双葉社web文芸マガジン[カラフル]

誘拐ファミリー(新堂 冬樹)

プロローグ

「えーっ、噓でしょう!?」
 西麻布のラウンジ「V・I・P」の落ち着いた空間にそぐわない、女性の黄色い声が響き渡った。
 毛先をふんわりゆるく巻いたロングの黒髪、黒目がちな円らな瞳、抜けるような白肌、華奢な身体を包み込むニットの白いサマーセーター……声の主は、女子アナといっても通用するような清楚で美しい女性だった。
「噓じゃない、本当だよ。信じられないなら、ググってみな。秋嶋康太ってさ。俺のこと、出てくるから」
 褐色に焼けた肌、後ろで結んだプラチナシルバーに染めた髪、スカイブルーのジャケットに白いハーフパンツ……秋嶋は、得意げな顔でスマートフォンを女性に翳しつつ言った。
「お客さんは、なにしている人ですか?」
 太陽は、秋嶋の座る斜め前方のテーブルから星に視線を戻した。
 ベリーショートの髪に掌におさまるほどの小顔、切れ長の瞳にシャープな顎のライン……星もまた、芸能人の卵といっても十分に通用するレベルだ。
 音大の学費を払うためにラウンジでアルバイトしている……というのが店にたいしての星の建て前だ。
「V・I・P」は西麻布にひしめくラウンジの中でも女性の質が高いと評判の店で、芸能人やスポーツ選手が常連客に多いことでも有名だ。
「俺はなにをしているように見える?」
 太陽は、白ワインのグラスを傾け質問を返した。
「歳はまだ二十代でしょう? キャップに伊達メガネ……もしかして、有名人?」
「顔を見てわからないってことは、有名人じゃないってことだ」
 太陽は、不毛な会話を続けた。
「キャップと眼鏡を外してくれたら、わかるかもしれませんよ。外してみてくださいよ」
 悪戯っぽく言う星を無視して、太陽は聴覚の神経を研ぎ澄ました。 
「あきしまこうた……あっ、本当だ! 映画監督だって出てきた!」
 女性が、スマートフォンを手に驚きの声を上げた。
「七海さんって、綺麗でしょう? モデル事務所に所属していて、『JJ』に載ったことがあるんですって」
 星も、不毛な会話を続けた。
 だが、この不毛な会話は必要だった。
「え!? 『白い海』って、秋嶋さんの作品ですか!?」
 女性……七海のテンションが上がった。
「ああ。知ってるの?」
 くわえ煙草の秋嶋がソファの背凭れに両手を載せ、ふんぞり返って訊ねた。
 ビジュアルといい態度といい、秋嶋は映画監督というよりは半グレだ。
 だが、秋嶋は日本アカデミー賞にもノミネートされたことのある新進気鋭の売れっ子監督だった。
「知ってるもなにも、私、高校生の頃に観たんですけど、感動してDVDが出てからも五回以上借りました! 大ファンの作品の監督さんに会えるなんて、夢みたいです!」
「じゃあ、もっと夢を見せてやろうか?」
「えっ、なんですか!?」
 七海が瞳を輝かせた。
「ここが終わったら、俺の部屋に連れて行ってやるよ」
「え……」
 七海の顔に怪訝な色が広がった。
「大好きな作品を撮った監督に抱かれるんだ。夢みたいだろ?」
 秋嶋が赤ワインをがぶ飲みし、下卑た笑みを浮かべた。
「もう、冗談ばっかり~。監督みたいな有名人が、私みたいな素人を相手にする気なんてないくせにぃ」
 七海が、冗談として受け流した。
「だから、特別だって。今日は珍しく予定がないから、抱いてやるって言ってるんだよ」
 五メートル以内に近づいた女を妊娠させる、キャスティングした女優に全員手をつける、女性を消耗品として扱う、自分が口説けば女性は全員落ちると思っている。
 秋嶋のSNSでの評判は最悪なものだった。
 評判だけでなく、実際に写真週刊誌でも何度も女性スキャンダルをスクープされていた。
 女性関係だけでなく、過去に酒に酔ってタクシー運転手に暴行を働いたりクラブで大暴れしたり、酒癖の悪いトラブルメーカーとして有名だった。
 それでも秋嶋に作品の依頼が後を絶たないのは、才能があるからだ。
 秋嶋という男を一言で表せば、映画監督としては優秀だが人間としては最低のクズだ。
「最悪ですよね……」
 星が、嫌悪に眉根を寄せた。
「いいのか? VIP客をそんなふうに言ってさ」
 太陽は、口もとに運んだワイングラス越しに秋嶋に視線を向けた。
「私には関係ないことだって……」
 星が言葉を切り、太陽の耳もとに唇を近づけた。
「太陽が一番知ってるでしょ?」
 星が囁いた。  
 弾かれたように太陽は、星を睨みつけた。
「ごめんごめん、そんなに怖い眼で見ないでよ」
「敬語を使え」
 ほとんど唇を動かさずに、太陽は言った。
「は~い、わかりました~」
 おどけた調子で、星が小さく手を上げた。
「なんだよっ、じゃあ、いくらならやらせるんだよ!?」
 秋嶋が、いら立ったように吐き捨てた。
「私は、そういう女じゃありません」
 それまで愛想を振り撒いていた七海が、厳しい表情で突っ撥ねた。
 太陽はスマートフォンを取り出し、LINEアプリを開いた。
 
 そろそろ出荷だ。
 
 メッセージを大樹、大地、海、吹雪に一斉送信した。
 本当は現場にいない大樹に送信する必要はないが、臍を曲げられたら面倒だ。
「お高く止まりやがって! てめえらラウンジの女は、パパ活で愛人探ししてるんだろうが!? おいっ、マネージャー、チェックだ! くそ気分が悪い!」
「秋嶋監督っ、どうなさいましたか!?」
 マネージャーらしき黒スーツの男が、蒼白な顔で秋嶋の席に駆け寄った。
「どうもこうもねえよっ。なんだ、この女!?」
「チェックお願いしまーす」
 太陽が目顔で合図すると、星が手を上げ黒服を呼んだ。
「楽しかったよ。また、くるから」
 太陽は黒服に笑顔で言いながら、伝票に書かれた二万四千円をトレイに置くと立ち上がった。
 マネージャーらしき男と七海を罵倒する秋嶋を尻目に、太陽は星とともにエレベーターに乗った。
「お前、なんださっきのは?」
 扉が閉まり頭を下げる黒服が視界から消えると、太陽は咎める口調で言った。
「もう、しつこいな~。さっき、謝ったじゃん」
 星が、うんざりした顔で言った。
「少しの気の緩みが失敗を招く。浅井家の伝統を親父の代で傷つける気か?」
「また、出た! 浅井家の伝統……もうすっかり、五代目になったつもり? まだ、祖父ちゃんも父ちゃんも太陽か吹雪か決めてないんでしょう?」
「誰の代になろうが同じだ。とにかく、任務中は気を引き締めろ」
「ちゃんとやってる……」
「荷物がエレベーターに乗ったらLINEしろ」
 反論しようとする星を遮り、太陽はエレベーターを出た。
 ビルの前に、レクサスが停まっていた。
 運転席に太陽と同年代……二十代後半くらいの男がいた。
 男が秋嶋のマネージャーだということは調査済みだ。
 太陽は、レクサスの十メートルほど後ろに停車する黒のアルファードに視線を移した。
 アルファードのスライドドアが開き、黒いキャップ、黒いマスク、黒のジャケット、黒のパンツといった全身黒ずくめの細身の男が降りた。
 太陽は伊達メガネをサングラスに替え、レクサスに歩み寄るとドライバーズシートの窓を叩いた。
「なんですか?」
 警戒した顔のマネージャーが、パワーウインドウを半分ほど下げて訊ねた。
「監督って呼ばれている人、もしかしてお宅のお連れさん!?」
 太陽は、切迫した声で言った。
「あ……そうですけど? 秋嶋監督が、どうかしましたか?」
「トイレで酔い潰れて、店の人が困ってたよ」
「えっ、マジですか!?」
「うん、早く行ったほうがいいと思うけど」
「ありがとうございます!」
 マネージャーがドライバーズシートから飛び降りた。
 背後から物凄いスピードで駆け寄ってきた黒ずくめの男が、マネージャーの後頭部に手刀を叩き込んだ。
 間を置かずみぞおちに拳を打ち込み、くの字に折れたマネージャーと肩を組むようにしてアルファードに引き摺った。
 傍から見れば、酔い潰れた仲間を介抱しているようにしか見えない。
 黒ずくめの男……吹雪は、小学生の頃からキックボクシングを習っていた。
 高校生の頃にキック甲子園に東京代表で出場し、ベスト四に入ったこともあった。
 かといって、気の短い武闘派というわけでもなかった。
 小、中、高とテストの成績は常に学年で一番の秀才で、ファミリー一の頭脳派だった。
 太陽は、ヒップポケットで震えるスマートフォンを引き抜いた。
 
 荷物がエレベーターに乗ったよ!

