双葉社web文芸マガジン[カラフル]

図書室のバシラドール(竹内真)

イラスト:中島梨絵

夏休みのバシラドール

 三十代にして、また大学の門をくぐるなんて。
 ちょっと皮肉な気持ちで考えた。――二十歳前後の学生時代、怠けていた罰が当たったのかもしれない。
 だけど詩織しおりは、そう思うことを楽しんでもいた。特に目指すものもないままテストやレポートに追われた学生時代より、今の方がはるかに意味のあることをやっている手応えがある。それが罰だとしても、むしろ誇らしく思いたい。
 そんなことを考えると自然と歩調が速まった。ちょっと暑いくらいの天気だけれど、駅から続くゆるい坂道を大股で歩いた。
 七月最後の土曜日で、大学は既に夏休みに入っている。朝九時のキャンパスに人影はまばらだった。Tシャツとショートパンツといった涼しげな若者の姿を見かけたが、きっと勉強じゃなくてサークル活動に来た学生だろう。
 詩織と一緒に駅を出て、広いキャンパスを同じ方に歩いている中には、ちょっと雰囲気の違う女性たちもいた。きっちりとしたスーツ姿の中年女性とか、学生よりも教職員に見える年配女性とか、もしかしたらスクーリング仲間かもしれない。声をかけてみたい気もしたが、まだ我慢しておいた。
 広いキャンパスにはたくさんの校舎が建ち並んでいる。何か別の企画の会場に使われている教室だってあるかもしれない。まるで無関係の人に声をかけても不審がられそうだから、せめて同じ校舎に入ってからの方がいい。
 詩織が向かっているのは「大和やまと学院大学通信教育部図書館司書課程・情報資源組織演習・東京会場スクーリング第一回」と銘打たれた授業だった。科目名一つとっても言い間違えそうだし、人に告げても妙な呪文みたいに響きそうだ。詩織自身も、ちょっと前までは全く知らない言葉だった。
 通信教育であっても、こうして授業会場まで足を運んでのスクーリングや、インターネットを使ったメディア授業が義務付けられている。毎晩苦労して書いた課題レポートが受理され、スクーリングの受講許可証が届いた時は嬉しかったけれど、だんだん緊張も膨らんでいる。厳めしい漢字の並んだ科目名を見ているだけで、難しくて厳しい授業が待っている気がしてくるのだ。
 これから三週にわたって、土曜は終日スクーリングを受けることになる。三週目に試験があって、それに合格しないと単位がもらえないのだ。なるべく優しい授業でありますようにと願わずにはいられなかった。
 キャンパスを歩いて行くうちに、目指す六号館という校舎が見えてきた。入口のところに、横から見るとAの形になるカフェのメニューみたいな掲示板が置かれ、会場と教室を示す紙が貼られている。見れば「組織」という文字が抜けて「情報資源演習スクーリング会場 201教室」となっていた。
 くすりと笑いかけた時、後ろから足音がした。誰か走ってくると思ったら、やけに明るい声が響いた。
「あー、組織、抜けてる!」
 振り向くと、いかにも女子学生といったロングの巻き髪の女の子が立っていた。乱れた息のまま、詩織に話しかけてきた。
「きっと係の人、漢字ばっかだから写し間違えたんですね」
 気さくな笑顔を向けられた。前に会ったことがあるみたいな雰囲気だが、確かに初対面だ。詩織同様、スクーリング授業を前に張りきった気分でいるらしい。
「これから受講?」詩織も笑顔で応じた。「一緒ですね」
「はい!」
 巻き髪さんは額に滲んだ汗を手の甲でぐいっと拭った。それから慌ててハンカチを出している。その仕草が微笑ましかった。 
「駅から走ってきたの?」腕時計を見た。「まだ遅刻ってほどの時間じゃないけど」
「時計、持ってないんですよー」照れ笑いが返ってきた。「スマホは充電忘れたし、駅を出たら周りに人が少なかったから、なんか焦っちゃって、早歩きで」
「土曜日の朝だし、普通の学生さんは夏休みなんでしょうね」
「あ、そっか。……せっかく気合入れて女子大生風にしてきたのになー」
 巻き髪に手をやり、ため息をついている。どうやら普段は違う髪型らしい。女子学生に張り合ってキャンパスに溶け込みたいと思っていたのだろうか。
「さっきの話だけど」掲示の紙を指さした。「『組織』が抜けてても、意味は通じるよね」
 科目の名前としても「組織」はなくたっていいような気がするし、ここがスクーリング会場だとは伝わる。逆に漢字が多くなればなるほど分かりにくくなりそうだ。
「ほら、『情報資源組織論』なんて、最初は意味も分からなくなかった? 私いつも、面倒な言い回しだなあって思ってたの」
「あー、分かるー!」巻き髪さんも声を高めた。「あたしも、『生涯学習概論』って漢字、書けるようになったのつい最近ですよ。もう『ラングランさんの話』でいいじゃんって、何度思ったことか」
「だよねー。情報資源組織演習を受けたかったら情報資源組織論のレポートを出さなきゃいけない、ってのもややこしいし」
「そうそう。概論と特論が別の単位だとか、一つにしてくれればいいのにって思いますよねー」
