双葉社web文芸マガジン[カラフル]

誘拐ファミリー(新堂 冬樹)

第14回

7(承前)

 鳳神明が警察に頼る恐れはない……頼る必要がないからだ。
「天鳳教」には、警護部と呼ばれる部署があり柔道やボクシングの格闘技経験者を中心とした腕自慢の教徒が五百人ほどいる。
 ほかにも、諜報部という元公安警察官や元探偵上がりの教徒で成り立つ調査専門の部署もある。
「天鳳教」が、これまでヤクザや右翼の糾弾にあっても潰されなかったのは反社会勢力に負けない武力と情報力があるからだ。
 いや、宗教団体の仮面をつけてはいるが、その実態は莫大な献金により政治家にも影響力が及んでいるぶん、ヤクザや右翼よりも質が悪い。
 長男の彼氏と長女を誘拐して身代金を要求してくる犯人に、鳳神明が素直に従うはずがない。
 自慢の情報力で犯人を炙り出し、自慢の武力で抹殺しようとするだろう。
 だからこそ、吹雪は鳳一馬ではなく松山海斗に目をつけたのだ。
 息子のスキャンダルを利用し、父親を封じ込める……息子を動かし、父親を説得させる。
 鳳神明から身代金を支払わせるには、この方法しかない。
 一馬が息子だから、頼みを聞くわけではない。
 息子のスキャンダルは自らのスキャンダル――「天鳳教」の命取りになりうるからだ。
 実の娘の明寿香よりも松山海斗を優先するのは、鳳神明にとって家族よりも自分の地位と名誉のほうが大事だという証だ。
「僕もそう思うよ。ところで、弟は人質の交換を認めたの?」
 梶が訝しげに訊ねてきた。
「ああ」
 太陽も、そこは気になっていた。
 松山海斗と息子の件で揺さぶったほうが有利に事を運べるとわかっていながら、吹雪がおとなしく人質交換に応じた理由だ。
 人質をあっさり譲ったのは、大地が自分を失格にすることを狙う作戦か?
 すぐに、打ち消した。
 吹雪は、自らも言っていたように五代目に執着するタイプではない。
 目的を達成するためならどんな手段も厭わない男だが、反則勝ちを狙うタイプではない。
「弟は、なにか企んでいるんじゃないのかな?」
 梶の懸念――太陽も同感だった。
 敢えて有利な獲物を譲った裏には、吹雪のしたたかな計算があるような気がしてならなかった。
「吹雪が、なにを企んでるって?」
 買い出しから戻ってきた星が、レジ袋の中身……おにぎり十個、サンドイッチ五個、ミネラルウォーター三本、ウーロン茶三本、眠気覚ましドリンク五本をテーブルに並べながら訊ねてきた。
「松山海斗を太陽の人質にすると言っても抵抗しなかったらしいから、なにか魂胆があるんじゃないかと思ってさ」
 梶が説明した。
「すんなり受け入れたんだ?」
 星が梶から太陽に視線を移した。
「失格してもいいのかってことは言われたが、抵抗はしなかったな」
 太陽は言いながら立ち上がり、鮭と明太子のおにぎり、タマゴサンド、ミネラルウォーターのペットボトルをレジ袋に入れてレコーディングブースのドアを開けた。
 星があとに続いた。
 松山海斗が、弾かれたように首を擡げた。
 太陽に向けられた端整な顔立ちは、恐怖に強張っていた。
「怖がらなくていいよ。昼飯を持ってきただけだから」
 太陽はレジ袋を松山海斗の前に置くと、手錠を外した。
「ご飯の間は外すから。おにぎりとサンドイッチだ。食べてくれ」
 太陽が言うと、松山海斗はミネラルウォーターのキャップを開け半分ほど一息に飲んだ。
 松山海斗は、虚ろな瞳でおにぎりとサンドイッチをみつめていた。
「ほかの具がいいなら、持ってくるから。おにぎりは梅と昆布もあるし、サンドイッチはハムとツナもある」
 浅井家では、目的はあくまでもターゲットから身代金を支払わせることで人質は大事なツールという教えだった。
 吹雪のように手段のためなら人質を傷つける例外もいるが、伝統的に浅井家の人間はを大切に扱っていた。
「食欲ありませんから……」
 力なく、松山海斗が言った。
「気持ちはわかるが、鳳神明が身代金を支払うまで早くても一週間はかかる。それ以上の可能性も十分にあるから、割り切ってコンディションを整えることを考えたほうがいい」
 太陽は、諭し聞かせた。
 世話を焼くのは、同情心からではない。
 問題行動を起こさないかぎり危害は一切加えないこと、長期戦になる可能性があること――人質には、現実を教えて体力をつけさせておく必要があった。
恐怖心や早く出たい一心で食事もせずに睡眠も取らずにいたら、三日もすれば心身が衰弱する。
 病気になっても病院に連れて行くわけにはいかず、かといって放置するわけにもいかず、結局大変になるのはこっちだ。
 看病だけならまだましだが、最悪、殺人犯になる恐れもあるのだ。
「この状況で、なにも食べる気になんてなりませんよ……」
 蚊の鳴くような声で、松山海斗が言った。
