双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第一章 面会

1<承前>
「ねえ、大将もそう思うでしょ?」
 たいの刺身を目の前に置かれるなり、岩井が唐突に話を振る。
「え、何がですか?」
 龍樹は怪訝けげん面持おももちでたずね返した。
「だから、ひとを殺したら、死刑にすればいいって話ですよ」
「死刑、ですか」
 このとき、ご隠居が岩井に向かって、《やめておけ》というふうに目配せをする。ところが、彼は気がつかなかったようである。
「そうですね……まあ、死刑という制度があるんですから、法に則って執行されるのは、仕方ないのかなとは思いますけど」
「仕方ない?」
 岩井があからさまに不満を浮かべる。
「つまり、大将は死刑制度に反対なんですか?」
「いえ、制度としてあるものは認めます。だけど、賛成はしません。反対もしませんが、なくなってもかまわないと思っています」
 龍樹が穏やかな口調で述べたものだから、若い酔客はかえって苛立いらだったようだ。
「どうしてですか? 悪人なんか、この世に害しか及ぼさないんだから、みんなぶっ殺しちゃえばいいじゃないですか」
「私も、以前はそう思っていました。悪いやつは死刑にすればいいと。だけど、ふと気づいたんです。自分が死刑に賛成なのは、それこそ岩井さんがおっしゃったように、この世に害をす存在、つまり、自分にとって都合の悪い存在がいなくなればいいという気持ちからなんだって」
「それのどこがいけないっていうんですか?」
「個人の都合や感情で行われるものは、刑罰じゃありません。単なる私刑──リンチです。それがわかってから、死刑に賛成することをやめたんです」
「なんだそりゃ」
 龍樹の述べたことが理解できなかったらしい。岩井がぞんざいな言葉遣いになる。何か言い返そうとしたか、食って掛かるように身を乗り出した。
 その前に、龍樹が笑みを浮かべて言葉を継ぐ。
「ですから、個人の感情や都合でなく、それが必要だという真っ当な理由が見つかれば、私は喜んで死刑に賛成します」
 煙に巻かれたと思ったのだろう、岩井が憤慨ふんがいの面持ちを見せる。ぐいみの燗酒かんざけをくいっと空け、大袈裟に「ふう」と息を吐いた。
「大将は、被害者の気持ちを考えないから、そんなことが言えるんだよ。そりゃ、殺された人間は何も言えないけど、被害者の遺族とか、大切なひとを失った者の悲しみや悔しさを思えば、死刑がなくてもいいなんて言えないと思うね」
 ふんぞり返って鼻息を荒くする彼を、ご隠居はたしなめた。
「そんなふうに言うものじゃないよ」
 他の客たちも、気まずげに視線をさまよわせていたのだが、岩井は気づかなかったようだ。
「べつにおかしなことは言ってないですよ。おれの意見は、国民大多数の意見と同じだと思いますけどね」
「ああ、そうさ。わたしもそう思っているよ」
 ご隠居が、それ以上言わせないようにす。しかし、若さゆえのぐな気性を抑えることはできなかった。
「そうでしょ? 大将のほうがおかしいんだよ。もっとやられた立場になって考えなくちゃ。そうしないと、遺された者はいつまでも苦しむことになるんだから」
「それは違うよ」
 とうとう我慢できなくなったようで、他の常連客が口を挟む。岩井はギッと睨みつけた。
「何が違うんですか?」
「大将が、被害者や遺族の気持ちを考えてないなんてことはないよ。むしろ、誰よりもわかってるはずなんだ」
「はあ? わかってたら、死刑に賛成できないなんて言えないでしょ」
「大将は、娘さんを殺されてるんだよ」
 この一言で、店内が静まりかえる。岩井も表情をこわばらせ、頬をピクピクと震わせた。
 テレビの音声だけが虚しく流れる中、龍樹は何事もなかったかのように、ご隠居に声をかけた。
「もう一本つけましょうか?」
「ああ、お願いするよ」
 龍樹が徳利を温めるあいだに、岩井はしかめっつらで刺身に箸をつけた。刺身皿を使わず、じかに醤油を垂らして。綺麗に並べられた切り身を、ふた口で平らげた。
「大将、お勘定」
 岩井がぶっきらぼうに訊ねる。龍樹が「ええと、千八百円です」と答えると、目を伏せたまま二枚の札をカウンターに置いた。
「釣りはいいよ」
 言い残し、足早に「彩」を出て行く。誰とも顔を合わせないようにして。
