双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

文化祭のビブリオバトル

15
 決勝戦が始まるまでには四十名を超える聴衆が集まった。午前中の参加者だけじゃなく、決勝進出者の友達や身内も増えて始まりを待っている。加えてスタッフとして働く図書委員もいるわけで、ビブリオバトルの始まる前から熱気が満ちているようだった。
 図書室じゅうの椅子を使い、貸出カウンターを囲むように観客席が設けてあった。カウンターにはノートパソコンが置かれ、カウントダウンタイマーが表示されて参加者みんなが見ることができるようになっている。
「じゃ、ビブリオバトル決勝戦に参加して投票をしたい人は席についてもらいます! 席を空けずに詰めて座ってくださーい」
 声を上げているのは大隈広里だった。図書委員長の小枝歩乃佳も書記の森川智美もバトラーとして決勝戦に進出したので、彼が進行役を務めることになったのだ。本人は「俺なんかが司会でいいのかよ」などとぼやいていたが、いざ本番となると腹をくくったらしい。
 詩織は席に着いた人たちに葉書大の赤い紙を配った。新着本のポスターや展示コーナーなどに使う色画用紙を切ったもので、投票の際はそのカードを挙げてもらうのだ。ただ手を挙げるよりもずっと数えやすくなる。
 バトラーの発表順はくじ引きで決められた。一番手となったのは、映画同好会の二年生、津山登である。大隈くんがカウントダウンタイマーをスタートさせると、彼は制服のポケットから文庫本を取り出した。
「えーと、僕は午前の予選でこの、『それはまた別の話』を紹介しましたが、予選と決勝で違う本を紹介していいってことなんで――そうします。このタイトルはビリー・ワイルダー作品の『あなただけ今晩は』のバーテンダーの名台詞が元ネタで、三谷幸喜が脚本を書いたドラマの『王様のレストラン』では毎回のナレーションで決め台詞となりました。それを和田誠との対談本のタイトルにしたってわけです。十二本の名作映画について語る本なので、『それはまた別の話』ってタイトルでぴったりですよね。そして――」
 津山くんは反対側のポケットからもう一冊の文庫本を取り出した。
「決勝で紹介するのはこれです。『これもまた別の話』!」
 どっと笑いが涌いた。白い紙にモノクロイラストという表紙は雰囲気もそっくりだし、著者も同じく三谷幸喜と和田誠である。
「こっちの方が続編ですが、面白いことに、『それは――』は文春文庫、『これも――』は新潮文庫から出てます。ほら、新潮文庫の方だけ栞の紐がついてるでしょ? 話題になってる映画の、気になる作品のとこに挿んでおいて、その映画を見てからもう一回読む、っていう時に便利です。そして『これも――』の方の特徴として、日本映画についても語られてるってのがあります。その作品とは――最も長い映画シリーズとして世界記録にも認定された、『男はつらいよ』です!」
 津山くんはそのタイトルが出てくるページを開いてみせた。彼も好きな映画なのか、なんだか嬉しそうな顔である。
 そこからはもう、映画について語る彼の独擅場だった。どうやら映画について語ると止まらないようで、「寅さんが振られて泣くのは一作目だけと書かれてるけど、実は三作目でも泣いてます!」などと本の記述以上のことまで語っている。しまいには喋っている途中で時間切れを告げる鐘が鳴っていた。
「はい、こんな風に、好きな映画についての話って尽きないもんです。この『これもまた別の話』も、そういう本ですので、興味ある人は読んでみてください!」
 そんな言葉で締めくくられ、ディスカッションに入っても映画についての質問に終始した。古今東西の名作映画について語られているおかげで、聴衆の中の年配層、銀髪さんのような世代の関心も惹いたようだ。
 午前と午後で本を変えたバトラーはもう一人いた。二番手となった小枝歩乃佳である。
「私も午前とは違う本を紹介する予定なんですが、お話しするテーマは同じです。まずはそのお話から聞いてください」
 短い挨拶と共に始まった発表は、冒頭で和歌が読み上げられた。
「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ――崇徳院の詠んだ一首です。一年生の時、古典の授業で習いましたよね。流れが速くて二つに分かれちゃう滝川のように、恋しい人と別れることになっても、いつかまた会いたい、っていう恋の歌だって教わりました。でも、本当にそうでしょうか? 一年生の時から、私は疑問でした。これ、本当に恋の歌なのかなあって」
 崇徳院の和歌が、もう一度ゆっくりと繰り返された。小枝嬢はそこで首を傾げてみせた。
「歌の中には一言も、恋にまつわる言葉は出てきません。強いていえば『逢はむ』ですけど、だから恋なのだ、っていうのは、ちょっと強引な気がします。そうやってなんでもかんでも恋愛に絡めるのって変ですよね。だいたい私は子供の頃から、J‐POPとかTVドラマとか、なんで恋愛ものばっかりなのかなって疑問だったんです!」
 少々大げさに語気が強まり、聴衆から笑いが涌いた。小枝嬢はにっこり笑って続ける。
