にずっと乗せられてたって言っただろ? つい二ヶ月前まで」
「はい」
「そこから連想してみろよ。そのレールの上に、女なんて用意されてると思うか?」
「え……」
「いるかいないかで答えろよ」
「それは、まあ、いない、でしょうね」
「だろ?」
「ってことは」
「だから俺、女と付き合ったこと、ねえわけ」
「あ……」
 ジャックさんは「本人にそれを言わせんなっつーの」と、憮然とした顔をしたけれど、勝手にしゃべったのは本人だ。
「す、すみません」
 なんだこの展開? なぜ俺が謝るハメに? と自問しつつも、とにかく俺は驚いていた。まさか、このピアスだらけの顔で、しかも、この金髪モヒカン頭で――、童貞だったとは。
「えっと、じゃあ、ジャックさんは、どうしてこのツアーに?」
 ようやく訊けた。
「落ち込めるって書いてあったからな」
「え……」
「俺はさ、この歳になって、いままで積み重ねてきた人生の全部を失って――ってか、全部をかなぐり捨てて、一からやり直そうってんだぜ。こういうときはチャンスだろ?」
「チャンス、ですか?」
「そりゃそうだろ。ここでしっかり落ち込んどいて、絶望的な気分を味わっておいた方がよ、いずれ音楽を創るときに役立つんだから。刺さる言葉ってのは、そういう経験から生まれるんじゃねえの?」
 ここにきて、ジャックさんは、まともっぽいことを言いはじめた。けれど、どうしても俺には気になることがあったのだ。
「あの、ちなみに、ですけど、ジャックさんの年齢って……」
「二五歳だけど」 
「そう……でしたか」
「なんだよ、そうでしたかって」
「あ、いや、別に、単に、そうだったんだなあって」
「俺は年齢なんかに縛られねえって決めたからよ、敬語なんか使わねえからな」
「あはは。それは、別に構いません」
「じゃあ、なんだよ」
「いえ、なんか、ジャックさん、いろいろあったんだなって」
「……まあな。わりとロックだろ?」
「ロックというか、なかなかないパターンだと思います」
「なかなかない、か。ま、俺も、そう思うよ。貧乏が理由で自由になれないっていう不幸があるのは、誰だって知ってるけどよ、俺みたいに実家に金が有りすぎるせいで自由になれないっていう不幸は、あんまり聞かねえもんな」
「そうですよね」
「あ、言っとくけど、嘘ついてんの、俺だけじゃねえからな」
「はい?」
「教授なんて、俺よりおかしな理由で参加してんだからよ」
 ジャックさんが、悪戯っぽくニヤリと笑った。
「おかしな理由?」俺は、あの悟りを開いたような顔を思い浮かべた。「ジャックさん、教授となにか話をしたんですか?」
「まあな。ボロい城跡で虹を見たあと、なんとなくな」
 ジャックさんと教授とは、なんとも意外な組み合わせだ。
「ちなみに、教授は、なんて」
「これ、一応、オフレコな」
「はい」
 ジャックさんは、声のトーンを少し落としてしゃべりはじめた。俺たちの他には誰もいないのに。
「あのおっさんよ、勉強しすぎてイカれちまったんだってさ」
「はあ……」
「ようするによ――」
 それからジャックさんがしゃべった内容は、たしかに「おかしな理由」だった。
 つまり教授は、哲学をベースに心理学や生理学などを勉強しすぎたせいで、人生から「ときめき」がなくなってしまったというのだ。
 ジャックさんは、教授との会話を思い出しながら続けた。
「例えばな、イカした女と出会って、ちょっと好きになったとしてもよ、その感情はドーパミンによる作用がどうとか、オキシトシンがどうとかって考えちまうらしいんだよ」
「それは、なかなかですね」
「だろ? あと、失恋したときもよ、物理的に言えば、人間という二つの生物個体同士の接触頻度が減少するだけだって考えちまったり、そのとき多少なりとも心を痛めたとしても、心理学的見地から考えれば、時間が心を癒してくれるって分かってるから、じたばたする気さえしねえんだってさ」
「なるほど……」
「な、変わってんだろ?」
「たしかに、珍しい感じですね」
「あ、そうだ、あのおっさん、もっと、おもしれえこと言ってたぞ」
「え、どんな?」
「じつは、わりと最近、結婚をしようと思ったらしいんだけどな、そんときもソクラテスの言葉が頭に浮かんで、感情が哲学的になっちまったんだってよ」
「ソクラテスの言葉?」
「ああ」
「ちなみに、どんな言葉だったんですか?」
「えーと、なんだったっけな……」ジャックさんは、横になったまま記憶を辿るような目をした。「あ、ちょっと待ってろよ」
 ジャックさんは枕元に置いてあったスマートフォンを手にすると、布団のなかで検索をしはじめた。
 そして、しばらくして「あ、これこれ」と苦笑いをした。
「いいか、読むぞ」
「はい」
「とにもかくにも結婚せよ。もし君が良い妻を得たならば、君はとても幸せになるだろう。もし君が悪い妻を得たとしても、君は哲学者になれる。そして、それは誰にとっても良いことなのだ――、だってよ」
「おお、なるほど……」
 ソクラテスの名言を聞きながら、俺は、小雪の顔を思い浮かべていた。もしも小雪と結婚できたら、俺は幸せになるのだろうか? あるいは哲学者になるのだろうか。いや、いまは、それは置いておこう。
「つーか、あのおっさん、そもそも哲学者じゃん? だから俺、言ってやったんだよ」
「なんて……」
「あんたは、悪い妻を得ても、そのまんまじゃんって。そしたら、おっさん、珍しくニヤッて笑ってたな」
 ジャックさんも同じようにニヤッと思い出し笑いをしていた。
「で、結局、結婚は」
「しなかったらしいぜ。てか、フラれたって」
「あ、一応、失恋はしているんですね」
「だな。とにかくよ、あのおっさん、名前の通り悟っちまったんだよ。で、落ち込んだり、悲しくなったり、どきどき、わくわくしたりすることがすごく減っちまったんだってよ」
「うーん、そうですか……」
「でな、心が常にフラットで平穏すぎると、今度は逆に人生が退屈になっちまってよ、退屈なまま死ぬのが怖いんだとさ」
「ということは――」
「このツアーで感情の起伏ってのを味わいてえんだよ。ようは、落ち込んでみてえんだってさ」
 そんな理由で……。
「ふう」
 と、俺は、自分でも理由のよく分からないため息をついていた。
 御曹司ゆえに、むしろ自由を求めているジャックさん。
 人生を悟り、心の平穏を手にいれたばかりに、今度は逆に心の乱れに憧れている教授。
 パッと見ただけでは分からないが、人にはそれぞれ抱えているものがあるのだ。きっと、他人の目の届かないところで、人は誰しも戦っているのだろう。モモちゃん、るいるいさん、ヒロミンさん、そして小雪だって、ずっしりと両肩に食い込むような過去を背負って生きているし、よくよく考えてみれば、いまの俺にだって悩みはある。
「なんか、人生、いろいろですね」
 ため息みたいに俺の口からこぼれた台詞は、なぜかやたらと実感がこもってしまった。
「だよな。でも、これからだぜ」
「え?」
「これからだと思ってるから、みんな高けえカネを払ってこのツアーに参加してるんだろ?」
「…………」
 俺は、不意打ちをくらったようになって、返事ができずにいた。
「未来へのレールは、この瞬間から、てめえの手で敷くんだ。そうだろ?」
 ジャックさんは、ピアスの下の左目をパチッと閉じてみせた。
 ずいぶんと不器用なウインクだったけれど、なんとなく、いつか人の心を動かす「未来のパンクロッカー」にはとてもよく似合っている――、そんな気がした俺は、どこかホッとしたような気分で「ですね」と小さく頷いていた。
◇   ◇   ◇
 ジャックさんは、いびきをかかなかった。
 すやすやと子供のような寝息を立てているだけだ。
 俺は静かにスマートフォンを手にして、ジャックさんに背中を向けた。
 時刻は、午後十一時すぎ。
 基本、夜更かしな小雪は、まだ起きているはずだ。
 俺はメールのアプリを立ち上げて、そそくさと文章を入力した。
『今日はお疲れさま。まだ起きてるよね。ちょっと話したいことがあるんだけど、よかったら校庭に出ない?』
 断られる確率は六〇パーセントくらいかな、と思いながら送信ボタンを押す。
 返信は、予想通りだった。
『ごめん。わたしはとくに話したいことないから』
 めげずに、俺はすぐに返す。
『大事な話があるんだよ。二人きりのときじゃないと話せない、内緒のことなんだけど』
『わたしの部屋、女性陣が四人もいるから。いま出て行ったら色々と疑われちゃう。内緒の話ならメールでお願いします』
 そうだった。小雪はいま一人ではないのだ。俺は、うっかり舌打ちをしそうになった。
『じゃあ、メールで。急な話だけど、うちの会社、倒産するって』
 シンプルにそれだけ入力して送信した。
『冗談?』
『冗談でこんなこと言えるか? 昼間、社長と電話をして確かめたことだよ』
 さあ、小雪はどう出る? そう思ってスマートフォンを手にしたまま返信を待っていたのに、それっきり小雪からのレスはなかった。
 コチ、コチ、コチ……、すや、すや、すや……。
 無駄に明るい蛍光灯の下、退屈な秒針の音と寝息を聞きながら、俺は悶々とした夜を過ごすハメになったのだった。
◇   ◇   ◇
 ちょっと寝不足な三日目――。
 朝食を食べようと、ツアー客たちが家庭科室に集まってきたときに、その事件は起きた。
 小雪が「あれ、るいるいさんは?」と言ったのとほぼ同時に、ヒロミンさんが慌てた様子で家庭科室に入ってきた。
「龍さん、これ。置き手紙みたいなのがあったの」
 ヒロミンさんは、おはようの挨拶もなしに紙切れをこちらに差し出した。
 嫌な予感を胸に抱きつつ、俺はその紙切れを受け取った。
 手で千切ったようなメモ用紙に、紺色のボールペンで書かれた丸文字が並んでいた。