 間もなく、店内が穏やかな空気を取り戻す。お客たちもそれぞれの会話に戻った。
「どうぞ」
 龍樹がご隠居の前に燗徳利を置く。
「ああ、ありがとう」
 よわい七十前、年長の常連客はうなずき、何気なく訊ねた。
「もう何年になるのかな?」
 簡潔な問いかけのみで、店主は察して答える。
「六年ですね」
「そうか……早いものだね」
「ええ。ただ、私自身は、まだそんなものかという気持ちが強いんです。あれ以来、時間が止まったようなものですから」
「そうだろうね」
 大切なものを失ったのだからという言葉を、ご隠居は呑み込んだ。
「奥さんとは、連絡をとっているのかい?」
「いいえ。別れて四年以上経ちますし、私のことがまだゆるせないのでしょう」
「しかし、大将のせいであんなことになったわけじゃないのに」
「いえ、事件のことじゃなく、その後の私がいけなかったんですよ。岩井さんが言ったように、私は間違っているのかもしれません」
「そんなことはないと思うが」
 ご隠居がやり切れなさそうにかぶりを振ったとき、テレビのニュースが速報を伝えた。街外れの空き倉庫で、死体が見つかったというものである。
『──遺体の身元は明らかになっておりませんが、拘束されていた形跡があるとのことで、警察は何らかの事件に巻き込まれたものとして捜査を進めています』
 眉間みけんにシワを寄せて、アナウンサーが届いたばかりの原稿を読む。だが、店内の客で、ニュースに目を向けているのはご隠居のみだった。
「やれやれ、物騒な事件ばかり起こるねえ」
「そうですね」
 龍樹はテレビのほうを振り返ることなく、相槌あいづちを打った。
 集会はいつもと同じく、市民センターの一室を借りて開かれた。
「半田さん──」
 会が始まる前、龍樹は部屋の隅にいた。テーブルに用意された各自で淹れるコーヒーを飲んでいると、背後から声をかけられる。
「ああ、上条さん」
 集会で何度か会っている、顔見知りの女性だった。上条朝子あさこ。龍樹よりも年上で、五十近い彼女の頭髪には、白いものが目立っていた。
「ニュースを御覧になりましたか? あの男が殺されたっていう」
「ああ、そうみたいですね」
 空き倉庫で見つかった死体はその後の調べで、堀江幸広という広告代理店に勤める男だとわかった。拘束、監禁された跡があることから、警察は殺人事件と断定して捜査を始めたようである。
「こんなことを言ってはいけないのかもしれませんけど、正直ホッとしました。これで敦子も、浮かばれるのかという気がします」
「ええ。私もそうであってほしいと思います」
 彼女の娘は堀江にレイプされ、そのショックと恐怖からPTSDを発症し、普通の生活が送れなくなった。そして、事件から数ヶ月後に、自ら命を絶ったのである。
「だけど、あの男がああいう死に方をしたということは、かなりの恨みを買っていたんでしょうね。敦子以外にも、ひどい目に遭わされた娘さんがいたんでしょうか」
「可能性はあると思います。性犯罪者は再犯率が高いようですし。まして、彼は逮捕されていなかったわけですから、常習だったかもしれませんね」
「ええ……でなければ、娘もあそこまで酷いことをされずに済んだでしょう。きっと何人も毒牙どくがにかけて味を占めて、エスカレートしたんですね」
 娘の敦子が受けた仕打ちを、朝子は本人から聞かされていなかった。亡くなったあと、残された日記を読んで、ようやく何があったのかを知ったそうである。生前、いくら問いただしても、娘は何も言わなかったと聞いた。
 強姦が親告罪ではなくなった現在、その日記を証拠として捜査を依頼することもできただろう。けれど、それをしなかったのは、親にすら何も言えなかった娘の気持ちを思うと、果たしておおやけにしていいものかどうか躊躇ちゆうちよしたからだと、彼女はかつて龍樹に話した。
 この集会は、犯罪被害者の自助グループが開いているものである。直接的な被害者よりは、遺族のほうが多い。内に秘めた思いを口にし、同じ苦しみを背負っている仲間の話を聞くことで、前に進むためのきっかけや、力を得ることを目的としていた。
 龍樹はここ以外にも、同種の集会があれが場所を問わず、可能な限り顔を出している。その折に、レイプ被害者の話を何度も聞いた。
