双葉社web文芸マガジン[カラフル]

誘拐ファミリー(新堂 冬樹)

第2回
 浅井家の二階――家族が会議室と呼んでいる十五畳のリビングルームのU字型ソファに、西麻布のラウンジで勤務中の星以外の家族全員が顔を揃えていた。
 世田谷区上用賀の住宅街――三階建ての建物は、大地が十年前にそれまでの木造の平屋を取り壊して新しく建てたものだった。
 一階はペットの託児所になっている。
 共働きで夜まで愛犬の面倒を見ることのできない飼い主、水商売をしていて朝まで愛犬の面倒を見ることのできない飼い主、旅行や出張で愛犬を預かってくれる人がいない飼い主……理由は様々だが、ペットを家族の一員として扱うという考えが主流になったいま、日に平均五匹は持ち込まれる繁盛ぶりだ。
 愛犬家の多い上用賀という立地条件も、商売繁盛の大きな理由だ。
 五キロ以内の超小型犬で素泊まり一泊五千円、十キロ以内の小型犬で七千円、三十キロ以内の中型犬で一万円、三十キロ以上の大型犬は現在は扱っていない。
 加えて十代の頃にトリマーの専門学校に通っていた母親の海がトリミングをするので、「浅井ペットホテル」はかなりの利益を生み出している。
 打ちっ放しのコンクリート壁の瀟洒な建物は、愛犬家の多い近隣住民からは「お犬御殿」と呼ばれて親しまれていた。
 だが、海がペットホテルを切り盛りしているのは家計を支えるためではなく、趣味を活かしたカムフラージュだ。
「四千万は、いくらなんでも吹っかけ過ぎだろう? 三千万くらいが、妥当な線じゃないのか?」
 U字型ソファの上座――大地が、右隣に座る太陽に渋い表情を向けた。
 濃く太い眉にどんぐり眼、ヒキガエルのように大きな口……大地は、典型的なソース顔をしていた。
 対照的に、母親の海は和風なしょうゆ顔をしていた。
 南国系のハーフとよく間違われる太陽はどちらかと言うと父似で、韓流アイドルさながらの涼しげな顔をしている吹雪は母似だった。
「いやいや、三千万は安過ぎるって。俺は、五千万でもイケると思ってるよ」
 太陽は言いながら、カカオ九十パーセントのチョコレート片を口に放り込んだ。
 一瞬の判断ミスが命取りになる仕事なので、常に思考の車輪が回るようにしておく必要がある。
「五千万!? 馬鹿を言うんじゃねえ。たかだか映画の撮影を休むくらいで、そんな大金を払う事務所があるか!」
 大地が呆れたように言うと、あたりめを噛み裂いた。
 父の思考覚醒法は、糖分ではなく咀嚼だ。
「製作費数百万の単館ロードショーならな。秋嶋は人間的には最低だけど、映画監督としてはいくつも賞を取っている売れっ子だ。今回クランクインを控えている『Wタブー』も、二十代で人気ツートップと言われる若手俳優の宅岡相馬と吉岡純の夢の共演で話題の映画なんだよ。製作費は五億円だ。秋嶋の兄貴も、これだけ大きな映画ならプロダクションの社長として力が入るってもんだろう」
「売れっ子俳優を使った大きな映画だからって、事務所が大金を払うとはかぎらんだろう? ねえ、お父さん?」
 大地が、背後……リクライニングチェアに座り競馬新聞を広げる大樹を振り返り同意を求めた。
 太陽が高校生のときの作戦会議では、大地の席には大樹が座っていた。
 ここ十年の大樹は第一線を引き、相談役のような立場になっていた。
「太陽、その映画には、裕次郎や吉永小百合みたいなスターは出ておるのか?」
「お義父さん、いまどきの子には裕次郎とか吉永小百合とか言ってもピンときませんよ」
 ティーカッププードルを抱いた海が、苦笑いしながら太陽の隣に座った。 
