双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

文化祭のビブリオバトル

10
 翌週の月曜日、昼休みの図書室はいつもより人が多かった。ビブリオバトルのバトラーは四人、それを囲む聴衆も増えたのだ。合計で二十人はいるだろうか。司書教諭の若森先生も、二年A組の担任の東田先生と一緒に見物に来ている。
「もう文化祭の予行演習って感じじゃないね」詩織はカウンターで呟いた。「これ自体を定番イベントにしてもよさそう」
「でも、毎週ってなるときつそう」
 そう言ったのは当番の森川智美だった。今週は参加していないので気楽な表情である。
「テスト期間とかだとバトラーも減りそうだし、私みたいに一週間じゃあ紹介する本が見つからない人もいるし。一週間で一冊なんて、今時の高校生にはハイペースすぎですよ」
「うーん、そうかもねー」
「うちのクラスの大木なんか、字の本だと絶対無理だから漫画にするとか言ってましたよ」
 ビブリオバトルには漫画は禁止などというルールはない。詩織はあまり詳しくないジャンルだし、大木くんならどんな作品を選ぶのか楽しみな気がした。
「『まあ今週もチャンプ本は無理だろうなー』とか言って、小枝ちゃんに勝ちを譲る気満々でしたけど」
「そうは言っても、男の子はこういうゲームで勝ちたがるもんだよ」
「でも委員長なら実力で勝てそう。読んでる量が違うもん」
 第二回のトップバッターはその小枝嬢で、『スズメの謎』という本を紹介している。「私は普段からミステリーが好きなのでこの本が気になりました。三上修さんって理学博士の、鳥の研究のノンフィクションです」などと言っている声が聞こえてきて、詩織は早くも感心してしまった。彼女は多分、周りからミステリーでくると思われている裏をかいてその本を選んだのだろう。
 まえがきが朗読され、「調べる」という言葉には、「すでにある答えを探す作業」と「まだ誰も知らない答えを発見する作業」、大きく二つの意味があると語られている。小枝嬢は「『まだ誰も知らない答え』って言葉、もえますよね」と語って笑いをとっていた。
「この場合の『もえます』って、どっちの漢字かな」森川嬢は黒縁眼鏡をいじって微笑んでいる。「ファイヤーの『燃え』か、サブカルっぽい『萌え』か」
 詩織には何と答えていいか分からなかったが、そうやってカウンターから聞き耳を立ててお喋りするのも楽しいものだった。白前図書館での実習中にはできなかったことだし、こういうのもビブリオバトルの楽しみ方の一つだろう。これも静粛第一ではない直原高校図書室の雰囲気のおかげと思うと、あらためて先輩司書の永田さんに感謝したくなる。
『スズメの謎』では、鳥の研究者である著者が「日本にスズメが何羽いるのか」という謎について調べていく様が記されているそうで、小枝嬢はその調査内容を面白おかしく紹介している。それまでスズメの個体数の調査というのは行われていなかったとかで、テレビや新聞でもニュースになるような画期的な研究だったらしい。
「スズメが日本に何羽いるかなんて、高良さん、知ってました?」
「知らないよー。きっとその研究まで誰も知らなかったんじゃない?」
「そう思うと、なんか、発表してる小枝ちゃんまで立派に思えてきますね」
 小枝嬢は五分間をきれいに使いきって発表を終えた。ディスカッションで質問が上がってもすらすらと答えている。地学教師としても気になる本なのか、東田先生が何か質問しているのも聞こえてきた。
 次いで二番手のバトラーは大木くんだった。どんな漫画を紹介するのだろうと思っていたら、まずは楽しげなトークが聞こえてきた。
「俺、今週もビブリオバトルに出ろって言われて、何の本で出よう、ネタがない、かといって今から読むとなると大変だって思ったんだ。普通の本じゃあ読むのが間に合わねーなと考えて、そうだ漫画にしようって決めた。公式本にも、漫画は禁止じゃない、漫画も立派な本であるって書いてあったし。
 でも面白い漫画って何十巻もあったりするじゃん? それ全部持ってくるのも大変だし、かといって途中の一冊だけ取り上げるのも変だし、ぱっと紹介しやすい作品はないかなーって考えて思い出した。『ピーナッツ』があるじゃんって。ほら、スヌーピーが出てくるアメリカの漫画。図書室の朝活がきっかけで面白いって知ったし、何かテーマを絞って一冊にまとめた本もあるみたいだから」
