双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第二章 暴走

 やけに明るくて、殺風景な面会室。刑務官に付き添われて中に入ると、透明なアクリル板の向こうに、見知った顔があった。
「どうも」
 恭介はペコリと頭を下げ、こちら側にあるパイプ椅子に腰掛けた。
「うん……」
 小声を洩らしてうなずいたのは、恭介が命を奪った少女の父親、半田龍樹だ。
 すでに何度も面会をしているのに、会話が始まるまでは、どんな顔をすればいいのかいまだにわからない。そのため、恭介はなるべく彼の目を見ないようにして、視線を落ち着かなくさまよわせるのが常だった。
 しかしながら、最初の頃と比べると、ずっとマシになっている。とりあえず話すことが見つけられれば、あとはスムーズなのだ。龍樹は相変わらず無口ながら、恭介は刑務所生活のことや、自らの心境を話すようになった。
 そこまでになれたのは、彼に殺意をあらわにされたからである。
 いきなり脅されたわけではない。刑務所で罪をつぐなっても、更正しなかったらどうするのかと訊ねたとき、龍樹は凍りついたみたいな眼差しを向けて、こう言い放ったのだ。
『そのときは、私が君を殺す──』
 不思議なもので、それを聞かされるなり気持ちが楽になった。
 愛娘を殺され、極刑を望んでもおかしくないのに、龍樹はそうしなかった。むしろ、温情判決が出るよう証言すらしたのである。
 いったい彼は何を考えているのか。十歳の少女をわいせつ目的でかどわかし、手をかけた殺人者が更生することを、本当に願っているというのか。いや、早く自由の身にさせて、娑婆しやばに出たところで復讐するつもりではないのか。
 そんなふうに疑っていたものだから、面と向かって殺すと言われ、恭介はかえって安心した。龍樹は生半可な優しさを見せていたわけではない。自分を激しく憎み、同時に心から更正を願っていることがはっきりしたからである。悔い改めなければ殺すというのは、彼の本心なのだ。
 おかげで恭介は、面会でも心を開くことができるようになった。龍樹に殺されることを恐れてではない。彼の強い信念に胸打たれ、是非とも更正したところを見せて、報わねばならないという気持ちを抱いたのである。
 だからと言って、何もかも打ち明けられているわけではない。あの事件に関しては、まだ秘密を抱えている。窒息死する寸前の少女にペニスを握らせ、劣情の樹液をほとばしらせたなんて、言えるはずがなかった。
「そう言えば、工藤が事故で死んだそうですね」
 恭介の言葉に、龍樹がわずかにまゆを動かす。
「工藤……」
「ほら、僕が前に、半田さんに教えたやつですよ。車の事故で五人も子供を死なせた」
 龍樹がうなずく。「ニュースで見たよ」と、簡潔に答えた。
「ていうか、あいつが起こしたのは、事故じゃなかったわけですけどね。飲酒運転にスピード違反までやっておきながら、裁判ではすべてなかったことにして、刑期が短くなるように仕組んだんですから。しかも、それを得意げに僕たちに話して」
 工藤正道は、この刑務所に収監されていたのである。
 恭介はあとから入ったのであるが、新入りで二十歳はたちになったばかりとあって、かなり下に見られていたようだ。工藤自身も二十代で、所内では若いほうだったにもかかわらず。
 もっとも、周囲の年長者たちも、彼には一目置いているようだった。工藤が親の財力を後ろ楯に、刑務所内で幅を利かせていることを、恭介は程なく知ることとなった。
 自身の罪状を大っぴらに口外しない者が多い中、工藤は事故──事件のことを、手柄話てがらばなしのように他に語った。そうすることで、いっそうはくをつけようとしたのかもしれない。少なくとも奪った命の数では、所内で彼を超える者はいなかったであろうから。
 少しも反省の色を見せない工藤が、恭介は不快であった。しかし、面と向かって感情をあらわにしても、いいことは何ひとつない。好んで恩恵を受けようとも思わなかったが、彼の息がかかった古参の連中ににらまれてもまずいから、表向きは従順なフリをしていた。
 そのため、裁判では明らかにならなかった罪業ざいごうを、知ることができたのである。年下ゆえ、特に恭介には気を許したようで、工藤はぺらぺらと何でも話した。出所後、またすぐに運転するつもりでいることなども。
 恭介がそれを龍樹に伝えたのは、自分のほうがまだマシだと訴えたかったためではない。胸の内におさめておくことが我慢できず、さりとて他に話せる相手もいなかったから、面会での話題として取り上げたまでであった。