 わたし、電話で彼と仲直りしたの。
 もう「失恋中」じゃないし、
 彼が車で迎えに来てくれたから、帰るね。
 楽しかったよ。バイバイ。
 ♪るいるいより♪

「バイバイって……」
 思わずそうつぶやいた俺のすぐ背後から、ちょっと愉快そうな声がした。
「おい添乗員。あんた、どうする?」
 陳さんが、後ろから手紙を覗き込んでいたのだ。
「どうするって……、そうだ、携帯、携帯」
 慌てていた俺は、穴だらけのジーンズのポケットを外からパンパン叩いて、無いことを確認した。図書室の枕元に置いてきたのだ。
「あはは。私の携帯、貸してやりたいね。でも、携帯、持ってない。家に置いてきただろう」
 背後で、陳さんがどうでもいいようなことを言う。
「はい、大丈夫です」と、俺が振り返ると、
「日本の馬鹿女、いつも電話する。うるさいだろう」
 陳さんは、よほど面倒な女と関わってしまったようだが、いまはそれどころではない。携帯を取りに図書室へと歩き出したとき、「龍さん」と、呼び止められた。
「はい、携帯。これ使って」
 小雪だった。
「あ、うん。ありがとう」
 受け取った小雪のスマートフォンの画面を見たら、すでにるいるいさんの携帯番号が表示されていた。さすが、小雪は冷静で仕事が早い。
 俺は、いったん深呼吸をしてから、通話ボタンを押した。

(第19回につづく)

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森沢明夫Akio Morisawa

1969年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。『津軽百年食堂』が2011年に映画化。2012年『あなたへ』が高倉健主演映画の小説版としてヒットする。『虹の岬の喫茶店』は2014年『虹の岬の物語』(主演・吉永小百合)として映画化され、話題に。2015年には『ライアの祈り』が映画化、『癒し屋キリコの約束』が連続ドラマに。他の著書に『夏美のホタル』『大事なことほど小声でささやく』『ミーコの宝箱』『ヒカルの卵』『エミリの小さな包丁』、エッセイ『あおぞらビール』、カラフル連載が2016年1月に単行本刊行された『きらきら眼鏡』などがある。近著に『たまちゃんのおつかい便』。

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