 二人して201教室に向かいながら、そんな話で盛り上がった。――日頃は一人きりで勉強している通信教育だから、そうやって共通の話題でお喋りできるのが嬉しい。たまたま同じスクーリングを受けるだけとはいえ、初めてクラスメイトができた気分だった。
 巻き髪さんは乃平果乃のひらかのさんという名前だった。わざわざ漢字の書き方まで説明してくれて、「小学校から高校まで、あだ名はノノちゃんでした」とのことで、詩織もそう呼ぶことにした。
 教室の席は自由だったので並んだ席に落ち着いてお喋りを続けた。出席者を見渡すと、詩織より年上そうな中高年もいればノノちゃんくらいの若い子もいる。七割くらいは女性で、ちらほら見かける男性は二十代から三十代が多いようだった。
「私、最年少かも」ノノちゃんは周りを見回して囁いた。「よかったです。最初にお喋りできる相手が見つかって」
 どうやら彼女は、初対面の相手に躊躇なく自分のことを話すタイプらしい。授業が始まるまでの短い時間で、詩織はノノちゃんがこのスクーリングに至るまでの半生を把握できてしまった。
 ノノちゃんの生まれる前、両親は、苗字と名前で韻を踏むような響きがいいと考えていたらしい。乃平という苗字なので、女なら乃という字を、男なら平という字を使って命名しようと決めていたというのだ。そして生まれた一人娘は果乃という名前になり、家ではカノちゃんと呼ばれていたのだが、学校に上がると出欠を取る時などにフルネームで呼ばれる機会が増える。クラスメイトはそれを聞いているうちに、苗字と名前を縮めてノノちゃんと呼ぶようになった。
 中学校で図書委員になったのをきっかけに読書好きになり、高校時代は三年間図書委員を務めて最後は図書委員長にまで出世した。司書になりたいと思っていたけれど学力不足で大学も短大も受からず、コンピューター関係の専門学校に進んだが、そこは課題がきついばかりで面白くないので半年でやめてしまい、それからは実家暮らしのフリーターのようになった。自分でもこのままではいけないと思い、いろいろ調べているうちに通信教育でも司書資格を取れることを知った。春から勉強を始めているのは詩織と一緒だったが、スクーリングは今日が初めてではなく、六月に情報サービス演習という科目を受講している。その時は土曜日のキャンパスにも一般学生の姿が多く、なんだか華やかな印象だったので、今日は負けずにお洒落してきて――メニュー看板のところで詩織と出会ったというわけだった。
 そうやって一通りのことを喋った後で、ノノちゃんは思い出したように尋ねてきた。
「あの、ところで――お名前は?」
 それまで詩織は名乗ってもいなかったのだ。あらためて尋ねられ、詩織はつい笑ってしまった。
 ちょうどその時、教室のドアが開いて大学側のスタッフたちが入ってきた。そうなるとお喋りを続けるわけにもいかない。
 入って来たのは二人の男だった。通信教育部のインストラクターだという中年男性とこの講義を行う老教授で、まずはインストラクターがスクーリングの注意点を説明して講師を紹介し、それから受講者の出席をとり始めた。
 その間に、詩織はノートの隅に「高良たから詩織です」と書き記した。タイミングを見計らい、それをこっそり隣のノノちゃんに見せる。彼女はくすりと笑い、自分のノートを開いて片隅に書き写し始めた。「高良詩織さん」と、ちゃんと敬称をつけてくれるあたり、律義な性格なのかもしれない。
 なんだか学生時代に戻ったような気がした。こうやって授業中に秘密を共有する感覚も久しぶりだなと、くすぐったい気分で考えた。
 
 授業に入るとインストラクターは退室した。山淵やまぶちという老教授はマイク片手にのんびりと喋り始めた。
「えー、『情報資源組織演習』、あらためて眺めると、なんとも仰々しい言葉ですな」
 教科書を手にとり、受講者たちに表紙を向ける。とぼけた言い方にかすかな笑い声が起こった。
「ちゃんと予習してきた諸君はおわかりと思いますが、『情報資源』というのは図書館の現場でいうところの『資料』のことです。最近は図書館資料も多岐にわたっておりますが、小規模な図書館や図書室でいったら主に『本』のことですな。そして『組織』というのは、その資料を探す仕組みを作ることです。ですからこの授業、『情報資源組織演習』を平たくいえば『本を探す仕組みを作るお稽古』ということになりますな。そうか、これからみんなで、本を探す仕組み作りを稽古するのか、そんな風に思えば恐れることはない」
 今度はさっきよりも大きな笑いになった。この調子なら難しい授業にはならずにすむかなと、詩織も内心でほっとした。
「ですが皆さん、ちょっと考えてみてください。どうやら大学の学問というのは、簡単なことをわざわざ難しく言い換える一面があるようですが――では常に簡単な言葉で言っていればいいかというと、そうでもない。どうして難しい言葉を使うのか、そのあたりを考えておきましょう。皆さん、学問は何のために難しい言葉を使うのか、そんなことについて突きつめて考えたことがありますか?」
 今度は誰も笑わなかったし、答えられる者もいない。山淵教授は一つ咳払いした。
