双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

文化祭のビブリオバトル

 ご年配の、男性のお客様が、コバルト文庫の氷室冴子ひむろさえこを何冊も。
 詩織は不思議に思わずにはいられなかった。
 見事な銀髪のオールバックで、真夏日だというのに長袖シャツにループタイという姿の男性である。たぶん老眼鏡なのだろうけど、シンプルな銀縁眼鏡からは知的な印象を受ける。ぴんと伸びた背すじからも角ばった顎からも、真面目な人柄が伝わってくるようだ。
 そんな彼が、『クララ白書』や『アグネス白書』、『なぎさボーイ』や『多恵子ガール』といった文庫本を何冊も借りようとしている。
 いったい、どんな事情があるのだろう。
 もちろん、図書館実習初日、初めて白前しろまえ市立図書館のカウンターに立った身で詮索などできない。表情に出ないように努力して、真面目に貸出業務に励んだけれど――内心では、お孫さんあたりに頼まれたのか、それとも本人の趣味なのだろうかと考えていた。
 図書館利用者のことは「お客様」、「お爺さん・お婆さん」ではなく「ご年配の男性・女性」と呼ぶようにと、事前に言い渡された。この市立図書館の指定管理者である企業の方で、そういうマニュアルが用意されていたのだ。
 まあお爺ちゃんであれ年配の男性のお客様であれ、少女小説をまとめて借りていくというのは、やっぱり珍しい。氷室冴子の本は詩織も十代の頃にたくさん読んだけれど、年配の男性をターゲットに書かれているような本ではないのだ。
 同じ氷室冴子でも、『なんて素敵にジャパネスク』シリーズなら古典文学からの流れかもしれないとか、『プレイバックへようこそ』シリーズならエッセイや随筆の類が好きな人なのかなと想像できる。しかしカトリック系の女子校の寄宿舎が舞台の連作とか、十代の繊細な心理をまっすぐな一人称で描いた恋愛小説とかとなると、年配男性との繋がりなんて全く思いつかなかった。
 こういう時、学校司書となんちゃって司書の先輩、永田さんならどうするだろう。銀髪さんににっこりと笑顔を向けて「かわいらしい本を借りられるんですね」などと声をかけ、楽しく世間話をできるのかもしれない。彼女だったら、「貸出情報は利用者のプライバシーだから秘密厳守」みたいな倫理観は軽々と乗り越え、それでいて角が立たないように立ち回れそうな気がする。
 しかし詩織には、そんな度胸も要領の良さもない。おとなしくカウンター業務に励み、貸出手続きを終えて「ありがとうございました」と声を掛けた。銀髪さんは軽く会釈して退館していく。
 そのきびきびとした足取りを見ていると、本を読むのも速そうな気がした。この図書館の貸出期間は二週間だけれど、彼ならもっと早く返しにくるかもしれない。詩織の実習期間は一週間だから、ひょっとしたら返却に間に合うかもしれない。人には内緒の――ちょっとした特技を使えば、返却された本に手を触れ、そこから何かしら残留思念を読みとれるかもしれなかった。
 そうやって、内心で良からぬことを考えているのが顔に出ていたのだろうか。カウンター業務が一段落した時、待ち構えていたようなタイミングで声をかけられた。
「高良さん、ちょっといいですか」
 目顔でもって、バックヤードにおいでと促してきたのは池田久美いけだくみという正規の図書館員だ。この実習中は、インターンとして働く詩織の指導担当職員ということになっている。
 詩織はおとなしく従い、他の職員とカウンター業務を交代した。本の詰まれた棚の間を抜け、廊下に出たところで、早速注意された。
「あんた、見すぎだよー。本もお客様も!」
「――すみませんでした」
 砕けた口調で叱られたが、詩織の方は敬語で謝った。なにしろ朝から昼にかけて、書庫への運搬やら開架書架での配架作業やらばかりやらされてきたのだ。ようやくつけた初めてのカウンター業務だから、このせいで外されてしまうのは惜しい。
 久美は畳みかけるようにお説教を続ける。
「最初に言ったでしょ。誰がどんな本を借りるかってことは、お客様のプライバシーに関わることなの。まじまじ見入るなんてもってのほか」
「すみません。……つい目に入っちゃって」
