双葉社web文芸マガジン[カラフル]

空の轍と大地の雲と(山田深夜)

イラスト:藤原 徹司(テッポー・デジャイン。)

第13回

第三章

「道畑君なら、立派な警察官になれると思う。でもさっき言ったように、消防の人たちも素晴らしかったからね。あっちも、やりがいは絶対あるよ。ともかくどちらに進むにせよ、またこの国になにか起こったら、現場で会って力を合わせたいな。一緒に、困っている人を救おうよ」
若松わかまつさん、とても興味深い話を、ありがとうございました。ぜひ、進路の参考にさせていただきます。僕、本当に感謝してます」
「それはこちらこそだよ。今ね、カウンセリングを受けた後のように、すっきりした気分なんだ。また頑張れる気がしてきたよ。やっぱり旅に出てよかった。じゃあお互い、気をつけて旅を続けようね。あ、あとあまり飛ばさないように。結構スピードが出てたよ。大きな事故や違反を起こしたら、採用試験の時にマイナスになるからさ」
「すみません。気をつけます」
 苦笑する直也に、ジェットヘルの若松は笑顔で頷いた。そして笑みを消し、バイクの上から敬礼してきた。衣服はまったくの、民間のライディングウェアである。だが、さすがに現職警察官だけあって、きりりとしたものを感じさせる。表情が引き締まり、背筋とともにグローブの先までピンとしているのだ。直也はどう返そうかと一瞬迷ったが、無帽だしそれ以前にもう民間人であるしと、三十度の辞儀にて答礼とした。
 若松が、広い路側帯から走り出した。交通課にいたこともあると言っていたが、なるほど安全確認をきっちりとした、毅然としながらも優雅ささえ感じさせる発進であった。
 若松が点となりすっかり消えるまで、直也は国道を眺めた。そうしてヘルメットを被り、ウルエ号に跨ってエンジンをかけた。若松が消えた反対方向にハンドルを向ける。
「まさかこんなところで、進路のアドバイスを貰えるとはなあ……」
 発進し再び路上の人となった直也は、風の中で思わぬ偶然に微笑んだ。
 直也は今朝旅館を出てキャンプ場に寄り、星岸町に向かい出発した。シャジがいるらしい町営の無料キャンプ場までは、峠ひとつに町ふたつ。地図で見ると、北海道らしい起伏とたおやかさに満ちた路線だった。そうして峠で右に左にと車体を傾け麓に下りると、向こうからライダーが現れた。これまでのように、互いに手を振り交差する。すると数分後、パッシングをするバイクがミラーに映った。直也を抜きながら、片手でジェスチャーを見せてくる。先ほどすれ違ったライダーであった。その左手の仕草は本当に巧みで、まるで言葉を発しているかのように意味が伝わってきた。左に寄って停まってほしい、と言っているのだ。訝りながらも、直也は素直に従った。
 ウルエ号を路肩に停めると、そのライダーがバイクを降りて近寄ってきた。うしろの荷物が崩れそうになっている、と言ってくる。直也は振り返った。峠を走ったためか積み方が悪かったからか、たしかに荷崩れしている。このまま気づかず走っていたら、思わぬことになっただろう。ライダーはそれを心配し、わざわざUターンして追ってきたのだ。そうして、この先にチェーン着脱所があるからそこで積み直したほうがいいとのアドバイスを受け、時間があるからうしろから見ていてあげると言ってくれたのである。
 厚意に甘えて走り出し、現れた広い路肩に二台で入ると、ついでだから私も休憩しようと、そのライダーはヘルメットを脱いだ。直也はその三十代の男に礼を述べ、荷物をすべて降ろしてくくり直すことにした。そして先ほどのジェスチャーの見事さを伝えると、男は躊躇う表情を見せたのち、身分を明かしてきた。なんと現職の警察官とのこと。たしかに渡された名刺には、静岡県警の巡査部長の若松なる名前があった。ただし、現在は休職中とのことだった。ならばと直也は、思い切って進路の話をした。将来、警察か消防に進みたいのだと伝えたのである。元自衛官だったことや、国土を守り国民を救う仕事がしたいと思っていることも正直に述べた。躊躇したが、除隊間近だったために去年の災害派遣には行けなかったことも。その直也の語り口の熱さにか、「私の経験が役に立つのならば」と、若松は路側帯の木陰に直也を誘ったのである。そして、警察官という職業の素晴らしさを語ってくれた。「消防も同じだと思うけど、国というより、郷土のために役に立っているという実感が持てるよ」と。ただ、気になることを付け加える。「メンタルのメンテは大変だけどね」と、うつむいたのだ。
 若松は、東日本大震災で被災地に派遣され、現地で仕事をしていたのだという。けれど激務と精神的なストレスにより、派遣終了後に、うつ病を発症させてしまったと、正直に明かしてくれた。それで思い切って休職したのだ、と。
 気兼ねはあったが、直也は警察と消防の働きをどちらも知っているであろう若松に、進路のアドバイスを求めた。うつ病の知識はないがフラッシュバックを気遣い、被災地ではなく地域での仕事を尋ねたのである。けれど若松は、被災地での警察と消防の活動を伝えてきた。「極限の状況でこそ、本質が見えてくるからね」と。若松は語ることで、自分自身と向き合おうとしているように、直也には感じられた。また若松の左手の親指に光るリングからも、その気概は察せられた。アクセサリー好きの母から、指ごとに嵌めるリングの意味をよく聞かされたのだ。たしか左手の親指の指輪には、困難を乗り越える、信念を貫く、といった意味があったはずである。
 若松の語る被災地での話は、とても生々しいものであった。幼い命を救えなかった、自分の無力さを感じたと、時折涙を浮かべる。もっと関係機関全体の連携が必要だったと、しきりに反省する。この人はとても真面目な人なのだと、直也は感じた。
 ともかくそれらを聞き、警察も消防も、現場で精いっぱい頑張り、悩んでいたことを直也は知った。そして、どちらの職務も崇高であることを実感した。
 そうして被災地での警察と消防の活動をひとしきり語り終えたあと、若松はとても意外なことを口にしたのである。
 行く手に、方面を示す案内標識が現れた。タンクバッグの地図にチラリと目をやり、直也は風の中に言った。
「『自衛隊の人たちが、かわいそうだった』か……」
 若松が発したその言葉に、直也はとても驚いた。若松は語った。消防の人たちもそうだが、私たちは遺体に慣れている。事件や事故などで、ひどく損壊した遺体を何度も見てきた。悲惨な現場にも遭遇してきた。けれどほとんどの自衛官はその経験がない。なので自分たちよりメンタルをやられた者が多かったはずだよ、と。
 若松はこうも言った。
「法執行機関である警察は治安秩序の維持、命のスペシャリストである消防や救急は生命の維持に注力したんだ。それぞれの得意分野だからね。じゃあ自衛隊の皆さんはというと、銃をスコップに持ち替えてくれた。そして、ドブさらいに励んでくれたんだよ。命を張った、命を見つける尊いドブさらい。でも見つかるのは、なきがらや思い出ばかり。ショックで呆然としたり、陰で号泣している自衛官をたくさん見たよ。黙々と働く自衛官の顏にも、涙の筋がついてるんだ。泥だらけの顔にね。彼らには、とてもきつい任務だったと思う」