「難しい言葉、と言ってしまっては実も蓋もないですが、そういう言い回しを使うことによって、学問は普遍化ということを行っておるのです。ああ、普遍化も難しいかな。では一般化といってもいい。何にでも当てはまるようにしておきましょう、ということです。先ほどの例で言いますと、いつもいつも『本を探す仕組みを作るお稽古』と言っておると、本以外のものを探そうとした時に役に立たないかもしれない。図書館に新聞記事を探しにきたんだーという利用者がいるのに、司書が本しか対応できなかったらどうなりますか。新聞だけとは限らない。雑誌かもしれないし、一枚の地図かもしれない。一昔前ならマイクロフィルムやビデオテープ、最近ならCDやDVDも一般的ですね。そうした様々な形の資料に対応できる司書になるには、やはり『情報資源組織』という用語を使う学問の方が便利かもしれんということになります」
 途中から教授は黒板の方を向いた。同じペースでのんびりと喋りつつ、キーワードを板書していく。
 受講者の多くもそれをノートにとっている。隣のノノちゃんも真面目な顔で黒板を写していたが、詩織はまだノートを開く気になれなかった。それよりも教授の話を聞いていたい。
「つまり学問というのは、そうやってどんな場合にも当てはまる理論を打ち立てていくことでもあります。だってそうでしょう。皆さんもこうやってスクーリングに通って、頑張って司書資格を取ったとしても、その勉強は国立国会図書館でしか使えないよ、なんて言われたら困っちゃうね。あそこに雇ってもらうというのは相当に狭き門ですから。それよりも、せっかく学ぶ知識です。国会図書館はもちろん、小中高校や大学の学校図書館でも、地域の公共図書館でも使いたいよね。いや一般企業の資料室だって、公民館や老人ホームの本棚だって構わない。仮に図書館関係で働かなくたってね、情報を探す仕組み作りを体得しておれば、これからの情報社会で役に立たないわけがないのです。学問というものは、しっかり修めておれば応用がきく、どんな場所にいっても役に立つものなんです。そんなことを踏まえて、これから様々なお稽古を行っていきましょう」
 そこから教科書の要点の説明に入り、図書館資料の目録作りという話から、件名や分類記号の付け方を講義していく流れに入った。――詩織ももちろん、そんな授業に集中したが、頭の片隅ではさっきの教授の言葉について考えていた。
 やはりこのスクーリングを受けているのは、隣のノノちゃんのようにこれから図書館に就職したいと思っている人たちなのだろうか。詩織のように、既に高校の学校司書となっている状況は例外的なのかもしれない。司書になるのが狭き門というのは国会図書館に限った話ではなく、公共図書館の採用試験には全国各地から司書の有資格者が集まって何十倍とか何百倍という倍率になるらしい。
 詩織自身、今年度いっぱいは直原なおはら高校に雇われているものの、来年度からのことは何も決まっていない。そういう意味では求職者と同じ立場だ。不安定な立場だからこそ、こうして資格取得のための勉強で不安をまぎらせたい気持ちもある。今後も図書館の仕事を続けていくためにも、しっかり勉強して資格を取っておきたかった。
「では皆さん、説明はこのくらいにして、お稽古にかかりましょうか」教授が教科書のページを指定した。「ご覧の通りに問題が並んでおりまして、実在の本のタイトルと内容の概略が記してありますね。その主題分析をした場合、さきほど話した『学問分野・事象・形式』が選択肢のどれに当たるのか、これから指された人が答えてください。なに、選択問題なんだから恐れることはない。迷ったり考え込んだりせずに、ぱっと見たフィーリングで答えてください。間違えることも勉強です。では第一問――ええと、高良詩織さん」
「――はい!」
 いきなり指名されて驚いた。教授は名簿を見て適当に指しただけかもしれないが、詩織は全くの無防備だった。
 反射的に立ち上がったが、教授は身振りで「着座のままでいいよ」と告げてくる。座り直してあらためて教科書と向き合った。
 演習問題、第一問として挙げられているのは『おもひで食堂 汁、ごはん、めん、常備菜編』という本だった。編者はベターホーム協会となっていて、内容の概略としては「料理教室の先生たちの家庭に伝わる惣菜のレシピ集」と説明されている。
 これを主題組織法という理論にもとづいて分析しろという問題だった。多分、本屋や図書館で実物の本を手にとったなら、どういう本かは一瞬で分かるだろうに、わざわざ難しい用語を当てはめろというのだ。さっきの教授の説明がなかったら馬鹿馬鹿しくなるような話だった。
「えーと、まず学問分野は――」詩織はちょっと間を置いた。「家政学」
「はい、正解」
 教授はにっこりうなずいてくれた。なんだかクイズ番組みたいなやりとりだ。
 選択肢の中には「文学」なんて引っかけワードも入っている。「おもひで食堂」というタイトルから、料理にまつわる回想エッセイと誤解されると考えられたのだろうか。
「事象は――料理」
