双葉社web文芸マガジン[カラフル]

任侠ショコラティエ(新堂冬樹)

イラストレーター:岡田航也

第3回

 譲二は肩身の狭い思いで午前中の代官山の路地裏を歩いていた。
 アパレルショップ、雑貨店、カフェ……お洒落な店が建ち並ぶこの街で、背中に虎が刺繍されたスカジャンにダメージジーンズというファッションはあまりにも浮いていた。
 くわえて、譲二のヘアスタイルは歌舞伎町でも滅多に見かけないパンチパーマだ。
 針の筵……地獄のアウェイ状態だった。
「ママ、あの人、熊みたいだね」
「さとしちゃん、見ちゃだめよっ」
「なんだよ、あれ、映画の撮影か?」
「ブルーザー・ブロディみたいだ!」
「ブルーザー? なにそれ?」
「超獣と恐れられた化け物みたいに強いアメリカの伝説的プロレスラーだよ!」
「やだ……あの人正気なの?」
「怖いから、早く行きましょう……」
 だが、通行人の視線は譲二とは別の男に注がれていた。
 若いカップルが弾かれたように道を譲り、母親が幼子の手を引き急ぎ足で通り過ぎ、老紳士があんぐりと口を開け、老婆が胸の前で手を擦り合わせながらクワバラ、クワバラと繰り返していた。
 老若男女問わず、みなが振り返った――みなが慌てて眼を逸らした。
「どうして、行き先が代官山だと教えてくれなかったんですか?」
 譲二は、筋骨隆々の逆三角形の背中に不満をぶつけた。
「タクシーで運ちゃんに行き先を言ったじゃねえか」
 直美が、きょろきょろと周囲に首を巡らせながら言った。
「それじゃあ遅いんですよ。店を出る前に言ってくれたら、違う服に着替えてキャップを被ってきたのに……」
 譲二の恨み節は止まらなかった。
 代官山で虎の刺繍のスカジャンにパンチパーマの組み合わせは、一流ホテルを雪駄履きで歩くようなものだ。
「なんでわざわざ着替えるんだよ?」
 直美が大股で歩きつつ、不思議そうに言った。
「なんでって……やっぱり、いいです」
 譲二は、喉もとまで込み上げていた言葉を飲み下した。
 直美に不満をぶつけたところで、それはライオンに肉を食べるときはナイフとフォークを使いなさいと言うようなものだ。
 現に直美は、自分に注がれる恐怖と驚愕の視線をまったく気にしていなかった。
 だが、直美のおかげで救われた面もある。
 ゴリラ並みの巨体に刻まれた無数の傷、プラチナシルバーの爆発ヘア、素肌に羽織った毛皮のベスト、ハーフパンツに裸足といった格闘漫画から飛び出してきたような直美に怯え、譲二を馬鹿にしたり笑ったりする者は皆無だった。
 だからといって、譲二が恥ずかしい思いをしている事実に変わりはない。
 魑魅魍魎が跋扈する歌舞伎町では破天荒かつ容貌魁偉な直美のそばにいれば安心だが、代官山では勝手が違う。
「あの、お兄さん、ちょっといいですか?」
 案の定、二人組の制服警官が直美に歩み寄ってきた。誰かが通報したのかもしれない。
 無理もない。
 直美のような格好で街を歩けば、警官に職務質問してくださいと言っているようなものだ。
 歌舞伎町と違って直美の威光は、代官山の警官には通用しない。
「おう、しけたツラしたマッポが雁首揃えて何の用だ?」
 端から相手を挑発するような直美の物言いに、譲二はため息を吐いた。
 直美なら、マザー・テレサでも一分あればキレさせることができるだろう。
「裸に毛皮、そして裸足ですか? ずいぶん、ワイルドな格好をしてますね」
 作り笑顔で、若いほうの警官が言った。
「昔の人間は、みなこんな格好だろうが」
「昔って……大昔ですよね? それに、いまは縄文時代ではなく令和ですから、さすがにその格好は目立ちますよ」
 最初の直美の態度にカチンときたのだろう、若い警官の物言いは皮肉交じりだった。
「令和に裸足で歩いていたら法に触れるのか? だったら、『雪の華』を歌うときの中島美嘉も逮捕すんのか?」
 直美が、薄笑いしながら小馬鹿にしたように言った。
「話を戻しましょう。これから、どちらに行かれるんですか?」
 怒りを隠しきれない作り笑顔で、若い警官が訊ねてきた。
「あ? なんでそんなことてめえらに言わなきゃなんねえんだよ?」
 ふてぶてしい直美の態度に、譲二はふたたびため息を吐いた。