 そんな話の最中、詩織は森川嬢と顔を見合わせた。――『ピーナッツ』だったら特に意外でもない。この図書室にも二十六巻の新書版シリーズが揃っているし、作者シュルツの回顧録みたいにまとめられた一冊もある。
 しかし、話は思わぬ方向に展開していった。
「で、前にラジオで紹介されてた、文庫専門の古本屋に行ってみた。店主のおばさんが、客とお喋りしながら本をすすめてくれる、なんて話だったから、参考になるかと思って。実際、『ピーナッツ』で何かないかって聞いたら、『スヌーピー こんな生き方探してみよう』って本をすすめられました。新聞の日曜版の連載をまとめた本で有名なんだってさ。
 でも、今日紹介するのはその本じゃなくて――それの会計の時、俺はつい言っちゃったんだ。日本にも犬の漫画で『ピーナッツ』みたいのがあればいいのにって。そしたらそのおばさんが呆れ顔になってさ、『あんた、ウッシーやロダンって犬のことは知ってんのかい?』なんて聞いてきた。知りませんって答えたら、『そういう名犬たちも知らないで、日本の犬の漫画を語ろうなんて百年早いよ』って叱られちゃったよ。そんでもう一冊すすめられたんだ。
 それがこの本、『ウッシーとの日々』の第一巻です。文庫版で四冊にまとまってるんだけど、田舎暮らしを始めた漫画家さんの実録エッセイだから、一冊だけ読んでも大丈夫。っていうか、一冊読んだら面白かったんで、残りもこれから買っていこうと思ってます。いやほんと、この漫画を知らないで日本の犬の漫画を語っちゃいけなかった!」
 そんな話の間、手の空いた森川嬢はカウンターに置かれた廃棄用紙リサイクルのメモ用紙を手に取り、鉛筆で『ウッシーとの日々』と書き記している。「作者」と書いたところで手が止まっているので、詩織は横から「はた万次郎」と書き込んでやった。
 ビブリオバトルの大木くんは、作者の紹介はすっかり忘れているらしい。それよりも漫画の中身の説明に励んでいた。
「――ほら、こんな感じでシンプルな絵なんだけど、それが北海道の田舎の広々とした空間って感じでいいんだよね。わざと似た構図にした絵を何コマも並べてる場面じゃ、時間の流れみたいなもんも味わえてくすっときちゃうし、空間と時間が気持ちいい漫画なんです。ウッシーは、白黒の模様が牛そっくりだからって名付けられたそうだけど、問答無用でかわいいし、時々写真も載ってる。漫画にはこういうギャグも満載です!」
 実際にそのページを開いて聴衆に見せているのか、笑い声が涌いている。カウンターからはそれが見えないのがつらいところだった。
 森川嬢はというと、もう一枚同じ大きさのメモ用紙を取っていた。そちらには『スズメの謎』と書いて、「みかみおさむ」と付け足している。音で聞いただけなので漢字が分からないのだ。鉛筆で薄めに書いてあるのは、後で書き直すつもりだからのようだ。
「ほら、開田先輩もどんなバトル本があったか記録した方がいいって言ってたでしょ? あの時は誰がやるとか決めなかったけど、一応書いとこうと思って」
「さすが! そういう記録って後で役に立つもんね」
「一応、書記ですから」
「下半分が空欄なのは、何か書くの?」
「どんな風に紹介されたか、まとめっぽいことも書こうかと」
「そこは後で、紹介した本人に書いてもらってもいいんじゃない?」
 そんな話をしながら、前回紹介された三冊についてのメモも作り始める。既に五冊が紹介されているので、カウンターの隅に五枚のメモ用紙が並んだ。
「さて、六冊目は何になるかな?」
「二年生ばっかりになってるから、一年生の新田瞳ちゃんとか、三年の大須先輩に頼んだって話でしたよ」
「へえ、楽しみだねー」
「オークマ曰く、『大須さんさえ引っ張り込めば、新田ちゃんもついてくる』だって」
 ベースくんこと大須勇樹は軽音楽部でバンドを組んでいて、新田嬢は一学期にそのライブに行ってファンになったらしい。彼に憧れているのは傍目にも明らかだったし、夏の間に付き合うようになったという噂だった。
「大隈くんも、見てないようで見てるよね、そういうとこ」
「普段ぼけーっとしてるけど、意外と司会向きのキャラかも」
 そういえば今回の司会者は大隈くんだ。どんな風に進行しているのか見てみたくなった。
 だけど、カウンターで働きながらその姿を想像するのも悪くない。次に何が聞こえてくるか、続きを待つのも楽しいものだった。