 続けて答えた。「事象」なんて難しい言葉を使っているが、要は「何についての本か」ということらしい。引っかけとしては「記憶」とか「飲食店」なんて選択肢が用意されていた。
「正解。では最後の、形式については?」
 教授はテンポよく問いかけてくる。しかし、詩織はここで困ってしまった。
 さっきまでの講義で、この「形式」というのは資料のフォーマットみたいなもので、主に五種類に分かれると教わった。どういう形の本かを選び、それに五種類のどれかを当てはめればいいらしいが――その内容が、詩織にはさっぱり分からなかった。
 教科書には「物理形式・表現形式・読者対象形式・叙述程度形式・知の形式」という五つの形式が載っていた。抽象的で難しい言葉ばかりで、教授の説明を聞いてもどうも意味が掴めなかった。突然指されて緊張している今となっては頭も回転しない。勘に賭けるしかなかった。
「……料理法(知の形式)、でしょうか?」
 教授に尋ねるみたいな答え方になった。教授は微笑と共に首を傾げる。
「なかなか興味深い分析ですが、『知の形式』はさきほど言いました通り、基本学問分野に対して使うのが望ましい用語ですね。ですから解答としては、『料理法(表現形式)』ということでどうでしょう? 料理法という主題をレシピという形式によって表現している、というわけですね」
 詩織は無言でうなずき、教授に一礼した。「そう言われてなるほどと思った」みたいな仕草をしておいたのだが、後でしっかり復習した方がよさそうだ。
 さっきの「間違えることも勉強」という教授の言葉を信じておきたくなった。
 
 授業が終わったのは夕方の五時だった。休憩を挟みながらも、日中ずっと情報資源組織演習に取り組んでいたことになる。終わりのチャイムが鳴る頃には、頭の芯がぼうっとしてうまく回転しない感覚だった。
 荷物をまとめ、隣のノノちゃんと一緒に駅に向かった。並んでお喋りしながら歩いた。
「やっぱり、勉強って難しいね」つい愚痴が出た。「私、最初に指されて最初に間違えちゃった」
「大丈夫ですよ。他の人だって間違ってたし」
 だけど、そう言う彼女が指された時にはしっかり正解していた。ちゃんと予習してきたのだろう。
 詩織だってそれなりに勉強したつもりだった。いきなり指名された動揺がなければという思いもある。指した先生を恨むわけにもいかないが、代わりに問題に八つ当たりしたくなった。
「だいたい、面倒くさい分類用語なんて、本当に役に立つのかなあ。図書館の本棚を眺めたって出てこないような言葉ばっかりじゃなかった?」
「それはそうだけど……」ノノちゃんは笑顔で首を傾げた。「でも、知ってたら役立つこともあるんじゃないかなあ。私、バイトで区立図書館の蔵書点検の仕事をしたことあるんですけど――いちいち分類記号と照らし合わせるより、本をぱっと見て主題分析とかできてたらよかったかもって思いましたよ。仕事の能率が上がったかなって」
「……なるほど」
 もっともな意見だった。言われてから気付き、ちょっと顔が赤らんだ。
 詩織自身はといえば、図書室で新着本を分類する時には、ネットで調べてプロの司書がつけた分類記号を写すのが習慣になっていたのである。そこで楽をしていたものだから、学問と現場の仕事が結び付かなかったのかもしれない。
「ところで、この後って空いてます?」ノノちゃんが話を変えた。「駅前で、お茶かごはんでもしてきません?」
 嬉しい誘いだった。学生に戻った気分でお喋りしていきたいとも思ったが、あいにく先約が入っていた。
「ごめんね、これからすぐ移動しなきゃなんないの。夜までに雛多ひなた町ってとこに行くことになってて」
「雛多町って……スキー場とか、温泉のですか?」
 ノノちゃんは目を丸くした。東京からだとかなり遠く感じる土地である。
「そうなの。職場の先輩と会う約束があって」
 本当に先約さえなかったらお茶に付き合いたいんだと告げ、来週のスクーリングの後で是非行きましょうと約束した。そういう楽しみがあると勉強にも張り合いができる。
 一緒に教室を出て、そのまま駅まで歩いた。教室ではノノちゃんの話を聞く側だったが、今度は詩織の身の上を話すことになった。
「お仕事って何してるんですか?」
「ええと――実は、高校で学校司書をやってます」
 答える時に躊躇してしまった。一緒に勉強している仲間に対して司書と名乗るのが後ろめたかった。
「ええっ、司書さんだったの!」
「いえ、あの、ちゃんとした司書じゃなくてね。無資格だから、なんちゃって司書なんて言われてて――」
 慌てて説明した。――司書資格も無しに働き始めた身だからこそ、こうやって資格取得のために通信制大学で勉強しているのだ。その同級生から「司書さん」なんて呼ばれては申し訳ない。
「名目上は事務員として雇われてるの。たまたま勤務場所が図書室になって……学校司書としての仕事がメインだけど、私はこの歳まで、そういう勉強って全然してこなかったのよ。だからやっぱり、もっといい仕事ができるようになりたくて」
「それで、この通信制?」
「そうなの。最初は通信で司書資格がとれるなら、家で勉強してればいいのかなって思ってたんだけど、こうやって学校まで来て授業受けるのって、やっぱり疲れるねー」