 星からのLINEを読んだ太陽は、アルファードのフロントウインドウ越し……大地に向かって片手を上げた。
 アルファードが前進し、レクサスの背後につけると停車した。
 ほどなくすると、ビルから秋嶋が出てきた。
 かなり、酒が回っているようだ。
 秋嶋はおぼつかない足取りで、レクサスに歩み寄った。
「おいっ、田所っ、てめえっ、どこ行った!?」
「この車のお連れの方ですか?」
 レクサスのドライバーズシートを覗き込む秋嶋の背中に、大地は声をかけた。
「あ? そうだけど? あんた誰?」
 秋嶋が、赤らんだ顔で振り返った。
「車から降りて気分悪そうに吐いてましたから、いま、僕の車で休んでます。もうそろそろ出なきゃならないので、迎えにきて貰えますか?」
 太陽が言うと、秋嶋が舌打ちした。
「ったく、俺がなんでマネージャーの世話しなきゃなんねえんだよ……」
 ぶつぶつと文句を言いながら、秋嶋がアルファードに向かった。
 太陽は、秋嶋のあとに続いた。
 酔っているときを実行日に選んだのは、警戒心が薄れるからだ。
「おい、開けろよっ」
 秋嶋が、怒鳴りながらスライドドアを叩いた。
「なにやってんだっ、早く……」
 勢いよくドアが開いた――ナイフを構えた吹雪が現れると、秋嶋が息を呑んだ。
 太陽は、固まる秋嶋の襟首を摑み後部座席に乗り込んだ。
 シートの足もとには、アイマスクと猿轡をされ粘着テープで両手の自由を奪われたマネージャーが転がっていた。
「太陽、雑魚をリリースしろ!」
 ドライバーズシートの大地が振り返り、朗らかな口調で言った。
 もちろん、キャップ、サングラス、マスクの三点セットはつけている。
「悪いな」
 太陽は声をかけ、マネージャーを路肩にしスライドドアを閉めた。
 吹雪が素早く秋嶋を後ろ手にして、手錠を嵌めた。
「てめえら、何者だ……」
「頸動脈を切られたくないなら、おとなしくしてください」
 秋嶋の喉もとにナイフの切っ先をつきつけ、吹雪が無感情な声で命じた。
 太陽は小学生の頃から、吹雪が感情的になったのを見たことがなかった。
 それまでは、陽気で優しい男の子だった。
 太陽の記憶が間違っていなければ、吹雪の感情が喪失したのは、七歳の頃に可愛がっていた柴犬が目の前で車に撥ねられるのを見てからだ。
 それが原因かどうかは、吹雪の口から語られていないのでわからない。
 頭蓋骨が陥没して四肢が不自然に折れ曲がっている愛犬に添い寝した吹雪が呟いた一言を、いまでも太陽は鮮明に覚えている。

 もう、なんにも好きにならないよ。

「お、俺をどうする気だ?」
 うわずる秋嶋の声が、幼き吹雪の声を搔き消した。
「言う通りにすれば、どうもしない。逆らえば殺す」
「おいおい、あんまり脅すなよ」
 太陽は、吹雪を窘めた。
 秋嶋を庇うわけではないが、脅しが効果的なタイプと逆効果になるタイプがいる。
 少なくとも太陽は、脅しで従わせるのは好きではなかった。
 身体を拘束しているのだから、無駄に恐怖を与える必要はない。
「脅しじゃない」
 吹雪の抑揚のない声に、秋嶋の顔が強張った。
「た、た、頼む! 助けてくれ! 金ならやる! いくらだ!? 五百万か!? 一千万か!?」
 秋嶋が、逼迫した顔で吹雪に懇願した。
「そんなはした金、いりませんよ」
 吹雪が、にべもなく言った。
「わ、わかった……一千五百万……これ以上は無理だ。トム・クルーズやジョニー・デップみたいに一本五十億も六十億も稼ぐハリウッドの映画界と違って、日本の映画産業は大金が動く世界じゃない。製作費自体が全国ロードショークラスの大型配給でも、せいぜい三億とか四億だ。大御所の主演俳優だって、一千万とか二千万のギャラでやってるんだ。監督の俺なんて、数百万のギャラで動いているのが実情……」
「だから、金は必要ありません」
 秋嶋を、吹雪が冷え冷えとした声で遮った。
「だ、だったら……なにが目的で俺をこんな目に……」
「それは、着いたら教えるから! 焦らない、焦らない!」
 大地が口を挟み、豪快に笑い飛ばした。
(第2回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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