 ヘルメットのシールドが、白く曇る。
「逃げ出した佐藤は、そんな状況に耐えきれなかったんだろうな。いや、それは僕だってわからないか……」
 ゆったりとした風の中で、直也は考えた。
 二度目の災害派遣を嫌がり駐屯地を脱柵した、同期の佐藤陸士長。それを自分は、「敵前逃亡だ」と一方的に怒り、心の中でなじった。けれど彼もそんな凄惨な現場で悲嘆と途方に暮れ、足がすくんでしまったのかもしれない。なにせ同い年の、世間知らずで人生経験の足りない若造なのだ。なにも知らない自分が、一方的に非難するのは間違っていたのかもしれない――。
「……やっぱりガキだよな、僕は。なにもわかっていない」
 ヘルメットの中でのつぶやきが、両の耳を通し、大きく頭骨に響く。それは低速のためだけではないだろう。
 ともかく若松との予期せぬ出会いは、思ってもいなかった恩恵をもたらしてくれた。警察と消防の職責、やりがい、そして厳しさを教わったのだから。さらに警察や消防から見た被災地での自衛隊員の姿という、これもまた思ってもいなかったことを教えてもらえた。
 直也は行く手に広がる青空を見上げた。飛行機が残したのだろう、空の真ん中に、霧消しかかっている白くて長い雲が浮かんでいる。まるで、空を二分しているような絵であった。
「ともかくこれで、ふたつの空がもっと見えてきたな。問題はどちらに進むか、か」
 すると父の言葉を思い出した。「空はふたつだけではない」。あれはなにを示唆したものだろうかと考える。単純に、ふたつに分けて判断しようとする姿勢を戒めたのかもしれない。白と黒、明と暗、そして晴れと雨。そんな二元論ではなく、世の中はその間もあり成り立ってるのだよと、伝えたかったのかもしれない。
「……たぶん、そうだ。旅に出ていろんな空を見てくるといい、とも言ってたし」
 その二分された左右の空から、中央で延びる、まるでわだちのような飛行機雲を見る。となるとこれが自分のいた自衛隊かなと、直也は思った。
 行く手から、大荷物を積んだライダーが現れた。ここまでのように互いに手を振り、バイク乗りの挨拶を交わす。
 すると今度は、風間の言葉を思い出した。旅とは見えない縁に気づく機会。そして縁は全部つながっている。本当にそのとおりだなと、直也は風の中で感じ入った。すると気づいた。
 これは単なるすれ違いではなく、人生や縁の交差なんだ――。
 これまでとは違う感慨が、直也の胸に湧いた。ライダーたちは皆、晴天と旅に喜ぶように手を振ってくるが、今の若松のように、それぞれが様々なものを抱えているのだ。そう思うと、この刹那に、なにか深い摂理のようなものを感じた。
 直也は、タンクバッグの地図にチラリと目をやった。シャジのいる星岸町に近づいても、前方の貫禄ある山々は、どっしりとしていた。左右に広がる原生林は、まるで永遠のように奥深く続いている。なんとちっちゃな自分たちだろうと、直也は銀色の路面を遡上する影に笑った。

「ようこそ星の岸、ホッケシへ!」の観光看板を過ぎてすぐ現れた道の駅にて、直也は早めの昼食を済ませた。そうしてウルエ号のもとに向かおうとすると、駐輪場に入りきれなかったのか、四輪の駐車場に大きなバイクが止めてあるのが見えた。車を降りた利用客たちが、物珍しそうに眺めながらその横を通り過ぎる。直也のバイクの知識は乏しいが、交通安全パレードなどでよく見かける大型車である。フルカバードされた車体に、サイドとリアの大きなトランク。巨大でありながら、流麗で優雅なスタイルである。この乗り手も旅人なのだろうかと直也は興味が湧き、ヘルメットを提げたまま、その大型バイクに向かった。
 そのバイクはサイドカバーのエンブレムから、ホンダのゴールドウイングというモデルであることがわかった。
「……ゴールドウイング」
 直也はハッとした。うしろにまわり、ナンバープレートを見る。横浜ナンバーである。「雑魚寝丼を注文しようとした旅人がいたが出さなかった」との、風間の言葉を思い出す。その男が乗っていたのが、この車種だったはず。そして横浜ナンバーだったと言っていた。とはいえ、同じライダーとは限らない。
 すると背後で人の気配がした。
「デジャブだ……」
 その声に振り向くと、四十がらみの男が立っていた。服装は上下とも黒色で、各関節をプロテクターで覆い、ポケットのやたらと多いベストをまとっている。手には半指のグローブを嵌めていた。腰のベルトには、水筒や多数のポーチが並んでいる。ともかく拳銃のホルスターがないだけの、まるで特殊部隊のような格好であった。
 男は口をへの字に曲げ、困ったような驚いたような、さらにはなにかを懐かしむような、とても複雑な表情をしていた。そして直也をじろじろと見て、手に提げたヘルメットに目を留めた。その短髪が直也の顔に向く。
「まさかとは思うが、うしろに乗せてくれとか、言わないよな?」
「え? いえ、僕も自分のバイクでツーリング中ですので」
 直也は、駐輪場に止めたウルエ号を振り返った。道外ナンバーのバイクが並んでいる。男はそちらにチラリと目をやり、言った己に呆れるように、苦笑しながら首を振った。
「いや、似たようなことが前にあってな。そしたら、とんでもない旅になっちまったんだ」
 ヒッチハイカーでも乗せ、面倒なことにでも巻き込まれたのだろうか。ともかく直也は、気になっていたことを訊いた。
「僕、風間食堂に泊まってるんですが、おととい雑魚寝丼を食べに来ませんでしたか? そこのご主人から、そのお客さんがこれと同じバイクに乗っていたと聞いたんですが」
 男は驚いた顔をした。
「俺だよ、それ。へえ……」
 こんなことがあるんだなとあたりを見渡し、男はタバコを取り出した。喫煙が可能かどうかを確認したらしい。喫煙所らしいものもないし、くわえタバコの利用客が多数いる。男はハイライトのパッケージから一本出し、口にくわえた。続けて、潰して平らになっている、紙パックの容器を取り出した。内側がアルミ箔で覆われているらしく、どうやら携帯灰皿として使っているようである。
 男がハイライトに火を点けた。直也は、いろいろと思い出した。
「八戸の知り合いからどんな味だか食ってきてくれと頼まれたらしいって、ご主人が言ってましたが、そうだったんですか?」
 男は美味そうに煙を空に吐いた。
「ずっと八戸にいたんだ。復興支援のボランティアでな。そこの知り合いに頼まれたんだよ。デブとノッポの兄弟によ」
「復興支援のボランティアで……」
 直也は感心した。するとなにを思ったのか、勘違いするなとばかりに、男は直也を睨みつけてきた。
「俺はそんな柄じゃあねえ。その兄弟には、ちっとばかし借りがあってな。それでいつの間にか、ずるずるとそんなことを続けちまっただけだ」
 直也には、どこか弁解じみて聞こえた。見た目と違い、シャイでセンチメンタルなのかな、とも思う。
 煙を吐きながら、男が続ける。
「とにかくその兄弟が、息抜きに北海道を走らせてやろうって思ったらしいんだよ、俺を。それと、ライハにでも泊めさせて協調性や社交性を身につけさせよう、って魂胆だったらしい。大きなお世話だ、まったく」
 そうは言うが、男は少し嬉しそうな様子だった。けれど、復興支援のボランティア。直也は、自分だけが浮かれて遊んでいるような罪悪感を、うっすらと覚えた。