 三番手の発表はベースくんで、芦原すなお著『青春デンデケデケデケ』を紹介している。直木賞を取って映画化もされた小説で、ベースくんが手にしているのはこの図書館の蔵書の文庫本だ。一九六〇年代、四国の田舎町の男子高校生がロックバンドを結成して音楽活動に熱中する物語だから、彼ならさぞ楽しく読んだことだろう。あらすじの紹介にとどまらず、作中に登場する曲や章タイトルになったフレーズを口ずさんだりもしていた。
 次の新田瞳ちゃんが紹介したのは、かきふらい著『けいおん!』全六巻だった。こちらは二〇〇〇年代の女子高校生がバンドを組む四コマ漫画のシリーズだから、事前にベースくんと相談して選んだのかもしれない。初心者だった主人公が高校生になってバンドを組み、高校時代の三年間が描かれるという構造は、『青春デンデケデケデケ』と『けいおん!』で共通しているということだった。
 もっとも、『けいおん!』にはその後、主人公とメンバーたちが大学生になってからを描いた「大学編」というのもあるそうで、「両方読み比べると絶対面白いです!」などと語られている。
「そういえば瞳ちゃんって」森川嬢が言った。「二学期から軽音に入部したらしいですよ」
「ああ、それで『けいおん!』を選んだのね」
「入部したのは漫画の影響、ってわけじゃなさそうですけど――かわいいですよね。好きな人を追っかけて音楽活動、なんて」
 四人の発表が終わり、最後の投票となる頃には昼休みの終わる予鈴が響いていた。例によって最初からテーブルについていた生徒たちで投票が行われるらしく、がやがやと盛り上がっているのが聞こえてくる。
 そんな中、森川嬢は四つのタイトルを書き込んだメモ用紙を並べて腕を組んだ。
「どれがチャンプ本でしょうね? 『デンデケ』と『けいおん!』でバンド対決、『けいおん!』と『ウッシー』で漫画対決ですけど」
「ああ、カードにするとそうやって見比べられていいね」
 詩織は迷わず『青春デンデケデケデケ』を指差した。自分でしっかり読み通したのはそれだけだったし、今の高校生にも読んでもらいたい作品だったからだ。
 森川嬢は『けいおん!』を指差している。――しかし、雑誌コーナーから聞こえてきた声は二人の予想とは違ったものだった。
「はい、第二回チャンプ本は『ウッシーとの日々』に決定!」
 大隈くんの声に続いて、大木くんの喜びの声が聞こえてきた。提案者でありながら第一回で敗れた彼が、二回目にして雪辱を果たした格好である。
 詩織は森川嬢と顔を見合わせて笑った。昼休みももう終わりだけれど、後で参加していた生徒たちに、どんな風に票が割れたのか聞いてみようと思った。
11
 司書課程の通信教育で、夏の間に受けたスクーリング科目の試験結果が届いた。A判定とはいかなかったが、B判定で合格である。
 嬉しくて、クラスメイトの乃平果乃に連絡したくなった。前に教わったLINE宛てに送っておいたら、ノノちゃんはすぐに返事をくれた。
『私も受かってました♪ 今度一緒にお祝いしましょー!』
 それを読んで、安心して電話をかけた。「一緒にお祝い」について提案があったのだ。
「今度の日曜、空いてない? 白前市ってところで古本市があるんだけど――」
 図書館実習の時、入口脇の掲示板に張られていたポスターで知ったイベントだった。駅前広場を使って、個人やサークルが出店して不要になった古本を売る催しらしい。
 そういう説明をしようとしたら、その前にノノちゃんの元気な声が聞こえてきた。
「行きます行きます。面白そう!」
 日曜には予定が入っていたみたいだったが、「そんなのずらしますから大丈夫」と即答された。古本市といっても東京の神田みたいな大規模なものじゃないとも説明したが、それはそれで面白そうだということだった。
「地元の図書館員さんに聞いてみたら、露店が十軒くらいの、本のフリーマーケットみたいな感じなんだって。珍しい古書を探すってよりは、売り子さんとお喋りを楽しむ感じみたいよ」
「じゃ、買い取りとかはしてないんですか?」
「その人は個人的に相談したけど交渉不成立だったって。重たい本を担いで来ない方がいいと思うよー」
 地元の図書館員というのはプラモデル少年の丸山さんだった。春に開催された時に訪れ、めぼしい収穫はなかったらしい。プロの業者風の人も出店していたので、自宅にたまった模型雑誌の買い取りを持ちかけてみたが、値段の折り合いがつかずに諦めたということだった。