 龍樹のほうは興味を示したのか、そうでないのかわからない無表情ながら、いつものごとくうなずきながら耳を傾けてくれた。おかげで、恭介は知っていることをすべて話せた。
「まあ、反省することなくまた運転して、挙げ句事故を起こして死んだんですから、天罰が当たったってところじゃないですか」
 そのニュースが所内に伝わったとき、特に恩恵を受けていた連中は、動揺を隠せない様子であった。工藤がいなくなったあとについても、何らかの約束事がされていたらしく、それが叶わなくなったのだから。
 もっとも、あの薄情な男が、自らのえきにならない約束を守るなんて、恭介には少しも信じられなかったが。
「……あいつに殺された子供の、親なら知っているよ」
 珍しく龍樹から発言があり、恭介は思わず身を乗り出した。
「え、どうしてですか?」
「集会で会ったんだ」
 犯罪被害者のそういう会があることは、弁護士や刑務官から教えられたことがあった。龍樹がそこに顔を出していることも、本人の口から聞いた。
 ただ、そこでどんな話をするのかは訊ねなかった。加害者の立場としては、遺族の心情など知りたくなかったし、聞けば罪悪感が増すばかりであったろうから。
 けれど、工藤の被害者が、彼の死をどんなふうに受け止めたのかは興味があった。
「あいつが死んで、遺族は喜んだんじゃないですか?」
 問いかけに、龍樹はかぶりを振った。
「事故のあとには会っていない」
「あ、そうなんですか」
「仮に会っていたとしても、集会でのことは誰にも話せないんだ」
 それもそうかと、恭介は質問を引っ込めた。ただ、この話題をこれで終わりにするのは物足りない気がして、つい余計なことを言ってしまう。
「だけど、あいつは本当に事故死だったんですかね」
「……どういう意味だ?」
「遺族の誰かが恨みを晴らしたっていうか、事故に見せかけて復讐したなんて可能性もあるんじゃないかと思って」
 軽い気持ちで口にした推測に、龍樹の目から光が消える。
「そんなことができるわけがない」
「え?」
「子供を亡くした親に、復讐する気力なんてないよ。喪失感が消えることがないまま、みんな打ちのめされているんだ」
 口調は静かなのに、言葉がやけに重く響く。恭介は反射的に背筋を伸ばした。
「そうですね。すみません」
 謝ると、彼の目に光が戻る。表情にみなぎっていた緊張もなくなった。
「あまり軽はずみなことは言わないほうがいい」
 穏やかな声音でたしなめられ、恭介は「わかりました」と素直に首肯しゆこうした。
(これは墓穴ぼけつを掘ったかも……)
 軽はずみな発言を後悔する。遺族が復讐したなんて、まるで龍樹にそうしろとけしかけるようなものではないか。
 とは言え、龍樹はそんなことはしないだろう。恭介が更生することなく、同じ過ちを犯そうとでもしない限りは。もちろん、そんなことをするつもりはない。
(ていうか、半田さんも打ちのめされているってことなのかな?)
 ただ一般論を述べたのではなく、本音が出てしまったのではないか。これまで彼が自身の心境を口にしたことがあまりなかったぶん、わずかながら距離が縮まった気がした。
「まあ、でも、工藤だけじゃないですけどね」
 話題を変えると、龍樹がじっと見つめてきた。
「工藤だけじゃないって?」
「刑務所に入っても反省しないやつですよ。反省しないどころか、確実にまた同じことをするに違いないやつがいますから」
「……誰だ?」
「半田さんが知ってるかどうかわかりませんけど、斎藤さいとうってやつです。奥さんに暴力を振るって懲役を喰らったんですけど、ここを出たら片をつけてやるって、しょっちゅう言ってるんですよ。あれは絶対に、またやるつもりですね」
「斎藤……」
「ええと、名前は斎藤昭吾しようごです。事件がどこまで報道されたかわかりませんけど、奥さんに熱湯をかけて大火傷おおやけどをさせたとか、かなりひどいことをやったようですよ」
 龍樹が眉をひそめる。その男を初めて知ったふうながら、かなり不快感を覚えたようだ。
 そんなふうに反応されると、不謹慎ながら、話した甲斐があったと嬉しくなる。彼に認められた気がして、恭介はますます口が軽くなった。
「そいつが釈放されるのかい?」
「来月には出るような話を聞いています。もともと刑期は長くなかったし、刑務官のあいだでは模範囚で通っているようですから。たぶん、早くここを出て、奥さんに仕返しをしたいんでしょう」
