双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

夏休みのバシラドール

12
「見ました? オークマのインスタ」
 小枝嬢から尋ねられたのは、翌週の開館日だった。
 朝一番で図書室に顔を出すなり、司書室にいた詩織に声をかけてきたのだ。詩織は無言で首を振り、周りを見回して手招きした。
 幸い他に人目はない。詩織が司書室のパソコンを起動すると、小枝嬢もこっそり入ってきた。――絶対に他人に見られてはいけないというほどのことでもないのだが、二人して小さな共犯意識を楽しんでいた。
「何か進展あったの?」
「今朝開いてみたら更新されたんです。――とりあえず、見てみてください」
「そっか。行方知れずの生徒さんの新情報とあれば、職員としても確認しておかないとね」
 我ながら妙な言い訳をしつつ、今度は詩織が大隈くんのアカウント名を打ち込んだ。表示された画像に、つい声を上げていた。
「あ、オークマパパ!」
「そうなんです。旅先で親子再会したみたい」
 古くて立派な瓦屋根の、三階建ての和風建物を背景に親子が並んだ写真だった。笑顔でウインクしているお父さんと、前よりさらに日焼けした大隈くんである。
 やはり親子だけあって、並ぶとどこか似ている。だけど表情は対照的だった。オークマパパはご機嫌で得意げな顔だ。息子の方はというと、わざとそっぽを向いて立っている。照れ隠しだろうか。
 背景の三階建てはレトロなデザインの鉄柵に囲まれ、その脇には何故か人力車がとまっている。さらにその隣にある、大きな荷物をつけたマウンテンバイクは、きっと大隈くんが乗ってきた自転車だろう。そこに到着した直後の記念写真みたいにも見えた。
「変な写真ですよね。オークマ、むすっとしちゃって」小枝嬢がからかうように言った。「パパとツーショットが嫌なら、撮らないとかアップしないとかすればいいのに」
「そうも言えなかったんじゃない? お父さんに見つかって、っていうか旅先でばったり会って」
 詩織には変な写真とは思えなかった。大隈くんが本気で嫌がっているようにも見えない。むしろ親子の微笑ましい記念写真ともいえそうだ。
「きっと、オークマパパが先回りしてたんだよ」
 詩織は、先週の開館日からこれまでのことを大雑把に説明した。――小枝嬢と推理した食べ歩きルートは大木くんから反論されてしまったが、返却日の推理やインスタグラムのことはオークマパパに伝えておいた。するとオークマパパの方では息子の行方についての新たな手掛かりを見つけたらしい。
 喋っていると突飛な話にも響いたが、小枝嬢はすんなり受け止めている。あの大隈くんのお父さん、オークマパパならそれくらいはすると分かっているのだろうか。
「大隈くんは成り行きまかせで旅してるつもりだったのに、お父さんの方は目的地を推理して待ち構えてたんじゃないかな。びっくりするやら照れくさいやらで、どんな顔していいか分かんなかったんだと思うよ」
 そう考えると大隈くんが気の毒にも思えてくる。お父さんは「父親として究極にカッコいいかも」なんて書いていたけれど、気ままな旅の行く先を見破られた息子の方はどんな気持ちだったのだろう。
 その写真をクリックして拡大した。何かキャプションでお父さんのことが書いてあるかなと思ったら、『道後温泉なう。ワイヤレス充電器ゲット』とだけ記されている。
「道後温泉!」再び声を上げた。「すごい、自転車で愛媛県まで行っちゃったの?」
 夏目漱石の『坊っちゃん』で有名な温泉地だ。――そういえば、ジブリ映画のロケ地巡りのサイトにだって出ていた。
 道後温泉と分かると、大隈父子の背景になっている三階建てにも見覚えがあることに気付いた。テレビや雑誌で見かける有名な温泉建築だ。人力車があるのはきっと観光客向けのサービスだろう。
「じゃあこの三階建て、『坊っちゃん』にも出てくる温泉かな?」
「自転車旅行ならお風呂も寄りたいだろうし、ワイヤレス充電器っていうのがポイントですよ」小枝嬢が言った。「旅に出て音信不通になって、インスタの更新も止まってた謎が解けました。スマホの故障か充電切れかなーとは思ってたけど、きっとコネクターのところが壊れたんですね」
「それで、充電できなくなってたってこと?」
「だって普通のバッテリー切れなら、自分で充電すれば済む話だもん。仮に旅先だって、ケータイショップとかに行けば只で充電させてくれたりするし、オークマだってそのくらいは頭が回ると思うんですよ。でも充電ケーブル自体がささらなくなったらそれもできないでしょ。きっとオークマパパはそこまで見抜いて、接続しなくても充電ができる道具を持ってってあげたってことじゃないかな」
「なるほど……」
 中古の端末とかで前からそのあたりの調子が悪かったとしたら、お父さんには察しがつきやすかったかもしれない。映像関係の仕事をしているなら機械のことにも詳しいはずだ。
「じゃあもしかして」詩織はくすりと笑った。「『この充電器を貸してほしけりゃ俺と記念写真を撮れ』なんて言ったのかな」
「あー、オークマパパなら言いそう」小枝嬢も笑った。「『そしてその写真をインスタにアップしろ』って脅迫したりして」
「だから嫌々って顔してインスタで公開してるってことかもね」
「これまで風景と料理ばっかりで、自撮り写真とかも全然なかった奴ですもん。そうやってお父さんから脅されてなかったら、親とのツーショットなんてのせませんよ、普通」
「大隈くんはそんなつもりなかっただろうけど……行方不明の間に心配してる人もいたわけだもんね。そういう人に向けて元気な姿を見せておけ、って親心もあったんじゃない?」
 実際、詩織も彼の姿を見て安心したし、小枝嬢だって何やかやと言いつつも嬉しそうだ。父親としてそこまで考えてくれたのだとしたら、やはり大人の配慮というものだろう。
 だけど、そこでふっと思いついた。――写真の中のオークマパパのウインクは、ひょっとして詩織に向けられたものではないだろうか?
 彼にインスタグラムのことを教えたのは詩織だ。そこに写真をアップすれば詩織が見るのは予想できただろう。メールで「行方を追ってみる」と書いたのを受けて、「ほらね」とウインクしてみせている、とも考えられた。
 いささか自意識過剰かもしれないけれど、そう思って写真を見たら、もうその表情にしか見えなかった。詩織相手に得意がってみせたって仕方ない気もするが、そういう点にはこだわりそうな人とも思える。大人の配慮と同時に子どもっぽいところもありそうな人だった。
「もしかして……」画像を見つめて呟いた。「オークマパパが言ってた仮説って、ジブリのロケ地巡りってことだったのかもね」
「仮説?」
 小枝嬢が聞き返してくる。詩織は、オークマパパとのやりとりで出てきた言葉なんだと説明した。――彼はコモアしおつのことを知っていて、インスタグラムの画像から新たな手掛かりをつかんだ。その結果、こうして道後温泉に辿りついたということらしい。
 そんな話をしているうちに、だんだん小枝嬢の目が輝き始めた。どうやら推理好きとして、オークマパパへの対抗心が膨らんできたようだ。
「だからね」詩織は話をまとめた。「インスタグラムの画像で『耳をすませば』や『千と千尋の神隠し』の坂が出てたから、次も別のロケ地を目指してるって考えたんじゃないかな。映像の仕事をしてる人ならそういうのって詳しいだろうし」
「でも、ロケ地っていったら他にもありますよね」小枝嬢は首を傾げた。「道後温泉って特定できたのってなんでだろう?」
「他の手掛かりから考えたってことかな」
 詩織はインスタグラムの画面をスクロールさせた。――やはり、料理や風景の写真が大半だ。詩織には、そこから仮説を立てることはできそうもない。
「きっと、何か見落としがあるんですよ。私たちが気付いてないことが」
 そう言っている間にも、小枝嬢の目の輝きが増していく。見落とした手掛かりから推理が導けるらしいということで、何やらファイトがわいてきたらしい。
「その、大木くんの反論じゃないですけど――山梨の四方津から愛媛の道後温泉を目指したんだとしたら、途中で福島の白河に行くのって、やっぱり回り道すぎますもんね。これまでの推理を組み立て直した方がいいのかもしれない」
「まあ無事って分かったことだし、二学期に本人に聞いてみたら?」
「でも、それも悔しいじゃないですか」小枝嬢は唇を尖らせた。「オークマパパが言ってることが本当なら、これまでの画像を見るだけだって、四方津から道後温泉って推理は導き出せるってことですもんね。インスタ画像をそのまま信じていいのかって視点で、じっくり考え直してみます」
 バシラドールの足取りの謎を自分も解いてみせると、宣言するような口調だった。

 その週の土曜日はスクーリングの最終日だった。
 午前中はこれまでと同様の授業、午後はこれまでの総復習と質疑応答みたいな時間が設けられて、最後に一時間ほど使ってテストとなる。情報資源組織演習という科目の単位がもらえるかどうか、それで決まるのだ。
 科目名に演習とつくくらいだから、授業の中でも様々な演習問題に取り組んできた。だけどテストでは授業で取り上げなかった種類の問題を中心に出題されているようで、しっかり自宅学習してこなかったら危ないところだった。それなりに勉強してきたつもりの詩織だって、合格点に達しているか自信は持てなかったのだ。
「詩織さーん、書誌記述の問題とか、できました?」
 解答用紙が回収される中、ノノちゃんが声をかけてきた。
「うーん、とにかく書いといたけど」詩織は首を振ってみせた。「機械的に決まりごとに従った感じだから、自信ないなあ。書いた自分は理解できてるのかって聞かれたら危ない感じ」
「分かるー。私も全然自信ないし……引っかけ問題ありましたよね?」
「え、そうなの?」
 詩織は全然気付かなかった。ということはつまり、引っかかってしまったのだろうか。
 ノノちゃんは教科書を開いて教えてくれた。――一見、授業でやったのと同じ問題に見えるのだが、問題に添えられた図版をよく見ると、教科書の例題とは微妙に違うタイトルの本になっている。当然、書誌を記述するならそちらに合わせないといけないわけで、理解力以前に注意力が問われる問題だった。
「あらー」詩織はため息をついた。「ちっとも気付いてなかった」
 どうやらその問題は間違ってしまったらしい。単位がもらえるか、ますます不安になってきた。
 合否の結果が分かるのは一ヶ月後である。不合格となったら再履修だが、詩織の場合は再びスクーリングを受けにくるのは日程的につらい。インターネットを通じて動画を見たり問題に解答したりという、メディア授業という形で履修することもできるけれど、それはそれで手間がかかりそうである。できれば一発合格といきたいところだった。
「私は間違っちゃったけど、引っかけ問題に気付いたってことは、ノノちゃんはきっと受かってるよ」
 力なく告げた。筆記用具をバッグにしまって立ち上がると、なんだかどっと疲れを感じた。
「そんな、詩織さんだって大丈夫ですよ。授業の時とか、私よりできてたじゃないですか」
 ノノちゃんは励ますように言ってくれた。その表情から、まずいことを言っちゃったと後悔しているのが伝わってくる。
 でもノノちゃんが悪いわけじゃない。詩織が自分で反省するしかないことだった。
「なんか、たくさん問題やってるうちに、考えずにやる癖がついてたみたい。授業でやったのそのままで対応しないで、じっくり考えて解くべきだったね」
 言いながら、ふっと既視感を抱いた。――似たようなことを、つい最近言われなかっただろうか?
 ちょっと考えて、小枝嬢だと気付いた。大隈くんのインスタグラムの画像について話していた時だ。
「そういえば、火曜日に高校の図書室でそんな話をしてた」苦笑まじりに言った。「常連の女の子が、『そのまま信じていいのかって視点で、じっくり考え直してみます』なんて言ってたの。そういうのを教訓にしとくんだったなあ」
「賢そうな子ですね」ノノちゃんが目を丸くした。「何の話題だったんですか?」
「例の、バシラドールくんの話題。新しい写真がアップされてて――」言いかけて、途中でやめた。「この話をすると長くなっちゃうな。またこないだのカフェにでも行かない?」
 にっこり笑って誘うことができた。ノノちゃんも笑顔でうなずいてくれた。
 
13
 翌週の開館日、図書室はそれまでよりも賑やかになった。朝から二人も来館者があったからだ。
「道後温泉、辿り着きましたよ!」
 まずはそんな言葉と共に小枝歩乃佳が現れた。そして彼女の後ろから、大木葵も顔を出した。
「謎は全て解けた、ってやつですね」
 彼の口調は『金田一少年の事件簿』の台詞を真似ているのだろうか。詩織は司書室を出て、貸出カウンターで出迎えた。
 クラスは別だが、図書室を通じて顔見知りの二人である。詩織に向かって楽しげに喋り始めた。
「ちょっと二人の推理を照らし合わせてみたんです。高良さんの話を聞いてて気になったから」
「いやー、俺のは推理ってほどのもんじゃないけど、なんか小枝ちゃんが燃えてるから協力してます」
 大木くんは照れ隠しみたいに言った。詩織は澄ました顔でうなずいておいたが、内心では「小枝ちゃん」と呼ぶことにしたのねと思っていた。
「問題は、食べ歩きルートとジブリのロケ地巡りルートが重ねにくいってことだったでしょ?」小枝嬢が話を進めた。「特に白河」
「だから俺、何の気なしに言ったんですよ。白河ラーメンだからって、福島の白河とは限らないかもなーって」
「そう、そこがミスリードの始まりだったんです。ほら、ご当地ラーメンって言っても、その土地じゃなくても食べられるじゃないですか」
「あー、たしかに」詩織もうなずいた。「札幌ラーメンとか博多ラーメンとか、全国にあるもんね」
「そうなんですよー。私、なんでそこに気付かなかったんだろうって自分で笑っちゃった。気付いてみれば簡単で、ご当地料理は別の土地でも食べられるけど、風景写真は現地じゃなきゃ撮れないってことなんですよ。風景からオークマ移動ルートを導いて、そこに料理を当てはめて考えるべきだったんです」
「例えばオークマ、天むすの写真をアップしてたでしょ? パッケージに『そば屋の天むす』って書いてあったから、ネットで検索してみたんだ。そしたら名古屋でも愛知でもなくて、製造元は山梨県北杜ほくと市だって。小淵沢こぶちざわ駅の駅弁なんだ」
「でも小淵沢まで行かないと買えないわけでもないんですよ。東京駅とか新宿駅の駅弁屋さんでも買えるんだって」
「ああ、全国の駅弁を揃えてるお店があるもんね」
 詩織もたまに利用する。七月に雛多に行った時も、時間に余裕があったら寄りたかったくらいだ。
 ふっと『チャーリーとの旅』の一節を思い出した。バシラドールについて、「そこには存在しそうもない事柄を選び、それを見つけてやろうと骨を折るのである」と書いてあった。――バシラドールの大隈くんにミスリードを仕掛けたつもりなんてなかっただろうけど、詩織も小枝嬢も「その料理の存在しそうな土地柄」に引っかかってしまったわけだ。
「あと、鰻重の写真って思ったのもあったでしょ? 高良さんが、大隈くんには高級品かもって言ったのが気になってて」
「それも画像検索してみたんだけどさー」大木くんが笑い出した。「出るわ出るわ。最近ウナギが高いから、見た目は鰻重でも実は別の物って料理が結構あんの。ナマズの蒲焼きとか、カマボコに焼き目をつけたのとか、焼きナスをウナギっぽく見せたナス重なんてのまであった」
「あとは、アナゴですよ」小枝嬢がため息と共に言った。「アナゴの蒲焼きなら昔から普通にあるでしょ? 調べたら、アナゴ料理の専門店が西八王子にあったんです。ランチタイムは安く食べられるっていうから、貧乏旅行の高校生にも嬉しいかも」
「あと、白河ラーメンは、甲府に有名店があった」
「つまり、どれも中央本線の東京から山梨までの間になんとかなる料理だったんです」
 小枝嬢が人差し指を立てて動かした。空中の路線図を辿るように説明していく。
「たとえば新宿で天むすの駅弁を買って、国分寺あたりで途中下車して自転車で聖蹟桜ヶ丘に行って、また中央本線に戻って西八王子でアナゴを食べて、それから四方津でコモアブリッジの写真を撮って、甲府で白河ラーメンを食べて――って感じの移動ルートが考えられるんですよ」
「料理も風景も、撮った順にアップしたって思えば、インスタに並んでる順番とも合うし」
 二人の説明に詩織も納得した。「国分寺あたりで途中下車」という言葉から思いついたこともある。
「国分寺の隣に武蔵小金井駅ってあるでしょ? スタジオジブリの最寄り駅だし、自転車でちょっといけば小金井公園っていう広い公園があって、中に江戸東京たてもの園ってとこがあるんだよ。『千と千尋』とか、映画に出てくる昔っぽい建物のモデルになった建物が結構あるんだって」
 ジブリ映画のファンサイトで読んだ情報だった。その時は特に注意しなかったが、大隈くんが中央線で移動したと思えば繋がりが見えてくる。――彼は、国分寺じゃなく武蔵小金井で降りたんじゃないだろうか?
「小金井公園と聖蹟桜ヶ丘じゃ方向が逆だけど、大隈くんならそのくらいの距離は楽々と走破しちゃうよね」
「確かに」
「あいつのスマホを見たら、そこで撮った写真が詰まってるかもね。ネットにアップしなかった分」
「だいたい、写真をインスタに上げる基準が分かんないよねー」小枝嬢が唇を尖らせた。「風景は坂道がらみのを選んだのかもしれないけど、白河ラーメンとか天むすとか、まぎらわしいったらありゃしない」
「そこが面白かったんじゃない? 大隈くん的には」詩織は一応かばっておいた。「新宿で山梨の駅弁が買えるんだーとか、甲府にも白河ラーメンがあるんだーとか、気ままな旅の発見って感じじゃない」
「……そういうとこが人騒がせっていうか、何ていうか」
「でも、オークマ本人は騒がせてる自覚なんてないんだろうなあ」
 小枝嬢がため息をつき、大木くんが笑いに変えた。みんなして笑った後で、小枝嬢が話を戻した。
「そして――甲府までいったあたりでオークマスマホの充電が切れて、そこから行方不明になったわけです。でも旅は続けてて、とうとう愛媛県の道後温泉まで行っちゃって、それを見抜いたオークマパパが待ち構えてたってわけですね」
「で、どうやって見抜いたのかなーって不思議だったのよ」
 詩織は考えながら言った。――これまでの推理を踏まえても、その謎は解決しないようだ。
「整理してみると」小枝嬢が言った。「大隈くんの旅には三つの目的があったみたいです。坂道と料理とジブリ映画と。道後温泉は、このうちのジブリ映画に該当するって高良さんの指摘の通りです」
「でも、小枝ちゃんも言ってたよね」詩織が言った。「ジブリ映画のロケ地っていったら他にもあるって。大隈くんの行き先が道後温泉だって特定できたのはなんでだろう?」
「だから、ジブリ映画の線ともう一本、別の線があるってことですよ」
 小枝嬢は両手の人差し指を立て、宙に二本の線を引いて見せた。
「ほら、数学で言うじゃないですか。――二本の直線が交わるとしたら、必ず一点なんです。オークマパパは、ジブリ以外のもう一本の線に気付いたから、二本の交点が分かったんじゃないかな。それって何だろうねって喋ってたら、大木くんから名案が」
「名案ってほどでもないんだけど」大木くんは照れ笑いを浮かべた。「オークマのインスタ写真にあったじゃん。『図書館で借りた。学校と市立と』って。俺、あいつが市立図書館を使ってるとこなんて見たことなかったからさ、珍しいこともあるもんだって気になったんだ。だから小枝ちゃんに提案したんです。わざわざ市立図書館に行ったのはジブリ映画以外にもなんか目的があったんじゃないか、学校の本は次の開館日に確認すりゃあいいから、まずは一緒に市立図書館に行ってみようって」
「あらあら、そんな調べ方があったのね」
 詩織自身、『千尋と不思議の町』を探して市立図書館に行ったが、それは黙っておいた。――そんな形で二人の図書館デートが実現したというのも素敵だなと思える。
 小枝嬢が思い出し笑いの後で話し始めた。
「でも大木くん、司書さんに向かっていきなり『友達の借りてた本を調べたいんです』なんて相談して断られたんですよ」
「あらあら」
 詩織としては、永田さんから聞いた『あやしい手紙』の話を思い出さずにはいられなかった。断った司書さんというのは山村さんだろうか。
 さすがにマガーク探偵団に対応した女性図書館員とは違い、直原市立図書館の司書なら簡単に利用者の貸出履歴を明かしたりはしないだろう。大木くんが断られるのも無理はないが、そこは小枝嬢がフォローしたらしい。
「大木くんの言い方だと、大隈くんがどんな本を読んでるか調べるって感じに響いちゃったんですよ。だから私、友達が借りた『千尋と不思議の町』って本を調べたいだけですって言い直して――ついでに聞いてみたんです。コモアブリッジとか、コモアしおつについて調べることはできますかって。ダメもとっていうか、とりあえずその名前を出してから、詳しく説明しようと思ったんですけど――」
「もしかして……その司書さんはもともと知ってたとか?」
 詩織は話の途中で尋ねた。山村さんの顔を思い出したら、ふっとそんな気がしたのだ。
「そうなんです! 『それなら載ってる本がありますよ』って、レファレンスコーナーの本を教えてくれて――私、まさか説明する前から通じるなんて思ってなかったからびっくりしちゃって」
「多分ですけど」大木くんが説明した。「オークマは夏休みの旅行計画のために市立図書館を使ってたんだし、前にその人に向かって同じ質問したんじゃないかな。四方津駅のコモアブリッジを調べたい、とかなんとか。そんで司書さんはその時、いろいろ調べてこの本に行き当たってたんだと思う」
 言いながら、大木くんは鞄を開いて立派な白い本を引っ張り出した。一緒に入っていたB5サイズの大学ノートより一回り大きな、分厚いハードカバーである。
 カウンターにその本が置かれた。この図書室で見ると少々意外な本だった。
「『積水ハウス50年史』……」詩織はその書名を読み上げた。「って、住宅メーカーの社史ってこと?」
「うん。『寄贈・積水ハウス殿』って書いてあった。会社が、自分たちで出した本を市立図書館に寄付したってことじゃない?」
 大木くんが表紙をめくると、見返しのところに寄贈印がおされていた。横から小枝嬢が手を伸ばしてページをめくる。
「私たち、閲覧席で巻末の索引のページから調べたんです。そしたら、『コモアブリッジ』は出てなかったけど、『コモアしおつ』って項目が見つかって」
「しかも一か所だけじゃなくて、109、250、253ページって書いてあるでしょ?」大木くんはその数字を指差した。「二人して、小声でその数字を繰り返しながらページをめくってったんです。そしたら……」
 小枝嬢が両手で本を持ち上げた。最初の方に戻ってページがめくられていく。
「そしたら、目当てのページを見つける前に止まったとこがあったんです。――ほら、分厚い本って、一度しっかり開いたページに癖がついて、次に開く時にそのページが出ることってあるじゃないですか。それだったと思うんだけど……」
 82ページと83ページの見開きで、めくる動きが止まった。詩織の視線はページ右上の写真に吸い寄せられた。
「あれ、これ……似てるね」
 写真の下に、「分譲地の入り口へと続く日本最大級の斜行エレベーター」という説明が出ている。細長いガラス屋根の建造物が、緑の丘の坂道を上るように続いている写真だった。
「でも、オークマの撮ったコモアブリッジとは違うんです」大木くんがにっこりと笑った。「そこにも書いてあるけど、『グリーンヒルズ湯の山』の斜行エレベーター、だって」
 1986年の出来事が書かれたページの中の、「『グリーンヒルズ湯の山』販売開始」というコラムだった。分譲地の入口までは坂道が続くことから斜行エレベーターが設置されたと説明されている。
 そして詩織は、その分譲地についての記述に目を見開いた。
「……愛媛県、松山市!」
「そうなんです」小枝嬢が言った。「グリーンヒルズ湯の山、っていうのは、松山の道後温泉から何キロか山の方に行ったとこの住宅地だそうです」
「地図で見たけど、オークマなら絶対自転車で行ってる距離だよ。――しまなみ海道だか瀬戸大橋だかで四国に渡って松山入りして、まず自転車で湯の山まで行ったんじゃないかな。そんで汗だくになった後、有名な道後温泉で風呂に入ろうとしたら、親父さんに見つかったって感じ?」
「オークマパパはきっと、斜行エレベーターの線に気付いたんですよ。四方津も湯の山も、未来型っていうか、男子の好きそうなSFっぽい坂道ですもんね。それで、息子はグリーンヒルズ湯の山や道後温泉を目指すに違いないってにらんだ父は、先回りして待ち構えた……ってわけです」
「でも……大隈くんがいつ到着するかっていうのは、どうして分かったんだろう?」
「そこは想像ですけど、他にも手掛かりがあったんじゃないですか? 自転車で移動できる距離とか18きっぷの枚数とかから考えて」
 そのあたりは小枝嬢の推理でも特定できないらしい。横から大木くんが、アシストするみたいに言った。
「別に日にちを特定なんかしなくたって、道後温泉でのんびりしながら待てばいいだけじゃん。オークマパパって自由業者らしいし」
「なるほど……」
 会社経営なら自由業とはいわなそうだし、自由業者だってそこまで気楽ではない気もしたが、まあ世間的にも夏休み期間である。オークマパパは温泉に居続けをするのが似合いそうな人でもあったし、そこは詩織も深く追求しないことにした。それよりも腑に落ちない点があるのだ。
「そもそも、どうしてオークマパパはグリーンヒルズ湯の山のことを知ってたんだろう?」
「映像関係の仕事をしてたら知る機会もあったんじゃないですか? 83ページには『日本最大級』なんて紹介されてるし、109ページのコモアしおつの紹介には『斬新な試みとして話題になった』って書いてあります」
「でも、小学生の大隈くんから質問された時には分からなかったんだよね」
「その時は、知識と風景が繋がらなかっただけじゃないですか? だって高良さんの話によると、現在のオークマパパはインスタの写真を見ただけで『コモアしおつ』って名前を出したわけですよね。だったら、いま現在知ってるのは確かです。なら一緒にグリーンヒルズ湯の山のことを知ってても不思議はないですよ。こういう本を調べれば出てくる情報ですもんね」
 小枝嬢はページの端をぱらぱらとめくってみせた。――大隈くんだけじゃなく、オークマパパもこの本で調べたのかもしれない、と言いたそうだった。
「そっか」詩織はあらためてその本を眺めた。「大隈親子が別々のタイミングで同じ本を読んでた、ってことだったら面白いね」
「その後で俺と小枝ちゃんも、同じ情報に行き着いたわけだし」
 大木くんが得意そうに言った。まさか寄贈した住宅メーカーだってそんな風に活用されるとは思ってなかっただろうが、一冊の本がずいぶんと役に立ったわけだ。
「そういうところって、本の強みだよね。ネット検索じゃ見つからない情報に、ページをめくることで出会えるなんて」
「そういうところは市立図書館の強みでもある」大木くんが笑った。「知らない会社が寄付した本もあるし、自分で探さなくても司書の人が教えてくれるし」
「そうだねー」詩織も微笑んだ。「そういう司書さん、私も見習いたいなあ」
 詩織はもう、その司書さんが山村さんだろうと確信していた。――後で本人に尋ねてみようかなと思ったが、これまでにどんな利用者が読んできたかはきっと秘密にされてしまうだろう。
 あらためて、情報資源組織という言葉を思い出した。大隈くんの一人旅の写真や親子の再会までの手掛かりだって、様々な情報資源には違いない。それを探す仕組みについて、高校生たちからいろいろと学ばせてもらえたようだった。
 
14
 その日の昼頃、開館日の図書室はもう一人の利用者を迎えた。
「どーも、ご無沙汰してまーす」
 窓から司書室を覗き込んだ浅黒い顔に、詩織は思わず立ち上がっていた。
「大隈くん!」
 仕事机を離れて駆け寄った。見れば大隈くんはTシャツとサイクルパンツという格好で、背中に大きなリュックサックをしょっている。
 どうやら自転車旅行の帰り道にこの図書室に顔を出してくれたらしい。夏休み中とはいえ、生徒は登校時には制服を着ることになっているのだが、運動部のユニフォームなどは大目に見られている。彼の自転車旅行姿というのもその範疇だろうか。
「ちょっと長めの旅に出てたんだけど」大隈くんはいつもの調子で言った。「親父から、担任とか高良さんにも相談したんだぞって言われちゃったから。――えーと、ご心配おかけしました」
 そうやって謝るように言われていたのだろうか。神妙な顔でぺこりと頭を下げられた。
 どうやら無事の報告をするため、帰宅前に直原高校に立ち寄ったということらしい。これまでの移動距離を思えば、高校と自宅の距離なんてないようなものだ。
「とにかく無事でよかったよ。日焼け、すごいねー」
 詩織は思わず、彼の肩や背中を叩いていた。Tシャツ越しにも、引き締まった筋肉の硬さが伝わってくる。
 もうちょっと早く来てくれれば、という言葉が出かかった。そうしたら小枝嬢や大木くんとも会えたのに、と思ったのだ。
 だけど結局、それは言わずにおいた。――きっと、それぞれとの再会でそれぞれの感慨があることだろう。互いに直接言葉を交わす楽しみを奪ってしまっては申し訳ない。
「インスタグラム、見たよ」詩織からはそれを言っておいた。「お父さんと、道後温泉で会ったの?」
「そうなんだよ。あんなとこまで追いかけてきて、バカだよねー」
 その言い方に笑ってしまった。オークマパパのメールにも似たような言い回しがあった気がする。
「私からしたら、どっちもどっちだよ」詩織は笑いをこらえて言った。「最初から、自転車で松山まで行くつもりだったの?」
「まあ電車も使ったし」大隈くんはこともなげに言った。「行けたら行ってみようかなってつもりだったんだ。――っていうか、行けるとこまで行ってみようって感覚だったかな」
 やはり、自らバシラドールと名乗るだけのことはある。そんな感覚で松山まで行ってしまう息子も息子だが、そんな息子を見つけ出してしまう父親も父親だ。
「それで、帰りはお父さんと一緒?」
「まさか」
 即座に首を振られた。考えもしなかったことらしい。
「俺はなるべく自転車だったけど、親父は電車だったし――旅館で夜中まで飲んで朝はイビキかいて寝てたから、置き去りにしてきた。誕生日まであんなのと一緒にいたくなかったし」
「そっか、大隈くんって八月生まれだったっけ」
 前に、八月八日が誕生日だと聞いた覚えがある。小枝嬢は「他にも手掛かりがあったんじゃないですか?」と言っていたけれど、八月八日というのも手掛かりだったのかもしれない。行き先が松山だろうと推理して、誕生日には一人で過ごしたがる性格というのを考慮すれば、道後温泉に現れそうな日というのも見当がついてくる。
 何はともあれ、高校二年のバシラドールくんは、旅の間に十七歳になっていたわけだ。初めてこの図書室で会った時には十五歳だったのだと思うと、ずいぶん時が流れた気がした。
「おめでと。星野道夫の『十六歳のとき』より、一つ年上になったんだね」
 前に図書室の読書会で取り上げたエッセイのタイトルを出してみた。大隈くんはにこりと笑って首を振る。
「まだ同い年みたいなもんだよ。あれって、高校二年の夏休みの話だってことだったし」
 読書会でそんな話をしたのを思い出した。あれから一年経っているんだなと、あらためて思った。
 その一年の分だけ、大隈くんが成長したのは間違いない。日焼けだけじゃなく、背だって伸びたし物腰も変わった。本もいろいろ読むようになったし、市立図書館にも行くようになった。
「まあせっかく図書室に来たんだし、何か借りていったら?」
 詩織は書架の方に向かって手を広げた。大隈くんは一つうなずき、大きな荷物を背負ったままで歩いていく。
 リュックサックくらい下ろしたら、と言おうとしてやめた。彼がどんな本を選ぶか、楽しみに待つことにした。
(第5回へつづく)
竹内真のブックコラム 2 『赤木かん子の図書館員ハンドブック 分類のはなし』 赤木かんこ/著 埼玉福祉会
『あやしい手紙』 E・W・ヒルディック/著 蕗沢忠枝/訳 あかね書房
『華氏451度 新訳版』 レイ・ブラッドベリ/著 伊藤典夫/訳 ハヤカワ文庫SF


『分類のはなし』では、分類体系について解説され、学校図書館の現場で使いやすいように作られたイラスト分類シールについて説明されています。ところどころに挿まれたコラムも興味深い読み物でした。
「図書館は個人情報厳守!」というコラムで、代本板という悪弊が紹介されてます。本を借りる際、利用者名の書かれた板と入れ替えておく仕組みだそうです。誰がその本を借りているかは一目瞭然だけど、利用者のプライバシーへの配慮はゼロ。その代本板を追放するために分類シールが考えられたんだとか。
 幸い、僕はその代本板には縁がなかったけど、個人情報厳守って考えのあまり、他者や本を否定してる人には首を傾げちゃいます。『あやしい手紙』復刊に反対する人をネットで見かけた時にも思ったんですが、テーゼの一人歩きは時として危険な気がするんです。
 以前、公共図書館で遭遇した例ですが……「図書館では静かに」というお題目が絶対的正義だと思ってるのか、ゴルフ雑誌のページをめくりつつ、妙に張り切って他の利用者に注意しまくる人がいました。やれ「お前の鞄についた飾りが歩くたびに鳴ってうるさい」だの、「椅子を引く時にきしませるな」だの、偉そうな口調で胴間声を上げてる姿に、あんたが一番うるさいよとツッコミを入れたくなりました。そりゃあ静かにするのはいいことだけれど、何かはき違えてるよなあと。
 原作刊行が一九七八年、日本では二〇〇四年に新装版の出た『あやしい手紙』に、図書館の個人情報保護についての新しい注がついたのは、時代的に仕方ない配慮だったのかなと思います。だけど、「マガーク探偵団シリーズは全巻そろっているのに、何故か『あやしい手紙』だけは所蔵してない図書館」を見かけると首を傾げちゃいます。なんだか、物語に対する取り締まりの感覚で排除したみたいに思えて、それでいいのかなと考えちゃうんですよね。
 何か一つの価値観だけが優先され絶対視されてるのを放っておくと、しまいにおかしな事態を招く気がします。日常的に図書館を利用していると、似たような事例を見かけることが結構あって、そのたびに『図書館戦争』や『華氏451度』を思い出しちゃいます。図書館内で銃撃戦をしたり本を焼いたりってのも、ある種の正義の果てなんだよなーと。
 僕がこれまで作中に書いた、学校図書館から貸出履歴が漏れるとか、古い利用者カードが書庫に放置されてるとか、公共図書館で貸出手続きの際に職員がその書名を声に出すとかのエピソードは、全て実際に体験したことです。そりゃまあ、それに首を傾げることもあったけれど、それでも特に抗議とかはせず、相変わらず自分のペースで図書館を利用しながら今に至ってます。(学校司書が僕の借りてる本を吹聴、それを聞いた教師に揶揄される、なんて場合はさすがに言い返してやり込めてやりましたけど)
 個人情報厳守、って倫理自体は素晴らしいけれど、そうじゃない例も現実に存在してます。だったら僕は、現実を踏まえて物語を作っていきたいと思うんです。だから小説について、「個人情報厳守なのに守られてない!」って批判を受けると不思議な気持ちになります。もちろん「個人情報の守秘なんて気にしなくていいのだ!」なんて主張するつもりはないし、図書館関連のことで間違ってることがあったら指摘してもらいたいとは思ってるんですけども……。

竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

  • 双葉社
  • 小説推理
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