 朝子の娘と同じように、男から受けた仕打ちを誰にも言えない女性は多い。自身に非はなくても、けがれや恥の感情を捨てることは困難である。また、訴えた場合にも、取り調べや裁判でセカンドレイプのに遭う恐れが十二分にあった。そのため、すべてを抱え込み、ひとりで苦しむしかないというのだ。
 彼女たちに被害を訴えるよう勧める人間は、集会ではまずいない。同じ被害者の立場ゆえ、どうすべきかは自分自身で決めるしかないとわかっているからだ。
 集会には、だいたい十人前後が参加する。強制ではないから、たまにしか来ない者もいれば、休みなく出席する者もいる。被害者になってからだいぶ経つ者、日が浅い者、さまざまだ。参加する必要がなくなれば来なくなるし、あいだを空けての復帰も自由である。
 また、ここへ来たからといって、必ず何か話さなくてはならないというものではない。仲間の告白を聞くだけでもかまわないし、何をどう話すかも、参加者自身にゆだねられていた。
 薬物やアルコールの依存症で苦しむ人たちにも、同様のグループや集会があると聞く。あいにく、龍樹は参加したことがないので、そちらの実情はわからなかったが。
「実は、最初に半田さんのお話を伺ったとき、わたしは理解できなかったんです」
 朝子が記憶を手繰たぐる顔つきを見せる。龍樹は無言でうなずいた。
「犯人に厳罰を望むつもりはないっておっしゃって、正直、お嬢さんを愛していなかったのかしらとすら思いました」
 そう言ってから、彼女は「すみません」と頭を下げた。
「いえ、当然だと思います」
「だけど、今回、あの男が殺されたとわかって、そのときは確かに安堵あんどしたんですが、一方でやり切れない思いもあるんです。あいつが死んでも、敦子が生き返るわけじゃありませんから。因果応報いんがおうほうなんでしょうけど、あいつがいい気味だとも思えないんです」
 朝子がため息をつく。それから、龍樹に訊ねた。
「もしかしたら半田さんは、仮に犯人が死刑になっても、こういう気持ちになることがわかっていらしたんですか?」
「いえ。そこまで見通していたわけじゃないんです。それに、娘を殺した犯人はまだ生きているわけですから、彼が死んだらどんな気持ちになるのかなんて、今の私にはわかりません」
「そうですか……」
 そのとき、彼女が下唇を噛んだのは、これからどうすればいいのかという思いに駆られたからではないのか。そして、話題を変えるように別の質問をする。
「お嬢さん──彩華ちゃんは、生きていればおいくつになられるんでしたっけ?」
「あれは十歳のときでしたから、十六ですね。高校生になっているはずです」
「もうそんなに経つんですか」
「ええ。ただ、肝腎かんじんの彩華がいませんので、実感はないんですが」
「そうでしょうね」
 うなずいた朝子が、ふとすがる面持ちを見せた。
「敦子は二十三歳まで生きられたわけですから、その点は幸せだったと考えればいいんでしょうか」
 幼くしてった龍樹の娘と比べて、まだ増しであったと思いたいのか。ただ、言ってから失言だったと悔やんだらしく、申し訳なさそうに目を伏せた。
「上条さんがそうお考えなら、それはそれでかまわないんじゃないでしょうか」
「……半田さんは、どうお考えなんですか?」
「たった十年しかそばにいられなくても、子は親にとってかけがえのない存在です。もう言葉は交わせませんし、本人の無念さはわかりませんが、あの子が生まれてくれたことで、私はとても幸せでした。それだけは、決して忘れないでいたいと思っています」
 言葉を選びながら答えると、娘を亡くした母が小さくうなずく。
「お強いんですね、半田さんは」
「まさか。私はごく普通の人間です。強いどころか、娘を守れなかった弱い男親にすぎません」
 龍樹の脳裏に、そのときの光景がよみがえる。安置所で愛娘まなむすめの遺体と対面し、縋りついて泣き叫ぶ自分の姿が。答えない我が子に何度もあやまり、涙がれたあとは、自分を責め続けた。
 ただ、それは本当にあったことなのかと、ときどき記憶が揺らぐことがある。自分は本当に泣いたのか、悲しんだのかと、自問自答が日毎ひごとに増えてきた。
 ──どうしてなの?
 その問いかけは、別れた妻が龍樹に向けたものだった。
 ──あなた、父親でしょ? 彩華が可愛くないの? あの子の気持ちなんて、どうでもいいの?