「目に入ったとしても、何も見えてないような態度で対応するの。何か思っても顔に出ないようにして、心を平静に保って」
 その言い方に、くすりときてしまった。我慢しきれずに呟いた。
「なんか、お寺の修行みたい」
「口ごたえしない!」ぴしりと告げられた。「そういうとこ、学生気分でいられちゃ困るの。言ったでしょ? 公共図書館員に大事なのは、お客様への気働きなんだから」
 今度はおとなしく頭を下げた。――たとえ大学の同級生でも、今は彼女の立場が上なのだ。逆らうわけにはいかないのだった。

 池田久美とは大学一年と二年の時に同じクラスだった。第二外国語の選択でクラス分けがされ、必修科目を一緒に受けた。
 共通の友達がいたせいでなんとなく同じ友達グループで付き合っていた。だけど当時から、反りが合わない相手だという意識はあった。
 詩織は学業よりも旅行サークルの活動や合コンを中心に生きているような学生だったが、久美は正反対だった。サークルも何か入っていたとは思うが、それよりも学業優先で、どんな授業もさぼることなく出席してほとんどの科目で優をもらっていた。
 そのせいか、同じ友達グループの中にいても、一定以上に親しくなることはなかった。いがみ合ったり喧嘩したりしたわけではないし、昼時には数人で学食のテーブルを囲んだり、授業の合間にはなんとなく学生ラウンジに集まって雑談ということもあったが、二人してじっくり話したような記憶はない。もしも同じクラスになっていなかったら、たぶん友達にはならなかっただろう。
 学生時代の同級生にそういう相手がいる、というのは珍しくもないことだろう。だけど、大抵の場合はクラスが変わったり専攻が分かれたり、学校を卒業したりすればそれまでだ。社会に出てまで付き合うことはない。
 それが、十年以上の時を経て、社会人になってから再会したのだから驚いた。ましてや自分の図書館実習の指導担当となると――我が身の不運を嘆きたくなる展開である。
 なにしろ夏が来る前、図書館実習の申し込みと挨拶に白前市立図書館を訪れた詩織は、久美からはっきり告げられてしまった。
「今だから言うけど」久美は苦笑めいた表情で言った。「私、高良さんとは――詩織とは、ちょっと合わないなあって思ってたのよね」
 実習についての実務的な話を、二人で話し終えた後だった。思い出話みたいな口調で言われたものの、言葉の端々に棘を感じる。そういえば学生時代も、おとなしいようでいて時々ずけずけと物を言う同級生ではあった。
「私が大学で司書課程の勉強をしてた頃、詩織って旅行ばっかり行ってたじゃない? 羨ましいなーって思ってたとこあんのよね。『そんなに優ばっかりとってどうするの?』なんてからかわれたこともあったし――その時のお礼に、ビシビシしごいてあげる」
 冗談めかした言い方だったが、あまり冗談には聞こえない。詩織自身も不真面目な学生だった自覚はあるのだ。
「覚えてないと思うけど、みんなで何かの科目のレポートの話をしてた時、私がOPACのことを話してたら、詩織が言ったんだよね。しれっとした顔で『何それ、新しいパック?』なんて。――レポートの参考文献の話題で言ったのに、なんで化粧品だと思うのよって呆れちゃったよ。そもそもこの人、大学生のくせにOPACも知らないのかって」
 どうやら久美は、あらかじめその話をしようと思っていたようだ。――詩織は実際に挨拶に行くまで白前図書館に池田久美がいるとは予想もしていなかったのだけれど、久美の方では詩織の申込書類や履歴書を見て手ぐすねを引いていたらしい。
 OPACとはOnline Public Access Catalogの略で、所蔵目録検索とか蔵書検索とか訳される。昔のように図書目録で本を探すよりはるかに手軽に、コンピューター端末で検索できるシステムだ。大学図書館や公共図書館ともなればそれぞれのOPACを有しているし、インターネットを活かしてOPAC同士を連携させるサービスも発展している。
 今の詩織なら、図書館学のそういう知識をすらすら語ることもできる。しかし学生時代にはまるで知らなかった。当時から図書館は好きだったし、検索機だって使っていたけれど、OPACという言葉を把握していなかったのだ。オパックとかオーパックとかいう呼び名を耳にすることはあっても、なにかしらコンピューターとかインターネットの用語なのだろうという程度の認識だった。