「そうですか? 私、質問できる人がいると安心だなーって思ったけど」
 ノノちゃんは特に疲れてないらしい。彼女の場合、ついこの間まで高校や専門学校に通っていたわけだし、若い分だけ体力もあるのだろう。
「そりゃあ一人の勉強よりは安心感あるけど――朝から夕方まで教室で勉強って、久々の身にはきついよ。学生さんって、実は毎日すごいことしてるんだね」
 直原高校での仕事もきついところはあるけれど、仕事疲れと勉強疲れというのは別物だった。久しぶりに体を動かすと筋肉痛になったりするけれど、それと同じことが頭の中で起こった気分だ。
 しかし、ノノちゃんはそこで笑い出した。詩織としては実感から言ったのだけど、冗談みたいに受け取られたらしい。
「だって、高良さんだって昔は普通にやってたでしょ? 高校とか、大学とか」
「そうだけど――毎日これをやっていたのかと思うと、昔の自分は偉かったなーって思う」詩織はそこで首を振った。「ああ違う。学生時代にちゃんと勉強してなかったから、今こうやって苦労してるんだった」
 今日の情報資源組織演習だって、司書資格の取得のための必修科目である。ということは、世の有資格者はみんなこの勉強を終えて単位認定されたわけだ。そう思うだけで、これまで何気なく接していた司書の人たちを尊敬したくなる。
「だから、ノノちゃんがこうやって、若いうちから司書の勉強をして資格とっとこうとするのは偉いなって思うよ。その方が絶対、身に付きやすいだろうし」
「でも不安ですよー。資格とっても図書館で働けるとは限らないし――今日やった分類とか件名とかも、本当に現場で活かせる日がくるのかなーって思っちゃう」
「……まあ、高校の図書館ではあんまり使わないかも」つい笑ってしまった。「でも、先生も言ってたじゃない。ちゃんと勉強しておけば、どんな図書館で働くことになっても通用するって」
「どんな図書館でも、雇ってもらえるならいいんですけどねー」
「――不安は私だってあるよ」駅に着く前に打ち明けた。「今は高校の図書館で働けてるけど、それって一年契約なのね。任期付採用職員っていって、長くても五年までらしいし、二年ごとに異動になりやすいって話もあって――」
 直原高校で働き始めたのは去年の春だから、働けるのは来年の春までかもしれない。なるべく考えないようにしているけれど、先のことを考えると不安にならずにいられない。司書資格を取りたいと思ったのは、その不安に抗うためでもあった。
「図書館で働いてるおかげで仲良くなれた生徒もいるし、私が図書館の使い方を教えた子たちの卒業まで見守れたらいいなーって思ってるのに、私一人が先に高校から出されちゃったら――考えただけでも寂しいもの」
 去年の春、詩織と同じ時期に直原高校に入学した生徒たちは、来年三年生になる。図書室の常連でミステリー好きの小枝こえだ嬢や、本など読まないと言っていたのに図書室の本の影響で旅にまで出た大隈おおくまくん――彼らの卒業まで、学校司書として見届けられたらいいなと思っていた。
 だけどそれも、ノノちゃんの立場から見たら贅沢な悩みというものだろうか。そろそろ駅が近づいてきたこともあり、その話題はそこまでとなった。
「じゃ、私はどこか、カフェでも開拓しときますね。――また来週!」
 彼女は明るく手を振って、駅前の雑踏に向かっていく。詩織もまたねと言って改札に向かった。
 
 スクーリングで東京に出たついでに、そのまま新幹線で温泉旅行に出る計画だった。結構な強行軍になったが、どうにか新幹線から終バスの乗り継ぎに間に合った。
 もっとも、そのバスも目的地までは辿り着かない。終点となる高原の道の駅では、なんちゃって司書の先輩の永田ながたさんが待っていてくれた。
「お疲れさまー。お勉強はどうだった?」
「本当に疲れましたー」
 泣き笑いの顔で、お久しぶりですと挨拶した。永田さんは眼鏡の奥の目を細めて笑った。
 道の駅から温泉宿までは、永田さんの運転する車で移動する予定だった。最近車の免許をとったという彼女は、知り合いから中古車を安く譲ってもらってドライブに凝っているらしい。
 その車は少し離れた場所にとめてあった。茶色とクリーム色にペイントされたワゴン車が、駐車場の灯りに照らされている。
「あらかわいい。雰囲気ある車ですねー」
「中古車をフォルクスワーゲンバス風にペイントしたんだって」永田さんは照れ笑いになった。「ほんとは国産の、旧式のライトバンなのにね」
 中を見ると、シートは運転席と助手席だけで、後部席は倒されて広い荷室になっていた。彼女が雇われ店主を務める古書店の仕入用に使っているらしい。
「乗り心地はあんまりよくないわよー。それと――上り坂だと時々エンジンが苦しそうになるの。もしも止まっちゃったら、押すの手伝ってよね」
「……頑張ります」
「はは、冗談よ。ちょっとぶつけたことはあっても、まだ止まったことはないから安心して」