「料理作ってあげようか? 売れっ子スターさんが、コンビニおにぎりやサンドイッチじゃ口に合わないよね? カレー? ハンバーグ? 肉じゃがなにがいい?」
 星が、横から口を挟んだ。
 憎まれ口しか叩かない妹だが、母譲りで料理の腕はたしかだった。
 浅井家の誘拐ビジネスが代々受け継がれてきた陰には、女性陣の功があった。
 松山海斗が、力なく首を横に振った。
「そっか。でも、生きてるかぎりお腹は減るから、作ってほしくなったらいつでも言って」
 星は優しく言い残し、ブースを出た。
 いまはパニックになり精神的余裕はないが、星の存在は長期戦になれば松山海斗にとってオアシスになる。
 人質の心理は誰しも、殺されるかもしれない、という恐怖に支配されている。
 従順になってくれるだけならいいが、気の弱い人間は精神を病んでしまう。
 そんなとき、若く美しい女子が優しく接することで恐怖心がいい具合に払拭されるのだ。
 誘拐稼業で大事なのは、ターゲットから身代金が支払われるまでの間、人質を壊さないことだ。
「……さっきも言いましたが、僕なんかを人質にしても、彼のお父さんはお金を払いませんよ。スキャンダルなんて、あの人は簡単に揉み消してしまいますよ」
 掠れた声で、松山海斗が言った。
 政治家にも影響力を持っている鳳神明からすれば、テレビ局や出版社の上層部と通じていても不思議ではない。
 大手の何社かは、封じ込めることはできるだろう。
 だが、マスコミを完璧にコントロールするのは不可能だ。
 たとえ一社でも、「天鳳教」の後継者候補であり教祖の息子である鳳一馬と有名俳優の同性愛を報じたら、噂は山火事のように一気に広まってしまう。
「それは、君が心配することじゃない。とにかく、無事に芸能界に復帰したかったら……」
 掌の中……振動が、太陽の言葉を遮った。
 着信しているのは、松山海斗のスマートフォンだ。
 ディスプレイに表示される、一馬さん、の文字。
「貸してください……」
 松山海斗が伸ばした手を払い退け、太陽は通話キーをタップした。
「早いコールバックで助かるよ」
 電話に出るなり、太陽は言った。
『お前は誰だ?』
 低く押し殺した声で、一馬が訊ねてきた。
 太陽がリサーチして得た情報……電話越しの一馬の印象は、好感度が高く紳士的な青年とは思えなかった。
「誘拐犯だよ」
 太陽は、あっけらかんとした口調で言った。
『お前、なんのつもりだ?』
 一馬が動転しているのは、うわずった声音でわかった。
「決まってるよ。あんたの恋人と引き換えに、お父上に身代金を払って貰おうと思ってさ」
『身代金だと!? ふざけてるのか!?』
 一馬の気色ばんだ声が、太陽の鼓膜に突き刺さった。
「ふざけて、売れっ子俳優を誘拐したりしないよ。単刀直入に要求を言うから。十億を一週間以内に用意してくれ。親父さんに頼めば、それくらいの現金は簡単に動かせるだろう?」
 日本全国に三万人を超える教徒を持つ「天鳳教」の教祖の十億は、サラリーマンの百万程度の感覚に違いない。
『十億!? そんな大金、先生が払うわけないだろう!』
 一馬の怒声がスマートフォンのボディを軋ませた。
 松山海斗は、心配そうに太陽と一馬のやり取りをみつめていた。
「それを払わせるのが、あんたの役目だよ」
『どうして俺が……』
「大事な恋人がこのまま映画の撮影現場に戻れなくてもいいなら、俺は構わないよ」
 一馬を遮り、太陽は切り込んだ。 
『……海斗は、無事なのか?』
 本当は、最初に訊きたかっただろうことを一馬がようやく口にした。
「ああ、いまのところはね。でも、この先の保証はできないよ。松山君が元気に職場復帰できるかワイドショーを騒がせることになるかは、あんたの協力次第だよ」
『あまり、先生を甘く見ないほうがいい。こんな卑劣な真似をする相手に屈しておとなしくお金を払うような人じゃない。先生が本気になったら、お前の身元なんてすぐに割れてしまうぞ?』
 一馬が、ドスの利いた声で恫喝してきた。
「そりゃそうだろう? あんたのパパは神の化身だから、なんでもお見通しでも驚かないさ」
 太陽は、茶化すように言った。
 一馬を馬鹿にするのが目的ではない。
 彼が崇拝している存在を小馬鹿にすることで、一馬の感情をかき乱したかった。
 子育て、スポーツ、生け花、射撃……感情的になると人間は、冷静な判断力と集中力を失い本来のパフォーマンスが発揮できなくなる生き物だ。
 太陽が調査したところ、鳳一馬は怜悧で周到な男だ。
「天鳳教」の教徒集めのシステムやセミナーの企画など、一馬が仕切っているらしい。
 そんな一馬を操るには、冷静さを奪い彼の思考力を低下させる必要があった。
『先生を冒涜する気か!?』
「息子にも先生って呼ばせてるのか? 俗物ほど、名誉をほしがるんだよな」
 太陽は嘲るように言うと高笑いした。
『これ以上、先生にたいしての侮辱は許さない』
 一馬の声は、激憤に震えていた。
 どうやら、父親のことは本当に尊敬しているようだ。
「わかった。神パパいじりはこのへんにして、本題に戻るよ。松山海斗を無事に戻してほしければ、神パパから一週間以内に十億を出して貰うんだ」
『だから、そんな要求を先生が……』
「松山海斗の身の安否だけの話じゃない。あんたと松山海斗の同性愛スキャンダルがマスコミに流れたら、どうなると思う? あんたはもちろん、神パパも最愛の恋人も社会的地位と名誉を失ってしまう可能性が高い。それでもいいのかな?」
 畳みかける太陽に、電話越しに一馬が息を飲む気配が伝わってきた。
『先生に身代金を支払わせたいのなら、どうして息子の俺を誘拐しないんだ?』
 太陽は、心でほくそ笑んだ。
 いまの質問で、一馬が松山海斗を大事に思っていることが証明された。
 いや、もしかしたならスキャンダルの流出を恐れてのことかもしれないが、どちらにしても一馬にとって松山海斗は救い出さなければならない存在だ。
「神パパは、あんたのためには金を払うのを渋るが、自らの首を絞める爆弾の松山君にたいしては一刻も早く処理しようとするはずだよ」
『そこまで計算しているなら、最初から先生に電話すればいいじゃないか?』
 一馬が質問を重ねながら、目まぐるしく頭を回転させているだろうことはわかった。
 この窮地を脱するための打開策を模索しているに違いない。
「計算しているから、まずはあんたにかけたのさ」
 太陽は、間を置かずに切り返した。
『それは、どういう意味だ?』
「俺だけでなく、あんたからもせっつかれれば神パパのプレッシャーも倍になるだろう?」
『先生に大金を支払わせるのに、俺を利用しようって肚か!?』
「たしかにそうだけど、あまり他人事みたいに言わないほうがいい。松山海斗とのスキャンダルが世に暴露されたら、あんただって神パパに負けないくらいの致命傷を負うからね」
 太陽は、含み笑いしながら言った。
「一馬君っ、僕は大丈夫だから! おじさんに、身代金の話なんてしたらだめだ!」
 松山海斗が、必死のていで叫んだ。
「愛の力は強いね〜」
 太陽は、からかうように言うと口笛を吹いて見せた。
『わかった。先生に交渉する』
 あっさりと、一馬が白旗を上げた。
「ただし条件がある、だろう?」
 すかさず、太陽は訊ねた。
『ああ、そういうことだ。俺個人なら、先生に頼らず二億までなら払える。二億で手を打つなら、三日で用意する』
 予想通り……いや、予想以上に一馬にとっての松山海斗はアキレス健のようだった。
 十億が惜しくて、駆け引きでディスカウントしているのではない。
 十億が二十億でも、鳳神明が払うぶんには一馬の腹は痛まない。
 たとえ二億でも自腹を切ろうとするのは、一分、一秒でも早く松山海斗を救出したいという焦燥感にほかならない。
 心が揺らがないと言えば、嘘になる。
 仮にディスカウントであったとしても、三日で二億の身代金を払えるターゲットはそういない。
 じっさい、太陽の過去を振り返っても最高金額だ。
 普通なら、条件を飲んだことだろう。
 だが、今回は吹雪と同じターゲットから身代金を支払わせるという特殊任務だ。
 太陽が一馬から二億を手に入れることに成功しても、吹雪が鳳神明からそれ以上の身代金を引き出すことに成功したら終わりだ。
 仮に身代金の額が同じ二億だとしても、一馬から支払わせた太陽より鳳神明から支払わせた吹雪に軍配があがるのは目に見えている。
 しかし、二億を突っねて鳳神明から十億を支払わせることに拘るのが果たして得策なのか?
 太陽としては、後継者争いで吹雪に勝てれば金額などいくらでもよかった。
「その条件を飲むには、俺にも条件がある」
 太陽は、胸奥で蠢く罪悪感から意識を逸らした。
 勝つためなら、どんな卑劣な人間になることも厭わなかった。
「鳳明寿香……あんたの妹も誘拐されている」
『えっ!? 明寿香が誘拐って、どういうことだ!?』
 血相を変える一馬の顔が目に浮かぶようだった。
 仮面の下で血相を変えているだろう人間がもう一人……星が、物凄い勢いでブースに駆け込んできた。
「ちょっと! そんなこと教えるなんて、正気なの!?」
 星が太陽に物凄い剣幕で食ってかかってきた。
「仲間割れした一派が、鳳明寿香を人質に神パパに身代金を要求するつもり……いや、もう、要求しているかもしれない」
 太陽は星に背を向け、淡々とした口調でタブーを犯した。
(第15回につづく)

バックナンバー

新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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