双葉社web文芸マガジン[カラフル]

誘拐ファミリー(新堂 冬樹)

第16回
「なあ、どうして家に向かうんだよ? 池尻のスタジオには行かねえのかよ?」
 浅井家に向かうヴェルファイアの車内――水谷が、訝しげに訊ねてきた。
「梶原が一馬にさらわれた。星と松山海斗は、一足先にどこかに逃げたらしい」
 太陽は、淡々とした口調で言った。
 極力、水谷を刺激したくなかった。
「なんだって!? そりゃ、どういうことだ!? なんで、梶原だけさらわれるんだ!?」
 予想通り、水谷が気色ばんだ。
「本当は松山海斗をさらうつもりが、梶原しかいなかったんだろう。一馬は、人質の交換を持ちかけてきたよ」
「それでお前は、なんて言ったんだよ!?」
「松山海斗を戻してほしければ二億を持ってこい……そう言ったよ」
「てめえっ、梶原を見殺しにする気か!?」
 運転する太陽の肩を、水谷が鷲掴みにした。
「落ち着け。逆だ。梶原を守るためだ」
 太陽は、水谷と対照的に冷静な声音で言った。
「二億を要求するどこが、梶原を守るためだっつううんだよ!」
 水谷の怒声が、鼓膜に突き刺さった。
「冷静に考えてみろ? 梶原の奪還に躍起になるところを見せたら、奴らは利用価値があると考える。梶原に苦痛を与えれば、有利に事を運べると思わせたらそれこそ危険だ」
「だからって、二億を持ってこいなんて言ったら奴らを刺激して梶原が危険になるだろうが!」
「安心しろ。梶原に利用価値がないとわかったら、構わなくなるさ。それに、松山海斗がこっちの手にある以上、一馬はなにもできないよ」
 太陽は、自信満々に言い切った。
 嘘ではなかった。
 だが、それは交渉相手が一馬と限定しての話だ。

 ――残念だが、今回、先生の全面協力を得て俺らは動いている。つまり、先生は一連の流れをすべてご存じだということだ。十億どころか、十円も支払うことはないだろう。

 鼓膜に蘇る一馬の言葉が、真実か否かで戦況は一変する。
 一馬の言う通り鳳神明が乗り出しているのなら、どんな出方をしてくるのか予測がつかなかった。
「じゃじゃ馬女と松山海斗だけ、なんで逃げられたんだよ!?」
 水谷の疑問は、太陽の疑問でもあった。
「さあな。祖父ちゃんには星から連絡があったそうだ」
「どうしてお前には……」
「悪いけど、少し考える時間をくれ。とりあえず、祖父ちゃんに話を聞いてみなきゃ始まらない」
 太陽は水谷を遮り、アクセルを踏み込んだ。
「すげぇ……」
 コンクリート壁に囲まれた空間、特大の超大型犬用のケージ――浅井家の地下の監禁ルームに足を踏み入れた水谷が、驚きの表情で首を巡らせた。
「ここに、誘拐した人質を監禁してるのか……なんか、スパイ映画かなにかのセットみたいだな」
 太陽は無言で部屋の片隅を足早に歩き、パーティション壁のドアを開けた。
「ここは、なんだ?」
 背後から水谷が訊ねてきた。
「戦略ルームだ」
 太陽は短く答え、五坪ほどの小部屋に足を踏み入れた。
 パイプ椅子に座った大樹は、膝上に競馬新聞を開いたまま居眠りしていた。
「この爺さんが精神的拠り所か? ただの耄碌もうろくジジイじゃないのか?」
 水谷が、耳元で囁いた。
「誰が耄碌ジジイじゃ?」
 突然、大樹が眼を見開いた。
「わっ……起きてたのか……。いや、そんなこと言ってないっす」
 慌てて、水谷が否定した。
「太陽、その野蛮で頭の悪そうな男は誰じゃ?」
 大樹が、競馬新聞を顔前で開きながら訊ねた。
「野蛮で頭が悪そう!? このくそジジ……」
「やめろ。適当に座っててくれ。彼は旧友で、今回チームで動いて貰っている。肚が据わって腕の立つ頼りになる男だよ」
 太陽は水谷を遮り点在するパイプ椅子に促し、大樹に説明した。
 大樹の正面に座る太陽の横に、舌を鳴らしながら水谷が腰を下ろした。
「信用できる男かのう?」
 競馬新聞に視線を向けたまま、大樹が言った。
「ああ、親父や吹雪なんかより、よっぽどな。それより、星と松山海斗はどこにいるんだ?」
 太陽は軽く皮肉を言うと、本題に切り込んだ。
「さあのう」
 大樹が、馬柱表に視線を這わせながら気のない返事をした。
「さあのうって……星から、電話があったんだろう!?」
「電話があったとは言ったが、場所を聞いたとは言っておらんぞ」
 のらりくらりとした口調で、大樹が言った。
「おいっ、ジジイ! 競馬新聞なんか読んでないで人の話を……」
 唐突に大樹が、丸めた競馬新聞を水谷の頭に叩きつけた。
「痛っ……いきなり、なにするんだ!」
「脇役が黙っておれ。いまは、主役同士の会話じゃ」
「脇役!?」
「話が進まないから、ここは俺に任せておけ。なあ、祖父ちゃん。それで星は、なにを言ってたんだ?」
 水谷を制した太陽は、逸る気持ちを抑え大樹の言葉を待った。
「松山海斗を連れてある場所にいる。事情はあとで話す……そう言っておった。あ、そうそう、お前には落ち着いたら必ず連絡をするから、とも言っておったぞ」
 大樹が、丸めた競馬新聞を広げながら淡々と言った。
「ある場所って、どこだよ? どうして、あいつが松山海斗と一緒に別の場所にいるんだよ? なんで、すぐ俺に連絡できないんだよ?」
 太陽は、立て続けに疑問を口にした。
「あのじゃじゃ馬女、一馬たちに襲撃されてパニクって、梶原を置き去りに自分だけ逃げたんじゃねえのか!?」
 水谷が、怒りに震える声で口を挟んだ。
「いや、それはない。それなら、一人のはずだ。星は、松山海斗を連れている。なにかの事情があって、梶原と行動をともにできなかったんだろう」
 言いながら、太陽には釈然としない思いがあった。
 無意識に、その思いから視線を逸らしている自分がいた。
「だいたいよ、奴らは大勢で乗り込んできたんだろうから、じゃじゃ馬女が人質連れて逃げ出すなんてできねえだろうが?」
 水谷が、太陽が釈然としない思いを見透かしたように言った。
「梶原が襲撃されている隙に、逃げたのかもしれないな」
 その可能性は低い……言葉とは裏腹に、太陽の培った経験が告げた。
 思考のスクリーンには、目まぐるしく様々なシーンが浮かんでは消えた。
「お前、本気でそう思ってんのか? じゃじゃ馬女が人質を連れて逃げることができるなら、梶原だって捕まらなかったはずだ。だろう!?」
 水谷が、太陽に同意を求めた。
 言われなくても、わかっていた。
 わかっていたが、ほかの可能性を考えたくはなかった。
「今週のメインレースは、とんでもない穴馬が潜んでいそうじゃな」
 大樹が、くしゃくしゃになった競馬新聞を睨みつつ渋い顔でひとちた。
「ジジイっ、こんなときに呑気に競馬の予想なんかしてんじゃねえぞ! 太陽っ、お前からもなんとか言ってやれ!」
 水谷の言葉は、太陽の耳を素通りした。
 大樹は呑気に競馬の予想をしているわけではなく、独特な比喩で太陽にあるメッセージを送っていた。
「星が俺を裏切った。祖父ちゃんは、そう言いたいんだな?」
 押し殺した声で、太陽は訊ねた。
「わしを悪者にするんじゃないわ。お前も、端からその線もありうると考えておったはずじゃ」
 大樹が、競馬新聞から太陽に視線を移し黄色く濁った瞳で見据えた。

――吹雪が鳳明寿香を人質にしていることをターゲットにチクって駆け引きの材料にするなんて、ルール違反の中でも最高に悪質よ!