 そんなことを言いつつも、車は無事に走り出した。交差点を越えると道が細くなり、カーブの多い上り坂になっていく。いつしか県道沿いの街灯もなくなり、ヘッドライトの明かりを頼りに進むような格好となっていた。
「このあたりは車社会だからね、自分で運転するようになれて本当に便利なんだけど、困るのはお酒飲む時なのよ。飲み会っていっても車じゃなきゃ行けないとこで開かれたりするから」
「そういう時はどうするんですか?」
「代行車を頼んだこともあるけど、結構高くつくのよね。遠い場所だと誰かの車に便乗したり、今日みたいに泊まっちゃったり」
 雛多町の温泉宿に泊まり、二人でのんびりお酒を飲みつつお喋りしましょうという計画だった。一泊だけの贅沢だけれど、スクーリングで疲れた頭を癒そうと思っていた。
 車での移動中、スクーリングや通信教育の話題になった。尋ねられるまま、課題が大変だとか図書館学の用語が難しいとかぼやいていたのだが、永田さんは感心した声を上げた。
「すごいねー、もう司書として私なんかより先に行ってる感じ」
「そんな、まだまだですよ。今日の授業も指された問題で間違えたし、この前もレポートで再提出になっちゃったし」
 言いながら思い出した。――不合格となって書き直したのは、図書館情報技術論という科目のレポートだ。
「『図書館を利用した経験を踏まえて情報技術の活用のされ方と改善点について述べよ』みたいな課題だったんですけどね、私、直原高校の図書館のことを書いたんですよ。反省の意味も込めて」
「あらら、反省しなきゃなんないの?」
「ほら、前にも話しましたけど……私、あの図書室で働くようになって、永田さんの残してくれた引き継ぎの手引書を読んでるうちに、前任の学校司書さんはどういう人だったんだろうって気になって、貸出履歴を調べちゃったでしょ。それがまず反省だし――」
「でもそれは謝ってくれたし、私なら構わないって言ったじゃない。それを自覚して成長できたってだけでも上出来よ」
「そう言ってもらえるのはありがたいんですけど――その時の私みたいに、司書の自覚のない人間が貸出システムを使えちゃうこと自体が問題だって思うんですよ」
「うーん、それじゃあ問題あるシステムのまま残しといた私の責任もありそうねー」
「え、ごめんなさい。そんな意味じゃないんですけど……」
 あわてて謝った。永田さんは「いいのいいの」と笑っているばかりか、「ごめんね話の腰を折って」と言ってくれた。
「――とにかく、そんなことを考えて、反省しつつレポートを書いたんですよ。そしたら不合格になっちゃって、『実体験から学ぶのは大切ですが、個人的な後悔に終始せず、目指すべき図書館像を踏まえて学問的に考察しましょう』なんてダメ出しされちゃったんです」
「目指すべき図書館像を踏まえて、かあ」永田さんはその言葉を吟味するように繰り返した。「でもそれって、現場を知らない学者先生のコメントよね。毎日の仕事に追われる学校司書は、学問的に考察してる暇なんかないってのよ」
「そうですよねえ」詩織はつい笑ってしまった。「でも、一応、言われた通りに書き直して再提出しましたよ。情報セキュリティー度の高い学校図書館、とかいって」
「情報セキュリティーかあ」
 永田さんはまた繰り返した。ちょうど信号で停車したので、フロントガラスの向こうの夜空を見上げた。
「それについては少々異論もあるけど、その話をすると長くなりそう」永田さんは首を傾げた。「とりあえず、温泉入ってからお酒飲みつつ話しましょ」
 信号が青に替わった。永田さんはさっきよりスピードを上げて温泉を目指した。

「前に詩織さんから、マガーク探偵団のことで相談を受けたことがあったじゃない?」
 湯上りのビールを一杯飲んだところで、さっきの話題が再開された。
「それから私も気にするようになって、お店に仕入れるようにしたし、久しぶりに読んだりもしてるのよ。やっぱりうちの店に置くならハードカバーかなあとか、新書サイズもいいなとか思ったり」
「新書サイズも出てるんですか?」
「うん。あかね文庫っていって、名前は文庫だけど新書サイズなの。だからあのシリーズ、日本版は最初のハードカバーと文庫と復刻のソフトカバーの三種類出てるわけよね。文庫やソフトカバーにはなってない話もあるみたいだけど……そうそう、それで気になったの。情報セキュリティーの話」
 永田さんは一つ手を叩いた。詩織が注いだビールを口にして話の続きにかかる。
「私、ハードカバー版の七巻の『あやしい手紙』を読んで、すごく面白かったのよ。子どもたちの探偵団が、小さな手掛かりから本物の犯罪計画に立ち向かうのにわくわくして。で、ネットで検索して、いろんな読者のレビューを眺めてみたの。基本的に好評だったけど――中に一つ、怒ってる人のブログが出てきたのよ。『ありえない!』なんてタイトルで『あやしい手紙』を批判してるの。最近このシリーズの復刻版が出ているが、『あやしい手紙』は出さない方がいい本だ、復刻はやめてもらいたい、なんて」
「なんでそんなに怒ってるんですか?」
「それがね、本の中に出てくる図書館員のせいなのよ。語り手のジョーイが図書館の本に挿まってた犯罪の手掛かりを見つけて、マガーク探偵団が調べることになるんだけど――図書館員のお姉さんに聞き込みして、前にその本を借りた人を探るってシーンがあって」