 詩織のそういう態度が、真面目に勉強している学生の癇に障っていたらしい。
「私が司書課程をとって資格とりたいって話をしてた時も、詩織は言ってたんだよ。『私はそういう面倒くさいのパスだなー』って。『普通に卒業してどっか就職できればいいよ』なんて言ってる口調に、なんかバカにされてる気がしたのを覚えてる」
「……ごめんなさい」
 詩織は素直に頭を下げた。当時の自分の、考えの浅さを思い出すと顔が赤らむ。
「別にバカにする気なんてなかったと思うけど……私の方がバカだったんだと――思います。あの頃はほんとに、OPACも司書のことも分かってなかったから」
「そういう人が、今じゃ通信で司書資格をとろうとしてるんだから、人生分かんないね」
 久美は口元で微笑んだ。皮肉で言っているというより、本当に感慨深いのだろう。
「とにかく――うちの図書館で、ああいう学生の頃みたいな感覚で仕事するのだけはやめてよね。お客様にも、この図書館のスタッフみんなにも迷惑かかるから」
 そんな風に釘をさされて、八月後半の一週間ほど図書館実習を受けさせてもらえることになった。詩織の学校司書としての夏休みを丸々あてる形で、インターンとして図書館の実務を学ぶのである。
 そもそも詩織としては、白前図書館で実習を受けようという気はなかった。
 大和学院大学の司書課程の通信教育の選択科目に図書館実習というのがあると知った時は、自宅からも近く、図書館員とも気心が知れている直原市立図書館で働きたいと思っていた。しかし正式な申し込みの前に直原図書館の司書である山村さんに相談してみたら、彼は難しい顔をした。
「図書館は誰にでも開かれてる、来る者は拒まずっていうのが基本だし、うちも図書館実習の希望者が現れたらまず断わりはしないと思うけど」
 山村さんはそこで間を置いた。マグカップをテーブルに戻し、人差し指で眼鏡を押し上げて、じっと詩織を見た。
「僕個人としては、詩織さんがうちの館で実習するのは反対したいな」
「どうして?」
「まず……みっともない話だけど、僕が落ち着かない。気持ち的に、絶対詩織さんのことを気にしながら働くから意識が散漫になる。あと……失礼な言い方だけど、詩織さんは、僕に甘えちゃうと思う」
「――甘えちゃう?」
 なんだか引っかかる言葉だった。詩織もコーヒーのカップを置いて、山村さんの視線を受け止めた。
「って、どういうこと?」
「ええと……」彼は宙に言葉を探すように視線を逸らした。「詩織さんが、司書資格に向けて頑張ってるのは知ってるし、偉いと思うし、そういうとこが好きだけど……一生懸命なようでいて、時々楽な道を行きたがるところもあるでしょ?」
「…………」
「これはずるいな、とか、いけないことだなって分かってても、適当にごまかしちゃったりとかさ」
「でも、そういうのは――」
 詩織はつい言い返そうとした。それを予期していたように、彼は片手を上げて首を振る。
「あ、いや、別に責めてるわけじゃなくてさ。ただ――いざ図書館実習ってなった時に、僕がいるせいで、詩織さんのそういう悪い面が出てきやしないかって心配なんだ。だったら、僕なんかいない図書館を実習先に選んだ方がいい気がする」
 そう言われたら、詩織も反論できなくなった。自分に悪い面はない、などと言い張ることはとてもできないし、実習の現場で山村さんを頼らないとも断言はできない。なにしろ今こうして相談しているのだって、頼っていることには違いないのだ。
「そりゃあ、近所の図書館が通いやすくて楽なのは分かるよ」
 山村さんは、少し穏やかな声になって言った。ちょっと低めの彼の声は、そういう喋り方をするととても優しく響く。 
「でも図書館実習っていうのは本来、司書を目指す学生さんが、知り合いなんていない図書館の現場に飛び込んで、実務を経験しておくためのものだと思う。そういう経験が――実際に図書館員になった時に活きるわけだし」
