双葉社web文芸マガジン[カラフル]

あなたに会えて困った(藤崎 翔)

イラスト:岡野賢介

第5回

回想・1996年9月~1997年12月

 ポケモン事件の前に、マリアが転校してきてからの日々を、改めて振り返る――。
 俺やタケシと同じ五年一組に転入したマリアは、女子よりも俺たち男子とよく遊んでいた。運動神経がよく、当時の俺たちより背も高かったマリアは、男子に交じってサッカーをしても十分戦力になった。小学校低学年でJリーグ開幕を迎えた俺たちにとって、学校の休み時間はほぼサッカー一色だったけど、下校後や休日の公園では、人数が集まればサッカーやけいどろ、人数が少なければ缶蹴りなどと、その場の思いつきで遊びが決まった。
 公園での遊びで、記憶している限りで一番ひどかったのは、落ちている犬のフンを木の枝で打って遊ぶゴルフ、通称「ゴルフン」だ。強く打ち過ぎたらフンが弾け飛び、みんなで「ぎゃ~っ」と叫んで逃げ回ったり、プレー後の木の枝で恐怖のチャンバラごっこが始まったりと、悪ノリの限りを尽くしたその遊びは、最後はタケシが打ったフンがOBになって公園を飛び出し、外の道路を散歩していたお爺さんの目の前にぽとりと落ち、「お前ら何やってんだ!」と激怒され、学校に苦情が入り、「団地の公園で犬のフンを使った下品な遊びをしている子たちがいるそうです。みんな絶対にやらないように」と担任の先生からお達しがあったことで終わったと記憶している。思えば、帰りのホームルームで「こんな遊びをしている子がいるという苦情が入りました」と報告される遊びは、ほとんどタケシや俺が発明していた気がする。
 火遊びもしょっちゅうしていた。近年は公園での花火が禁止されつつあるらしいけど、当時の俺たちは大人の付き添いもなく、ネズミ花火や煙玉に百円ライターで火をつけて盛り上がっていたし、ロケット花火を二チームに分かれて撃ち合ったりもしていた。たしかあの遊びも、最後は学校のホームルームで「公園でロケット花火を撃ち合っている子たちがいるそうです。危険なので絶対にやめましょう」とお達しがあって、禁止になった記憶がある。ただ、のちに大人になってから北野武監督の映画『ソナチネ』を見た時、海岸でヤクザたちがロケット花火を撃ち合って遊ぶ名シーンがあったので、小学生時代の俺たちの発想は金獅子賞レベルだったんじゃないかと、ちょっとうれしくなったのを覚えている。
 さらに、公園の地面から粘土を掘って土器を作り、落ち葉や枯れ枝で焚き火をして縄文時代と同様の方法で焼くという、もはや火遊びの範疇はんちゆうにとどまらない、考古学的で知的な遊びもしていた。まあ、知的といっても、粘土をとぐろ状に巻いたものを焼いて「できた、カチカチの巻きグソ!」なんて喜んでいたレベルだけど。
 俺とタケシはほぼ毎日、公園のレギュラーメンバーとして、そんな遊びをしていた。準レギュラーとして同級生のツヨシやガイルがいて、そこに新たにマリアも加わるようになったのだ。
 マリアが俺たちと公園で遊ぶようになった要因として、弟のケントがいたのもある。ケントは二つ年下で、毎回ではなかったけど、マリアと一緒に公園に来て、俺たちともよく遊んでいた。ちなみに、ケントはちゃんと漢字で書く名前だったのに、マリアはカタカナだから、「親が私の時は手抜きしたみたい」とよく不満げに言っていた。
 ただ、マリアが男子に交じって遊ぶようになった最大の理由は、別のところにあった。
 マリアは、同級生の女子グループになじめなかったのだ。
 女子の人間関係が難しいことは、俺たち男子にも分かっていた。俺たちの同級生の女子は、マルコ、サエ、シノラーあたりが強い権力を持っていて、常に争いが起きていないと気が済まないのか、気に入らない女子をたびたび仲間外れにしていた。――ちなみに、サエは本名だったけど、シノラーは、当時超ハイテンション女子高生キャラでブレイクし、まさか二十年後には慎ましやかな大人のタレントになるなんて想像もできなかった篠原ともえに、顔が少し似ているというだけの理由であだ名が付けられていた。今では本名すら思い出せない。
 そんな女子グループに、転校生で、外国にルーツがあるマリアは、残念ながらすんなり入ることができなかったのだ。ただ、マルコらのようなリーダー格の女子でも、たまに仲間外れにされたり、かと思えばまた仲直りしたりしていた。群れの中にいるために片時も油断できない人間関係のシビアさは、男子の立場から傍観しているだけでもひしひしと伝わってきた。
「マジで女子って陰湿だよな。男子はあんな仲間外れとか無視とかしないもんな」
「本当だよな。気にすることないよ、マリア」
 いつだったか、俺とタケシでそんな風にマリアを慰めたことがある。たしか、学校で何かの班を決める時にマリアだけ仲間外れにされたとか、そんなことがあった日だと思う。
「別に気にしてないよ。こうやって男子と遊んでる方が楽しいし」
 マリアはそう言った後、語気を強めた。
「でも、私のことはいいけど、お母さんのことを外国人だからって悪く言われるのは、本当にむかつく。それも陰でこそこそ言うの」
「俺らは言わないよな。言うとしても正々堂々言うもん。変な噂も流したりしないし」
 俺の言葉に、タケシもうなずいた。
「そうだよ、サエとかひでえよな。あいつしょっちゅう陰口とか悪い噂流してるもんな」
「そういえばサエって、志村けんが死んだっていう嘘も流してたよな」
「ああ、そうだったな。サエの親戚が勤めてる病院に、ゴルフ場から志村けんが運ばれてきて、そのまま死んだとか、ずいぶん詳しい嘘を作ってたよな」
「ふざけんなよな。俺たちのバカ殿を勝手に殺しやがって」
 最終的に俺たちは、マリアの話題からそれて、志村けん死亡説にだまされた恨みを思い出して怒っていた。――そう、あれは俺たちが小学五年生の年、当時まだ後ろ髪を伸ばすことで頭髪減少への抵抗を試みていた志村けんが、北関東で死亡したというデマが流れ、最後は本人が自ら否定する事態にまで発展したのだ。近年フェイクニュースなんてものが騒がれているが、あんなのはネットの普及前からあった。というか、当時あんなデマを率先して流していた輩が、ネットという悪ふざけ増幅装置を手に入れ、より悪質な嘘を流すようになったのだろう。

 当時の俺は、マリアに淡い恋心を抱きつつ、同じ転校生という立場でのシンパシーも感じていた。ある時、俺はマリアと、それぞれが転校してきた理由について話したことがあった。
「うちは、お父さんの仕事の都合で引っ越してきたんだ」
 マリアが言ったのに対して、俺は自分の事情を説明した。
「俺は、父さんが死んじゃったから転校したんだ」
「え、そうなの?」マリアが驚いた。
「俺が二年生の時にがんになって、入院にお金がかかった上に、いい保険にも入ってなくて、最終的に父さんが死んじゃったから、住んでた家から引っ越さなきゃいけなくなったんだ」
「ごめん……つらい話をさせちゃったね」マリアは悲しそうな顔で言った。
「ううん、大丈夫」
 今思えば不謹慎だけど、俺はどこかマリアに自慢しているようなところがあった。俺はこんな大変な家庭環境で生きてる苦労人なんだぜ、どうだ格好いいだろ、みたいな気持ちがあったのを覚えている。
 元気な頃の父の記憶は、ほとんど残っていない。どんな会話をしたのかすら、ろくに覚えていない。仕事人間で、休日出勤も多く、あまり家にいなかったせいもあるだろう。ただ、仕事から帰ってきた後、宿題を分かりやすく教えてくれた記憶は残っている。九九を習った時に、「九の段は一番難しいように思えるけど、十の位が1ずつ増えて一の位が1ずつ減っていくから実は簡単なんだよ」と説明されたことだけ、やけにはっきり覚えている。そんな父の影響もあってか、俺は小さい頃から勉強が好きだった。
 あとは、お見舞いに行くたびに痩せていき、最後は病院のベッドの上で眠ったままになっていた父の記憶がぼんやり残っているだけだ。主治医が一生懸命手を尽くしてくれていたのは、子供心に分かった。たしか太田という名前の医師だった。でも、結局父は助からず、父の死後、母はホステスとして働いて、今は母一人子一人の生活だ。――という話を俺が打ち明けると、マリアは泣き出しそうな顔になっていた。
「本当に、大変だったんだね。うちも、あんまりお金ないし、母親が外国人だから色々言われたりするけど、お父さんを亡くしてお母さんが一人で働いてるって、すごく大変だと思う……。ちょっと泣きそうになっちゃったもん」
 そこで話を終わりにしてもよかった。でも、どういうわけか俺は、泣ける話で終わらせたくない、全部マリアに話そうと思ってしまった。夫の死後、女手一つで苦労しながら息子を育てている。――そこまでなら美談だが、母はそんな一筋縄でいく人間ではなかったのだ。
「いや、それがさあ、そんな感動的な話じゃないんだよ」
「えっ?」
「だってうちの母さん、父さんが死んでから三ヶ月ぐらいで、もう彼氏作ってたんだから」
「うそ……」マリアは目を丸くした。
「もう四十近いのに、自分のこと恋愛体質とか言っちゃってるし。しかも、なんか後から聞いたら、父さんが入院する前から、夫婦仲も父さんの実家との仲も、うまくいってなかったんだって。それで、父さんが死んでスナックで働くようになったら、すぐ他の男見つけてやんの。『お父さんは元々三番手だった』とか、『お父さんに本気で惚れて結婚したわけじゃなかった』とか、平気で言ってるぐらいだもん」
 俺はマリアに洗いざらい喋った。――母は、特別美人ではないが、小柄で色白で、男好きのする顔だったようだ。そして、父の死後「この人、お母さんの彼氏」と母に紹介された男は、合計で十人近くいたと記憶している。まあ相手の男も、惚れたホステスの家に行ってみたら、子持ちだと知って尻込みしたのだろう。ほとんどの男を二度と見ることはなかった。
「しかも母さん、『実はお父さんの担当のお医者さんも狙ってた。でも結婚してたし、浮気しそうになかったからあきらめた』とか言ってたからね」
「えっ……それはさすがに嘘なんじゃないの?」マリアは複雑な顔で言った。
「いや、たぶん本当だと思うよ」
 母は家で、缶の梅酒を飲んで酔っ払いながら、小学生の俺を相手にそんなことまで語っていたのだ。真剣に父の治療に取り組んでいた主治医の太田先生に対して、母が色目を使っていたことを、よりによって母自身の口から聞かされた時は、俺もさすがにショックだった。もっとも、マリアの言った通り、母が酔った勢いで誇張した話だったのかもしれないけど。
 俺の家庭の事情は、タケシら同級生もだいたい知っていたけど、ここまで詳細に話したのはマリアだけだった。ただ、マリアもあの話を聞いて、さすがに引いていたようだった。「そっか、色々大変だったんだね」と引きつった表情で言って、その後さりげなく話題を変えられたような記憶が残っている。
 でも一方で、あそこまで腹を割って話したから、その後もマリアは、俺のよき理解者でいてくれたのだろう――。

 小学生のうちは、ほとんど毎日のように、マリアと一緒に遊んでいた。何度か、マリアの母親とも顔を合わせたことがあった。マリアによく似た目鼻立ちのはっきりした美人で、日本語は少し片言で、「こんちわ~」とか「マリア遊んでくれてありがとね~」と、いつも俺たちに声をかけてくれた。
 タケシは、よく俺たちの前で「ありがとね~」とか「サッカーやりましょね~」なんて、マリアの母親のモノマネをしていた。でも、マリアの前では絶対にやらなかった。やっぱりタケシも、マリアを異性として意識して、嫌われないようにしていたのだろう。
 ――そんな、小学六年生の、もうすぐ冬休みという日だった。
 その日は、俺とツヨシとガイルと、マリアとケントと、もう名前も思い出せないケントの同級生の計六人で、三対三のサッカーをしていた。もちろん普通の児童公園にサッカーゴールなど無いので、広場の両端に植えてある木の「この木からこの木までがゴール」という決め方だった。たしかあの頃のサッカーは、全力で猛ダッシュすると「よっ、岡野!」と声がかかり、決定機で外しても「おいっ、岡野!」と声がかかった。そしてゴールを決めた後は、カズダンスか、片膝をついて額に指を当てる「ビスマルクのお祈りポーズ」をしたものだった。
 タケシはこの時期、毎日公園には来なくなっていた。というのも、タケシは中学受験をしていたのだ。田舎の小学校の、二クラスしかない俺たちの学年で、中学受験をしたのはタケシだけだった。利根川とねがわ学院という、地域では名の知れた名門私立の中等部が志望校だった。
 ただ、中学受験はタケシ本人の意思ではなく、医者である父親の意向だったようで、「中学なんて何もしなくても入れるのに、わざわざ受験して、受かったら友達と離ればなれになって通学時間が超長くなるとかマジ意味分かんないよな」と本人が言っていたのだから、結果はだいたい予想できていた。実際、公園に来る頻度が減っていたとはいえ、タケシはしょっちゅう塾をサボって顔を出していたのだ。
 そして、その日もタケシは、俺たちがサッカーに飽きてきた頃に現れた。自転車でやってきた時点ですでにニヤニヤしていたので、何かを企んでいることはすぐに分かった。
 タケシは、自転車のかごに積んだリュックの中から、VHSテープを取り出して言った。
「これ、昨日のポケモンのビデオなんだ」
 タケシが自宅で録画していたのか、それとも学校や塾の友達から借りてきたのか、今となっては覚えていないけど、俺たちはタケシの言葉を聞いて一斉に色めき立った。
「えっ、あのニュースになってるやつ?」
 この前日、テレビアニメ『ポケットモンスター』の演出で、赤や青の光の点滅が多用され、それを見ていた全国の視聴者のうち百人以上がめまいを起こして入院した、のちに「ポケモンショック」と呼ばれる事件が起きていたのだ。子供向けのアニメの冒頭で「テレビをみるときはへやをあかるくしてね」といったテロップが出たり、記者会見のニュース映像で「フラッシュの点滅にご注意ください」とテロップが出るようになったのは、あの事件がきっかけだった。
 ただ、放送翌日の時点で、小学生の俺たちが知っていたのは、「昨日のポケモンを見て気分が悪くなった子供がちょっといるらしい」という程度の情報だった。
「今日、うちの母親出かけてるからさ、うちのビデオでこれ見ないか?」
 タケシは楽しみで仕方ないという表情で、俺たちを誘ってきた。
「へえ~、すげえ」
 二歳下のケントとその友人は、興味津々の様子だった。だが、マリアはきっぱり言った。
「私とケントは行かないから」
 姉としての責任感だったのだろう。マリアはケントの前にさっと立ちはだかった。
「なんだよ、ビビリだな~」
 タケシは少々がっかりした様子だったが、すぐ俺たちに向き直った。
「他は全員来るだろ?」
「いや、俺行かねえわ。昨日弟と見たし。別になんでもなかったよ」ガイルが言った。
「ガイル、明るい部屋で見たんじゃないか? 暗い部屋で見たら全然違うらしいぞ」
 タケシが言ったが、ガイルは首を傾げながら答えた。
「いや~、俺たぶん、そういうの大丈夫なんだよね」
「おいおい、さてはガイル、びびってんじゃねえか?」
「はあ? びびってねえよ。マジで大丈夫だったっつってんだろ」
 ガイルが詰め寄ると、「ああ……そうか」と、タケシはおとなしく引き下がった。ガイルは俺たちの中で一番早く第二次性徴を迎え、身長と運動能力が急激に伸びていたので、喧嘩になりそうな場面ではタケシは引き下がるようになっていた。
 そこで、ちょっと重くなってしまった空気を察して、俺は言ったのだった。
「じゃあ俺、見に行こうかな」
「お、ヨッシー来るか? ツヨシも来るだろ?」
「あ、うん、行く」ツヨシはうなずいた。
 こうして、俺とタケシとツヨシの三人で、例のポケモンのビデオを見ることになった。マリアは最後まで「やめときなよ~」と止めていた。しかしタケシは「怖いなら来るな。俺たちは挑戦する」と格好つけて言い残し、俺たちとともに公園を出発した。
 ほどなくして、タケシの家に到着した。
「ただいま~。友達連れてきた」
「お邪魔しま~す」
 俺とツヨシは、タケシに先導されて家に上がった。
「おかえりなさい。……ああ、お友達も、ようこそいらっしゃい」
 迎えてくれたのは、野田さんという五十代ぐらいの家政婦のおばさんだった。タケシの家で野田さんを見るまで、俺にとって家政婦というのはフィクションの中だけの存在だった。ちなみにタケシの母親は、仕事をしているわけでもないようで、野田さんが家のことをやってる間に何をしてるんだろう、と思ったこともあったけど、立ち入った家庭の事情を聞かれたくないのは俺も一緒だったので、タケシに聞いたことはなかった。
 俺がタケシの誘いに乗ったのは、もちろん噂の映像を見たいという好奇心もあったけど、タケシの家に行けば必ず高級なお菓子が食べられたから、それを目当てにしていた部分もあった。
 この日もタケシは、自分の部屋に俺とツヨシを案内した後、いったんリビングに下りて、「これ食いたいか?」とゴディバのチョコレートを持ってきてくれた。
「おお、ありがとう、いただきます」
 俺はさっそく手を伸ばしかけた。ところが、タケシはチョコレートの箱をさっと引いた。
「おいおい、俺は『食いたいか?』って聞いただけで、まだ食わせてやるとは言ってないぞ」
「へえ、失礼しました兄貴。おいらにうまそうなチョコレートを食わしてくだせえ」
 俺はまたペコペコと頭を下げ、卑屈な貧乏人のミニコントを演じた。――こんなやりとりを、たぶん俺はタケシと百回以上やっていたと思うけど、あくまでもコントというていだったので、心はまったく傷ついていなかった。今考えれば、もう少し傷ついてもよかった気がする。
「しょうがねえ、食わしてやろう」タケシがうなずいた。
「ありがとうごぜえます兄貴!」
 俺は喜んでそれを食べた。正直、その時点でもう満足で、ポケモンのビデオなんてどうでもよくなっていた。
「これうまい! クリームが入ってる」
 ツヨシも感激した様子で、口の中から食べかけのチョコを取り出して見ていた。それを見て俺とタケシは「馬鹿、汚えな」「ツヨシ、しっかりしろ」と言って笑った。
「じゃ、そろそろ見るぞ」
 タケシが、部屋の明かりを消してカーテンを閉めてから、例のポケモンのビデオテープを、テレビデオに入れた。――テレビとビデオデッキが一体になったテレビデオは、今では骨董品の域に入っているだろうが、当時は最先端の家電だった。
「電気つけないとだめだよ」
 ツヨシが言った。でもタケシは、すぐに言い返した。
「それじゃ面白くねえだろ。ツヨシ、しっかりしろ」
 ツヨシは、ことあるごとに、その少し前に放送されていた『ツヨシしっかりしなさい』というアニメのタイトルにちなんで、みんなから茶化されていた。――ツヨシは勉強も運動も得意ではなく、会話もあまりうまく続けられない子だった。たぶん今だったら、学習障害とか自閉症スペクトラムとかADHDとか、そういった診断が下っていたのだろう。でも、当時はそんな言葉はなかった。いや、専門家の間ではあったのかもしれないけど、世間一般には広まっていなかったし、ツヨシは特別な配慮など一切されずに、俺たちと同じ教室に通学していた。
 タケシがテレビデオの再生ボタンを押し、いよいよアニメが始まった。でも俺は、そもそもポケモンについてほとんど何も知らなかった。さすがにピカチュウという黄色いネズミの存在は知っていたけど、よく知らないキャラクターたちが、よく分からない設定のもと冒険していくストーリーに、最初からついて行けなかった。それに正直なところ、大したことないんだろうとも思っていた。昼間の学校でも、クラスメイトに何人かポケモンを見ていた子がいたけど、みんな「俺は平気だったよ」とか「なんで気分が悪くなったのか分からない」と言っていたし、公園でガイルも同じようなことを言っていた。
 ストーリーは進んでいき、どうやら戦いのシーンになったようだった。ミサイルが何発も飛んできて、ピカチュウが体から出した電流でそれを撃ち落とすようなシーンだったと思う。
 その時、赤と青の光が、すごい速さで点滅した。
 あ、まずい、と思ったけど、俺は言い出せなかった。
 すうっと血の気が引いていく感覚があった。今考えたら、画面から目をそらせばよかった。でも、生まれて初めての感覚にパニックになった俺は、逆に画面を凝視してしまった。
 視界がぐるんと回転した。次の瞬間、後頭部にゴツンと痛みが走った。――俺はよりによって、タケシの部屋の勉強用の椅子に座っていた。その椅子ごと後ろに倒れて、後頭部を強打してしまったのだった。薄暗い部屋の中で、俺の視界はもう真っ暗になっていた。
「おい、ヨッシー何やってんだよ~。いいよそういうの」
 タケシは最初、俺がふざけたのだと思ったらしい。
 でも、数秒置いて、今度はツヨシの叫び声が聞こえた。
「ヨッシー! やばい、白目だ! 白目だ! 大変だよ」
 ツヨシは、少ない語彙で、必死に俺の状況を説明した。そこでタケシも、ことの重大さに気付いたようだった。
「えっ、マジかよ! やべえ」
「救急車、救急車」
「えっと……とりあえず、野田さん呼んでくる」
 そんな二人の声が、暗闇の中でどんどん遠ざかっていくように感じた――。

 目を覚ますと、そこは病室だった。
「気がついたか」
 ベッドサイドにいたのはタケシ一人だった。個室の病室で、周りには誰もいなかった。
「ごめんな、ヨッシー」タケシはまず謝罪の言葉を口にしたが、続けて言った。「でも、俺もツヨシも全然平気でさ、倒れたのはヨッシーだけだったんだよ」
「そっか……ごめん」
 俺は、第一声で謝ってしまった。今考えれば、あの時点でタケシの術中にはまっていたのだ。
 もっとも、俺はあの時点では、本当に悪いと思っていた。仲間内の危険な遊びで脱落して、大人を巻き込んだ大ごとにしてしまうのは、当時の俺たちにとって恥だったのだ。今なら分かる。悪いのはタケシだったということも、タケシはその先の展開のために巧妙に話を組み立て、まず俺に罪悪感を覚えさせたのだということも――。
「まあ、仕方ないよ。それに、野田さんがパニクって救急車呼んじゃったから、こんなところまで来ちゃったわけだし」
 タケシは寛大に許してやったようなスタンスで言ったが、今考えたら、タケシこそが最初にパニックになって、家政婦の野田さんを呼びに行っていたのだ。でも当時の俺は、失神から目覚めたばかりだったこともあってか、そこまで気が回らなかった。
「それでさあ」タケシは神妙な顔で切り出した。「ここ、親父んとこの病院なんだよ」
「あ……そっか」
 大野団地から近い病院といえば一つしかなかった。
「で、本当はこういう時、やっぱりヨッシーんちが入院費を払わなきゃいけないらしいんだよ。だって、俺とツヨシは倒れてなくて、ヨッシーだけ倒れちゃったわけだから」
 タケシはここでも、俺にも責任があるようなニュアンスを匂わせてきた。
「ああ、そうなんだ……」
 俺の心に暗雲が立ちこめた。ただでさえ貧乏なのに病院代がのしかかってしまう。母がやりくりに苦労する顔が容易に想像できた。
 そうやって、俺の心配が募っていくのを見透かしたように、タケシは言った。
「でも、俺が親父に話して、今回は特別に入院費はタダでいいってことになった」
「本当に? ありがとう」
 俺はとっさに感謝してしまった。なんて馬鹿だったのだろうと今なら思える。タケシのやり口は小六にしては巧妙だっただろうけど、それにしても俺は俺で、小六にしては馬鹿すぎた。
 そこでいよいよ、タケシが取引を持ちかけてきた。
「ただ、その代わり、今回のことは秘密にしてくれないか? 先生にも友達にも、それにヨッシーのお母さんにも言わないでほしいんだ。うちの庭で、段差につまずいて転んで頭を打って、病院に運ばれたことにしてほしいんだ。――そうしないと、俺もヨッシーもツヨシも、みんな怒られちゃうからさ。あと、そうすれば、悪いことして怪我したわけじゃないから、入院費もうちでスムーズに払えるらしいんだ」
「あ、そうか」
 俺は簡単に納得させられてしまった。するとタケシは、にやりと笑ってから言った。
「そういうことでいいか? ヨッシーはうちの庭でつまずいてコケた、ポケモンのビデオなんて見てないってことで」
「うん。ビデオのことは誰にも話さないで、ただタケシんちの庭でコケて頭を打ったって説明すればいいんだな」
「その通りだ。よろしく頼む」
 タケシがうなずいた後、「じゃ、約束な」と言って、おなじみのポーズをとった。
「男同士のお約束!」
 俺も、いつものノリで、ベッドの上でポーズをとった。――今にして思えば、タケシは中学受験を控えていたのだ。そんな中で、危険だと分かっていたポケモンのビデオを友達に見せ、そのせいで友達が失神してしまったなんて、ばれるわけにはいかなかったのだろう。それに俺も、「この件を他言しなければ医療費は払わなくて済むし、怒られなくて済む」という理屈を素直に信じてしまった。
 あの後、俺は数日間入院した。後頭部を打っていたので、病院側も大事を取ったらしい。でも俺は、母や担任やクラスメイトに対しては「タケシの家の庭で転んで頭を打った」という嘘で通した。お見舞いに来てくれたガイルを含め、あの日一緒に公園で遊んでいたメンバーは、俺が例のポケモンのビデオを見て倒れたことをなんとなく察していたみたいだったけど、他の友達にそのことを知られることはなかった。ツヨシも、タケシに言いくるめられたのか、それとも自分の目撃談を他人に話すことがそもそも難しかったのかは分からないけど、俺の負傷の真相を他言することはなかった。
 一方、マルコやサエやシノラーなど、女子も何人かお見舞いに来てくれた。そんな中、密かに楽しみにしていたのが、マリアがお見舞いに来てくれることだった。
 そろそろマリアが来るかな。できれば一人で来てほしいな。そうすれば病室で二人きりで過ごせるもんな。もしそうなったらどんな話をしようかな。……と、俺は頭の中で何度もシミュレーションした。ちょうどその時期は年末で、秋から始まったドラマが最終回を迎えていた。個室でテレビが見放題だったこともあり、俺はマリアが見ていると言っていた『成田離婚』というドラマを、病室のテレビで最終回だけ見て、「あのあと草彅君と瀬戸朝香はどうなったんだろうね~」なんて話題も振ってみようと思っていた。
 でも、マリアは結局、一度もお見舞いに来てくれなかった。
 ただ、退院後にマリアと会った時に「なんで来てくれなかったんだよ?」とか言ってしまうと、お見舞いを心待ちにしていたのがばれてしまう気がして、結局その件については何も言わなかったのだった。
 ――これが、俺が元々記憶していた。小学六年生の冬の思い出だ。
 そして、ここからは、あれから二十年以上経って初めて聞いた、マリアの言葉だ。
「私、実はあの時、病室のドアの外で、二人の話を聞いてたの」
 今夜マリアに言われて、俺は驚いてしまった。
「しかもその前に、下のロビーで、二人のお母さんが話してるのも聞いてたの。『うちの子が悪いんですから、当然入院費はタダにさせてもらいます』『ありがとうございます』って、お母さん同士ではもう話がついてたの。なのに、私が病室の前まで来たら、中で二人が、裏取引みたいな会話をしてるのが聞こえちゃったから……私、なんかショックで、そのまま帰っちゃったの」
 今思い出しても恥ずかしい限りだ。マリアは、俺がタケシに言いくるめられているのを聞いて、いたたまれなくなって、病室の前から引き返してしまっていたのだ。まさか二十年以上を経た今になって、そんな事実を知らされるとは思わなかった。
 俺は、部屋で一人、まだ恥ずかしい思いを引きずりながら、帰り道のスーパーで買った梅酒をすすった。
(第6回へつづく)

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藤崎 翔Sho Fujisaki

1985年、茨城県生まれ。高校卒業後、お笑い芸人として6年間活動。2014年、『神様のもう一つの顔』(のちに「神様の裏の顔」に改題)で第34回横溝正史ミステリ大賞を受賞し、小説家デビュー。この作品が25万部を超える大ヒットとなる。著書に『殺意の対談』『こんにちは刑事ちゃん』『おしい刑事』『お隣さんが殺し屋さん』『指名手配作家』などがある。

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