「ああ……利用者の、個人情報ってことですか」
「そうなの。どうもそのブログ主は大学で資格とって司書の仕事してる人みたいなんだけどね、『まともな教育を受けたプロの司書であれば、図書館利用者の個人情報を探偵ごっこの子どもに明かすなんてありえない!』だって。なんか私、そのブログを読んでるうちに、自分が責められてる気がしてさ。まともな教育も受けてないなんちゃって司書で悪かったわねーって気分になっちゃって」
 永田さんは大きくビールをあおった。詩織が次の一杯を注ぐと、それも半分ほど飲み干している。
「そりゃ、司書として図書館利用者の個人情報を漏らしちゃいけないのは分かるわよ。でもそれは働く側が気にしてればいいことであって、そういうエピソードが出てくる本まで否定することないじゃない。そのあたりが雑な時代もあったんだし、ちょっと不心得な図書館員が出てきたからその本を否定するなんて、そっちの方がありえないわよ。『あやしい手紙』を出すな、なんて言っちゃったら、行きつく先は『華氏451度』の世界じゃない」
 ヒルディックの少年ミステリーから、ブラッドベリのSFに話が飛んだ。そういえばどちらも本が出てくる物語だ。
「それで……『あやしい手紙』の復刻版はどうなったんですか?」
「結局は出たみたいよ。復刻版の刊行が始まった時点で予定に組まれてたのかもしれないし、その章の終わりに注釈がついて、図書館の情報セキュリティーを説明するってことで解決してあるんだって」
「あら、それならよかった」
「でも、そういう取り締まり感覚で本を否定したがる人って結構いるのよ。『本を丸一冊コピーしてる』とか『電話帳を破いてる』とか。そりゃあいけないことだけど、物語の中にまで過剰反応しちゃってんのよね。そんなこと言ったらミステリー小説なんてもっと凶悪な犯罪のオンパレードじゃない。でもそういう人、不思議と連続殺人犯とかテロ組織とかには文句言わないの。むしろ犯人に感情移入しちゃったりして。もちろん物語なんてのは悪を内包してるから面白いんだろうけど、だったら図書館員の倫理観にだけ目くじら立てるのって変じゃない?」
「……やっぱり、自分の専門分野だと厳しくなっちゃうんでしょうね」
 詩織としては、一緒にそのブログを悪く言う気にはなれなかった。自分も不心得な学校司書だったという後ろめたさのせいである。
 しかし永田さんは、そこから違う方に広げていった。
「でも、思わない? 貸出履歴が漏れちゃう図書館も嫌だけど、『あやしい手紙』の復刊に反対するような――自分の倫理観で本を取り締まるような司書のいる図書館はもっと嫌だって」
「それは……まあ、たしかに」
「私がよく行く町の図書館なんて、貸出手続きの時に必ずカウンターから話しかけてくれるおじさんスタッフがいるよ。こないだ私が『昨夜ゆうべのカレー、明日のパン』を借りようとした時、『木皿泉さんというのはご夫婦の連名だそうですねー』なんて言われて、『そうなんですよー。そういえばこのタイトルも夫婦っぽいですよね』とか『パンとカレーで夫婦ならカレーパンですね』なーんてお喋りして。もちろん周りには聞こえてるし、私がどんな本を借りるかは極秘の個人情報なのだーとか、そもそも図書館では物音ひとつ立てちゃいけないんだーとか言い出したら間違いだらけの対応ってことになるけど、私はちっとも嫌じゃなかったし、知り合いの少ない街で楽しくお喋りできてるんだから禁止しないでよって思う。司書は接客も仕事なんだから、個人情報だの守秘義務だのってことより、臨機応変の方が優先に決まってるじゃない」
「永田さんは高そうですね。臨機応変力」
 詩織はつい笑ってしまった。――木皿泉の『昨夜のカレー、明日のパン』は詩織も読んだことがある。ふと手にとってページをめくったら、タカラという登場人物が出てきて気になったのだ。詩織と違って苗字ではなく下の名前が宝だったが、親近感と共に読んだ。
 たしか、うまく笑うことができなくなった女性という設定だった。それと臨機応変力との関係についてお喋りしたい気もしたが、今は永田さんの話に耳を傾けた。
「私が言いたいのは――自分の中に持ってりゃ立派な倫理観でも、周りに押し付け始めたらただの迷惑になっちゃうってことよ。そりゃあ図書館学を学ぶのも資格とるのも結構だけど、その知識や倫理を杓子定規に振り回して、本や利用者を取り締まるような司書にはならないでね。図書館は本や利用者のためにあるはずのもんで、司書のためにあるわけじゃないんだから」
「そうですよね……」
 永田さんが学校司書を辞めた時の話を思い出した。――翌年度の雇用の相談で、彼女が働き続けるために図書館の開館時間を減らすという提案をされた時、もう続けられないと思ったというのだ。永田さんにとっては、図書館運営で絶対に譲れない一線が「本や利用者のため」ということなのだろう。