 容疑者の弁護士にあることを伝え、それを妻にも話したとき、彼女は涙を流して夫を責めた。
 どうしてあんな取引をしたのか、あれは本当に正しかったのか、龍樹はずっと悩み続けている。間違っていないとは、口が裂けても言えない。
 けれど、そうすることが唯一、娘がこの世にいたあかしを消さないことだと思えたのだ。
「弱い人間です、私は……」
 その言葉を胸に刻みつけるように、龍樹はつぶやいた。
 定刻になり、集会が始まる。
 パイプ椅子が一方向に向けて並べられ、参加者はそこに座る。今日は八名が出席した。
 他には会を運営するボランティアの、進行役がひとり。彼は脇に立っている。参加者ひとりひとりを指名して、話をするかどうか確認するのが主な役割だ。
 話したいことがある者はその場に起立する。いや、座っていてもかまわない。話す内容もそれぞれで、自身の身に起こったことを打ち明ける者、近況を話す者、失った大切なひとの思い出を語る者、さまざまだ。自身の素性を明かす必要もなく、名前を伏せている者もいる。
 そのため、外部の者が入り込まないよう、事前の身元調査は厳重にされていた。ここで見聞きしたことも、他言無用である。
 誰かが話すあいだ、他の人間はただ聞くのみである。話す人間のほうを見る者もいれば、まぶたを閉じている者、ただ正面をじっと見つめる者もいる。
 一巡した後、もう一度話したい者、あるいは、最初は話さなかったけれど気が変わった者が、口を開くこともある。ただ、そういうことは滅多めつたにない。だいたいはひとめぐりして終了だ。
 質疑応答も、意見を交わすこともない。ただ話して、聞くだけの静かな会である。参加者が負担を感じることなく、それでも前に進むためには、これが最良だと考えられていた。
 会が終了したあと、その場はしばらく開放され、参加者同士が言葉を交わすこともある。それが目的で会に出る者もいた。龍樹は朝子と、そのときに何度か話した。
 彼女は、初回に自己紹介のかたちで参加した理由を話して以来、ずっと聞き役に徹していた。だが、今日は進行役に訊ねられ、「話します」と答えた。その場に立ち、すうと息を吸い込む。
「わたしの娘を死に至らしめた男が……殺されました」
 最初の発言で、室内にいつになく緊張がみなぎる。誰も声を発していなかったが、空気がざわめいたようであった。
「わたしは被害者として、被害者の親として、あの男をずっと憎んでいました。警察に頼れないのなら、自らの手で復讐をと考えたこともありました。勤め先を調べて、あとをつけて、どこに住んでいるのかも突き止めました。だけど、それ以上、何ができるわけでもありません。ただ憎み続けるだけでした。憎むことで、ようやく生きていられた気がします」
 龍樹は朝子の隣に座っていた。彼女のほうを見ることなく、視線を斜め下に向け、擦れて薄汚れた白い床のみを視界に入れていた。
「その憎い男が、今度は被害者になってしまいました」
 そう言ったあと、しばらく間ができる。どう話せばいいのか、自分はどうしたいのか、感情を持て余しているふうであった。二分ほど経ち、
「これからわたしは、誰を憎めばいいのでしょう」
 震える声で絞り出すように言い、朝子は腰をおろした。
 重苦しい空気が、言葉を発することを許してくれない。進行役のボランティアも、次を指名していいものかどうか、迷っている様子である。
 順番から言えば、次は龍樹であった。けれど、何も話さないつもりであった。彼も朝子と同じように、聞くだけのことが多かったのだ。
 話したいことがないわけではない。亡き娘のことをみんなに知ってもらいたかったし、事件のあと妻と別れたことも、ひとつの過ちとして伝えたかった。
 ただ、自分には何も話せない。話す資格がない。特に今日は強く感じていた。
 ──あなたは自分のことしか考えてないのよ。彩華やわたしのことなんてどうでもいいの。そうやって、いつまでも自己満足にひたっていればいいのよっ!
 妻の辛辣しんらつな叫びが耳に蘇る。鼓膜こまくに張りついたそれは、おそらく一生消えまい。
「では、半田さん、いかがですか?」
 ようやく声がかけられる。龍樹は無言で首を横に振った。進行役が次を指名し、新たな告白が始まる。
 龍樹は床をじっと見つめた。その目には、何の光も宿っていなかった。
(第4回へつづく)

バックナンバー

小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop