双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

夏休みのバシラドール

 生徒は夏休みの期間であっても、直原高校の教職員はまだ休みではない。詩織が夏休みをもらえるのはお盆過ぎだ。月曜になると、詩織はいつものように事務室へと出勤した。
 事務室の朝会で事務長から伝達事項などがあり、それから書類仕事に取り掛かるのが習慣だったが、その日はちょっと事情が違った。
「実は高良さんに面会の方がいらしてるので、ちょっとこれから、応接室までいいですか?」
 山城やましろ事務長に促され、校長室の隣の応接室に向かった。そこで待っていたのは見知らぬ中年男性と、地学教師の東田ひがしだ先生だった。
 五分刈り頭で黒縁眼鏡、堅物そうな四角い顎と太い眉という東田先生は、見るからに厳しそうなタイプだ。詩織に無言で会釈したと思ったら、渋い声でいきなり本題に入った。
「こちら、大隈さんとおっしゃって――二年A組の、大隈広里ひろさとくんのお父さんです」
「あらあら、そうでしたか」
 詩織は慌てて頭を下げた。教師と違い、生徒の保護者と会う機会など滅多にない詩織にとっては、ちょっと緊張する展開だった。
 おまけに、あの大隈くんの父親である。――図書室の新入生向けオリエンテーションをきっかけに星野道夫の本を読むようになり、影響されて写真部に入ったり一人旅に出たりというユニークな少年だ。そのお父さんはどんな人なんだろうと、内心で興味津々だった。
 なにしろ、大隈くんとはまるで違うタイプの、遊び人風の外見だった。
「どうも、倅がお世話になってます」
 浅黒い顔は四十代後半といったところだろうか。茶髪のサラサラヘアーのせいでサーファーみたいな印象を受ける。ワイシャツに麻のジャケットという服装だったが、スポーツ系のファッションやアロハシャツが似合いそうだ。
 真面目な挨拶の言葉も、どこかとぼけているような響きがあった。詩織が「いえいえこちらこそ」と返すと、ぐっと砕けた口調に変わった。
「いやー、この度はバカ息子のせいでお騒がせしちゃいまして。まだ家出と決まったもんでもないんすけどねー」
「家出……?」
 詩織は東田先生や山城事務長に視線を走らせた。東田先生が一つうなずいた。
「夏休みに入ってから、連絡がついてないんだそうです。かれこれ一週間ですし、お父さんとしては警察に届けるかどうか迷ってらして、まずは学校に相談ということで」
「彼は図書委員だし図書室もよく使っているということで」山城事務長が言い添えた。「一学期中の彼の様子とか、高良さんから何かお話を聞けたらと思いまして」
「ほんとすいません」大隈さんも言った。「急にお呼び立てしちゃいまして」
「それは構いませんけど……家出かも、しれないんですか」
「なにしろあの通り、何考えてるか分からない……というか、何も考えてないような奴でして」大隈さんは頭を掻いた。「これまでも何度かあるんですよ。一人旅だーって言っちゃあぷいっと家を出て、何日も連絡してこない、みたいなのは」
「携帯電話とかは……」
「一応、ちょっと前から持たせてはいるんですがね。かなりの確率で電源切ってますし、自分からなんてかけてきやしません。こっちからかけたって、着信画面に私の名前があったらまず出ないんですよ。留守電に吹き込んでおくと短い文章だけ返してくる、っていう横着な奴なんですが――それが今回は、一度も通じてなくてねえ。ははは」
 言った後で自分から笑っているが、その笑い方には力がない。明るく話そうとしているものの、親としては心労も大きいのだろう。
「なにしろ今回の場合、親子喧嘩の後で出てったもんですからね、意地でも口きかないみたいな気分になってるのかもしれないんですよ。うちからは自転車とテントと寝袋がなくなってるし――前にあいつの一人旅用に許可証まで出しちまったことがありまして」
「許可証?」
「ほら、未成年が一人で知らない土地をうろついてると補導されかねないでしょ? そこで私が、『彼の保護者です。一人旅を許可しました。確認が必要ならこの番号にお電話ください』なんて、写真の裏に一筆書いて、動画まで撮ったんです。そういうのさえありゃあ警官に職務質問されても大丈夫ってわけで――ああ見えて、炊事洗濯も一通りできるし、その気になりゃあ何日でも野宿して生きられるような奴でして」
「ええと……」詩織は頭を整理した。「大隈くんは、お父さんと喧嘩して出ていった、無事だとは思うけど何日も連絡がつかない、でも家出とは限らない、いつもの一人旅かもしれない、それを知るための手掛かりがないか……ってことでしょうか?」
「……なるほど」
 うなずいたのは山城事務長だった。彼も詩織の説明で腑に落ちたらしい。
「そんなとこです」大隈さんもうなずいた。「だからまあ、家出かどうかはおいといて、どこ行ったのかー、くらいは掴めるといいなと思いまして。東田先生にメールして、こうして相談にうかがった次第で」
 それで警察より先に直原高校に相談に来た、というわけだ。しかし詩織としては、家出騒ぎで学校司書が頼られるなんてことがあるとは思わなかった。自分などを当たるより、他に聞き込みした方がいいんじゃないかと思える。
「お友達とかは当たってみました? 同級生とか、部活仲間とか」
「それは私から、何人かに」東田先生が答えた。「電話して心当たりがないか聞いてみたんですが、はかばかしい答えは聞けませんでした。話が話ですから、生徒の間で妙な噂になってもいけませんので、あまり大々的に聞いて回るのもどうかという懸念もありまして。もちろん話を聞いた生徒たちには固く口止めしておきましたが」
「そうなんですか……」
 その生徒たちが気の毒になった。怖そうな東田先生から「固く口止め」なんて、叱られたように感じてしまいそうだ。仮に何か知っている子がいたって、すぐには聞き出せないんじゃないかという気もする。
「これまでの例だと、何日くらいで帰ってきてたんですか?」
「ふらっといなくなった時は、腹を減らして二日三日で帰ってきてましたよ。さすがに一週間とか二週間とか旅行する場合は出てく前に大雑把な予定くらい言ってましたし」
「さっき、親子喧嘩っておっしゃってましたけど――どんな原因だったんですか?」
「うちは父子家庭なもんですから……男同士の喧嘩なんざ下らない理由で始まるんですよ。今日の飯はまずいとか、文句言うなとかね。先週の月曜は、たまたまあいつが作る番で、こっちはビール飲んで酔ってたもんですから、しょっぱいにも程があるぞ馬鹿とか言ったのがきっかけだったかなあ」
「はあ……」
 そんな理由で家出というのも無理がありそうだ。親子の間のことなんて当事者でなければ分からないのだろうけど、大隈くんは特に怒りっぽいとか思いつめるとかいった性格ではない気がする。やはり家出というよりは長い一人旅なんじゃないかと思えた。
 そもそも詩織が最後に大隈くんと会ったのはいつだったろう。――学期中は毎日のように顔を合わせる生徒でも、長期休暇に入ると滅多に会えなくなる。詩織自身は仕事であっても、図書室に彼らの姿がないのが夏休みの証拠みたいなものだった。
「私の知る限りは」詩織は思い出しながら答えた。「一学期中に特に変わった様子はなかったと思いますよ。先週の終業式の日は、当番じゃなくても帰りに図書室に顔を出してくれて――そうそう、借りてる本の返却にきてくれたんです。まだ期限じゃないけど、夏休み前に返しとかないと忘れちゃうから、なんて言って」
 詩織が冗談で「延滞料が膨らんじゃうもんね」と告げたら、「レンタル屋じゃないんだから」などと笑っていた。そのやり取りが最後である。――つい先週のことなのに、ずいぶん前のことのように思えた。
「終業式というと」事務長が手帳を開いた「月曜日ですね。今日でちょうど一週間だ」
「その時に返したのはどんな本でした?」東田先生が尋ねた。「何か、手掛かりになるかもしれない」
 先生としては何の抵抗もなく尋ねたことだろう。わざわざ学校まで足を運んだお父さんの手前、少しでも情報がほしい気持ちも分かる。
 しかし詩織は、そこで言葉に詰まった。
 大隈くんが一学期最後に借りた本。――どんな本かは覚えていたし、この図書館のシステムにも履歴が残っているはずだ。保護者からの問い合わせなのだし、教えてあげたら役に立つかもしれない。
 だけど、それは大隈くんの個人情報だ。詩織の一存で他人に明かしていいものだろうか?