「公共の図書館でも、いやーな感じで偉そうに利用者を注意して仕事した気になってる職員っているじゃない。私、ああいうの見ると腹立っちゃうのよね。そりゃあ私なんて学校司書を辞めちゃった身だし、資格もなしになんちゃって司書をやってただけだけど、あんたよりはいい仕事してたわよって言いたくなる」
 永田さんが直原高校の図書館のために頑張っていたことは、後を引き継いだ詩織にはよく分かる。彼女の残した手引書にどれだけ助けられたかしれないし、図書室の雰囲気からも彼女の学校司書としての腕前は伝わってきた。詩織が気持ちよく仕事ができるのもそのおかげなのだ。
 そんなことを言葉にしようとしたが、口に出すより先に永田さんが立ち上がった。
「そうそう、それで詩織さんに薦めたい本を持ってきてるのよ」
 壁の衣類棚に歩み寄り、そこに置いたボストンバッグを掴む。取り出されたのは薄い小冊子みたいな本だった。
「スクーリングで分類やら何やらの勉強をするって聞いてたから、この本は参考になるかもって思って。赤木かん子さんって知ってる?」
「あ、はい。名前だけは」図書館関連の本や雑誌で何度も目にした名前だ。「カリスマ司書の人ですよね?」
「そうね。この本のプロフィールじゃ、児童文学評論家ってなってるけど」
 表紙を向けられた。『赤木かん子の図書館員ハンドブック 分類のはなし』と記されている。
「これ、私が学校司書を辞めてから出た本なんだけど、在任中に読みたかったなーってすごく思ったの。結局、うちの店の棚の並べ方で応用させてもらったけど」
 手渡された本を開いてみた。今日の授業でも出たような、NDCと呼ばれる日本十進分類法の表の抜粋も多かったが、それよりもたくさんのカラーイラストが目について、なんだか楽しそうな本だった。
「普通の司書はNDCを踏まえるだけで手一杯だけど、赤木かん子さんのすごいところは、NDCって決まりごとに縛られずに、その上をいってるところ。学校図書館、特に小中学校はNDCだけじゃ不便だってことで、自分なりのイラスト分類シールを作って、子供でも一目で分かるようにしちゃったの! その実例がたくさん載ってる本なのよ」
 最初の方のページに一例が載っていた。――たとえば、演劇についての本は日本十進分類だと芸術の770から777に該当するが、脚本や戯曲は文学作品として912に分類される。それで演劇本と脚本集は離れた場所に置かれる、なんて妙な事態になると、使いにくい図書館になってしまう。そもそもNDCなんて理解していない子供にとっては、本を見つけにくくて棚にも戻しにくいという、使い勝手の悪さが出てしまうのだ。そこで、舞台にスポットライトが当たっているイラストを本の背につけるシールにして、演劇の本にも脚本の本にも貼っておく。そして棚には同じシールの貼られた本を並べるようにすれば子供でも見つけやすいし、読んだ本を棚に戻す際にもイラストを手がかりにして戻す場所が分かるというのだった。
「ね? 便利そうでしょ?」永田さんが言った。「これこそ学問とは違う現場の力ってもんだし、学校司書に必要な臨機応変力だと思うのよ。NDCみたいな分類の秩序も大事だけど、秩序よりも大事なのは心でしょ。心もないのに秩序だけあったって仕方ないし――読みながら、ああ直原高校の棚もこうやって並べればよかったーとか思うとこ、いっぱいあったの」
 永田さんはその本を詩織にプレゼントしてくれた。ぜひ直原高校の図書室でも使ってみてほしいというのだ。
「高校生ならNDCの分類を知るのも勉強だろうけどね。きっとこれを読んでるうちに、詩織さんなりの分類をしたくなると思うの。そういう心も大事ってことで、学問の合間に現場のことを思い出してみて」
「ありがとうございます。帰り道で読みますね」
 そして詩織は、スクーリングの教科書やノートと一緒にその本を持ち帰った。無理してスクーリングと温泉をはしごした甲斐があったと思わせてくれる一冊だった。
(第2回へつづく)

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竹内 真Makoto Takeuchi

1971年生まれ。慶應義塾大学卒業。95年に三田文学新人賞、98年「神楽坂ファミリー」で第66回小説現代新人賞、99年『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞、2013年『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞する。著書に『図書室のキリギリス』『図書室のピーナッツ』の「図書室」シリーズのほか、『風に桜の舞う道で』『じーさん武勇伝』『自転車少年記』『ビールボーイズ』『イン・ザ・ルーツ』『ホラベンチャー』『ぱらっぱフーガ』『だがしょ屋ペーパーバック物語』『リノベご飯のレシピ帖』『廃墟戦隊ラフレンジャー』などがある。

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  • 小説推理
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