 脳裏に蘇る星の非難の声――妹が兄を見限る理由は十分にあった。
「じゃじゃ馬女が、鳳一馬にチクったって言うのかよ!?」
 水谷が、驚愕の大声を張り上げた。
「ちょいと違うが、結果的にはそういうことになるかのう」
 大樹が意味深な口調で言った。
「なんでだよ!? どうして、妹が兄貴を裏切るんだよ!? まさか……直接一馬と交渉して、一人で身代金を横取りしようっていうのか!? あのじゃじゃ馬女、とんでもねえ女狐だ!」
 水谷が熱り立った。
「やっぱり、こやつは頭が悪い男じゃ」
 大樹が、小馬鹿にしたように言った。
「なんだと、もう一度言って……」
「どうやって星は、鳳一馬の連絡先を知るんじゃ? 交渉は、太陽がやっておるはずじゃ」
 水谷を遮った大樹が、試すように訊ねた。
「じいさんこそ、ボケたんじゃねえのか? そんなの、松山海斗から聞いたに決まって……」
「あんたの友達が人質を監視しておったんではないのか? トイレに立った隙くらいで、そんな交渉はできんだろうて。浅いのう〜」
 立て続けに水谷を遮った大樹が、ふたたび小馬鹿にした。
「じゃあ、梶原が裏切ったって言いてえのか!」
 水谷が椅子を蹴り、怒声を浴びせた。
「じゃったら、なんで人質にされておるんじゃ? ちいとは、ここを使わんか、ここを」
 大樹が、こめかみを人差し指でノックした。
「胸糞が悪いジジイだ」 
 水谷が毒づきつつ、椅子に腰を戻した。
「星が俺を裏切ったのなら、どうして一馬のところに行ってないんだ? 別の場所で、一馬と身代金の交渉をするつもりなのか?」
 太陽は、パズルのピースを嵌めていくように可能性を一つずつ挙げた。
「最初はそう考えたが、だったらわしに電話なんてしてこないはずじゃ」
「俺らを裏切り、鳳一馬に池尻のレコーディングスタジオの場所を密告した。だが、奴らが到着する前に松山海斗を連れてどこかへ逃げた……」
 太陽は、独り言のように仮説を口にした。
 星が密告しておきながら、一馬たちが到着する前に姿を消したのはなぜか?
 太陽と同じで一馬を信用しておらず、身代金を受け取ってから松山海斗を引き渡そうと考えたのか?
 一緒の空間にいたはずの梶原が、スタジオから出て行こうとする星と松山海斗を黙って見送ったのはなぜか?
 星に、梶原を納得させて人質を連れ出すことなどできるとは思えない。
 できたとしても、梶原から太陽か水谷に報告の連絡が入るはずだ。
「どうしても、辻褄が合わないな」
 太陽は、ため息交じりに言った。
「そうかのう? ある人間が糸を引いていたと考えるなら、辻褄が合うと思うがな」
 大樹が意味深な口調で言うと、競馬新聞に視線を戻した。
「ある人間が糸を引いていた?」
 太陽は、鸚鵡返しに訊ねた。
「そうじゃ。鳳一馬の連絡先を知っていて、星に松山海斗の監禁場所を探ることの可能な人間、星にお前を裏切らせれば得する人間じゃよ」
 大樹の言葉に、青褪めた脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。
「まさか……」
 掠れた声が、唇を割って出た。
「鳳一馬に交換条件を提示し、星を抱き込むことのできる人間……そんなことのできる穴馬は、吹雪しかおらん。おもしろくなってきたのう」
 大樹がくしゃくしゃに丸めた競馬新聞を太陽に放り投げると、入れ歯を剥き出しに笑った。
(第17回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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