「仕返し?」
「仕返しじゃなくて逆恨さかうらみですね。ああ、そいつには奥さんだけじゃなくて、まだ小学校に上がる前の子供もいて、その子にも手を上げたそうです。それで奥さんがかばったものだからカッとなって、熱湯をかけたんだって。人伝ひとづてに聞いたので、どこまで本当かはわからないですけど」
 龍樹の表情がますます険しくなる。我が子を亡くしているからこそ、子供を虐待する父親が許せないのではないか。
「そいつは自分の子供にまで暴力を振るっていたんだな?」
「自分の子供……あ、実子じゃなかったかもしれません。奥さんとも正式に結婚したわけじゃなくて、内縁関係だって聞いた気がしますから」
「じゃあ、子供は女性の連れ子なのか?」
「ええ、たぶん」
 やけに関心を持ったふうな龍樹が、恭介には意外であった。工藤のことを話したときには、ただ相槌あいづちを打っていただけで、彼からの質問はなかったのである。
 ただ、工藤に関しては、恭介のほうも話すネタをたくさん持っていた。面会時間の三十分を使い切るほどに喋り続けたので、単に口を差し挟む余地がなかっただけかもしれない。
 それに、龍樹も工藤の件については、ある程度知っていたようである。集会で遺族と会ったとも言ったから、そちらでも話を聞いていたのではないか。
 だが、今回話題にした斉藤に関しては、何も知らなかったらしい。
 DVなんて、今どき珍しいことではない。情報量の少ない刑務所内でも、特に子供が被害者になった悲惨な事件を見聞きすることが何度もあった。それだけに、かなり深刻な事件でないと、報道もされないのではないか。
「刑務所に入って、本当なら反省しなくちゃいけないのに、そいつは逆に恨みをつのらせたみたいですね。刑罰が役に立たないどころか、逆効果になったわけです」
 調子に乗って、口が過ぎてしまったようだ。龍樹がわずかに顔をしかめる。
「他人のことより、君はどうなんだい?」
「え?」
「君自身は、ちゃんと反省できているのか?」
 責める口調ではなく、自省をうながすような問いかけだった。それゆえ、己を振り返らないわけにはいかなくなる。
「完全にとは言えませんけど、日々反省しているつもりです。事件のことも、心から悔いていますから」
「本当にそうなのか?」
 うなずいた彼が、じっと見つめてくる。視線が胸の奥まで迫ってくるようで、恭介は息苦しさを覚えた。
「ひょっとして、僕が反省していないって、疑っているんですか?」
 射抜く眼差しに耐え切れず、抗うように問いかける。すると、龍樹が首を横に振った。
「そうじゃない」
「だったら、どうして睨むんですか?」
「睨んでいるつもりはない。そう感じるのは、君に後ろ暗いところがあるからじゃないのか?」
 心臓が鼓動を大きくする。反論しようとして何も言えなかったのは、余計なことを口にしてボロを出すのが怖かったからだ。
 けれど、そんな内心を、彼を見抜いたのかもしれない。
「まだ君には、誰にも打ち明けていない事実があるように見える」
 恭介は絶句した。背すじに寒気を覚えつつ、殺した少女の父親から視線をはずせなくなった。

第三章 遺恨

 鏡に映した背中には、ケロイド状の火傷のあと。腰の裏側に、みにくい模様を描いていた。
(これ、一生なくならないわね……)
 野口明日菜のぐちあすなはやるせない思いを噛み締めた。
 子供がいるとはいえ、まだ二十四歳と若いのだ。なのに、こんな傷痕を負ってしまっては、もう恋愛は無理かもしれない。整形手術で目立たなくしようにも、そんなお金はなかった。
 悲しいなんてなまっちょろい感傷は、とっくに消え失せている。最悪の状況に置かれ、あとは絶望するしかないというところまで追い詰められたのだ。泣いてどうにかなるのは、恵まれた環境にいる人間にのみ与えられた特権なのである。
 そうではない持たざる者は、少しでもマシなところに浮かび上がるべく足掻あがくしかない。それをしなくなったら、待ち受けているのは絶望すらできない水底みなそこだ。
 火傷の痕は、太腿にもあった。幼い息子を庇って覆いかぶさったら、背中に熱湯をかけられたのである。悲鳴を上げ、反射的に身をひるがえしたところで、今度は太腿に熱さを感じた。
 いや、あれは熱さではなかった。それまで経験したことのない、衝撃と激痛だ。
 幸いなことに、のたうち回る明日菜を見て嗜虐心しぎやくしんが満たされたのか、あいつは子供には手を出さなかった。もっとも、インスタントラーメンを煮るためにわかした小鍋のお湯が、単純に無くなったためかもしれないが。