 多分、大隈くん本人は気にしないだろう。だけど詩織は気にする。いや、気にかけるべきだと決めたのだ。それは自分への戒めみたいなものだった。
 以前の詩織だったら、何も考えずに口にしていただろう。でも今は違う。まだ資格はとれてないけれど、司書資格を目指して図書館学を勉強している身なのだ。貸出履歴の漏洩はは学校司書として慎むべきだと思える。
 かといって、ここで黙っているのもまずい気がした。大隈くんは本当に家出しているのかもしれないし、何か事件に巻き込まれているかもしれない。少々変わったお父さんのようだけど、親御さんの心配のためにも正直に答えるべきかもしれない。
「ええと……」
 迷いながら口を開いた。事務長と先生と父親と、三人の視線が自分に集まっている。
 
「それで――結局、どうしたの?」
 その日の夜、電話で大雑把な事情を話すと、山村やまむらさんからは心配そうな声が返ってきた。
 生徒の家出疑惑、と話したことへの心配なのかもしれない。でも多分、詩織が司書として失敗したんじゃないかと心配なのだろう。有資格者で市立図書館の司書を務める彼から見れば、詩織はまだまだ危なっかしい新米図書館員だ。
 しかし、あまり初心者扱いされるのも心外だった。澄ました声で答えてやった。
「ご心配なく。ちゃんとお断りしましたから」
「でも、それで平気だった? 事務長さんって一応、詩織さんの上司でしょ?」
「上司っていっても別に高圧的な人じゃないし――貸出履歴は個人情報ですって原則を説明して、今の時点では学校司書としてご協力できませんって答えたの。東田先生からはそこを何とかって粘られたけど、その保護者さんの方で『分かりました。そういうことなら無理強いはできません』って引き下がってくれて。結局、もしも本当に家出とか事件とかだって分かって、行方を捜さなきゃならないって状況になったらまた考えましょうって話で落ち着いたの。一応、連絡先のメモをもらって、もしも何か分かったら連絡するってことにして」
「そっか。――まあ、今はそれがベストかもね」
「でしょ? 私だって、司書として間違ってばっかりってわけじゃないんだから」
 控えめな笑い声が返ってきた。その点については否定も肯定もしにくいようだ。
 もっとも、本当に間違っていないのかというと、詩織も自信はない。自分から白状しておくことにした。
「でも実は、雛多町で永田さんから言われたことが引っかかってるの。学校司書は臨機応変の方が優先だって――今日の場合は、大隈くんの行方捜しの方が優先って考えるべきだったかな?」
「うーん……」山村さんも何やら考えている。「僕も、言わないって選択でよかったと思うよ。何か切迫した事情があるなら別だけど」
 ほっとする答えが聞けた。彼の思慮深そうな低音で言われると不思議な説得力がある。
「教師に聞かれたら喋る、親御さんが来たから喋るってことだったら、臨機応変っていうより付和雷同だものね。家出や事件ってはっきりしたら、って判断で正解だったと思う」
「市立図書館でそういう質問されても、やっぱり答えない?」
「そうだね。学校図書館と違って、教師とか父兄とかは関係ない立場だから、『それはお答えできかねます』って対応するよ。うちの貸出システムの場合、返却後にまで何を借りたかって履歴は残らないし」
「うちの高校も、コンピューターの仕組みから変えとくべきなのかもね」
「でもそうなると、手間も予算もかかる大仕事だよ。学校司書の負担が大きすぎるんじゃないかなあ」
 ただでさえ事務仕事と兼任で忙しく、資格の勉強までしている詩織には難しいんじゃないか、と言いたそうな声だった。詩織としても、これ以上仕事を増やしたら持て余しそうなのは分かる。そう考えたら今の仕組みに当たりたくなった。
「だいたい、漏らしちゃいけない個人情報だっていうのに、なんでうちの高校、貸出履歴が残るようなシステムになってるんだろ。別に必要もないのに」
「多分……昔の貸出カードの名残りじゃないかな? ほら、書名とか借りた人の名前とかを手書きで記入するシステムだと、本のカードには借りた人の名前が残ったし、利用者のカードには借りた書名が残ったから」
「それで、コンピューターを導入しても履歴を残すようにしたってことか……」
「その頃には個人情報の保護意識も低かったんだろうね。大抵は外注でシステムエンジニアとかがプログラムを作るもんだし、学校みたいな組織はなんでも記録に残したがる傾向があるし」
「でも、それをいったら公共図書館だってそうでしょ?」
「そういう一面もあるかもしれないけど……そこはほら、『図書館は成長する有機体である』ってやつだよ。図書館自体に成長しようっていう意識があるから、悪しき旧弊はだんだんと淘汰される」
 山村さんの言葉が、ちょっと得意そうな響きを帯びた。――古い公立校でのんびりとした雰囲気の直原高校より、直原市立図書館の方が進歩的な組織ということだろうか。その点では詩織には反論できそうもなかった。
「『成長する有機体』って、図書館学に出てくる言葉だよね?」
「そう。ランガナタンの図書館学五原則。言える?」
「『本は利用するためのもの』とか『本はすべての人のため』とかでしょ? あとは、『すべての本をその読者に』と……もう一つ、何だっけ?」
 通信教育の教科書で何度も目にした言葉だった。暗記したつもりでいたものの、急に問われると全部は出てこない。山村さんも詩織の勉強のために言ってくれたのだろうけど、ぱっと答えられないのが悔しくもあった。
「『読者の時間を節約せよ』だね」山村さんはさらりと答えた。「図書館員が分類や組織化についての学問を修めておくと、使いやすい図書館になって読者の役に立つ。詩織さんが土曜日に受けたスクーリングも、そういう形で学校図書館に活かしていけると思うよ」
「……なるほど」
 そう言われると腑に落ちる。――そうやって学問と現場を繋ぐ考え方を示してくれるあたりは、やはり頼りになる人だった。
 もうちょっと喋っていたくなったけれど、今夜も勉強の予定が残っている。長電話はほどほどにして、スクーリングの復習にとりかかることにした。

 大隈くんが終業式に返しに来た本のことは覚えていた。カウンターでちらりと見ただけだが、彼が読むにしては分厚い本だったからだ。
 東田先生やお父さんと会った後、詩織は図書室の棚でその本を探した。白いハードカバーが置かれていたのは英米文学の棚だ。仕事中に読むにはいささか長そうだったので、その場で貸出手続きをして持ち帰ってきた。その夜の勉強を終えた後、寝床でページをめくった。
 ジョン・スタインベックの『チャーリーとの旅』という本だった。『怒りの葡萄』や『エデンの東』で現代アメリカを描き、押しも押されもしない大作家になっていたスタインベックが、五十八歳にして「私は自分自身の国を知らない」と悟り、現実のアメリカに触れるために旅に出るという旅行記だった。キャビン付きに改造したピックアップトラックで、愛犬のチャーリーと共にアメリカを一周しようという計画である。付録みたいにして四つ折りの地図もついていて、北アメリカ大陸をぐるりと回った行程を概観することもできた。
 本のページや地図に触れていると、旅に出たいと憧れる気持ちが伝わってくるようだった。そして冒頭のほんの数ページを読んだだけで、詩織には事情が分かった気がした。――あの大隈くんがこんな本を読んだら、そりゃあ影響されるに決まっている。まさかアメリカを一周することもなかろうが、どこかに旅に出たくはなったはずだ。
 二ページ目に、「人が旅に出るのではなく、旅が人を連れ出すのだ」という文章があった。去年の夏休みにもフェリーやヒッチハイクで北海道の端まで一人旅をしてきた大隈くんにはぴったりだ。スタインベックの文章を読んだ後で、大隈くん自身も旅に連れ出されてしまったに違いない。
 そのことを彼のお父さんに伝えてあげたいと思った。そうしたら少しは安心してもらえる気がするのだが、話の筋に論理性がないのが問題だった。ただ詩織がそう感じたというだけで、客観的には何の説得力もない。今の時点でそんな話をしたってかえって迷惑かもしれなかった。
 お父さんも「家出と決まったもんでもない」と言っていたが、大隈くん本人でさえ、それが家出かどうか分かってなそうな気がした。まず旅に出たいという気持ちがあって、親子喧嘩というのはほんの小さなきっかけだったのかもしれない。たとえ喧嘩がなくたって、彼ならある日ふっと旅に出ていたのではないだろうか。
 なにしろ、読者の旅への思いをかきたてるような文章はその後も続いていた。スタインベック自身の心理だけじゃなく、周囲の人たちを通して、旅への憧れとか胸のときめきとかが描かれているのだ。アメリカ人について、「さすらうことに飢えているのだ」という考察があったが、それはきっと大隈くんにも当てはまる。土日を使って自転車旅行をすることが多いと聞いたが、彼のことだから、もっと長い旅に出たかったのかもしれない。一学期の間じゅう「さすらうことに飢えて」いたのなら、夏休みになった途端にふらりといなくなっても不思議はない。
 そんな気持ちは詩織の中にもあった。――学生時代から旅行が好きで、結婚するまでは旅行雑誌に勤めていたくらいだ。先週末にスクーリングから雛多町へ旅行しただけでも、ずいぶんとリフレッシュできた。新幹線から路線バス、永田さんの車と乗り換える行程を、ちょっとした冒険みたいに楽しんでいた気がする。
 だからスタインベックの旅の準備についての文章に、自分や大隈くんを重ねながらページをめくることができた。シンプルかつユーモラスで読みやすい文章だったし、付録の地図や本の栞紐が終わりの方に挟まっていたところを見ると、大隈くんはこの本を最後まで読み終えたに違いない。きっと、本に熱中したあまりに予定よりも早く読み終えたから、まだ返却期限ではない終業式の日に返しに来たのだろう。まだ読みかけだったら、最後まで読んでから旅立ったんじゃないかとも思えた。
 大隈くんの気持ちが伝わってきたせいか、詩織自身も先へ先へと読み進みたくなった。下手したらそのまま朝まで読みふけってしまいそうな本だった。――なにしろ、序章みたいな「旅立ちの前に」という章だけでも、旅についての含蓄深い文章がたくさん並んでいた上、しまいにはアクション映画の一場面みたいになっていったのだ。
 スタインベックの滞在している別荘にハリケーンが接近し、その暴風によって入江に係留してある船同士が衝突しそうになる。その船を守るため、スタインベックは荒れる海に飛び込んで船に乗り込み、片手で舵を操りながら片手で重たい錨を持ち上げる。そうして船を救ったばかりか、再び海に飛び込んで自らも生還を果たすのである。晩年のジョン・ウェインやクリント・イーストウッドあたりが演じたら似合いそうな、なんとも逞しい行動力だった。
 そんな文章に引っ張られ、ついつい先のページをめくりたくなる。その気持ちをぐっとこらえ、今夜はその章だけでやめておいた。睡眠不足にならないように、明日の出勤時間に備えて眠っておくことにした。
 
 翌日は夏休み中の開館日だった。生徒たちが夏休みの間も、図書室は毎週火曜に開館することになっている。
 休みとはいえ、部活動とか補習とか、空き教室を使った自習室での勉強とかで登校してくる生徒がいる。そんな彼らに図書室を利用してもらうための日だ。平日は毎日出勤している詩織も、図書館利用者の生徒と会える開館日にはちょっと張り切った気持ちになる。
 図書室でも自習はできるけれど、夏休み中はエアコンの使用を控えるよう言い渡されていた。自習室の方でエアコンを効かせているので、涼しいところがいい生徒は自習室を利用すべしというのが学校側の方針だ。経費削減のためといわれれば詩織の立場で文句は言えないけれど、そのせいで図書室の利用者が減ってしまうのは寂しくもあった。
 その日は風があって、図書室じゅうの窓を開け放したら午前のうちは涼しく過ごせた。それでもやはり利用者の姿は少なくて、詩織としてはこの心地いい空間がもったいないなと思ってしまう。
 そんな中、常連の生徒が現れると、やはり嬉しいものだった。
「こんにちはー。聞いてます?」
 司書室の扉をノックするなり尋ねてきたのは二年A組の小枝歩乃佳ほのかだった。いつものようにミステリー小説を返却に来たようだが、今は本より現実の事件に意識が向いているらしい。
「大隈くん、家出して行方不明らしいですよ。男子の間で噂になってるんです。担任から行き先に心当たりないか聞かれた子がいて」
「あらあら」詩織は少なからず驚いた。「東田先生、ちゃんと口止めしておいたって言ってたのに」
「そんなの、こっそり騒げって言ってるのと同じですよ」小枝譲はあっけらかんと言った。「口止めされてたって、ネットを使えば口には出さずに噂できるし」
「あー、今の子はそういう理屈なのね」
 そういえば土曜日のスクーリングでも、インストラクターから「授業中の私語はもちろん、スマホやケータイを使った無言のお喋りも禁止ですから」という注意があった。詩織自身も隣の席のノノちゃんと筆談でお喋りしていたので――今時の高校生のネットでの噂話を注意できる立場ではなかった。
「でね、うちのクラスや他のクラスの男子たちも、誰も知らないみたいなんです。大隈くんが今どこにいるのか」
 小枝譲はだんだんと声をひそめた。何やら目が輝いている。
「それで、『オークマを捜せ』なんて盛り上がってるんですよ」
「友達も、誰も心当たりがないわけ?」
「ほら、彼は日頃から単独行動な人だし――みんなLINEとかメールとかメッセンジャーとかで連絡しようとしてるらしいですけど、一つも返事ないし既読マークもつかないんだって。普段だったらもうちょっとリアクションあるのにって話でした」
「あらあら」詩織もちょっと心配になってきた。「それじゃ、ほんとに何かあったのかな」
「でも写真部員からの情報で、インスタには写真がアップされてたんだって」
「インスタ?」
「インスタグラムっていう画像共有アプリ。SNSっぽく友達と話したりもできるんです。写真部員の間で流行ってて、オークマも始めたんだって」
「そこに――大隈くんが旅先で撮った写真を投稿したってこと?」
「そうみたいです。男子たち、『少なくとも五日前までは生きてるぞー』なんて盛り上がってて」
「どんな写真だったのかな」
「見てみます? アカウントは分かってるからネットで見られますよ」
 小枝嬢の視線が司書室のパソコンに向いた。――どうやら、彼女も見てみたいようだ。
 あくまで仕事用のパソコンだから、普段だったら生徒と一緒にインターネット閲覧というのはまずい。とはいえ、今は夏休み中なのだし、相手は気心の知れた図書委員だ。生徒の安否を確かめるためというのを言い訳にすることにした。
 パソコンを起動する間に小枝嬢はポケットからメモを取り出している。インスタグラムの画面が表示されると、検索画面に「vacilador_okuma」という文字列を打ち込んでいる。
「それが、大隈くんのアカウント?」
「らしいですよ。男子たちが黒板に書いてたから、私もメモってきたんです」
「後半のオークマってのは分かるけど、前半は何て読むの?」
「さあ……ヴァシラドーとか、バシラドールとかですかね」
「英語?」
「分かんないです。他の外国語かもしれないし、アカウント名は全部小文字になるみたいだから、ほんとはVが大文字で固有名詞かもしれないし」
 そんな話をしている間にも、画面には四角い画像がいくつも表示された。それが大隈くんの投稿した写真らしい。
「自己紹介のとこ、『photo』としか書いてないですね」小枝嬢が苦笑した。「写真なのは当たり前だし、一枚ごとの説明はつけてないみたいだし」
「……なんか、風景と食べ物の写真ばっかりだね」
「そこに妙な説得力ありませんか? オークマっぽい、っていうか」小枝嬢が笑った。「男子たちが、『やっぱりオークマ旅してるよー』とか言ってたの、こういうのを見てたからですね」
「この写真なんて、右手で箸を持ちながら、左手で撮影してるのかな」
 詩織は左上にあるラーメンの写真をクリックして拡大した。ラーメンの丼をアップにしただけじゃなく、箸で麺をつまんだ状態で撮影しているのだ。
「男子って変なとこ凝りますよね。自己紹介は雑なくせに」
「このおにぎりは……ああ、天むすか」
 詩織は別の写真を拡大した。混ぜご飯の小さな丸いおにぎりが竹皮の上に並んでいたが、よく見たら下に敷かれた赤い包装紙に「そば屋の天むす」と書いてある。
「天むすってことは、愛知方面に行ってるんですかね」
「そっか、名古屋の名物だもんね」
 目を輝かせている小枝嬢につられ、詩織も推理ゲームを楽しむ気分になってきた。彼の行き先が分かったら、親御さんもちょっとくらい安心できるかもしれない。
「ちょっと下にある、お重とお椀の写真は鰻重かな」
「そうか、ウナギは浜名湖の名物だから、名古屋に行くなら通り道ですよ!」
「じゃあさっきのラーメンも、東海道沿いのどっかの名物かもね」
 どの写真にも説明文みたいなものは添えられてなかったが、なんとなく食べ歩き旅のルートが思い浮かんだ。画像は上の方にあるほど最近のものだというから、鰻重・天むす・ラーメンという順番で食べているのかもしれない。
「でも……天むすやラーメンだったらお手頃だろうけど、鰻重は大隈くんのお小遣いじゃあ高級品だよね」
「誰かに奢ってもらったとか。――ほら、親戚の家とかに、ふらっと遊びに行って」
「そっか。お父さんに会った時に聞いてみればよかったかな」
「会ったんですか? オークマパパ」
 小枝嬢は笑いをこらえるような顔になった。彼女も前に会ったことがあるらしい。
「なんか、とぼけたおじさんでしょ。お仕事は映像作家とか言ってたけど」
「あー、芸術家なわけね」
 詩織は彼の風貌を思い出して納得しかかった。しかし小枝嬢は小首を傾げている。
「ていうか、結婚式とかイベントとかのビデオ撮影を、プロのカメラマンがやってることあるじゃないですか。ああいう会社をやりながら、バンドのプロモーション映像も撮るし、自分もギターを弾くとか言って。――いっつも冗談言ってる感じだったから、どこまで本当か分かんないけど」
「でも、昨日はやっぱり心配そうだったよ。学校に相談に来たくらいだし」
 詩織はその時のやりとりを大雑把に話した。――あの時、本の貸出履歴は明かせないと断った。だけど、今はこうやってインターネットとかSNSを使えば個人的な旅行の様子が垣間見える。個人情報とかプライバシーとか、なんだか不思議なものだなと思わずにいられなかった。
 しかし小枝嬢としては、その話の別のところが引っかかったようだった。
「大隈くんって、終業式に本を返しに来たんですか?」
「うん、夏休み前に返しとかないと忘れちゃうからって」
「それって、手掛かりですよ!」急に声が弾んだ。「夏休みに入ったらこの図書館には来られないって、事前に分かってたってことじゃないですか」
「あ……そっか」
 そう言われて気付いた。――大隈くんは、まだ期限じゃないと言いながら返却したのだ。つまり終業式に返却しておかないと期限を過ぎてしまう、そして期限日までは帰らないと思っていたとも受け取れる。
 つまり彼の旅は少なくとも、その期限日までは続くということになりそうだ。これは東田先生やお父さんに伝えておいた方がいい情報かもしれない。
「突発的な家出っていうよりは」小枝嬢が微笑んだ。「計画的な犯行ですね、これは」
「犯行って、悪いことしてるわけじゃないんだから」
 たしなめつつ、詩織はこれからどうしようか考えていた。――貸出履歴を明かせないと断った後で、返却期限のことだけ知らせるというのも妙なものだ。データは残っているはずだけど、それをどう扱うべきかは難しいところだった。
 
 大隈くんは東海道を浜松から名古屋に向かったのではないか、という推理には、その日の午後のうちに反論が上がった。
 お昼過ぎ、図書室に現れたのは二年B組の大木葵おおきあおいだった。大隈くんとも仲がいいから、小枝嬢の話に出てきた男子の一人は彼かもしれない。詩織が大隈くんのインスタグラムを見たと話すと、嬉しげに彼の推理を語ってくれた。
「一番新しいので、ラーメンの写真が載ってたでしょ? あれって白河ラーメンですよ」
「白河って、福島県の?」詩織は半信半疑で尋ねた。「そういえば大隈くん、前に自転車で行った話はしてたけど……」
「ナルトと、縁の赤っぽいチャーシューがのってて、いかにもな醤油ラーメンだったでしょ。もしかしたらって思ってあの写真で画像検索してみたんです。そしたら白河ラーメンってのがいっぱい引っかかって。で、ラーメンのデータベースみたいなサイトで白河ラーメンを調べてみたら、そこに載ってた料理写真ともそっくりだった」
 そのあたりのネット調査はやはり、今時の高校生の得意分野だ。ネット情報には信憑性に欠けるところも多いけれど、今回みたいな行方捜しではネットの即時性が頼りになりそうだった。
「じゃ、大隈くんは福島県に行ってたってことか……」
「ところが、話はそれで終わらない」大木くんは面白そうに首を振った。「同じ日付で、なんか不思議なドームっていうか、斜面のチューブみたいな風景があったじゃないすか。あれがどうも、山梨の風景らしいんです。俺の友達が見たことあるって」
「山梨県? まるで別方向じゃない」
 関東を挟んで北と西、直線距離にしたら二百キロ以上ありそうだ。間に山だっていくつもあるし、いくら大隈くんが健脚とはいっても一日で移動するのは大変そうだ。
 しかしその点については、男の子たちの間で察しがついているらしい。
「きっとオークマ、青春18きっぷで移動してんじゃないかな。前にそんな話した覚えがあるし」
「18きっぷかぁ……」
 一日あたり二千数百円でJRの各駅停車や快速が乗り放題になる切符だった。詩織も学生時代に使ってあちこち旅したことがある。たしかに大隈くんみたいなタイプにはぴったりの切符かもしれない。
「でも、大隈くんは自転車とテント持参で出かけてるみたいだよ。電車乗るには大荷物すぎない?」
「テントなんて畳めばちっちゃくなるし、自転車も分解して包めば手荷物扱いで乗れるらしいよ。オークマならそのくらい余裕でしょ」
「そっか……」大きな荷物を担いで電車に乗り込む姿が目に浮かんだ。「自転車と電車を組み合わせて旅行できるんだったら、どこまで行ったか分かったもんじゃないね」
 ただでさえ行動範囲の広い彼である。電車が乗り放題となれば日本全国どこだって行けそうだ。どうやら行方捜しはさらに困難になったようだ。
「でも、その風景写真の場所なら分かったよ」大木くんが言った。「友達が言ってたけど、四方津しおつって駅のあたりだってさ」
「四方津って……」聞いたことのある駅名だった。「中央線、だっけ?」
「そうそう。斜面のドーム、駅から見えるんだって。その友達、電車の中からそれを見て、何だろなーって思ったとこが珍しい駅名だったんで覚えてたってさ」
「じゃあ順番に言うと……」頭の中を整理した。「大隈くんは、山梨県の四方津って駅のあたりで風景の写真を撮った後、福島県の白河に行ってラーメンの写真を撮ったってことになるわけ?」
 小枝嬢との推理を足せば、鰻重の浜松、天むすの名古屋、山梨の四方津、福島の白河という順番になる。――在来線で順番に辿るなら、東海道本線で西に向かってから中央本線で東に引き返し、東北本線で北に向かうルートだ。湘南新宿ラインのような接続もあるにせよ、なかなかの大移動である。
 さっき画像を拡大した時、それがアップロードされた日付も載っていた。それを確認して、日付と場所を照らし合わせたら何か分かるかもしれない。後で地図帳や時刻表を調べてみようかと思いついた。
 しかし、そこで大木くんが、詩織の考えを読んだようなタイミングで呟いた。
「まあオークマが、撮った順番でアップしてればの話だけどね」
「そっか……撮った時に公開されてるとは限らないわけね」
「あいつなら、とりあえず撮っといて、後でまとめてアップしそうじゃない?」
 そう言われるとそんな気もした。自転車で移動中ならのんびりスマホをいじる余裕もなさそうだし、駅や電車内で落ち着いた時にやる方が大隈くんらしい気もする。
「それより、みんなで喋ってたんです。次にオークマがどこの写真を上げてくるか、賭けでもしようかって」
「賭けるような候補があったの?」
 尋ねてから、高校職員としては生徒のギャンブルを注意すべきだったかなと気づいた。だけどつい、大隈くんの方が気になってしまう。
「候補っていうか、勘で。オークマのことだから白河ラーメンの次は喜多方ラーメンじゃないかとか、東北から北海道まで行ったんじゃないかとか、逆に沖縄じゃないかとか」
「沖縄? さすがに18きっぷでも沖縄までは行けないでしょ」
「まあそうだけど、四方津のドームみたいのがありゃ、海底トンネルみたいので行けないかなー、とか」
「……そもそもその、『四方津のドーム』っていうのは何なの?」
 さっき詩織も、小枝嬢と一緒にちらりと見た。雑木林の山の斜面みたいな風景が写っていたのだが、その斜面の上から下まで、細長いドームというか、ガラス張りのチューブのような建築物が伸びていたのだ。撮影したくなる気持ちも分かるような不思議な眺めだった。
 詩織はなんとなく、遊園地のプールのウォータースライダーを連想した。周りにプールはなさそうなので、駅の近くに工場でもあって、その設備の一部なのかなと考えたのだ。小枝嬢とも何だろうとは話したが、特に結論は出ないままだった。
 ところが大木くんの方では、既にその答えを知っていた。
「コモアブリッジっていうんだって」大木くんは言葉の響きを確かめるように言った。「中にエレベーターとかエスカレーターとか入ってるらしくて――ほら、長いエスカレーターを下から撮った写真があったでしょ」
「それで山に登れるってこと?」
「山っていうか、あれを上がった先の高台に、住宅地が広がってるんだって。オークマの写真の中に住宅地の風景もあったけど、多分その町が、コモアブリッジで駅と繋がってんじゃないかな」
「繋がってるっていったって……あの写真のチューブ、すっごい長くなかった?」
「うん。二百メートル以上あるってさ。そんだけの建造物がそびえてたら、そりゃあ見に行きたくなるよね。その四方津駅のことを知ってた奴も、『乗り降り自由の切符を持ってたら、俺だって見に行ったよ』って言ってた」
「ましてや大隈くんだもんね……」
 詩織は息をつき、図書室を見渡した。――新入生相手のオリエンテーションの時、大隈くんは詩織の話など聞こうともせず、閲覧席で居眠りしていたのだ。その時は本など読まないと言っていたくせに、星野道夫の写真絵本がきっかけで彼の本を読みあさるようになった。やがて『旅をする木』の文庫本を手に、一人旅でフェリーに乗って北海道の端まで行ってしまったのである。
 そうやって自分の興味に突き進む彼なら、電車から見えた不思議な景色につられて途中下車したって不思議はない。ガラスのチューブみたいなコモアブリッジを通って、知らない町へと向かう姿が目に浮かぶ。
 彼がその先で何を見て、どんな写真を撮ったのか。後でまたインスタグラムを開いて、じっくり見てみようと思った。
(第3回へつづく)
竹内真のブックコラム 1 『千尋と不思議の町―千と千尋の神隠し[徹底攻略ガイド]』 角川書店
『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』 朝日新聞社
『少年カフカ』 村上春樹/編 新潮社
『チャーリーとの旅』 ジョン・スタインベック/著 竹内真/訳 ポプラ社


「あれ、その話って、前に本で読んだ覚えがあるけど、どの本だっけ?」みたいな経験のある人、結構いるんじゃないかと思います。学者さんなんかと話をすると、「それならあの本の何章何ページあたりだよ」なんてパッと教えてくれることがあって驚きますが、僕はいざ探そうとしても見つからないことが多いです。本にまつわる小説を書いてる時なんか、気になったらすぐに出てきてくれると助かるんですけどね。
 まあ紙媒体からデジタルコンテンツの時代になって、全文検索などで探すのも楽になりつつあります。でも2018年現在、宮崎駿監督の「脳みその奥の方のフタ」みたいな言い回しを村上おたより本(と勝手に呼んでます)から見つけようとしたら難しかった、ってのは僕の実体験です。目次や本文をぶわーっと眺めて探そうとするんだけど、なにしろ項目が多いし、探してるうちに他に気になる話題が出てきてそっちを読みふけり……なんてことになって結局見つからずじまい、なんてのも村上おたより本によくあるパターンかもしれませんね。
 たくさんの読者からのメールで構成されてる村上おたより本、僕は最初の頃、村上春樹さんの返事の方を中心に読んでたんですが、そのうちに読者メールの方も面白く感じるようになりました。同じ話題でも人によって全く感じ方が違ったり、一つの話題で複数の人が盛り上がってたり、同じ人が何度も登場したりというのも楽しいところ。中でもよく覚えているのは、つらい境遇にあって愚痴とも自嘲ともつかない調子のメールを書いていた人が、何年かたってから"あの時はすみませんでした、今はいろいろよくなって頑張ってます"みたいなことを明るく前向きな文章で書いてたメールです。傍から眺めてるだけの僕の方まで、ああよかったなあって気分になって、ハッピーエンドな物語を読んだみたいでした。
 ネット版の『村上朝日堂』から始まって、『少年カフカ』や『村上さんのところ』など、形式や版元を変えながら続いてきた村上おたより本シリーズですが、かくいう僕も過去に何度かメールを出して返事をもらったり、本に載ったりしてきました。あくまで匿名の読者の一人として相談したり質問したりしてきただけですが、いま本の形でそのメールを読み返すと懐かしくも不思議な気分になります。二十代の頃から何度か載ってるので、肩書きも文体もその都度けっこう変わっていたり、我ながら生意気なことや適当なことを書いてたり(これは今も変わってないかな)。
 この際だから白状しとくと……拙著『図書館の水脈』の中ででとりあげた『少年カフカ』の「フライドチキン食べ放題」ってメールは 僕自身が書いたものです。自分で書いた文章なんだからネタにしてもいいだろう、なんて考えて引用したのは、今回の『チャーリーとの旅』の訳文にも通じる姿勢ですね。

竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

  • 双葉社
  • 小説推理
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