双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

来年度のマジックシード

 放課後になると、図書室を訪れる生徒たちから揉め事の続報が届いた。――当事者の大隈くんや坂田くんは姿を見せなかったが、周りの噂からも事情は見えてくる。
「坂田、『知ったかぶったバカ』ってのを読んでムカついてたとこに、テニス部の後輩からオークマのことを聞いたらしいですよ」
 ベースくんこと大須勇樹が言った。彼も三年生だし、春からは専門学校に進学するという。受験をしない者同士、坂田くんとも知り合いだということだった。
「二年A組のオークマって奴が書いたって分かって、直接話そうと思ったらしいんだけど」
「その坂田先輩って、北中出身ですよね?」
 横から尋ねてきたのは森川智美である。ベースくんとは図書室ノートやビブリオバトルを通じて顔見知りだ。
「たぶん、私も知ってる人なんですよね」
 智美ちゃんの口元に笑みが浮かんでいた。何やら面白がっている気配が伝わってくる。
「私、中学の時にテニス部だったんですけど、男子テニス部のいっこ上に坂田って人いたから。――いかにもって感じの、いばりんぼタイプじゃないですか?」
「さあ……俺、そんなには知らないし」
「ほら、いるじゃないですか。学年が上なだけで威張れる、自分は絶対的に偉いって思ってる人。その人、テニスも強くなかったし、人望なくて部長にもなれなかったんだけど、よく下級生を並ばせてお説教してたんです」
 智美ちゃんは何か恨みでもあるようだった。少々皮肉な口調の人物評が続いた。
「テニスコートにいるとそのお説教が聞こえてくるもんだから、女子テニス部で真似してたんです。『おめーらたるんでんだよー』とか『気合い入れろー』とか、似たようなフレーズばっかり繰り返してるから」
 次々に辛辣な言葉が並んでいく。おとなしそうな見た目のわりに、智美ちゃんはそうやって喋ると結構な毒舌家だった。
「後輩には偉そうに言う割に、自分はどうかっていったら、練習熱心でもないし掃除とか片づけとかもサボってるタイプだったんですよ。だいたいお説教したがる人って、人に話すほどの中身は持ってないんですよねー」
「今回は……威張りたい心理が、オークマに向いたってことか」
 ベースくんが、苦笑と共に話を戻した。そうやって毒舌をなだめたいのだろう。それは本来、詩織の役目かもしれなかった。
「お説教っていうと聞こえが悪いけど、面倒見っていうか、先輩として指導したいって気持ちが強いんじゃない? 今回だって――ノートで添加物のことを教えてあげたい、みたいに考えたんだろうし」
「でも結局、自分から絡んどいて、言い負かされて逆恨みでしょ?」智美ちゃんはなおも辛辣だった。「なんか、人間ちっちゃーい」
「そこまで言わなくても……」
「オークマとの相性も悪かったんだろうね」ベースくんが言った。「ノートでも受け流してりゃ済んだんだろうけど、オークマはしっかり反論したし――先輩に凄まれてびびってれば坂田も気が済んだだろうに、オークマは胸ぐら掴まれても平然としてたらしいから」
「あらあら」
 その光景は想像がついた。きっと大隈くんには相手を挑発するつもりなどなかったはずだ。だけど凄んだ先輩としては、平気な顔をされたら引っ込みがつかない。余計に馬鹿にされたと感じたって不思議はない。それで頭に血が昇ったのだろう。
「大隈くんは、修羅場くぐってるもんねえ」
 詩織もつい物騒な言い方をしてしまった。――北海道を放浪した時、トラック運転手から身ぐるみ剥いで山に埋めると脅されたなどと語っていた彼である。その後も福島でボランティア労働に励んだり四国まで放浪したり、様々な体験を重ねている。三年生に凄まれたくらいでうろたえるはずもなかった。
「――東田先生に叱られても、そういう感じだったらしいですよ」
 そう言いながら話に入ってきたのは小枝歩乃佳だった。昼休みの調査結果を伝えにきてくれたらしい。
「二人して進路指導室に連れて行かれて、津島先生が来てからは別々にされて、それぞれの担任が取り調べたらしいんですけど――」
「取り調べって」詩織は苦笑した。「警察じゃないんだから」
「その方が気分出るかと思って」小枝嬢が微笑んだ。「とにかく、オークマくんは『俺は怒られるようなことはしてません』ってしれっとしてたそうですよ。東田先生にノートがらみの事情は話したけど、『別に間違ったことは書いてないし』って堂々としてたんだって。昼休みが終わる前に、なーんにもなかったような顔で教室に戻ってきました。他の男子が『どうだった?』とか聞いても、『なんか、あの三年と東田さんが怒ってた』って人ごとみたいに答えて」
「いかにもオークマだなあ」ベースくんが笑った。「自分が怒られた、なんて意識はないんだよ、きっと」
「それで決着ついたの?」智美ちゃんが尋ねた。「坂田は気が済んでないんでしょ?」
 とうとう呼び捨てになっている。詩織はこのあたりで止めておくことにした。
「さあさあ、図書室は噂話をする場所じゃないんだから、もうおしまい。よかったら、ノートに平和な話題でも書いてってよ」
 そう言ってカウンター周りの三人を解散させ、詩織自身の仕事に戻る。――なんだかんだと中断したせいで、新着本の受入作業が片付いていなかった。

 その日は若森先生が捕まらなかったので、揉め事についての報告は翌日になった。詩織は事務室の朝会の後で職員室に出向き、ことの経緯を大雑把に説明した。
「でも、三年の子が図書室に出入り禁止っていうのは違うと思うんです。図書室ノートが発端なわけですし、私たちも――」
 しかし若森先生は、全くの人ごとと捉えていたらしい。なんだか面白がっているような表情まで浮かべていた。
「その件なら東田先生からも聞きましたけど――いっそ、その三年生と大隈で、公開対決でもさせたらどうですかね?」
「公開対決……」
「ネットの情報と人から聞いた情報と、どっちが正しいか、でしょ? お互い言い合ったって平行線の水掛け論だから、第三者が判定すりゃあいいんですよ。ほら、文化祭の時のビブリオバトルみたいに、双方の言い分をみんなの前で発表させて、どっちが説得力あるかみんなで投票――なーんてやったら、一発で解決しそうじゃないですか」
「でも、津島先生は『どっちも間違ってる』っておっしゃいましたよ」詩織は首を傾げた。「それに、大隈くんは勝ち負けなんて気にもしなそうだし」
「じゃあ図書室の資料を使って、チャーシューについての正解を調べ上げて、それを教えてやるとか」言いながら若森先生も首を傾げた。「……でも難しそうだな。白河ラーメンの話じゃ個別的すぎちゃって、ちょうどいい本もなさそうだし。どうやって調べたらいいかのパスファインダーを示すのも大変だ」
「そういうもんですか?」
「まあ、高良さんの方で調べてくれるなら止めませんけど――それよりは直接対決でいいと思うなあ」
「……結局、先生はビブリオバトルがお気に入りなんですね」
「え? まあ……それもあるか」
 若森先生は肩をすくめた。内心を見抜かれたと認めるような照れ笑いが浮かんでいる。
「僕はほら、こないだの文化祭が理想的な結果だったんですよ。校長を倒して決勝進出、生徒に優勝を譲って自分は準優勝、なんて」
 文化祭のビブリオバトルでは優勝や準優勝を決めたわけではないが、若森先生の決勝戦での得票は二番目に多かった。意図的に生徒に優勝を譲ったわけでもなかろうに、何か若森先生なりの美学にかなったらしい。
 それに、「校長を倒して」という言い方が引っかかった。
「あの、若森先生って――何か校長先生に恨みでもあるんですか?」
 思い切って尋ねてみた。彼は甘木校長に対して、時々妙に辛辣なのだ。
「まあ、恨みというか、多少の因縁はね」若森先生は再び肩をすくめた、「その話をすると長くなるし、そろそろ教室に行かないと」
 返事をごまかしたようだった。そのくせ喋りたそうな表情も浮かべている。――彼の屈折した性格を物語る反応であった。
「何はともあれ、揉め事については当事者二人の担任が対応してる以上、我々が手出しすべきじゃないと思います」