「知ってるよ。DVDで昔の映画も観るからさ。まあ、タイプは違うけど、客を呼べるっていう意味では同じかな。彼らがドラマに出たら、視聴率が五パーセントは上がるって言われているほどの人気だから」
「だったら、大丈夫じゃろう。裕次郎級のスターの出る映画を守るためなら、四千万は安いもんじゃ。わしが太鼓判を押すぞ!」
 大樹が、丸めた競馬新聞で膝を叩いた。
「お父さん、そんないい加減なこと言って太陽を焚きつけないでくれよ~。映画のことなんて、よくわかってないだろう?」
 大地が、困惑したふうに言った。
「わかってないのは、親父だろう? 『Wタブー』は四百館以上の全国ロードショーが予定されてる大箱だ。出演者も超過密スケジュールの売れっ子ばかりだから、クランクインが遅れたら代替え日を出すことは不可能だ。つまり、秋嶋はどう転んでも予定通りに撮影を進めなければならない。低予算の映画の現場だって、撮影に穴が開けば一日百万単位の損失になる。『Wタブー』はキャストの格やスタッフの数からいっても、一千万近い損害金が発生するはずだ。クランクインが五日遅れただけで五千万、キャストのスケジュール的に撮影が続行できなくなってみろ? 秋嶋プロはそれまでに使った製作費にプラスして違約金……数億の金を支払わなければならない。金だけじゃない。秋嶋の信用は失墜し、監督のオファーもこなくなるだろう。自由を買い取るのに四千万や五千万なんて安いもんさ」
「私も、太陽に一票。あんた、近頃弱気になってるわよ。昔は、憎たらしいほど強気だったのに。もう、歳ね。これからは、太陽や吹雪に任せておけばいいのよ。あんたも、この子達の世話を手伝わない?」
 海が、ティーカッププードルを宙に掲げた。
「人を年寄り扱いするんじゃねえ。まだ、犬畜生の世話をするほど老け込んじゃいねえよ。おい、お前はどう思う? 父さん派か? 太陽派か?」
 大地が、ソファの端でスマートフォンをイジっていた吹雪に視線を移した。
「どっち派でもありませんよ。それより、早く秋嶋プロに連絡しませんか? 交渉前に四千万だ五千万だと内輪揉めしている間に、弟の異変に気づいた兄が警察に捜索願いを出したら厄介ですからね」
「相変わらず、愛想のない奴だな。お前、親子でその喋りかた、なんとかなんねえか?」
「これが、僕ですから」
 吹雪が、無表情に言った。
「気持ちはわかるが、焦りは禁物だ。相手に足もとをみられたら、イニシアチブを奪われてしまうからな」
 太陽は、やんわりと吹雪を窘めた。
「奪われませんよ。稼ぎ頭の弟の身になにかあったら、困るでしょうから」
「窃盗、レイプ、薬物、殺人はしない。ファミリーのルールだ。忘れたのか?」
「忘れてませんよ。ただ、交渉をスムーズにするために荷物に多少の傷をつけるのは仕方ないと思います」
「浅井家の伝統は、荷物を無傷で返すことだ。俺らは、強盗犯じゃない」
 太陽が言うと、吹雪が鼻で笑った。
「伝統、伝統って、僕らは誘拐犯ですよ? 誘拐も強盗も、犯罪に変わりはないでしょう?」
「お前はどうしてそんなふうに……」
「おいおい、兄弟喧嘩はやめねえかっ。いまは、内輪揉めしてる場合じゃねえ。まあ、吹雪の言うことにも一理ある。ここでぐたぐだ話してても、一円にもならねえからな。おい、太陽。早速、社長に電話だ」
 大地が言うと、海が闇金業者から流れてきたトバシのスマートフォンをテーブルに置いた。
 このスマートフォンは、失踪した多重債務者から担保として預かっていたものを闇金業者が横流ししたものだ。
 なので、通話料金の支払い期日から約一ヵ月後までしか使用できない。
 因みにいまから使用するスマートフォンは、あと一週間で通話を止められてしまう。
 尤も、一ヵ月使えたとしても、足がつかないように一週間ごとに電話は替えている。
 太陽が本体から延びているヘッドセットをつけると、アダプターに接続された三本のイヤホンを大地、吹雪、海が装着した。
 秋嶋から奪ったスマートフォンの電話帳を見ながら、太陽は通話キーをタップした。
 五回を数えても、コール音が途切れる気配はなかった。
 午前十時三十分。
 ホームページによれば、プロダクションの営業は午前十時からとなっていた。
 十回を数えても電話は取られずに、コンピューター音声の留守番電話に切り替わった。
 次に、秋嶋兄の携帯電話にかけた。
 すぐに、留守番電話の音声メッセージが流れてきた。
 間を置かずに三度かけたが、留守番電話に切り替わる繰り返しだった。
 イヤホンを外した吹雪が無言で立ち上がり秋嶋のスマートフォンを太陽から奪うと、黒のフェイスマスクをつけながらリビングルームを出た。
「おい、どこに行く?」
 太陽も白のフェイスマスクをつけながら、吹雪のあとを追った。
 訊かなくても、見当はついていた。
 太陽の予想通り、吹雪は地下へと続く階段を下りた。
「戻れっ」
 吹雪は太陽の制止を無視し、地下室のドア……指紋ロックタッチの認証パネルに人差し指を当てた。
 ロックが解除された防音式のドアを開き、吹雪が地下室に入った。黴臭いにおいが鼻腔に忍び込んだ。
「おいっ、頼むから出してくれ!」
 薄暗いダウンライトに照らされた十坪の空間……室内の中央に置かれた高さ二メートル、縦横四メートルの特大サイズの檻に囚われた秋嶋が、吹雪と太陽を認めると悲痛な声で訴えた。
 セントバーナードや土佐犬などの超大型犬用の檻なので、頑丈にできていた。
 このケージは海が仕事で使っていたものだが、最近は中型犬以上の宿泊は受け付けなくなったので本業で使用していた。
「子供のお使いじゃないんですから。四千万を払うなら、解放してあげますよ」
 小馬鹿にしたように言いながら、吹雪が檻の前に置かれたパイプ椅子に座った。
 檻の床にはヨガマットが敷いてあり、パイプベッドが置かれていた。
 長丁場になることを想定し、CDプレイヤー、小説、漫画、ミネラルウォーターの二リットルのペットボトルを二本常備していた。
 外の情報はシャットアウトしたいので、ラジオや週刊誌は置いていない。
 朝、昼、晩の食事は犬用に餌を与えるときの小窓から出し入れするようにしていた。
「だから、言っただろう? そんな大金は無理だって! 千五百万ならすぐに……」
「お兄さんに払って貰いますから、はした金はいりません」
 秋嶋を遮り、吹雪が言った。
「なっ……兄貴に電話したのか!?」
 秋嶋の素頓狂な声が、地下室に響き渡った。
「ええ、会社の電話も携帯も繋がらなかったので、至急、LINEで折り返し電話をかけるようにメッセージを作成してください。送信する前に、こちらに戻してください」
 吹雪は、柵の隙間から秋嶋にスマートフォンを渡しながら言った。
「あ、兄貴はだめだ! 俺と違って厳格な男だから、金の話なんて絶対に応じないぞ!?」
「僕は、そうは思いません。弟が五日後にクランクイン予定の『Wタブー』の現場に入れなかったら、日に一千万単位の損害金が発生します。プロダクションの社長の立場からすれば、四千万を支払って被害を最小限に食い止めるか、突っぱねて数億単位の違約金問題に発展させるか? あなたのお兄さんが馬鹿じゃないかぎり、どっちを選ぶか明白です」
 秋嶋が観念したように、スマートフォンを受け取ると文字キーをタップし始めた。
「これで……いいか?」
 不安げな表情で、秋嶋がスマートフォンを戻してきた。
 吹雪が無表情にスマートフォンを受け取ると送信キーをタップし、太陽に渡した。
「あ、あんたらはわかっちゃいない……兄貴は俺と違って正義感の塊だ。脅しや卑劣な手を使う相手には絶対に屈しない。なあ、額は少なくなるが俺なら一千五百万をすぐにあんたらに払える。あんたらだって、事を大きくして警察沙汰になったら困るだろう?」
 秋嶋が、太陽と吹雪の顔を交互に見ながら翻意を促した。
「万が一弟が大事な存在じゃなくても、秋嶋監督は大事なはずだ。警察沙汰にはならないさ。まあ、とにかく、あんたはおとなしく待っててくれ。交渉成立して四千万を受け取ったら、すぐに解放するから」
 太陽は、諭すように言った。
「あんたら、何者なんだ? ずいぶん手際がよかったけど、プロの誘拐犯なのか? ISとかがやってるような誘拐ビジネス専門の組織的集団なのか?」
 映画監督としての好奇心が湧いたのか、秋嶋が矢継ぎ早に質問してきた。
 太陽の掌でスマートフォンが震えた。
 ディスプレイに表示される「兄」の文字。
 太陽は通話キーをタップし、スピーカー機能にしてスマートフォンを耳に当てた。
『もしもし!? なにかあったのか!?』
 至急という文字に不安を感じたのか、受話口から流れてくる秋嶋兄の声は強張っていた。
「弟さんは無事だから安心していいよ」
 見知らぬ男の声に、電話越しに秋嶋兄が息を呑む気配があった。
 いつの間にか、金色のフェイスマスクをつけた大地と赤のフェイスマスクをつけた海、銀色のフェイスマスクをつけた大樹、そして、仕事から戻った桃色のフェイスマスクをつけた星が太陽の周りに集まり耳を傾けていた。
『だ、誰だ君は?』
「単刀直入に用件を言うからさ。秋嶋監督を預かっている。四千万と引き換えに解放する」
『なっ……』
 秋嶋兄が絶句した。
「期限は明後日までだ」
『ば、馬鹿な! 四千万もの大金を、そんなにすぐに用意できるわけないだろ! たとえ用意できたとしても、悪戯かもしれない電話一本で……』
「自分の眼でたしかめてよ」
 太陽はビデオ通話に切り替えたスマートフォンを、特大ケージに囚われた秋嶋に向けた。
「ごめん……兄貴……」
 半泣き顔で、秋嶋がスマートフォンに向かって頭を下げた。
『おいっ、康太! 大丈夫か!?』
 ディスプレイ――事務所と思しき場所で、顔面蒼白になる七三分けの中年男性は秋嶋とは違い真面目な印象だった。
「悪ふざけでないとわかったら、明後日までに四千万を用意してくれるかな?」
『三日で四千万なんて無理だっ。無茶を言わないでくれ!』
 秋嶋兄が、逼迫した顔で言った。
「こっちは四千万が入るなら期限を延ばしてもいいけど、困るのはそっちだよ。五日後には秋嶋監督がメガホンを取る『Wタブー』がクランクインする。当然、監督がいなければ映画を撮れない。三日、五日、一週間……撮影の延期とともに損害金は雪だるま式に膨らむ。推定製作費が五億と言われている大作だ。四千万を三日後に払うか渋り続けて撮影に穴を開け続けるか? 経営者のあんたなら、すぐに答えは出るはずだよ」
 勝利の方程式――太陽は、マニュアル通りに淡々とターゲットを詰めた。
 金色マスクの大地が、満足そうに頷いた。
 ディスプレイの中の秋嶋兄の顔が、静止画像のように表情を失った。
(第3回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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