「でも、そうやって交渉するだけでも面白そう」ノノちゃんは楽しげに言った。「なかなかないですもんね。そんな風に本の話ができる場所って」
 そう言われ、詩織はノノちゃんにもビブリオバトルのことを教えてあげたくなった。しかし、公式ルールや月曜の予行演習の話をするとなると長くなる。その話は顔を合わせる時までとっておくことにした。
 
 駅の改札口で昼前に待ち合わせた。そこからは駅前の広場が見えて、ノノちゃんを待つ間に古本市の様子もうかがえた。
 晴天の下、街路樹の木陰になったタイル敷きの広場に十軒ほどの露店が並んでいた。主催しているのは白前市の子育て主婦の読み聞かせサークルだそうで、本部席らしき長テーブルの周りで主催者たちがイラスト入りの案内チラシを配っている。親子で配っている姿が微笑ましかったし、客側も家族で来ている人たちが多いようだ。
 そして改札を抜けてきたノノちゃんも、その光景に目をとめていた。
「お待たせしましたー。あれですね?」
 詩織に声を掛けながら、足を止めずにそちらに向かっていく。チラシ配りの子供に近づくと、屈み込んで「お姉ちゃんにも一枚くれる?」などと話しかけていた。
 詩織も、その子のお母さんらしき人から一枚もらった。会場の略図が描かれ、出店者の名前や短いコメントなどが書き込まれた手作りマップだ。どういうジャンルの本を売っているかの説明もあって、それを見ながら露店を回れる趣向だった。
 一坪ほどの広さに出店ブースが区切られ、ブースごとにレジャーシートが広げられていた。シートの上に直接本を置いて売る店もあれば、持参の本棚に並べている店もある。運んできた段ボール箱に詰めたままだったり、ピクニックテーブルの上に面出し展示していたり、出店の仕方も様々だ。
「やっぱりここは、主催団体のブースから行きましょうか」
「子育てサークルだから、絵本や育児雑誌が中心って書いてあるよ」
「いいですねー。絵本大好き」
 低めのテーブルに、売り物の本とディスプレイ用のぬいぐるみが並んでいた。やはり子供向けの絵本や物語集などが多くて、ノノちゃんは早速シルヴァスタインの『おおきな木』という絵本を手にとっている。
「これ、訳者によってがらっと雰囲気ちがうんですよねー。新しいのは漢字が使われてるし――詩織さんはどっちのバージョンで読みました?」
「え、どうだったかな。平仮名のイメージあるけど……」
 見ると、ノノちゃんが開いている本でも文章は平仮名になっている。ノノちゃんはにっこり笑ってページをめくる。
「じゃあきっと、こっちの古い方の訳で読んでるんですよ。ほら、おおきな木が少年の成長を見守って彼のために全て捧げて、切り株になった時に、すっごい切ない文章があるじゃないですか」
「……あんまり覚えてないなあ。だいぶ前に読んだから」
「えーっ、このお話をどう受け止めるかっていうポイントですよ。その一文が、新版と旧版で全然違う雰囲気なの。――そうですよねー?」
 最後の一言は、売り子の若い女性に向けられたものだった。彼女も新旧の訳を読み比べていたらしく、ノノちゃんと共にどっちの訳が好きかと語り合っている。たった今出会ったばかりの二人なのに、そうやってすぐに会話が弾むのもこういうイベントならではだろう。
 詩織は他の本に目を移した。――のびやかで和風な絵が何冊も目について手に取ったら、赤羽末吉が絵を描いた『日本の昔話』というシリーズだった。箱入りの立派なハードカバーで、『ねずみのもちつき』とか『さるかにかっせん』とか、子どもの頃に触れた覚えのあるお話が各巻のタイトルになっている。
 第一巻は『はなさかじい』で、目次を開くと昔話のタイトルが何ページにもわたって連なっていた。巻末には全五巻の収録作品の索引までついている。どんな話が載っているのか、覚えているあの話は載っているのかと眺めているだけでも飽きなかった。
 後ろから声をかけられたのはそんな時だ。
「高良さん、こんちわー」
 振り向くと、大須勇樹と新田瞳が立っていた。
「あらあら、お揃いで」
 つい、妙な挨拶を返してしまった。――ジーンズにロックバンドのTシャツ、ボタンをとめないデニムシャツという普段着のベースくんに対して、瞳ちゃんは見るからにデートのためのお洒落着だ。控えめなフリルがついたブラウスやスカートを白や淡いピンクでまとめたコーディネートが、ちょうど駅前の花壇で咲いているコスモスみたいに見える。
「ビブリオバトルに使えそうな本を探しに来たんですよ。こないだは二年の大木に負けたから、文化祭ではリベンジしようと思って」
「ちょうど喋ってたんですよ」瞳ちゃんが言った。「高良さんも来てるかもねーって」
「見破られちゃったねー」詩織も笑って応じた。「私もお友達と来てるの」
 振り返ったら、ノノちゃんも二人に気付いて会釈してきた。「図書室の生徒さん?」と尋ねられてうなずいたが、さて彼女のことはどう紹介したものかと迷ってしまった。
 通信教育で司書資格をとろうとしていることは、直原高校では伏せている。しかし単に友達といったら年齢差を気にされるかもしれない。咄嗟に、「一緒に司書の勉強してる仲間の乃平さん」と説明した。
 それで何か察してくれたのか、ノノちゃんは二人と軽く挨拶した後で、「じゃ、私は隣のお店を見てますね」とその場を離れた。その間に、ベースくんは手にした紙袋から何か取り出そうとしている。
「高良さん、この問題って分かります?」
「問題?」
「あっちに、手作りの帯付きで売ってるお店があったんです」瞳ちゃんが説明してくれた。「推薦文が書いてあったりして、面白いねーって言ってたんですけど、そこに穴埋めパズルみたいな帯があって」
「ほら、これ」
 ベースくんがその本を見せてくれた。――深い青の表紙のハードカバーだが、タイトルの一部を隠すように白くて太い帯がついている。それが最後の一文字を当てるパズル問題になっているのだ。
「ああ、『流しのしたの』何でしょうってこと?」
 江國香織の本だった。本来の書名が『流しのしたの』というところまでで隠され、帯には字の大きさに合わせた四角が描かれている。そこに矢印が向けられて「入る言葉をあてて下さい」と記されていた。
「そう、二人で当てっこしたんです」瞳ちゃんが言った。「私は絶対、『恋』だと思ったんだけど」
「俺は『夢』かなあって言ったんです。『流しのしたの恋』だと、なんか台所のラブシーンみたいなビジュアルが浮かんじゃうけど、『流しのしたの夢』なら、シュールな組み合わせでイメージが広がるなあって」
「あー、なるほどねー」
 詩織は素直に感心してしまった。恋も夢も、いかにもこの二人らしい回答だ。帯のパズル問題を楽しんだ二人が、こうしてその本を買っているのも微笑ましく思えた。
「でも、ごめんね。私――その正解なら知ってるの」詩織は正直に答えた。「昔、読んだから。――たしか高校の時だったから、ちょうど今の二人くらいの頃かなあ」
 その言葉に、ベースくんと瞳ちゃんは顔を見合わせた。目で話していいかと確認するような間があって、瞳ちゃんが口を開いた。
「実は、私が読んでみたいって言ったらね、先輩が買ってくれたんです。プレゼントって」
「百円だったからね」ベースくんは照れ笑いになった。「俺は女性作家の小説って読んだことないんだけど」
「あら、ほのぼのしてて楽しいお話だから読んでみてよ。瞳ちゃんの後にでも貸してもらって――」
 そう言いながら、ふっと思いついた。手にしていた『はなさかじい』の索引で心当たりの昔話を探した。
 それから『はなさかじい』はお店に戻し、代わりに『さるかにかっせん』の巻を買って代金を払った。
 店番の女性がお釣りを用意している間にページをめくった。目次のページを開いて二人に向けた。
「じゃ、私からも二人にクイズ。その本のタイトルは、ここに収録された昔話からとってるんですが、そのお話とはどれでしょう?」
「え、そこに出てくるんですか?」
「昔話のタイトルだってこと?」
「タイトルじゃないけど、お話にに出てくる言葉なの。すごく印象的な台詞だよ」
 二人は早速、目次に見入ってどの話だろうと考え始めた。――選択問題だから、小説を読んでいなくても昔話を知らなくても答えることはできる。この際、正解は明かさずに、答えは二人でじっくり見つけてもらうことにした。

 ベースくんと瞳ちゃんは、この後は瞳ちゃんの親戚の家に遊びに行く予定らしい。詩織は駅前のバス停に向かう二人を見送ってノノちゃんと合流した。
「ねえ、『流しのしたの』で始まる本のタイトルに、もう一文字つけるとしたら何てつける?」
 早速、今の問題を出してみた。ノノちゃんも江國香織は読んだことがないそうで、首をひねって考えている。
 しかし詩織から、「日本の昔話」に収録された話にヒントがあるよと告げたらぴんときたらしい。いきなり正解に到達してしまった。
「流しのしたの――骨、ですか?」
「すごい、よく分かったねー」
「だって、『かちかち山』に、『流しのしたの骨を見ろー!』って台詞があったもん。インパクト強かったから覚えてるんです。昔の日本の家に流しなんてあったのかなーって思ったし」
「そりゃあ、台所で水を使うなら流すところもあったんじゃない?」
「でも、その下に骨を隠せるような流しですよ? 私、今のキッチンの、下が戸棚になってるようなのしか思い浮かばなくって」
「……そういえばそうね」
 そういうタイプの流しでは、囲炉裏のあるような昔話にはにつかわしくない。詩織もそのあたりの知識は皆無なので首を傾げるしかなかった。
 何かしら日本風のデザインがあるのかなと思っていると、ノノちゃんはくすくす笑い出した。
「やっぱり古本市って面白いですね。こうやって、『おおきな木』や『かちかち山』の話ができるなんて思ってもみなかった」
「本って一人で読むことが多いから」詩織も微笑んだ。「何かの拍子に誰かと共有できると楽しいよね」
 そう言った後、ふと気付いた。――もしかしたら、ビブリオバトルも同じじゃないだろうか?
 読む時は一人だとしても、ビブリオバトルを通すと誰かに向けた言葉に変わる。たとえ同じ本を読んでいなくたって、ゲームのルールを通せば本の話題を共有できるようになるのだ。そこから生まれる楽しさは、図書室の高校生たちから教えてもらってきた。
 この古本市にノノちゃんを誘って、ベースくんや瞳ちゃんに会えてよかった。詩織の中で、いろいろなことが繋がっていくようだ。
「ねえ、実はノノちゃんに会ったら話したいって思ってたことがあるの」
「え、何ですか?」
 そこからは長くなった。ルールやこれまでの経緯を話しつつ、古本市の露店を巡っていくのも楽しいものだった。
12
 十月に入り、近所の居酒屋で山村さんと会った。詩織が十分ばかり遅刻して着いたところ、彼はカウンターの隅の席で新書を開いていた。
「ごめんね、お待たせ! 何読んでるの?」
 彼は無言で表紙を向けてきた。帯やカバーは外されていたが、クリーム色の表紙に『ビブリオバトル』と記されている。
 それを見ただけで嬉しくなった。――これで、彼とも話題を共有できる。
「昨日から読んでるんだ。今、後回しにしてたプロローグとエピローグを読んでたとこ」
「ああ、小説になってるパートね」
 ちょっと珍しい構成の本で、「はじめに」という前書きでビブリオバトルの概要が説明された後、小説形式のプロローグが入り、あとがき直前にも小説形式のエピローグが入っている。どちらも数十ページの分量があって、全体の三割以上を小説が占めていた。
「でも、プロローグもエピローグも結構長かったでしょ? 十分で読んじゃったの?」
「ちょっと早く着いたんだ。いまエピローグに入ったところ」
 彼らしいといえば彼らしい読み方かもしれない。読者の疑似体験のためだという小説パートより、まずはルールや理論的背景を把握したかったのだろうか。
「あとがきには『ラノベ』って書いてあったけど、そんなにライトノベル風でもないよね」
 彼は首を傾げて呟いた。ちょうど開いていたページを指さす。
「理工系の学者さんの文章だからかな。――『目の前の好青年の顔画像を脳内データベースから高速で検索しようと試みた』なんて、ロボットかAIの意識みたいだ」
 そう言われて笑ってしまった。たしかに、字面通りに捉えればロボットの心理描写みたいな文である。
「SF風味のラノベってことかもね。っていうか、作者もそういうのを狙って書いたんじゃない? ちょっとした遊びっていうか」
「この後で何かに繋がるの?」
「それ、主人公の女の子のことだよね?」詩織も首を傾げた。「実はアンドロイドでした、なんてオチはなかったと思うけど」
「そっか……『女性ならざる声を出してしまった』って書かれてた直後だから、何か伏線かと思った」
「それは深読みしすぎじゃない?」
 おしぼりを持ってきた店員に飲み物を頼み、あらためてそのページを覗き込む。――一人で読んだ時は気にとめなかったが、彼が朗読した通りの文章が載っていた。
「これ読んだ高校生、何か言ってなかった?」
「特に聞いてないけど――さらっと読んで、そんなに気にしないもんなんじゃない?」
 詩織が発注した公式本の『ビブリオバトル』も、九月のうちに図書室に届いた。既に何人もの生徒に読まれていたが、小説パートの描写に触れた生徒はいなかった。
 様々な説明は本文の方でしっかりされていたし、小説パートはシミュレーションや将来への展望みたいな位置づけなのだ。文春新書にお堅いイメージのある中、若い読者層でも手に取りやすいようにという工夫の一環だろう。山村さんとは逆に、小説パートから読んだ生徒だっていたかもしれない。
「ラノベの文体とか小説のリアリティーとかより――本文のどこかにも、『本を通して人を知る』ってキャッチコピーがあったじゃない。そういう文章を通して、著者の人となりを想像するのも楽しいんじゃない?」
「そっか」山村さんは少し考えてからうなずいた。「――うん、そうかもしれない」
「そういえば私、本の受入の時に巻末の公式ルールから読んだんだけど」 
 彼の本を借りて奥付のページを開いた。その手前に、ルールと補足がまとめてあるのだ。
「ルールの補足で、ディスカッションの時に『揚げ足をとったり、批判をするようなことはせず』なんて書いてあるでしょ? 図書室で初めてやった時には批判的な質問もあったんだけど、ちゃんとそういう場合を想定した注意だったみたい。私が事前に読んでおいたら、それを踏まえてたしなめられたのになーって思ってたの」
「でも、生徒たちも読んでるなら、そのうち自分たちで気づいたり、たしなめたりするんじゃないかな。せっかく自主的にやってるなら、生徒に任せといてもいいと思うよ」
「……なるほど」今度は詩織が納得する番だった。「それもそうだね」
 実際、図書室ノートでは今後に向けた相談が進んでいた。二回の予行演習を踏まえ、昼休みのビブリオバトルにいくつかの修正が加えられたようだ。
 まずは予行演習に替わって「月曜ビブリオバトル」という呼び名が決まった。文化祭に向けた練習というより、月曜のお昼の集まりとして定着させていくことになったのだ。その一方、書記の森川智美も言っていた通り、週一回のペースはきついということで隔週開催とテスト期間は開催しないこととなった。
 彼女のメモを元にして、「バトル本アーカイブ」といわれる記録をバトラー自身が書くことも決まった。葉書大の用紙に書名・著者名・紹介者名・おすすめポイントを記すのだ。それを詩織が預かって、紹介された日付を記してチャンプ本には金色のシールを貼りつけておく。――そのアーカイブをまとめて、読書週間や文化祭には廊下の掲示板を使った展示企画にしようという話も出た。
 特に司会者を決めなくても、慣れた者が仕切りを入れれば進行できそうだという意見もあった。必要なのは参加者とバトル本、あとは五分や三分を計る道具くらいのものだと実感されたことで、文化祭で初心者を受け入れても大丈夫だといわれていた。文化祭の二日目で教職員や外来客が参加しても、テーブルごとに進行を把握した者さえいれば何とかなるという話になっている。
「実際、面白そうだから私も交ざりたいのに、今のところ出る幕ないくらいなんだよねー」
 詩織がぼやいたところで二人分のビールが運ばれてきた。同じものを頼んでたんだなと思いつつ、軽くビールグラスを触れ合わせた。

 お互い何杯か飲んだ後で、彼が口調をあらためた。
「この前のことだけど……ごめん。大人げない態度とって」
「いいよ、気にしないで」
 さらりと答えることができた。――誰にだって、大人なところもあれば大人げないところもある。一つの面だけ咎めたって仕方ない。
 それに、こうしてちゃんと謝ろうとするのは彼の長所かもしれない。詩織だったら、ビブリオバトルの話題を共有できたことでほっとして、そのままうやむやにしてしまっただろう。やっぱり根が真面目な人なんだなと思えた。
「結局……僕がいろいろ気にしすぎちゃうからいけないんだろうね」
 彼の目は、テーブルに置かれた『ビブリオバトル』を見ている。――さっきの、小説パートのロボット描写のことでも思い出したのだろうか。
 詩織はなるべく前向きに話そうと試みた。
「あの時、『話してくれたっていいじゃん』って言われて、後から思ったの。『そんなこと言うなら、私を見かけた時点で声かけてくれればいいじゃん』って」
「……そっか。そうだね」
「今度からそうしてみてよ。別に、一緒にいるところで声かけられて困る相手もいないし」そう言ってから思いついた。「あ、前の夫だと変な空気になるかもしれないけど……まあ、彼と一緒にいることもないだろうし」
 軽い口調で言ったら山村さんも笑ってくれた。それから打ち明け話をしてくれた。
「実はね、あの日の朝、例の、ちょっとした特技が働いたんだ。あのホテルのベーカリーの袋、それがラッキーアイテムだって」
 彼の言う「ちょっとした特技」というのは、一種の予知能力のことだった。彼自身も冗談みたいに「プチ超能力」などと呼んでいるのだけれど、たまにその日のラッキーアイテムが閃くというのだ。
「あそこのビニール袋、丈夫で立派なんだ。それでパンを食べた後も畳んでとっといて再利用してるから、その日も何の気なしにポケットに入れた。それで、買い物に出かけたついでに――」
「そのパン屋に行こう、って思ったわけね」
「パンを買ったらいいことあるかなー、なんて思いながらね。我ながらのんきにホテルに行って、そこで詩織さんを見ちゃったわけ。――それで、なんだか妙に落ち込んじゃったんだ。個人的に」
「そんな、落ち込まなくたって」
「だって、こっちはラッキーアイテムって思ってたんだよ。証明しようもないプチ能力だけど、それでいいことが起こるって信じて生きてきたんだ」
「……それが外れたから、ってこと?」
「いや、そう笑うけどさ、こっちは真剣だったんだ。楽天的世界観っていうか、ポジティブシンキングっていうか――それが覆されたわけだから。予知能力がなくなったのかも、いや最初からなかったのかも、単なる思い込みだったのかもって」
 それならそれでいいじゃない、という言葉が出かかった。なくたって困らなかろうと思えたが――彼が真面目に語っているのを見ると口を挿めなかった。
「そうやってネガティブに考えちゃうのも嫌だったし、そもそも詩織さんを目撃してうじうじ気にしてるのも器が小っちゃいし、なんか自分にがっかりしちゃったんだ。そんなこんなで、大人げない態度をとってたんだなって、後から反省しました」
 彼がぺこりと頭を下げた。そんなに謝らなくてもと言いかけたが――ここはやはり、何か慰めになることを言ってあげるべきだろう。そう考えたら、古本市で『おおきな木』について話したことが頭をよぎった。
「でもそこは、どういう受け止め方をするかじゃない? 誤解は一応解けたみたいだし――おかげで私は、前より山村さんを理解できた気がするし。結果的にはラッキーアイテムだった、ってことにしちゃおうよ」
 詩織は喋りながら考えた。酔いのせいだろうか、考える前に言葉が口から出てくる。
「ていうか――さっきポジティブシンキングって言ってたけど、証明できないプチ予知能力をラッキー引き寄せ能力に変えるのは、結局自分ってことなのかも」
 山村さんはそんな言葉に驚いたようだった。まじまじと詩織を見てくるので、詩織の方で視線を外す。――テーブルの上の本に目がいって、それで次の言葉を思いついた。
「ほら、同じ本でも、どんな意味を汲みとって、どういう価値を見出すかって、結局は読み手次第ってとこがあるじゃない? それと一緒だよ」
「すごいね、そういう考え方」山村さんがうなずいた。「なんか今、すごく腑に落ちた」
「別に、私の考え方ってほどじゃないよ。最近、いろんな人の本の読み方に触れた中での実感」
「そっか。――でも詩織さんはうまいと思うよ。そういうのを言葉にして人を励ますの」
「そう? 褒めてもらえるなら光栄ですけど」
「前に、甘えちゃうとこがあるとか、失礼な言い方したけど――きっと、コインの両面みたいなもんなんだろうね。今は僕に、いい面を向けてくれたんだよ」
「裏目に出なくてよかった」
 なんだか照れくさくて、詩織は軽い口調で笑ってみせた。山村さんもにっこり笑った。
「僕も、うちの図書館でやってみたくなってきたよ。ビブリオバトル」
「開催する時は声かけてね」
「詩織さんも出る?」
「それもいいけど……生徒たちに教えたいな。きっと喜びそう」
「いいね。盛り上がりそうだ」
「いいの? 高校生がチャンプ本を独占しちゃうかもよ」
 そこからは二人して、ビブリオバトルでどんな本を紹介したいか話していった。そうして挙げたタイトルから話題が広がり、夜が更けていった。
(第10回へつづく)

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竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

  • 双葉社
  • 小説推理
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