「最近、薬物関係が渋谷界隈で出回っていましてね。お時間は取らせませんので、協力して頂けますか?」
 言葉遣いこそお願い口調だが、若い警官の顔からは作り笑いが消えていた。
「出回ってるっつう薬物は『バイアグラ』のことか? だったら、俺はすぐにビール瓶みてえにビンビンになるから必要ねえな。ほら、ビンビーン! ビンビーン!」
 直美が言葉に合わせて、股間の前に突き立てた右の前腕を何度も上下させた。
 いつの間にか、譲二たちは黒山の人だかりに取り囲まれていた。
「あんたねえ、こっちが協力をお願いしてるのにその態度は……」
「まあまあまあ、熱くならない。君は下がってなさい。気分を悪くさせたのなら謝ります。私達も街の治安を維持するための職務ですのでご理解ください」
 年嵩の警官が若い警官を制し、柔和な顔で取り成した。
「ジジイが出てきても同じだ。善良な俺様を疑う暇があったら、昇任試験の勉強でもしてろや。その年で交番勤務じゃ女房と子供の肩身が狭いぜ。頑張れ」
 直美が励ますように、年嵩の警官の肩を叩いた。
 星咲直美の辞書に、媚びるという文字はない。
 年嵩の警官に関しては挑発する意味で放った言葉ではなく、思ったままを正直に口にしただけだ。
 だが、悪意がないからといって済まされる問題ではない。とくに、相手は敵に回してはいけない国家権力なのだ。
「すみません、俺たち、これからボンボンショコラを扱っている店を回る予定なんです」
 譲二は、直美と警官たちの間に割って入って代官山にきた目的を説明した。
 苦し紛れの嘘ではなく、本当だった。
 直美は、東京のチョコレート専門店を月に何度か視察していた。トラブル製造機のような男だが、ボンボンショコラ作りにだけは真摯に向き合っていた。
「ボンボン……それは、なんですか?」
 年嵩の警官が訊ねてきた。
「簡単に言えば、チョコレート菓子の一つです。この人は歌舞伎町のチョコレート専門店のオーナーで、俺はスタッフです。他店の商品を研究するために、定期的にあちこち視察しているんですよ」
 譲二は、努めて冷静な口調で説明した。
 これ以上、火種を増やしたら厄介なことになる。
「ちょっと君、嘘はだめだよ、嘘は!」
 説明を聞いていた若い警官が、厳しい表情で譲二に詰め寄ってきた。
「嘘じゃないですよ! 歌舞伎町で……」
「これ以上嘘を重ねると、職務質問だけじゃ済まなくなるぞ!」
 若い警官が、譲二を恫喝した。
 直美には敬語で、自分にはタメ口だ。
 たしかに譲二のほうが直美より年下だが、若い警官とはおそらく同年代だ。
 そもそも、任意の職務質問に素直に協力している市民には年齢関係なしに敬語を使うべきだ。
 込み上げる怒り――堪えた。
 ここで譲二まで喧嘩腰になったら、間違いなく連行されてしまう。
「だいたいな、君たちの容姿で……」
「素人童貞野郎、賭けるか?」
 直美が譲二を押し退け、不敵に笑いつつ言った。
「素人童貞野郎!?」
 若い警官が、素頓狂な声をあげた。
「俺の見たところ、てめえはソープ嬢とデリヘル嬢とのセックスしか知らねえってツラをしてやがる。素人の女にゃ触れたこともねえ、憐れなチェリーボーイってやつだ」 
 直美が若い警官を指差し、大笑いした。
「貴様、本官を侮辱する気か!」
 若い警官が、直美の指を掴もうと腕を伸ばした――逆に、直美が手首を掴んだ。
「痛ててーっ!」
 若い警官の悲鳴が、代官山の路地裏に響き渡った。
 リンゴを瞬時にジュースにする直美の握力なら、軽く握っただけでも相当なダメージを与えるはずだ。
「じゃあ、賭けの話に戻ろうか? てめえらの話に乗ってやるぜ。俺の身体から違法な薬物が出てくるか、チョコレート専門店の経営者っつうのが嘘だったら、ソッコーでムショに入ってやるよ。ただーし! どっちも本当だったら、てめえがムショに入れや」
 直美の言葉に、野次馬たちがどよめいた。
「な、なにを言ってるんだ……そんな馬鹿な条件、飲めるわけないだろう!」
 若い警官が気色ばみ、口角泡を飛ばした。
「あ!? どうしてだ? 善良な市民には一方的な疑いをかけて公衆の面前で恥をかかせておきながら、てめえは同じリングに上がりたくねえっつうーのか!? ああ! 俺と賭けで勝負するか!? それとも非礼を詫びて土下座するか!? どっちか選べや!」
 直美が鬼神の如き形相で若い警官に二者択一を迫り、右腕を高々と上げた。
 軽々と持ち上げられた若い警官が、宙づりにされた猫のように手足をバタつかせた。
「その手を離しなさい! 警告を無視すれば、公務執行妨害で逮捕することになりますよ!」
 年嵩の警官が、大声で直美に告げた。
 譲二が危惧していた通り、まずい展開になってきた。
 直美は、そんな警告を恐れて従うタマではない。
 動物園から脱走したヒグマのように、手がつけられない状態になるだろう。
 そのうち、十人、二十人と警察の援護が駆けつけ、修羅場になってしまう。
 すんなり取り押さえられればまだましだが、二十人がかりでも直美をするのは至難の業だ。
 そうなれば、結果は火を見るよりも明らかだ。
 発砲……。
 粟立つ脳みそ――譲二はスマートフォンを取り出し、虫唾が走る男の携帯番号をタップした。
『おう、チョコパンチか? なんの用だ?』
 ヤクザに寄生する角刈り中年男――新宿署のマル暴、下呂の痰が絡んだような声が譲二の鼓膜を不快に震わせた。
「事情はあとで話します。いま、代官山のマッポに代わりますから、直さんのことを説明してあげてください! お願いします!」
 譲二は、逼迫した口調で下呂に懇願した。
『なんだ、野蛮な猛獣がまたなにかやらかしたのか?』
 愉快そうな声で、下呂が言った。
 直美は年嵩の警官の警告に従うどころか、力士が子供をそうするように若い警官を振り回していた。
「いまは、説明している時間がないんです! 電話を代わりますから……」
『手土産は? 突然こんな頼み事をしてくるんだからよ、当然、それなりの手土産なんだろうな? お?』
 下呂の卑しい笑い声が、譲二の不快指数を上昇させた。
「謝礼はきちんとしますから、早く電話を……」
『いくらの手土産だ?』
 譲二を遮り、下呂がねちっこい口調で訊ねてきた。
「三くらいで考えてます」
 いら立つ気持ちを静め、譲二は言った。
 腹立たしいが、いまはこの下種な男に頼るしかなかった。
『おいおいおい、そんな手土産じゃ渡す相手に失礼だろうが? せめて、五はする手土産じゃねえとな』
 下呂が値を吊り上げてきた。
「昔と違っていまはチョコレート屋のスタッフだから、そんなに余裕がないんですよ」
 譲二は言いながら、直美に視線をやった――相変わらず、右腕一本で若い警官を振り回していた。
『忙しいから、電話を切るぞ』
 一転して冷めた口調で、下呂が言った。
「お巡りさんっ、話してほしい刑事さんがいます!」
 応援を呼ぼうと無線を手にする年嵩の警官に、譲二はスマートフォンを宙に掲げて叫んだ。
「話してほしい刑事? 誰なんだ?」
「ちょっと待っててください! 五の手土産を買います! 買いますから、電話に出てこっちのマッポと話してください!」
 譲二は年嵩の警官を制してから、スマートフォンを耳に当て下呂に頼んだ。
 背に腹は代えられなかった。
『最初からそう素直に言ってりゃいいものをよ。いまさら、遅いんだよ』
「そこをなんとか……」
『七だ』
「え……?」
『七の手土産なら、受け取ってやるよ』
 ふたたび、卑しい笑い声が受話口から流れてきた。
「そんな……。五でもきついのに七なんて……」
『いま素直にならねえなら、次は十の手土産になるぜ』
 下呂が譲二を遮り、にべもなく言った。
「このくそ……」
「君、電話はまだか!?」
 年嵩の警官が焦れたように言いながら、譲二のほうに歩み寄ってきた。
「七の手土産を買いますから!」
 ヤケクソ気味に、譲二は叫んだ。
『いい子だ、チョコパンチ君。んじゃ、電話代われよ』
 下呂が満足げに言った。
「すみません、新宿署の刑事さんです。直さん……あ、星咲直美という名前ですが、刑事さんは昔からよく直さんのことを知っている人なので」
 譲二は直美を指差しながら、年嵩の警官にスマートフォンを渡した。
「お電話代わりました。私は渋谷署の地域課で巡査部長をやっております中井です。そちらは、新宿署の方だとお聞きしましたが間違いありませんか?」
 年嵩の警官……中井巡査部長が下呂に確認した。
「組織犯罪対策課……ですか?」
 下呂がマル暴だと聞かされ、中井巡査部長の顔色が変わった。
「はい、はい……え!? 星咲直美は元『東神会』の伝説的ヤクザ!? はい、はい、はい……歌舞伎町の治安を守っているとは、どういう意味ですか? 新宿署公認の私設警察!?」
 中井巡査部長の素頓狂な声に、野次馬たちの悲鳴が重なった。
 弾かれたように振り返った譲二は、眼を見開いた。
 譲二の視線の先――直美がふんどし一丁になり、路上で腰砕けになった若い警官を仁王立ちで見下ろしていた。
 野次馬の数が、僅か数分の間に倍に膨れ上がっていた。
「素人童貞野郎っ、シャブやコカインが入ってるか気の済むまで調べろや!」
 直美の脱ぎ捨てた毛皮のベストと短パンが、路上に散乱していた。
「職務質問中に暴行を働いて、ただで済むと思っているのか!?」
 若い警官が手首を擦りながら、屈辱に身を震わせながら直美を睨みつけた。
「はい? はい? はい〜? いま、どこの誰が、誰にたいして、なんて言ったのかな〜?」
 直美が耳に手を当て、人を食ったように言った。
「これ以上公務を妨害すると……」
「てめえに目ん玉はついてんのか!? その職務質問ってやつに協力してやってんだろうが! さっさとポケットの中を確認しろや! それともなにか? 俺のシロが証明されりゃてめえがムショに入るって約束が怖くなったのか? 素人女に突っ込んだことのねえ包茎ちんぽが、縮み上がってるんじゃねえのか?」
 脱ぎ捨てた毛皮のベストと短パンを指差しながら、直美は若い警官に挑発的な言葉を浴びせた。
「あんたっ……侮辱もそのへんにしておけ! そもそも、本官はそんな約束をした覚えはない!」
 若い警官が立ち上がり、憤然とした面持ちで言った。
「だから、てめえらマッポは役立たずだっつーんだよ! 一方的に市民に疑いをかけておきながら、てめえはなんの責任も取らねえ! そんな卑怯な奴らが市民の安全を守るだと!? 笑わせんな! 獣だってな、狩りに失敗したら命を落とすかもしれない危険な代償を払ってんだ! てめえらマッポはよ、獣以下の虫けらだ! む・し・け・ら!」
 直美が若い警官を指差し、高笑いした。
「直さんっ、そのへんに……」
「まだ侮辱する気か! もう、職務質問云々の話じゃない! 公務執行妨害及び傷害罪の容疑で現行犯逮捕する!」
 譲二を遮るように、若い警官が腰に巻いた帯革に装備していた手錠を抜き取り直美に歩み寄った。
「待てっ、その人が歌舞伎町でチョコレート専門店を営んでいるっていうのは本当だ。それから……」
 慌てて駆け寄ってきた中井巡査部長が、若い警官を制止して耳打ちした。
「え!? マジですか!?」
 若い警官が、驚きの声を上げた。
「ああ、本当だ。星咲さん、大変失礼しました。ほら、お前も謝りなさい!」
 態度を一変させた中井巡査部長が若い警官の後頭部を押さえつけ、直美に詫びた。
「素人童貞野郎、俺がシロだったときの約束を果たして貰おうじゃねえか。当然、ブタ箱に入る覚悟はできてんだろうな?」
 直美は、喜色満面で言った。
「す、すみません……それだけはご勘弁ください」
 若い警官から横柄さはすっかり消え失せ、半泣き顔で許しを乞うていた。
 中井巡査部長から、星咲直美の歌舞伎町での武勇伝と功績を聞かされたに違いない。
「さんざん人を犯罪者扱いしたんだから、てめえも……」
「直さん! 俺に免じて、見逃してやってください!」
 譲二は、咄嗟に土下座していた。
 野次馬たちのどよめきも好奇の視線も関係ない。
 直美を守るためなら、どんな恥辱も苦にはならなかった。
(第4回へつづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

1966年大阪生まれ。98年『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。『僕の行く道』『百年恋人』『白い鴉』『君想曲』『紙のピアノ』『カリスマ』『無間地獄』『黒い太陽』『極限の婚約者たち』『誘拐ファミリー』など著書多数。感涙の純愛小説から裏社会を描いたノワールまで作風は幅広く、多くの読者の支持を得ている。

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