 そこまで言われたら、詩織としても彼に逆らってまで直原市立図書館にこだわるわけにはいかない。それで隣の市である白前市に目を向け、白前市立図書館に申し込みをして――池田久美と再会したというわけなのだった。

 その久美は、図書館実習二日目にも詩織を「ビシビシしごいて」くれた。
「一人で抱え込まないで、忙しい時はヘルプを呼んでって言ったでしょ。そのためにカウンターにベルが用意してあるんだから。なんでそれを鳴らさないの?」
「……あの時は、なんとかなるかと思っちゃいまして」
「口ごたえしない!」
 久美が質問したから答えただけなのに、それも叱られるのだからたまらない。おまけに、理不尽な叱責の後には正論が待っていた。
「大事なのは、あなたがどう思うかじゃないの。利用者視点で――お客様に向けて配慮するってことなのよ。返却にきたカウンターで、高良さん一人があたふたして待たされたってイライラするだけでしょう。そういう時は素直にベルを鳴らせばいいの」
「……はい」
 さすがにもう口ごたえはしなかったけれど、詩織としては納得いかない話であった。一人で抱え込むなと言う前に、そもそもインターンの詩織一人がカウンターに残された事態の方が変なのだ。むしろ指導担当職員の責任ともいえるんじゃないのと言いたくもなる。
 そのあたりは、直原高校の図書委員と学校司書の関係に似ている気がした。カウンターでの貸出や返却の手続きを図書委員が引き受けてくれる時でも詩織は必ず近くにいるし、本の補修や受入や除籍といった作業も詩織の監督のもとで行っている。時々は席を外していることもあるが、そこで図書委員の生徒が何か失敗したとしても詩織の責任だ。
 だからインターンの詩織の失敗だって担当職員の久美の責任――とまで主張する気はない。だけど、もうちょっとそのへんを考慮して、穏やかに指導してくれたっていいんじゃないかとは思ってしまう。
「学校司書だったら、一人の職場で好きなペースで仕事しちゃえるのかもしれないけど」久美はさらに続けた。「普通の図書館の仕事は他のスタッフと連携してるものなの。一人で勝手に決めて行動するのは慎んで」
 学校司書だっていつでも好きなペースというわけではないのだが、一人で勝手に決めるなと言われると反論もできない。直原高校の司書室では詩織が自分で判断しないと仕事が進まないことが多々あるけれど、この市立図書館ではそうじゃないのだ。
 カウンター業務ひとつとっても、学校図書館と公共図書館ではまるで違っていた。高校は良くも悪くも閉鎖社会だし、利用者も気心が知れている。やるべき仕事も限られているから一人で判断もしやすいのだ。
 その点、白前市立図書館では仕事も多岐にわたる。――さっきだって、詩織はもともとカウンター業務にはついていなかったのだ。久美に言われた通り、カウンターの奥で返却ポストからワゴンでまとめて運ばれてきた本の返却手続き作業をしていた。そこに利用者カードを新規で作りたいというお客様が現れて、カウンターにいた職員が申込用紙の記入法の説明にかかった。ちょうど同じ時に貸出と返却のお客様が同時にやってきて、カウンターの人手が足らなくなったので助けに入ったつもりだったのである。
 詩織はバーコードリーダーを手にしていたから、そのまま返却作業を引き受けてしまえば話は早い。返却本を受け取って、何か挟まっていないかざっと確認、と思ったところにレファレンスのお客様がやって来て、咄嗟に答えようとしたら――久美に見咎められたのだった。
 詩織としては真面目に頑張っているつもりなのに、それも叱責のもとになってしまう。難しいものだと思うけれど、それも図書館実習ならではの貴重な経験、と思っておくことにした。
 実習の最中に一日だけ休みがあった。月曜が白前市立図書館の休館日だったのだ。
 公共図書館の場合、休館日といっても職員が休みとは限らず、館内整理などの仕事のために出勤することも多いらしい。インターンの詩織もそれに駆り出されるかと思ったが、幸い休みをもらえた。指導担当の久美が月曜と火曜に休むシフトだったからである。
「高良さんも月曜にお休みあげるから、図書館実習のレポートにでも励んだら? 火曜は私はいないけど出勤してもらうってことで、小姑のいない職場でのびのび働いてよ」
 そんな風に言ってくれたのは元同級生のよしみというものだろうか。小姑というよりは鬼軍曹じゃないのと返したくなったが、ぐっとこらえてお礼を言っておいた。
 もっとも、休みになった月曜日をレポート書きにあてたりはしなかった。――実習の後でレポートを提出することにはなっているけれど、休みは休みとして活用した。もともと、親戚の結婚式に行くことにしてあったのだ。
 子どものころから仲良くしてきた年下の従妹だった。今は美容師になっていて、その休みに合わせて月曜日を選んだらしい。美容室と図書館というのは同じ日が休みなのかと思いつつ、久し振りに盛装して披露宴に出かけたのだった。
 会場のホテルでたくさんの親戚たちと顔を合わせ、離婚したことや今は学校司書をやっていることなどをいちいち説明するのは面倒だったが、まあ仕方ない。ご祝儀のぶんしっかりパーティーの雰囲気を楽しんで、コース料理やシャンパンやワインを堪能した。満腹かつほろ酔いになった後は、新郎新婦に挨拶して気分よく会場を後にしたのである。
 その直後、ホテルの廊下で声をかけられた。
「やあ、高良さんじゃないですか」
 振り返ると、歳の頃なら四十から五十くらいの男が立っている。しかし詩織には、彼が誰だか分からなかった。
「素敵なドレスですね。シックで落ち着いてて、結婚式に似合いそうだ」
 オールバックに銀縁眼鏡、紺のブレザーとネクタイで、きっちりとした格好の人だった。このホテルの制服ではないけれど、何かのスタッフみたいに見える。
 詩織はとりあえず会釈を返した。結婚していた頃の鈴木という苗字ではなく、高良と呼ばれたからには、結婚前の知人か、あるいは離婚後の最近知り合った人かということになる。
 ふっと、白前図書館で氷室冴子を借りていった銀髪さんのことを思い出した。あちらは真っ白になった髪をオールバックにしていたけれど、目の前の彼も何十年かたったらああいう感じになりそうだ。
「あれれ、覚えてないですか?」
 彼は苦笑を浮かべた。軽く手を上げ、胸のあたりで振ってみせる。
「あ!」
 その、おどけた仕草で思い当たった。この前と全く違う雰囲気なので分からなかったのだ。
「大隈さん、でしたか」
 オークマパパ、という呼び名が出かかって言い直した。彼はにっこり笑ってうなずく。
「正解。思い出してもらえて光栄です」
「失礼しました」詩織は微笑んで頭を下げた。「ファッションも……ヘアスタイルも違うから、最初は気付きませんでした」
 髪形どころか、髪の色からして違う。前回直原高校で会った時には茶髪のサラサラヘアーだったのだ。今はきっちり櫛を通した黒髪である。
「さっきまで仕事だったもんですから」大隈さんはにこりと笑った。「最近は白髪染めもいいのが出てますしね」
 そういえば、彼は映像制作の会社を経営していて、結婚式などの撮影もしているという話だった。このホテルでも撮影の仕事をしていたのだろうか。前に学校で会った時は涼しげな麻のジャケット姿だったが、結婚式で働くためにお堅い格好なのかもしれない。
 本人はそうやって前とは別人みたいな雰囲気でいるのを、変装気分で面白がっているらしい。詩織が気付かなかったことだって、むしろ満足しているようだ。
 真面目な格好をしていても、どこかふざけたような雰囲気をまとった人だ――などと思っていると、彼はぺこりと頭を下げた。
「それより、この前はお騒がせしました。おかげで息子も無事に帰って来ました」
「いえいえ、とんでもございません」
 急に真面目になられたせいで、つい変な挨拶を返してしまった。「お役に立てませんで」と言い足そうかとも思ったが、その言い方も変かなあと考え直した。
「大隈くん、旅から戻った日に図書室に寄ってくれまして――そうそう、ネットで写真も見ました。道後温泉のツーショット」
「いやー、お恥ずかしい」彼は砕けた口調に戻った。「あの後、一緒に電車で戻って来ようかとも思ってたんですけど、翌朝には逃げられましてねー。あいつは自転車でしまなみ海道を渡って戻ってきたようです」
「とにかくご無事で何よりでした」詩織はそこで思い出した。「実は、ちょっと不思議に思ってたんです。どうしてお二人が道後温泉で巡り合えたんだろうって」
「そこはほら、仮説に基づいて行動したんですよ」得意げに答えられた。「メールにも書いたでしょ。あいつのインスタ画像から手掛かりが――」
「その仮説っていうのは……四方津のコモアブリッジから、よく似た斜行エレベーターがある松山市を目指した、ってことですか?」
「そうそう。ちゃんと分かってるじゃないですか」
「でも、その仮説だと日付までは特定できないって思ってたんです。息子さんから、八月八日が誕生日って聞いて、その関係かなーとは思ったんですが……」
「うーん、惜しい」大隈さんは首を傾げた。「だけど、そのあたりを説明するとなると、ちょっと長くなります」
 大隈さんは芝居がかった仕草で腕時計を見た。それから指を立て、上に向けてみせる。
「どうですか、上の階で、軽くお食事でも?」

 ホテルの上の階にある展望レストランのシェフが大隈さんの友人ということだった。しかし詩織は披露宴のコース料理を食べた後である。結局、ロビーラウンジの喫茶室に寄っていくことになった。
 詩織としてもコーヒーくらいならと思ったし、さっきの話も気になる。生徒の保護者と一対一なんて初めてだなと思いつつ、テーブル席に落ち着いたのだった。
「さっきの話ですけど……どうして大隈くんが道後温泉に来る日付が分かったんですか?」
 そんな質問に、大隈さんは悪戯っぽい表情で答えてくれた。
「あいつのことだから――家出じゃないなら、去年の自分と張り合うと思ったんですよ」
「自分と張り合う、ですか……」
「一年生の時も、夏休みが始まるなり旅に出たんです。その時はフェリーで北海道に行くとは聞いてましたが――帰ってきたのは二十五日後です。たまたまスケジュール帳にメモってたんで勘定できました」
 彼はブレザーの内ポケットに手をやって、実際にスケジュール帳を引っ張り出した。中を見せてくることはなかったけれど、ページをめくりながら微笑んでいる。
「その後も冬休みや春休みに、一週間とか二週間とか出たことはあるけど、日程的に物足りなそうでね。そうなると、今年の夏はもっと長くなりそうだと思うじゃないですか。最短でも二十六日間は旅行するんじゃないか。となると中間点は十三日。八月四日です。単純な往復と考えれば、八月四日頃に一番遠い目的地、折り返し地点となるような場所に着くはずってのが、僕の仮説でした」
「それで、松山に向かわれたんですか?」
「ええ。自分の夏休みを前倒しして、八月四日前後に道後温泉に泊まって網を張ったわけです。そしたらあいつ、うまい具合に八月五日に現れましてねえ。こんな、推理ともいえない博打みたいな勘が当たるかーって、自分でも笑いましたよ。まあ、こっちの予想通りに動いてくれる素直な息子に育ってくれたと喜んでおくことにしました」
「……大隈くんにも、そう仰ったんですか?」
「いやいや、もちろん、そんな言い方をしたらカチンとくるでしょうからね。たまたま道端で出くわしたって体で、『よお、偶然だな!』って声をかけてやりました。あいつも驚いてましたけど、しまいに笑い出してね。そうなったらもう、父の勝利ってもんですよ」
 そんな話を聞かされたら、詩織としても笑うしかない。この父にしてあの子ありなんだなあと、不思議とあたたかな気持ちになれた。
 そうやって、たくさん喋って笑いをとるタイプかと思ったら、大隈さんは聞き上手でもあった。運ばれてきたコーヒーを飲み終える頃には、すっかり詩織が喋って彼が聞く格好になっていた。
 披露宴の酔いも手伝って、詩織はお喋りになっていた。学校司書の仕事や就職した経緯、司書資格のための通信教育や図書館実習、その現場の指導担当が厳しいことと、つい個人的な話まで打ち明けてしまった。――司書資格のことはあまり高校生たちには話さないようにしていたのだから、本当だったら保護者に話すのだって慎むべきだが、誰かに聞いてほしい気持ちがたまっていたらしい。
「しかし、どうして白前市にしたんです?」大隈さんが尋ねてきた。「お住まいは直原市内なんでしょ? 直原図書館の方が近そうなのに」
「私の――直原高校からもらう夏休みと市立図書館の休館日が、何日も重なっちゃうんですよ。実習期間は一週間って決まりだし、夏休みは一週間しかとれないしで、ちょっと無理かなあと」
 山村さんの話題は避け、無難な理由を話しておいた。大隈さんは二杯目のコーヒーを口にして、のんびりと店内を見回している。 
「どうせなら地元の図書館で実習した方が、気心知れてて楽そうですけどねー。あそこのスタッフなら優しそうだし」
「直原図書館、よく行かれるんですか?」
「たまに行きますよ。根がものぐさなもんですから、読みたい本があったら本棚や検索機で探したりしないで、まずスタッフに聞くことにしてるんです。これこれこういう本はありますかって」
「そっか、本職に見つけてもらった方が早いですもんね」
「そういえば、前にそうやって頼んだら、『実習生』って名札をつけた人だったことありますよ。今おもえば、図書館実習中の女子大生ってことだったのかな」
「きっと、時々受け入れてるんでしょうね。私は都合が合わなかったけど、図書館実習の希望者が現れたらまず断わらないって話でしたし――図書館は誰にでも開かれてる、来る者は拒まずっていうのが基本だそうです」
「『話でした』って、誰の話です?」
 のんきに喋っているようでいて、時々ぱっと鋭い質問を返してくる人でもあった。詩織は言葉を選んで答えた。
「直原図書館の、司書の方です。実は休館日のことが分かる前、実習の相談だけはさせてもらってて」
 個人的なことは伏せた。大隈さんは口元に笑みを浮かべている。
「司書さんっていうと、丸っこい眼鏡の彼ですか? 三十歳くらいの」
「――そうですね。眼鏡、丸かったかも」
 詩織は平静を装って答えた。何か見透かされていそうな気もしたが、そんなわけもないかと思い直した。
「彼も残念だったんじゃないですかね。高良さんみたいな美人から実習の相談を受けて、結局はよそに行かれちゃったんじゃ」
「そうでもないんじゃないですか? 相談した時点で、あまり気心が知れてるところで働くのもよくないって言われちゃいましたし」
「え、なんでまた?」
「知り合いなんていない図書館の現場に飛び込んで、実務を経験するのが図書館実習の本来の目的、だそうです」
「惜しかったなあ」冗談みたいな口調で言われた。「どうせなら直原図書館で働いてくれてれば、僕も実習生の高良さんを冷やかしに行けたのに」
「冷やかしって」詩織もつい笑ってしまった。「私の実習なんか見ても面白くないですよ」
「いやあ、しれっと頼んでみたいなあ。『あなたの一番のおすすめの本を読んでみたい』なんて」
「そういうのは、レファレンス相談っていうのかなあ……」
 軽い調子で言われ、呆れながらも笑ってしまった。大隈さんは楽しそうに尋ねてくる。
「でも、そういう利用者だっているかもしれないでしょ。もしそう言われたら、高良さんならどんな本をすすめてくれます?」
「私なら――そのお客様がどういう本で喜ばれるかって考えてみるかなあ」
 ふっと久美の言葉を思い出した。「大事なのは、あなたがどう思うかじゃない」という考え方からすれば、そこで詩織があれこれ考えるのは間違っているのだろうか。
「でも、男の人ならこういう本で喜ぶだろう、なんて、私なんかに決めつけられても嫌じゃないですか?」
 そこで思い浮かぶのは、白髪をオールバックにした真面目そうな顔だった。あの銀髪さんがコバルト文庫の氷室冴子を借りたがるなんて、思いつきもしなかった。
「男の人が何を考えてるか、なんて、さっぱり分かんないですもん。何か手近な本――たとえば返却済みのワゴンに載ってる本を一冊とって、『これなんかどうですか? 人気のある本みたいですよ』なんて言っちゃうかもしれませんね」
 詩織としては無難な答えを言ったつもりだったが、大隈さんは笑い出した。そんな回答は予期していなかったらしい。
「男が何を考えてるか、男性代表として言わせてもらえれば……大抵の場合、何も考えちゃいないんですよ」
 そう言って、あっはっはと笑う姿は、本当に何も考えてないみたいに見える。ふっと、この人にコバルト文庫をすすめたら、どんな顔をするだろうなと思った。
(第6回へつづく)

竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

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