双葉社web文芸マガジン[カラフル]

氷河期つるりんこ世代―リターンズー(南 綾子)

イラスト:黒猫まな子

第二話 前編

 1999年9月(二回目)

 ぴぴぴぴという目覚ましの音で目を覚ます。腕を伸ばして、時計の頭をバンと叩く。その一連の動作を昨日と同じように繰り返して、ああ、今日も元に戻ってない……とわたしはほっとして息をつく。
 大学入学前、はじめての一人暮らしにあわせて買った目覚まし時計。味もそっけもないデジタル式の真四角のやつ。家電量販店に並んでいる中で、一番安かったから買った。値段はもう覚えていない。
 2019年に、わざわざ目を覚ますためだけに時計を購入する人が、どれぐらいいたのだろうかと、眠い目をこすりながら考える。よほどの物好きぐらいで、ほとんどいないんじゃないだろうか。九十年代後半では、それほど珍しくもなかったということ。
 今日でちょうど、一週間。
 ベッドから足をおろし、ちゃぶ台の上のストレートタイプの携帯電話の画面を見る。1999年9月13日 AM9:00ちょうど。次に鏡を手にとって、自分の顔を見る。
 下瞼の下のしわも、右目の横の大きなシミも、うっすら目立ちはじめた法令線もない。そのかわりに肌が異様なほどぷりっとして、それはまるで高価な桃のように透き通っていて、そして、眉毛がやたら細い。
 なぜこうなったのか、全くわからない。わたしは2019年初秋に生きる四十一歳の独身女だったはずが、一週間前、朝起きたら、1999年初秋の二十一歳の大学三年生に戻っていた。
 最初に疑ったのは、自分の頭がおかしくなったのかもしれない、ということだった。だって、こんなこと起こりっこない。頭がおかしくなって、自分が二十一歳に戻ったという幻覚を見ているのだと思った。けれど幻覚にしては、目に映るあらゆるもののディテールが、あまりに整いすぎている。今、腰を下ろしている無印良品で買ったシングルベッドも、実家から持ってきたちゃぶ台とテレビ台も、あのときと全く同じそっくりそのまま。テレビ台の上には、目覚まし時計と一緒の店で、五千円で買ったテレビデオ。テレビデオ! そんなものがこの世に存在していたことすら、忘れていた。
 この携帯電話もそうだ。最初見つけたとき、あまりの懐かしさに「わあっ」と声をあげてしまった。確か、この年の夏に買い替えたばかりの新品で、通話とメール以外、ほとんど何もできない。iモードとは一体何だったのか。もちろん、カメラ機能もない。わたしの記憶が正しければ、写メールの誕生は、ここからまだ一年以上先のこと。
 最初の二日は、とにかく無性に恐ろしくてずっと部屋に閉じこもっていた。たまに電話が鳴った(hideの『ROCKET DIVE』の三和音着メロ!)けど、無視した。
 三日目、ついに勇気を振り絞り、服を着替えて外に出てみた。まず最寄りのN駅周りをうろついて、それから、当時徒歩で通っていた大学の周囲をぐるぐる回った。意外にも、景色は大きく変わった感じはしなかった。でも、ところどころ微妙に違って、なんだか間違い探しのゲームのようだった。歩いている人のファッションや髪型は、文字通り隔世の感があった。男の子は長い髪とアメカジの組み合わせが多く、木村拓哉の強い影響下にあるのを感じずにはいられない。女の子はとにかくみんな眉毛が細いのが気になり、どんな服を着ているのかあまり目に入らなかった。自分でも、なぜこれほどまでに眉毛に執着してしまうのかわからない。
 目に映るもののすべてが作り物のようで、まるで映画のセットの中にいるような。あるいは、平成を振り返る系のNHKのドキュメンタリー番組の中にいるような。そんなよりどころのない心持ちのまま、三十分ぐらい適当にあたりをぶらついているうちに、少しずつ、1999年になじんでいくような感覚を覚えた。
 最後は大学時代によく通ったスーパーにいき、当時、お金がないときの定番メニューだったソース焼きそばを作った。
 食べながら、テレビをつけた。画面に映ったのは、「LOVEマシーン」をうたうモーニング娘。だった。懐かしい、という感情は浮かばなかった、なぜかと考えて、すぐに気づく。同じ映像をYouTubeで見たことがあるからだ。
 大学生の頃は友達付き合いやアルバイトで忙しく、テレビの中のことには無関心だった。四十一歳のわたしは休日ともなると一日中ベッドに寝転がり、YouTubeで昔のテレビ番組などをダラダラ見続けている。
家で、一人で、小さなスマホの画面で。
 テレビはすぐに消した。
 毎晩、眠る前には、きっと朝起きたら四十一歳に戻っているだろうという考えが必ず頭に浮かんだ。でも今朝も、わたしは二十一歳のままだった。
 もう一度、鏡を見る。
 そろそろ、腹をくくるべきときだと思う。
 とにかく。
 何が起こったのかは、いまだわからない。
 でも、そんなことを考えてもしょうがない。わたしは化学者でも物理学者でもないし。化学と物理を専攻していたら、何かが理解できたのかどうかもわからないけれど。
 とにかく確かなのは、人生を二十一歳からやり直すラッキーチャンスを得た、ということ。
 いつまた、四十一歳に戻ってしまうのかわからない、という恐怖はある。でも、もしかするともう戻らないかもしれない。
 だとしたら、後悔しないように。
 鏡にうつった自分の、内側から光るような若い肌。ここ一週間、何度も見ているうちに、自然とその言葉が湧き上がってきた。
 後悔しないように。
 あの頃、一番後悔していたことは何か。それを取り戻すことからはじめてみよう。
 
 その日、まずは大学にいってみた。まだ夏休み中だったので、キャンパスは閑散としていた。それでも、図書館やコンピューター室をうろついていると、何人かの名前も思い出せない人たちに声をかけられ、当時の自分の交友関係の広さを思い知った。みんな、わたしがなぜ一人でいるのかとしきりに不思議がった。誰に何を言われても、なんだかジーンとして涙が込み上げた。四十一歳のわたしに、友人と呼べる人は、ただの一人も、もういない。わたしの顔を見て「おーい、ブスー、元気かー?」と言って通り過ぎていっただけの男の子にさえ、「ありがとう、就活頑張れよ」と肩を抱いてやりたい気持ちになった。
 午後はバイト先へいった。ここでも着いてすぐ、意外な発見があった。たまたま他店からヘルプできていたあの山根さんが、全く、これっぽっちも、一ミリたりとも、魅力的に見えなかったのだ。
 当時、人気絶頂だったGRAYのJIROに似ていると評判だった彼は、より似せるために髪型も服装も完コピしていた。当時はわたしにも、そっくりに見えた。
 全然、違うじゃないか。JIROはこんなに顔が大きくないし、こんな小太りでもない。ただ、目と口の形と配置が多少、近い。その程度だ。当時のわたしは、一体何なんだろう。目にゴミを入れたまま生きていたのだろうか。この男のために名古屋くんだりまでいき、人生を台無しにしたというのか。
「おい、ズル休み~」
 山根さんは薄ら笑いで近づいてくると、いきなりわたしの髪をくしゃくしゃとかき混ぜてきた。
「ふざけんなよ、お前~。とりあえず正座しろよ~」
 自分に好意があると確信している相手にとる言動と態度なのは明らか。なんでこんなやつに、と殺意さえ感じた。しかし、わたしは酸いも甘いも嚙み分けた四十一歳のオバサン。大人の愛想笑いでやり過ごすと、さっさとバックヤードへ向かった。そこにいた店長と目が合った瞬間、頭を深く下げ、ずる休みをわびた。店長は虚を突かれたようで、あっけなく許してくれた。
 その後、制服のエプロンを着け、恐る恐る店に出てみた。全く何もできなかったら知らん顔して逃げてしまおうと思っていたけれど、想像していたよりずっと、体が仕事を覚えていた。衣替えの季節ということもあって、店内はあわただしかった。体の動くまま、接客をしたりレジ打ちをしたり、慣れてくると自分より後輩のアルバイトに仕事の指示を出すことまでできた。
 純粋に、とても楽しかった。働くのがだるいだとかはやく終わってほしいだとか、一切思わなかった。若い体は何時間も立ちっぱなしで動き回っても疲れ知らずで、肩も腰も風船がついているのかと思うほど軽い。棚の上の商品をとるために腕をあげても、肩が痛くない! 客が落とした小銭を拾うためにかがんでも、腰がギシギシしない! この軽やかな体があと二十年もすれば、節々が痛み出し、ささいなことで疲れ、それなのに眠りは浅くなる。悲劇だ。
 あっという間に日が暮れた。気づくと五時間近くたっていた。店の入り口のガラスドアから、日の暮れかけたオレンジ色の空が見えた。少しだけ外に出て、空気を吸い込む。懐かしい、一日の終わりの匂いがした。
 こんなにも充実した労働時間を過ごしたのは、何年ぶりだろうかと思う。もしかすると二十年ぶり、要するに前の人生で、同じようにここで働いていたとき以来なのかもしれない。
 そしてその充実は、わたしが二十一歳の女子大生というだけで甘やかしてくれる年上の男性たちにお膳立てされたものでもあったのだと、今回はっきり認識できた。
 当時、この店で働くバイトのうち、女子の大学生はわたしだけだった。一人いた男子高校生をのぞいてあとはみんな年上で、半分以上が二十代半ばから三十代前半の男性のフリーターだった。
ちやほや。
 その言葉以外の、何物でもなかった。
 閉店後、明日の準備作業をしているとき、あの頃の自分は、間違いなく特別扱いされていたのだという確信に至った。数人の男性フリーターたちと談笑しながら、わたしは翌日配達に出す予定の贈り物の包装作業をやっていた。あの頃、こんなふうに仲間たちと他愛ない話をして過ごせるこの時間が、とても好きだった。ふいに、どこからか視線を感じて顔をあげた。フリーターの里佳子さんがこちらを見ていた。
 彼女は確か三つか四つ年上だけど、入ってきたのはわたしより一年遅い。里佳子さんはすぐに視線をそらすと、手洗いのほうへ姿を消した。
 はっとわたしは思い出した。手洗いの清掃は女性店員の役目だった。でも、わたしだけいつしか免除されるようになった。みんなよりバイト年数が長くて仕事もできるほうだから、と当時は当たり前のように思っていた……けれど。
 さらに、わたしはあることを思い出した。中身は四十一歳のわたしからしたら、里佳子さんは十分若い。でも当時、彼女はこの店で“行き遅れキャラ”として通っていて、年齢や彼氏がいないこと、独身であることについて常にからかいの対象だった。
 すべての作業が終わり、店を出ると、少し遠回りしてアパートまで歩いた。1999年の夜の街。厚底ブーツをはいた“ガングロ”の女の子の集団とすれ違う。歩きながらパラパラをやっていた。ねんざなどのケガに気をつけてほしいと思った。歩き煙草をしている人がことのほか多く、辟易してしまう。
 今日、バイト先にいってみたのは、確かめてみるためだった。あの頃、名古屋で後悔したように、就職せずフリーターでやっていくという選択は、正しかったのか、と。
 正直、悪くないと思った。
 あのインテリアショップはこの先、外資の飲食チェーンと提携して規模を拡大していく。わたしの記憶が正しく、その記憶通りの未来に向かっていくのなら。残るのは決して悪い選択じゃない。
 それに、男性の同僚たちによくしてもらっていたという要素抜きにしても、わたしはあの店での仕事が、やっぱり純粋に好きだった。とくに、見せ方次第で商品をいいものにも悪いものにもできる、という点にやりがいを感じていた。今日、あわただしく働きながら、ふと、寝具売り場のレイアウトのアイディアが浮かんだ。それを店長に話してみたら、次のシーズンに向けてもう少し具体的な戦略を練ってほしいと頼まれた。その瞬間、体の奥底でずっと冷え切っていた何かに、ぽっと火が灯されたような感覚がした。
 続けたい、という思いが自然と湧き上がった。大学生のときも同じようなことがたくさんあったはずなのにそうしなかったのは、ずっと自分が胸に抱き続けた“やりたいこと”とは違ったから。
 もう四十一歳に戻れないなら、これからわたしはきちんと人生設計していかなければならない。今は大学三年生、あと少しで就活がはじまるタイミング。もう一度、就活するべきなのだろうか。氷河期という過酷な世界に、再び足を踏み入れるべき? 二度目だからといって成功する保証はどこにもない。
 それとも今度こそ、店に残るという道を選ぶべきか。
 正直、今でも編集者になりたいかと言われたら、もうよくわからない自分もいる。それほど魅力的な仕事なのか。でも、大事なのは、今の、中身は四十一歳の自分が今、やりたいことではなく、昔の自分が死ぬほど手に入れたいと願った、その強い気持ちなんじゃないかとも思う。AがダメならBという人生でいいのか、といつだったか言われた。そう、あの消費者金融会社の面接で一緒だった彼に。四十一歳のわたしは、まだ二十一歳のわたしのために、たとえ再度失敗する可能性がいくらかあったとしても、もう一度、Aを獲りにいこうとするべきなんじゃないか。
 ……就活、するか。
 アパートに着き、クローゼットを開け、大学の入学式で着て以来しまいっぱなしのリクルートスーツを手に取り、わたしは小さく決意した。
 それにしても、と思う。当時のわたしは、若い女としての自分に向けられる視線に、あまりに無自覚だった。それは就活においても同じで、本が大好きだから、どうしても本を作る仕事がしたい、という強い気持ちをありのまま表現すれば、男も女も関係なくありのまま好意的に受け取ってもらえると無邪気に信じていた。名古屋の出版社でだって、若い女の子らしく謙虚な態度でいれば、ずっとマシな社会人生活を送れたかもしれないのだ。
 あの当時、就職難や不景気をものともせず、自分のほしいものを手にしていった同世代の女の子たちを思い返すと、誰もが若さや美しさ、それをありがたがる男性社会をうまく利用していた。もちろん、若さも美しさも、いつまでも有効じゃない。そんなことはみんなわかっている。でも、針の穴ほどの狭き門をくぐりぬけるために、使えるものはなんでも使うべきだった。やりたくないことはやらない、なんて思っていたわたしは、なんて不器用だったのだろう。
 二十代後半の独身女性は行き遅れとされる時代、そして、女性だけがトイレ掃除などの雑用を当たり前のように押し付けられる時代、それが今。そこに文句を言ってもしょうがない。むしろそれを利用して、わたしは勝ち馬に乗らなければならない。
 ……のか?

 それからのわたしは、就活のことだけを考えて、一歩一歩、確実に動きはじめた。
 第一志望は変わらず出版。ついで映画、放送、新聞などのマスコミ。前回の人生ではここで業種を制限して幅を広げなかったのが、転落の一つの要因になった。今回はマスコミにこだわらず、大手企業で採用を行っているところは、できる限りエントリーすることに決めた。
 就活サークルの仲間たちとは、あえて会わないようにした。大学の友達ともなるべくつるまず、後期の授業がはじまった後も、大学ではいつも一人でいる。彼ら彼女らと一緒にいると、青春のやり直しをしているようで楽しい反面、説教臭くなってしまう自分を抑えられない。数日前、同じ学部で一番の仲良しだった舞子が、ぼんやりと夢をみるような顔で「二十五歳までに結婚して良妻賢母になりたいなあ」と言ったのに対し、「ダメダメ、二十代前半で結婚なんかしちゃったら、遅くとも三十半ばでセックスレスだよ」などとオバサン丸出しで言い返してしまった。そのときの舞子の困惑極まった表情といったらなかった。
 授業がないときでも、できるかぎり毎日大学の就職課に顔を出すようにした。当時、就職課を軽視していたことも敗因の一つだった。就職課に寄ったあとは、コンピューター室でネット上の情報も可能な限り拾った。時間を捻出するため、バイトの数は減らした。足りなくなった生活費は母親に借りた。大学時代は母に金をせびるなんてプライドが邪魔して絶対にできなかったけれど、四十一歳のわたしには、もう意地も見栄もプライドも何もない。
 これからわたしは、恐るべき氷河期へ立ち向かっていく。二度目だからしっている。氷河期といえど、何割かの学生はうまく大手に滑り込んで、わたしたちが味わった非正規の不安定さもみじめさもしらないまま、盤石な人生を築いていくことを。
 今度こそ、わたしもその何割かに、入りたい。もう、あんなみじめな未来はいらない。新卒入社したら、それきり一度も履歴書を書かない人生を歩みたい。非正規職なんてものがこの世にあることすらしらないような顔で、豊かさと幸福と、そして大きなやりがいと充実と、多少の苦労を背負いながら、安定に安定を極めた人生を生きていきたい。

 そうして。
 月日はあっという間に過ぎる。秋が深まり冬がきて、本格的な就活シーズンがはじまった。あらゆる企業に資料請求のはがきを出し、前回の十倍の数の企業にエントリーした。
 年末年始の休みもどこへもでかけず、エントリーシート書きなどの就活対策に費やした。世の中はミレニアムだ2000年問題だと浮かれ気味だった。ミレニアムなんて言葉は一瞬にして忘れ去られることも、問題なんか何一つ発生しないことも、わたしはしっている。それを言える相手がいないことは、少し寂しかった。寂しさが募って何度か2ちゃんねるに「未来からきました」系の書き込みをしてしまった。十数年後に巨大地震が起きて原子力発電所が爆発するとか、SMAPが仲間割れして解散するとか書き込んでみたけれど、バカにされるばかりでろくな反応をもらえず、ますますむなしくなるだけだった。
 そうして。
 さらにまた、月日はあっという間に過ぎる。
 大学の卒業式の日も、それから約一カ月後の入学式の日も、わたしは就職課か、コンピューター室にいた。企業説明会のエントリー開始日に朝からパソコンの前に陣取ったのに、パソコンもネット回線もなにもかも重すぎて何度やっても途中で画面がフリーズし、日が暮れるまでやり続けた挙句に断念した日も一度や二度じゃない。 
 ある日、食堂で久しぶりに会った舞子に「最近、全然あってないね。元気にしてる?」と話しかけられ、なんだかとてもうれしくて「お花見いきたかったね、そろそろ葉桜だよ」と言ったら「おばさんくさい」と笑われて地味に傷ついた。
 その桜も、いつの間に散った。五月二日は二年前に亡くなったhideのお墓参りにいった。わたしにとってはもう二十年以上前の、宝箱の奥にすっかりしまいこんでしまったような思い出だけれど、同じ場所に集まった彼女たちにとっては、まだ生々しい記憶なのだった。横須賀方面へ向かう電車の中は、葬儀のあった日と同じように、花の香りで満たされていた。
 しばらくすると、コンピューター室から見えるケヤキの葉が青々と輝きはじめた。わたしは二十二歳になった。
 現時点で、内定ゼロ。
 氷河期。本当にわけがわからない。

 ドブネズミ色のスーツを着た亡霊の集団が、駅の改札口からぞろぞろと這い出てくる。うつろな視線、自信のかけらもないぼんやりした表情、おぼつかない足取り。周囲を行きかう人々には、まるで彼ら彼女らの姿が見えていないかのよう。その、死の気配すら漂う背中を、わたしは少し離れたところから追いかける。やがて集団は、一つの建物に吸い込まれていく。
 そこはある老舗食品メーカーの本社ビル。会社の規模はさほど大きくなく、場所も埼玉県との県境という微妙な立地で、とても人気企業とはいえないレベルなのに、先月開かれた会社説明会には、200人以上の学生が集まっていた。
 わたしが今、ここにいるのは、この会社の社員にどうしてもなりたいからではなく、わたしと面接してやってもいい、といってくれた数少ない会社のうちの一つだったからにほかならない。その面接してもいい、といってくれた数社の中で、この会社の勤務条件は最高ランクの部類だった。
 今日の一次試験には、ざっとみて五十人ほどの学生が集められていた。窓のない狭い部屋に詰め込まれ、しばらく待たされた後、若い女性と五十代ぐらいの男性の二人の社員がやってきた。女性社員が正面中央に立ち、挨拶をはじめた途端、宇多田ヒカルのファーストラブの着メロが盛大に鳴り響いた。一番前に座っていた女子学生が、慌ててバッグの中から携帯を出して音を消す。そこへ男性社員が近づいていき、「君、出ていきなさい」と冷たく告げた。
 女子学生は何も言わなかった。ただ、斜め後ろから見える彼女の首筋が真っ赤になっていて、気の毒だった。彼女はすばやく荷物をまとめ、逃げるように去っていった。
「携帯電話が鳴ってしまったことで出ていけといったわけではありません」男性社員は作ったような笑みを浮かべ、さとすように言う。「誰でもミスはあります。一言も謝罪がなかったのが問題です。ミスをしたら謝る、誠心誠意。これが社会の常識で、わが社が大事にしていることです。忘れないように」
 うわあマジかあ、とわたしは心の中だけで言った。開始早々、波乱含みの展開。
「ところでみなさん、今日はとてもムシムシしていますね。外の気温は25度だそうです」
 男性社員が続けて言った。組んだ手を後ろに回し、やけに芝居がかった口調だった。三十七歳のとき、同僚に誘われて参加したネットワークビジネスのセミナーの司会者と、笑顔もしゃべり方もそっくりだ。
「この社屋は大変古くて、冷房の効きが悪いんです。みなさん、慣れないスーツを着て暑いでしょう。どうぞ、上のジャケットを脱ぎたい方は脱いで結構です」
 数名の学生が、のそのそとジャケットを脱いで椅子にかける。わたしは最後列のエアコンの真下に座っていて、肌寒いぐらいだったので脱がなかった。
「今、ジャケットを脱いだ方。申し訳ありませんが、出て行ってください」
 その瞬間、キーンと音の聞こえそうな緊張が室内に走った。続けて男性社員が言う。「ここは採用試験の場です。身だしなみは何よりも大切ですね。そこでジャケットを脱いでシャツ一枚になっても平気でいる人間は、弊社には不要なのです」
 わたしのすぐ前の席にいた男子学生が、脱いだジャケットを腕にかけて立ち上がり、「失礼します」と言って出ていった。それに続いて、学生が一人、また一人と静かに会議室を去っていく。声を発したのは最初の一人だけで、あとは無言だった。皆、顔を伏せたまま。
 うわうわうわあマジかあ、とわたしはまた心の中だけで言った。まるで氷河期を煮詰めて固めたような人事担当者だ。ここまでされても、学生はじっと黙って耐えなければならない。なぜなら今は就職難だから。それでも仕事に就きたいから。
 そこで、いや、と思う。人事担当者のこの手のおごり高ぶりは、氷河期に限った話でもないのでは? もしかして2019年になってもクマムシのようにしぶとく生き残り、学生を食い物にしているんじゃないか?