「ドラマといえば、うちは大河ドラマが好きで毎週見る家なんですが、去年やってた『平清盛』に崇徳院さんが出てたのって覚えてますか? 井浦新さんが演じて、保元の乱で負けて都を追われちゃう悲劇が描かれました。自分への仕打ちを恨んで泣くシーンなんてもう、鬼気迫る迫力で――その演技を思い浮かべて納得いったのがこの本、午前中に紹介した『雨月物語』です。立原えりかさんの現代語訳で読みやすい文章になってますので、古典は苦手って人にもおすすめですよ」
 単行本が掲げられた。だけど、今回の紹介本はそれではないという断りつきだった。
「私が最近になって『雨月物語』を読む気になったのは、古典の勉強のためじゃなくて、図書室で知り合った一之瀬先輩にすすめられたからです。村上春樹の『海辺のカフカ』を読んだら、『雨月物語』の中の『菊花の契り』って話が出てきたからネットで読んでみたんだそうです。それはそれで面白かったけど、ネット上ではジャパニーズゴシックホラーとかボーイズラブとかのキーワードで語られてることが多くてびっくり、なんて聞いて、私も興味を持ったのでした」
 聴衆がざわついた。一之瀬さくらも含み笑いで聞いている。詩織は意外な展開に内心で驚いていたが、小枝嬢は澄ました顔で続ける。
「まあホラーとかBLとかはおいといて、そんな話を聞いた時期にたまたま、市立図書館の児童書コーナーで現代語訳を見つけました。児童書っていっても、これは中高生くらいじゃないと難しいと思うんですけど――とにかく借りて読み始めて、最初に載っていた『白峰』って短編で驚きました。ここには崇徳院が出てくるんですが、都を追われた後で魔道に走って魔王となった姿で出てくるんです。大河ドラマで鬼気迫ってた勢いで魔物になった、って感じでした」
 話の最中にページがめくられ、「白峰」のタイトルや挿絵が示されて、最後には扉ページが開かれた。そこに印刷された絵は歌川国芳の描いた崇徳院で、嵐の海や雷光と共に髪を振り乱した姿が描かれている。
「すごい絵でしょ? 百科事典で調べたら、崇徳院は菅原道真や平将門と共に日本三大怨霊とも言われてるそうです。みんな偉い人だったのに悲劇的な最期を迎えたせいで、怨霊の伝説が残ってるんですね。――そしてよく見ると、この絵にも、『瀬を早み』の和歌が記されてます。次のページには『歌川国芳画「百人一首」より』って書いてありますから、歌川国芳さんも『瀬を早み』が恋の歌とは考えなかったみたいです。上田秋成さんもそうだったのかもしれません。『瀬を早み岩にせかるる滝川の』っていう上の句には、人生で壁にぶつかった崇徳院自身の姿が託されている、なんて解釈もできるんじゃないでしょうか?」
 そこで小枝嬢は新書版の本を取り出した。栞を挿んだページが開かれると、そこには崇徳院の和歌が載っていた。
「調べてみたら、『瀬を早み』の歌が詠まれたのは保元の乱の前でした。崇徳院は天皇から上皇になって、高い位にあったのに政治の実権はなくて、和歌に没頭してたそうです。自分の子供を天皇にしようとしても叶わなくて、やがて内乱で敗れて――ってことになるんですが、そういう状況で詠んだ『われても末に逢はむとぞ思ふ』ですから、『自分の理想と違う現実になっているが、いつか思い通りにしたい』、なんて含みがあるんじゃないでしょうか?」
 聴衆がどよめいた。授業で教わる和歌だけに、通説とは全く異なる解釈に意表を突かれたのだ。小枝嬢の論理的な喋り方には、聞く者を納得させる響きがあった。
 そういえば九月に開かれたビブリオバトルでは、彼女はミステリー志向を自然科学の方面に向けて『スズメの謎』という本を紹介した。今度は人文科学、古典文学の和歌の解釈で謎解きを行おうとしているようだ。
「もちろん、それは私個人の解釈です。絶対正しい、なんて言い張ることはできません。――と思ってたんですが、百人一首関連の本を探したら、私の考えを裏付けるような資料が出てきました。それがこの本、吉海直人さん監修の『図説 地図と由来でよくわかる! 百人一首』という本です」
 そこでようやく、彼女の決勝戦での紹介本が明かされた。ページがめくられると、タイトル通りに地図や図が豊富な本なのが分かる。
 小枝嬢は何箇所かページを開き、監修者の経歴や本の形式について紹介していった。それからさっきの『瀬を早み』のページに戻る。
「このページでは和歌の紹介と現代語訳だけじゃなくて、崇徳院の悲劇的な人生について解説されています。ほら、この図は、彼が敗れた保元の乱の人物相関図ですね。それを踏まえて監修者はこう書いています。『この悲劇の生涯を顧みると、「瀬を早み~」もまた異なった観賞ができる歌になるのではなかろうか』――はい、私も全く同意見です。自分の推理と同じ考えの本に出会えてとっても嬉しかった。その点をもっと詳しく知りたい人は是非、この本を読んでみてください!」
 そこまで言い終えた後、何秒か間が空いてから終了音が響いた。進行役の大隈くんがディスカッションの質問を募ると、大木くんが手を挙げている、
「小枝ちゃんの推理って、授業で習った解釈とは違うわけだけど――そのあたり、須永先生は何て言ってますか?」
 須永先生というのは一二年生の古典を担当している初老の先生だ。彼を知っている生徒からくすくす笑いが生まれたが、小枝嬢は澄ました顔で回答している。
「それは須永先生のお考えですから、是非この本を読んだ上で、大木くんから直接先生に質問してみてください」
 残念ながら須永先生はこの場に来ていない、小枝嬢はそれを逆手にとって笑いにつなげ、本のアピールとして締めくくった形だった。
 詩織の隣の席では、若森先生が「俺も聞いてみようかなあ」などと呟いている。――小枝嬢に質問、という意味ではなく、職員室で須永先生に聞いてみたくなったようだった。

 三番手のバトラーはBテーブルを勝ち抜いたベースくんだった。
 彼は髪を襟足のところだけ伸ばして束ねている。自分の番になると、その束ねた髪をぎゅっと握ってから進み出た。どうやらそれが本番前の儀式のようだ。
「本を紹介する前に、アンケートいいかな」
 左手に持った本は背中に隠したまま、右手を挙げる。そのまま笑顔で質問した。
「この中で、クレイジーキャッツってジャズバンドを知ってる人、いますかー?」
 最初は誰も手を挙げなかった。少しざわついた後、午前のBテーブルにいた生徒が反応し、他の生徒たちもちらほらと挙手している。教職員や保護者風の大人たちからも手が挙がった。
「結構いますね」ベースくんは嬉しげに笑った。「生徒の中で知ってる人も、午前よりは増えてます。僕の宣伝活動の成果かな。――それに、ジャズバンドとしてのクレイジーは知らないって人も、コメディアンとしては知ってるかもしれない。この写真の人たちなら見たことあるって人もいるんじゃないすか?」
 そこで彼が出した本の表紙には、『最後のクレイジー 犬塚弘』と記されていた。「ホンダラ一代、ここにあり!」という副題と共に、バンドメンバーのカラー写真が載ったにぎやかな表紙である。
 それを聴衆に見せながら、ベースくんは裏表紙や見返しのところにも印刷されたモノクロ写真を指さした。
「リーダーはハナ肇、ギターの植木等にトロンボーンの谷啓といった、昭和のテレビや映画で活躍したスターたちがメンバーだったバンドです。なにしろ昭和のスターだから、みんなお爺さんになって、亡くなった人たちもいて、最後に残ったメンバーがこの犬塚弘さん。それがタイトルになってるわけです。どのメンバーもコメディアンとか役者として有名だったし、今でもたまに昔の映像がテレビに出るよね。陽気でパワフルな楽曲も、ラジオとかCMとかで流れてます」
 そこでベースくんは口笛を吹いてみせた。――楽器演奏が禁止になったので口笛演奏にしたのだろう。最初はジャズ風の曲だったのが、やがて『スーダラ節』のメロディーになっていく。詩織はずっとコミックソングと思っていた曲だが、こうやって語られた後で聞くとジャズのスタンダードみたいに聞こえた。
「そしてこの、書名にも著者名にも名前が出てる犬塚弘さんは、クレイジーキャッツのベーシストです。俺もベースをやってるし、俺にベースを教えてくれたじーちゃんは若い頃にはステージを見に行ったこともあるって。テレビでクレイジー映画が放送された時にそんな話をしてくれました。その映画が面白かったんで、レンタル屋で植木等ショーって番組のDVDを借りてきて一緒に見たりして――だからこないだ、古本市でこの本を見つけた時は速攻で買ってたよ。お店のおっちゃんが、『まさか高校生に売れるとは思わなかった』なんて喜んでた」
 ページがめくられた。見返しから扉、章扉と、あちこちに写真が載った本のようだ。
「この本にも載ってるけど、その植木等ショーでオーケストラをバックに演奏するって企画があってさ、クレイジーキャッツのメンバーはそれぞれソロをとるくらい上手いんだけど、ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』を演奏してたと思ったら、それが途中で祭囃子みたいになったり、マンボになったり童謡になったりして、めちゃくちゃに崩して笑いをとってくんだ。音楽的にめちゃくちゃってだけじゃなくて、連弾してたピアニスト二人がソロの奪い合いで取っ組み合いの喧嘩になって、みんなを巻き込んでピアノをぶっ壊したと思ったら、しまいにはピアノに爆弾仕掛けて吹っ飛ばして、最後は万歳三唱――みたいな、とんでもないステージ。面白いから是非見てみてね」
 ベースくんは身ぶり手ぶりに口笛まで交えて笑いをとっている。そうやってステージの話をしている時の彼は本当に楽しそうだったし、見れば銀髪さんが楽しげに拍手を贈っている。きっとその番組をリアルタイムで見ていた世代なのだろう。
 どうやら午前の予選、Bテーブルのビブリオバトルでも、彼の音楽を交えた発表が武器となったようだ。いささか脱線気味というか、本来の本の話とは違うところで笑いをとっているけれど――ベースくんにもその自覚はあったらしい。ひとしきりステージ話で盛り上がったところで真面目な顔に戻った。
「で、本の話に戻って、何が驚いたって、五十九ページです。コミックバンドとしてジャズ喫茶なんかのライブで人気者になったクレイジーは、当時開局したフジテレビで『おとなの漫画』っていうコント番組のレギュラーになってブレイクしました。その番組を担当してたのが、文化放送からフジテレビに配属されてきたっていう若いディレクターで、彼の名前は椙山浩一。そうです。この名前はみんな、知ってるよね?」
 ベースくんの問いかけに軽いざわめきが生まれた。再び口笛が始まった。
 今度はクラシック風の勇壮な曲だった。聞き覚えがあるなと思ったら、『ドラゴンクエスト』のテーマ曲である。
「そうです。有名なドラクエの音楽を作曲した、すぎやまこういちさんのことなんです。僕らの世代はゲーム音楽の作曲家として知ってるけど、若い頃はテレビのディレクターだったんだ。ネットで調べてみたら、高校生でオーケストラを結成したり、プロのバレエ団のためにオペラ曲を書いたりしちゃうような人だったのに、ピアノが弾けないってことで音楽大学には進まずに東大に進んだんだってさ。そんで違う方面に就職してたら、高校の時に書いたオペラ曲が文化放送の芸能部の人に気に入られて、スカウトされるみたいにラジオ局に入ったんだって。それからフジテレビに移籍して、コント番組や音楽番組のディレクターとして活躍して、やがてゲーム音楽の作曲も手掛けるようになった、ってことみたいです。すごいよね。なんか、俺が知らなかっただけで、ポップカルチャー史の伝説を聞いてる感じです。ほら、ドラクエのゲームの中でも昔の勇者の伝説が語られるじゃん? ああいう感覚が、一冊の本をきっかけに味わえるんだ。古本市のおっちゃんには驚かれたけど、むしろこの本は今の高校生こそ読むべきだと思います!」
 そんな話は生徒たちには新鮮なようだったし、大人たちの中には懐かしむ人もいるようだ。どうやらベースくんは、聴衆の年齢層が多岐にわたるのを見越して『最後のクレイジー』という本を選んでいたらしい。
 その作戦と、音楽を取り入れて発表する技術はさすがというよりない。客席への配慮のおかげで聴衆の反応も好意的なようだ。そのあたりには日頃から軽音楽部でステージに立っている経験が活きているのだろうか。
 このまま投票に移ったらベースくんが俄然有利という気配だった。だけど詩織としては、映画の話の津山登や、和歌を推理した小枝歩乃佳の発表だって捨て難い。このビブリオバトルがきっかけで図書室にやってきた津山くんや、委員長として頑張ってきた小枝嬢に花を持たせたい気もする。誰に投票しようか、今から迷ってしまう展開だった。
 決勝戦では、投票カードを配った詩織も一票を持って参加させてもらえることになっている。自分でも投票できるという意識があるおかげで、発表を聞いているだけでもスリリングな気分が味わえた。
16
 四番手のバトラーは図書委員の森川智美だった。紹介するのは、『うめ版 新明解国語辞典×梅佳代』である。
「この本は、こう見えて辞書です」森川嬢は含み笑いで始めた。「写真集でもあります!」
 それから目次のページを開き、隅の方に書いてある文章を読み上げる。
「ちょっと朗読しますね。――『本書掲載の辞書項目ならびに語釈・用例は、すべて『新明解国語辞典』(第六版)より引用しています』――ほら、つまり、辞書の文章がそのまま載ってるんです。だから辞書なんです。ただ、タイトルにも『うめ版』とある通り、各項目には写真家の梅佳代さんの写真がついてます。だから写真集でもあるんです」
 ページがめくられた。最初の項目は「愛情」で、右のページに辞書の説明が、左のページに写真が載っている。華やかな振袖の女の子が立ち、その袖を脇に座ったお爺さんの頭にかけている写真だ。二人とも笑顔で、きっと仲のいい祖父と孫なんだろうなと思わせる。
 智美ちゃんは写真を指差しながら「愛情」についての説明文を朗読し、そういう文章と写真が並んでいることの魅力を語っている。その二ページのように、辞書の項目にぴったりの写真もあれば、ちょっと考えて納得するような写真とか、ちょっとずれたような写真もあって面白いということだった。
 そんな話の間、詩織は写真とは別の祖父と孫のことを思い出していた。
「愛情」の項目の写真と同じように仲がよさそうだった、銀髪さんと新田瞳の二人である。そして森川嬢の言った朗読という言葉から想像が広がった。
 さっき、二人が交わしていた会話に「お祖母ちゃん」という言葉があった。「最近だいぶいい」とか「記憶もしっかりしてる」ということだったし、「今日はヘルパーさんの来る日」でもあるらしい。
 銀髪さんが少女小説を借りていたのは孫の瞳ちゃんのためじゃなく、奥さんのためと考えれば全てが繋がりそうだった。介護が必要な妻のため、彼は本を朗読してあげていたのではないだろうか。氷室冴子作品は、奥さんのために選ばれたか、あるいは奥さん自身のリクエストだったのかもしれない。
 返却された本から感じた「難しい」という思いは、彼女のために朗読している時の実感だろう。真面目そうな年配男性が少女小説を朗読したら、そりゃあ難しいに決まっている。「なるべく淡々と」とか「役者ではないのだから」というのは、朗読する際の心がけだろうか。
 そのあたり、銀髪さん本人や、孫の瞳ちゃんに尋ねたら何か分かるかもしれない。――だけど赤の他人の身で、それは余計な詮索というものだろう。こうして想像できただけで充分だし、それもビブリオバトルのおかげのような気がした。
 なにしろ、「本を通して人を知る」というのがビブリオバトルのキャッチフレーズだ。たった今、銀髪さんの人柄を窺い知れたわけだし、紹介されている『うめ版』というのも人を感じさせてくれる本だった。辞書の言葉に梅佳代の写真が並ぶことで、言葉から人へ思いを広げてくれるのだ。中には人じゃなくて犬や猫や鳥の写真もあるけれど、どれも誰かの心を感じるあたたかな写真だった。
 ディスカッションのコーナーに移ると、銀髪さんが手を挙げた。進行役の大隈くんはどう呼んでいいのか分からなかったのか、「ではそちらのお父さん」などと指名している。
 銀髪さんはその場で立ち上がり、一礼してから質問した。
「この本の、たくさんの写真の――モデルさんというか、写っている人たちはどういう方々なんでしょうか?」
 質問を受けた森川嬢は、そこで首を傾げてみせた。ある程度は予想していた質問だったようだが、答えはないらしい。
「ごめんなさい。それはこの本のどこにも書いてありませんでした」
 それから少し考え、彼女は話を続けた。
「でも私は――そこがいいって思います。名前も知らないどこかの誰かの写真で、言葉の意味が分かるっていうのが素敵だなあって。それで余計に、この本が好きです」
 そんな答えに、銀髪さんも納得したらしい。もう一度立ち上がり、「なるほど。ありがとうございます」と告げて一礼している。
 詩織も、森川嬢の言葉に同感だった。――この前の『師匠!』という本の写真を担当したのも梅佳代だ。この『うめ版』も図書室の蔵書にして、二冊を並べてみたくなった。

 最後となった、五番手のバトラーは新田瞳だった。客席の銀髪さんはひときわしっかり拍手している。
 詩織としては、瞳ちゃんはこの前の古本市でベースくんがプレゼントしてくれたという『流しのしたの骨』を紹介するのかと思っていた。しかしそれは少しずつ大事に読んでいてまだ途中なので、今日使うのは夏に読み終えた本だということだった。
「私は、『ソフィーの世界』を紹介します」
 瞳ちゃんが持っているのは分厚い単行本の『ソフィーの世界』だ。――この図書室には上下巻に分かれた新装版があり、彼女も前にそれを借りていたが、いま手にしているのはオリジナル版だった。
「厚いでしょ? 私の人生の中で、ちゃんと最後まで読んだ、一番分厚い本です。いきなりですけど、これ、自慢です」
 軽い笑いが涌いた。銀髪さんもにこにこと孫娘の発表を見守っている。
「私、普段はあんまり本って読みません。読むとしても、サンドイッチ読みって呼んでるやり方で、最初と最後をちょこっと読んで、なんとなく内容が掴めたらいいやって感じ。どうしても必要ならネットであらすじを調べるって方法で――これまで何度も、読書感想文の宿題を乗り切りました」
 笑いと拍手が涌いた。――詩織も子供の頃に読書感想文の宿題は好きじゃなかったのを思い出した。本を読むのは好きだったが、それに作文がついてくると途端に面倒になった。
 だけど考えてみれば、本を読んで発表するという点では、このビブリオバトルだって同じである。今こうして、生徒たちが楽しそうに発表したり聞いたりしているのが不思議なほどだったが――そこで若森先生と話した『北風と太陽』のことを思い出した。
 宿題の読書感想文は北風、こうやってみんなで楽しんでいるビブリオバトルは太陽ということになりそうだ。感想文だと自分の中で言葉にする大変さがあるけれど、ビブリオバトルでは聴衆に向けた言葉として発表するおかげで、語り手と聞き手の間で楽しさを共有できる。それが太陽みたいに感じられる。
 瞳ちゃんの発表も、さらに詩織の心をあたためてくれた。
「――読むことになったきっかけは、この図書室でした。一学期の朝活で、司書の高良さんが『萌える☆哲学入門』って本を紹介してくれたんです。それは字も少なくて絵がたっぷり、っていうか、いろんな哲学者をイラストと名言で紹介する本なの。そのイラストがよくて、アニメ風の絵柄だけどリアルタッチ、両方のいいとこどりって感じで、しかも哲学者だから、おじさんとかお爺さんが多いんですよ。枯れ専とかジジ萌えみたいな。ほら、アリストテレスとかエピクロスとか、渋くてカッコいいでしょ?」
 瞳ちゃんはその本も用意していた。詩織が紹介した本が、みんなに哲学者の顔を見せるのにも活用されているわけだ。
「もともと私、歳いった男の人を描くのって苦手なんです。皺とか白髪とか髪の生え際とか工夫するんだけど、どうもバランス悪くて。だからこの本を真似して練習しようと思って借りたんです。自分の好きなキャラに合いそうな絵柄を、ちょっとアレンジして描いたりして。だから最初はイラストを見るために眺めてたんですけど――そうやって本を開いてると、文章も自然と目に入るでしょ。それで人や名言を少しずつ覚えました。
 そうなると空想や妄想が膨らみます。この人はこういうキャラかなーとか、この人と絡むとこんな感じかなーみたいな。で、『萌える☆哲学入門』は一人一人を紹介する感じだったから、もっとストーリーっぽい本はないですかって、高良さんに聞きました。それですすめてもらったのが、この『ソフィーの世界』です」
 一学期、瞳ちゃんから質問された時のことは覚えていた。まさにぴったりな本があると、『ソフィーの世界』をすすめたのだ。こうして発表に使われると学校司書として誇らしい気分になれる。山村さんから言われた、人を励ますのが得意な一面を、生徒にも向けることができたのかもしれない。
 しかし次の瞬間、瞳ちゃんは眉をひそめてみせた。――「でも、ずるいんですよ。最初はこんな厚い本だとは思わなかったんです!」などと語って笑いを誘ったのだ。
「これは一冊だけど、図書室にある本は上下巻に分かれてて、一冊は普通の本くらい――っていうか、むしろちょっと薄めの本くらい? しかも、『上』っていう字が目立たないデザインです。高良さんから、『これはおすすめだよー』って上巻を渡されて、私、二冊あるって気付かずに借りたんです!
 家で読み始めたら、さすがに気付きました。これは上巻で、てことはまだ下巻もあるんだって。正直、それで読むのが嫌になりかけたけど――家のテーブルにこの本を置いといたら、たまたまうちの親――お父さんが見ちゃったんです。それで、『ソフィーの世界』なんて読んでるのか。漫画しか読まないと思ってたけど見直した――なーんて感心されて、褒められた手前、引っ込みつかなくなっちゃって」
 そんな展開があったとは、詩織も今の今まで知らなかった。別に上下巻あることを隠したつもりはなかったが、最初に上巻だけ渡したのがよかったようだ。
「でもなかなか読み終わらなくて、一度返却期限が来たので返してまた借りて――もう一回それやったのかな。そのうちに、お父さんが教えてくれたんです。『ソフィーの世界』は二十年くらい前にベストセラーになった本だから、きっと今なら安く売ってるぞって。何度も返したり借りたりするなら、この際買っちゃえよ、なんて。
 どうしよっかなーと思ったけど、お父さんが珍しく真面目な顔で、『半分くらい読むと世界がひっくり返るぞ。それを読む前にやめちゃったら絶対損だ』って力説して――その時、いきなり百円玉をくれたんですよ。小さい子にお駄賃あげるみたいに。『これで買ってこい』って、カッコつけた言い方で。
 今時百円じゃ買えねーよ、消費税かかるじゃん、って思ったし、だいたい親ならそこでぽんっと新品買ってくれたってって思ったけど――その日の学校帰りに、駅前のチェーン系の古本屋で探してみたら、本当に百円ちょっとで売ってました。この分厚い本が。
 で、その時、思っちゃったんです。分厚い本もカッコいいかなって。そうなると、その百円で買わなきゃいけない気がするじゃないですか。買いましたよ。消費税は自腹で!」
 瞳ちゃんの、拗ねたような言い方は聴衆に大受けだった。銀髪さんはちょっと苦笑めいた表情だが、それでも顔が赤らむほど笑っている。話に出てくる「お父さん」というのは彼の息子さんに当たるのだろうか。
「その本は百円にしちゃあきれいだったし、帯もついてたんですけど、そこに『世界で一番やさしい哲学の本』って書いてありました。だけど、嘘でした! その時の私は、『萌える☆哲学入門』の方がやさしいって思いました。哲学って――分かってみれば何てことないような話を、わざわざ面倒くさい言い方で、回りくどく言いますよね。そうやって一つ一つ積み重ねてくのが学問なのかしれないけど、私は積み重ねる間に聞く気をなくす、っていうか、集中切れちゃう。
 でも、それはそれとして、『ソフィーの世界』の分厚い本は手元にあるわけじゃないですか。一応、自分でもちょっとは出資したわけだし、これは頑張って読んでみようと思って――夏休みの間に読んだんです。今からそれをアピールしようと思います。なんか、前置きが長くなっちゃったけど……」
 瞳ちゃんはそこでカウントダウンタイマーを見やった。前置きだけで持ち時間の約半分を使ってしまっている。そこからの発表は少々早口になった。
「哲学って難しいって思っても、それでも読めたのは、この小説が哲学を話題にしたミステリーでファンタジーだったからです。
 まずは十四歳のソフィーに、謎の手紙が届きます。差出人の名前もなくて、『あなたはだれ?』って書いてあるだけの手紙。そんなの、お前こそ誰だよって話でしょ? 失礼だし、怪しすぎます。私なら、迷惑メールと思って即刻削除です。丸めて捨てちゃいます。
 続いて、同じような『世界はどこからきた?』って手紙。それから南の国の海岸の写真の絵葉書。それなんか、ソフィー宛てですらなくて、ソフィー様方ヒルデ様、みたいな感じで、ソフィーの全く知らないヒルデって女の子に向けられた絵葉書なんです。
 私ならもう、削除だけじゃ済まさずに、ブロックして通報するけど……ソフィーは誰にも内緒にして次の手紙を待つんです。学校から急いで帰って郵便箱を開けると次の手紙が入ってて、大きな封筒に『哲学講座 親展』なんて書いてあります。今度はタイプで打たれてて、『哲学とは何か?』なんてテーマで哲学の講義になるの。
 おまけに、ソフィーがそれを読んだ後で、もう一回見に行ってみると、郵便箱には講座の続きが入ってます! ソフィーが読んでる間に誰かが入れたってことでしょ。これ、今の日本だったらストーカーですよ。十四歳の少女としては警戒しなきゃダメなレベルです。この『ソフィーの手紙』がノルウェーで出版されたのは一九九一年だっていうから、その頃は平和だったのかもしれないけど……今の中高生なら、ネットリテラシーの第一歩ですよね。まあソフィーはネットじゃなくて現実の手紙を受け取ってるわけだけど」
 そのあたりで、特に女子生徒たちがざわめいている。――詩織が『ソフィーの世界』を読んだのも日本で話題になっていた頃だったし、当時は今ほどのネット社会ではなかったから、警戒なんて考えもしなかった。だけど今の高校生にしたら、違う意味でスリリングな作品なのかもしれない。
「手紙の哲学講座はそれからも続々と届いて、どんどん長くなります。差出人は哲学者みたいで、『これから、古代から現代まで、人間は哲学の問いをどのように考えてきたかということを、わかりやすく、すべてきちんと順を追って話していくことにします』なんて書いてあるけど、きちんと順を追うならまずは自己紹介しろよ、どうしてそんな手紙を送りつけてくるんだか説明しろよって感じ」
 そこでソフィーは考える。こっそり郵便箱を見張り、謎の差出人宛てに手紙を書いて郵便箱に入れておくのだ。――ノルウェーでは、自分の家の郵便箱を使って郵便を出すことができる。出したい手紙に宛先を書いて切手を張って郵便箱に入れておけば、配達人が回収して集配に回すシステムなのだ。
 やがて哲学者から返事が届き、「きっといつかある日、会いましょう」と書いてある。しかし当分は姿を見せられないから、「小さなお使い」が手紙を届けるというのだが――そこで瞳ちゃんは声を高めた。
「多分、ここは不思議な謎めいた雰囲気で盛り上がるとこだと思うんですけど、私はぞっとしちゃいました。だって、会いたくないでしょそんな奴。なんで平気なのって思って、ついてけないなーって――相変わらずストーリーは謎めいてばっかだし、哲学講座は難しいことばっかで、本気で読むのやめようって思ったんです。何ならサンドイッチ読みで、ラストの方だけぱらぱらっと……とかって思ったんだけど。
 そこで、大きな犬が出てきたんです。茶色いラブラドル犬が封筒をくわえてやって来たの。さっき言った『小さなお使い』っていうのは犬のことだったんですね。――あやしい謎の哲学者は嫌だなって思う私も、よく訓練されたラブラドル犬には好感持っちゃいました。犬のくわえてきた手紙には、彼はヘルメスっていう賢い犬だって書いてあって――それで私も、続きを読みました」
 残り一分を告げるベルが鳴った。瞳ちゃんは話の続きを急ぐ。
「それでソフィーは、その手紙の主に会いに行くんです。いや、危なすぎ。警戒心なさすぎです。まだるっこしい哲学話の間にストーリーが進んで、ソフィーは哲学者の家を探し出して潜入したり、とうとう出会って直接話したり、危険な橋を渡りまくります。その間に、いろいろ不思議なことも起きまくり。
 それで私、そういう不思議について、なにかしらファンタジーっぽい説明がつけられて解決するストーリーかと思ってました。よくあるでしょ。ファンタジーとかSFとか魔法とかいって強引に解決しちゃう、みたいな。
 だったらバカバカしいなあって思ったんですけど――違ったんです。不思議なことがたっぷり起こったのに、主人公の行動にも無理があると思ってたのに、ちゃーんと全てのことに合理的な説明がつくって分かるの。半分ちょっと読んだあたりで、お父さんの言った通り世界がひっくり返ったんです。
 それで驚いて、やられたーっていうか、そんなのありなのーっていうか、なんか、言うに言えない気持ちになって――読み続けました。その時は夏休みだったから、読み続ける時間もたっぷりあったんですけど――今はもう、時間がありません!」
 カウントダウンタイマーのことだった。残り時間はほとんどなくなっている。――焦っている瞳ちゃんは気の毒だったが、それが聴衆の笑いを誘う。
「それからも、赤ずきんとかアリスとかプーさんとか、いろんなキャラが出てきて、無茶な展開が待ってます。あ、今、何だそりゃって思ったでしょ。本当ですよ。疑うんだったら読んでください。私と同じように驚いたり呆れたりしてくれたら嬉しいです。で――最後には分かるんです。これは、父から娘への、愛の物語だったって。そういう意味で優しい物語、だから帯に書いてあった『世界で一番やさしい』って嘘じゃなかったんです。そこまで分かってくれたら、是非その時にまたお話ししましょう!」
 最後は時間切れのベルが響く中、それに張り合うように声が高まって終わった。瞳ちゃんは喋り足りなそうな顔をしていたが――客席の銀髪さんは満足そうに拍手を贈っていた。
17
 ディスカッションが終わると、司会の大隈くんが声を上げた。
「じゃあバトラーの五人、カウンター前に並んでくださーい。――あ、本も持って」
 他の図書委員に注意されて言い足している。危なっかしい司会に、伝えるべきことをまとめたメモが手渡された。
「えーと、グランドチャンプ本を決める投票の前に、出場した五人と――紹介してくれた本をあらためて紹介します。最初は――二年C組津山登、『これもまた別の話』!」
 大隈くんがつっかえながらメモを読み上げ、津山くんが慌てて一礼する。どうも段取りがぎくしゃくしていたが、津山君が二冊の本を見比べてから『これも――』の方を掲げると、聴衆も拍手で応じた。
 詩織は拍手しながら考えていた。――文化祭が終わっても、津山くんは図書室に通ってくれるだろうか?
 月曜ビブリオバトルが今後も続いたら来てくれるかもしれない。だけど学校司書としてできることだってある気がする。生徒たちのビブリオバトルに触発されて、詩織からも本をすすめてみたくなっていた。
 発表で『男はつらいよ』に言及した津山くんには、山田洋次監督の『「学校」が教えてくれたこと』をすすめてみるのはどうだろう。この図書館では372という分類記号で社会科学の棚の教育のコーナーに並んでいるけれど、映画『学校』シリーズの監督でもある著者が夜間中学の実態に触れる中で考えたことを綴ったエッセイである。
 大隈くんは次いで小枝嬢の横に立った。
「二番目に発表した、二年A組小枝歩乃佳、図書委員長! 紹介本は、えーと……『図説 地図と由来でよくわかる! 百人一首』までがタイトルでいいの?」
 小枝嬢はまずぺこりと頭を下げ、それから大隈くんを軽く睨んで何か囁いている。委員長なんて肩書きは言わなくていい、などと言っているのだろうか。
 詩織は津山くんに続いて、彼女に本をすすめるなら何がいいか考えた。――もともと読書好きの彼女なら詩織のすすめる本くらい既に知っていそうだが、ちょっと古いところで山村美紗の『百人一首殺人事件』というミステリーがある。ダイアル式の電話が事件の鍵になる話だから、最近の高校生には馴染みがなくて逆に新鮮かもしれない。
「三番目のバトラーは、三年B組の大須勇樹さん! 本は『最後のクレイジー』……あ、『最後のクレイジー 犬塚弘』まで? 著者名入りのタイトルなんすね」
 ベースくんも大隈くんのアナウンスを訂正し、大隈くんは頭を掻きながら言い直している。たどたどしい司会のおかげで、逆に拍手は大きくなっているようだ。
 今回のビブリオバトルを踏まえてベースくんに本をすすめるなら、青島幸男の『蒼天に翔る』だろう。クレイジーキャッツのブレーンでもあった放送作家の青島幸男の自伝小説だから、ベースくんなら楽しく読めるはずだ。『最後のクレイジー』の登場人物や出来事と重なる内容も多そうである。
「四番目のバトラーは、二年B組森川智美! 紹介したのは……『うめ版 新明解国語辞典×梅佳代』。これも著者名入りのタイトル?」
 森川嬢は『うめ版』の表紙を掲げた後、ページを次々にめくって掲載された写真を聴衆にアピールしている。――この秋、彼女からはすっかり梅佳代という写真家について教わった格好だ。きっと彼女は、内海桂子の『師匠!』に載った写真から梅佳代に興味を抱き、著書を調べて『うめ版』を見つけたのだろう。何度もビブリオバトルを開催したおかげで、そうやって本と本の繋がりが見えてくる。
 そんな彼女にすすめるなら、赤瀬川原平の『新解さんの謎』はどうだろう。「新解さん」というのは新明解国語辞典のことで、言葉の意味を説明する文章が独特だということで、その例文を素材に語る面白エッセイだ。梅佳代の写真と見比べても楽しめそうだった。
「そして最後は唯一の一年生、一年B組新田瞳! 紹介本は『ソフィーの世界』でした。これは――『哲学者からの不思議な手紙』ってとこまでがタイトルかな。え、それは副題だから言わなくていいの? もう遅いよ」
 瞳ちゃんと大隈くんのやり取りが聴衆の笑いを誘い、瞳ちゃんは拍手を浴びてお辞儀した。銀髪さんも大きく拍手している。
 詩織から瞳ちゃんに薦めるなら、やはりこの図書室にある新装版『ソフィーの世界』の下巻だろう。彼女は結局、図書室で新装版の上巻を読み始め、途中で旧版を買って読み通したけれど、下巻には「新装版によせて」という一文がついているのだ。監修者の須田朗と訳者の池田香代子の連名で、二〇一一年四月の日付で寄せられたものだが、そのメッセージ性の強い後書きも読んでほしかった。
「じゃあ投票いきます。投票カードを持ってる人は、『どの本が一番読みたくなったか』って基準で、一人一回カードを挙げてもらいますが――本人たちが見てるとやりにくい人もいるってことなんで――五人のバトラーは後ろを向いててください。ああ、うん。本だけ背中側に持ってくれるの、いいね」
 大隈くん以外の図書委員たちもなんだかんだと口を出し、賑やかに投票の準備が進んでいく。――ここまできても、詩織はまだ、どの本に一票を投じるか決めていなかった。みんなそれぞれに魅力的に思えて、一番を選ぶことができないのだ。
 だけどゲームを進めるためには一冊を選ばなくてはならない。焦りを感じはするけれど、ぎりぎりまで迷ってみることにした。
 「本を選んだり本を読んだりってことにも魂はある」――白前図書館の丸山さんの言葉を思い出した。その言葉は、今のこの図書室にもぴったりだ。バトラーの生徒たちが聞かせてくれた発表だって、聴衆や詩織たちがこれから行う投票だって、たくさんの魂を垣間見せてくれる。
 たとえ自分の一票がチャンプ本に繋がらなかったとしても、こうして迷って考えた思いは残る。一人一票、一番読みたいと思った本を選ぶというルールの意味はそこにあるのかもしれない。本があって人がいて、その繋がりにも魂が宿るのだ。
 どの本が選ばれて、参加者のみんなはそれをどう受け止めるのだろう。わずかな残り時間の中で思いを馳せた。
(第12回へつづく)

竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

  • 双葉社
  • 小説推理
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