双葉社web文芸マガジン[カラフル]

双樹、戦ぐ(大村友貴美)

イラスト:かわのまほ

第二章(承前)

 四年間、ずっと沙羅を捜してきた。沙羅が無事であることを祈ってきたけれど、まさか噂の〝シルバの女主人〟とは思いもしなかった。
 考えてみれば、沙羅の父は商人だったというし、自分と同じくマヌエルに養育されたのだから、商いに長けたとしてもなにも不思議はない。それに、両親が亡くなり、一人ぼっちと聞いていたが、助けてくれる縁者はいたのかもしれない。
 沙羅が見つかった上、虐げられも、困窮もしていなかったのはよかった。でも、なんなのだろう。この胸苦しさは。
 沙羅が結婚する……。
 四年の間に、沙羅になにがあったのかわからない。でも、その過程で、沙羅は、あのポルトガル人を夫に選んだのだ。
 心が乱れた。今は、沙羅の顔を見るのも辛い。どの港へ行っても沙羅の姿を捜し、これまで頭から沙羅のことが離れたことはないのに。
 龍之進は、胸に下がるマヌエルの指輪を衣の上から握った。
 いや……沙羅が無事なのだから、マヌエルは喜んでいるだろう。これでいいんだ、これで。それを俺の目で確かめられたんだから。
 龍之進は、とぼとぼと町を歩いた。道端に置かれた水桶に、木の葉が舞い落ち、水面に微かな波紋が広がって消える。
 長崎での沙羅との思い出が次々と蘇っては消えていく。沙羅と再び出会えれば、またあの幸せな日々が戻るのではないかと心のどこかで期待していた。
 淡い夢……この想いを口にすることもないだろう。
 ふと視線を上げると、広い路地を輿に乗ったり、傭兵に警護され馬に乗ったりして進むポルトガル人の姿が目に入った。
 ポルトガル人は、年五百両の租借料を明に支払ってマカオに住んでいる。明から自治も認められているから、ポルトガル人はマカオの支配者でもある。
 シルバの女主人か。沙羅の服装や立ち振る舞い、周りからの態度を見ても、沙羅はマカオの上流層に属しているに違いない。
 マカオには、約一万人以上の人々がいるそうだが、ポルトガル人が八百人、その召使いや傭兵などが五千人、そして唐人が四千人くらい住んでいるといわれている。その中で、ポルトガル人は唐人より裕福に暮らしている。
 マカオの日本人は、商人、職人、傭兵、迫害から逃れてきたキリシタンなどだ。自由民として渡ってきた者もいるが、多くは年季奉公人で、ポルトガル人から見れば奴隷同然である。彼らの中には、年季が明けたり、主人の遺言で自由になったり、お金を貯めて自由を買ったりして、自由民となった者もいる。しかし、マカオでポルトガル人と日本人、つまり沙羅と自分の間には大きな隔たりがある……そう龍之進は感じた。 
 突然、背後から懐かしい日本語が耳に飛び込んでくる。振り向くと、髷を結い、腰に刀を差した着物姿の侍たちが、二十人以上の塊となり、道を塞ぐようにしてこちらへ歩いてくる。
「いつ有馬に戻れるとか?」
「よか風が吹かんけん。ひと冬ここで過ごすことになるんやなかか!」
「ひと冬もか! 占城ベトナムでせっかく内府様ご所望の伽羅きやらを手に入れたのに! 積み荷ば差し押さえよって。なんとかせんと」
「たやすか! 沖に唐船ばたくさんあるけん、我が船ば出せんなら……」
 龍之進は、道の脇へけた。彼らは、髷を結わず、着物を身に着けた龍之進を一瞥しただけで追い越していく。
 肥前国有馬から来た侍たちらしい。声色と表情から、彼らの苛立ちが伝わる。
 正面から天秤棒を担ぐ唐人の行商人がやってきて、一人の若侍に桶があたった。
「こん無礼者め!」若侍が刀に手をかけた時、年上の者が宥めた。
「ここは異国や。刀ば納めんね」
「儂ら、ご朱印ば持つ日本の正式な使節ぞ。それをこん者は! ここが日本やったら、斬り捨てとう」
 若侍は、そう吐き捨てるように言い残して立ち去った。
 龍之進が桶から落ちた野菜を拾い上げて差し出すと、行商人は脅えた目つきで龍之進を見た後、ふんだくるようにして早足に去っていった。
 路地裏に入ると、道端に一人の男が倒れていた。白髪が交じり、頬もこけ、腕も足も骨のように痩せている。日本語で声をかけると、生きており、一言二言日本語で返すので日本人とわかった。病になり、主人から住み込んでいた家を追い出されたと男は掠れ声で言った。住まいも食べ物もお金もなく、半月居場所を求めて町を彷徨ったが、もう歩けないと目を潤ませる。龍之進は、男を背負い、慈善院へ向かった。慈善院は住む場所を失った貧しい人々でいっぱいだった。龍之進は、男の面倒を看て欲しいと、近くにいたイルマン(修道士)に持ち合わせのお金を寄付して頼んだ。
 ロペスから相続した家は、聖ロレンソ教会から遠くない場所にある白亜の建物だった。観音扉の正面玄関を挟んで両側に格子窓があり、二階の正面には三つの格子窓が並ぶ。一階は店舗、二階が住居といった造りだが、ロペスは一階を倉庫代わりにしていたので、龍之進は、物を整理し、一階を客間としても使えるようにした。
 家に戻ると、万吉が笑顔で出迎えた。
「さっき行商人から新米を買ったよ。きっとうまいぞ」
 ロペスが亡くなった後、龍之進は万吉を家に呼び、二人で住んでいる。
 昨年年季が明けて自由民になった万吉は、年を重ねた後も生きる術を持ちたいと言い、ハイニャ・ド・マール号の船匠せんしよう(船大工)長の下で、船大工の修行に励むようになった。
 家事を頼んである唐人女性が作る料理が食卓に並んだ。
 龍之進は、香辛料の効いた魚料理をつつくだけで、ほとんど口に運ばずに箸を置いた。
「もう終わり? 腹減ってないの?」万吉は、美味しそうに頬張っている。
 龍之進は、町で出会った侍たちや行き倒れた男の話をした。沙羅の話はしなかった。万吉は、龍之進が沙羅を捜していたのを知っている。三年前マニラへ着いた時に、ポルトガル商人マヌエルに息子同然に育てられたこと、マヌエルが異端者の嫌疑で捕まったことなど、龍之進がロペスの船に乗るまでの経緯を話したからだ。万吉は、異国の港へ着くたび、沙羅の行方を捜す手伝いをしてくれた。でも、今日のできごとを正直に打ち明けるには、まだ心の整理ができていない。
「侍? 誰かの傭兵だろ? たまに見るよね。二本差しで群れて歩く、威勢のいい傭兵たちをさ。絡まれたら物騒だから、儂は近づかないようにしてるよ。ほら、マニラでも、刀抜いてさ、暴れ出したやつらがいたろ」
 マカオでは、日本人の帯刀は禁じられている。十年以上前、ポルトガル国王がマカオでの日本人の武器使用を禁じる法を公布したからだ。マラッカ、ゴア、マニラでも、日本人は兵として多くの者が島や町の警護や守備に就いている。帯刀を禁じるのは、日本人を兵力として必要と認める反面、現地の勢力と結びつき反乱を起こすのを恐れるためだといわれている。法によると、日本人奴隷が刀剣類を帯同すれば、インドのガレー船における終身漕役刑が、自由民であれば十年の同刑になる。しかし、この法に従う者はいなかった。マカオの市民も聖職者も〝武器を携える日本人兵〟を雇うからだ。
「いや、彼らは傭兵じゃないよ。たぶん有馬家の家臣さ。ご朱印状を持ってるらしい。占城からの出港が遅れて、日本へ戻れなくなったんだと思う」
「風に乗りきれず、マカオに寄港したってわけか。米の行商人が話してたんだけど、去年日本人に襲われたんだって」
「襲われたって、傭兵に?」
 万吉は、口で否定する代わりに左手を振った。「盗賊だよ。マカオへ着くとすぐに姿をくらます人や年季奉公から解放されても食っていけない人が盗賊になるらしいよ。そいつらがマカオへやってくる行商人を襲うんだよ」
 龍之進は、関ケ原の野盗や雑兵たちを思い出した。他人の物を盗り、売ることで食いつなぐ人々を。マヌエルに引き取られて文武にいそしみ、ロペスと出会わなければ、龍之進の今はなかった。一歩間違えば、それこそ野盗になっていたかもしれないのだ。
「人商人やポルトガル人に騙されて船に乗せられた人もいるけど、中には日本にいるよりましだ、異国へ行けば一旗あげられると夢見て海を渡った人もいると儂は思うんだ。異国でまさか自分が盗賊になるとは思ってはいなかっただろうな」
 これまでも道で物乞いや行き倒れた人々を見かけた。むろん日本人ばかりではない。病で働けなくなったり、年を取って動けなくなったりして、主人から解放される奴隷たちは多いのである。解放とは名ばかりで、要するに働き手として役に立たない彼らを主人が捨てたのだ。
「ロペスの船に乗った時、儂には夢なんてなかったけどな。夢なんて持ってたって、満腹になるかってんだ」
 万吉は、ご飯を口に掻き込んだ。
「儂から見たら、夢にこだわり続けるやつは、現実を見ないだけだ。今の自分を否定して慰めてる。ほんとうの自分はもっと一角ひとかどの人間なんだって。そんなことより、まず食ってくことを考えろってんだ」
「夢か……俺のお父は若い時、侍として出世する夢のために仕える先を転々としてたってさ。でも、お母が死んでからはずっと俺のそばにいた。仕官を諦めたのか、それとも他に夢が見つかったのか、俺にはわからない。ただ、俺が覚えているお父はいつも目の前のことに全力だった。俺に夢を持てとは言わなかったけど、今ここを懸命にやりきれ、それはよく言ってたよ。もしかすると、お父はその先に何かが見えていたのかもしれないな」

 二日後、朝餉を済ませると、龍之進はマヌエルの従者だったベルに会うため、シルバ商会へ行ってみようと思い立った。
 沙羅は、ベルを雇ったと話していた。でも、シルバ商会へ行けば、沙羅に出食わすかもしれない。話すことはなにもなかった。トリスタンとのことは聞きたくはない。心のどこかに、沙羅にひと目会いたいという気持ちもあるような気がする。それを心の底から望んでいるのか、自分でもよくわからなかった。
 龍之進は、外へ出る前に、万吉に声をかけた。
「万吉、ハイニャ・ド・マール号に出資した商人たちと今後のことで話し合いたいんだ。日取りを決めておいてくれるかな? 広東沿岸辺りでオランダ船がポルトガル船を待ち伏せしてるらしいから、北へ行く交易は避けたいと思って。マカオ総司令官もオランダに荷を奪われるのを恐れて、今年日本へ船を出さなかったと聞いたし」
 龍之進は、木戸を開けて表へ出た。
「総司令官が? そうなの?」
「うん。マカオ総司令官は、マカオのまつりごとの他に、艦隊と交易の司令官でもあるらしい。その総司令官が日本への定期船を出してないんだ」
「わかった。商人たちに訊いて、都合のいい日を決めておくよ。で、どこへ行くの?」
「うん、ちょっと……会いたい人がいてさ」
 家を出た龍之進は、人伝てに聞いていたシルバ商会のある場所へ向かった。
 ――儂には夢なんてなかったけどな。
 万吉は、そう言った。
 十歳の時、龍之進は、マヌエルのような商人になりたいと思った。しかし、実際に海に出たのは、マヌエルや沙羅を守りたかったからだ。それも、当初は商人ではなく、商船を守る傭兵の一人として船に乗り込み、船を守るより自分の命を守るのに必死だった。ロペスに認められ、次第に任されるようになった務めも、始めから容易くできたわけではない。
 この四年間、必死に働いてきたのは、力をつけるため、人を守るために強くなりたいと思ったからだ。マヌエルと沙羅を守る、それだけを考えてきたけれど、マヌエルを亡くし、沙羅のそばにはトリスタンがいるとわかり、その思いは絶たれてしまった。
 俺は……いったいなにをしたいんだろう。これからなにをすれば。
 胸に大きな空洞ができて、そこをただ風が吹き抜けていく……。
 今まで沙羅を想うと、いつも二人になれた。でも、今は独りだ。
 シルバ商会の前では、使用人たちが一階の店から荷を運び出し、馬の背に積んでいた。龍之進は、脇道を入り、裏手に回り込んだ。
 女の声がする……沙羅だ!
 龍之進は、とっさに建物の陰に隠れた。そっとようすをうかがうと、沙羅はこちらに背を向けた男と話していて、まもなく家の中へ消えた。
 胸が高鳴った。やはりまだ沙羅を想っている。龍之進は、苦しい事実を突き付けられた。
 背を向けた男が向きを変えると、マヌエルの従者だった柬埔寨カンボジア人のベルだった。まだ三十歳くらいのはずなのに、老け込んで四十歳くらいに見えた。
 龍之進は近づき、「ベル、龍之進だよ。覚えてる?」と囁くようにポルトガル語で声をかけると、ベルは目を見開いた。「まさか……信じられない、ほんとに? また会えるなんて!」
「声を落として!」龍之進は、家の中を覗く。「今は沙羅に知られたくないんだ」
 龍之進は、ベルと路地の奥へ進んだ。ベルは、少し片足を引きずっている。
「どうしたの? 脚をケガしたの?」
「もう三年も前になります。マヌエル様がお亡くなりになった後、マラッカでわたしは売られてしまったのです。自由民だと言っても、証拠がないといわれて……まったく理不尽です。奉公先の主人はそれは乱暴な男で、ちょっとのことで、すぐ折檻をするんです」
「それで……脚を? なんてやつ!」
「マヌエル様は、おやさしい方でしたから」男は、しんみりと言った。「マヌエル様は、お亡くなりになる間際まであなた様のことを案じておられましたよ。いざという時は、あの指輪を売って生きる糧を得てくれればと……」
「ちゃんと持ってるよ」龍之進は、指輪を見せた。「大切なカルバジャル家の指輪だからね。売ったりはしない」
 ベルは、目を潤ませた。「長崎の思い出が……一番懐かしい。かけがえのない喜びがありました」
「俺も長崎の日々は大切な宝物だ」
「ドナ・沙羅がマラッカでわたしを捜し出して、身請けしてくださいました。今は、よくよくいたわってくださいます」
 龍之進は、ベルを抱きしめる。「こうして、また会えてほんとうにうれしいよ」
 ベルは、生前のマヌエルのようす、マラッカでの暮らし、沙羅との再会の話を掻いつまんで話してくれた。
「ところで、なぜドナ・沙羅を避けられるのです? ドナ・沙羅はお会いしたいと思いますよ。ずいぶん捜しておいででしたから」
「昨日たまたま、沙羅とは教会で会ってね。今日はベルと会ってゆっくり話したかったから。そういえば、沙羅は、婚約したんだってね」
「はい。お父上同士の約束で、ご幼少の頃にご婚約されたと聞きました。ドナ・沙羅の伯母上は、貴族同士の婚姻をお喜びで……」ベルは、龍之進の顔色をうかがった。「よろしいのですか?」
「なにが?」
「いえ……なんでも」ベルは、そこで一旦口を噤み、話題を変えた。「そういえば、ご存じですか? あのパードレがマカオにいることを」
「あのパードレって?」
「パードレ・バレンテですよ。マヌエル様を異端審問所送りにした!」
 バレンテは、今年の春にマカオに赴任し、今は異端者の取り締まりをする委員を務める傍ら、イエズス会の大神学校で日本語を教えているという。
「お気をつけください。パードレ・バレンテは、にっこり笑いながら、木槌で人を打ち据えるようなお方です。もし、この先会うことがあっても、タデウス・カルバジャルと悟られないほうがよろしいかと。もう四年も前のことですし、マヌエル様は亡くなられたので、今さらあの異端審問が蒸し返されることはないかと存じますが、念のためです」
「ベルや沙羅は大丈夫なの?」
「ドナ・沙羅には婚約者のトリスタン様がついていらっしゃいます。あの方は、教会に影響力を持つご一族です。龍之進様、よろしいですか。もしパードレ・バレンテにお会いすることがあっても、決して隙をおみせにならぬよう。間違っても教会を批判するようなことを口にしてはなりませんよ」
「わかった。気をつけるよ」

 龍之進は、マヌエルの指輪を衣の上から握り締めながら帰り道を歩いた。
 ――ドナ・沙羅は、事業が軌道に乗るまでと条件を出しましたが、あれは婚姻を先延ばしにするための言い訳だと思います。
 トリスタンは、沙羅が亡き父の遺産で事業を興すにあたり、後ろ盾になって支えたという。その上、沙羅の身分と安全を保証する力のある男らしい。
 トリスタンは、俺にはないものを持っている……。
 帰宅すると、家の二階の客間で、万吉が小刀を使い、銅板にハイニャ・ド・マール号の彫り物をしていた。手先が器用らしく、時間があると万吉は、銅版画を掘っている。龍之進が入ると、万吉は顔を上げ、また手元に視線を落とす。
「さっき教会から使いがきたよ」万吉は、顔も上げずに言った。「『ここは龍王の家か』と訊かれたから、『そうだ』って答えたら、『相談したいことがあるから、大神学校へ来て欲しい』ってさ」
「俺に相談を? なんだろう?」
「倭寇の取り締まりがどうとかって言ってたなぁ」
「誰の使いだったの?」
「イエズス会のパードレだよ。長崎にいたこともあるパードレで、日本語が話せるみたいだ。パードレ・バレンテって言ってたな」

 マカオで一番大きな教会堂、聖パウロ天主堂は、小高い丘に周囲を睥睨するように建っていた。初めて見上げた時、龍之進は、長崎の聖パウロ教会堂より大きく、威風堂々とした砦のような教会堂に驚いた。前面の石壁はまだ普請が続いており、装飾の完成には数十年かかるらしい。大神学校は、その天主堂に隣にあった。
 大神学校を訪ねると、龍之進は応対に現れた少年に一室へ通された。
 まもなく木戸が開いて、黒衣のパードレが現れた。紛れもない、あのバレンテだ。
 表には出さなかったが、龍之進は緊張した。と、同時にマヌエルに対する非情な扱いを思い出し、ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じる。
 バレンテは、微かに眉根を寄せる。「わたしが使いを出したバレンテだ。そなたが龍王か?」
「はい。どういったご用件でしょうか?」
 バレンテは、龍之進の顔を見つめている。今の龍之進は、長崎にいた時のような、柔で頼りない童ではない。バレンテの背丈を越し、肉体的にも精神的にもたくましくなり、西洋人のバレンテには、別人に見えてもおかしくはなかった。
「以前……?」バレンテが呟く。「いや……そんな……」
 再び扉が開き、別の男が入ってくる。
「おや、またお会いしましたね。あなたが龍王でしたか」
「トリスタン殿は、ご存じなのですか?」
「先日、お目にかかったばかりです。沙羅の長年の友人だそうで。まさか噂の龍王がこんなにお若いとは。マカオに住む日本人商人に尋ねたら、あなたを薦められました。李旦もあなたの手腕を認めているとか」
「李旦を知っているのですか?」
「もちろんです。李旦は、船団を率いる大商人ですからね。ポルトガル人やイスパニア人、オランダ人にも知られて、唐人船長と呼ばれていますよ」
 バレンテは、トリスタンと龍之進を見比べていたが、話が途切れると、オーク材の背もたれ椅子に座るよう促した。
「倭寇について相談があるとうかがいました」龍之進は、単刀直入に切り出した。
 バレンテは、トリスタンと目を交わした。「日本語の通辞は必要ないようです。トリスタン殿からどうぞ」
「わたしは、元老院で、マカオ総司令官のペソア殿の補佐をしています。本来ならば、ペソア殿も臨席すべきですが、正直に申し上げれば、長い目で見た場合の治安維持に関して総司令官はあてにはできません。ですから、今回の件に関しては、ご報告のみをお伝えすることになっています」
「あてにできないとは、どういう意味ですか?」
「任期が基本的に一年なのです。オランダが海上封鎖をしているせいで長崎へ行くことができず、ペソア殿の任期は昨年から延長されていますが……。その上、総司令官は、艦隊と交易、行政に責任を持つのでご多忙で。交易のために海に出ていたり、戦地に赴いていたりと、マカオにたいていいないのです」
 バレンテが補足した。「正直に言えば、歴代の総司令官の頭にあるのは、莫大な利益を生む交易だけ。その儲けが自らの懐を潤すことに繋がるのでね。マカオの治安や自治がどうであろうと、あまり関心はないのだ」
「昨年マカオはオランダに襲撃されました。それもあって、ゴア総督には常駐の軍政長官が必要だと訴えているのですが……」トリスタンは、そこで小さな溜め息をついた。「とにかく不在がちな総司令官に代わって、元老院とイエズス会が協力して市政を回している状態です」
 龍之進は、トリスタンとバレンテのやり取りを観察し、バレンテがトリスタンに一定の敬意を払っているのを感じた。バレンテは、目下の者には尊大な態度を取るが、トリスタンに対してはそれが見られない。
「龍王殿にご相談したいのは、マカオの治安、それも日本人にかかわる事案です」
 近年、マカオへやってくる日本人の人数が増え、それに伴い問題も増えている。明の官僚からは、日本人は倭寇や野盗となって沿岸、唐船、住民を襲うので、対処するよう再三要求されていると話した。
「下級裁判所にも、日本人絡みの訴えが増えています。町中で刀を持って乱闘する、店の品を盗む、娼婦を巡っての傷害と殺し……いろいろです。そこでご相談なのですが、日本人同士なら、物騒な方々にもツテがおありでしょう? まず日本人で無法者たちに対処していただけませんか。どのような手段で彼らを押さえるのか、それはお任せします。そのまとめ役をあなたに頼みたいのです。このまま放置しておくと、元老院を無視して明兵がマカオ在住の日本人に武力を行使することもありえます。われわれは、できるだけ明の介入を避けたいと考えています」
「つまり、日本人が日本人のならず者を取り締まれと?」
 突然のことに龍之進は、戸惑った。
「トリスタン殿、わたしは、マカオに住む日本人をそれほど知っているわけではないし、束ねてもいません」
「明の官僚は、倭寇の乱暴狼藉は、われわれポルトガル人が日本へ交易に行き、日本人を連れて帰ってくるせいだと主張しています。日本人はマカオへやってくると失踪し、倭寇や盗賊になり、明の沿岸を略奪する。これ以上、日本人を上陸させるなら、日本人を捕らえて処刑することも考えていると警告してきました」
 龍之進は、反論する。「倭寇は、日本人とは限らない。唐人も多いし、唐人の頭目もいる。朝鮮人、マレー人、それこそポルトガル人も乗り込んでる。そのことは、ポルトガル人もイスパニア人も……唐人だってわかっているはずです」
「われわれもその件は明の官僚に主張しています。でも、捕らえられると、東洋人の倭寇は、日本人と名乗るそうですから」
 龍之進は、ある唐人の海賊を思い出した。彼は、船に日本の旗印をまねた旗を掲げ、日本人のように髷を結い、日本の衣を身につけ、日本語を少し話した。あれでは、日本人と思われてもしかたがない。
 以前、唐人の水夫から聞いたことがある。かつて明では、沿岸の民が海賊と手を組むのを恐れ、海に出る交易商人を無法者として弾圧し、漁師にも出漁を許さない時があったそうだ。破れば、親族である九族すべてを抹殺されるので、海に出た明の人々は万が一、九族に害が及ばないよう、捕まった場合日本人と称したらしい。海外渡航が認められ、民間貿易も開かれた今でも、身元を知られないために、そのように振る舞う海賊がいるのだろう。
「その上、沿岸の民が抗議や乱を起こした時、鎮圧する明の役人は自分たちの責任を問われるのを恐れて倭寇の襲撃に遭ったと上層部に報告するそうですし」
「それがわかっていながら、なぜ官僚の言いなりになるんですか! わたしが見たところ、倭寇に日本人はせいぜい三割くらいしかいませんよ。むしろ倭寇は、明の海賊といっていい。やつらの頭目が日本人を船に乗せているんです。だから、取り締まるべきは、明の海賊だ!」
 バレンテが口を挟んだ。「五十年前、マカオ沿岸を荒らす倭寇を追い払ったことで、ポルトガル人はここに定住を許された。マカオはポルトガル人が支配はしても、統治する地ではない。明の総督の機嫌を損ねると、退去を申し渡されることもありうる。強硬な態度は控えたいのだ」
 龍之進は、眉を寄せてバレンテを見つめる。二百年以上前、日本人は明の沿岸を襲い、略奪し、人々を拉致する海賊行為をしたという。彼らは、倭寇と呼ばれた。今や海賊行為をする倭寇における日本人の数はかなり減ったにもかかわらず、倭寇といえば、日本人と思われるふしがある。またそうしておいたほうが、明の民にも官僚にも都合がいい面もあるのだろう。
 たぶん明の官僚は、この地に日本人が増えるのが怖いのだ。五十年前、交易のためにポルトガル人に居住を許したものの、今や武器を携えた日本人が町を闊歩し、ポルトガル人を守っている。ポルトガル人がいつか日本人を使って蜂起するのではないかと考えているのかもしれない。だから、ポルトガル人が日本から日本人を連れてくることに不信感を抱く。それは、ポルトガル人が武器を持った日本人が唐人に加担していつか自分たちを襲ってくるのではないかと不安に感じているのと同じだ。
 ポルトガル人にとっては、おそらく倭寇が日本人だろうと、唐人だろうとかまわないのだ。武器を持った輩がマカオとその周辺で暴れ回らず、ポルトガル人がマカオに居住し続けることができさえすれば。
 いずれにしても、明もポルトガルも、自分たちに都合のいいように立ち回るために、日本人を悪者にしていると龍之進は思った。
 バレンテが続けた。「三日前、日本の侍たちがマカオの港で騒ぎを起こした。その処理で、明の怒りを鎮め、ことを穏便に収めるためにいかに我らが苦心したか。侍たちは、港に停泊していた唐船を奪おうとした。その唐船で日本へ帰ろうと考えたそうだ。明の役人は、即刻賊を引き渡すよう言ってきたが、我らは拒否した。自治に干渉されては困るからな。とにかく明兵に気づかれないよう身を潜め、外へ出る時は変装し、刀を隠して歩くよう侍たちには言った。もし明兵に見つかれば、マカオから生きて出られなくなるだろうと申し渡した」
 ――沖に唐船ばたくさんあるけん、我が船ば出せんなら……
「まさか!? それは、もしかして有馬藩の家臣ですか?」
「そうです」トリスタンが答える。「彼らの持つご朱印は、占城交易のためのもの。マカオにはたまたま冬越しで停泊したに過ぎません。朱印状に記載のない事項にもかかわらず、彼らはマカオでも取引をしようとしました。そこで、売り買いをしないよう、荷と船を差し押さえました。それが不満だったのでしょう。陸揚げされた一部の荷を取り戻し、唐船を奪って強硬に帰国しようとしたようです。そもそもご朱印は、倭寇ではない証のはず。ですが、彼らがやったことは、海賊と同じです」
 詳しい事情を知らない龍之進は、言い返すことができなかった。
「龍王殿、倭寇に限りません。とにかく日本人がこれ以上暴走しないよう、まとめていただきたい。特に傭兵は、武器を扱えるので倭寇や野盗に流れやすい。なにかのきっかけで、暴徒になりかねない。我々は、それを一番恐れています。このままでは、一部のならず者のせいで、関係のない日本人まで処罰されかねませんよ」
(第8回へつづく)

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大村友貴美Yukimi Omura

1965年岩手県生まれ。中央大学文学部卒業。2007年『首挽村の殺人』で第27回横溝正史ミステリ大賞を受賞し、デビュー。他の著書に『奇妙な遺産』『犯罪に向かない男』『存在しなかった男』『梟首の遺宝』など。近著に『緋い川』がある。

  • 双葉社
  • 小説推理
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