 図書館主任としての結論みたいな言い方だった。次の授業の教科書や出席簿を重ね、椅子から腰を浮かせている。
「生活指導ってのは学校図書館の仕事じゃないですからね。職分じゃないところに手を出すのはやめましょう」
「……職分、ですか」
 ちょっと抵抗を覚える言葉だった。上司でもある若森先生にそんな言葉を使われたら、詩織には何もできなくなってしまう。
「担任教師の方針を尊重するのも職分ってもんです」若森先生は涼しい顔で言った。「ここは司書教諭としても学校司書としても――あ、そうそう!」
 彼はそこで、いきなり一つ手を叩いた。それから前髪をかき上げたと思ったら、詩織に人懐っこい笑顔を向けてきた。
「見ましたよ、修了証書。何か忘れてる気がしてたんだけど、高良さんにお祝いを言うのを忘れてました。司書資格取得、おめでとうございます。いやあ、素晴らしい!」
 大げさに声を上げ、手まで叩いてくれたものだから、周りにいた教師たちまで一緒になって拍手を贈ってくれた。慌ててお礼を言いながら、詩織はすっかり赤面してしまった。
 こうなったらもう、若森先生のペースである。学校司書の職分については釈然としないものが残ったけれど、今は職員室から退散しておいた方がよさそうだった。

 昼休み、大隈くんが図書室に現れた。詩織がカウンターから「よかった。元気そうね」と声をかけると、心外そうに言い返した。
「昨日の話なら、俺は別に何もなかったし」
「ならいいけど、心配してたんだよ。噂がいろいろ聞こえてきて――図書室ノートがきっかけなら、何か対策した方がいいかなって」
「必要ないです」きっぱり告げられた。「下手にノート廃止とか書き込み禁止とかされたら、俺が恨まれちゃうよ」
 そう言って雑誌コーナーの方に行ったと思ったら、すぐに図書室を出ていった。他に用事もなさそうだったところを見ると、昨日の一件について彼なりの言い分を告げに来たということかもしれない。
 結局、本人から細かい話は聞けなかったが、噂は入ってきた。大木くんやら智美ちゃんやら小枝嬢やら、二年生の常連たちが口々に続報を伝えてくれたのだ。
「オークマが脅されても動じなかったのは、勝てる相手と思ったからだって」
「殴ってくるほどはキレてないし、殴られたって平気そうだって見定めたらしいです」
「一応、上級生みたいだから敬語で答えたし、だから自分は悪くないってことみたい」
「『舐めたこと書いてんじゃねえぞ』って凄まれても『舐めてません』、『知ったかぶったバカって書いただろうが』『それはラーメン屋さんの言葉の引用です』って返してたって」
「でもオークマのそういう態度って、怒ってる相手からしたら火に油なんだろうね」
「オークマくん、空気読めないからなー……」
「たとえ読めてたって、本気でどうでもいいって思ってるんだよ。あいつの場合。そういうとこがイラっとくるんだと思う」
 こうなってくると、揉め事の続報というより大隈くんの人物評である。そろそろ注意しておいた方がよさそうだ。
 しかし実行する前に、雑誌コーナーから声が上がった。
「ありゃりゃー……」
「これはやばいですねー」
 何かと思って目をやると、三年生のベースくんと一年生の新田瞳ちゃんのカップルだった。雑誌コーナーの丸テーブルで二人して図書室ノートを開いている。
 詩織はそちらに移動することにした。二人にそっと近づいて、わざと囁き声で告げた。
「二人とも、声は控えめにねー」
 私語は絶対禁止という図書室ではないけれど、お喋りしているうちに声が高まることは多い。時々はたしなめることにしていた。
 ところが、無言で一礼したベースくんからノートを見せられると、詩織の方が声を高めてしまった。
「あらー、これを書いてったのかー」
 さっき大隈くんは、出て行く前に雑誌コーナーに立ち寄った。それはこの書き込みのためだったらしい。 
『先輩や先生から指導されましたので、自分がノートに何を書いたのか、確認しました。
 やっぱり俺、間違ったことは書いてない! 
 以上。
 二年A組 大隈広里』
 それを見ている詩織に、瞳ちゃんとベースくんは小声で告げてきた。
「――ね? やばそうでしょ?」
「坂田がこれ見たら、またひと悶着あるんじゃないかなあ?」
 そこに大木くんや小枝嬢もやってきた。――そうなるとカウンター前のお喋りが場所を移したようなものだ。
「こりゃあ喧嘩売ってるようなもんだね」
「先生が介入した以上、また絡まれる心配はないって踏んで、ノートで言いたいことは言っておく、って感じ?」
「オークマがそこまで考えるわけないって」
 小枝嬢の推理にも一理あったが、それを笑い飛ばす大木くんにも妙な説得力がある。また大隈くん談義が盛り上がりそうだったので、詩織は唇の前で人差し指を立ててみせた。
「噂ばっかりしてるのもよくないよ。意見があったらノートに書いてみたら?」
 詩織の言葉に、四人の生徒が視線を交わす。誰が書き込むか、無言のうちに相談でもしているみたいだった。
 その夜、山村さんに電話をかけた。修了証書が届いたことは昨夜のうちに知らせていたけれど、今日は質問したいことがあるのだ。
「学校司書の職分って、どう考えたらいいのかなー?」
 図書室ノートの一件を大雑把に説明した。――二年生と三年生の議論がいざござに発展し、三年生が図書室に出入り禁止となるらしい。学校司書としてはその処分に反対したいが、上司の司書教諭からは生活指導は学校図書館の仕事じゃないと言われた。当事者の二年生からも、対策なんて必要ないと言われてしまった。
「そんなこんなで、みんなから仕事するなって言われてる気分なの。せっかく司書資格とったのに」
 拗ねたように言ってみた。聞こえてきたのは笑い声だった。
「でもさ、『司書資格をとったんだから喧嘩の仲裁をしてくれ』なんて言われたって困っちゃうと思うよ。そんなの司書課程でも勉強しないし」
「それはそうだけど……」
「詩織さんとしては放っておけない、ってこと?」
「うん。そんな気分」
「ふーむ」
 そこで声が途切れた。どうやら詩織の立場に立って考えてくれているらしい。
「――僕は直原高校の校内事情を分かってないわけだし、無責任な外野の意見として聞いてほしいけど」
「うん、もちろん」
「生活指導は図書館の仕事じゃないんだとしても、何かできることはあると思うよ。そりゃあ当事者からしたら――それが男子だったらなおのこと、放っといてくれって言いたくなるだろうけど」
「どうして男子だと放っといてってなるの?」
「だって、自分たちの喧嘩に大人が割って入ってくるって、男としてはカッコ悪いよ。そのくらい自分で解決できる、って言いたいんじゃないかな」
「解決する気なんてあるのかなあ……」
 今日の昼休みに追加された文章のことを話した。大隈くんの、『間違ったことは書いてない』という書き込みだ。
「解決どころか、再燃の方があるかもしれない」
「その三年生が読んだら事態が悪化するかも、ってこと?」
「出入り禁止のおかげでまだ見てないわけだけど……噂とかは伝わっちゃうかもしれないし」
「その先をなんとかしようと思ったら、ほんとに生活指導の領域だね……」考え込むような唸り声が聞こえた。「司書が何かするとしたら、本当に間違ってないのか、議論の種になった問題についての手助けかなあ」
「あー、上司にもそんなこと言われたんだけど……」
 若森先生は「正解を調べ上げて、それを教えてやる」などとも言っていた。冗談めかせて公開対決などと言われた勢いで話がそれてしまったが、そのあたりをもうちょっと話し合っておくべきだったかもしれない。
「でもその時に、白河ラーメンのチャーシューについての正解を図書室の資料で示すのは難しいだろう、とも言われたの。それで私、見つけてやろうじゃないのって意地になって、料理の本とか百科事典とか調べてみたんだけど、本当に何も出てこなかった。ネットで調べてみても、ウィキペディアの記事とか、それの引用みたいなレベルの情報ばっかりで」
「いや、そこで答えが出なくても仕方ないよ。司書は――」
 山村さんが何か言いかけた。詩織はその前に「うん、分かってる」と告げた。
「前にも言われたよね。司書が答えを知ってなきゃって思うのは背負い込みすぎだって」
「そうだよ。そういう知識を持ってる司書なんて、まあ滅多にいないだろうし。――でも、答えはないってとこからできる仕事もあると思うよ」
 山村さんの声の響きが強くなったような気がした。どうやら何か思いついたらしい。
「そりゃあ、図書室の資料だけで正解に至るのは難しいのかもしれない。でも、答えなんてどこにもない、なんて問題じゃないよね。きっと世の中のどこかには、答えを知ってる人がいるはずだよ。だったら司書のすべきことは、その答えに向かう道筋を示すこと、じゃないかな」
「答えを知ってる人……」
 そういえば大隈くんは、ラーメン屋の店主から話を聞いたと書いていた。それに、大隈くんも坂田くんも間違っていると断言した化学の津島先生は、いかにも何か知っていそうだった。
「ラーメン屋さんとか、化学の先生だったら答えを知ってるかもしれないけど――そのラーメン屋さんって知らない人だし、化学の先生ってものすごくマイペースな人だから、協力してもらうのって難しそう」
「それなら、ある意味ちょうどいいかもよ」
「ちょうどいい?」
「司書課程で学んだことを活かすチャンスかもしれないってこと。個人的に接点なかったり、苦手だって思う相手だったりしても、司書の仕事としてなら対応できるかもしれない。職分って言葉を、そういう風に捉えたらどうかな」
「でも……そんな対応の仕方なんて、教わらなかったと思うけど」
「それなら応用問題だって思えばいいよ。そうやって経験から学ぶこともたくさんあるし、資格をとったからもう勉強しなくていいって仕事じゃないんだし」
「そっか……そうだよね」
 それは通信教育でもスクーリングでも教えられたことだった。資料も設備も移り変わり、図書館は日々変化していく。司書の勉強もそれに応じて続いていくのだ。ゴールはどこにもないけれど、それは詩織みたいな新米にとっては希望でもある。自分で考え、本当に学んでいくのはこれからだった。
「いい機会だから――勉強したことの復習でもしてみようかな」
 校長先生と話したことを思い出した。――いつの間にか、司書資格を活かすには来年度も雇ってもらわなければ始まらないみたいに思い込んでいた。だけど今すぐ活かしたってよかったのだ。
「いいね」山村さんが笑った。「きっとそういうとこから、何かいいアイデアが出てくるよ」
「ありがと。いいアドバイスくれて」
「いえいえ。お役に立てたら何よりです」
 かしこまった口調で言われ、ふと気づいた。今みたいなやり取りだって司書のレファレンス技術かもしれない。たしかに、資格をとった後でも学ぶことはたくさんありそうだった。

 電話を切った後、詩織はパソコンを起動した。
 通信制大学ではレポートや答案をネット経由で送ることができた。提出した文章を保存しておくのも簡単なので、科目ごとにまとめてある。「図書館制度・経営論」というフォルダの、レポートのファイルを開いた。
 秋に書いたレポートの設題は「図書館の専門職が行う業務の具体例を挙げ、これからの図書館と司書のあるべき姿を論ぜよ」というものだった。どのような図書館、どのような専門職について書くかは自由に決めていいとのことだったので、詩織は学校司書について考察することにした。――いくつかの参考文献を元に、学校図書館の業務を論じたのだ。
 そもそも詩織が学んだ司書課程では、図書館学全般を扱うため、学校図書館に特化した科目がなかった。そういう科目を取りたかったら司書教諭課程を選ぶしかないのだが、そこでは教員資格が前提になる。教師ではない詩織は学校図書館関連の科目を受講できないというのだから変な話であった。
 そのもどかしさを晴らすチャンスと思えたのが、図書館制度・経営論のレポートだった。範囲の広い設題が出たのを機会に、学校図書館について論じたのだ。学校図書館関連の科目を受講できないのなら自ら学んでやろうという意地だった。
 ありがたいことに、直原市立図書館の図書館学の棚には学校図書館関連の本がたくさんあった。司書教諭向けのものが多かったが、司書の山村さんに相談したら詩織の立場でも参考になりそうな本をいくつか薦めてもらえた。それを参考文献にして書き上げたレポートはめでたくA評価をもらえた。
 せっかくの高評価のレポートだ。単位や資格のためだけで終わらせてはもったいない。今回の一件に応用するためにはという視点から、自分の文章を読んでいった。――参考文献に出てきた、「授業支援」という用語を使って書いたあたりが目に付いた。
『このように、学校図書館は学校行事や授業内容に合わせ、図書館資料を活かした授業支援を行うことができる。
 その際、専門職としての学校司書には、学級担任や教科担任と連携して資料の選定を行い、図書館の効果的な利用方法を提案することが望まれる。司書教諭と学校司書の連携はもちろん、教職員全体と学校司書との協働がうまくいった時にこそ、学校図書館が充分に機能するはずである』
 本から得た知識に自分の願望を重ねたような文章だった。自分で書きはしたけれど、まだ実行したことはない。机上の空論に終わらせず、学問を現実に活かすなら今なんじゃないかと思った。若森先生に言われた「職分」という言葉を、「連携」とか「協働」という言葉で乗り越えられそうな気がする。
 図書室ノートが発端の揉め事は、学校行事や授業とはいえない。だけどノート企画の当初から関わってきた学校司書として、やはりここは自分の出番ではないか――などと考えていた時、電話が鳴った。
 着信画面を見たら「井本つぐみ」と表示されていた。
「こんばんはー」いつもののんびりした声が聞こえた。「昨日図書室で揉め事があったって噂、今日になって聞いたから、詩織はどうしてるかなーって思ってかけてみたの」
「ご心配ありがと。でも図書室で揉めたわけじゃないよ」
 詩織は経緯を大まかに説明した。――音楽教師のつぐみとは学校ではあまり接点がないけれど、詩織を直原高校に紹介してくれた恩人である。生徒や教師との接し方についてアドバイスをもらうことも多いのだ。
「――でね、津島先生は三年の子を図書室には出入り禁止にするとか言ってたの。そんな処分ってありなの?」
「うーん……校則とか、学校側の決定とかじゃなくて、先生の個人的な叱り方だろうね」
「私は反対なんだけど、若森先生からは、当事者二人の担任が対応してるんだから、司書教諭も学校司書も手出しするべきじゃないって言われちゃったの。それが職分ですって」
「あー、言いそうだねー、そういうこと」
「でもあたし、何かできると思うんだよね。学校司書として」
 それで勉強していたところなんだと言おうとした。だけどその直前、つぐみはさらりと話題を変えた。
「そういえば、国語の安永やすなが先生っているでしょ? 春から直原に転任してきた人。昨日、司書の高良さんに相談したいことがある、っていう相談をされたの」
「安永先生って……若い、女の?」
 なんとなく顔は思い浮かぶが、これまでちゃんと喋ったことはない相手だ。図書室はたまに利用してくれるので、その際に会釈し合うくらいだった。
 ボブカットというよりは日本人形のお禿かむろ髪みたいなヘアスタイルの、気の強そうな女の子だ。詩織よりは明らかに若いから「女の子」と言いたくなるが、本人にそう告げたら大人を「女の子」呼ばわりすることをたしなめてきそうな国語教師だった。
「そうそう。歳は――二十代中盤かなあ」つぐみはのんびりと続けた。「文化祭でビブリオバトルを見学したって言ってたよ」
「あ、もしかして――」
「うん。自分の授業にビブリオバトルを取り入れてみたいんだって」
「でも……あれって、発案から運営まで、生徒主体でやった企画だよ。あたしに相談っていったって……」
 詩織自身はビブリオバトルの専門家でも何でもない。文化祭の二日目には出ませんかともちかけられたが、学校司書として外来客の対応もあるからと言って辞退したくらいだ。
「自分で仕切ったわけじゃないのに、授業について意見したりしちゃまずいんじゃない?」
「でも別に、詩織の経験は気にしなくていいと思うよ。生徒とどんな風に進めるか、みたいな話を聞きたいんだろうし」
「なら図書委員の子に相談した方がいいかもね。もともと図書委員じゃない子が提案して、常連と図書委員が一緒に――」
 そこで言葉が止まった。頭の中で何か繋がりそうだった。
「そっか、それって連携と協働だよね」
 思わず呟いた。――図書館制度・経営論のレポートを読み直すまでもなかった。連携と協働によって図書館機能を活用する例は、とっくに図書室にあったのだ。
「え? なあに?」
 つぐみの戸惑い声が聞こえた。いきなり話が飛んだせいで意味が分からないのだろう。
 一通り説明するうちに、詩織の考えもまとまってきた。――ここで怯んでいる場合じゃない。安永先生と連携して協働するチャンスかもしれなかった。
「安永先生、あたしから声掛けてみるよ。こっちから聞きたいこともあるし」
「もしかして、詩織も相談があるとか?」
「うん、まあ――詳しい話はまた今度ね。とにかく、ありがと」
 そんな言い方で、つぐみに伝わったかは分からない。詩織自身も、詳しい話がどういうことなのかは分かっていなかった。
 授業でビブリオバトルがしたいなら、生徒と一緒になって企画してみてはどうか。
 安永桃瀬ももせ先生には、詩織からそんな提案をしてみた。途端に彼女は、猫のように大きな瞳を輝かせた。
「やってみたいです! 生徒と一緒に企画って、どんな感じですか?」
 詩織は図書室の常連生徒と図書委員の関係を話すことにした。――文化祭のビブリオバトルは大木くんの発案が図書委員を巻き込み、図書室という場を活用してうまくいった。授業でビブリオバトルをするとなれば生徒の力は欠かせないだろうし、それに図書室を活かしてもらえるなら嬉しい。
 そんな話をするうちに、図書室ノートが企画の相談に活かせることを話し、脱線して先日の揉め事の話題にも触れることとなった。ついつい、その件では学校司書として何もできずにいてもどかしい、と愚痴もこぼした。――すると今度は、安永先生の方が詩織の相談にのってくれる格好になった。
「要するに、出禁の三年生も図書室に来れるようになって、そもそもの揉め事も解決すればいいってわけですね?」
 歯切れよく喋る人だった。きっと授業もその調子でテンポよく進めるのだろう。
「だけど高良さんが調べたかぎり、図書室の本じゃあチャーシューと食紅の問題は解決できそうもない。化学の津島先生なら何か知ってそうだと」
「そうなの。でも――その津島先生が三年の坂田くんを出禁にしちゃってるみたいで」
「おまけに図書館主任の若森先生からは、担任の決定を尊重しろって言われて、行き詰まっちゃってる?」
「そうそう。安永先生、聞き上手ですねー」
「高良さんが要領よく喋ってくれたからですよ。それに、男性教師がいかにもですよね」
「いかにも?」
「要するに、男は面倒くさがりなんですよ。生徒には禁止すれば早い、余計なことはしたくない、って心理でしょ? たくさん働いたって給料が上がるわけじゃなし、みたいな」
「そこまでは言ってないけど」
「でも、大抵の先生ってそうですよ。それが集まって学校ができるようなもんです」
 歯切れがいいだけじゃなく、なかなかの皮肉屋でもあるらしい。詩織はつい笑ってしまったが、安永先生はそこで話を戻した。
「希望があるとすれば、津島先生は二人の生徒を指導したがってる、若森先生はビブリオバトルをしたがってるってことですね」
「でも、今回の件でビブリオバトルってわけにもいかないと思うの」詩織は首を振った。「当事者の生徒たちがビブリオバトルをしたがってるわけでもないし、ちょうどいい資料も見つからないし」
「ふむ。それじゃあ――」
 安永先生はそこで話を切った。顎に手をやり、軽く宙を見上げたと思ったら、その口元にいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「面倒くさがりの男たちを働かせちゃいましょう。図書室でちょっとしたイベントを開いて、それに当事者の生徒たちも参加してもらって、それを機会に出入り禁止も解除、なんてどうですか?」
「そううまくいけばいいけど……」
 二人の男性教師を思い浮かべると、首を捻らずにはいられない。どちらも一癖も二癖もあるタイプだ。
「津島先生は私が引き受けてもいいですよ」安永先生はにこやかに言った。「若森先生の方は、高良さんが説得してもらえませんか? 上司なんだし」
「頼んではみるけど、説得できるかな……」
「二人の教師がやる気になってるのでお願いしますって頼めば、きっと大丈夫ですよ」
「二人の教師?」
「ええ。津島先生と、もう一人」
 そこで安永先生は、自分の顔を指差した。

 その週の終わりに、詩織は一通の企画書を若森先生に見せた。職員室を訪れて、帰り支度をしているところに声をかけたのだ。
「図書館主催、ランチタイム講演会……」
 若森先生が面食らい気味に読み上げる。詩織は文面を指差しながら説明した。
「学年や教科の枠を取り払って、いろんな先生方の専門分野でブックトークをしてもらおうって企画です。三日くらい連続で、昼休みに図書室で開けたらいいなと思いまして」
 直原高校では昼ごはんはお弁当制だ。生徒たちは昼休みになると、持参したお弁当や購買やコンビニで買ったパンなどを、思い思いの場所で食べている。図書室は飲食禁止だけれど、特別に図書室内でお昼を食べるイベントを開きたいというのが詩織の提案だった。
「ほら、普段はみんな、教室や部室でお昼を食べて、食べ終わる頃からだんだん図書室の利用者が増えるでしょ? だったらその昼休み前半の時間、二十分くらいを使って、図書室でランチしながら先生のお話を聞くっていう企画をやれると思うんです」
「図書室で飲食禁止なのは、うっかり資料を汚さないようにって配慮なんだけどなあ」
「ですから、飲食可なのは講演会の間だけ、会場のテーブルだけって決めます。講師の先生も、それでいいって言ってくれてますし」
「誰ですか、講師の先生って」
「もう二人見つけてあるんです。一人目は国語科の、安永桃瀬先生」
「あー、モモちゃんね。直原に来て一年目のニューフェイスにしちゃ――気が強そうな」
 若森先生は言いながら周りを見回した。本人がいないか確かめたらしい。
「味方につけたら頼もしい人ですよー。この企画も安永先生と考えたんです」
「うーん、女性二人の提案に反対したら恨まれそうだなあ」
「私は恨みませんけど、安永先生はがっかりなさるかもしれませんね」
「しかし、講演会ったって何の講演ですか?」
「今のところ、『読書とメディアリテラシー』ってテーマを考えてます」
 詩織は企画書のその箇所を指差した。ちゃんと書いておいたけど、若森先生はちゃんと読まなそうだから説明も付け加えた。
「安永先生は語りたい話題があるそうですし、先日の坂田くんと大隈くんの件で、津島先生が仰ってたんですよ。二人とも指導してやりたいって。メディアリテラシーだったら、どちらにも関わりそうなテーマだと思いまして」
「じゃあもう一人の講師って、津島先生?」
「そうです。せっかく指導したいって思ってくれてるなら、二人に限らず希望者は誰でも聞ける形にしたらどうでしょうってことで――今、安永先生が津島先生のところにこの企画書を見せに行ってくれてます」
「ははあ、なるほど」若森先生は事情を察したようだ。「まあ、安永先生と津島先生が引き受けてくれるんならいいんじゃないですかね。どうせ昼休みだし、多少時間オーバーしても図書館利用者には迷惑にはならないでしょうし」
「ありがとうございます!」詩織はすかさず頭を下げた。「こうやって若森先生に賛成してもらえれば、本当に一安心なんです」
「なんか、いやに持ちあげますね……」
「はい。実は安永先生とも話してたんですよ。安永先生や津島先生が講演するとしたら、やっぱり図書館主任の先生にも語っていただかないと締まらないよねって。なにしろ、図書館と先生方の協働企画ですから」
「あー、そうきたかー」
 若森先生は前髪をかき上げ、ついでに額をぴしゃりと叩いた。詩織はもうひと押しすることにした。
「安永先生と相談してて気づいたんですけど、若森先生が文化祭のビブリオバトルで喋ったテーマだって、広い意味じゃメディアリテラシーですよね?」
「うーん、まあ、そうも言えるかな」
「ウィキペディアとかのネットメディアはもちろんですけど、本も図書室ノートも、一種のメディアだと思うんですよ。そういうメディアとの向き合い方を考える機会だと思うんです。あの時のビブリオバトルを聞いてた生徒だけじゃなくて、今回興味を持った生徒にもあらためてってことで」
「それなら、僕はあの時と同じ話をすればいいかな?」
「同じでもいいですし、あの時ほど制限時間がかっちりしてないですから、そこは教えるプロの采配にお任せするのがいいって、安永先生とも意見が一致しました」
「教えるプロとまで言われちゃうと、逃げられそうもないなー」
 若森先生は苦笑したが、内心は満更でもなさそうだ。どうやらランチタイム講演会という企画は実現にこぎつけそうだった。
(第14回へつづく)

竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

  • 双葉社
  • 小説推理
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