 うつむき加減となった直也に、「それで?」と男が訊いてきた。
「ここまで来たってことは、今夜は星岸山のキャンプ場か? それともホテル泊か?」
「この町に、ホテルがあるんですか?」
 男は頷いた。どちらも見てきた帰りだという。ホテルはシングルなら空いていたし、キャンプ場もテントが余裕で張れそうだったと話す。
「あとホテルは、道外からの観光客対象の割引キャンペーンをしていたな。本州から来たんだろ? 免許証を見せれば安く泊まれるぞ」
 貴重な情報である。けれど直也は訝った。男はねぐらを探してまわっていたのだろうに、どちらにも興味がなさそうな口ぶりなのだ。直也は訊いてみた。
「キャンプ場にも、ホテルにも泊まらないんですか?」
 頷きながら、男はハイライトを紙パックで消した。元は日本酒の容器だったらしい。そうしてベストのポケットに仕舞いながら、言う。
「あそこはいいキャンプ場だが、俺向きじゃない。宴会も苦手だしな。ホテルも人がやたらといて、うざかった。まあどっちも、俺が行けばトラブルが起こるに決まってる」
「それは、なぜですか?」
 直也は素直に訊いてみた。すると男は苦笑した。
「俺が知りたいよ、それは」
 男は短髪の頭を搔いた。古傷らしいものがいくつも見える。
「とにかく、厄介ごとのほうから寄ってくるんだ。いつもな」
「では、今夜はどこに泊まる予定なんですか?」
「もっと人のいないところ」
「それは、どうでしょうか……」
 直也は昨日の旅人たちの言葉を思い出し、ゲジゲジやヒグマに注意したほうがよいと、失礼にならぬよう迂遠に伝えた。すると「上等だ」と、凄みのある笑みで男が言う。直也はゾクッとした。その表情に覚えがあるのだ。レンジャーの鬼教官だった陸尉りくいが、時折浮かべていた笑みだったのである。金色のレンジャー徽章きしりょうとともに、格闘の上級指導官の徽章も持つ上官であった。そしてその笑みが現れた後には、たいていなにかが壊れ、誰かが倒れていた。
 男が腕時計を見た。なぜか右腕に嵌めている。そしてその時計は、これもまたあの陸尉が愛用していた、ルミノックスであった。
 男がジェットヘルを被り、ゴールドウイングに跨った。エンジンをかける。こちらに向き、シールドを上げた。
「まだ先だが、町の真ん中に観光案内のでっかい看板があるから。それ見りゃあ町の様子がわかる。あとキャンプ場に行くなら、途中の分岐に注意したほうがいい。迷いそうな箇所があった」
 直也は礼を言った。そして、あの、と男に寄った。思い出したことがあるのだ。
「雑魚寝丼ですが、泊まらなくても食べられたのに、なぜ断ったんですか?」
 男は、苦々しい表情を顔に浮かべた。
「シャコなんか食えるか。あんな気色悪いもん」
 ゲジゲジやヒグマに「上等だ」と言い放つ男なのにと、直也は意外に思った。
「じゃあ、いいロンツーをな」
 男が走り出した。「ロンツー」とは、おそらく「ロングツーリング」の略だろう。
 男はモンスターともいえる大柄な車体を軽々と扱い、敷地を縫い国道に合流した。向かったのは直也が来た方向、つまり星岸町から離れる方角である。ヒグマの出るルートなのにまさかビバークするのではと心配になったが、それを上まわるサバイバルの知識や技術、そして格闘術を身につけていそうな、不思議な迫力を持つ人物であった。
「なんだか、小説にでも出てきそうな濃い人だったなあ……」
 直也は駐輪場に向かった。

 直也が、星岸町のにぎやかな町中に到着した。ここに着くまでにわかったが、星岸町は広大な農地と、これから見頃を迎えるのであろうコスモス畑に囲まれた集落であった。
 メインストリートらしい通りをゆっくりと流していると、イラストや簡単な説明を加えた、手書き風の大きな地図看板が現れた。ゴールドウイングの男が言っていたものであり、どうやらこのあたりが町の中心部らしい。コンビニ、セイコーマートの脇である。
 直也はバイクを路肩に停め、看板を見上げた。観光に力を入れている町らしく、展望台や物産館があり、町名にちなんでであろう、プラネタリウムが併設された星のテーマパーク「星岸スタービレッジ」がある。そしてたしかに、ホテルの絵も看板に描かれていた。すると直也が思う。
「入浴だけというのは可能なのかな……」
 シャジがいればキャンプ場に泊まるつもりだが、できれば一日の汗を流したい。それにホテルの料金やシステムを知っておきたい。直也はスマホを取り出した。
 検索し、ホテルのホームページにアクセスすると、立派なつくりであることがわかった。そして「立ち寄り湯OK」との表記があり、宿泊せずとも料金を払えば、足湯はもちろん、入湯も可能であることが確認できた。さらにゴールドウイングの男が言っていたように、道外観光客対象の宿泊割引キャンペーンも、現在実施中らしい。適用されれば結構割安で泊まることができる。ついでに「本日の宿泊状況」をタップしてみる。たしかに、シングルが数室空いていた。予約は電話でも可能――。
「だったら……」
 キャンプ場でシュラフに包まる覚悟でいたが、状況によってはホテル泊も選択肢に入れてもよいかと直也は考えた。
 その目指すキャンプ場はと、看板で探す。すると「町営星岸キャンプ場」なるテントのイラストが、上の端にあるのを見つけた。町外れの、星岸山の山中である。タンクバッグ内の地図と見比べてみる。デフォルメされた地図看板だが、位置関係はほぼ合っていた。
 ならば買い出しを先に済ますかと、直也は隣のセイコーマートに目をやった。セイコマは北海道で一番多いコンビニなのだが、どういうわけか機会がなく、まだ一度も入っていない。立ち寄ったコンビニは、なぜかすべて、関東にもあるコンビニチェーン店だったのだ。
 いよいよ「初セイコマ」かと、直也はワクワクした。けれど冷静に考えてみる。
「シャジさんが、そのキャンプ場にまだいるかどうか、わからないしなあ。ビバークできるかどうかも……。まだ時間が早いし、まずは行ってたしかめてみるか」
 直也はこのまま、星岸山に向かうことにした。
 観光客らしい人通りの多い一画をウルエ号で過ぎると、途端に空気が静やかになった。両脇の緑色の濃さが増し、道も勾配こうばい気味となってゆく。行き交う車も徐々に減り、直也は里から山に向かう心持ちとなった。
 タンクバッグの地図で確認しながら、森閑とした山道を進む。カーブで先ほどの町並みが眼下に見えた。だいぶ高所にいるらしい。そういえば気温も下がっている。そして道も細くなってきた。すでに、前にもうしろにも車の影はない。
 すると深い森の行く手に、Y字路が見えてきた。まったく同じ様相の道が、左右に延びている。とはいえ明確なY字ではなく、まるで枝毛のような角度のない三叉路である。よそ見でもしていたら道を違える場所だろう。
 直也は速度を落とし、あたりに首を巡らせた。だが場所や行先を示す、標識や看板は見あたらない。
「ははあ、ここだな……」