 その後、先に筆記試験が行われた。わたしはすっかりやる気をなくしていた。問題にほとんど目を通すこともなく、1999年に戻れたんだから97年、あるいは96年あたりに戻る方法もあるんじゃないかと真剣に考えて時間をつぶした。もしそれが叶ったら、就職活動など放棄して、XJAPAN解散阻止に全力を注がなければならない。
 結局、ほとんど空欄のまま、試験は終わってしまった。
「最初の説明から変更があります。本日の集団面接は急遽、男女別に行うことになりました。まず男子学生の方は、すみやかに別室に移動してください」
回答用紙が回収されると、男性社員が言った。男子学生たちは、案内されるままそそくさと出ていく。それからなぜか三十分ほど女子だけで放置されたあと、やっと五人ずつ呼び出しがはじまった。座席順になっているようで、最後尾のわたしが呼ばれたのは、一時間半近く経ってからだった。
 面接官は三人。さっきのセミナー司会者風の男性社員が真ん中に座っていた。イヤな予感しかしない。
 まずは型通りの自己紹介タイム。中身は四十一歳のいいオバサンであるわたしも、このときばかりはいつもちょっと緊張してしまう。そんなときは、目の前にいる面接官たちが、今、全裸なのだと想像する。そうすると、幾分、気分がやわらぐ。派遣社員になって間もない頃、毎日緊張しながら働いていたときに編み出した技だった。
 一通り自己紹介が終わると、真ん中の男性社員が相変わらずの不気味な笑みを浮かべて言った。
「この中で、関東出身なのは桜井さんだけですね。ほかに、関東にご実家のある方はいますか」
 全員、無言だった。わたし以外は、みんな地方出身者ということのようだ。
「そうですか。桜井さんは、もし幣社に入社されたら、ご実家から通われる予定ですか?」
 戸惑いつつも、とっさに「どちらでも大丈夫です」と答えた。実際は実家からここまでだと電車を三回も乗り換えなければならないので、現実的ではなかった。
「そうですか。弊社は基本、女子の社員は実家から通勤できる方のみとさせていただいているんですが、できますか?」
 ……なんじゃそら。
 という言葉が舌の先まで登ってきた。なんとか持ちこたえ、わたしは「はい」と答えた。
 それから約三十分、面接官たちの質問はわたしだけに向けられた。わたしはほかの四人への申し訳なさと居心地の悪さで、あまり集中できなかった。そのせいか、面接官たちの反応もイマイチだった。
 やがて、退室を言い渡された。面接が終わった学生から退社していいことになっていた。ほかの四人の女子学生と一緒に、やたらせまく黴臭いエレベーターに乗りこむ。
 みんな、無言だった。
 こんなのおかしい、と訴える人は一人もいない。
「こんなのおかしい……よね?」
 すぐ隣にいた女の子に、思わず声をかけてしまった。
「おかしいと思わない? こんなところまで呼んでおいて、女子は実家からじゃないとダメだって」
「……でも、文句をいってもしょうがないし」
 彼女は面倒そうにつぶやいて、わたしから顔をそむけるようにした。やがてチーンと音が鳴って、エレベーターが一階に着く。女子学生たちはふらふらと廊下を進み、建物を出て、曇天の下へ歩みだす。まるで亡霊のように。わたしはさっきの女の子にもう一度話しかけてみようかと思った。でも、やめた。
 その場に立ち止まって、彼女たちの背中がゆらゆらと消えるように遠ざかっていくのを見つめた。
 もしかすると全員、まだ一つも内定をとれていない。2019年、彼女たちはどう過ごしているのだろう。四人のうちの誰か、あるいは全員が、わたしと同じように非正規で働いているのかもしれない。
 文句を言ってもしょうがない。
 さっきの彼女の言葉。まるでゴミのように、足下にぽいっと投げ捨てられた。やるせなく、ふがいない気持ちをどこにぶつけることもできない。だって今は不景気で、氷河期だから。そんな時代に、女子の四大生でいることが、そもそも悪いのだから。
(第4回へつづく)

南 綾子Ayako Minami

愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞を受賞しデビュー。『ダイエットの神様』『21世紀の処女』など著書多数。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop