双葉社web文芸マガジン[カラフル]

誘拐ファミリー(新堂 冬樹)

第9回

4(承前)

「おお、張ってる張ってる。『ひまわり老人ホーム』……老人ホームを装って誘拐しようだなんて、罰当たりな弟だな?」
 ヴェルファイアから乗り換えたコンパクトトールワゴンの助手席に座る水谷が、ドライバーズシートの太陽に言った。
 吹雪が乗る老人ホームの移動車は、代官山の瀟洒なマンションの通りを挟んだ路肩に停っていた。
 吹雪以外には、後部座席に見知らぬ男が乗っていた。
「張り込みのときに、ターゲットに警戒されない職種の社用車に乗るのは常識よ」
 後部座席から、星が身を乗り出した。
 太陽達が乗る車は吹雪のバンのおよそ三十メートル後方に停めていたが、いまのところ彼らが気にしているふうはなかった。
 尤も、気づいていてもそ知らぬふりをするくらいは吹雪にとって朝飯前だ。
「なんか、誘拐ビジネスのを偉そうに言われても……」
 水谷が、茶化すように言った。
「その誘拐屋の犬をやっている便利屋に言われたくないわ」
 星が負けじと皮肉を返した。
「犬ってなんだよ!」
 短気な水谷が応戦した。
「犬じゃん! 太陽に命じられて吹雪を尾けたりしてさ」
「だからって犬って言いかたを……」
「おいおい、やめろよ。こんなところで、なにをいがみ合っているんだよ。いまは、松山海斗の出入りに集中するときだろう」
 太陽は、呆れた口調で二人を諭した。 
「だいたい、太陽も太陽だよっ。吹雪を張り込んで任務を妨害するなんて、ルール違反でしょ!? こんなことをする人なら、吹雪のチームを希望すればよかった」
 星が、吐き捨てた。
「さっきも言っただろう? 先にルールを破ろうとしたのは吹雪だ。奴のターゲットは鳳一馬であって、松山海斗じゃない」
 太陽は、平常心を掻き集めた。
 もしかしたら、吹雪が太陽の動揺を誘うために心理戦を仕掛けているのかもしれない。
 自分のフィールドで、負けるわけにはいかない。
 太陽が鳳明寿香の調査を梶原に任せ吹雪のほうにきているのも、心理戦の一つだ。
「でも、ルール違反なら、吹雪が苦労して松山海斗を誘拐しても父さんに却下されるから、徒労に終わるでしょ? 逆に、私らにはチャンスなんじゃない?」
「そうとはかぎらない。親父は吹雪のチームなんだからさ」
「そりゃあそうだけど、父さんはその前にファミリーのボスだよ!? さすがに、ルール違反を見過ごすようなことはしないでしょ? 太陽の被害妄想だって」
 星が一笑に付した。
「いいや、被害妄想なんかじゃない。ボスだからこそだよ。親父は、五代目を吹雪に譲りたがっている。本人がそう言ったの、お前も聞いただろう?」
「あんな言葉、に受けているわけ? 太陽を奮い立たせようとしているんだよ。ほら、昔から父さんは、なにを考えているかわからないところがあるじゃん」
 たしかに、星の言うことにも一理ある。
 大地は直情的で単純な男に見えるが、相当な策略家だ。
 その証拠に、時代もあるのかもしれないが、大樹の代よりも大地の代になってから稼業の売り上げは飛躍的に伸びていた。
 だが、太陽にはわかっていた。
 あのときの大地の言葉は本音だ。
 大地は、五代目には吹雪のほうが相応しいと思っているに違いない。
 理由は明白だ。
 大地は実力主義だ。
 純粋に、太陽と吹雪のどちらに跡目を譲ったほうが浅井家の誘拐ビジネスが繁栄するか……それが大地の最優先する条件だ。
 つまり、大地の判断では長男より次男のほうが稼業に向いていると判断したのだろう。
 大地のことは尊敬しているし、彼の判断は的確だ。
 しかし、今回だけは違う。
 大地には、浅井家の行く末が見えていない。
 嫉妬やプライドではなく、吹雪より自分のほうが五代目に相応しいという自負があった。
 いや、自分が相応しいというよりも、五代目に吹雪が相応しくないといったほうが正しい。
 星は吹雪への対抗心だけで物を言っていると思っているが、太陽が気にしているのは浅井家の伝統を守ること……それが、吹雪やほかの家族を守ることにも繋がるのだ。
「とにかく、松山海斗の拉致を阻止する。後悔しても、チームのリーダーは俺だ。命令には従って貰う」
 太陽は、厳しい口調で言った。
「なによそれ? 偉そうに……」
「あっ! あのタクシーに乗ってるの、松山海斗じゃねえのか!?」
 星の文句を遮った水谷が、フロントウインドウ越し……松山海斗のマンションに近づくタクシーを指差した。
 タクシーの後部座席に座る男は、黒いキャップに黒のマスクといういかにもな芸能人スタイルをしていた。
 遠目で、顔もキャップやマスクで隠れているので断定はできないが、恐らく松山海斗に違いない。
 タクシーがスローダウンした。
「お前達は残っていてくれ」
 太陽は言い残し、ドアを開けた。
「ダメだよっ、太陽!」
 星の制止を無視して後ろ手でドアを閉めた太陽は、停車したタクシーに向かってダッシュした。
 吹雪の乗るバンのスライドドアが開く頃には、太陽は既にタクシーの後部座席に取りつきドアを引いた。
 松山海斗らしき男が、いきなりドアを開けた見知らぬ男を驚いた顔で見上げた。
「先のお客様が降りてからお願いします」
 太陽を乗客と勘違いした運転手が、やんわりと窘めてきた。
 太陽は用意してきた小道具――ICレコーダーをデニムのヒップポケットから抜き取った。
「松山海斗さんですよね?」
 ICレコーダーを松山海斗らしき男の口もとに差し出し、太陽は不躾に訊ねた。
「なんなんですか!? あなたは?」
 警戒心に強張った声で、松山海斗らしき男が訊ね返した。
「『週刊パパラッチ』ですが、『天鳳教』の教祖の息子さんであり本部長の鳳一馬氏と恋愛関係にあるというのは、本当でしょうか?」
 ポーズボタンを押したように、松山海斗らしき男の動きが静止した。
 身体とは対照的に、キャップとマスクの間から覗く瞳は忙しなく泳いでいた。
 五秒、十秒……重苦しい沈黙が、目の前で絶句している男が松山海斗だということを証明した。
「な、なにを言っているか、意味がわかりません」
 我を取り戻した男……松山海斗が、うわずった声で否定した。
「ですから、あなたと熱愛報道の噂がある『天鳳教』の鳳一馬本部長の関係についてお訊ねしているんです」
「だから、そんな人は知りませんっ。出してください!」
 松山海斗が運転手に言いながら、強引にドアを閉めた。
 発車したタクシーが、太陽の脇を擦り抜けた。
「松山海斗さーん! ちょっと待ってくださーい!」
 太陽は、遠のくテイルランプに向かって大声を張り上げた。
「なんのつもりです?」
 太陽と松山海斗のやり取りを遠巻きにして見ていた吹雪が、サングラスと黒マスクを外しながら無表情に歩み寄ってきた。
 吹雪の背後には、迷彩キャップを目深に被った小柄で筋肉質な男が続いていた。
 キャップの下の鋭い眼光が、男が只者ではないと告げていた。 
「おう、吹雪。こんなところで、なにしている?」
 太陽は吹雪に向き直り、白々しい口調で訊ねた。
「いったい、なんのまねですか?」
 吹雪が、氷のような冷たい瞳で太陽を見据えた。
「見てたんじないのか? 松山海斗と鳳一馬の関係が知りたくて、直撃したのさ」
「あんた、人の任務を邪魔しておいてナメてるのか?」
 吹雪の背後から歩み出た小柄な男が、太陽を睨みつけてきた。
 吹雪が氷なら、男の瞳は切れ味鋭い剃刀かみそりのようだった。
「なんだお前? ヘルプは黙ってろ」
 太陽は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべつつ言った。
「なに!?」
「東、やめなさい」
 気色ばみ足を踏み出しかけた小柄な男を、吹雪が遮断機のように伸ばした右手で制した。
「でも、こいつはウチのターゲットを追い払ったんですよ!? 時間はかけませんから」
 小柄な男……東が、ファイティングポーズを取った。
 隙のない構えで、東が素人でないことはわかった。
「彼は僕の所属していたジムの後輩なんです。事情があってキックはやめてしまいましたが、続けていたら日本チャンピオンは狙えた実力です」
「東君は、吹雪とどっちが強いんだ?」
 唐突な太陽の質問に、東が困惑の表情になった。
「そんなこと、いまは関係ない」
 我に返った東が、太陽との距離を詰めた。
「吹雪に勝てないなら、やめといたほうがいい」
「俺はあんたと向き合ってんだ。いまは、吹雪さんのことは関係……」
「穏やかに見えますが、本性は僕よりも危険人物です。正面からやり合ったとしたら、僕も勝てるという保証はありません」
 吹雪が、抑揚のない口調で言った。
「え!? 吹雪さんが!?」
 東が、素頓狂な声を上げた。
「つまり、僕に勝てなければ兄にも勝てないということです」
 吹雪が言いながら東を後ろに下げ、太陽の前に歩み出た。
「話の続きです。互いに時間の無駄ですから、とぼけるのはやめて本音でいきましょう。どうして、僕の任務を妨害するんですか? これは、あなたが嫌うルール違反じゃないですか?」
「ああ、その通りだ。だから、松山海斗を追い払った」
「言っている意味がわかりませんが?」
「お前のほうこそ、惚けるのはやめろ。ターゲット以外の人間を誘拐するのは、浅井家で禁じられていることを知っているだろう?」
「そうなんですか? 少なくとも僕は、聞いたことありませんね」
 吹雪が、涼しい顔で言った。
「聞いたことはなくても、一度は『浅井家十戒』を読まされたはずだ」
「浅井家十戒」とは、初代から受け継がれてきた誘拐稼業についての心得と禁止事項を綴った書だ。
「『対象者以外の人間の誘拐という美徳に反する行為を禁止する』。覚えがあるだろう?」
 太陽は、十戒のうちの一つの戒めを口にした。
「あ、それ、私も読んだことあるよ!」
 いつの間にか駆けつけていた星が、話に割って入ってきた。
 星の背後にいる水谷は、東とガンを飛ばし合っていた。
「ええ、知っていますよ。でも、ルール違反だとは思っていません」
 吹雪が、眉一つ動かさずに言った。
「どうしてだ? 十戒に書かれているということは認めただろう?」
「認めたのは、そういうふうに書いてあったという事実であり、内容を認めたとは言ってません。僕にとっての美徳は、いかに早く、いかに確実に身代金を相手から引き出せるかということですから」  
「お前の美徳を訊いているんじゃない。俺は、お前が浅井家のルールを破ったことを言っているんだ」
「じゃあ、一つ訊きますが、兄さんはルールだったら納得できないことでも従うんですか?」
 吹雪が、挑戦的な口調で訊ねてきた。
「ああ。決められたルールならな」
「じゃあ、もう一つ訊きます。『いかなる理由があっても、身内同士で争ってはならない』という戒律が書いてあるのは覚えていますか?」
「もちろん」
 平静を装っていたが、太陽の鼓動はアップテンポなリズムを刻み始めた。
「父さんは、跡目を決めるという大義名分はありますが、僕と兄さんを争わせていますよね? ルールを破っているのは、父さんばかりじゃありません。兄さんも、僕のルール違反を止めるために任務を妨害しました。これも、立派なルール違反です」
「たしかに!」
「お前は、車に戻ってろ」
 すかさず口を挟む星に、太陽は命じた。
「吹雪、お前の言いぶんは屁理屈だ。俺と親父のやっていることと、お前のやっていることは違う」
 吹雪に言うと同時に、太陽は自らに言い聞かせた。
「僕はそうは思いません。僕は僕のルールを、父さんは父さんのルールを、兄さんは兄さんのルールを守るために、浅井家のルールを破ったという意味では同じです」
 吹雪が、淡々と言った。
 わかっていた。
 本当は、自分のやっている行為が吹雪となにも変わらないことを。
 認めるわけにはいかない。
 吹雪を従わせるために――五代目を継ぎ、浅井家と弟を守るために。
「なにを言おうと、お前がやっていることを見過ごすわけにはいかない」
「まあ、どうでもいいです。別に、兄さんの許可を貰うつもりはないですから。兄さんも、車に戻ってください。数日は、松山海斗が現れることもないでしょうから僕も引き上げます」
 一方的に告げると、吹雪がきびすを返しバンに向かった。
「なんだあれ? 嫌味な喋りかたして、本当にお前の弟か?」
 水谷が、吹雪の背中を指差しながら言った。
「そうよ。性格は真逆だけど、二人は正真正銘の兄弟!」
 太陽の代わりに、星が答えた。
「あ、そうそう」
 吹雪が足を止め、振り返った。
「兄さん、小さい頃、教えてくれましたよね? やられたらやり返せって」
 口もとに酷薄な笑みを浮かべると、吹雪が足を踏み出した。
「おいっ、ありゃ、宣戦布告だろ!? 俺らの任務を邪魔するってことじゃねえのか!? 放っておいていいのかよ!?」
 水谷が、興奮口調で言った。
「俺たちも戻ろう」
 水谷の問いに答えず、太陽も歩を進めた。
「待てよ、太陽、無視するなよ」
「早くこい!」
 太陽は足を止めず、背中越しに二人に命じた。
 虎の尾を踏んだからには、もたもたしている暇はなかった。
 逆襲の前に、明寿香を拉致する必要があった。
(第10回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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