 ゴールドウイングの男の言葉を思い出し、直也はウルエ号を分岐路で停めた。地図で確認するが、細かすぎるのか載っていない。といって、誰かに尋ねようにも人も車も通りそうにない山中である。直也は現在地をマップで確認するため、スマホを取り出した。すると圏外のために表示されない。将来的には圏外でもGPSにてマップが見られるようになるだろうと言われているが、旅立つ前に調べても、そんなアプリはまだなかった。
 そうだ、と直也は、風間の言葉を思い出した。
「道に迷ったら、空を見上げること……」
 直也は上空を仰いだ。不思議に心が落ち着く。すると空の片側で、排気音が木霊こだましているのに気がついた。その音が、こちらに近づいてくる。しばらくすると、一方の道にバイクが小さく現れた。徐々に大写しとなる。旅人らしい、大荷物を積んだライダーである。こちらを見て迷っていると思ったのか、そのライダーは減速し、上体を捻り左手で後方を指した。こっちだよというジェスチャーである。直也は辞儀をして礼を伝えた。そして、互いに短くホーンを鳴らし交差した。
 直也は、そのライダーが現れた道にハンドルを向けた。
 やはりこちらの道だったようで、しばらく走ると、深かった森がパッと開けた。そして広くて奥行きのありそうな野営場が、どんと現れた。直也は、その出入り口のゲートの前でウルエ号を停めた。「星岸キャンプ場」の大きな看板があり、無料である由と〈夜は静かに〉〈直火での焚火禁止〉などが書かれた小さな看板が横に並んでいる。利用者の自主性とマナーに任せているので大切に使ってほしい、といった記載もある。
 直也はウルエ号の上から敷地に首を伸ばした。昨日ラムネエたちと会ったキャンプ場と同じく専用の駐車場はなく、サイトまで車が入れるようである。そしてサイトは、家族連れであろう大型テントで結構にぎわっている。車とともに、大人や子供の人影も多い。
 けれど、いくら無料で人気のあるキャンプ場だとしても、利用客が多すぎる気がする。すると、今日が土曜日だったことに気がついた。おそらくこのにぎわいは、その為もあるのだろう。
「でも、なんだろ、このヘンな感じは……」
 直也は、妙な違和感を覚えた。好天の野外であり、心身の疲れを癒すレクリエーション施設なのに、空気が澱んでいるように感じられるのだ。まあ気のせいだろうと、直也はゆっくりとウルエ号を敷地内に進めた。
 無料のためか、やはり昨日のキャンプ場同様に管理棟は見あたらない。けれど設備は段違いであった。きれいなトイレや屋根つきの炊事場があり、東屋やベンチがいくつもある。またオートキャンプ場としても名が知られているのか、キャンピングカーやバンが敷地内に何台も止まり、それぞれのルーフから広いタープや日よけを広げていた。その脇にはカラフルな大型のテントが、まるで施設の催事場のように並んでいる。利用客はやはり家族連ればかりで、皆パステル系の明るい色の服を着ていて華やかである。なるほどラムネエから聞いていたとおりの、ファミリーキャンパーが多い野営場であった。
 敷地の中ほどまで進み、直也がウルエ号のエンジンを切る。するとバイクの排気音らしきものが、あちこちから聞こえてきた。いずれも、小排気量車のエグゾーストノイズである。どこかにバイクの旅人がいるのかと見まわすが、そのような姿はない。というより、ここまでバイクのキャンパーは見かけていない。ということは、先ほどすれ違ったライダーだけが、バイクの旅人だったのだろうか。
 ともかくなぜに排気音がするのだろうと、直也はウルエ号を始動させ、音の聞こえる方に移動してみた。すると正体がわかった。小型の発電機である。そうしてその横に張られたタープ下のテーブルを見て、直也は呆気にとられた。場違いな調度品が並んでいるのである。
 目に入ったのは、電気炊飯器とホットプレート、電子レンジ、ジューサーミキサーなどの家電品であった。目を凝らすと、直也の家でも使っている、リキッド式の電気蚊取り器も見える。その家族は脇の東屋も占拠しており、そこには小型の冷蔵庫が置かれ、なんとテーブルの上で扇風機が首を左右に振っていた。ともかくこれら電気製品を使用するための、発電機の持ち込みなのだろう。けれどこれでは、屋根と壁がビニールになっただけで、日常となんら変わらない気がする。
「これもアウトドアなんだろうか……」
 直也は心から首を傾げた。
 そうして直也が、そのテントの主であろう大人に目を向ける。キャンプ用なのだろうが高価そうな椅子に座り、液晶ディスプレイに目を向けていた。DVDでも観ているらしく、「つまんない映画を借りてきちゃったな」とのぼやき声が聴こえてくる。子供たちはと目を移すと、皆がタブレットを覗いていた。こちらからは「ここじゃあ対戦ゲームができないよ」と、不満そうな声が漏れていた。直也がスマホを出してみると、先ほどの分岐点同様、ここも圏外であった。
 直也は、なにか息苦しさのようなものを覚えた。心からの笑い声は聞こえず、満面の笑みも見られない。野遊びに興ずる大人の姿はなく、転がったり走りまわったりする子供もいない。皆がじっと座り、青空の下で電子画面を見つめている。そして家にいる時と同様に、フラストレーションを溜めているように思える。太陽が輝き、山の上にある、こんな開放的な場所なのに。
 直也は気づいた。
「そうか。違和感の正体は、これだったのか……」
 すると、粘りつくような視線を背中に感じた。振り返ると、違う家族の大人たち数人が、胡乱うろんな目をこちらに向けている。嘲るような瞳や、蔑むような笑みも交じっていた。同じキャンパーなのにと、直也は訝った。
「まあいいや。それで、と……」
 直也は、あらためて駐車している車を見まわした。目的は、シャジに会うことなのである。けれどあの、特徴ある軽トラは見つからない。ここだと聞いたのだがと首を傾げるが、もうひとつ不思議に思う。やはりバイクがないのである。さらには昨日のラムネエやザックのような、個性的な旅人の姿も見かけない。するとラムネエの言葉を思い出した。「堅気のキャンパーに申し訳ないから」と、一般の利用客の迷惑や邪魔にならぬよう、あえて不便な場所に宿営すると言っていたのだ。旅人の仁義である。
「ということは……」
 直也はあたりを見渡した。するとファミリーキャンプのテントの奥に、もうひとつサイトがあることがわかった。そこは出入口から遠く、設備もなさそうである。そして間引きされたようなこちらと違い、木立ちが茂り薄暗い。ともかく、とても不自由そうな場所である。ならばあちらかもしれないと、直也はウルエ号を進ませた。

 ひっそりとしたその空間には、思ったとおり、多数のバイクが散らばって止まっていた。高所にあるキャンプ場のためか、自転車は見当たらない。
 直也がエンジンを切り、ウルエ号の上からそのサイトを見渡す。やはりベンチや東屋はなく、設備は仮設トイレと露天のステンレスの流し台だけである。さらに木陰が多いためか、地べたが少し湿っている。けれどその上に小さなテントがいくつも張られ、寛いでいる様子の旅人たちが何人も見えた。直也がさらに首を伸ばす。
 それぞれの使い込んだテント脇には、つながれた馬のようにバイクが佇んでいた。小型車から大型車まで様々だが、どの馬も汚れ、ここまでの長い旅路を感じさせる。そして乗り手たちの格好も薄汚れており、旅の半ばを思わせた。単色で濃い色の服が多いのは、道中の汚れを考慮してのことだろう。女性は少ないが、それでもちらほらといる。
 旅人たちは誰もが小さな折り畳み椅子やマットに座り、他者に配慮するように、こぢんまりと過ごしていた。そしてそれぞれが、旅の調度品に囲まれていた。ランプ、食器、テーブルとあるが、どれも小さく、粗末にさえ見える。だがどれも使い込まれ、持ち主の愛着ぶりを感じさせた。
 それらのために、全体的につましく慎ましく、地味な印象を受ける空間であった。けれど誰もが穏やかに笑み、ほがらかな会話が聞こえ、のんびりとした時間が流れている。苛立ちさえ感じさせるあちらの家族連れのサイトとは、まるで雰囲気が違っていた。
 直也はその、今通ったサイトをチラリと振り返った。隔離というと大袈裟だが、家族連れがバイク乗りを奥に追いやったようにも見えるが、それは違うだろう。ここはライダーたちがおのが意思で選んだのだ。となると、双方承知の上の棲み分けなのだろう。そして開けたあちらより、こちらの方が断然に開放感があり、幸福感に満ちている。ともかく「足りる」とはなにかを考えさせられる、星岸キャンプ場であった。
「でも、いないなあ……」
 直也はヘルメットの首を巡らせた。シャジのキャンピングカーが見当たらないのである。というより車自体が止められていない。いやここも意外に広そうであるし、見えない場所もあるのだが。
「とりあえず、と」
 直也はバイクを止めようと、硬そうな地面に移動し、サイドスタンドを出した。けれどそこも、スタンドの先が地面に沈んでゆく。平たい石でも探して下に敷くかと考えていると、誰かが近づいてきた。
「よ、おつかれさんっ」
 でっぷりと太った三十代の男が、人懐っこい笑みを浮かべて声をかけてきた。ジーパンにライディングブーツを履いているが、カスリ模様の作務衣さむえの上衣を羽織り、首に手ぬぐいをかけている。はだけた前からは、見たことのあるイラストが覗いていた。唇から舌の出た意匠である。母のCDコレクションの最前列に並ぶ、ローリングストーンズのシンボル的なロゴであった。
 お疲れ様です、と直也が挨拶を返すと、男が「待ってたんだ」と不思議なことを言う。首を傾げた直也に男は続けた。
「バイクの音がしたからさ。これ、使うんじゃないかと思って」
 男が、平たいなにかを差し出してきた。
「スタンドの下に敷くといいよ」
 男が持っていたのは、ぺしゃんこに潰れたスチールの空き缶であった。とはいえ板金でもしたように形が整っている。計算して、丁寧に潰したのだろう。直也は遠慮して手を振った。
「そんな、申し訳ないです。僕も作るか、石かなにか探しますから」
 違うんだ、と男が首を振る。
「さっき発ったやつが置いてったんだよ。誰かにあげてくれって。使い勝手がよさそうだし、そいつからのプレゼントだと思って貰ってあげなよ」
 直也は、先ほどすれ違ったライダーを思い出した。おそらく彼に違いない。直也は見知らぬその旅人に感謝しながら、では、と男の手から潰れた空き缶を受け取った。
 そうしてウルエ号から降りてサイドスタンドの下に敷き、具合を確かめていると、「ここは初めて?」と男が訊いてきた。はいと答えて男をチラリと振り返り、スタンドの様子を見る。地面との接地面積が広くなり、ウルエ号が安定した。沈み込む様子もない。直也は立ち上がり、男に向いた。先ほどの問いに、さらに答える。
「ここといいますか、これが初めてのロングツーリングなんです」
 そうなんだ、と男が、迫り出した腹のベロマークを搔きながら言った。
「じゃあ、いいキャンプ場に当たったと思うよ。とりあえずさ、そのさっき言ったやつのところが空いたから、そこにテント張ればいいよ。そこが気に入らなかったら、そうだな。今空いてるのは……」
 どうやら、泊まりに来たライダーだと思われたようである。親切にサイトを見まわす男に、直也は首を振った。
「いえ、僕、シャジさんって人に会いに来たんです。ここにいると昨日、他所で聞きまして。あ、シャジさんって方は、ご存じですか?」
「シャジさんなら、もちろん知ってるけど。じゃあキャンプじゃなくて、シャジさんに会うのが目的?」
 直也は頷いた。
「じつは、ライハの忘れ物を届けに来たんです。あ、僕、道畑直也と言います。それでですが、シャジさんは、まだここにいるでしょうか?」
 いるよ、と男は、また腹を搔きながら言った。
「おれもシャジさんと同じ日に到着して、同じく連泊してるからさ。あ、おれはキース。このキャンプ場ができて以来、ずっと毎年来てるんだ。よろしく」
 キースなる男が手ぬぐいで右手を拭い、こちらに差し出してきた。直也が握手する。掌が厚く、しかも硬かった。ともあれ「キース」とはこれもまたキャンパーネームだろうが、男に外国人のイメージはまるでない。すると腹のベロマークで思い出した。たしかストーンズのメンバーに、キースという名前のギタリストがいたはずである。母が大ファンで、来日公演の際に彼を我が家に招こうと、本気で考えていたのだ。結局宿泊先がわからず、実行にはいたらなかったが。ともかく「キース」なるキャンパーネームは、ストーンズに関係してのものだろう。
「それでキースさん、シャジさんは今どこに?」
 直也は訊いた。シャジさんはね、とキースは手ぬぐいで顔を拭った。
「シャジさんは、キャンピングカーを修理する部材を探しに、朝から町に出てるんだ。シェルのほうのね。車も調子悪かったみたいだけど、それは直ったらしいから。だからたぶん、夕方には帰ってくると思うよ」
「そう言っていたんですか?」
 疑ったわけではないが、直也は念のために確認してみた。キャンピングカーならば、そのままどこかで車中泊ができる。するとキースは、いや、と首を振った。
「帰るとは、はっきり言ってない。でも夜は毎晩宴会があるし、シャジさんはそれを楽しみにしてるんだ」
 なるほど、と直也は頷いた。しかし「宴会」がよくわからない。ここまで出会った旅人たちがよく口にしていたが、「宴会」と聞くとどうしても、自衛隊での体育会系のノリを連想してしまう。
「僕、初心者でよくわからないのですが」
 直也は正直に訊いてみた。
「宴会とは、会費制の飲み会、みたいなものですか? 新人が注いでまわったり、なにか芸をやらされたりする」
「かくし芸なんかやらされないよ」
 キースは呆れたように笑った。
「自分が飲み食いするものを用意して、輪に加わるだけだよ。夕食を兼ねる人が多いね。情報交換や雑談の場にもなってる。でも、べつに強制じゃないよ。参加も退席も自由。注ぐとか注がれるとか、『おれの酒が飲めないのか』みたいなのもない。無理強いはしないし、だいたいみんな貧乏だから余分に用意してないし。シャジさんだって、ひとりでインスタントコーヒーを黙々と飲んでるしね。ということで、幹事もいないし料金の徴収もないよ」
「へえ……」
 直也はその、旅人たちの宴会に興味を持った。
 ともかくシャジはここにいる。つまりは会える。忘れ物を渡すことが目的だが、会話し、どのような人間なのかを知りたい。そしてできることならば、自分の話も聞いてもらいたい。
「ということは、あれなの?」
 キースが腹を撫でながら訊いてきた。どうやら腹に手をやるのが癖らしい。
「道畑君は、テントは張らないの?」
 持っていないので、とウルエ号のリアの荷物をチラリと見て、直也は伝えた。
「でも、ポンチョやシュラフカバーがあるのでビバークはできます。といっても、ここだと、ちょっときつそうですね……」
 直也がつま先で地面をつつく。樹木が頭上で葉を茂らせているためか、やはり乾いた土ではない。またこちらは整地も満足にされていないようで、凹凸や斜面がある。急場しのぎに造った、または整備途中で放り投げた、といった案配の宿営地だった。その胸の内を読んだのか、「たしかに不整地だよね」とキースが苦笑いした。
「ここ、元は資材置き場だったんだ。それを町が、急ごしらえでサイトにしてくれてね。大喜びだったよ、おれたちには」
「どういうことですか?」
「うん。このキャンプ場ができた時から、あっちの利用客と、折り合いが悪かったんだ。なんというか、家族連れの人たちとは、話とか雰囲気とかが合わなくてさ。それ以前に、ライダーの小汚い格好をよく思ってないみたいで。おれたちはおれたちで、夜中まで騒ぐ家族連れにうんざりしててさ。それで一度、トラブルになったんだ。で役場の人がいい人で、ここを解放してくれてさ。それ以降、こっちが貧乏キャンパーたちの楽園になったんだよ」
 そんな経緯があったのかと、直也は思う。先ほどの不可解なファミリーキャンパーの視線も、これで意味がわかった。
「でも、そうだよな……」
 キースが地面をブーツで軽く蹴った。湿った土塊が重そうに散る。
「晴天が続くようだから、明日ならもっとマシな地べたになってると思うんだけど、これじゃあ下にシート敷いても、たしかにきついな。ここは山の中だから、結構、夜は気温が下がるしね。といってあっちの人たちが、東屋を空けてくれたり、ベンチで寝ることを許してくれるとも思えないしなあ」
 直也は思案した。シュラフカバーは米軍の使用しているものであり、ここの湿地でも充分使用に耐え得るだろう。だが借り物であり、伯父の遺品でもある。汚さず、大切に扱いたい。それにそう。麓にあったホテルなら、割引料金で宿泊できる。直也は決めた。
「町のホテルに空き室があるようなら、そちらに泊まります。ここはスマホがつながらないようなので、麓に下りて確認して。満室だったら、ここのどこかで、なんとかビバークしてみます」
「ああ、お金の余裕があるなら、それがいいね。てことはあれ? またここに来るんだね?」
 はい、と直也は返事した。
「シャジさんに忘れ物を渡したいので、ここに必ず戻ってきます」
「わかった。じゃあその前にシャジさんが帰ってきたら、君のことを伝えとくから。えっと、道畑直也君だったよね」
 直也は頷き、ここまでの礼をキースに伝えた。けれど、シャジが本当に戻ってくるのか気になった。宴会を楽しみにしているとはいえ、探しているというキャンピングカーの補修部品が入手できなければ、遠くまで足を延ばすのではないかと思ったのだ。キースに訊いてみる。
「シャジさんは、どんな部材を探しているんでしょうか? 特殊なものですか?」
「木端とスチールの金具。あのシェル、ほとんど木で出来てるみたいだからね。この町には製材所も鉄工所もあるから、たぶんそっちをまわってるんだと思う。手に入りそうだとも言ってたよ、シャジさん」
 ならば大丈夫だろう。するとキースが、でもなあ、と呆れたような声を出した。
「わざわざ、そんなところに行かなくてもいいのに……」
 キースが背後を振り返った。直也も目を向けるが、森の広がりが見えるだけである。その樹々をキースが顎で指す。
「この奥に、お宝の山があるってのにさ」
「お宝?」
 キースが頷いた。
「前から知ってたんで、おれが案内したんだけどさ。この森を抜けたところに、廃材なんかが捨てられてる場所があるんだよ。でもそこ、ゴミが不法投棄された私有地らしいんだ。それ言ったらシャジさんが、役場に出向いて確認してきて。そしたらやっぱりそうで、土地の持ち主と連絡が取れなくて役場も困ってるらしくてさ。で、私有地ならだめだ、町で探そう、ってなったんだ」
「不法投棄ですか」
「そう。北海道は多いんだよ。しかも規模がでかい。そこにもいろんなものが捨てられててさ。家電品から建築資材から車まで。シャジさんも、見て驚いてたよ。ともかく不法投棄でもゴミだし、活用したらいいのにと思って案内したんだけどさ」
 キースが体でも洗うように、手ぬぐいを両手でつかみ首筋をしごく。
「この夏はどこの無料キャンプ場でも噂で聞いてたし、会ってみたらたしかに善い人だとわかったけど、律儀というか馬鹿正直なところがあるね。シャジさんには」
 そういう人なのだろうかと直也が思う。ともかく話をしなければわからない。直也は腕時計に目をやった。ホテルの部屋を取るならば、早いに越したことはない。キースに辞儀をし、辞することを伝える。そしてサイドスタンド下の潰れたスチール缶を荷物に括りつけ、ウルエ号に跨った。そうしてセルを回そうとしたが、キースなるキャンパーネームが、やはり気にかかる。なんとなくギャップを感じるのだ。
 膨らんだベロマークをチラリと見て、キースさん、とこれも腹のように丸い顔に目を向ける。
「僕の母も大のストーンズファンなんですが、やっぱりストーンズ好きで、そこからキースと名がついたのですか?」
「ストーンズかあ」
 キースは笑いながら、腹の肉をつまんだ。まるで餅をつまんだように膨らんでいる。
「たしかにストーンズにも、おけさっぽい曲があるよね。シンプルなリフレインのさ」
「おけさ?」
 思いがけぬ言葉の出現に、直也の頭は空白となった。おけさとは「佐渡おけさ」などの「おけさ」のことだろうか? といっても、曲名としての知識しかないが。
 キースは苦笑し、こいつはさ、と腹のベロマークをポンポンと叩いた。
「こいつは、函館の『しまむら』で特売だったから買っただけ。函館であった民謡ショーを観た帰りにね」
「民謡、ですか」
 キースが嬉しそうに頷く。意外であるが、ロックよりはこの男に合っているように思う。とはいえ「民謡」と「キース」が結びつかない。
「じつはおれさ」
 キースが腹を撫でながら言う。
「大学院で、日本民謡を研究してんの。民謡が好きでさ。それでフィールドワークで、全国各地に伝わる民謡を探す旅をよくしててね。これも好きなバイクに乗って。今回も、北海道の民謡ショーをまわりながら、旅をしてるんだ」
 直也は驚き、また感心した。旅人の数だけ旅のテーマがあるのだなと感じ入るが、だとすると、ますますわからない。
「では、なにが由来で『キース』と?」
「あれだよ、あれ」
 キースが背後を指差した。
「出来合いのキャンプ用品だと、使ってて壊れちゃうんだよね。おれ、体重があるからさ。あれは折り畳める上に頑丈で、旅には必ず持ってくるんだ。バイク旅だと荷台にもなるし。でもああ見えて、飛驒高山ひだたかやまの太鼓職人に作ってもらった一点物でさ。で、いつの間にかキャンパーネームになったってわけ。あ、シャジさんも、いい造りだって感心してくれてさあ」
 自慢の逸品らしく、そちらに顔を向け、体中の肉を揺らしてキースが言った。だが、どこのなにを指しているのか、まるでわからない。というより、「キース」の意味がつかめない。直也は、定まらぬまま方々に視線を向けた。
「わからない? あれだよあれ。江差追分えさしおいわけの下」
 さらに謎な発言をし、キースがビームでも発射するように指をまっすぐに突き出した。いったいなにを言っているのだろうと、その指の先に、さらに目を凝らす。大型スクーターとテントの間にロープが張られ、「LOVE江差追分!」と染め抜かれたTシャツが干されていた。その下に、小さな木製のテーブルがある。いや、テーブルではない。上にクッション材が置かれている。そうか、と直也は理解し、苦笑した。自分もキャンプ用の小さな物は買ってきたが、座り心地はとても敵わないだろう。
 あの、木製のスツールには。
 麓に下りた直也が、再び地図看板の前にウルエ号を停めた。看板にてここからホテルまでの道のりは確認できたが、無駄足になることを避けるため、ここで電話してみることにする。
 そうしてスマホにて問い合わせすると、シングルならば一部屋空いているとのことであった。免許証などで道外在住の確認がとれれば、割引サービスも適用してくれるらしい。ならばと、直也が宿泊の予約を入れる。レストランでの食事をつけるか問われるが、隣にあるセイコマが目に入り、素泊まりを希望した。二日連続の宿泊施設の利用となるので、節約したいと思ったのである。通話を終え、直也は隣のセイコマに移動した。
 駐車場にウルエ号を止め、初めてセイコーマートの前に立つ。すると驚いたのが、営業時間の表示であった。終夜営業ではないのだ。けれどすぐ、己の感覚のほうがおかしいのでは、と思い直した。町中のコンビニであれ商店であり、働いているのは人間である。夜分に店を閉め体を休めるほうが自然だろう。なにより北海道らしい。都会の「不自然」が当たり前になってしまった自分が、逆に店から首を傾げられているように、直也には感じられた。
 そうして直也が店内に足を踏み入れる。すると今度は、食品の品揃えのオリジナリティに意表を突かれた。有名メーカーの北海道限定品は他のコンビニでも見かけたが、セイコマのプライベートブランド商品が充実しているのだ。こちらこそ北の大地でしか買えない限定品だなと、深く感じ入る。しかも、どれも安くて量が多い。
「な、七十八円!?」
 パンの耳のラスクを手に取り、直也は感嘆した。見間違いかもしれないと陽の入る窓際まで持ってゆくが、やはり価格は七十八円であった。つましい旅人の相棒だな、なるほど道民に愛されているコンビニチェーンだなと感心し、顔を上げてガラスの向こうの町並みを眺める。すると異形の車が端から現れ、直也は驚いた。
「シャジさん!?」
 セイコマの前を、特徴ある軽トラが横切ろうとしていた。直也はガラスに顔を近づけた。荷台に手作りらしい小屋を載せた、シャジのあのキャンピングカーである。運転者の横顔も、チラリと見えた。帽子を被っていたが、あの白い髭は間違いなくシャジである。走り去ったのは、先ほどのキャンプ場の方角であった。
 ガラスに自分の笑んだ顔が映る。これでシャジが、この地にいることが確実となった。手に持った、七十八円の商品に目を移す。つましさが、シャジと似ているように感じられた。
 ホテルにチェックインし、直也が荷物を部屋に運ぶ。まずは風間に電話し、ここまでの経緯を報告する。シャジを見かけたことを知らせると、風間は喜んでくれた。星岸町はいい町だからしばらくいるといいさと、風間は言ってくれた。
 通話を終了し、セイコマで買ったサンドイッチを口にくわえ、直也は荷物を整理した。外出の準備である。寝袋などを置き、必要な物だけをバッグに詰め替える。もちろん急ぐ必要はないのだが、そそくさと手が動く。シャジがあのキャンプ場にいると思うと、自然と気持ちがはやるのである。
 そうして整理をおえ、荷物を携え直也は部屋を出ようとした。するとドアノブに手をかけ、大事な忘れ物に気づく。シャジのあの、青いバッグである。落ち着け、と直也は苦笑した。
 ウルエ号に跨り、先ほどの山道を再び進む。やはり気持ちが急いているらしく、いつの間にか飛ばしていた。安全確認もおろそかになっている。事故はこういう時に起きるのだろう。直也はヘルメットの中で深呼吸し、速度を落とした。
 すると、おかしなことに気がついた。徐々に道が細くなっているのである。路面のひび割れも多く、そこから草が生えている。さらに進むと、道が未舗装路となった。直也が訝り、ウルエ号を停める。先ほどのキャンプ場までの道のりに、ダートはなかったのだ。見渡せば、風景にも覚えがない。直也は気づいた。
「あの分岐路を見落としたんだ……」
 直也は、シャジ会いたさに、そこまで気が急いていた自分が急に恥ずかしくなった。これでは、まるで子供である。ともかく引き返そうとするが、道が狭いうえに、轍のある砂利道である。無理をして転倒したくはない。
「仕方ないな……」
 転回しやすい場所を求め、直也は前に進むことにした。バランスを取り、慎重にアクセルを開ける。
 ゆっくりとダートを進んでゆくと、行く手のカーブの手前の草むらに、大きななにかが隠れているのが見えた。怪訝に思い、直也はそろそろと近づいた。
 それは草に埋もれた、放置車両であった。ナンバープレートはなく、ガラスは割られドアは外れ、車体はへこみ、び、全体が朽ち果てようとしている。不法に投棄されたのだろう。
 ここは人が近づかない捨てやすい場所なのだろうかと、あたりを見渡す。人家はなく、人の気配もまったくない。車の走行音も聴こえない。直也はさらにウルエ号を進め、カーブを曲がった。すると目の前に現れた光景に、思わず息を呑んだ。道の片側の平地に、なにかの残骸が、広範囲に散らばっているのである。まるで爆撃か戦闘でもあったような有様であった。正体をたしかめるべく、直也はゆっくりとウルエ号を前に進めた。
 残骸に見えたのは、建築資材や家電品などの、大量のゴミであった。これもまた、不法投棄に違いない。
「これはひどいや……」
 ウルエ号を停め、直也はその無残な広がりにつぶやいた。
 テレビ、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、マットレス、ソファー、自転車、エアコン、机、鏡台、クローゼット……。家庭で見かける、ありとあらゆる物がそこには打ち捨てられていた。便座やバスタブまである。ミニバイクや車のタイヤ、ランドセル、仏壇もあった。それらが二重三重に積み重ねられた箇所もある。そして解体工事で出たのだろう、コンクリートやブロック、柱などの家屋の残骸。ともかく人為的に捨てられた不用品の、おびただしい量である。
 もしかしてと、それらの反対の森林に目を凝らす。樹々の間から、ファミリーテントのであろう彩が見えた。どうやらここが、キースの言っていた不法投棄の場所らしい。キャンプ場からは、車などで直接こられない地形である。
 するとなんだろう、妙な既視感を覚えた。また、形容しがたい重苦しさも感じる。ともかく、長居はしたくない空間である。
 直也は顔をしかめ、ゴミの間でウルエ号を転回させた。

 やはり道を間違えていたらしく、直也が分岐点まで戻る。同じような道であり、気が急いていたために見落としたか、脇見でもしていて誤ったのだろう。
 そうして本来の道に入り、キャンプ場に到着する。ファミリーキャンパーを他所目に奥のサイトに向かうと、シャジの軽トラが見えた。シャジがその脇に屈み、カンカンと音を立て、なにか作業をしている。直也はまずはウルエ号を止めた。もちろんサイドスタンドの下には、キースから渡された潰れたスチール缶。直也はヘルメットを脱いでミラーに掛け、シャジのバッグを入れたセイコマのレジ袋を出し、キャンピングカーへと歩を進めた。ハンマーを振るうシャジはやはり作業服姿であり、そしてやはりその袖口は、ブラテで巻かれていた。
 近づくと、シャジは一斗缶にマイナスのドライバーを当て、ハンマーで叩いていた。まるで金バサミで切るように、まっすぐに切れ目が入ってゆく。金属加工も得意らしく、とても熟練した技に思える。歩み寄って見とれていると、気づいたらしいシャジが、帽子を被り直しながらこちらに白い髭面を見せた。
「やあ」
 風間食堂のライハの屋根から振り返った時のように、シャジの鼻の頭のレンズが反射した。眼鏡のツルにも、あの時と同じくブラテが巻かれている。顏の半分を覆う白い髭も、きれいに整えられていた。ただその髭のせいで、やはり表情が読みづらい。だが毛皮のように頰の髭が波打ったことから、微笑んでいるらしいことがわかった。直也も、自分の頰が緩んだのを感じた。
 立ち上がったシャジに、直也は丁寧に辞儀をした。「いなくて悪かったねえ」とシャジが言う。やはり横浜の響きではない。
「キース君から、全部聞いたよ。わしの忘れ物を、わざわざ届けにきてくれたんだってねえ。居場所を、だいぶ探したんじゃないのかい?」
 地方人が標準語を意識したようなイントネーションであった。けれど声音は穏やかである。直也は首を振り、昨日寄ったキャンプ場でラムネエとザックに会い、ここを教えられたことを伝えた。そうだったのかとシャジが頷く。直也がさっそく、忘れ物の木工セットをレジ袋から出して渡す。シャジが喜んだのが、今度ははっきりとわかった。
「ありがとう。風間さんに連絡しようと思っていたんだが、ついつい先延ばしにしてしまってねえ。そうしているうちに、どんどん東に来てしまったんだ」
 そうでしたか、と直也は頷いた。そして麓のセイコマの店内から偶然見かけたことを伝えた。すると、農家からジャガイモを貰った帰りだったとシャジが言う。直也は少し不思議に思った。
「キャンピングカーの修理で、出かけていたのではないんですか?」
 直也が軽トラをチラリと見て訊いた。シャジは頷いた。
「鉄工所と製材所をまわって、場所を借りて直してきたんだ。それでねえ……」
 それで製材所でヒノキの皮むきをしているのを見かけ、経験もあり手伝ったという。すると見ていた社長から裏の実家にまわってくれと言われ、そこにあった農家から、麻袋いっぱいのジャガイモを貰ってしまったのだと話す。
「ということでねえ……」
 シャジが流し場に顔を向けた。キャンパーが何人も集まり、わいわいとなにかやっている。直也は首を伸ばした。洗い物をしたり包丁を握っていたり、小型の鍋でなにかを煮込んでいたり。調理なのか下ごしらえなのか、めいめいが楽しそうに会話しながら作業している。まるで林間学校で、カレーでも作っているような雰囲気であった。シャジが手を振ると、気づいたキャンパーが、嬉しそうにこちらに返してきた。
 シャジが直也に向き直った。
「ということで今夜は、ジャガイモパーティーをすることにしたんだよ。できることなら、道畑君にも参加してほしいな。手伝いも含めて、だけどねえ。どうかね?」
 断る理由はない。というより、ぜひ参加したい。そのつもりで、宴会用の飲食物もセイコマで買ってきたのだから。そしてキャンパーの人たちをもっと知りたいし、なによりシャジと話がしたい。
 宿を取ったのでここには泊まれないがと前置きし、参加させてほしいと直也は申し出た。そして、あとで話がしたいともシャジに伝えた。シャジは目を細め、無言で頷いた。
「ところでシャジさん、これはなにを作っているんですか?」
 直也はシャジの足元にある、横倒しになった一斗缶に目を向けた。横になった側面を、切り取っているようである。取っ手のある面はすでに半分切り取られ、口が開いていた。
「木端と一緒に、製材所で貰ってねえ……」
 シャジが一斗缶に屈んだ。ここまでで感じていたが、シャジの語尾のイントネーションは独特であった。そして「ね」が多い。東北訛りのような気がするが、口癖かもしれないし、はっきりとはわからない。しかしなぜだろう。女性語に近い優しい響きのはずなのに、温かさのようなものは、あまり伝わってこなかった。
 シャジが一斗缶を、縦にし、横にしながら言う。
「これでさ、焚き火台を作ろうと思ったんだ。ここは直火禁止だからねえ。やっぱり、キャンプには焚火があったほうがいい。これなら炎を楽しめるし、煙は虫よけになる。暖も取れるし、カマドにだってなる。みんなも喜ぶんじゃないかと思ってねえ」
 なるほど、と直也はすべてに納得した。ジャガイモといいこの焚き火台といい、こんな配慮が、皆に慕われている理由なのだろう。そして風間の推察も思い出した。あの人は暗くて深い穴を抱えているが、他人を慮ることでその穴を埋めようとしている、と言っていたのだ。といって人生経験や観察眼のない直也には、その「穴」はまったく感じられなかったが。
 するとそのシャジの足元に、暗くなった時のためであろう、ライトがあることに気がついた。その特殊な形状に直也はハッとした。L字の形をした、軍用の懐中電灯である。同じL型ライトが、駐屯地の売店で売られていたのだ。電池蓋内にシグナル用フィルターが内蔵され、本体裏面のクリップでベルト類に挟め、なにより立てて使うことができる、米軍が使用していたものを模したものである。ただこれは、その便利さからであろう、民間でも広く作られ販売されている。
 ともかく自衛隊に関する訊きたいことが、直也の喉元まで込み上げてきた。だがあとで尋ねられるし、シャジも作業に戻っている。直也はシャジに辞儀をし、流し場のキャンパーたちのもとに向かった。
(第14回へつづく)

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山田深夜Shinya Yamada

1961年福島県須賀川市生まれ。地元の高校を卒業後、横須賀市で私鉄職員として約20年間勤務する。99年、専業作家になるため退職。2007年『電車屋赤城』が吉川英治文学新人賞の候補になり、09年「問題小説」掲載の「リターンズ」が日本推理作家協会賞短編部門にノミネートされる。他の著書に、「本の雑誌」で「2005年上半期ベスト10」に入った『横須賀Dブルース』、『千マイルブルース』『ロンツーは終わらない』『横須賀ブロークンアロー』『ひとたびバイクに ツーリングを愛する者たちへ』『風になる日』などがある。愛車はホンダワルキューレ。

  • 双葉社
  • 小説推理
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