 それからもうひとつ、痛みに耐えかねて救急車を呼んだら、酷い熱傷ねつしように事件性を察知した救急隊員が、通報してくれたのも幸運だった。それまでは暴力を訴えても対処してくれなかった警察が、ようやくあいつを逮捕してくれたのだから。
 おかげで、こうして平穏な生活を送ることができる。少なくとも今は。
 信頼して一緒に暮らしていた男から暴力を受けた挙げ句、消えることのない痕を肌に刻みつけられてしまった。肉体ばかりか、心にも深い傷を負っている。
 今でも夜中に目が覚めて、言い知れぬ不安と恐怖にさいなまれて叫びたくなることが二日置きぐらいにある。人生そのものをボロボロにされたというのが、偽らざる心境だ。
 できればあいつには、一生刑務所に入っていてもらいたい。しかし、そういうわけにはいかないだろう。
 ついカッとなってしたことだと、あくまでも一時的な感情に流されての過ちだったと彼は主張した。明日菜は日常的な暴力を訴えたものの、証拠の提示を向こうの弁護士に求められ、満足な反論ができなかった。
 そのため、執行猶予こそつかなかったものの、一年にも満たない懲役刑で済んだのである。
 これが内縁関係ではなく、正式に結婚していれば、また違う結果になったのだろうか。どうして逃げなかったのかと彼の弁護士に質問され、それができる状況ではなかったことを説明しても、まったく理解してもらえなかった。男と女の関係は、逃げて解消できるほど容易たやすいものではないのに。特に、あんな執着心の強い男に捕まった場合は。
 とは言え、明日菜の周囲にも、批判的な見方をする者が少なくなかった。
 そもそも、未成年で子供を宿したシングルマザーということで、周囲の風当たりも厳しかったのだ。だから女に手を上げるような、妙な男に引っ掛かるのだと、本来なら味方になってくれるはずの身内からも非難された。
 だが、明日菜は決して、無軌道な生活を送ってきたわけではない。そのときそのときを真剣に生きてきたつもりだ。
 最初の恋人で、息子の父親である男は郷里の幼馴染おさななじみで、同級生だった。将来を約束して付き合っていたし、からだの関係を持ったのは高校生になってからだ。
 あるとき、避妊具ひにんぐがないときにせがまれて交わり、最後は外に出してもらったものの、すでに子種が洩れていたのか妊娠してしまったのである。
 せっかく芽生えた命を、明日菜は消したくなかった。子供が生まれるのは高校卒業後になるし、彼と話し合って産むことに決めた。どちらの両親にも反対されたが、懸命に説得してどうにか認めてもらった。特に地元の名士である恋人の親は渋ったが、結婚するのは彼が大学を卒業するまで待つと約束したところ、それならばと了承した。
 その後、彼は東京の志望大学に入ったが、明日菜は出産のため進学をあきらめねばならなかった。本当は彼と同じところに入学し、ふたりでキャンパスライフを楽しむのが夢だったのに。残念ながら、夢は夢で終わった。
 妊娠中も、それから出産も、想像していたよりずっと大変だった。けれど、生まれたばかりの息子を胸に抱いたとき、すべての苦労が吹き飛ぶほどの喜びを感じた。まさにかけがえのない存在だと実感できたし、母になれた幸せを噛み締めた。
 明日菜が頑張っていたあいだに、恋人が東京で新しい彼女を作っていたと知ったのは、乳児の一ヶ月検診を終えたあとだった。夏休み中も理由をつけて帰郷しなかったのを怪しみ、電話で問い詰めたところ、苛立いらだちをあらわに白状したのだ。
 とにかく面と向かって話さないことにはらちが明かないと、恋人を東京から呼び寄せ、両家の親も交えた話し合いを持った。その場で彼は、本当に自分の子供なのかと、無責任極まりない疑問を口にしたのである。ずっと避妊していたし、あのときもちゃんと外に出したはずだと、親の前で露骨な発言すらした。他の男とセックスして妊娠したのだろうと決めつけんばかりに。
 彼への愛情が急速に冷めるのを、明日菜は感じた。どうしてこんなやつを好きになり、将来の約束までしたのかと、情けなくてたまらなかった。
 いや、以前は誠実で、優しい男だったのだ。都会での生活が、彼をすさんだ人間に変えてしまったのであろうか。
(第9回へつづく)

バックナンバー

小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop